NBAジャーニーマンの殿堂
NBAジャーニーマンの殿堂
このページはキャリアを通じて渡り歩いたチームが多い(主な対象として7チーム以上)NBAの「ジャーニーマン」たちを紹介するコーナーです。
チャッキー・ブラウン
所属チーム |
キャバリアース(1989〜91)→レイカーズ(91〜92)→ネッツ(92〜93)→マーベリックス(93)→
ロケッツ(94〜96)→サンズ(96)→バックス(96〜97)→ホークス(97〜98)→ホーネッツ(98〜99)→
スパーズ(99〜2000)→ホーネッツ(00)→ウォリアーズ(01)→キャバリアース(01)→キングス(01〜02) |
所属チーム数 |
12チーム(のべ14チーム) |
生年月日 |
1968年2月29日 |
身長/体重 |
203p/100Kg(6フィート7インチ/220ポンド、ポジションはフォワード) |
出身校 |
ノースカロライナ州立大 |
ドラフト順位 |
2巡目43位(1989年/キャバリアースが指名) |
キャリア平均 |
694試合出場、17.2分、5.9点、3.1リバウンド |
ベストシーズン |
1995−96シーズン(82試合出場で全試合スタメン、24.6分、8.6点、5.4リバウンド) |
NBAで「ジャーニーマン」を語るときに、外せない選手のひとりがチャッキー・ブラウンです。マイケル・ジョーダン率いるブルズのライバルであったキャブスに指名されたことで
NBAデビューしました。最初の2年間は7.5点→8.3点とドラフト2巡目出身の控えとしては、まずますな成績をあげました。91年の冬にキャブスを解雇され、
レイカーズとFA契約したことから彼のジャーニーマン人生がスタートしました。95年にロケッツで優勝を経験しますが、ロケッツに入団するまではNBAの4チームの他に、
CBAやイタリアでもプレイしたという苦労人ぶりでした。優勝を経験した次のシーズンのロケッツは、怪我人が続出し、そのせいか彼は全試合でスタメンに駆り出されました。
2001年にキングスと契約したことで所属12チーム目となり、MLBのピッチャーであるマイク・モーガンと並ぶアメリカメジャースポーツ界での所属チーム数のタイ記録を作りました。
トニー・マッセンバーグ
所属チーム |
スパーズ(1990〜91)→ホーネッツ(91〜92)→セルティックス(92)→ウォリアーズ(92)→
クリッパーズ(94〜95)→ラプターズ(95〜96)→シクサーズ(96)→ネッツ(96〜97)→
グリズリーズ(97〜99)→ロケッツ(99〜2000)→グリズリーズ(00〜02)→ジャズ(02〜03)→
キングス(03〜04)→スパーズ(04〜05) |
所属チーム数 |
12チーム(のべ14チーム) |
生年月日 |
1967年7月31日 |
身長/体重 |
206cm/113Kg(6フィート8インチ/250ポンド、フォワード/センター) |
出身校 |
メリーランド大 |
ドラフト順位 |
2巡目43位(1990年/スパーズが指名) |
キャリア平均 |
683試合出場、18.0分、6.3点、4.3リバウンド |
ベストシーズン |
1998−99シーズン(43試合出場で35試合スタメン、26.6分、11.2点、6.0リバウンド) |
イタリアやスペインでもプレー経験がある国際派ジャーニーマンです。何気にジャパンゲームスに2度出場経験があります。クリッパーズ時代の1994年とネッツ時代の1996年に
来日しました。1998−99シーズンは、当時のグリズリーズのスターティングセンターのブライアント・リーブスが不調だったために、多くの出番が回り、キャリアハイの
平均得点を記録しました。また、ラプターズ(エクスパッションドラフトで指名されて入団)とシクサーズに所属した95−96シーズンにも平均2ケタ得点(10.0点)を記録しています。
94年のジャパンゲームスでは、2試合ともスタメンでした。当時のスタメンは、プー・リチャードソン(PG)、テリー・デヘア(SG)、ロイ・ボウト(SF)、トニー・マッセンバーグ(PF)、
エルモア・スペンサー(C)というメンバーでした。しかも、テレビ朝日の中継の解説で、マッセンバーグがスペインでプレイしたことにも触れられていました。
ジム・ジャクソン
所属チーム |
マーベリックス(1992〜97)→ネッツ(97)→シクサーズ(97〜98)→ウォリアーズ(98)→
ブレイザーズ(98〜99)→ホークス(99〜2001)→キャバリアース(01)→ヒート(01〜02)→
キングス(02〜03)→ロケッツ(03〜04)→ホーネッツ(04)→サンズ(04〜06)→レイカーズ(06) |
所属チーム数 |
13チーム |
生年月日 |
1970年10月14日 |
身長/体重 |
198cm/100Kg(6フィート6インチ/220ポンド、ガード/フォワード) |
出身校 |
オハイオ州立大 |
ドラフト順位 |
1巡目4位(1992年/マーベリックスが指名) |
キャリア平均 |
885試合出場、32.8分、14.3点、4.7リバウンド、3.2アシスト |
ベストシーズン |
1994−95シーズン(51試合出場で全試合スタメン、38.9分、25.7点、5.1リバウンド、3.7アシスト) |
彼はかつて、ジェイソン・キッド(現ネッツ)とジャマール・マッシュバーン(現ホーネッツ)と共に「スリージェイズ」として注目された存在で、若手のホープとして見られていました。
マーベリックスに4シーズン半所属し、ネッツにトレードされた時に彼のジャーニーマン人生が始まりました。2004年までの12シーズンのうち、10シーズンは平均2ケタ得点を
記録しました。「20分で10点」の仕事をこなす選手で、サンズのマイク・ダントニ監督いわく「適応能力が高い」選手でもあります。キッドとひとりの女性を取り合った過去もあります。
他にも、94−95シーズンには1試合50点を記録したという凄い過去もあります。2004−05シーズンはホーネッツにも所属しましたが、そこでは1試合もプレイしませんでした。
タイロン・コービン
所属チーム |
スパーズ(1985〜87)→キャバリアース(87〜88)→サンズ(88〜89)→ウルブズ(89〜91)→ジャズ(91〜94)→
ホークス(94〜95)→ヒート(95〜96)→キングス(96)→ホークス(96〜99)→キングス(99〜2000)→ラプターズ(00〜01) |
所属チーム数 |
9チーム(のべ11チーム) |
生年月日 |
1962年12月31日 |
身長/体重 |
198p/102Kg(6フィート6インチ/210ポンド、ポジションはフォワード/ガード) |
出身校 |
デポール大 |
ドラフト順位 |
2巡目35位(1985年/スパーズが指名) |
キャリア平均 |
1050試合出場、26.2分、9.3点、4.8リバウンド、1.8アシスト、1.17スティール |
ベストシーズン |
1990−91シーズン(82試合出場で全試合スタメン、39.0分、18.0点、7.2リバウンド、4.2アシスト、1.98スティール) |
初期のウルブズの中心となったスイングマンで、ホークスとキングスに縁がある選手でもあります。ウルブズには、エクスパッションドラフトで入団しました。
キャブスからサンズへの移籍は、当時ルーキーだったケビン・ジョンソンも関わっていました。94〜96年の時期は、平均出場時間が20分を下回っていましたが、
96−97シーズンには、4年ぶりに平均出場時間を30分台に乗せました。その当時のホークスは選手層が薄かったために、コービンに出番が多く回ってきました。
その次のシーズンは、5年ぶりに平均得点を2ケタにするというものすごいカムバックを見せました。第2期ホークス時代も素晴らしい仕事をしていました。
2010−11シーズン途中にジャズはジェリー・スローンHCが解任して、その後釜の暫定HCにジャズのアシスタントコーチだったコービンが指名されました。
クリス・ギャトリング
所属チーム |
ウォリアーズ(1991〜96)→ヒート(96)→マーベリックス(96)→ネッツ(96〜99)→バックス(99)→
マジック(99〜2000)→ナゲッツ(2000)→キャバリアース(00〜01)→ヒート(01〜02) |
所属チーム数 |
8チーム(のべ9チーム) |
生年月日 |
1967年9月3日 |
身長/体重 |
208p/100Kg(6フィート10インチ/220ポンド、ポジションはフォワード/センター) |
出身校 |
オールドドミニオン大 |
ドラフト順位 |
1巡目16位(1991年/ウォリアーズが指名) |
キャリア平均 |
700試合出場、19.7分、10.3点、5.3リバウンド、0.7アシスト |
ベストシーズン |
1996−97シーズン(47試合出場で1試合スタメン、27.3分、19.0点、7.9リバウンド、0.6アシスト) |
ウォリアーズで4シーズン半過ごした後、95−96シーズン途中のヒートとのトレードで移籍したのが、ジャーニーマン人生のスタートでした。
1996−97シーズン前半はマーベリックスに所属しており、ほとんどベンチ出場でありながら、その年にはキャリア唯一のオールスターに出場しています。
シックスマン賞の有力候補でしたが、シーズン途中にネッツにトレードされ、3試合出た後に故障によってシーズン絶望となり、シックスマン賞は、
ジョン・スタークス(当時ニックス)のものとなりました。ネッツを放出された後は、4チームを渡り歩き、古巣ヒートに戻り、NBAを去りました。
彼はスキンヘッドにヘッドバンド姿が印象に残る選手で、今でも忘れられないです。クリフ・ロビンソンと共にヘッドバンド族の代表です。
デイモン・ジョーンズ
所属チーム |
ネッツ(1999)→セルティックス(99)→ウォリアーズ(99〜2000)→マーベリックス(2000)→グリズリーズ(00〜01)→
ピストンズ(01〜02)→キングス(02〜03)→バックス(03〜04)→ヒート(04)→キャバリアース(04〜08)→バックス(08〜09) |
所属チーム数 |
10チーム(のべ11チーム) |
生年月日 |
1976年8月25日 |
身長/体重 |
191p/83Kg(6フィート3インチ/185ポンド、ポジションはガード) |
出身校 |
ヒューストン大 |
ドラフト順位 |
ドラフト外 |
キャリア平均 |
657試合出場、20.5分、6.6点、2.7アシスト、スリーポイント成功率39.0% |
ベストシーズン |
2004−05シーズン(82試合出場で66試合スタメン、31.4分、11.6点、4.3アシスト、スリーポイント成功率43.2%) |
ヒートと契約した後に、突如ブレイクし、シャックやウェイド等と共にカンファレンス決勝進出に貢献した外のシュートがうまいポイントガードですが、ヒート入りする前は、
毎年のように所属チームが変わったジャーニーマンでした。ネッツやマーベリックス等を渡り歩いた後、2000年にグリズリーズに移籍し、控えとしてシーズン定着をしました。
ピストンズやキングスなどの強豪の控えとしてプレイした後、シャックに「デイモンを迎え入れることが、俺がヒートと契約する条件だ」とNBA屈指の巨人に才能を見出され、
ヒートに移籍して来ました。シーズン序盤に先発に定着すると、様々な自己記録を塗り替えました。果たして、デイモンはヒートを「キャリア安住の地」にすることができるのか?
