たどり着いた町内会長の家は、思ったよりもみすぼらしいものでした。
建物自体は立派なのでしょうが、二、三度戦火に見舞われているかのような痛めつけられ具合で、家全体がなんだか傾いています。
本当にここにあの伏龍が?と疑わしい気持ちに陥ったは何度も確認しましたが、ぶら下がっている汚れた表札には間違いなく「諸葛」と書かれていたので、見るからに何度も補修された痕跡のある扉をそっとノックしました。

「出て来い悪の手先、いざ尋常に勝負だ!」
「これ以上の悪行はこの趙雲が許さぬぞ!」
「ちょ、ちょっと、馬超様と趙雲様は黙っててください」

敵の本部を前にして猛りだす2人をが制していると、ギギギシギギと立て付けの悪そうな音とともに玄関が開きました。
現われたのは、諸葛亮の奥方でしょうか、麗しくとても優しげな女性でした。
その女性は、どこをどう見ても怪しい一団の突然の訪問にも不審な顔ひとつせず「どうぞお上がりください」と達を迎え入れてくれました。簡単によその人間(しかもこんなわけがわからないチーム編成の集団)を家に上げるとは警戒心がなさすぎです。もっと人を疑うべきだと、自分の立場も忘れては思ってしまうのでした。

通された室内は一言で言えば雑然。
ただ整理がゆき届いていないだけではなく、片付ける意思の片鱗もみえないといいますか、まさしく足の踏み場もない有様。ここまで荒れていればいっそ清々しいというものです。
部屋の床も含めて書庫としているのか、書物の数々が絨毯代わりのように広がり、積み重なったその下から会長の補佐であるホウ統がのっそり這い出てくるなど、訪問客を静かに威圧してくれます。

「突然お訪ねしてすいません、桃林の三兄弟の娘でと申します」
「あの三兄弟の娘というと…ああ朱雀様でいらっしゃいますね、これはこれはようこそ」

初めて目にした町内会長は、巷の噂通り実に聡明そうな人物でした。
物静かな中にも人を圧倒するただならぬ気配があり、まさに人の体を借りた龍という雰囲気です。

「それで今日はどのような用事で私に……ああ来月のバザーの申し込みですか」
「違います」
「そうですか……実はまだ一定数集まっていないのです。締切まであと一週間ございますので、ぜひご検討を」
「で、ではなるべく参加するよう父達に申し伝えておきますから、そんなことよりですね」
「これ申し込み用紙です」
「あ、はい、どうも…って、そうじゃなくて」
「多めにお渡ししますので、隣近所にも配布お願いします」

諸葛亮、バザーのことで頭がいっぱいです。
さすが仕事一筋、よっ!町内会長の鑑!などと讃えるに値する熱心さではありますが、本日は彼の仕事ぶりを見学しにきたわけではありません。抗議です。クレームです。
本来の目的を忘れてしまいそうになったは、いけないいけないと頭を振りながら、手にいっぱいのバザーの申し込み用紙を荷物に仕舞い込みました。

「来月のバザーもいいですが、会長に今一度考え直していただきたいことがあるんです」

がそう言うと、次回の回覧板にバザーの再々案内(しつこい)を挟み込んでいた諸葛亮は顔を上げ、不思議そうに目を細めました。

「どのようなことですか」
「魏延様と黄忠様への仕打ちについてです」
「……はて、なんのことでしょう」

素知らぬ素振りを貫いたつもりでしょうが、ほんの一瞬諸葛亮の表情が変わったのをは見逃しませんでした。
というより、見逃す方が難しいほどの歪みようだったのです。
伏龍などと呼ばれるほどですから鉄の平常心を持っていそうなものですが、案外ポーカーフェイス技術は人並み以下でした。

「とぼけないでください、2人もう足腰ガクガクでしたよ」
「…仕方なかったんですよ、新種の栽培の為にまっさらな山が欲しい、と月英が…」
「新種?」
「そのへんについては聞かないで下さい。法に触れる恐れがあります」

おそるおそる月英に視線を移しましたが、にこりと微笑むばかりで彼女はなにも答えようとしてくれませんでした。
隣で諸葛亮が口に人差し指を当てて「言ってはいけませんよ月英、しーッですよ、しーっ」と指導しているせいかも知れません。とりあえず不気味でした。

