「帰ってもらいなさい」

昨夜の頼もしさから一転、リビングでうなだれる父の姿は弱々しかった。
くたびれた寝間着を着替えもせず、力ない眼差しを壁に吸い付けたまま動かない。その姿を、窓から降り注ぐ日の光がスポットライトとなって照らしている。題するならば、絶望にくれる男。今にも悲しげなBGMが聞こえるようだ。
哀愁をしょいこみ、一気に老け込んでしまった背中に縋りつきたい衝動に駆られたが、そうしたところでどうにもならないことは重々承知していたので、はそっと肩に手を添えるだけにした。

「そうはいってもね、帰る家がないからね」
「だからってここを拠点にされても困るだろ」

俺だって俺だって、出来ることなら力になってやりたいよ、だけどさあ。
そう吐き出した父は糸が切れたようにそのまま崩れ落ちた。かける言葉がみつからない。

「何だかよくわからんが、迷惑をかけているようだな。すまん」
「いえ馬超様が悪いわけでは……」

所在なさげにしている馬超に罪はない。では父に非があるのかといえば、これもまた否である。
誰が悪いわけではない。ただ物事には限度というものがある。
昨日、夕飯の食卓に趙雲が加わった。長年平々凡々の暮らしを送ってきた家にとって、これは天と地がひっくり返るような大事件で、後世に語り継がれてもおかしくない椿事だった。
両親、とりわけPSPで無双乱舞にいそしんでいた父には一生に一度あるかないかの刺激だっただろう。困惑する一方、嵐を恐れ焦がれる子供のような高揚感に襲われていたかもしれない。
だがしかし一生に一度あるかないかの事件は、一生に一度で充分なのである。滅多に起きないからこそハプニングでありサプライズなのである。連続、多発はご遠慮願いたいのである。
は力なく下がった父の肩を優しくさすりながら彼等を見た。
気遣うように親子を見守る趙雲の横には、困り果てた馬超の姿。現代ルックの趙雲と戦場そのまま錦馬超の鎧とが醸し出す違和感のすさまじいこと。なんの間違い探しかと思う。
だがそんなものは瑣末事に過ぎない。
問題はここからだ。
さほど広くもないリビングにはと父と趙雲、そして馬超。
それだけでは終らず、馬超の横に大量の髭と穢れなき瞳と仮面が続いていた。

「うちは3LDKなんだよ……」

力ない父の声が空気にしみじみ溶けてゆく。
昨日まで一人だけだった珍客は馬超、関羽、関平、魏延が加わり、今や五人の団体客となっていた。



思い切ってもう一度蓋を開けた時、目の錯覚だったという心躍るオチは用意されておらず、洗濯機には無情にも馬超の姿があった。
最初気を失っていたようだが、やがて目を覚ました馬超は呆然と立ち尽くしたを見て「おおお殿なぜこんなところに!」と己の状況を全くつかめていない発言をかまし、大いにを脱力させた。
全裸ではなかったのがいくらか救いではあったものの、一分の隙もないはまり具合で洗濯槽におさまっていた馬超を引きずり出すのは容易ではなく、が引っ張ってもびくともしなかった。ならばとトレーニング中の趙雲に助けを求めるも、優しさの欠片もない力任せの扱いに馬超の悲鳴がこだまするばかりでなかなか抜けない。
しまいには寝ていた父を叩き起こして、三人で引っ張ったり洗濯機のスイッチ入れてみたり石鹸で滑りを良くしたりああでもないこうでもないと手を尽くしてのち、ようやく馬超を引きずり出すことに成功した。
ああ良かった良かった助かった万歳万歳と、そりゃもう朝から大騒ぎだったのである。
もちろん、趙雲に続いて馬超の参戦(そしてその現れ方)に戸惑いはあった。
当然といえば当然である。武将が立て続けに二人も我家にお出でなすったのだから。
それでもこの段階では「なんか今のやり取り『おおきなかぶ』みたいだったなあ」などと軽口を叩くくらいのゆとりが父にもまだあった。
そのゆとりというものが完全に顔面から消え去ったのは、このあと風呂場で三つの猛者が見つかった時である。
狭い浴槽の中で大きな身体が折り重なるように詰め込まれ、関羽の長い髭が息子に魏延にと容赦なく絡みつくその惨状は居合わせた者全てが甲高い悲鳴を上げるに充分な地獄絵図であった。
今年一番のショッキング映像には立ちくらみ、父はその場に突っ伏した。
自失した親子を介抱すべく、水はどこだ氷で冷やせ団扇で扇げと現代生活に不慣れな若武者が走り回ったりしているうちに、目を覚ました三体がリビングに集合し、現在に至るというわけである。