ジョニー・ニューマン
所属チーム |
キャバリアース(1986〜87)→ニックス(87〜90)→ホーネッツ(90〜94)→ネッツ(94)→バックス(94〜97)→
ナゲッツ(97〜98)→キャブス(98〜99)→ネッツ(99〜2001)→マーベリックス(01〜02) |
所属チーム数 |
7チーム(のべ9チーム) |
生年月日 |
1963年11月28日 |
身長/体重 |
203p/86Kg(6フィート7インチ/190ポンド、ポジションはガード/フォワード) |
出身校 |
リッチモンド大 |
ドラフト順位 |
2巡目29位(1986年/キャバリアースが指名) |
キャリア平均 |
1150試合出場、24.5分、11.0点、2.2リバウンド、1.5アシスト |
ベストシーズン |
1990−91シーズン(81試合出場で全試合スタメン、30.6分、16.9点、3.1リバウンド、2.3アシスト) |
キャバリアースとマーベリックス以外のすべての所属チームで平均2ケタ得点を残したことのある仕事人スイングマンです。20分出場で10点という仕事ができるだけに、
ある意味、ジム・ジャクソンに近いといえます。そんな彼のNBAデビューは、ルーキーだったブラッド・ドアティー、ロン・ハーパー、ジョン・ウィリアムズ、マーク・プライスという
1986年ドラフトのヒット作が多く在籍していたキャバリアースです。次の年に、ニックスに移籍して、初めて2ケタ得点のアベレージを残します。そして、3年目のシーズンになると、
NBA入りして初めてレギュラーに定着します。次に在籍するホーネッツでもシーズンを通してのスタメンでした。ホーネッツを放出されると、ジャーニーマン稼業が始まります。
1990−91シーズンのホーネッツと97−98シーズンのナゲッツでは、彼がチーム内で最も得点した選手となりました。キャリア平均成功率33.6%のスリーポイントも武器でした。
アーロン・ウィリアムズ
所属チーム |
ジャズ(1993〜94)→バックス(94〜95)→ナゲッツ(96)→グリズリーズ(96〜97)→
ソニックス(97〜99)→ウィザーズ(1999〜2000)→ネッツ(2000〜04)→
ラプターズ(04〜06)→ホーネッツ(06)→クリッパーズ(06〜08) |
所属チーム数 |
10チーム |
生年月日 |
1971年10月2日 |
身長/体重 |
206p/107Kg(6フィート9インチ/235ポンド、ポジションはセンター/フォワード) |
出身校 |
ゼイビア大 |
ドラフト順位 |
ドラフト外 |
キャリア平均 |
714試合出場、16.8分、5.8点、3.9リバウンド、0.7アシスト |
ベストシーズン |
2000−01シーズン(82試合出場で25試合スタメン、28.5分、10.2点、7.2リバウンド、1.1アシスト) |
ニックネームは「A-トレイン」で、彼もドラフト外から這い上がってきた選手です。彼の出身大学は、ブライアン・グラント(レイカーズ)と同じゼイビア大です。
97年までの4年間は、NBAでの出場試合数54という不遇の時代でした。ナゲッツ時代に至っては、1試合出場しただけでした。しかも、その1試合で3ブロックという
奇妙な記録を残しています。ソニックスに移籍してからは、フォワードとセンターの控えとして、シーズンを通してチームに残ることが出来ました。
シャハディ・ホワイトやアイザック・オースティンと出場時間を分け合ったウィザーズ時代を経て、2000年にネッツと契約しました。2000−01シーズンには、
平均2桁得点を記録します。その次の年から2年連続でファイナルを経験し、ネッツには4年ほど在籍しました。ネッツが安住の地かと思いきや、
2004−05シーズンの途中には、ラプターズへトレードされました。昨季は平均1.7点という数字だっただけに、9チーム目へ移籍してしまいそう…?
オーランド・ウーリッジ
所属チーム |
ブルズ(1981〜86)→ネッツ(86〜88)→レイカーズ(88〜90)→ナゲッツ(90〜91)→
ピストンズ(91〜93)→バックス(93)→シクサーズ(93〜94) |
所属チーム数 |
7チーム |
生年月日 |
1959年12月16日 |
身長/体重 |
206p/97Kg(6フィート9インチ/215ポンド、ポジションはフォワード) |
出身校 |
ノートルダム大 |
ドラフト順位 |
1巡目6位(1981年/ブルズが指名) |
キャリア平均 |
851試合出場、28.3分、16.0点、4.3リバウンド、1.9アシスト |
ベストシーズン |
1990−91シーズン(53試合出場で50試合スタメン、34.4分、25.1点、6.8リバウンド、2.2アシスト) |
この選手といえば、何と言っても実録漫画「NBA STORY」でのブルズ(ジョーダン)編での活躍です。その実録漫画によりますと、いきなり「ブルズは俺のチームだ」と
言ってきたりするもんですから(笑)最後には、ジョーダンに親身になってアドバイスを送りますが…。それはさておき、彼のキャリアは1981年のブルズからスタートしました。
ルーキーシーズンは控え選手でしたが、2年目になると先発に定着し、7.3→16.5→19.3と平均得点を年々上げていき、4年目の1984−85シーズンに平均22.9点を記録します。
そのシーズンは、ジョーダンのルーキーシーズンだったりします。次のシーズン(ジョーダンは怪我で64試合欠場)も平均20点台を記録していましたが、オフにネッツに移籍します。
この時から、彼のジャーニーマン人生がスタートします。レイカーズ時代の89年にはファイナルを経験します。ジョーダンとマジックとアイザイア・トーマスと共にプレイという
貴重な経験のある選手でもありました。彼はダンクコンテスト出場経験がある高い運動能力の持ち主でしたが、外のシュート(スリーポイントは88本中8本成功)が弱かったです。
NBAでプレイ後はイタリアリーグで2年間プレイしたり(各年で違うチームに在籍して、これを含めるとプロ選手生活では9チームに在籍)、引退後は女子プロバスケのWNBAチームの
ロサンゼルス・スパークスのヘッドコーチや米独立リーグのABAのコーチも務めましたが、2012年5月31日にウーリッジは心臓病によって52歳の若さで亡くなられました。
ダニー・シェイズ
所属チーム |
ジャズ(1981〜83)→ナゲッツ(83〜90)→バックス(90〜94)→レイカーズ(94)→
サンズ(94〜95)→ヒート(95〜96)→マジック(96〜99) |
所属チーム数 |
7チーム |
生年月日 |
1959年5月10日 |
身長/体重 |
211p/106Kg(6フィート11インチ/235ポンド、ポジションはセンター) |
出身校 |
シラキュース大 |
ドラフト順位 |
1巡目13位(1981年/ジャズが指名) |
キャリア平均 |
1138試合出場、19.3分、7.7点、5.0リバウンド、1.1アシスト |
ベストシーズン |
1987−88シーズン(81試合出場で74試合スタメン、26.7分、13.9点、8.2リバウンド、1.1アシスト) |
「歴代の50人」にも選ばれた往年の名選手のドルフ・シェイズの息子で、NBAで18年渋く活躍した息の長い選手です。ナゲッツに7年半在籍しており、
184−186のスコアで終わったピストンズとの歴代最高得点試合(1983年12月13日)を経験したり、80年代後半にはチームの主力として活躍していたりしました。
1990年にナゲッツからバックスに移籍したときから彼のジャーニーマン人生がスタートしました。94年に在籍したレイカーズでは、マジック・ジョンソンによる
コーチングを受けたという面白い事実もあります。チャールズ・バークリー等と共にプレイしたサンズでは、たまに先発センターを務めていました。
キャリア最後の3年はマジックでプレイし、大学の後輩に当たるロニー・サイカリーのバックアップセンターをしたこともあり、40歳で引退しました。
モーゼス・マローン
所属チーム |
ブレーブス(1976)→ロケッツ(76〜82)→シクサーズ(82〜86)→ブレッツ(86〜88)→
ホークス(88〜91)→バックス(91〜93)→シクサーズ(93〜94)→スパーズ(94〜95) |
所属チーム数 |
7チーム(のべ8チーム) |
生年月日 |
1955年3月23日 |
身長/体重 |
208p/97Kg(6フィート10インチ/215ポンド、ポジションはセンター) |
出身校 |
ピータースバーグ高 |
ドラフト順位 |
NBA新人ドラフト指名経験なし、1974年にABAのユタ・スターズからドラフト3巡目指名。 |
キャリア平均 |
1329試合出場、33.9分、20.6点、12.2リバウンド、1.4アシスト |
ベストシーズン |
1981−82シーズン(81試合出場で全試合スタメン、42.0分、31.1点、14.7リバウンド、1.8アシスト) |
モーゼスの場合は「ジャーニーマン」というよりは「往年の名選手」という見方が圧倒的に多いですが、キャリア所属チームを考えますと、
ここでも扱います。ABAで2年活躍したあと、NBAのブレーブス(クリッパーズの前身、2試合計6分だけ出場)に入り、NBAデビューしました。
NBAオールスター出場11回を誇るスーパースターで、MVP3回、リバウンド王5回などの輝かしい経歴があります。シクサーズからブレッツに移籍した
86年から彼のジャーニーマン人生がスタートします。ブレッツやホークス、バックス時代の前半は先発センターとして活躍しました。93年に古巣復帰をし、
