あるところに、戦や争いとは無縁の、実に平和で穏やかな国がありました。 大きなお城に住む王様は、時々容赦のない蹴りを周りの者に浴びせるものの、気高く、ハイヒールが実にお似合の大層美しいお方です。 政にも長けており立派に国を治めていましたが、長く連れ添った伴侶を亡くされてしまい、二度目の妻として今のお妃様をお城に迎え入れたばかりでした。 王様に見染められるほどでありますから、このお妃様も麗しいお方なのですが、痛ましいことに過去に受けた流れ矢が原因で片目を失っており、常に眼帯で覆い隠していました。 その傷をよほど忌々しく感じるのでしょう、自分の姿がうつるたび、お妃様は鏡を叩き割りたい衝動に駈られてしまうのです。 だというのに、鏡を見ることをやめられないというのですから、なんとも不自由な性分です。 その日も、お妃様は城で一番大きな鏡の前に腕を組んだまま仁王立ちしていました。 「鏡よ鏡よ…鏡……さん…」 のっけから驚くべきお妃様のテンションの低さ。 これ以上ないほどの渋々さで台詞を呟く声は、今にもそのまま消え入りそうです。 お妃様は今回のキャスティングに大変納得がいかぬようで、未だ役に徹し切れていないのです。 しかし今更四の五の言ってもどうにもなりません。 「この世で一番美しいのは…だれ…だ?(なんだこの台詞は…!)」 何かを振り払ったかのようなお妃様の(恥ずかしい)問いに、鏡は高慢かつふてぶてしい声色で答えます。 「それは甄だ」 「あ、え?」 予定とは異なる答えに動揺したお妃様はまぬけな声あげました。 「甄ってお前……それは王の名ではないか。いいか、もう一度聞くぞ」 真面目な性分のお妃様は、空気を読まない鏡を小声で諭しました。 「この世で一番美しいのはだれだ」 「甄」 「おい」 「甄だ」 「違うだろ、そこは…」 「違わぬ、この世で一番美しいのは甄。一番強いのも甄」 「や、曹丕、あのな」 「甄といったら甄だ」 「わ、わかったわかった…!もういい、質問を変える……王の次に、美しいのは誰だ」 らちがあかないと頭を抱えたお妃様は、話を進めるため仕方なく妥協することにしました。 しかしそのおかげで、甄、甄と馬鹿の一つ覚えのように即答し続けていた鏡の口からようやく別の言葉が飛び出したのです。 「次か…甄の次ならば、であろう」 とはこの国の王女様で、お妃様の義理の娘にあたります。 激しい質をお持ちの王様とは正反対の大変気性の穏やかな娘で、常に笑顔を絶やさぬ花のような愛らしさはこの城の者たちの心をいつも癒しておりました。 しかし面白くないのは自分の美貌に自信を持っていたお妃様です。 悔しさのあまりお妃様は、ハンカチを噛み千切りながら憎憎しそうに姫を罵りはじめました。 私より姫の方が美しいだなんて、ええい忌々しいなんと目障りな小娘だろう!! 「ちょっ…おい、そんなこと言ってないぞ!」 ※役に入りきれていない人の抗議は聞く耳持たぬ方向で。 自分より美しいものが存在することが許せない(この際王様のことはノーカウント)お妃様の激しい嫉妬心はあっという間に心へ黒い闇を呼び込みました。 この国の王女である姫さえいなくなれば再び自分が一番美しいはずだと考えたのです。 悪魔に魂を売り渡してしまったお妃様は、自分の手下である猟師2人に姫を連れ出すように指示しました。もちろん、連れ出したあとに始末させるのです。 ああ、世にもなんと恐ろしい企みでしょう…! 「そんなこと企んでない!」 ※くどいようですが、役に入りきれていない人の(以下省略) そこは広く静かで、道しるべがなければ今来た道すらわからなくなるほど緑が深い森でした。 滅多に城の外に出ることの出来ない姫にとって見慣れぬ風景は新鮮でしたが、自分の置かれた状況について考えるととても浮かれていられません。 