「左から馬超様、関羽様、関平様、魏延様……だよ、お父さん」
「いやそれは知ってる」

結構無双をやりこんでいた父は中でも蜀を贔屓していたようで、蜀武将に関しては全員把握していた。先程密かに父のPSPを起動させてみたが、蜀軍のパラメーターが異常に育っている。関羽様にいたっては全てマックスだった。
おそらく憧憬を抱いていたのだろう、華々しい逸話を数多く残す神と同等の存在に。
だからといって、ウエルカム軍神!と諸手を上げて歓迎できるかとなると、それはまた別の問題である。リビングに群がる武将を振り向けば、どうしたって現実的にならざる得ない。

「俺が知りたいのは、なんでここに集合しちゃってるかってことだ」

ぎくり、との肩が過剰に震えた。

「星の数ほどある世帯の中から一体なんだってわざわざこの狭い家に……縁もゆかりもなきゃ心当たり一つ思い浮かばんぞ」
「オオ不思議だどうしてだろう」
「なんで棒読み」
「ぼ、棒読み、違う」
「なんでカタコト」

父の言う、縁、ゆかり、心当たり全て身に覚えがありすぎるは心で膨大な量の汗をかいていた。実際背中がしっとりしていた。
縁はある。大いにある。
父が知らないだけで、ゲームを所持していること以外にもこの家は無双という世界に深く関わっている。武将が次々と流れ着いた原因として考えるに充分すぎる理由を持っている。
無双と邸を結びつける確固たる繋がり、つまりそれは
―――

「朱雀様!」

関平の声は球児のように正しく馬鹿でかい。
こんな時でなければ溌剌とした気性は長所となりえるであろうが、今に限っては限りなくウィークポイントである。

「顔色が優れないようですがいかが致しましたかご心配なさらずともこの関平、朱雀様のご負担になるような真似はいたしませ、」
「ちょっ、ストップ!」

半ば飛び掛るようにして関平の口を塞いだものの、もう遅い。
俯いていたはずの父は、しっかりと顔を上げてこちらを向いていた。
無言の視線が二人をとらえ、そのまましばらくと関平の顔の上を交互に渡り歩いていたが、最終的にそれは血を分けた娘に突き刺さった。

「すざくさまって、何のことだ」

投げかけられたくない質問ナンバーワン。
はなんでもないとすぐさま否定したが、いかにも隠し事してまっせーと言わんばかりの不審なやり取りを繰り広げた後では何の説得力も持たず追及は続いた。

「なんでもないってことはないだろう」
「本当になんでもないんだって」
「なんかそっちに向かって言ってなかったか」
「き、気のせ」
「どうされたのですか朱雀様」
「!!(ウワー!)」
「やっぱりお前のことじゃねーか!」
「お元気そうで本当に安心致しました…もう二度とお会いすること叶わないと覚悟しておりましたが…」
「あ、ええあの」
「まさかまたこうして朱雀様をお目にかかれるとは」
「なに、マジでお前すざくさまなの?ていうか、すざくさまって何?あだ名?源氏名?リングネーム?」
「いやこれには色々とわけが、」
「せ、拙者、真に……ッ」
「ヒィ関平様泣かないで!」

背後、激しさを増してゆく親父の尋問。
正面、感涙にむせぶ若侍の暴走。
悲劇を照らすスポットライトを引き寄せているのは、なにも父ばかりではないとはようやく気付いた。関平とは違う意味で泣きたかった。