モンビー玉/津田型(ギムノカリキウム属)

我が家にもう30年以上いるモンビー玉です。
芦屋の白仙園の出身で、古来型、または津田型と呼ばれるタイプで、ご覧のように老球になると刺座の下のイボが突出してきます。
径13センチ、高さ18センチほどになって根からの養分が成長点まで届きにくくなり、かなり刺落ちするようになりました。

なぜモンビー玉という名前が付いたかというと、Gym.movillei と言う学名が当初宛てられたからなのですが、G.monvillei は多花玉とか金碧などの仲間ですから明らかに間違いで、これが当時のサボテン名人、津田宗直氏によってなされたものですから、その為に今ではちょっとややこしいことになってしまっています。
雲竜という立派な和名がありますから 、仙太郎は Gym.denudatum sp. 雲竜 と言った名称の付け方でも良いのではないかと思っています。

cf.
この度、この球の生まれ故郷の芦屋のすぐ近く、ギムノ命さんの温室にお引っ越ししました。
下半分の古い老化部分も同切りでカットされ、再び元気を取り戻したそうです。
狭い我が家のフレームから再び広い温室に戻れて、当人も喜んでいることでしょう。

小蔦(こつた)モンビー玉(ギムノカリキウム属)

優型ギムノを守る会の品種解説を見て下さい。
モンビー玉の解説は、光琳玉、天平丸に続いて3番目に登場しています。
そうです。モンビー玉は昔はそれほどまでに人気があった品種なんです。
それが今ではどうでしょう。ギムノが好きでもその名を知らない方も居られるのではないでしょうか。そのつやつや肌に小さな刺の姿が今の時代に合わないのでしょうか。

モンビー玉には幾つかのタイプがあるのですが、中でも特に人気があったのが、東京ご在住だった小蔦明(こつたあきら)さんが育てられたこの小蔦モンビー玉です。モンビー玉の中では特にふっくらとして肌が美しく、刺も3本がT字型にすらりと伸びます。
あまりのその人工的な姿に、昔から交配種ではないかとずっと言われて来ました。
仙太郎は津田型のモンビー玉はれっきとした原産地出身ではないかと思っているのですが、この小蔦モンビー玉については交配種までとは言わずとも、かなり繰り返された園芸改良種であろうと思っています。
写真のモンビー玉は信州の刺名人、故唐木さんのコレクションから出たカキ仔のようですが、ギムノ愛好会のNさんから譲られたものです。
小蔦モンビー玉は小苗のうちにかなりの数の仔を吹きますが、大株になると殆ど吹かなくなります。

cf.長年の疑惑であったモンビー玉交配種説に対し、2004年末についに結論が出ました。
原産地調査を行っていた村主氏が原産地パラグアイでモンビー玉を見つけたからです。
これではれて交配種の汚名を拭うことが出来ました。
ただ、そうなると学名をどうするのという問題は解決されていないわけですね。

永岡モンビー玉(ギムノカリキウム属)

こちらは信州の堀川カクタスで見つけて来たモンビー玉です。
私はこれも当初は小蔦モンビー玉だと思っていたのですが、そうではなくて永岡モンビー玉と言われる球のようです。
あまりにその姿が小蔦モンビー玉に似ているので紛らわしいのですが、素性のはっきりした小蔦モンビー玉と実際に並べて見ることが出来るようになり、更に同時に花が咲いてくれたのでその違いが分かるようになりました。
下の写真がその時のものですが、同じ環境で育てると肌の色合いが少し違います。
小蔦モンビー玉は球の谷の部分の色が少し薄くなると言う特徴を持ちますが、永岡モンビー玉にはそれがなく、むしろ疣の先が強めの日光に当たると薄くなる傾向があるようです。
花も永岡モンビー玉は丸弁であるのに対し、小蔦モンビー玉は剣弁であることが分かります。
そしてこの花を見ると重要なことが分かります。
モンビー玉は昔から種が取りにくいと言われてきました。この両者の花を見ると、どうやら稚竜玉と同様に雌雄異花の傾向があるようで、永岡モンビー玉はおしべが退化している雌花、小蔦モンビー玉はめしべが退化した雄花のように見えます。
両者ともカキ仔で増やされてきましたから、ずっとこの花しかなかったわけで、タイプの異なる異花の花が相手でなければ結実しなかったのではないでしょうか。
いずれにしても、どちらも大変に鑑賞価値の高いモンビー玉であることは間違いありません。


左:永岡モンビー玉  右:小蔦モンビー玉


<ひとくち栽培メモ>
根が丈夫なサボテンですから、栽培に特別の配慮は必要ありません。
つやつやの肌が命のサボテンですから、強い太陽光線を避けて遮光は多めとし、アカダニの被害に遭いやすいですから、肌の状態をこまめに確かめて、虫が付いたら直ぐに退治するように心がけます。