ヒヒーン

 馬がいななく。

 ヒヒーンヒヒーンヒヒーンヒヒーン!

 数百頭もいるもんだから、けっこう壮観である。
  
 ここは蜀軍騎兵隊の馬小屋。
 はそこで馬を眺めていた。
 特に用事があるわけではない。
 どちらかというとヒマである。

 殿に「ヒマなので仕事下さい」と頼んだら「私も今ヒマなんだ」と言われてしまった。
 昨日も同じようなやり取りがあり、ヒマ同士一緒に時間を潰そうということで、その日は一日オセロをして過ごした。
 しかしさすがに二日連続でオセロするわけにもいかない。
 かといって将棋ならいいかというわけではなくて。
 この2人でしょっちゅう遊んでるのは、国の威厳的にいかがなものか。
 君主と朱雀がヒマを持て余してるのって、何かちょっと。
 他の勢力に知られたら、ナメられそうではないか。

 そういうわけで本日は劉備と別々に過ごす事にし、は馬を愛でに来たのである。
 そのヒマ君主の方は「今日は忙しそうなフリをする」と言っていたので
 今頃カムフラージュ用の書類でも机に並べていることだろう。
 目の前の馬が飼葉をモシャモシャと食べている。
 馬をこんなに間近で見ることが出来るようになったのは、ここへ来てからだ。
 前の生活では、考えられない。
 都会育ちの彼女にとっては、動物園で見るゾウやキリンと大して差のない、縁遠い生き物だった。
 しかし、車も自転車もないこの世界では重要な移動手段であり、戦場で命を預ける仲間でもある。
 何より身近な存在なのだ。
 馬は可愛い。
 従順だし、賢いし、目がとても優しい。
 最初こそ大きな体に驚いてなかなか近づけなかったが、すっかり慣れた今では、顔を撫でることも平気だ。
 鼻歌まじりに、は順序良く横並びになっているひとつひとつの馬舎を覗いてゆく。

 これは趙雲様の白馬だな。あ、殿の的慮、その隣が鹿毛、栗毛、黒毛、絶影、呂布、赤兎…

 ん?

 「うわぁ!り、呂布様!!」
  
 さりげなく、混じっていた。
 心臓に悪いからびっくりさせないで下さいよ、と息を整えながらは呂布に抗議する。

 「だ、大丈夫か?」

 彼女が勝手に驚いただけで、別に彼は何も悪くないのだが。
  
 この飛将軍とも呼ばれる三国最強の男、実は敵軍の武将だったのだが以前戦った際に蜀軍に寝返った。
 その時に敵として現れたに、コロッとやられちゃったからである。
  
 
・・・ハートを(寒)
  
 それ以来この国の武将として仕えているわけだが、蜀の武将達と共に鍛錬に励むその光景はなんとも異様である。
 「そんな劉備軍ありかよ!」
 と馬超あたりが愚痴っていたような気がするが、アリなんだから仕方ない。
 ようやくは落ち着きを取り戻し、赤兎の主人に話しかける。
  
 「今日の訓練、終わったんですね」

 呂布は頷く。
 すごいアウトローっぽいのに、ちゃんと訓練に欠かさず顔を出す彼は意外と正しい人かも知れない。

 「どうしてここへ?あ、赤兎に乗って散歩ですか?」

 がここへ歩いていくのを見て、会いたいがために追いかけてきたのだが、そんな事この男が言えるわけがない。
 まぁそんなとこだ、と言いながら照れくさくて視線をはずす。
 
 「それにしても本当に綺麗な馬ですね〜」

 は赤兎を優しく撫でた。
 馬中の赤兎馬と謳われるだけあって、他の馬とは風格が違う。
 速度も馬力も群を抜いている。
 そしてその名馬を乗りこなせるのは、呂布だけだ。
 
 ・・・・といわれているが、呂布がいない隙に関羽がこっそり乗っているのをは知っている。
 借りるなよ。
 ていうか赤兎も主人以外乗せんなよ。

 「お前の馬はどれだ?」

 呂布の質問には首を振る。

 「馬、持ってないんです」

 驚いたような呂布に、は言葉を続けた。

 「馬より早いから、いらないんです」

 
だって朱雀だもん。  
 しかし、馬より早いと言うのは乙女としてちょっと恥ずかしいものがある。
 あんまりイメージ的に美しくない。

 自分の馬があるというのは羨ましいが、には小太刀がある。
 馬の一頭ぐらい、劉備に言えばすぐ用意してくれるだろうが、必要ないものを欲しがっても仕方ない。
 パパにポルシェ買って、とねだるバカ女みたいで嫌である。

