スラムの記憶に残るNBAチーム
スラムの記憶に残るNBAチーム
このページでは、管理人スラムにとって記憶に残るNBAチームについてのコラムを書きます。
インディアナ・ペイサーズ/1999−2000シーズン
ラリー・バードが監督を務めて、56勝26敗を記録して、球団史上唯一(2006年現在)のファイナルに進出したチームです。
ポイントガードにマーク・ジャクソン、シューティングガードにレジー・ミラー、スモールフォワードにジェイレン・ローズ、
パワーフォワードにデイル・デイビス、センターにリック・スミッツというスターターを組み、控えには、平均10.0点を記録した
外もこなす長身フォワードのオースティン・クロシェアー、180cmの小兵ながら第4クォーター等の要所で使われる機会が多かった
トラビス・ベスト、かつてのドリームチーマーのクリス・マリン、ファイナル期間中に39歳になったスリーポイントもこなせる
センターのサム・パーキンス等というメンバーがいました。ローズは前のシーズンはシックスマンでしたが、マリンに代わって
スモールフォワードの先発に定着し、平均18.2点を記録してMIPを受賞しました。デイビスはこのシーズン、30歳でありながら
キャリア初で唯一のオールスターに選出されました。また、オランダ人センターのスミッツのラストシーズンでもありました。
プレイオフは1回戦でバックスに勝ち、それ以後はシクサーズやニックスという宿敵に勝って、ファイナルに進出しました。
ファイナルの相手はレイカーズでした。レジーVSコービー、スミッツVSシャックのマッチアップに興奮しました。その結果は、
第3戦と第5戦は勝利を収めましたが、2勝4敗でレイカーズに敗れました。そして、監督のバードは勇退してしまいました。
控え選手のひとりにジョナサン・ベンダーという当時のルーキーがいました。彼は1981年生まれの高卒であり、彼を知ったとき
私は「ついに俺より年下のNBA選手が出たか…」と思いました。彼は怪我に泣かされて、25歳で早すぎる引退をしました。
クロシェアーがキャリアで特に光り輝いたシーズンでもあります。シックスマンとして活躍をして、長期契約を勝ち取りましたが、
それ以後は泣かず飛ばずでした。2006年オフに9年間過ごしたペイサーズを離れ、マーベリックスに移籍しました。
フェニックス・サンズ/1994−1995シーズン
今考えると、凄いメンツだったチームです。先発のガードがケビン・ジョンソンとウェズリー・パーソン、先発のフォワードが
チャールズ・バークリーとAC・グリーン、先発センターにジョー・クライン、ベンチプレイヤーには、ダン・マーリー、
ダニー・マニング、ダニー・エインジ、ウェイマン・ティスデイル、エリオット・ペリー、ダニー・シェイズ等が控えていました。
このシーズンのマーリーはほぼ半分を控えとして過ごし、怪我に泣かされたものの、前のチームではエース級だったマニングや
ティスデイルが控えに転向しました。「チームを2つに分けても、両方ともプレイオフに出るだろう」と言われたぐらいの
充実ぶりでした。このシーズンは、スパーズ(62勝20敗)に次ぐ、ウェスタン2位となる59勝23敗の成績を残しました。
プレイオフは、1回戦でクライド・ドレクスラーがシーズン中にトレードされたブレイザーズをスウィープ(当時は3タテ)で破り、
カンファレンス準決勝でこのシーズンに優勝したロケッツと当り、3勝4敗で最終戦にもつれ込んだ末に敗れてしまいました。
今後か期待されましたが、オフにマーリーがトレード移籍して、エインジが引退しました。このシーズンに加入したパーソンは、
1巡目23位という低い指名順位ながら、かなり選手層が厚いチームで平均23.1分&10.4点という成績を残しました。翌年には、
21位でマイケル・フィンリーを指名しているだけに、この選択はなかなか凄いなと思います。主力のバークリーやマニング、
KJの怪我に泣かされたという印象もあります。ペリーはKJ故障時に先発して、KJの穴を埋める活躍がありました。
ポートランド・トレイルブレイザーズ/1998−99シーズン
このシーズンのブレイザーズのメンツもなかなか凄かったです。スタメンには、ポイントガードに地元出身で1995−96シーズンの
