こうなるんじゃないかと思ってたんですよ。
早足で歩き出した諸葛亮は平然とそう言った。
予想してたんなら何とかして下さいよ。
彼に手を引かれながらは思った。








赤い悪魔を撃墜せよ







同盟国である呉から、挨拶がてらに使者が来ると告げられたのはついこの間のことである。
本来ならば外交を務める文官でもないにはさほど関わりのない行事なのだが、今回はいつもと事情が違った。
呉国から朱雀との謁見を是非にと強く要請されたのである。
もちろん1人きりでというわけではなく諸葛亮を伴っての面会だが、異例の事態であることには違いない。
これまで活躍の場を戦場のみとし、他国の将や官と接する経験などまったくなかったはこの突然の大任に不安を感じずにいられなかった。
そもそも国を代表してやってくるようなお偉いさんと朱雀であるとはいえただの小娘が、一体何を話すことがあるというのか。いきなり荷が重すぎる。

蜀としてもわざわざ手の内をさらすような真似は本意ではなかったが、仮にも相手は同盟国。いずれは覇権を巡って争うことになるであろう国といつまでも手を組んでいるつもりはないが、今はまだその時期ではない。友好関係に余計な波風を立てぬ為にもここは要求をのんでおくほかなかった。
大丈夫ですよ、朱雀殿はいつも通りになさっててください。困った時は私がフォローしますから。
勇気付けるように諸葛亮はそう言うが、本当に困った時、彼が助けてくれたためしなどない。
確かに窮地に陥った際、彼の逃げ道作りの速さには目を見張るものがあるが、大抵その逃げ道は一人用だったりするのでアテにならない。つのる不安と緊張のおかげでは、その日が来るまで神経をすり減らし続けた。


「初にお目にかかります朱雀様、呉より参りました陸遜と申します」
「え?……あっ、は、初めまして、朱雀のと申します」

一瞬あっけにとられ、挨拶を述べるまでわずか間があいてしまった。
咄嗟に下げたものの、その頭の中は疑問と混乱でグルグルと渦を巻いている。

聞いていたのと違うのですが

今回訪れる使者は議論が白熱すると唾どころか血を飛ばして意見する不健康な長髪軍師で、ロリコンだから重々気をつけろと警告されていた。
しかし開けた扉の向こう側に居たのは、自分とさして変わらぬ年恰好の綺麗な少年。
被っている帽子のせいではっきりとは言い切れないが長髪ではなさそうだし、ツヤツヤとした肌は血色もよく、とても健康的だ。ついでに言うとロリコンにも見えない(これは見た目はあまり関係ないが)

「申し訳ありません、先にご報告しておりました使者が病を患いまして……急遽、私が代理という形で今回お会いさせて頂く事となりました」

こちらの戸惑った様子が伝わってしまったのだろう、陸遜と名乗った少年は顔を上げるなり予定の変更を謝罪と共に伝えた。当初の使者がしょっちゅう血を吐く不健康な軍師だというのは本当らしい。

「お体が弱い方とは聞いておりましたが……大丈夫なんですか?」
「ご心配には及びません。君主の川遊びに付き合わされて体調を崩しただけです」

季節は冬も冬、真冬ど真ん中である。昨日は雪も降った。川を泳ぐにはあまりに無謀な時期ではなかろうか。呉の君主とは一体どんな……と未知なる国の王には困惑の色を隠せない。

「せっかくお時間を朱雀様にわざわざ作って戴いたというのに、私のような若輩者がお相手することになって大変申し訳ございません」
「あ、そんな、」

若輩者と彼は言うが、むしろ緊張で身動きが取れなくなりそうだったこの状況では陸遜の予想外の幼さは嬉しかった。もちろん代理で遣わされるくらいであるから若いとは言っても相当なキレ者なのだろうが、歳の近さと威圧感を感じさせない外見はの気をほぐすに充分な要素だった。