ルーキーだったショーン・ブラッドリーの教育係を務めました。キャリア最後に在籍したスパーズでは、デビッド・ロビンソンの控えを務めました。
エディ・ハウス
所属チーム |
ヒート(2000〜03)→クリッパーズ(03〜04)→ボブキャッツ(04)→バックス(04〜05)→キングス(04〜05)→
サンズ(05〜06)→ネッツ(06〜07)→セルティックス(07〜10)→ニックス(10)→ヒート(10) |
所属チーム数 |
9チーム(のべ10チーム) |
生年月日 |
1978年5月14日 |
身長/体重 |
185p/81Kg(6フィート1インチ/180ポンド、ポジションはガード) |
出身校 |
アリゾナ州立大 |
ドラフト順位 |
2巡目37位(2000年/ヒートが指名) |
キャリア平均 |
717試合出場、17.3分、7.5点、1.7リバウンド、1.6アシスト |
ベストシーズン |
2005−06シーズン(81試合出場でスタメン出場なし、17.5分、9.8点、1.6リバウンド、1.8アシスト) |
当サイトの「NBAトリビア」にも書いてありますが、彼はヒート時代にパット・ライリーの娘さんのお気に入りになったことがあります。マイク・ビビーの妹が彼の妻で、
ビビーとは義理の兄弟という間柄だという凄い話がある選手です。彼は6年のキャリアで6チームを渡り歩き、ネッツで7チーム目になってしまいました。
クリッパーズ時代はジャパンゲームスで来日して、その次の年あたりから短い時間で大量の点が取れる燃費の良い控え選手として頭角をあらわしました。
2005−06シーズンは、サンズの層が厚いバックアップ軍団の一員としてカンファレンス決勝進出に貢献しました。ネッツを経て、セルティックスに移籍しましたが、
彼は移籍初年度に控えガードとして優勝を経験しました。セルティックスはヒート以来の複数年での在籍で、09−10シーズン途中にニックスにトレードされるまでの
2シーズン半を過ごしました。10年オフにはヒートに移籍をして、7年ぶりの古巣復帰を果たしました。10−11シーズンの最終戦でキャリアハイの35点を記録しました。
マイキー・ムーア
所属チーム |
ピストンズ(1998〜2002)→セルティックス(03)→ホークス(03)→ネッツ(03〜04)→ジャズ(04)→クリッパーズ(04〜05)→
ソニックス(05〜06)→ネッツ(06〜07)→キングス(07〜09)→セルティックス(09)→ウォリアーズ(09〜10、12) |
所属チーム数 |
9チーム(のべ12チーム) |
生年月日 |
1975年11月4日 |
身長/体重 |
211p/101Kg(6フィート11インチ/225ポンド、ポジションはセンター) |
出身校 |
ネブラスカ大学 |
ドラフト順位 |
ドラフト外 |
キャリア平均 |
564試合出場、18.2分、5.8点、3.9リバウンド、0.5ブロック |
ベストシーズン |
2006−07シーズン(79試合出場55試合スタメン、26.4分、9.8点、5.1リバウンド、0.8ブロック) |
数字的には、このページの他のメンバーと比べて地味ですが、8年で7チームとジャーニーマン道を邁進しているようです…多分?
ピストンズ時代には、ペットの蛇を車のトランクに置き去りにして凍死させてしまったという過去もあります。この細身のセンターは、
2度目のネッツ所属となります。ネイナド・クリスティッチのバックアップとして、センター&パワーフォワード陣を活気付けて欲しいです。
ダニー・マニング
所属チーム |
クリッパーズ(1988〜94)→ホークス(94)→サンズ(94〜99)→バックス(99〜2000)→
ジャズ(00〜01)→マーベリックス(01〜02)→ピストンズ(02〜03) |
所属チーム数 |
7チーム |
生年月日 |
1966年5月17日 |
身長/体重 |
208p/104Kg(6フィート10インチ/230ポンド、ポジションはフォワード/センター) |
出身校 |
カンザス大学 |
ドラフト順位 |
1巡目1位(1988年/クリッパーズが指名) |
キャリア平均 |
883試合出場、27.4分、14.0点、5.2リバウンド、2.3アシスト、1.14スティール |
ベストシーズン |
1992−93シーズン(79試合出場で77試合スタメン、34.9分、22.8点、6.6リバウンド、1.37スティール) |
大学時代はNCAAチャンピオンを経験した1988年のドラフトトップ指名選手です。クリッパーズ時代は2度もオールスターに出場して、
活躍がかなり期待されていましたが、94年にドミニク・ウィルキンスとトレードされます。94年オフにサンズに移籍してからはシックスマンに転向して、
98年に当時2年目だったコービー・ブライアントをかわしてシックスマン賞を受賞しました。彼のキャリアは何度も怪我に泣かされていて、
半分の試合を欠場したシーズンもある程です。99年にバックスに移籍してから、毎年所属チームを変えて、ラストシーズンはピストンズで過ごしました。
マニングといえば、ひとりですべてのポジションがこなせる選手とも言われていました。最も所属チーム数が多い歴代1巡目1位指名選手です。
ケビン・オリー
所属チーム |
マーベリックス(1997)→マジック(98)→キングス(98〜99)マジック(99)→シクサーズ(99〜2000)→
ネッツ(00〜01)→シクサーズ(01)→ブルズ(01〜02)→ペイサーズ(02)→バックス(02〜03)→
ソニックス(03)→キャバリアース(03〜04)→シクサーズ(04〜08)→ウルブズ(08〜09)→サンダー(09〜10) |
所属チーム数 |
11チーム(のべ15チーム) |
生年月日 |
1972年12月27日 |
身長/体重 |
191p/89kg(6フィート3インチ/195ポンド、ポジションはガード) |
出身校 |
コネチカット大学 |
ドラフト順位 |
ドラフト外 |
キャリア平均 |
662試合出場、15.6分、3.8点、2.3アシスト、1.5リバウンド |
ベストシーズン |
2002−03シーズン(82試合出場で5試合スタメン、23.1分、6.5点、3.5アシスト、2.2リバウンド) |
コネチカット大学ではドニエル・マーシャルとチームメイトで、大学卒業後はCBAでプレーして、24歳にNBAデビューしました。キャリア10年目で異なる10チーム、
のべ13チーム(古巣復帰を3回も経験)に在籍した現役選手を代表するジャーニーマンです。2001年のシクサーズでキャリア唯一のファイナルを経験したり、
シクサーズではアレン・アイバーソンのバックアップ役を務めています。2006−07シーズンは、今までと違って多くの試合でスタメンを経験しています。
多くのNBAチームに在籍したオリーは2010年に現役引退して、NCAAの強豪チームのコネチカット大学のアシスタントコーチに就任しました。(2011年現在)
ベノイト・ベンジャミン
所属チーム |
クリッパーズ(1985〜91)→ソニックス(91〜93)→レイカーズ(93)→ネッツ(93〜95)→グリズリーズ(95)→
バックス(95〜96)→ラプターズ(96〜97)→シクサーズ(97〜99)→キャバリアース(99) |
所属チーム数 |
9チーム |
生年月日 |
1964年11月22日 |
身長/体重 |
213p/113Kg(7フィート0インチ/250ポンド、ポジションはセンター) |
出身校 |
クレイトン大学 |
ドラフト順位 |
1巡目3位(1985年にクリッパーズが指名) |
キャリア平均 |
807試合出場、27.2分、11.4点、7.5リバウンド、1.96ブロック |
ベストシーズン |
1988−89シーズン(79試合出場で62試合スタメン、32.7分、16.4点、8.8リバウンド、2.80ブロック) |
1985年のドラフトでは、パトリック・ユーイングとウェイマン・ティスデイルに次ぐ順位で指名された選手です。クリッパーズ時代は先発センターとして
活躍していました。ソニックス時代の92年には日本公式戦(ソニックス×ロケッツ)で来日しました。レイカーズではブラデ・ディバッツの控えでしたが、
ネッツに移籍すると再び先発センターとして活躍しました。95年オフにエクスパッション(リーグ拡張)ドラフトで、グリズリーズに引き抜かれました。
しかし、ルーキーのブライアント・リーブスが成長するとバックスに放出されて、これ以後は頻繁に所属チームが変わり、またも控えセンターになりました。
マーク・ブライアント
所属チーム |
ブレイザーズ(1988〜95)→ロケッツ(95〜96)→サンズ(96〜98)→ブルズ(98〜99)→キャバリアース(99〜2000)→
マーベリックス(00〜01)→スパーズ(01〜02)→シクサーズ(02)→ナゲッツ(02〜03)→セルティックス(03) |
所属チーム数 |
10チーム |
生年月日 |
1965年4月25日 |
身長/体重 |
206p/113Kg(6フィート9インチ/245ポンド、ポジションはフォワード/センター) |
出身校 |
シートンホール大学 |
ドラフト順位 |
1巡目21位(1988年にブレイザーズが指名) |
キャリア平均 |
797試合出場、16.9分、5.4点、3.8リバウンド、0.41スティール |
ベストシーズン |
1996−97シーズン(41試合出場で18試合スタメン、24.8分、9.3点、5.2リバウンド、0.54スティール) |
2006−07シーズンはマジックのアシスタントコーチを務めるマーク・ブライアントですが、彼はキャリア通算10チームに所属したジャーニーマンでもありました。
