「……ずいぶんと多いんだな」

卓に積み上げられた書簡を見上げ、馬超は愕然とした。
馬超は普段、文献などに興味を持つことがない。武人として最低限必要な兵法書や指南書には目を通すが、それ以外ならば自ら進んで読もうとは思わない。
平面に書かれた字を追うという行為は、論理ではなく完全実戦派な馬超にとってひどく苦痛だった。

「花の数だけ存在しますからね。色によって意味が変わってきたりと、これでなかなか奥が深いのですよ」

事も無げにそう言い放った諸葛亮は、手元の文献を流し読みするようにパラパラとめくり始めた。

「で、馬超殿はどういった花を贈りたいのですか?」

と聞かれても、馬超はこういった方面にてんで疎く、花の名前など4、5種類くらいしか浮かばない。だからこそ調べようとこちらに寄ったわけで、何をどうしたらいいのか、まるで手探りの状態である。
困惑した馬超が言葉に詰まっていると優しげな微笑を湛えた月英が、

「馬超将軍らしさを強調するような花言葉を持つ花を贈るのが好ましいと思うんですが」

と、助け舟を出した。

「あ、じゃあ『体育』とか『復讐』とかですね」
「どれだけ失礼なんだお前は」

出された助け舟は瞬時に姜維の手によって叩き壊された。
やはり彼のやる気は軌道から外れて違う場所へと転がってゆくのだと馬超は思った。嫌というほどわかってたけど。

「愛の告白に使うのでしょう。それならば、はっきりと『永遠の愛』や『熱愛』などが宜しいのではないですか」
「では、ええと……赤の薔薇あたりがぴったりかと思われます丞相!」

諸葛亮はそうですねと満足そうに頷き、張り切って手をあげた弟子が首から下げているカードに『よくできましたシール』を貼り付けた。そのラジオ体操みたいなカードを握り締め「わあ!今日で3個目!」と姜維は大喜びである。
あ 俺の恋愛 授業に利用されてる
馬超は悔しいを通り越して苦しい気持ちになったという。

――― しかし…薔薇か
知識のない馬超でも、その姿はすぐに思い浮かぶ。
艶やかで存在感のある美しい花だ。例の護衛武将が求婚する際に贈ったのも、確かこの花だった。彼の場合は、相手がいたく感激してそのままトントン拍子で婚姻を交わしたというのだが。
馬超はぼんやり恋する相手の笑顔を想った。

「しかし、様は花言葉に気付いてくれるでしょうか」

ゴフッ

「ああ、そうですよね、肝心の朱雀殿が気付かなければ」
「ええ、殿はこちらの生まれではありませんし、」
「ちょっ…!待ッ……
なんッ…で知っ……!?…も、もしや俺、彼女の名前、知らずに口に出していたか…!?」

密かに思い浮かべていた想い人の名が会話に飛び出し、馬超は気の毒なほど狼狽した。
告白云々は話の流れ上仕方なく認めたが、相手に関しては完全に伏せておいたはずだった。それなのに、この場にいる3名すべてが当たり前のようにの名を出している。

「何を今更……貴方が朱雀殿に懸想していることなんて、誰もが知っていることですよ」
な…!そっ…
……馬鹿な…な、なぜだっ」

殿が鍛錬場に来ると不自然なくらい声裏返ってるじゃないですか、馬超殿」
「ぐっ…!」

一瞬言葉を詰まらせた馬超はしばし立ち尽くし、再び椅子に腰掛けた。
憮然と腕なんぞ組んで平静を装ってはいるが、着物の襟で隠された彼の白い首筋まで朱に染まっている。一生かかっても、感情をコントロールする技能などこの男は身に付けられないだろう。
座ったまま馬超は黙りこくってしまったが、特に困った様子もなく3名は当事者を置いてきぼりにして話を進め始めた。

「花言葉に気付かなくても、薔薇なら充分贈り物としてふさわしい花ですし…」
「そうですね…では歳の数だけご用意いたしましょうか?」
「それだけではインパクト不足です。加えて、殿の部屋を薔薇の花びらで敷き詰めてしまいましょう」
「さすが丞相!キザにもほどがある演出ですね!」
「きっと中国全土の乙女が震え上がります…やはり孔明様は龍の化身…!」
「では、早速出入りの商人に連絡を」
「いやいやいや、ちょっとちょっと」

見事なまでのまとまりで進行してゆく計画会議に、たまらず馬超が腰を上げた。

「どうしました馬超将軍」
「どうしたもこうしたも、そんな勝手に決められても困るんだが」
「なんでですか?」
「なんでってお前、確実にすべるだろうその演出……というかその前に、薔薇はなしだ」

先ほどより早口になった「なんでですか?」という姜維からの同じ問いを耳にしながら、馬超は薔薇の頁が広げられた書物をパシンと片手で閉じた。

殿にあの刺々しさは、似合わん」

確かに薔薇は贈り物にふさわしかろう。幾重にも重なった花びらが凛と開いている姿は実に美しい
―― が、身に纏っている茨のせいだろうか、気高さと同時に高慢なイメージをも与える。それが薔薇という花の魅力なのだろうが、馬超の中でふわふわ柔らかな印象で存在するとは、どうしても結びつかなかった。
人の好意を無下にするような娘ではないからきっと素直に喜んでくれるだろうが、なんとなくその花束では自分の思いを伝えられる気がしない。