「実を言うと、どんな怖い方が来るのかと身構えていたんですが、陸遜様のような話しやすそうな方が来て下さって…」

かえって良かったです、と心のままは微笑んだ。

「……そう言って頂けると気が楽です」

同盟中とはいえ油断ならない他国の者に対してなんと無防備に笑うのか、と陸遜は内心驚いた。
さきほど初めて姿を見たときも驚いたが
――まさか女性とは思わなかった――公の場を使って偵察に来ていることは分かっているだろうに、このノホホンとした空気は何事だろう。最初こそ身を固くしていたが、それも警戒というより人見知りに近いものだったような気がする。
単身斬り込みの如き覚悟でやってきた陸遜は、思いも寄らぬ隙だらけの笑顔に肩透かしをくらったような気分になった。だが、決して悪い気はしなかった。

「…あの、それよりですね」

そう、そんなことよりも。

「さっきからなんなんです、この人」

部屋に入るなりぼんやりと扉の前で突っ立っていた諸葛亮は、なんでもないように「ああ」と声を漏らした。

「気にしないで下さい。朱雀殿専用のSPです」
「喉元に刃突きつけられれば気にしないわけにもいきません」

関係者以外立ち入り禁止とされた室内には、陸遜、、諸葛亮、そしてなぜか堂々と武器を手にした呂布が居た。



彼はもともと反対だった。
どうしてどこの馬とも知れぬ使者などにを披露せねばならんのか。朱雀の噂がどれだけ広まっていようと伝承にどう記述されてようと、彼女を晒し者にするのは彼にとって非常に腹立たしいことである。
こんなふざけた要求はっきり突っぱねてやればいいものを、下手に同盟を結んでいるから無下に出来ないという。馬鹿馬鹿しい。だったら同盟なんぞ早く解消してしまえばいいのだ。呉の力など借りなくても、自分の武があればどうとでもなる。いや違う、どうとでもする。
しかしそんな呂布の力技思考が通じるはずも無く(劉備結構乗り気だったが)呉との面会は結局そのまま執り行われることになった。
聞けば、相手をするのは少女趣味の男前。冗談ではない。そんな危険地帯にを放り出せるものか。
いきり立った呂布は劉備に頼み込み、警備役としてともに入室する許可を得た。警護という意味なら諸葛亮も居るのだが、そんなこと彼には関係ない。
おかしな真似をしたら即座で吹っ飛ばすつもりで足を踏み入れた部屋に居たのは、先に話があった幼女好きの男ではなかった。
一瞬安心したものの、彼の中で何か別のアンテナが反応した。

危険だ 危険だ この小僧に気を許してはならない 

いくつも戦場を潜り抜けてきた呂布の野性の本能である。
なにかあってからでは遅いと瞬時に判断した彼は陸遜を第一級の危険人物と認定し、従来の枠を超えたアグレッシブな警備形態で臨んだ。





「いやあ彼は職務に忠実でしてね」
「そういう問題じゃありません」
に一歩でも近付いたら殺す」
「あの、いま警備の人に殺すって言われたんですけど」
「本当に仕事熱心でして」
「熱心すぎませんか」
「まあまあ、とにかく席に着きましょう」

顔に青筋が浮き始めた赤い国の使者を、諸葛亮がいつもと変わらぬゆったりとした様子で促した。


「……ちょっと待ってください」

一旦は着席したものの、来客はすぐさま並びの不自然さに椅子から立ち上がった。




        座席図







「なんでカウンター座りなんですか!」

普通は向かい合わせで座るものだろうという陸遜の主張に、諸葛亮は白々しく肩をすくめた。

「あちら側の床板は腐っておりまして」
「何故わざわざそんな部屋を…!」

いつもならば、こんな見えすいた嘘(というか嫌がらせか?)に対して、ああ貧しい国ですから仕方がないですねと嫌味のひとつでも言ってやれたのだが、この場で蜀を侮辱することは同時にをも愚弄することとなる。彼女に悪印象を与えるのを恐れた陸遜は攻撃的になる舌をぐっと押し込み、心で諸葛亮の黒髪を焼いた。

「…わかりました、この不便極まりない横並び座りは我慢します…が、せめて隣は朱雀様にして頂けませんか」

デカブツが堂々と隣に居座ってるおかげで視界がふさがれ、その向こうにいるであろう彼女がひとつも見えない。この触覚も視界にチラチラと入ってやたらと不愉快である。
陸遜は朱雀に会いに来たのだ。殺気をみなぎらせる大男とガンの飛ばしあいをしに来たわけではない。