1988年にブレイザーズにドラフト指名されて、そこで7年間活躍しました。主に控えのパワーフォワードやセンターとしてプレイして、90年と92年にNBAファイナルを
2度も経験しました。95年にロケッツに移籍して、フォワード陣に怪我人が多かったので、平均24.6分の出場時間を得ました。96年にオフにあのチャールズ・バークリーの
トレード要員のひとり(その中にこのページで扱っているチャッキー・ブラウンもいました)となり、サンズへ移籍しました。強力なパワーフォワードやセンターが少ない
チーム事情で、そこでも多くの出場時間を得ました。98年オフのロックアウト明けには、ブルズに移籍します。マイケル・ジョーダンやスコッティ・ピッペン、デニス・ロドマン等が
チームを去って、再建モードに入ったブルズで先発センターとしてキャリアハイ級の活躍をしました。99年オフにキャバリアースに移籍して、このシーズンのすべての試合を欠場した
ジドルナス・イルガウスカスの代わりに先発センターを務めました。2000年にキャバリアースを放出されて、2003年に引退するまでに5チームを渡り歩きました。15年もプレイした
息の長い選手でもありました。先発のパワーフォワードやセンターに欠員が出ると、代わりに先発を務め上げるという「仕事人」ぶりを見せたキャリアでもありました。
ジャド・ブシュラー
所属チーム |
ネッツ(1990〜91)→スパーズ(91〜92)→ウォリアーズ(92〜94)→
ブルズ(94〜98)→ピストンズ(98〜2001)→サンズ(01)→マジック(01〜02) |
所属チーム数 |
7チーム |
生年月日 |
1968年6月19日 |
身長/体重 |
198p/99Kg(6フィート6インチ/220ポンド、ポジションはガード/フォワード) |
出身校 |
アリゾナ大 |
ドラフト順位 |
2巡目38位(1990年にソニックスが指名) |
キャリア平均 |
720試合出場、11.7分、3.3点、1.8リバウンド、0.8アシスト |
ベストシーズン |
1992−93シーズン(70試合出場で9試合スタメン、18.4分、6.2点、2.8リバウンド、1.3アシスト) |
ブルズに在籍する前は4年で3チームを渡り歩いていましたが、ブルズに移籍してジョーダンやピッペンのバックアップを務めたことで、3度の優勝を経験しました。
ブルズ移籍後からスリーポイント成功がグンと上がり、ピストンズに移籍した1998−99シーズンはロックアウトの影響によってシーズン50試合ながら、キャリアハイの61本の
スリーポイントを決めました。映画「スペースジャム」に出演したジョーダンが記者から「チームメイトをその映画に出てくるキャラクターに例えると?」という質問をされて、
ブシュラーはその映画に出てくる女性キャラクター(ローラバニー)に例えられました。私にとって、ブシュラーで特に印象に残ることはこの話です。
ピート・マイヤーズ
所属チーム |
ブルズ(1986〜87)→スパーズ(87〜88)→シクサーズ(88)→ニックス(88〜90)→ネッツ(90)→
スパーズ(90)→ブルズ(93〜95)→ヒート(95〜96)→ホーネッツ(96)→ニックス(97) |
所属チーム数 |
7チーム(のべ10チーム) |
生年月日 |
1963年9月15日 |
身長/体重 |
198p/81Kg(6フィート6インチ/180ポンド、ポジションはガード/フォワード) |
出身校 |
アーカンソー大リトルロック校 |
ドラフト順位 |
6巡目120位(1986年にブルズが指名) |
キャリア平均 |
377試合出場、16.0分、4.8点、2.1アシスト、0.70スティール |
ベストシーズン |
1993−94シーズン(82試合出場で81試合スタメン、24.8分、7.9点、3.0アシスト、0.95スティール) |
1993年10月にジョーダンが電撃引退(1度目の引退)を発表して、空席になったブルズのスターティングSGに古巣復帰したジャーニーマンで、イタリアやCBAでも
プレイ経験があり、ジョーダンと同じ歳のマイヤーズが務めました。そのシーズンはキャリアハイの成績を残しました。次のシーズンもブルズに在籍して、ジョーダンが復帰して、
再びチームメイトとなりました。その後、3チームで控えとしてプレイして引退しました。引退後は、ブルズの監督代行として2試合(どちらも負けた)で指揮をとりました。
グレッグ・フォスター
所属チーム |
ブレッツ(1990〜92)→ホークス(92〜93)→バックス(93)→ブルズ(94)→ウルブズ(94〜95)→
ジャズ(95〜99)→ソニックス(99〜2000)→レイカーズ(00〜01)→バックス(01〜02)→ラプターズ(02〜03) |
所属チーム数 |
9チーム(のべ10チーム) |
生年月日 |
1968年10月3日 |
身長/体重 |
211p/108Kg(6フィート11インチ/240ポンド、ポジションはフォワード/センター) |
出身校 |
テキサス大エルパソ校 |
ドラフト順位 |
2巡目35位(1990年にブレッツが指名) |
キャリア平均 |
656試合出場、12.2分、3.9点、2.6リバウンド、0.5アシスト |
ベストシーズン |
1997−98シーズン(78試合出場で49試合スタメン、18.5分、5.7点、3.5リバウンド、0.7アシスト) |
ウォリアーズなどで活躍したティム・ハーダウェイとは大学時代のチームメイトでした。彼のキャリアハイライトは1997年のファイナルで、第3戦でかつて所属して
カットされたブルズを相手に17点を決める大活躍を見せて、ジャズ史上初のファイナルでの勝利を得ました。彼はシュートエリアの広いセンターでもありました。
レイカーズ時代はプレイオフではわずか1試合出場でありながら、規定によりジャズ時代でも獲得できなかったチャンピオンリングを獲得しました。
ブライアン・ショー
所属チーム |
セルティックス(1988〜89)→セルティックス(90〜92)→ヒート(92〜94)→マジック(94〜97)→
ウォリアーズ(97〜98)→シクサーズ(98)→ブレイザーズ(98〜99)→レイカーズ(99〜2003) |
所属チーム数 |
7チーム(のべ8チーム) |
生年月日 |
1966年3月22日 |
身長/体重 |
198p/86Kg(6フィート6インチ/190ポンド、ポジションはガード) |
出身校 |
カリフォルニア大サンタバーバラ校 |
ドラフト順位 |
1巡目24位(1988年にセルティックスが指名) |
キャリア平均 |
942試合出場、23.0分、7.0点、3.4リバウンド、4.2アシスト |
ベストシーズン |
1990−91シーズン(79試合出場で全試合スタメン、35.1分、13.8点、4.7リバウンド、7.6アシスト) |
両ガードのポジションをこなして、ロングシュートでも活躍した彼のキャリアのスタートはバード・マクヘイル・パリッシュの三本柱がいたセルティックスでした。
プロとしてのルーキーシーズンを過ごした後は1年間イタリアでプレイしました。そのときに、コービー・ブライアント(後のチームメイト)の父であるジョーと知り合いました。
90年にセルティックスに復帰して、2年連続で2桁得点アベレージを記録しました。ヒートを経て、シャックとペニーがいたマジックへ移籍しました。そこでシックスマンとして
活躍を見せました。95年にキャリア初のファイナルを経験しました。ウォリアーズに移籍した97年オフからレイカーズに拾われた99年までの2年間は流浪の時代でありました。
ブレイザーズでは1試合しか出場できなかった屈辱を味わいましたが、再びシャックとチームメイトになったレイカーズでの4年のうち3年は控えとして優勝に貢献しました。
ブレビン・ナイト
所属チーム |
キャバリアース(1997〜2000)→ホークス(00〜01)→グリズリーズ(01〜03)→サンズ(03)→
ウィザーズ(03〜04)→バックス(04)→ボブキャッツ(04〜07)→クリッパーズ(07)→ジャズ(08〜09) |
所属チーム数 |
9チーム |
生年月日 |
1975年11月8日 |
身長/体重 |
178p/78Kg(5フィート10インチ/173ポンド、ポジションはガード) |
出身校 |
スタンフォード大 |
ドラフト順位 |
1巡目16位(1997年にキャバリアースが指名) |
キャリア平均 |
729試合出場、24.9分、7.3点、6.1アシスト、1.7スティール |
ベストシーズン |
2005−06シーズン(69試合出場で67試合スタメン、34.1分、12.6点、8.8アシスト、2.28スティール) |
1997年にキャバリアースにドラフトされた後、ルーキーカルテットのひとりとして注目を集めます。ルーキーシーズンは平均9.0点・8.2アシスト・2.45スティールといった
少し低めの指名順位を覆すような活躍を見せました。2年目と3年目もキャバリアースに所属して、ルーキーシーズンに匹敵する平均9点&7アシスト級の数字を記録しました。
4年目になると、シーズン途中にホークスへトレードされます。そこから流浪の人生の始まりです。2001年にグリズリーズへ移籍すると控えに格下げされて、グリズリーズ時代は
ジェイソン・ウィリアムズの控えとして過ごしました。さらに、2003−04シーズンは1年で3チームに所属するという怒涛の1年でした。流浪の人生が続いたナイトに光が当たる時が