監視するように前と後ろを歩く2人の男。その手には猟銃が握られています。 はこの猟師たちに見覚えがありました。 以前庭園で2人を見かけた際、お妃様との昔からのご友人ですよと使用人が教えてくれたのです。 お妃様からみればお邪魔虫以外の何者でもないわけですから好かれてはいないことくらいわかっていましたが、殺したいほど憎まれていたのかと思うと(誤解だ!/夏侯惇)はとても悲しい気持ちになりました。 しばらく男達はしょんぼりしているを挟んで森の中を無言でザクザクと歩き続けていましたが、やがてその足をぴたりと止めました。 「うし、この辺までくればいいだろ」 撃たれる、と思わずは恐ろしさで身を固くしましたが、 「よっ姫、長いこと歩かせて悪かったな、寒くねーか?」 「え、ええと、はい」 振り向いた男のその人懐っこそうな顔は、一瞬にして場の緊張感を消し飛ばしました。 とてもこれから人を一人殺ろうと思っている人の表情ではありません。 てっきり亡き者にされるだろうと思っていたは「あの、あの、あの?」と質問にもなっていない言葉を呟くばかりでした。 「あー…ホントはお前のこと始末するよう言われてんだけど、ま、別にわかりしゃしないだろ、な曹仁?」 ハッハッハと肩を豪快に叩かれたもう一人のヘルメットの男も、うむと相槌を打ちました。 長くお仕えしているお妃様からの命令とはいえ(命令なんてしてない!!/夏侯惇)可愛らしく気立ての優しい姫を手にかけるなんて、2人にはどうしても出来ませんでした。かといって今更断るわけにもいきません。困った二人は、この遠い森の中で姫を逃がすことにしたのです。 「じゃあ、俺たちここで戻るから気をつけてな」 「命が惜しいなら城に戻ってはならんぞ」 「あっ、ありがとうございましたっ」 去ってゆくコロコロゴツゴツとした2人の背中に、はよくわからないまま何度もお辞儀を繰り返しました。 しかし命拾いしたものの、見知らぬ森にたった一人きり。 心細く思いながら、は木々が生い茂る中をひたすら歩き続けました。 そのうち日は少しずつ傾き、不安を煽るように空と森はどんどん暗くなってゆきます。 疲労と寂しさにが押しつぶされそうになった頃、森の中に忽然と小屋が現われました。 食事の支度をしているのでしょうか、なんだか鼻をくすぐるようなよい香りもしてきます。 疲れきっていたは助けを求めるように小屋へとフラフラと吸い寄せられてゆきました。 「すいません、どなたかいらっしゃいますか…?」 どうやら留守のようで、幾度扉をノックすれども返事がありません。 試しにノブを回してみると鍵はかかっていなかったのか実にあっさりと開きました。 いい香りの正体は、台所で煮えているシチューだったようです。 空腹で目を回しそうになっていたはテーブルに並べられている七枚の皿から一枚失敬し、シチューをご馳走になりました(もちろんお皿は食べた後洗いました)(小心者) 小屋の中は思ったよりも広く感じました。 それというのも、部屋の中にある何もかもが小さく出来ているからです。 七つ並べてあるベッドはとても足を伸ばせそうもありませんし、テーブルも椅子も普通のものよりずっと低く作られています。 子供がたくさんいる家なのだろうかと思案しながら、は小さなベッドにちょこんと座って、家の誰かが帰ってくるのを待っていました。 勝手に入り込んだ上にシチューまで食べてしまったことを詫びるつもりだったのです。 ですが、いくら待ってもなかなか戻る気配がありません。 そのうちに長い時間歩き回った疲れに襲われ、はいつの間にかうとうとと眠りついてしまいました。 |
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