26 五大州
Gymnocalycium hossei Backbg
写真の球の栽培者 船橋市 日色孝次 氏 径約11cm 輸入原産地球


日本で五大州と言っているものがはたしてG. hossei であるかどうかということが先ず問題であるが、G. hossei として記載されたものが、あまりにも千変万化で、Berg 1)、Berger 2)は肌色暗緑褐色で波光竜に似るとしているし、津田 3)及びBackeberg 4)は天平丸に似るとしている。このことは伊藤も指摘している。Backeberg 6)のその後の記載では Borg 1)と殆ど同じである。
日本で五大州と称しているものは、棘がトンボ状に出るということが特徴である。通常単幹であるが、よく仔吹きする。扁円から球形、頂点は少し凹んでいる。艶のない鮮緑色の肌色。稜は13〜15で低く、少しとがったオノ状のコブが突出する。アレオレには灰白色の綿毛があり、棘は針状又は少し偏平状で、通状5本、時に7〜9本出る。長さ1.5〜2cm、横に広がり、下向きの1本が少し肌から浮いてカーブしている。その形が丁度トンボが止まっている様に見える。棘色は褐色から灰褐色となる。
花は少しくすんだピンクでロート状、径6cm位、花筒は短い。
産地はアルゼンチン Cordoba州及びLa Rioja州。
Backeberg 6)の記載した写真は日本でいう五大州とは全く異なっており、棘は短く、中棘があってトンボ状をしていないし、稜もいちじるしく突出しているものである。又最近Uhrigから送られてきた写真を見ると、天平丸に似た体形に3本の棘が丁字型に出たもので、稜は丸々として低く扁円形のものであった。
嘗てシャボテンの研究 7)にEchinocactus hossei Haage jr.(五大州)として写真が出ているが、これは5本棘で稜の形は天平丸に似ている。同じ頁に Echus. stuckertii Speg.(和名未定)(今では万珠玉の和名が対照されている)の写真が出ているが、これが今日の五大州と言われているものと非常に良く似ている。(棘は7本であるがトンボ状を呈している。但し花筒は少し長い)従って津田 3)が天平丸に似ると解説しているのも、この時代には上記したEchus. hosseiのタイプが五大州であったことを物語っている。それが今日の五大州にいつ頃から変わったのかは不詳であるが、少なくとも学名との対照とは別に五大州の一つのタイプのイメージが出来たことは明かである。
外国文献の上でも記載が異なるということは典型的なタイプがつかめていないのではないかと思われ、文字で表現することのむつかしさがある。
棘が5本トンボ状に出ることを五大州(G. hosseiと一致するかどうかは別として)の標準タイプとする時、タイプに巾が見られる。棘のやや上向きにそり返るもの、棘が9本でより長いもの(京大古曾部園芸場にG. hossei 五大州というラベルがつけられているもの)等がある。後者は長棘五大州と言われているものではないかと思われる。
藪原 8)が発表した写真は昭和36年輸入された原産地球である。この年には大量の五大州が入荷したが、大部分はトンボ状の棘を持ったものであったが、中には横に出た棘が上方に向かって放射したものもあった。

参考文献
1)Borg;Cacti,P303,(1951)
2)Berger;Kakteen,p227,(1929)
3)津田宗直;シャボテン,p11・12,(1935)
4)Backeberg;Kaktus ABC,p297,(1935)
5)伊藤芳夫;サボテン図説,p185・186,(1957)
6)Backeberg;Die Cactaceae,V,1734,(1959)
7)シャボテンの研究,p5,(87)(昭和8年5月1日)
8)藪原忠徳;サボテン,No.60(1964年5月号)日本サボテン協会


京都大学古曾部園芸場の五大州 径約10cm


追加資料

五大州(京大古曽部園芸場の五大州のカキ仔)
Gymnocalycium hossei Backbg
写真の球の栽培者 宝塚市 村主 康瑞 氏 径約  cm
写真提供 西宮市 團上 和孝 氏

本文にある、京都大学古曽部園芸場に残されていた五大州の直接のカキ仔です。
古曽部園芸場の標本球は栽培技術の問題からか今ひとつ美しくありませんが、この写真の球は優れた栽培技術によってその本来の姿を取り戻し、側刺が横方向に広がった優美な姿を良く再現しています。