まわりの景色がとんでもない速度で流れてゆく。
 新幹線に初めて乗った時の車窓の風景も確かこのような感じだった。
 
 なんだろうこれ

 どうなってるんだろうこれ 

 果たして正解なんだろうかこれ

 初めて感じる馬の逞しい背に身を任せつつも、は不安に囚われていた。

 試験官の「始め」の声を合図に見よう見まねでクイッと手綱を引いてみたら、上手いこと馬は駆け出してくれた。
 おっナイス馬!と心で歓喜したはいいが、その後のことなど何も考えてはいなかったわけで。
 勢いよく全力で走り出した馬に柵越えの指示を出したり、地雷をよけさせたりなどが出来るわけも無い。
 まあ始まってしまえばなんとかなるのではないかと気楽に思っていたが、この乗馬という行為、予想以上にスリル満点だった。 
 なんの経験も技術も持ち合わせていない子供がいきなりバイクに乗せられたようなもので、空気に対してむき出しの身体へとてつもない速さが直にかぶさってくる。
 とてもじゃないが、背筋を凛と伸ばして華麗にまたがってなどいられない。
 馬の背にしがみつき、風の抵抗を受けないように体全体を丸めたその姿勢は、どうみても卵を温めている親鳥である。とりあえず乗馬には見えない。
 技術的に操縦できないのは仕方ないとしてもせめて指示を出す真似だけでも出来ればよかったのだが、そんな余裕などその時のには微塵もなかった。

 これはもう、柵に引っかかった拍子に落馬で骨折、または地雷で爆発した拍子で落馬ののち骨折、もしくは角を曲がりきれず、馬が激突した拍子に落馬して骨折…だな

 と、非常にネガティブな未来予想図3本立てをひっそりと描いていただったが、いつまでたってもそれは実現されることなく、彼女を乗せたまま馬はどんどんと試験走路を進んでゆく。
 おかしい。あまりにスムーズすぎる。
 さては、小十郎(なんでも小十郎の仕業と疑ってしまう)が地雷や柵などを取り払ったんじゃあるまいなと、しがみついたまま視線を地面へ投げたが、そのような様子は無く、試験官の説明通り危なげな障害物があちこちに張り巡らされている。
 ますますわからなくなったは、思い切って顔をほんの少しだけ上げてみた。 
 そうしたら、

 思い切り宙に浮いていた

 正確にはではなく、馬が、であるが。
 空を駆けていたその馬は地へと柔らかく降りたち、そのまま速度を緩めることなく蹄を鳴らして走り出す。
 あっけにとられつつが振り返ると、さっき飛んだと思われる箇所に馬防柵がびっしりと置かれていた。
 当然は指示など出してはいない。
 馬が自ら、避けていたわけである。

 その後も埋めてある地雷を回避したり、最も無駄の無い見事なコース取りを見せるなど、馬は華麗な技を惜しげもなく披露し走路を駆け続けた。
 途中起こったミッションで突っ込んできた武将をあっさり蹴り倒した時は、驚きを通しては感動すら覚えたものである。
 すごい馬もいたものだ。
 障害物はよけるわ突忍は軽く踏み潰すわ、目を見張る大活躍である。
 その驚異的な賢さに感心するともに「これでいいのか」という妙な疑問符が浮かばないでもない。
 馬を乗りこなす試験、馬術。 
 しかし完全に今主役の座を攫っているのは、操られるべきの馬自身である。
 のことなど、背中に乗っているノミくらいにしか思っていないのではないだろうか。
 の方もの方で次第に「乗っている」というより「あ、どーも、乗らせていただいてまーす」という気分になってくるから不思議だ。
 この状況、確実に試験として意味を成していないと思うのだが、なにしろ全てが初めてなので現在の事態を異常とみなすべきなのか、それともよくあることなのか、判断がつかない。 
 
 そうこうしている間に試験も終わりに近付いたらしく、すぐ先にゴール地点が見えてきた。
 滞りなく試験ルートを駆け抜けたおかげで(つーか馬)は、出迎える試験官もびっくりの好タイムである。
 
 「よし、ご苦労さん!そのまま止ま……・って、おっおい!どうしたっ!
止まらんかー!!