「と、とにかく山一つ分草むしりなんてあんまりです。罪人扱いじゃないですか」
殿のおっしゃる通りだ、異国の者や老人をいたぶる鬼め、神妙にいたせ!我が槍術をみよ!」
「正義の名の下に貴様を討つ!」
「だから2人とも黙ってて下さいって」

わずかに漂い出した対立ムードを見逃すことが出来ないのか、話がまとまるまで静かにしているように、というからの言いつけも忘れ、待ってましたとばかりに趙雲と馬超は大ハッスル。
やる気は認めますが、平和主義のにとってはいい迷惑です。それほどパワーが有り余っているならば無理に敵を探さずに、大人しく畑でも耕していただきたいところです。

「もう、姜維様もなんとか言ってやって下さ……姜維様…?どうしたんですか?」

やたらと勇み足の2人に比べ、諸葛亮邸訪れてから妙に大人しくなったキジの姜維。
たまらずが助けを求めて振り向くと、彼は列の最後尾で俯いたまま立ち尽くしていました。

「姜維様、あの、」
「お許しください殿…!」
「え?」
「まさか敵対しているのが丞相だとは思わなかったのです…わたしは…私は弟子として師匠を裏切ることは出来ません!!」


キジ、まさかの離反


どうやら諸葛亮と師弟関係にあったようで、泣きながら姜維は諸葛亮の元へと駆け出してしまいました。
思いもよらぬ展開にご一行は呆然、今ひとつ事情が飲み込めていない諸葛夫妻もポカンとしておりました。
諸葛亮と妻の月英、ホウ統、弟子の姜維。
とそのお供(自称)趙雲・馬超。
これまでの戦力差が姜維の謀反によって一変、数の上だけで考えると達に不利な状況です。

「姜維の謀反まで誘うとはどこまで卑劣な…!」
「もうこれ以上は我慢できぬ、覚悟!」

これについては勝手に付いて来て勝手にショックを受け勝手に裏切った完全姜維一人舞台だったのですが、もうなんでも諸葛亮の仕業に見えるようです。
『鬼退治』という正義行為に目を曇らせたまま、2人は今にも飛び掛らんという形相で槍を構えました。
みなぎる闘気、溢れる熱意、完全に閉じた視界。
意思の疎通が図れない相手ほど恐ろしいものはありません。
やり合う気はありませんでしたが、避けられそうもないことを悟った諸葛亮は「争いごとは好ましくありませんが…」と諦めたように溜息を吐きました。

「やむを得ませんね、打って出ましょう……出でよ飛将軍!」
「ふんっ」

諸葛亮の声にあわせるように、天井から降ってきたのは頭部を触覚で飾った屈強な男でした。
流石は伏龍、いざという時のために伏兵を配しているとは驚くべき手回しの良さです。
やけに上のほうからミシミシと音がするとは思っていましたが、天井裏にこんなものを隠していればそりゃあ軋みもするだろうと妙に納得しました。
現れた男は飛将軍と呼ばれるにふさわしい威圧感で、その眼光の鋭さに場は一瞬にして緊迫した雰囲気に包まれましたが、はその男を知っているような気がしました…というか、向かいに住んでいる呂布でした。

「なに……して、るんですか、呂布様」
「ッ…!?」

さきほどまでの鬼神のようなオーラはどこへやら。
の姿を認めた途端、彼の鋭かった瞳は大きく見開かれ、それと同時に頭部の触覚もピクリと跳ね上がりました。
握っていた巨大な戟を滑り落とさんばかりの動揺ぶりです。

「もしかして、呂布様の仕事って町内会長の用心棒…」
「バッ…バカをいうな、そんなわけないだろうが」
「だって天井から降ってきたじゃないですか」
「む…それは、あれだ…」
「あれ?」
「こ、こいつを討ちに来たんだ!」


呂布、あっさりと離反


迷う間もなく一瞬の選択です。
呂布の中では>>>雇い主という残酷なまでにハッキリとした優先順位だったのでしょう。
は読心術など会得してはいませんでしたが、呂布に「こいつ」と指された時の諸葛亮の心情は簡単に読むことができました。
確実に「ええー!!?」と声にならない悲鳴を心中で上げていました。
しかしこの後、更に絶叫する展開が彼を待ち受けていたのです。