来ました。それは2004年に新設されたボブキャッツへの移籍です。そこでは栄光のキャブス時代をも超える大活躍を見せました。ボブキャッツの1年目と2年目はアシスト部門で
リーグのトップ3に入り、2005−06シーズンはスティールでリーグ2位でした。しかし、次のシーズンは故障に泣かされて本来の力は出せずに、オフにボブキャッツに捨てられて、
クリッパーズへ移籍しました。クリッパーズでは故障したショーン・リビングストンの穴を埋める活躍が望まれます。ナイトのようなキャリアの過ごし方はNBAの歴史上まれに見ます。
ジョー・スミス
所属チーム |
ウォリアーズ(1995〜98)→シクサーズ(98)→ウルブズ(98〜2000)→ピストンズ(00〜01)→ウルブズ(01〜03)→
バックス(03〜06)→ナゲッツ(06)→シクサーズ(06〜07)→ブルズ(07〜08)→キャバリアース(08)→
サンダー(08〜09)→キャバリアース(09)→ホークス(09〜10)→ネッツ(10)→レイカーズ(10) |
所属チーム数 |
12チーム(のべ15チーム) |
生年月日 |
1975年7月26日 |
身長/体重 |
208p/101Kg(6フィート10インチ/225ポンド、ポジションはフォワード/センター) |
出身校 |
メリーランド大 |
ドラフト順位 |
1巡目1位(1995年にウォリアーズが指名) |
キャリア平均 |
1030試合出場、26.2分、10.9点、6.4リバウンド、0.8ブロック |
ベストシーズン |
1996−97シーズン(80試合出場で80試合スタメン、38.6分、18.7点、8.5リバウンド、1.1ブロック) |
かつては栄えあるドラフトのトップ指名選手でしたが、いまやジャーニーマンとなり、恐らく最も所属チームが多いドラフト全体1位指名選手ではないかと思われます。
彼のデビューしたチームはウォリアーズで、そこで2年半過ごしました。ルーキーイヤーには現役復帰したマジック・ジョンソンとマッチアップしたことがありました。
シクサーズを経て、ウルブズでは4年間活躍しました。ただし、2000−01シーズンはオフの契約問題のため、ウルブズを一度放出されて、ピストンズに所属しました。
バックスに3年間在籍した後、ナゲッツ→シクサーズ→ブルズ→キャバリアースと2年で4チームを渡り歩きました。ナゲッツ時代はチームにビッグマンが多かったために、
キャリア最低の平均5.1点に終りましたが、第2期シクサーズ時代以降は20分以上の出場時間を確保できました。若手選手が多いチームでベテランの力を見せています。
フランク・ブリコウスキー
所属チーム |
ソニックス(1984〜86)→レイカーズ(87)→スパーズ(87〜90)→バックス(91〜94)→ホーネッツ(94)
キングス(94〜95 ※故障でシーズン全休)→ソニックス(95〜96)→セルティックス(96〜97) |
所属チーム数 |
7チーム(のべ8チーム) |
生年月日 |
1959年8月14日 |
身長/体重 |
206p/108Kg(6フィート9インチ/240ポンド、ポジションはフォワード/センター) |
出身校 |
ペンシルバニア州立大 |
ドラフト順位 |
3巡目57位(1981年にニックスが指名) |
キャリア平均 |
731試合出場、22.3分、10.0点、4.7リバウンド、1.9アシスト |
ベストシーズン |
1992−93シーズン(66試合出場で64試合スタメン、31.4分、16.9点、6.1リバウンド、3.0アシスト) |
第2期ソニックス時代の1996年のファイナルでのデニス・ロッドマン(当時ブルズ)との心理戦で注目を集めたブリコウスキーですが、NBAデビューを果たす前は
イタリアのカジバ・ヴァレーゼ(1981〜82年)、フランスのランス(82〜83)、イスラエルのマッカビ・テレアビブ(83〜84)といったヨーロッパリーグでプレイしていました。
ブリコウスキーは苦労人であり、国際派ジャーニーマンでありました。ヨーロッパリーグ時代の所属チームを含めるとプロキャリアで10チームに所属したことになります。
87年にスパーズに移籍した後はチームの主力となって、その年は平均16.0点&6.9リバウンドを記録しました。90年にはバックスへ移籍して、当時はパッとしなかった
バックスでも主力メンバーとして活躍を見せて、常に2桁の平均得点を記録して、92−93シーズンにはキャリアハイの平均16.9点を記録しました。ホーネッツを経て、
キングスに所属しましたが、怪我でシーズン全休しました。95年にソニックスに移籍して、ベテランの控えビッグマンとして活躍を見せました。さらに、ファイナルの途中には
先発センターに抜擢されて、前述のロッドマンとの心理戦を演じて、注目を浴びました。96年にセルティックスに移籍して、そこで13年あったNBAのキャリアを終えました。
ヴィンセント・アスキュー
所属チーム |
シクサーズ(1987)→ウォリアーズ(90〜92)→キングス(92)→ソニックス(92〜96)→
ネッツ(96)→ペイサーズ(96〜97)→ブレイザーズ(97〜98) |
所属チーム数 |
7チーム |
生年月日 |
1966年2月28日 |
身長/体重 |
198p/95Kg(6フィート6インチ/210ポンド、ポジションはガード/フォワード) |
出身校 |
メンフィス大 |
ドラフト順位 |
2巡目39位(1987年にシクサーズが指名) |
キャリア平均 |
467試合出場、20.0分、7.1点、2.5リバウンド、2.2アシスト |
ベストシーズン |
1994−95シーズン(71試合出場で1試合スタメン、24.2分、9.9点、2.5リバウンド、2.5アシスト) |
ブリコウスキーと共に96年のファイナルに進出したソニックスの貴重なベンチメンバーだったアスキューもジャーニーマンのひとりです。87−88シーズン終了後、
アメリカのCBAやイタリアリーグで経験を積みました。CBA時代はMVPにも選出されました。90年にNBAキャリアを再開させて、91−92シーズン以降は
チームのローテーションメンバーとして起用されるようになりました。92〜96年までに在籍したソニックスでは控えメンバーとして重宝されたようで、
93−94シーズンには平均9.1点、94−95シーズンには平均9.9点、ファイナルを経験した95−96シーズンは平均8.4点を記録しました。その当時は
出場時間も20分以上ありました。ファイナルを経験した後は、ネッツ(なんと出場1試合のみ)やペイサーズ、ブレイザーズに在籍して引退しました。
マット・バーンズ
所属チーム |
クリッパーズ(2004)→キングス(04〜05)→シクサーズ(05)→ニックス(05)→シクサーズ(05〜06)→
ウォリアーズ(06〜08)→サンズ(08〜09)→マジック(09〜10)→レイカーズ(10〜12)→
クリッパーズ(12〜15)→グリズリーズ(15〜16)→キングス(16〜17)→ウォリアーズ(17) |
所属チーム数 |
9チーム(のべ11チーム) |
生年月日 |
1980年3月9日 |
身長/体重 |
201p/103Kg(6フィート7インチ/226ポンド、ポジションはガード/フォワード) |
出身校 |
UCLA |
ドラフト順位 |
2巡目46位(2002年にグリズリーズが指名) |
キャリア平均 |
929試合出場、23.6分、8.2点、4.6リバウンド、1.8アシスト |
ベストシーズン |
2008−09シーズン(77試合出場で40試合スタメン、27.0分、10.2点、5.5リバウンド、2.8アシスト) |
名門UCLA卒業後、グリズリーズに指名されましたが、すぐにキャバリアースにトレードされましたが、ロスターに入ることはできず、04年にクリッパーズと
契約するまでは、DリーグやABAで過ごしました。クリッパーズで38試合に出場した後、キングスに移籍して、クリス・ウェバーが絡んだトレードでシクサーズに移籍しますが、
そこで1試合もプレイできず、ニックスに移籍しました。ニックスからカットされた後は再びシクサーズに移籍しました。06年オフにはウォリアーズへと移籍しましたが、
これが彼にとって大きな転機となりました。ウォリアーズでは貴重な控えとして活躍して、出場時間がキャリア初の20分以上を記録して、平均得点が9.8点まで上がって、
状況に応じてSGからCのポジションをこなす役目を務めました。次の年もウォリアーズで過ごしましたが、数字を下げてしまいました。08年オフにサンズに移籍しましたが、
シーズンの約半数の試合でスターターを務めて、平均得点をキャリア初の2桁台の10.2点にまでステップアップさせました。09年オフに強豪のマジックと契約を果たしました。
NBA以外のプロリーグを含めるとプロキャリア通算9チーム目となります。10年オフに故郷(カリフォルニア州サンタクララ生まれ)に近いレイカーズと契約を果たしました。
マイク・ジェームズ
所属チーム |
ヒート(2001〜03)→セルティックス(03〜04)→ピストンズ(04)→バックス(04〜05)→
ロケッツ(05)→ラプターズ(05〜06)→ウルブズ(06〜07)→ロケッツ(07〜08)→ホーネッツ(08)→
ウィザーズ(08〜10)→ブルズ(11〜12)→マーベリックス(12〜13)→ブルズ(13) |
所属チーム数 |
11チーム(のべ13チーム) |
生年月日 |
1975年6月23日 |
身長/体重 |
188p/88Kg(6フィート2インチ/195ポンド、ポジションはガード) |
出身校 |
デュケイン大 |
ドラフト順位 |
ドラフト外 |
