12A 紅蛇丸A型
Gymnocalycium mostii (Gurke) Br.& R.
Type A
写真の球の栽培者 伊丹市 水巻 巧 氏
扁円又は球形で、体肌は濃灰緑色、高さ15cm、直径17〜18cmの大きさになる。
稜の数は小さいうちは8稜であるが、大球になると14〜15稜となる。
稜はアゴの様な突起となってとび出し、その上にアレオレがある。
小苗のうちはこの突起は低い。
刺は通常中刺1本、緑刺7本であるが、時にそれ以上出ることがある。
普通左右へ3本ずつと下へ1本出る。
中刺は上向きにそり返って出る。
長さは球によって色々で、6mm位しか伸びないものもあれば、3cmに達するものもある。
紫褐色又は黒褐色で白粉を被っている。
刺の断面は丸ではなく幾分角ばっている。
花は大輪で7〜8cm、弁の数34〜5枚、淡いピンクを帯びた白色で紅底であるが、球によってピンクの濃い花を咲かせるのがある。
雌蕊の柱頭は白色で8〜10裂、花糸は白色、花粉は白黄色である1)。
このタイプに属するものが日本では最も普及しているが、外国文献に見られるのは殆んどB型のようである。
この写真の球は故津田宗直氏が昭和12年にシャボテン2)誌に写真を出された"豪刺紅蛇丸の標本型"のかき仔で刺の強大なタイプの最右翼であろう。
この他刺の細いタイプもある。
産地はアルゼンチン、Cordoba州。マザンの近くに産する勲装玉から五大州、紅蛇丸へと一連につながっていると推測される3)。
紅蛇丸(コウダマル)という和名の命名者はタニグチエイキ氏4)。
伊藤5)もおそらくこのタイプについて記載したと思われるが、ペン画であるため比較できない。
只花についての記載に相違がある。
伊丹6)もサボテン12ヶ月にこの球の写真をのせている。(山名)
参考文献 1)津田宗直;シャボテン、23、117(仙人掌栽培法23)(1936)
2) 〃 ;ibid、34、3、口絵写真(1937)
3)山名利三郎;サボテン日本23、18(1961)
4)光兆園々報;昭和7年6月1日号、P89
5)伊藤芳夫;サボテン図説、p179(1959)
6)伊丹勝吉;サボテン12ヶ月、p69、ギムノの上手な作り方(1962)
"豪刺紅蛇丸の標本型"の写真
<仙太郎;註>
上の文中にある、"豪刺紅蛇丸の標本型"のオリジナルの写真を載せておきます。
昭和12年発行のシャボテン誌の口絵写真です。
「豪刺」と言うよりは「優美」と言うか、大変形の整った優雅な顔つきと言った風情があります。
この紅蛇丸は仔を吹くことがあったためにカキ仔が少量残っており、「優型ギムノを守る会」の山名氏自身もこのカキ仔を保有しておられました。
おっちさんより、
当時、山名氏が栽培しておられた豪刺紅蛇丸のカキ子の写真を提供して戴きました。
カラー写真なので参考になると思います。
12A 紅蛇丸A型
Gymnocalycium mostii (Gurke) Br.& R.
Type A
写真の球の栽培者 我孫子市 山名 利三郎 氏
津田豪刺紅蛇丸の実生球?
津田宗直氏遺品の豪刺紅蛇丸は、紅蛇丸としては例外的に優雅な姿を持っており、そのためにカキ仔でないとなかなかその良さが出ませんが、かつてこの豪刺紅蛇丸を片親として実生の紅蛇丸が作られ、これらが今、津田紅蛇丸としてかなりの数が出回っています。
その多くはオリジナルの姿を再現していませんが、中にはオリジナルの姿にかなり近いものが出るようです。
この紅蛇丸もその一つではないかと思われ、これまで見てきた実生球とされる津田紅蛇丸としては、中刺側刺の伸び方開き方、小判型の大きな刺座の綿など、オリジナルの姿に極めて似ています。
実生とは聞いていますが、柿碕氏の高い強刺栽培技術によってオリジナルより壕刺になっているだけで、もしかするとオリジナルのカキ仔そのものではないかとさえ思えます。
これでもし、いびつにつぶれた花が咲くことが確認出来れば、オリジナル確定でしょうか。
津田豪刺紅蛇丸実生球?
Gymnocalycium mostii (Gurke) Br.& R.
Type A
写真の球の栽培者 更埴市 柿碕 碩
氏 径17cm
津田豪刺紅蛇丸のカキ仔
こちらは津田宗直氏のオリジナルの豪刺紅蛇丸のカキ仔の写真です。
所有しておられた方のお住まいのご都合で充分な世話が出来なかったようで、現在はご覧のように状態があまり良くありませんが、球の下半分を見ると、かつては豪刺紅蛇丸特有の優雅な刺を伸ばしていたことが分かります。
現在は村主氏のもとでリハビリに励んでおり、しばらくすると又あの優雅な姿を取り戻すのではないかと期待されます。
この球には根元の土の中にカキ仔が1個付いておりました。
津田豪刺紅蛇丸カキ仔
Gymnocalycium mostii (Gurke) Br.& R.
Type A
写真の球の栽培者 東京都 おっち氏より、現在は 宝塚市 村主
康瑞 氏 径9cm