その日は、朝から雨が降り通しで。

「雨が止むまで、出陣いたしません!!」

つーん。

美のプロフェッショナル・張コウはさっきから「機嫌を損ねました」と言わんばかりにそっぽを向いたまま動かない。
彼の突拍子もない行動に慣れているとはいえ、今回ばかりは同僚たちも流石に困惑しきっていた。  
――― 街亭の戦いにおいての、朝の軍議での出来事である。

昨日までは雨の気配など感じない天候だったが、深夜の内に崩れたらしく、今朝の空は厚い雨雲に覆われていた。
この雨模様に気付いた瞬間から空模様と同じように表情を曇らせていた張コウであったが、あと数刻後には各軍それぞれの持ち場に移動というギリギリになって突然、出陣を渋りだしたのである。
まだ武器である爪を装着していない右手を高く掲げ、張コウは曹操に問うた。

「殿、この戦は雨天決行なんですか?」
「当たり前だ」

あっさり回答され、ああ!と張コウは打ちひしがれたように崩れ落ちた。
何というか、当然である。
雨天順延の戦の方が嫌だ。
雨だから来週にしよう、なんて言われる敵軍だっていい迷惑だろう。
運動会と同じレベルで語られても困る。
  
「無茶言うな。どうせ雨の日は化粧が流れるから嫌だ、とか言うんだろう?」

駄々をこね続ける彼の隣に運悪く座ってしまった夏候惇は、呆れたようにそう言った。
すると、床にへたり込んでいた(乙女ポーズ)張コウは、「馬鹿言わないで下さい!」と睨むように見上げる。

「私のメイクはウォータープルーフです!」

ああ…そうですか…
何を言い出すかと思えば。
全くもってどうでもいい報告である。
『そんな事聞いてるんじゃねぇよ』という空気の中、扇を仰ぎつつ苛立った様に(実際イラついている)司馬懿が尋ねた。

「じゃあ、一体何だというのだ」
「なぜ貴方達は理解できないのです!」
  
すっくと立ち上がって、頼んでもいないのにクルリと華麗な一回転を披露した後、張コウは歌うように叫んだ。

「おろしたての衣装、モデル3が濡れてしまうじゃないですかぁー!!」


知るか!!


その場に居合わせた者、全てが頭を抱えた瞬間であった。
金持ちのお嬢さんみたいなワガママを2m近い大男に言い放たれ、曹操軍士気大いに低下。  
お前もういいから本陣に控えてろ!と言ってやりたいところだが、そうもいかない。
今回の戦に関して、魏軍はギリギリの兵力で臨んでいる。
戦はこの街亭だけではない。
別の地で呉軍との戦いを繰り広げている魏としては、余分な軍事力を割くわけにはいかないのだ。
色んな意味で問題の多い張コウだが、一応曹操軍を代表する勇将の1人なわけだから何としても参戦してもらわなければならない。
戦が始まる前からぐったりさせられている武将達を尻目に、ニュー戦闘服について力説する張コウの勢いは止まらない。

「羽がポイントなんですよ、羽が」
「…ああ、あの鳥人間コンテストみたいなヤツか」
「違います!蝶です!!」

ボリボリと頭を掻きながら、適当に返事する曹操に対し、張コウは厳しい口調で反論した。
蝶の羽は濡れてはいけないのです、などと言い張って、まったく主張を曲げようとしない。
   
「司馬懿殿の兜占いでは晴れだったのでござるが…」  
「今回は見事にハズれたな」
「し、仕方なかろう!百発百中とはいくか!」

くたびれた様子の徐晃と夏候惇に恨みがましい視線を投げられ、司馬懿は卓を羽扇でバシバシと叩いた。
彼らの言う兜占いとは、司馬懿が自室にこもって例の兜をブン投げ、落ちた兜の状態で明日の天候を占うという魏では大変権威のある天気予報だ。
どのようになれば晴れ、そして雨と判断されるのかなどは全て謎である。
ちなみに、それが行われている最中は出入り厳禁の為、未だに司馬懿の髪型を確認できた者はいない。
しばし考えこんだ後、曹操はゆっくりと口を開いた。