キャリア平均 |
595試合出場、24.1分、9.9点、2.2リバウンド、3.5アシスト |
ベストシーズン |
2005−06シーズン(79試合出場で79試合スタメン、37.0分、20.3点、3.3リバウンド、5.8アシスト) |
大学卒業後はヨーロッパで3年間プレイした後に、ヒートと契約してNBAキャリアをスタートさせました。ヒートでは主に控えPGでしたが、2003年のオフにセルティックスへ
移籍して、セルティックスでは先発PGに定着して、03−04シーズンオフにトレードでピストンズへ移籍して、控えPGに戻りましたが、その年に優勝を経験することになりました。
ロケッツとバックスに所属した04−05シーズンはキャリア初の2桁の平均得点を記録しました。05−06シーズンにラプターズに所属しましたが、そこで平均20.3点を記録して、
チームの得点源となりました。06年にウルブズへ移籍して、そこでも先発PGを務めましたが、平均得点は約半分の10.1点に落ち込みました。ロケッツの2年ぶりの古巣復帰と
ホーネッツの所属を経て、08年から2年間は控えガードとして若手が多いウィザーズに所属しました。その後は海外リーグ参戦を経て、2012年にNBA復帰を果たしました。
テオ・ラトリフ
所属チーム |
ピストンズ(1995〜97)→シクサーズ(97〜2001)→ホークス(01〜04)→
ブレイザーズ(04〜06)→セルティックス(06〜07)→ウルブズ(07〜08)→ピストンズ(08)→
シクサーズ(08〜09)→スパーズ(09〜10)→ボブキャッツ(10)→レイカーズ(10) |
所属チーム数 |
9チーム(のべ11チーム) |
生年月日 |
1973年4月17日 |
身長/体重 |
208p/107Kg(6フィート10インチ/235ポンド、ポジションはセンター/フォワード) |
出身校 |
ワイオミング大 |
ドラフト順位 |
1巡目18位 |
キャリア平均 |
810試合出場、25.3分、7.2点、5.7リバウンド、2.4ブロック |
ベストシーズン |
2000−2001シーズン(50試合出場で50試合スタメン、36.0分、12.4点、8.3リバウンド、3.7ブロック) |
1995年ドラフト1巡目18位でワイオミング大から指名されて、ラトリフのNBAキャリアが始まりました。ピストンズでは主に控えでしたが、1997−98シーズン途中に
シクサーズへ移籍したことにより、キャリアで初めて先発に定着しました。シクサーズでは先発センターとして、リバウンドやブロックで高い数字を残しました。
6年目の2000−01シーズンにオールスター選出を果たしましたが、怪我で出場を辞退しました。ラトリフにとってキャリアで唯一のオールスター選出となりました。
シクサーズが2001年のオールスターで大活躍したセンターのディケンベ・ムトンボを獲得するためにラトリフはシーズン中にホークスにトレードされてしまい、
次のシーズンは怪我でわずか3試合の出場に止まりました。次のシーズンは81試合の出場を果たして、リバウンドやブロックで主に活躍しました。次のシーズンの途中に
ホークスはラシード・ウォーレス(1試合に出場した後にピストンズにトレード)を獲得するためにラトリフはブレイザーズにトレードされました。スケジュールの都合で
2003−04シーズンのラトリフは85試合出場となりました。ブレイザーズではブロッカーとしてそこそこの活躍をしました。2006年ドラフト当日にセルティックスへ
トレードされましたが、セルティックスでは怪我で2試合の出場に止まりました。07年オフにはケビン・ガーネットが絡んだトレードで、ウルブズに移籍しました。
2007−08シーズン途中にピストンズに移籍して古巣復帰を果たして、08年にシクサーズに移籍して、またも古巣復帰を果たしました。09−10シーズンはスパーズに
所属した後に、当時はシクサーズ時代の恩師のラリー・ブラウンが監督だったボブキャッツに移籍して、10−11シーズンは強豪チームのレイカーズに移籍しました。
このラトリフのキャリアは唯一のオールスター出場を怪我で残した不運があったり、ジェリー・スタックハウス(97−98シーズン途中)やムトンボ、ウォーレス、
ガーネットといった有名選手のトレードに何度か関わったことがあったりしました。ラトリフは名ブロッカーであって、数奇なキャリアを歩んだ人物でもあります。
カート・トーマス
所属チーム |
ヒート(1995〜97)→マーベリックス(97〜98)→ニックス(98〜2005)→サンズ(05〜07)→ソニックス(07〜08)→
スパーズ(08〜09)→バックス(09〜10)→ブルズ(10〜11)→ブレイザーズ(11〜12)→ニックス(12〜13) |
所属チーム数 |
9チーム(のべ10チーム) |
生年月日 |
1972年10月4日 |
身長/体重 |
206p/104Kg(6フィート9インチ/230ポンド、ポジションはフォワード/センター) |
出身校 |
テキサスクリスチャン大 |
ドラフト順位 |
1巡目10位 |
キャリア平均 |
1110試合出場、24.5分、8.1点、6.6リバウンド、0.8ブロック |
ベストシーズン |
2001−02シーズン(82試合出場で82試合スタメン、33.8分、13.9点、9.1リバウンド、1.0ブロック) |
リバウンドやゴール下のディフェンスのような所謂「泥臭い」役割だけでなく、ミドルシュートも得意なビッグマンで、ニックス時代には子供達のために絵本を出版した
心優しい一面を持っている一面もあります。ルーキーシーズンはパット・ライリーがヘッドコーチを務めるヒートで過ごして、シーズン後半からスターターに抜擢されました。
2年目のシーズンの途中にマーベリックスへトレードされますが、この当時は故障に泣かされました。試合に出る機会が大幅に減ったので、アシスタントコーチ陣に加わっていたと
記憶しています。ロックアウト明けの1998−99シーズンからはニックスに移籍して、ここでキャリアの最盛期を迎えます。ニックス移籍初年度は8位シードから勝ち抜いていった
「ミラクルニックス」の一員としてファイナルの舞台を経験して(スパーズに敗退)、ニックスから移籍するまでは合計4シーズンのプレイオフ進出を経験したり、04−05シーズンは
得点とリバウンドでダブルダブルのアベレージを記録しました。05年にインサイドの補強を狙うサンズへ移籍して、その後はソニックスを経て、ウェスタンを代表する強豪チームの
スパーズへと移籍しました。2008年にニックス時代以来となるカンファレンス決勝を経験して、バックスを経て移籍したブルズでもカンファレンス決勝の舞台に立ちましたが、
優勝に手が届かなかったです。ニックスから離れた時代以降の彼は若い選手たちの良いお手本となったり、往年の仕事人ぶりを見せて、どのチームでも結果を残してきました。
バックス時代のプレイオフでは故障欠場したアンドリュー・ボガットに代わって先発したりと力がまったく衰えていないところも見せました。故障に泣かされることが恒例行事の
ブレイザーズでも往年の仕事人ぶりを見せられるか楽しみです。彼はキャリア後半(2005年以後)から若手に手本を示せる「指南役ジャーニーマン」となったとも言えるでしょう。
2012年オフにトーマスは7年ぶりにニックスへ古巣復帰することになり、その年の10月4日に40歳の誕生日を迎えて、トーマスは2012−13シーズンの「現役最年長」となりました。
シェルデン・ウィリアムズ
所属チーム |
ホークス(2006〜08)→キングス(08〜09)→ウルブズ(09)→
セルティックス(09〜10)→ナゲッツ(10〜11)→ニックス(11)→ネッツ(11〜12) |
所属チーム数 |
7チーム |
生年月日 |
1983年10月21日 |
身長/体重 |
206p/113Kg(6フィート9インチ/250ポンド、ポジションはフォワード/センター) |
出身校 |
デューク大 |
ドラフト順位 |
1巡目5位 |
キャリア平均 |
361試合出場、15.5分、4.5点、4.3リバウンド、0.4ブロック(2012年10月14日現在) |
ベストシーズン |
2006−07シーズン(81試合出場で31試合スタメン、18.7分、5.5点、5.4リバウンド、0.5ブロック) |
大学時代はゴール下の強力なディフェンス力から「ランドロード(地主)」というニックネームがついたシェルデン・ウィリアムズは2006年ドラフト1巡目5位の高い指名順位で
ホークスにドラフト指名されて、NBAデビューを果たしました。ルーキーシーズンは31試合でスタメンを務めて、インサイドのバックアップ役として出場時間をある程度は
貰っていましたが、2年目以降は伸び悩んでしまい、ルーキーシーズンを越える数字を残すことはできず、チームをたらい回しにされるような状況が続いていました。
そんな状況が続いて、2010−11シーズンの前半はナゲッツに所属して、故障がちだったケニオン・マーティンに代わって、ナゲッツの選手として出場した42試合のうち、
32試合で先発を務めて、主にリバウンド面である程度の活躍を見せました。2010−11シーズンの後半にはエースのカーメロ・アンソニーを絡めたトレードによって、
ニックスへと移籍しました。そして、2011年オフにネッツと契約して、キャリア通算7チーム目となりました。私生活ではWNBAのスター選手のキャンディス・パーカーと
結婚していて、キャンディスの兄であるアンソニー・パーカーとは義兄弟の関係です。シェルデンは新天地でルーキーシーズンを上回る活躍ができるのか!?