新人王だったデーモン・スタウダマイヤー、シューティングガードに高い運動能力と得点力を持つ問題児のアイザイア・ライダー、
スモールフォワードに後のテクニカルファウル王のラシード・ウォーレス、パワーフォワードにドレッドヘアのリバウンダーである
ブライアン・グラント、センターにリトアニアの国民的英雄だったアルビダス・サボニスが顔を連ねました。控えもこれまた豪華で、
後のジャーニーマンでかつての得点ランクトップ10選手のジム・ジャクソン、グラントとはキングスでも一緒だったロングシューターの
ウォルト・ウィリアムズ、グリズリーズの初代チーム得点王だったポイントガードのグレッグ・アンソニー、「プラスティックマン」の
ニックネームで有名なステイシー・オーグモン、ブレイクする前のジャーメイン・オニールとボンジ・ウェルズ(当時は新人)といった
メンバーでした。ロックアウトの影響で50試合になったこのシーズンは35勝(勝率70%)を記録して、ディビジョン首位になりました。
プレイオフは、ファーストラウンドでサンズ相手に3タテ(当時のルール)を食らわして、カンファレンス準決勝ではカール・マローンと
ジョン・ストックトン、ジェフ・ホーナセックの御三家がいたユタ・ジャズを4勝2敗で下して、7年ぶりとなったカンファレンス決勝で
スパーズと当りました。そこでは、このシーズンのチャンピオンに輝いたスパーズに1勝も出来ずに、4タテされて敗退してしまいました。
クリーブランド・キャバリアース/1997−98シーズン
当時のキャバリアースには素晴らしいルーキーが4人もいました。1996年に入団しましたが、怪我を負って1シーズンを欠場して、
実質的なルーキーシーズンとなったリトアニア出身の221cmのセンターのジドルナス・イルガウスカス、ルーキーながら平均8.2本といった
高いアシスト数を記録して、身長178pとNBA選手としては小柄なブレビン・ナイト、運動能力でも注目されたシューティングガードの
デレック・アンダーソン、ドラフト2巡目指名でありながら、71試合で先発して平均10.1点を記録したセドリック・ヘンダーソンといった
メンバーでした。当時のエースはソニックスから移籍して、まだまだ働けた頃のショーン・ケンプでした。平均18.0点&9.3リバウンドの
ほぼダブルダブル級のアベレージを残し、キャバリアースの選手として初めて、ファン投票によるオールスターゲームの先発メンバーに
選ばれました。サンズからやってきたウェズリー・パーソンは、スリーポイントシュートなどで活躍して、チーム2位の平均14.7点を
記録しました。シュートがうまいダニー・フェリーやボブ・スーラ、ビッグマンのビタリー・ポタペンコやショーネル・スコットが
脇を固めました。47勝35敗の好調な成績を残してプレイオフに進出(ファーストラウンドでペイサーズに敗退)して、イルガウスカスと
ナイトがオール・ルーキー・1stチームに選ばれ、アンダーソンとヘンダーソンがオール・ルーキー・2ndチームに選ばれました。
ロン・ハーパーやブラッド・ドアティー、ジョン・ウィリアムズがオール・ルーキー・チームに選ばれた1986−87シーズン以来の
快挙となりました。4人のルーキーのその後は、イルガウスカスは今でもキャバリアースの先発センターを務めていて(2007年1月現在)、
ナイトはチームをたらい回しになって、出場機会に恵まれない日々が続きましたが、新興球団のボブキャッツ似移籍して息を吹き返して、
キャバリアース時代を超える活躍を見せました。アンダーソンは、クリッパーズやスパーズ等に在籍した頃はチームの主力になって、
控えとなったヒートで優勝を経験して、ボブキャッツでナイトと再びチームメイトになりました。ヘンダーソンは年々数字を降下させて、
2001−02シーズンにウォリアーズでプレイしたのを最後に、5年のキャリアでリーグを去りました。記憶に残るルーキー4人衆でした。
サクラメント・キングス/2001−02シーズン
この当時のキングスはアップテンポなオフェンスや「ベンチモブ(1998〜2001年までにキングスに在籍していたジョン・バリーが命名)」と