「ええいその方から離れろ悪漢ども!!」

突如、空気を切り裂いた威勢の良すぎる声。
振り向くと、そこには物騒なものを手にした少年少女が凛々しく立ちふさがっていました。

「朱雀様に害をなそうとするならば、この関羽が息子、関平が黙っては居ないぞ!」
「ちょっと、そこどいてくれる関平、様がよく見えない」

は血を吐きそうになりました。
他所様のお宅の玄関を蹴破って押し入るというこのわんぱくデュオのことを知っていた
――いえ、あまりに知りすぎていたせいです。
少年の名は関平、少女の名は星彩。
関平は関羽の息子、星彩は張飛の娘であり、三兄弟を養父としているとは兄弟のような関係です。
ですが、持って生まれた純粋さが災いしたのか、に向けられた2人の愛(信仰)は三兄弟に勝るとも劣らぬほど深く熱く、そして限度を越えていました。両者共なまじ腕っ節が強い分、自分が守ってやらねばという行き過ぎた過保護思考に支配されているのでしょう、過敏なまでにの周囲に目を光らせ、飛んでいる蚊にまでチャージラッシュを食らわせる始末。兄弟というよりも近衛兵です。
誤解と思い込みが錯綜しているこの状況を考えるに、今現在にとって最も関わって欲しくない存在であることは間違いありません。ややこしさ倍増どころか場が壊滅に追い込まれます。
今日はレーダーのような監視の目を上手くかいくぐって来たつもりでしたが、2人の嗅覚はの想像以上に鋭かったようです。

「あの、かっ、関平様星彩様、諸葛亮様は別に敵と言うわけではなくてですね…って、あ」

相手の話を聞くという基本が出来ていれば、こんな風にすくすくと『ナチュラルな過激派』に成長するわけがありません。
勇ましい掛け声とともに、関平と星彩はそのまま諸葛亮へと突っ込んでゆきました。
それが開始の合図となり、これまで何とか抑えが効いていた趙雲、馬超、呂布の三名も槍を振り上げ、遅れをとるなと言わんばかりの勢いで戦闘へと加わってしまいました。
遂に戦いの火蓋は、思いもよらぬ横槍によって幕を切って落とされたのです。

町内会の存亡をかけた諸葛ファミリーと押し掛け討伐隊(そこに正義はない)との一大決戦。
勝負の行方が気になるところではありますが、この戦い、どう見ても勝負と称するにはあまりにも一方的過ぎました。
いずれ劣らぬ剛の者に次々を自慢の技を繰り出され、諸葛亮の体は胴上げのようなめでたさを含みつつ宙を舞っています。それなりに大人と呼んでも差し支えない年齢だというのに、全員本気です。全力で喧嘩しています。
手加減を知らぬ大人げない武将5名に立ち向かうのはいくら龍だろうが虎だろうが無理がありましょう。
だというのに諸葛亮側からの援護はなぜか一切ありません。一応補佐であるはずのホウ統など、部屋の片隅で勝手に湯を沸かし茶の準備などしてます。

「加勢とか、しなくていいんですかホウ統様」
「あっしは頭脳班として雇われててねェ、力仕事は契約外さ」
「け…結構ビジネスライクなんですね」

では奥方と弟子はどうかと見回しましたが、二人の姿が見当たりません。
どこへ消えたのかと思っていると、突然奥の扉が開き、地鳴りのような音が滑り込んできました。
音の正体は月英と姜維に導かれるように現れた虎……いえ、よく見ると虎を模した巨大なからくり機械です。
優れた発明家として知られている月英の作品なのでしょう。

「お待たせいたしました孔明様!この虎戦車が敵を排除いたします!」

月英の合図で、待機していた姜維が一気にレバーを引きました。
動きを止めた虎戦車は、いかにも兵器と言わんばかり恐ろしげなうなりをあげ、大きく開けた口から炎を噴き出しました。
そしてその塊は、あろうことか諸葛亮に直撃したのです。
それはそれは見事なピンポイント攻撃でした。