2012年オフにシェルデンはフランスのプロチームのエラン・シャロンに移籍することになりました。これでシェルデンは「国際派ジャーニーマン」となるのか!?
ドリュー・グッデン
所属チーム |
グリズリーズ(2002〜03)→マジック(03〜04)→キャバリアーズ(04〜08)→ブルズ(08〜09)→キングス(09)→
スパーズ(09)→マーベリックス(09〜10)→クリッパーズ(10)→バックス(10〜13)→ウィザーズ(13〜16)
|
所属チーム数 |
10チーム |
生年月日 |
1981年9月24日 |
身長/体重 |
208p/104Kg(6フィート10インチ/230ポンド、ポジションはフォワード) |
出身校 |
カンザス大 |
ドラフト順位 |
1巡目4位 |
キャリア平均 |
790試合出場、25.5分、11.0点、7.1リバウンド、0.6ブロック |
ベストシーズン |
2004−05シーズン(82試合出場で80試合スタメン、30.8分、14.4点、9.2リバウンド、0.9ブロック) |
2002年ドラフト1巡目4位でカンザス大からグリズリーズに指名されて、NBAデビューを果たして、ほぼ半数の試合で先発起用されるような上々の滑り出しでしたが、
ルーキーシーズン途中にマジックへトレードされました。マジックではプレイオフを経験した後、キャバリアーズへ移籍して、そこで4シーズンを過ごしました。
キャバリアーズ時代はレブロン・ジェームズらと共にチームの主力となり、キャリア最高の成績を残したり、ファイナルの舞台を経験しました。また、この当時は90番という
珍しい背番号のジャージーを着ていました。その後はブルズやスパーズなどのチームを転々としましたが、キャバリアーズを離れてからのプレイオフ進出はスパーズ時代の
1度きりでした。どのシーズンも平均2桁得点(半シーズン在籍だったスパーズやマーベリックスでは平均1桁得点)を残している選手であって、ビッグマンにしては
フリースロー成功率が高いですが、インパクトの強い成績をあまり残さなかったためか「いつの間にかジャーニーマン化した実力派選手」という見方ができるかもしれません。
アール・ボイキンス
所属チーム |
ネッツ(1998〜99)→キャバリアーズ(99)→マジック(99)→キャバリアーズ(2000)→
クリッパーズ(01〜02)→ウォリアーズ(02〜03)→ナゲッツ(03〜07)→バックス(07)→
ボブキャッツ(08)→ウィザーズ(09〜10)→バックス(10〜11)→ロケッツ(12) |
所属チーム数 |
10チーム(のべ12チーム) |
生年月日 |
1976年6月2日 |
身長/体重 |
165p/61Kg(5フィート5インチ/135ポンド、ポジションはガード) |
出身校 |
イースタンミシガン大 |
ドラフト順位 |
ドラフト外 |
キャリア平均 |
652試合出場、19.9分、8.9点、1.3リバウンド、3.2アシスト |
ベストシーズン |
2006−07シーズン(66試合出場で23試合スタメン、30.8分、14.6点、2.1リバウンド、4.4アシスト) |
歴代で特に小さい165cmのポイントガードであり、NBAデビュー前はロックアウトの影響で現役NBA選手の派遣ができなかった1998年世界選手権のアメリカ代表に
選出されましたが、NBAにはドラフト指名されず、クリッパーズに移籍する前まではシーズンを通しての契約でなく、1シーズンを通してリーグに定着できなかったです。
また、キャバリアーズ在籍時はボイキンスより身長が低い観客のチケット料金をサービスするイベントを行ったこともあり、バスケの実力よりもNBA選手としては異様に小さい
身長の方が注目された時代がありました。クリッパーズでリーグに定着して、ウォリアーズで控えPGでプチブレイクして、ナゲッツでシックスマンとして本格ブレイクして、
ナゲッツ時代初年度の2003−04シーズンから4年連続で平均2桁得点を残すようになり、チームに欠かせない存在となり、ようやく実力でも認められるようになりました。
ボブキャッツ以後は間にヨーロッパでプレイした時期もありましたが、3シーズン連続で何処かのチームとの契約を果たして、今や必ずベンチに置いておきたいベテランに
進化しました。ボイキンスは自分の体重の倍以上のベンチプレスを持ち上げることができるパワフルな面もあり、ナゲッツ時代の初年度にはキャンプで日本の田臥勇太選手と
ベンチ入りを争ったこともありました。2012年現在で在籍10チーム目になりましたが、それだけボイキンスがいろんなチームに必要とされている証明でもあるようです。
ブラッド・ローハウス
所属チーム |
セルティックス(1987〜89)→キングス(89)→ウルブズ(89〜90)→バックス(90〜94)→
ヒート(94〜95)→スパーズ(95〜96)→ニックス(96)→ラプターズ(96)→スパーズ(97〜98) |
所属チーム数 |
8チーム(のべ9チーム) |
生年月日 |
1964年9月29日 |
身長/体重 |
211p/104Kg(6フィート11インチ/230ポンド、ポジションはフォワード/センター) |
出身校 |
アイオワ大 |
ドラフト順位 |
2巡目45位 |
キャリア平均 |
656試合出場、15.8分、5.9点、2.8リバウンド、0.8ブロック |
ベストシーズン |
1989−90シーズン(80試合出場で41試合スタメン、24.3分、9.2点、5.0リバウンド、1.1ブロック) |
21世紀を代表するスパーズの控えセンターのマット・ボナーや2011年の優勝チームのマーベリックスの控えのフォワードのブライアン・カーディナルを見て、
私はある引退選手の存在を思い出しました。その選手の名前はブラッド・ローハウスでした。彼はジャーニーマンでもあり、私がNBAファンになってから間もない頃に引退した
選手でもありました。ローハウスはラリー・バード+ケビン・マクヘイル+ロバート・パリッシュのBIG3が在籍した当時で強豪だったセルティックスでNBAのデビューを飾って、
2年目のシーズン途中にダニー・エインジ(現セルティックスGM)と一緒にキングスへトレードされました。さらに球団創設初年度のウルブズにエクスパッションドラフトで
移籍することになって、シーズン途中にバックスへ移籍しました。バックスに在籍したそのシーズンの後半には52試合で平均10.0点を記録して、キャリアハイの数字でした。
また、スリーポイント成功数が増えていき、スリーポイントも決められるビッグマンとしても活躍するようになりました。1995−96シーズンまではシーズンで46本以上の
スリーポイント成功数となりました。今でいうところのマット・ボナーのような体が大きなスポットシューターといったところでしょうか。94年まで所属したバックス時代は
彼にとって特に目立ったような時代であり、90年代前半に出た2オン2方式のNBAゲームソフトの「NBAジャム」シリーズでバックスの代表としても登場したことがあります。
94年にキャリアで最も長く在籍したバックスを離れて、ヒートに移籍して、そこでは122本中51本のスリーポイントを決めました。晩年はラプターズを除くと、当時の強豪の
控えとして渡り歩いて、97−98シーズンに2度目のスパーズ在籍となり、その年のプレイオフ出場を最後に現役から退きました。こういった風な選手も私にとってはツボです。
ジェイムス・エドワーズ
所属チーム |
レイカーズ(1977)→ペイサーズ(77〜81)→キャバリアーズ(81〜82)→サンズ(82〜88)→ピストンズ(88〜91)→
クリッパーズ(91〜92)→レイカーズ(92〜94)→ブレイザーズ(94〜95)→ブルズ(95〜96) |
所属チーム数 |
8チーム(のべ9チーム) |
生年月日 |
1955年11月22日 |
身長/体重 |
213p/102Kg(7フィート0インチ/225ポンド、ポジションはフォワード/センター) |
出身校 |
ワシントン大 |
ドラフト順位 |
3巡目46位 |
キャリア平均 |
1168試合出場、24.3分、12.7点、5.1リバウンド、0.7ブロック |
ベストシーズン |
1981−82シーズン(77試合出場で75試合スタメン、33.0分、16.7点、7.5リバウンド、1.5ブロック) |
「バッドボーイズ」と恐れられていた時代のピストンズの主力のひとりであり、40歳となったキャリア最後の年のブルズでも優勝を経験したジェームズ・エドワーズも
「ジャーニーマン」と呼べるようなキャリアを刻んだ選手のひとりでもあります。「ブッダ」のニックネームのエドワーズはルーキーシーズンの途中にペイサーズへ
トレードされますが、ルーキーシーズンはレイカーズでもペイサーズでも同じぐらいだった平均15.2点&7.4リバウンドの数字を残しており、ドラフトでの低い指名順位を
覆すような数字だなと思います。低迷時代だったペイサーズで4シーズンちょっと過ごした後はキャバリアーズを経て、サンズにも在籍しており、これらのチームでも