 「一緒に来るか?」

 ちょっとしょんぼり気味のを呂布は遠駆けに誘う。
  
 「いいんですか?」

 いいに決まっている。
 彼の本心は「来るか」ではなく「来て欲しい」なのだから。
   
 呂布は頷いて、

 「赤兎に乗せてやる」

 との手をとった。



  

 相乗りぐらいしか経験がないは呂布の指導の下、なんとか赤兎に乗ることが出来た。
 主人が横で手綱を掴みながら、だが。
 呂布以外の人間(関羽も乗ってるが)、特に自分みたいな小娘だと暴れるんじゃないかと思っていたが
 赤兎は実に大人しかった。
 が怯えないように、ゆっくりゆっくり歩いてくれる。
  
 「乗る人を選ぶ馬かと思ってました」

 初心者を嫌がりもせずに乗せてくれる赤兎が嬉しくて、は顔を綻ばせた。

 「お前は特別だからだ」

 馬に揺られながら微笑むに、呂布はボソリと答える。
 はその彼の言葉を、「朱雀」という意味で受け止めた。

 「あ、これも風神様のご加護?」
 
「ち、違う!」

 今まで手綱を持って前を向いていた呂布は、突然馬上のを見上げた。
  
 「…そういう意味の特別では、ない」

 口下手で戦馬鹿な男の、精一杯の言葉である。
 ストレートではないが、さすがににもどういう意味かはわかった。

 「ああ…えと」

 思考回路がうまく働かず、まともな台詞が出てこない。
 は頬が異常に熱くなるのを感じた。
 赤面したまま元に戻らないこの顔をどうしたらいいかわからずに、チラリと呂布に目を向けると
 彼は更に
真っ赤だった。
 耳まで、赤い。
 ハタから見ると馬鹿馬鹿しいことこの上ない。
 やってらんねぇよ、と罵声が飛んできそうである。
 しかし、飛んできたのは罵声ではなかった。
 急に表情を変え、を背後に庇いながら呂布は槍を一振りする。

 
キィン!

 音を立て、足元へ落ちてきたのは一本の矢。

 「呂布様!!大丈夫ですか?!」
  
 慌てて馬から下りようとしたが、何せ初心者。
 小太刀を呂布に預けているの運動神経は人並み以下なので、下りるというか落ちるというか。
  
 「ぎゃっ!」
 「!」
 「殿!」

 間一髪で呂布がを抱きとめて地面に激突はまぬがれたが…なんか今1人多くなかったか?
 2人が振り返ると、弓を持った男がひとり、そこに居た。
  
 「ちょ、趙雲様…?」

 何故ここに。
 そして何故弓を。
  
 「もしかして今矢飛ばしたの、趙雲様ですか?!」

 呂布はさっきの矢を拾い上げ、しげしげと観察してから一言呟いた。

 「
毒矢だな」

 その矢尻には、刺されば命に関わる殺傷能力の高い毒。
 そりゃもう大サービスってぐらいたっぷりと塗られている。
 ヒィィィィィ!
 なんでそんな物騒な矢を趙雲様が!
 なんでしかも、チッ見破られたかみたいな顔をしているのか!

 樹の裏に隠れて密かに呂布暗殺の機会を窺っていた趙雲だったが、が馬から落ちそうなのを見てつい出てきてしまったのである。
 なんてツメの甘い男だ。
 趙雲は呂布の疑惑の視線に、

 「たまに虎狩りなどしてみようと思いまして。呂布殿を虎と勘違いして射ってしまいました」

 申し訳ない、と趙雲はかなり苦しい言い訳をした。
 どうみたら虎と呂布を見間違えるのか?
 触覚あたりを尻尾と思ったか?
 色々と突っ込みたい部分は多いが、それ以前に問題なのは
 
この山に虎など出ないということだろう。

 いつからつけてたんだコイツ、と呂布は趙雲という名の殺し屋を睨み付ける。
 さすがにあの言い訳では誤魔化せない。
 尾行してたのバレバレ!
  
 「に当たったらどうする気だ!」

 呂布は怒り、バキッと片手で矢を折った。

 「私が彼女を狙うわけがない!!」

 趙雲は反論したが、それは暗に呂布だけを狙いましたと白状しているようなものだ。
 両者とも相当ムカついてたらしく、彼らの無双ゲージはすでに満タン。
 乱舞秒読み五秒前である。
 さっきまで枝の上でさえずっていた小鳥達が、逃げるように飛び立った。
 そういえばこの辺りの鳥やキツネなど、すべていなくなっている。
 あの赤兎までソワソワし始めた。
  
 
動物には災害などを察知して逃れる本能がある。

 
ま、待って!置いてかないで!
 避難する森の動物達にすがり付きたい気持ちのは、せめて赤兎だけには逃げらまいと手綱を掴んだ。