 止まれなかった。
 というか、止め方がわからなかった。
 すべての動きを一任してたので、なんでもかんでも馬次第である。

 「こっ、こら!どこへ行く!!」
 「そっちではない!こちらだ!!おいィィ!」 
 
 試験官らの制御の声もむなしく、馬はスピードを増したまま再び試験コースへと突入。
 
 も う 1 周 す る 気 だ よ こ の 野 郎 

 しかし、背中を貸していただいている身分なのでどうにも逆らいようがない。
 先ほどは諦め半分で覚悟したものの、なるべくならば、下手に暴れて落馬そして骨折…というパターンは避けたいところである。
 結局はなす術なく、そのまま馬術続行(2週目)を余儀なくされてしまった。
 馬力の割りにさほど乱暴な馬ではないので、とりあえず無様にしがみついていれば落馬することはなさそうだが、だからといって解決に繋がるわけでもない。
 このままではいつまでもいつまでも永遠に試験コースを猛スピードで回り続ける、戦国版メリーゴーラウンドの誕生である。
 とてもじゃないが和まない。
 
 「鷹姫様!」

 突如前方から響いた聞き覚えのある声に、馬の背に全身を預けきっていたは思わず伏せていた顔を上げた。
 揺れ動く視界の先に見えたのは、馬に跨った小十郎の姿。
 どうやら出口地点から逆走しての元へと駆けつけてくれたようだった。

 「こじゅうろおさまぁ…!」
 
 地獄に仏とはこのことである。
 訪れた救いの手に、思わずは心で手を合わせた。
 小十郎は手綱を引き、速度が緩む気配のないの馬と並んで走り始めた。
 
 「鷹姫様、申し訳ありません!こちらの手違いで、松風をお渡ししてしまったようで…!!」
 「まつかぜ?!」

 春風だろうが風の谷だろうが、そんなこと今どうでもいい(それどころじゃない)は、思わず素っ頓狂な声を上げた。
 
 「松風です!前田慶次が乗り回していることで有名な馬で、一日に千里はゆうに駆けるとされる名馬中の名馬です!」
 「あぁ、なるほど名馬中めいば………って、なんでそんな凄い馬をこんな試験にィ!
 「ですから、こちらの手違いで・・・真に申し訳ありませんでした!しかし、よく振り落とされま
せんで…お怪我などないようで……!…

 「小十郎さっ…あーあーあー……」

 さすが名馬中の名馬。
 並んで走っていたはずの小十郎が、どんどんと離され小さくなってゆく。寂しい。
 いや、そんなのんきな事を言ってる場合ではない。
 一体この後どうしたらよいのだ。
 と不安を背に乗せた名馬松風はそのまま怒涛の勢いで走り続け、先ほど何事もなかったように通過した終着点へと再び舞い戻ってきた。
 しかし状況としてはさっきとなんら変化していないわけだから、今回も思いっきりスルーされること必至である。
 きっとこの馬にはゴールという概念がないのだ。いつまでも挑戦をし続けるチャレンジャーなのだ。
 大したガッツだが、付き合わされるにとってはいい迷惑である。
 
 目の前はすぐ終了地点だというのに、予想通り松風の速度は落ちなかった。
 まだまだ走り続けますヒヒンとでも意思表明しているかのようである。 
 尽きることない松風のやる気にげんなりしながら、最後の門をくぐったその時

 「手綱を思い切り引け!」

 怒鳴りつけるような声に、は咄嗟に今までまるで役割を果たしていなかった手の中の綱を力一杯掴み引いた。
 途端に松風は、猛りきった鳴き声を上げながら前足を大きく持ち上げ急停止した。
 当然、跨っていたの態勢は大きく崩れ、放り出されるように宙を舞う。
 さっきイヤイヤながらも思い描いていた「落馬で骨折」の妄想が奇しくもいま現実になろうとしているわけである。