「では私が研究用に育ててる花はどうかしら。とても優美な姿なんですけど」

宜しければいくらかお譲りしますよ、と月英は窓辺へと馬超を招いた。

「確かここから見えるはず……ほら、あの花壇です。赤い花が沢山咲いてるでしょう?」

裏庭の一箇所、眩しいほどに朱色が群がっていた。するするとゆるやかに伸びた茎と、ふんわりした花びらが目を引く。道端ではあまり見かけない類の花だ。もしや珍しい品種のものを試験的に育てているのだろうか。だとしたら、分けてもらうのは申し訳ない。

「月英殿、この花は…?」
「芥子です」
「心からご遠慮しておこう!」

※芥子=ケシ科の大形二年草。高さ約1メートル。未熟の果実から阿片(麻薬)がとれる。

「あら、お気に召しませんか」

頬に手を添え月英は残念そうに呟いたが、馬超は拒否の姿勢を崩そうとはしなかった。薔薇の棘どころの騒ぎではない。贈れば確実にこちらの神経が疑われる。
それにしても一体あの花を後々どう使う気なのか非常に気にかかる点ではあるが、世の中には知らない方が幸せなこともある。裏庭に関する記憶抹消の作業に全力を傾けながら、馬超は窓から早足で離れた。

「詳しくないと言いながらも、こだわりは人並み以上ですねえ」

感心したような呆れたようなどちらとも取れる表情を浮かべた諸葛亮は冷めかけた茶をひと啜りし、小さく息をもらした。

「…しかし、まあ肝心なのは本人の気持ちですから、馬超将軍が望むようになさるのが一番でしょう」

『望むように』
諸葛亮は何の気なしに口に出したのだろうが、馬超の頭の中でその言葉は深い意味を持ちながら何度も反響した。

「……ああ、そうだな。まったくその通りだな」

頷くや否や、馬超は卓の上の文献を全て抱えて、椅子から立ち上がった。
甘い演出でとろけさせたいか。花を主役に据えて思いの丈を語って欲しいか。借物の言葉で彼女の心を開きたいか。

――
そんなもん、誰が望むか

やはり人真似ではやりにくくて敵わない。アドバイスをくれた部下には悪いが、自分以外の言葉に頼り、愛を代弁をしてもらうなど端からこの馬孟起には向いていないのだ。

「花言葉はもういらん。俺の口と言葉で伝える」

そう言って抱えた書物を棚へと一気に押し込んだ彼の立ち姿は、鎧こそ纏っていなかったが燦然と煌いており、そういえばこの人呂布に値する豪傑とか賞賛されたんだっけ、と姜維は忘れかけていた錦馬超という異名をしばらくぶりに思い出したという(普段自分たちが錦馬超の煌きを曇らせているということには気付かない)

「や、でも純粋に贈り物として差し上げたらいいんじゃないですか」

ねえ丞相、と姜維は傍らの諸葛亮に同意を求めた。

「ええ、花言葉云々を気にしなければ、朱雀殿のイメージに合うものがきっといくらでもあるでしょう」

だが、首だけで振り向いた馬超は不満そうに眉根を寄せた。

「いや、それもまた無理な話だろう」

意図が読めずに3人は同時に首を傾けたが、さも当然といわんばかりの顔で彼は堂々と言い放つ。

殿の可憐さに勝る花などあろうはずもない」


き ゃ あ あ あ あ あ!


姜維も諸葛亮も月英も恥らう乙女のように両手を頬に当て黄色い悲鳴を上げ、己のことのように顔を赤らめた。

「すごい台詞をサラリと…腐っても王子ですね…」
「天然とは恐ろしいもの……この孔明の心眼を持っても読めませんでした」
「錦馬超の中身はイタリア人に違いありません丞相…!」

油断しきっていた耳に近頃珍しいストレートすぎる愛のナパーム弾を突然投げ入れられ、3名は思わず膝をついてしまった。恥ずかしい。恥ずかしい。他人事なのに、自分で囁いたかのように恥ずかしい。

「歯が浮いてそのまま飛んでゆきそうな口説き文句をありがとうございます…」

いきなり叫び出したかと思ったら全員赤面しながらよろよろとへたりこみ、場に1人置いてきぼりにされた馬超はただ困惑した。
一体何を恥ずかしがっているのか、彼には何ひとつ理解できない。

「何の話だ。俺は思ったままを正直に言ったまでだ」


き ゃ あ あ あ あ あ!


「だからさっきから何なんだ…!!」

たまりかねた馬超が思わず姜維の襟首を掴んだが、口から出るのは甘ぁい!とかいう意味のわからない言葉ばかりで、苛立ちは解消されるどころますます募ってゆく。月英は月英で、「この女殺し!」と罵りながら(たぶん褒めてる)馬超に筆やら墨やら鍬やら手当たり次第投げ続けていた。
たたでさえ足の踏み場もない書の海は、本日の騒動でより一層その乱雑さに磨きがかかるであろうが、部屋の主は咎めるどころか、羽扇で隠した口元に薄っすら笑みを浮べていた。

「……確かに花言葉は必要なかったようですね」

尚も姜維を揺さぶり続ける乱れ髪も眩しい西涼の色男に目を細め、諸葛亮は静かに振り向いた。

「そうでしょう?」

半分開いた扉の向こうで、書簡を抱えたが真っ赤な顔でうずくまっていた。





うっかり不幸選手権一位の座を手にしてしまった馬超さんへの40万企画夢。
朱雀様はいつから聞いてたのやら。