「警備としてこの場を離れるわけにはいかん」
「正面に躍り出てくるような警備はご遠慮願えませんか。大体、これでは朱雀様とお話がしにくいではないですか」

数え切れない返り血を浴びてきた男の眼光と、数え切れない火の粉を浴びてきた男の眼光がぶつかり合い、室内全体に静電気が走った。そのせいで諸葛亮の髪の毛が一瞬逆立ったが、雰囲気が雰囲気なので笑うに笑えず、は死ぬ思いをした。

「話したいことがあるなら俺を通せ、伝えてやる。警備兼、通訳だ」
「え、」

刺さりそうに冷ややかだった陸遜の瞳が瞬時に丸くなる。
朱雀である彼女は、ここの生まれではないと聞いていた。さきほどは普通に話していたので気付かなかったが、こちらの言葉を学んでいる最中なのだろうか。

「もしや、朱雀様は言葉に不自由されて…?」
「いや別に普通に喋れるが」

むかつく。
気配りが足りなかったとわずかでも動揺してしまった自分が腹が立たしい。
火の元には充分気をつけな、と聞こえるか聞こえないかの声で吐き捨てた陸遜は、あらかじめ用意しておいた書簡を乱暴に開いた。

「では、僭越ながら朱雀様にいくつか質問をさせて頂きます」

困らせるようなことを聞いたら許さんとかなんとか言っている警備を無視し、「どのような食べ物がお好きですか」と陸遜は書簡に目を落としたまま続けた。

「…呉の小僧が、好きな食い物は何かと」

隣の隣なわけだからわざわざ伝えなくても普通に聞こえているのだが、見つめてくる呂布の顔が真面目そのものだったので、あえてはそのことには触れず、回答のみを告げることにした。

「何でも好きですけど…あえて選ぶなら桃かな」

そうか桃か、と頷いた呂布はそのまま「桃だそうだ」と振り向き、陸遜に「聞こえてます」とバッサリ斬られていた。
その後、好きな色に始まり、好きな動物、好きな香、星座、血液型、などなど数々のどうでも良さそうな質疑応答が続いた。
孫策に持たされた朱雀に会ったら聞いてこいリスト、分かってはいたがロクなことが書かれていない。憧れの先輩への質問じゃねぇんだよ、と問いかけている当人も思わず心で毒づいた。君主直々の命令だからこそ遂行しているだけで、本当は陸遜だってもっと生産的な会話がしたい。

「…休日はどう過ごされていますか」
「休日はどう過ごしてるか、と言っているが」
「休日ですか…?……えーと……そ、その」

無駄とも思える伝言ゲームが終盤に近付いた頃、それまで滞りなく答えていたの声色が変化した。別段困るような内容でもなかったので、不思議に思った陸遜は首を精一杯伸ばし、巨体の陰に隠された彼女の様子を伺った。

「最近は…う、馬に乗る練習を…してたり
してます…

どんどん語尾が頼りなくなってゆく。
馬に乗れないことに対してかはたまたこっそり練習していた方かわからぬが、は実に恥ずかしそうに俯いた。
そのもじもじとした様子は本当に普通の娘と変わりなく、神々しい朱雀の称号とその中身である彼女とのギャップに陸遜の顔は思わずほころんだ。
……のだが。

「1人で馬になんぞ乗って怪我でもしたらどうする。練習する時は俺に言え、付き合ってやってもいい」
「え、いいんですか、忙しくありませんか…?」
「忙しくないから呼べ。忙しくても呼べ」
「…ありがとうございます、本当は全然上達しなくて困ってたんです」

なんだこれ。
真ん中の伝言係が役目を放棄し、勝手にいい雰囲気になっている。端から伝言役など必要なかったのでどうでもいいと言えばどうでもいいのだが、の注意がそちらに向いたままなのは困る。任務上というのも勿論だが、それを差し引いても非常に面白くない。

「……ッ席替えを要求します!」

耐えかねたように威勢良く立ち上がった陸遜に、半分夢うつつだった諸葛亮の眠気もふっと飛んだ。