呼ばれるほどの充実した戦力が魅力なチームでありました。3連覇時代の真っ只中だったレイカーズと対等に渡り合えるほどの実力があって、
ある雑誌で「ゼロ年代のチーム・ベスト10」を選ぶ企画で、ファイナルに進出していないチームで唯一トップテンに入っていたことがありました。
チームの中心選手は平均24.5点・10.1リバウンド・4.8アシストの数字を記録して、当時はリーグトップクラスのパワーフォワードに数えられていた
クリス・ウェバーがいて、チーム内ではウェバーに次ぐ平均21.2点を記録したセルビア出身のスリーポイントシューターのペジャ・ストイコビッチ、
2001年オフにグリズリーズから移籍して、勝負強さが光っていた先発ポイントガードのマイク・ビビー、ディフェンスの名手として名を馳せた
先発シューティングガードのダグ・クリスティ、セルビア出身で技も多彩な先発センターのブラデ・ディバッツといった先発メンバーがいて、
さらにはベンチモブのリーダー格で控えポイントガードのボビー・ジャクソン、当時はNBA2年目だったトルコ出身でセンター以外のすべての
ポジションをこなせるヒド・ターコルー、どこか侍のような風貌の控えセンターのスコット・ポラード、キャリアの多くをキングスで過ごした
控えフォワードのローレンス・ファンダーバーグ、当時はルーキーだったジェラルド・ウォーレスといった充実したリザーブ陣もいました。
レギュラーシーズンはリーグ全体で1位で、球団新記録でもある61勝21敗の成績を残しました。プレイオフではベテランのカール・マローンと
ジョン・ストックトンがいて、若手のアンドレイ・キリレンコ等を抱えるジャズとファーストラウンドで対戦して、3勝1敗で破りました。
続いてのカンファレンス準決勝は成長著しいダーク・ノビツキーやスティーブ・ナッシュ、マイケル・フィンリーといった若手たちが在籍していた
ダラス・マーベリックスを4勝1敗で破り、21年ぶりのカンファレンス決勝に進出しました。カンファレンス決勝ではコービー・ブライアントや
シャキール・オニール、リック・フォックス、デレック・フィッシャー、ロバート・オーリー等の実力派メンバーがいたロサンゼルス・レイカーズと
対戦しました。このシリーズはキングスが最初の試合を落とすも、第2・3戦で連勝して、第4戦はわずか1点差の僅差でキングスは敗れました。
第5戦はキングスが勝利して、3勝2敗の勝ち越しとなりましたが、続く第6戦にキングスは敗れて、第7戦は延長戦までもつれ込みましたが、
最後の最後でキングスは敗れてしまい、3勝4敗で王朝の前に敗れました。ファイナルはレイカーズがニュージャージー・ネッツのスウィープで
破ったこともあるだけに、「事実上のファイナル」といった名勝負でありました。影が薄いようなカリフォルニア州の州都にあるNBAチームは、
ゼロ年代の前半を特に熱狂させたチームのひとつと言っても間違いなさそうです。たとえキングスが移転しても、この時の記憶は忘れません。
デトロイト・ピストンズ/2003−04シーズン
この当時のピストンズはファイナルに進出して、ロサンゼルス・レイカーズと対戦しましたが、周囲は「レイカーズ優勢」の声が多かったですが、
ピストンズはそれと逆の結果となり、チャンピオンに輝きました。「逆風を突破したチーム」として、その当時のピストンズは印象に残っています。
逆風を乗り越えて優勝した当時のメンバーにはファイナルMVPにも輝き、ピストンズ移籍により「チームを勝利に導けるポイントガード」として
本格的にブレイクしたチャウンシー・ビラップス、リーグ屈指のジャンプシューターとも呼ばれていた先発シューティングガードの「リップ」こと
リチャード・ハミルトン、線が細い見かけとはまったく違ったタフさやディフェンスの巧さがある先発スモールフォワードのテイショーン・プリンス、
シーズン途中に移籍してきた力強さと巧さを兼ねた先発パワーフォワードのラシード・ウォーレス、平均得点が2桁になったことが一度もないが、
主にディフェンスで多大な力を見せて、当時はディフェンスに関する賞の常連だった先発センターのベン・ウォーレスといったスターターがいて、