 折れるならせめて利き腕じゃない方で、どうかひとつ

 誰にお願いしているのか本人ですらよくわかってないが、とにかくは空へ投げ出されながらそんな悲壮な願い事を唱え、襲い掛かるであろう衝撃を静かに待った。
 が、迫り来るはずの固い地面はいつまでたってもやって来ず、逆に遠く感じられるほど。
 どうしたかことかと思わず見上げれば、大きな鷹がその爪での襟首を掴んだまま大きな翼をゆらゆらと揺らしていた。
 武蔵が投げ出された瞬間、見事に捕らえてくれたらしい。
 引っ張られた襟元が首をギュウギュウと圧迫して苦しいものがあるが、とにかく助かった。

 武蔵に吊り下げられたを目にした家臣らはしばらく無言で見上げていたが、やがて一斉に膝をつき、
 
 「おお…まさに奇跡じゃ」
 「守り神様がこの伊達家に降臨なされた…」

 ありがたそうに手をこすり合わせながらなんだか凄い事を口々に呟き始めてしまった。
 なるほど、太陽を背負う形で武蔵に支えられているの姿は彼ら側からすると逆光によって背に翼を得たように映り、それがひどく神々しく感じられたのだろう。
 実際の状況としては「UFOキャッチャーとその景品」でしかない。
 しかし信仰心が厚いこの時代の者たちにとっては、この上ないありがたい神のご神託である。
 今後、このあたりでおかしな宗教が始まったりしなければいいのだが。

 そんな爽やかな誤解が生まれつつある中、吊り上げられたままのは武蔵に対して感謝の念を抱くと同時に不審も抱いていた。
 なにしろ相手は試験前に割と本気で襲ってきた狂暴鳥である。
 その彼が進んでを助けてくれるとはとても思えない。
 恐らく何者かに武蔵は命を受けたのだろう。
 それが誰であるか ――― なんてことは考えるまでもなかった。
 武蔵が大人しく命令に従う相手など、1人しかいないではないか。

 ヒュウッと小さな口笛が聞こえた瞬間、武蔵に手放されたは引力の法則に従ってそのまま落下したが、またしても地面と激突することはなく。
 今度を支えていたのは自分と同じくらいの小さな二つの腕だった。

 「…政宗様」
 「…よく天から落ちてくるな、趣味か?」
 
 落ちてくるんじゃなくて落とされてるんですよ、と言いたい所だったが、政宗の額に薄っすらとにじむ汗が急いで駆けつけたという事実を雄弁に語っていたため、は黙って首を振るだけにした。
 
 「聞いたぞお主、今までで最も高い評点を叩きだしたそうだな。剣豪は95、馬術など満点の100だ」
 「え、ええっとですね、政宗様…あの馬術は私の力じゃないというか、まさに馬の術、だったというか…」
 「知らんな、いい訳は聞かん。重要なのは試験に合格したという事実だけだ」
 「や、だからですね、」

 試験としては正当ではなかったとは正直に事実を述べようとしたのだが。

 「今更仕官が嫌だといっても認めぬぞ!」

 そう威勢良く啖呵をきらなくても、その件に関しては特に反論も異存も持ち合わせていない。
 口を挟むのを諦めたは素直に頷いて、

 「…ふつつか者ですが、どうぞ末永くおそばに置いてください」
 「ッッ…馬鹿め!それではまるで、よっ…よ、よ、よよ嫁入りではないか!

 としては精一杯お仕えしますという意味だったのだが、何か誤解されてしまったようである。
 
 「あ、すいません」
 「馬鹿!謝らんでいいわ!」
 「あの、政宗様、そろそろ下ろしてくれてもいいんですけど」
 「うっ、うるさい黙れ!」

 怒りかはたまた照れか、真っ赤な顔でそう怒鳴りつけながらも、結局政宗はそのまま腕の中のを解放することはなかった。

 政宗様…それが思春期ですよ、思春期

 と松風にまんまと置いていかれた小十郎は、馬術の試験走路の門からそっと2人のやり取りを見守っていた。
 (結局助けにきたはいいが、彼はあまり役立っていなかった)


 この世の青臭さを全て吸い込んだようなどこまでも澄んだ、本日の青空。
 その中をゆうゆうと飛んでゆく武蔵がアホーと高く鳴いていた気がする、本日の伊達家。