「…よし…傘さしていいから、戦出てくれ」

曹操、これでも頑張って譲歩したつもりである。
主なのに、何故こんなに家臣に気を遣わなけりゃならないのか。

「美しい私の手に爪をはめた状態では、傘は持てません」
  
精一杯な君主の胸の内などどこ吹く風で張コウは、愛用の爪を装着してみせた。
確かにその状態では、傘はおろか箸だって持つことができないだろう。

「じゃ、じゃあ護衛兵か誰かにさしてもらって…」
  
肩で大きく息を吐き、張コウは大げさに首を振ってみせた。

「残念ながら護衛兵では私の動きについていけません」
 
らちがあかない、と思ったか渋々立ち上がったのは夏侯惇である。
  
「仕方ないな…では俺が」  
「ムサいおっさんはお断りです!見目麗しく可憐な方でないと私の美意識に反します」
  
まだ30前だというのに(信じられないが)、オッサン…。
こん畜生、と夏候惇は思ったが大人気ないのでとりあえずこらえてみた。

「張コウ殿、それは…」
  
無理と云うものですよ、と同じくオッサン扱いされるだろう徐晃がポツリと言った。
あまり言いたくはないが、この曹操軍において”見目麗しい”という条件に該当する物件はあまりに少ない。
どちらかというと、漢くさいだの小太りだのと、マニア受けしそうな
特殊チャームを持つ者が大半だ。
あいにく唯一の女武将、・甄姫は本日こちらの戦には配属されていない。
  
「張コウに負けぬほどのスピードがあって、見た目がむさ苦しくなくて、ついでに戦闘能力もある…」

ブツブツ呟きながら指折り数える司馬懿を横目で見て、曹操は溜息を吐いた。

「そんな都合の良い人材などいるわけが…」

と、言いかけて曹操は急に言葉を途中で切った。

 
……いた!!


「…えっ?何なに?な、なんですか」

寝坊してしまい半分寝ぼけたまま隅に座っていたは、会議出席者全員から一斉に振り向かれ、やっと目が覚めた。



*****************************
  
  
蜀軍・馬謖は布陣を誤り、完全に孤立していた。
周囲を魏軍に包囲され、四面楚歌である。
彼の心情をあらわすように、戦場には雨が弱まることなく降りしきっていた。

「このままでは、丞相にあわせる顔がない…せめて一太刀、司馬懿に浴びせてくれる!」

全門全て開放し、自らの失態の責任をとるべく悲壮な覚悟で馬謖は進軍した。
  
「ば、馬謖様!前方から…」

文官とも思えぬ剣さばきで、半分ヤケッパチに大暴れしていた馬謖へ動揺しきった兵士の声が届く。
敗走必至、当たって砕けろ!という心境で戦っている彼には、その兵士に構っている余裕なんぞない。
四方八方敵に囲まれ、これ以上何を恐れるというのか。
敵将とつばぜり合いの状態のまま、力の限り馬謖は叫んだ。

「今更何をうろたえている?!前方から何が来たというのだ!!」
「…わ、わかりません!」
「なにぃ!?」

  
これだけ騒いでおいて、わからないとはどういうことだ。
どうにかつばぜり合いに勝利し(気合勝ち)、そのまま相手を吹っ飛ばした馬謖はようやく振り向いた。

「わからないとは何だ?ちゃんと通じるように説明し…」



…何あれ



兵士が指差す方向へと馬謖が視線を投げた先には、おかしな羽を生やした紫色の生き物とその隣で傘を差している少女の姿。
紫が動くたび、神業に近いスピードで傘持ちも一緒に移動している。

すごい。
すごい、が。

意味が分からない。

「なな何だあれは!!」
「ね?何だかわからないでしょう?!」

「ね、じゃない!」

自分が間違ってなかったことが伝わって兵士は大層嬉しそうだが、馬謖にとってはそんなことはどうでもいい。
敵わない程の猛将でも現れた方が、幾分か良かった。
後にやってくる味方の為にも、返り討ち覚悟で体力を削っておくことぐらい出来る。
しかし、今目撃したものは、猛将どころか人としても怪しい。
理解できないので、対応策が見つからない。
というか、あんまり関わりたくない。

「…うわっ来る!こっち来る!!」

こちらに気付いたらしく、不気味な相合傘デュオが物凄いスピードでこっちに向かってくる。
優雅なスケーティングで段々と距離を縮めながら、心底楽しそうに男は名乗りをあげた。
 
「魏軍の美・担当、張コウです!お命頂戴ー!!」

張コウと名乗った男に「ほら、も名乗るのです!」と促され隣の少女が戸惑ったように声を出す。

「あ、えっと…です」
「例えるならば私は華麗な蝶!さしずめ彼女は蝶を吸い寄せる可憐な花!」

動くたび風を受けて、敵将張コウの羽がパタパタとはためいてる。

…嫌だ、こんなのに討ち取られるのは嫌だ…!

馬謖はなんだか泣けてきてしまった。


「丞相
―――!!やっぱ助けてください――!!」