リザーブ陣には過去にシックスマン賞を受賞したことがあるフォワードのコーリス・ウィリアムソン、ブレイク前だったトルコ出身のセンターである
メメット・オカー、キャリアを通してジャーニーマンでガードのマイク・ジェームズ、キャリアの4分の3をピストンズで過ごして、PGサイズながら
SGでもプレイ可能なリンジー・ハンター、当時のチーム最年長でレイカーズやホーネッツでは先発として活躍を見せたフォワード/センターの
エルデン・キャンベル、2003年ドラフト1巡目2位で指名されたルーキーで、セルビア生まれのビッグマンのダーコ・ミリシッチ等がいました。
このチームはレギュラーシーズンは54勝28敗といったイースト3位の順位で終えて、プレイオフのファーストラウンドはマイケル・レッドがチームの
主力に成長したバックスを4勝1敗で破って、カンファレンス準決勝は2年連続でファイナルに進出していたジェイソン・キッドがチームをまとめて、
ケニオン・マーティンやリチャード・ジェファーソンという若手も活躍したニュージャージー・ネッツを最終戦までもつれて、4勝3敗で破りました。
カンファレンス決勝ではレジー・ミラーとジャーメイン・オニール、ロン・アーテストが主力を担っていたインディアナ・ペイサーズと対戦して、
4勝2敗で破れて、14年ぶりのNBAファイナルに進出しました。ファイナルの対戦相手はコービー・ブライアントとシャキール・オニールに加えて、
オフに移籍してきたカール・マローンとゲイリー・ペイトンがチームの主力を担ったレイカーズでした。第1戦はピストンズが勝利して、第2戦は
レイカーズが勝利して、1勝1敗のタイとなりましたが、第3〜5戦はピストンズが3連勝して、スター軍団を破ってピストンズが優勝しました。
ファイナルでは強固なディフェンスやチームワークが光ったピストンズでありました。ピストンズが優勝した数週間後に私がブログを始めたので、
この当時のピストンズは強烈なインパクトを放っていたなと思います。また、名将のラリー・ブラウンが始めてNBAで優勝を味わった瞬間でした。
メンフィス・グリズリーズ/2003−04シーズン
2011年プレイオフではメンフィス・グリズリーズが1stラウンドでウェスタン1位のサンアントニオ・スパーズを破って、カンファレンス準決勝では
オクラホマシティ・サンダーと第7戦にまでもつれる死闘を演じたことも話題となりましたが、球団史上初のプレイオフ進出を果たしたグリズリーズも
私にとっては印象深いチームのひとつでもあります。この当時のグリズリーズは当時70歳の大ベテランのヒュービー・ブラウンがヘッドコーチとなり、
10人の選手の出場時間が平均19.6分以上であり、ブラウンは出場時間を均等化したローテーションを試みました。この10人ローテーションが
功を奏して、グリズリーズは50勝32敗の成績を記録して、球団史上初のプレイオフ進出を果たしました。また、ブラウンは最優秀ヘッドコーチに
輝く栄誉を得ました。当時の選手には、スペイン代表でもあり、平均17.7点・7.7リバウンド・1.7ブロックの成績を記録したパウ・ガソルが
エースを務めて、キングス時代はトリッキーなパスでも注目されたが、グリズリーズ移籍後は堅実なプレイも多くなったジェイソン・ウィリアムズが
先発ポイントガードをこなして、新人王経験もあるロングシューターのマイク・ミラー、渋い実力派スウィングマンのジェイムズ・ポージー、
地元メンフィス出身で福岡ユニバーシアードメンバーのロレンゼン・ライト、強気な性格も注目されたシューティングガードのボンジ・ウェルズ、
ガソルと同期にNBAデビューを果たした紳士的なスモールフォワードのシェーン・バティエ、ガソルやバティエより1年早くドラフト指名されて、
ダンカーでもあったストロマイル・スウィフト、控えポイントガードのアール・ワトソン、小型ブロッカーでもあったボー・アウトロー等がいました。
実力も個性も兼ね備えた良いメンバーだなと思います。当時のジェネラルマネージャーだったジェリー・ウェストの手腕も光るメンバーであって、
チーム作りが認められたウェストは最優秀フロントの栄誉に輝きました。このシーズンのグリズリーズのプレイオフはスパーズと対戦しましたが、
