光琳玉
Gymnocalyium cardenasianum Ritt.n.nud.
栽培者 伊丹市 伊丹 勝吉 氏 径7cm、高6cm 輸入種子実生


球形に育つ。直径10pになる。(稀には15cmになるという。) 稜は小苗のうちは5〜6稜、成球になると8稜で低く、殆どこぶを有しない。肌は白粉を帯びた明るい緑色。強光線下ではわずかに紫色を帯びる。
刺は栗毛色又は黄褐色、時には黒色を帯びた黄色のものもあり、個体差が大きい。
新刺の色は根本が透明な黄色で次第に濃くなる。切り口は丸い。下に回るにつれて退色し、白色がかった灰褐色となる。切り口も楕円形又は扁平となる。中刺はなく、縁刺は5本、1本は下向き、後の4本は横にそり返る。個体によっては肌に巻き付くように伸びるものや殆ど直刺のもの、肌に添わないで立っているもの等がある。
天平丸のように全部下向きにはならない。アレオーレの綿毛は少ない。花は白に近いベージュ色で中筋があり、花底は濃いローズ色で先に行く程うすくぼけている。ウィンターのカタログではローズ色と記されているが、明らかにローズ色ではなく、萼の色がにじみ出ているようなほとんど白に近いものである。天平丸の花とよく似ているけれども、花筒が至って短く、天平丸の1/3位である。球体の色が白色の粉を帯びているように、この花首も白色の粉を吹き、深い緑にやや紅色がさしている。萼の先端はエンジ色。蕾の出始めは非常に小さく、赤い。雄蕊はオレンジ・イエロー、雌蕊は乳白色で柱頭は雄蕊より上へ出る。
写真の球は直径7cm、竜神木に接ぎ木してある。実生後3年半。おそらく日本で初めての開花であろう。
光琳玉は戦後輸入されたギムノの内で最もすぐれた品種である。強刺系のものとしては天平丸に優とも劣らない。但し日本に入ったのはドイツで採取した種子であり、未だ原産地球に接することが出来ないのは残念である。
現在までに数多くの実生苗を見て感じることは、非常に個体差が大きいことである。この写真の球は刺の出方、太さ等、優れたタイプである。Backeberg ;Die cactaceae V ,1748,(1959)記載の写真(第1676図)は決して良系とは言えない。
一時、光琳玉は天平丸と同一種ではないかと言われたことがあったが、その形態、花、及びその自生地の理知的へだたり(光琳玉はボリビア、天平丸はアルゼンチン)からみて、明らかに別種であると言えよう。(山名)


 光琳玉        庵田 知宏

光琳玉は戦後派ギムノの中で、と言うより、ギムノ全種の中でも最高の美貌にめぐまれた品種であると言えよう。
しいて戦後派と言う言葉を使えば、戦前派の天平丸と、その形態においても人気においても双璧をなすものである。一時、この光琳玉が、かつての天平丸の一タイプではないかと言われたことがあったが、山名氏のノオトが示すように、両者はその性情を明らかに異にする。
現在我が国で栽培されている光琳玉は、ここ数年前からドイツのウィンター商会からの輸入種子によるもので、品種についての深い研究がなされていると言うより、まだ今が珍しいさかりであると言ったところだ。
現に、光琳玉の開花と言う事もわが国では初めてのことであろう。
また、一応名の通っているバッケベルグ氏に於いても、光琳玉については7行の記載を持つのみであり、しかもその主要部はウィンター商会のカタログからの転載であり、同時に記載にあったって用いている標本もきわめて貧しい。バッケベルグ氏のみならず、当のウィンター商会のカタログに見られる種の説明も、平面的で写真も面白みがない。ところで、どう言う訳であろう、ウィンター商会のカタログに見られる写真の球は水苔に植えられてある。写真はモノクロームであるから色はわからないが、その暗さから判断して水苔は若くて緑色のものか、あるいは枯れたものなら濡れている状態のものである。水苔で栽培しているものとすれば我が国の光琳玉への手法からして妙な事であり、撮影のための演出であるとすればあまりに手の込んだ小細工だ。意味のない膜間狂言であろうか。
さて、この涼しい空間構成を持つ光琳玉も、成長という点ではおおむねスピイディな方ではない。
私の手法の欠陥からか、どうも成長が緩慢である。だから、多くは接ぎ木の方法を取っている。
光琳玉の成長を見ていると、私は何時も「オブローモフ」と言う小説を想い出す。ロシアのゴンチャロフの作品で、主人公オブローモフはアンニュイの化身のような男である。正直なところ主人公があまりにものろのろしているので、私は10頁ばかりを読んだところで投げ出してしまって、小説の最後については知るところがない。ところで、小説を投げ出すことが出来ても光琳玉を投げ出すわけにはゆかない。そこで、接ぎ木するというサイエンスのSと、成長促進と言うスピードのSとが、全く同一のSであると信じているばかりである。


光琳玉の栽培      伊丹 勝吉 (談)

冬期全く灌水せず、台木も萎れるだけ萎れさせると開花をうながす様である。栽培に当たっては3cm位になると刺色の濃淡に差が出てくるから、その時にくり毛色の濃い、太刺系の良いタイプを選ぶことが大切である。
接ぎ木は竜神木か袖ヶ浦が良いが、正木で育てるのが最も良いであろう。


追加資料

光琳玉
Gymnocalyium cardenasianum Ritt.n.nud.
写真の球の栽培者 宝塚市 村主 康瑞 氏 径14.5cm
写真提供 西宮市 團上 和孝 氏


上記、昭和36年発行の第1集に掲載された光琳玉(カラー写真)の直系にあたる球です。
刺の色合いやうねり方などにその形質を非常に良く残しており、故 伊丹勝吉氏の想いを伝える銘球として大切に維持管理が続けられています。


 

光琳玉
Gymnocalyium cardenasianum Ritt.n.nud.
写真の球の栽培者 西宮市 團上 和孝 氏 径9cm(接木)


刺のうねる豪壮なタイプの光琳玉の一例として掲載しました。
村主 康瑞 氏 の作出によるもので、中刺が太く、比較的長く伸びるこの球は上記伊丹勝吉氏の光琳玉に決して引けを取らないすばらしいバランスを持った球と言えます。


 

光琳玉の原産地球
Gymnocalyium cardenasianum Ritt.n.nud.


ウィンター商会による原産地球全株採取による絶滅化との衝撃的情報からほぼ20年。ついに他の群落が発見され、ワシントン条約1類ではないことから、少量の標本球も採取されるようになりました。
この球は数年前にワシントン条約付属書2類の許可証付きで輸入されて来た原産地ですが、村主氏のレポートにもあるようにとてつもない地域に自生しているようで、採取にはさぞかし苦労があったことでしょう。
ご覧のようになかなか優系の姿をしていますが、今回の輸入株を見ると、伊丹氏の写真にあるような褐色系の肌や刺を持つものが全くありません。群落が違うためと思われますが、これらの原産地球から今後どのような形質の実生が現れるかが大変注目されます。
これが30年前に輸入されていたならば、伊丹氏、山名氏始め、驚喜したギムノ狂はさぞかし多かったことでしょう。