多くの試合に先発出場していました。1988年にピストンズへ移籍して、「バッドボーイズ」の仲間入りを果たして、89・90年には2年連続で優勝を経験しました。
最初の優勝時はシックスマン的な役割でしたが、2度目の優勝時は先発PFのポジションでビル・レインビアとのツインタワーを形成していたのかなと思われます。
あるNBA関連の本でレイカーズと対戦したファイナルでエドワーズは当時のレイカーズの主力だったカリーム・アブドゥル=ジャバーとインサイドで力強く戦った
表現が書かれていた記憶があり、当時は若手だったデニス・ロッドマンが感化されたとの表現もありました。ピストンズ以後は彼の所属チームの移り変わりが
一層激しいものとなり、ラリー・ブラウン政権のクリッパーズに所属したり、レイカーズで15年ぶりの古巣復帰を果たしたり、ブレイザーズ時代は当時の先発Cだった
クリス・ダドリーの控えとしてジャパンゲームスで来日したり、キャリア最終戦は先述の通りブルズで優勝を経験して、ロッドマンと再びチームメイトになりました。
ティロン・ルー
所属チーム |
レイカーズ(1998〜2001)→ウィザーズ(01〜03)→マジック(03〜04)→ロケッツ(04〜05)→
ホークス(05〜08)→マーベリックス(07〜08)→バックス(08〜09)→マジック(09) |
所属チーム数 |
7チーム(のべ8チーム) |
生年月日 |
1977年5月3日 |
身長/体重 |
183p/79Kg(6フィート0インチ/175ポンド、ポジションはガード) |
出身校 |
ネブラスカ大 |
ドラフト順位 |
1巡目23位 |
キャリア平均 |
554試合出場、22.7分、8.5点、1.7リバウンド、3.1アシスト |
ベストシーズン |
2004−05シーズン(70試合出場で49試合スタメン、28.7分、11.2点、2.1リバウンド、4.6アシスト) |
2016年1月22日に起こったキャバリアーズの電撃的なデビッド・ブラッドのコーチ解任劇により、後釜のキャバリアーズのHCとなったティロン・ルーの現役生活は
11年間で7つのチームを渡り歩くジャーニーマン人生でもありました。童顔のPGだったルーはレイカーズでNBAキャリアをスタートさせて、ロン・ハーパーやデレック・フィッシャーの
控えとして出場した2001年のファイナルでは対戦相手のシクサーズのエースだったアレン・アイバーソンに対する激しいマークで一躍、全世界の注目を浴びる存在となりました。
01年オフにさらなる活躍が期待されて、ウィザーズへ移籍して、2度目の現役復帰を果たしたマイケル・ジョーダンともチームメイトになります。3度目の所属となったマジックでは
シーズンを通してのスタメンに抜擢されて、キャリア初の平均2桁得点を記録して、4年連続で平均2桁得点を記録する充実した時期を過ごしました。ホークスから移籍した後の彼は
2シーズン半で3つのチームに所属することになり、キャリアの最後はマジックで古巣復帰しました。引退後はアシスタントコーチ業を経験して、キャバリアーズの新HCとなりました。
ルー・アマンドソン
所属チーム |
ジャズ(2006)→シクサーズ(07〜08)→サンズ(08〜10)→ウォリアーズ(10〜11)→
ペイサーズ(11〜12)→ウルブズ(12〜13)→ブルズ(13)→ペリカンズ(13)→
ブルズ(14)→キャバリアーズ(14〜15)→ニックス(15〜16) |
所属チーム数 |
10チーム(のべ11チーム) |
生年月日 |
1982年12月7日 |
身長/体重 |
206p/99Kg(6フィート9インチ/220ポンド、ポジションはフォワード) |
出身校 |
UNLV |
ドラフト順位 |
ドラフト外 |
キャリア平均 |
428試合出場、12.9分、3.7点、3.6リバウンド、0.7ブロック |
ベストシーズン |
2014−15シーズン(53試合出場で35試合スタメン、17.7分、4.9点、5.1リバウンド、1.0ブロック) |
2017−18シーズンにBリーグの川崎ブレイブサンダースと契約したことで話題となったルー・アマンドソンは10年のNBAキャリアを持ち、そのキャリアの中で
10チームのユニフォームを着たジャーニーマンでもありました。ドラフト外でNBAデビューを果たして、2008〜10年まではキャリアで最も長く在籍したサンズでインサイドの
控えとして、貢献しました。そこではカンファレンス決勝を経験しました。再びジャーニーマン生活がスタートして、14−15シーズンはキャリアで最も個人成績が優れた
シーズンであり、後半に所属したニックスでは41試合中35試合でスタメン起用されて、その時に限れば、平均6.0点・6.0リバウンド・1.3ブロックの数字を記録しました。
ニックスの苦しい台所事情を支えていました。私は川崎と栃木ブレックスが対戦した試合(ブレックスのホームゲーム)で出場するアマンドソンの姿を見たことがあります。
ショーン・リビングストン
所属チーム |
クリッパーズ(2004〜08)→ヒート(08〜09)→サンダー(09〜10)→
ウィザーズ(10)→ボブキャッツ(10〜11)→バックス(11〜12)→ウィザーズ(12)→
キャバリアーズ(12〜13)→ネッツ(13〜14)→ウォリアーズ(14〜19) |
所属チーム数 |
9チーム(のべ10チーム) |
生年月日 |
1985年9月11日 |
身長/体重 |
201p/87Kg(6フィート7インチ/192ポンド、ポジションはガード/フォワード) |
出身校 |
ペオリア高校 |
ドラフト順位 |
1巡目4位 |
キャリア平均 |
833試合出場、20.6分、6.3点、3.0アシスト、2.4リバウンド |
ベストシーズン |
2006−07シーズン(54試合出場で31試合スタメン、29.8分、9.3点、5.1アシスト、3.4リバウンド) |
デビュー当初はマジックで一世を風靡した「ペニー」ことアンファニー・ハーダウェイに例えられたことがあるリビングストンは最初に所属したクリッパーズでは
シックスマンとして存在感を見せましたが、2007−08シーズンは怪我でシーズン全休となりました。08年以降は怪我に泣かされます。様々なチームを渡り歩き、
時にはシーズン途中に解雇されてしまうこともありました。かつての若手のホープは終わってしまうのかと心配されましたが、13−14シーズンに所属したネッツで
76試合に出場して、54試合でスタメンを務めたこともあり、復活を兆しを見せました。14年にウォリアーズへと移籍して、PGからSFまでこなせる貴重な控えとして
チームに貢献しました。ウォリアーズには5年ほど所属しましたが、そのうちの3度は優勝に貢献しました。怪我に泣いた日々を乗り越えて、チャンピオンチームの
欠かせない戦力として生まれ変わりました。18−19シーズン限りの引退が噂されましたが、まだ現役を続けたい意志があります。果たして、どうなるのか!?
ジェレミー・リン
所属チーム |
ウォリアーズ(2010〜11)→ニックス(11〜12)→ロケッツ(12〜14)→レイカーズ(14〜15)→
ホーネッツ(15〜16)→ネッツ(16〜18)→ホークス(18〜19)→ラプターズ(19) |
所属チーム数 |
8チーム |
生年月日 |
1988年8月23日 |
身長/体重 |
190p/90Kg(6フィート3インチ/200ポンド、ポジションはガード) |
出身校 |
ハーバード大 |
ドラフト順位 |
ドラフト外 |
キャリア平均 |
480試合出場、25.5分、11.6点、4.3アシスト、2.8リバウンド |
ベストシーズン |
2011−12シーズン(35試合出場で25試合スタメン、26.9分、14.5点、6.2アシスト、3.1リバウンド) |
台湾系アメリカ人のリンは2010−11シーズンにドラフト外でウォリアーズと契約しましたが、Gリーグが主戦場であり、シーズン終了後には解雇されました。
その後にロケッツ(後に2シーズンほどプレイ)と契約するも、1試合もプレイすることなく解雇されて、ニックスと契約して、Gリーグでのプレイを経験した後に
ロースターに入り、6試合連続で20点以上を記録する活躍を見せて、「リンサニティ」というニックネームがつけられて、一躍、リンの注目度がアップしました。
ニックス時代以降は7シーズン連続で平均2桁得点を記録したり、毎シーズンのように所属チームが変わるジャーニーマン生活を続けていました。17−18シーズンは
ネッツでプレイしましたが、開幕戦に大怪我をして、シーズン全休となりました。18−19シーズンはホークスでプレイして、シーズン中の解雇もあり、ラプターズと
シーズン中に契約することができて、キャリア初の優勝を経験しました。オフは欧州リーグ移籍の噂がありましたが、まだNBAでのプレイすることを狙う模様です。
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