スウィープ負けで敗退する屈辱を味わい、2004−05シーズンと05−06シーズンも連続でプレイオフ進出を果たしましたが、連続でスウィープ負けを
喫してしまい、プレイオフで初の1勝は2011年まで待たないといけませんでした。初プレイオフの時の対戦相手がスパーズであったとは何か因縁を
感じさせます。ライトは2010年に亡くなられましたが、彼もグリズリーズの3年連続プレイオフ進出に貢献したメンバーです。ライトの訃報を聞き、
私はこのときのグリズリーズを思い起こしました。そのこともあるだけに、2010−11シーズンのグリズリーズの大活躍は私にとって感慨深いです。
ボストン・セルティックス/2007−08シーズン
2007年のドラフトでソニックス(現サンダー)からレイ・アレンを獲得するトレードが起こりましたが、このことは栄光のシーズンの「序章」とも
言える出来事であり、ドラフトから約1か月後にリーグトップクラスのビッグマンのケビン・ガーネットをウルブズから獲得するトレードがあって、
トレードでセルティックスに加わったレイ・アレンとガーネットは当時のキャプテンだったポール・ピアースと共にBIG3を形成することになって、
リーグのBIG3ブームの呼び水にもなったと思いました。BIG3の脇には2年目だった強気なPGのレイジョン・ロンドや堅実なセンターで5年目だった
ケンドリック・パーキンスといった良い若手スターターがいたり、ベンチにはヒート時代に優勝を経験したSG/SFのジェームズ・ポージーがいたり、
シューターのエディ・ハウス、ディフェンスが得意な若手のトニー・アレン、シーズン中に加入したベテランのサム・キャセールとPJ・ブラウンらも
名を連ねていました。BIG3を中心としたセルティックスは見違えるほど強くなり、レギュラーシーズンは球団史上3位の勝率の66勝16敗を記録して、
プレイオフは1stラウンドのホークス戦やカンファレンス準決勝のキャバリアーズ戦は7戦にもつれたり、カンファレンス決勝のピストンズ戦は6戦に
もつれ込む死闘を繰り広げて、21年ぶりにファイナルへ勝ち上がりました。ファイナルはレイカーズとの伝統の一戦となり、こちらも6戦に及んだ
名勝負となり、優勝を決めた第6戦でレイ・アレンのスリーポイントが多く決まったり、勝利後にガーネットが喜びを爆発させたことも印象深いです。
ゴールデンステイト・ウォリアーズ/2006−07シーズン
2014〜19年に5年連続でファイナルへ進出して、その期間に3度の優勝を果たしたウォリアーズですが、2006−07シーズンのチームも面白くて個性的な
チームでもあるなと思います。バロン・デイビスがチームの司令塔であり、シーズン中のトレードでペイサーズからSG/SFのステファン・ジャクソンや
SF/PFのアル・ハリントンを獲得して、シューター陣のジェイソン・リチャードソンやモンタ・エリス、ディフェンスが得意なSFのマット・バーンズ、
ラトビア人センターのアンドリス・ビーエドリンス、フランス人でSG/SFのマイケル・ピートラスらの選手もいました。42勝40敗の成績でウェスト8位の
順位で13年ぶりのプレイオフ進出となったウォリアーズは1stラウンドで驚きの戦いぶりを見せました。対戦相手はこの年のシーズンMVPを受賞した
ダーク・ノビツキーも擁するマーベリックスでありましたが、なんとウォリアーズが1位シードだったウォリアーズを相手に4勝2敗で勝利してしまい、
大アップセットを見せてくれました。この時のウォリアーズはステファン・ジャクソンをノビツキーにつけて、あえてミスマッチを作る戦法だったり、
スモールラインナップを多用する戦術だったと記憶しています。次のジャズとのシリーズは1勝4敗で敗れたものの、今後も面白くなりそうなチームだと
思いきや、次のシーズンは48勝34敗の貯金14でありながらも、ウェスト8位以内に入れず、プレイオフを逃してしまって、12−13シーズンになるまでは
プレイオフへ進出することはできず、再び長いトンネルに入りました。どこか現在のリーグを先取りしたかのようなバスケも展開したチームでした。
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