「な…!な、な、なんで…!!なんてことしてんですかー!」
「あ、よく考えたら照準は孔明様に合わせてました」
「そういえばそうでしたね」

何事もないように納得して頷き合っている月英と姜維が、別の世界の住人に見えました。
2人が言ってる意味も平然としている様もにはさっぱり理解できません。
そもそも発明した兵器のロックオン先が諸葛亮だというのが激しく謎です。
ただでさえ痛めつけられているというのにその上火災にまで見舞われたらいくら丈夫な人でもさすがに天に召されてしまいます。
あまりの惨状に胸が痛くなったは今すぐ虎戦車を停止させるよう求めたのですが、月英は「そうしたいのはやまやまなんですが…」と言って首を振りました。

「電池が切れるまで止まらないんです」
「え、あ、あれ電池式??思ったより経済的な構造で出来て……いやそうじゃなくて、停止機能がないってのはどういう…」
「あの虎戦車は発展途上で、まだまだ試作品の段階なんです」
「なんでまたそんな未完成品を出してきちゃったんですか」
「とにかく孔明様をお助けしなければと思って……」

胸に添えた手を固く結び、月英は顔を上げました。

「あと、早く使ってみたかったんです」
「絶対本音はそっちですよね」

は何故この家がこうも損壊しているのか、とてもよくわかった気がしました。
むしろ、今までよく崩壊せずに頑張っているなあと我慢強いこの建造物にエールを送りたいくらいです。
しかし現在最もエールを送るべきは、他でもない諸葛亮でしょう。
数だけで戦力を考えれば4対6ですが、実質的には1対7です。
暴漢5名の容赦ない攻撃に加え、更に妻と弟子から与えられる致命傷。
一体なにをどうすればこのような惨い目に遭わねばならないのか諸葛亮も不可解極まりないでしょうが、乗り込んでおいてなんですがの方も何がどうしたんだかもうわかりません。たぶん、現在諸葛亮をタコ殴りにしている5名も、何の理由で殴っているのかもはや忘れているでしょう。

これは私がなんとかせねば、とは火花で焦げた柱を強く握り締めました。
まわりが勝手にエキサイトしてしまった結果とはいえ、元凶は言いだしっぺである。あまり受け入れたくない事実をあえて言うなら、まぎれもない主犯なのです。
趙雲達のような武力は持ち合わせていませんが、その代わりには一応風神の遣いとして力がこめられた小太刀がありました。
天変を用いるのであまり多用はしたくないのですが、この切羽詰った状況では使わないわけには行きません。
は決意を固め、思い切って懐に手を差し入れた……のですが、懐には防犯用に持たされている携帯電話があるのみで、小太刀の存在はどこにもありませんでした。
動揺しました。
紛失などした日には本気で罰が当たりそうな代物ですので、は大慌てで携帯を手にしました。

「…あ、もしもし劉備様ですか。です。はい元気です元気ですよ。晩御飯?もちろん家で食べます。はい、帰りに味噌買えばいいんですね……や、そんな場合じゃないんですよ、小太刀がないんです、そう。劉備様知らないかなと思って電話を…ええ……ええ?張飛様が?使ってる?鉛筆?削るのに?よく切れるって……そうです
か、それは良かったです……え?ちゃんと洗う?いや、なんていうか、そういうことじゃなくて…」

力が抜けたように壁にもたれかかり、は激しさを増す目の前の戦場を遠い目で見つめました。
一瞬天井高く火柱が上がり、ジュッと燃え上がる白い扇が視界に入ります。

「……ごめんなさい、あの、一人で大丈夫なんて言いましたけどやっぱり助けに来てもらえませんか、このままじゃ取り返しのつかないことになりそ……いえ、違います私じゃなくて町内会長が…」

もともと成功する見込みはありませんでしたが、たちの鬼退治はやはりまんまと失敗しました。
しかしその後、この救援活動がきっかけで諸葛亮という参謀と町内会を牛耳る権力を手に入れた劉備は、町内会名を蜀と定め、現在二大勢力を誇る魏町内会、呉町内会と熾烈な戦いを繰り広げることとなるのです。
失敗は成功の素ですよね、と明るく笑う仲間たちの中、も引きつった笑顔で頷くのでした。
めでたいようなめでたくないような。