あの子がほしい  


 あの子じゃわからん


 相談しよう 


 そうしよう









 「って、できるかボケェ!!」

 そう叫んで、書簡を下に叩きつけたのは尚香だった。
 相当怒っているらしく、肩で息を切らしている。
 いつもならば誰かがこのへんで、呉のじゃじゃ馬姫をどうどうと宥めるのだが、今回はそのようなフォローがない。
 
 その場に居た呉軍の誰もが、同じ感情に支配されていたからである。

 「ふざけた要求を…あまりに一方的すぎる」

 泣き上戸呂蒙も、こみ上げて来る腹立たしさをこらえきれないように呟いた。

 打ちつけられ、床で無残に広がっている二つの書簡。
 ひとつは曹操が治める魏から。
 もうひとつは劉備が治める蜀から。

 送り主は違えど、その内容はほぼ同じ。
 ムカつくほどの被りようだ。

 「両国の信頼関係を更に強固なものへと発展させるべく、ここにひとつ提案を云々」

 などとダラダラ長ったらしく、丁寧かつ遠まわしに書いてあるものの。
 要約すると、

 ”お前のとこのとかいう娘ウチの国によこせや”  

 半分脅しのようなもんである。
 渡さないなら攻め入っちゃうぞ、という圧力満点。

 「ずいぶんとなめられたものだな」

 唇をかみしめつつ、周瑜は散らばった書簡をサッサッと箒で集めだした。
  
 「あ、伯符、チリトリ取ってくれ」
 「相変わらず細かいぜ〜」  
  
 几帳面である。
 家政婦か周瑜。

 「ま、そんな心配そうな顔すんなって!!絶対俺達が守ってやるからよ!」
 「ゴフッ…か、甘寧様・・いっ痛いです」

 甘寧の熱い励ましに対して、ちょっと咳き込んでいるのは渦中の人物・嬢である。
 こんな風にバッシバッシと背中を叩かれているが、一応は尊き身分の尊き娘。
 風を操る力を授けられた”朱雀”と呼ばれる風神の子として、現代からやって来た。

 その伝説の朱雀・は、孫策を殿とする呉国へ迎えられたが、水面下で敵対している魏・蜀としては穏やかではいられない。
 底知れぬ能力とカリスマ性(勝手に備わっていると思われている)を持つを、なんとか自軍へ引き入れようと画策しているらしい。

 「…で、もうそろそろか?権」
 「そう、ですね。もうすぐ予告の時間になるかと」
  
 しかも、その交渉の為に呉へ本日両国から使者がやって来るという。
 こちらの意向などお構いなし。

 「…なぁ、陸遜はどこだ?」

 全員集合のこの場で、彼の声が聞こえないことに孫策は気付いた。
 こんな状況で、あの陸遜が黙っているはずが無い。
 誰よりも先に怒り出しそうなものである。
 
 「お呼びですか?」

 その声に振り向くと、会議室の入り口に陸遜が立っていた。
 笑っている。
 爽やかな笑顔だ。
 
 陸遜の様子を確認した一同は、とりあえず安堵する。
 まだヤツは冷静だ。
 今のところ、黒い陸遜は姿を現していない。

 「なんだ、今まで一体何して…ギャッ!」
  
 ニコニコ顔の陸遜に油断して近付いた孫権の口から悲鳴が漏れた。

 「何って…魏と蜀から客人がいらっしゃるので、色々と準備しようかと」

 変わらず微笑をたたえている陸遜の右手には、ゴオゴオと燃えるたいまつ。
 聖火リレーランナーのごとく、彼はしっかりとそれを握っている。
 とても「聖火」と呼べるほど、聖なる雰囲気の火ではないが。
 むしろ、妙に赤黒くて怖い。  
 異様な迫力に、孫権は聞いてはいけないような気持ちになりながらも一応尋ねてみる。 

 「じゅ、準備って…?」
 「生きていることを後悔させて差し上げる準備です」

 すでに悪魔は暴走していた。

 「陸遜!!ちょっと待ってくれぇぇぇ!!」
 「気持ちはわかるが、とりあえず火の始末をしろ!」

 呂蒙や周瑜が慌てて、目覚めてしまった火の鳥を止めに入った。
 怒りの臨界点を突破した陸遜は、まだ笑っている。
  
 「何故ですか?送られてくる使者共を、文字通り死者にして送り返してやりましょうよ」
 「怖いこと言うな!」

 この軍師を放っておいては、三国の関係は最悪なものとなる。
 というか、呉が二国から総攻撃を受けることは間違いない。
 とりあえず表向きは話し合いの姿勢で訪れるのだ。
 武力で押し返すわけにはいかない。
 陸遜は聡明だ。
 それぐらいの事が理解できないわけは、ないはずである。。
 しかしが関わっているとなると、いつもの沈着な軍師のネジは吹っ飛ぶのだろう。
 周泰や黄蓋などの大型系に取り押さえられながらも(その姿はまるでフーリガンのようであった)
 「黒コゲ黒コゲ」などと呟いている。
 呉国の真髄(=火計)を見せ付けてやりたくて仕方が無いらしい。

 「頭冷やせ!」

  バッシャン

 すでに燃えさかっている少年軍師に、尚香は思いっきり水をブッかけた。
  
 「アンタ軍師でしょ!本当に助けたいんだったら、火じゃなくて知略で守ってやりなさいよ!!」

 あたしだって細切れにしてやりたいっつうの、と空の桶を放り出す。
 呉の国で、陸遜相手にここまで言えるのはこの人くらいかも知れない。
 正気に戻ったのか、陸遜はパチクリと大きくまばたきをした。
 頭から水滴をダラダラと垂らしながら、視線をさまよわせる。
 会議室の真ん中で座っているが、不安げな表情でこちらを見ていた。

 
(陸遜様、助けて!!陸遜様だけが頼りなんです…!!)←幻聴

 「殿…!!!」

 都合のいい夢を見ながら、改めて陸遜は決意を固めた。

 「どんな手を使っても、あなたを守り抜いて見せますから!」
 「話聞いてたか?お前」

 全然、頭冷えてない。

 ぶぇっくしょいぃ!!
 巻き添え食らって、一緒に水をかぶった黄蓋が、豪快にくしゃみをした。
 同じく周泰も、鎧から雨だれのように水滴がしたたり落ちている。

 「小喬、モップ取ってくれ」
 「ホント細かいね〜周瑜様」