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マレーシアの政治経済(2007年以降)

マレーシアの政治経済(2006年以前)



65.マレーシアで10月から最低賃金制、900リンギ/月(2012-5-1)


64.クアラルンプールで政治改革を求める30万人のデモ(2012-4-28


63.マレーシアは街頭デモを事実上禁止する法案を可決(2011-11-30)

62.モンゴル人モデルの殺人容疑で著名政治評論家逮捕(06年11月10日)

61. ジョーホール開発5カ年計画470億リンギ投入(06年11月7日)

60.マレーシアがASEANで報道の自由では一番(06年10月26日)

59. EUーマレーシアでFTAなど包括協定の交渉近く開始(06年10月10日)

58. 福祉・教育重視の新予算で法人税も軽減(06年9月8日)

57. バダウィ首相、ASEANの不干渉政策の修正を提案(08年8月9日)

56. マレーシア・エアライン株をめぐるマハティールの旧悪露見(06年7月7日)Renew(7月20日)

54.マハティールがバダウィ首相攻撃を強める(06年4月18日)

53.第9次マレーシア計画(5カ年計画)発表(06年3月31日)

32-18.吉利自動車が06年7月からマレーシアで組立て生産開始(06年3月30日)

52. ガソリン・ディーゼル油の大幅値上げ(06年3月1日)

51.内閣改造でバダウィ首相の政治姿勢が問われる(06年2月17日)

50.女性被疑者に対する人権侵害的取調べが大問題に(05年12月20日)

49. サラワクの国営シリコン工場の赤字が問題に(05年10月31日)

48. パーム油をディーゼル油に混入計画(05年10月18日)

46. UMNOにNEP(新経済政策)の復活要求強まる(05年7月25日)

45. 通貨の対米ドルとの固定を7年ぶりに解消(05年7月22日)

39-2.UMNO副総裁のイサが買収工作で6年の資格停止処分(05年6月27日)

44. イスラム諸国との経済的連携を強めるマレーシア(05年6月18日)

38-2. アヌワール、野党PASのリーダーに(05年6月14日)

42-2.日本とのFTAの合意成立?(05年5月23日)

42-1.日本とのFTAに合意ならず(05年5月20日)

41. 7人の学生運動活動家を4年ぶりに釈放(05年4月23日)

36-5. マレーシアの国別輸出(05年3月13日)

 

1.マハティール首相の辞任騒動(2002年6月23日)

6月22日にUMNO(統一マレー国民組織)の大会の最後の演説で突如マハティール首相が涙ながらに辞任を表明した。側近のラフィダ女史(歩く宝石箱 と陰口をたたかれている通産相)らが泣きながら慰留するなど、一連の愁嘆場のあと、一時間後に辞任表明を撤回したとことが、アブドゥラ・バダウィ副首相から発表された。

23日付けの日経や毎日によると「党内引き締め」を狙った発言という観測がなされていると書かれているが、それはその通りであろう。

マハティールは辞任したくてもできない事情がありすぎるのである。辞任すれば彼の子息の蓄財問題がまずあばかれることは必至である。

それ以外に「ブミプトラ政策」の名の下に多くのUMNO幹部に与えられてきた特権(スハルト大統領のクローニーと同じ性質)が白日の下にさらされ るようなことにでもなれば、少なからぬブミプトラ企業が破綻をするであろう。それはマレーシア経済全体の大混乱に直結する。

側近達が泣いてマハティールの辞任撤回を求めたというのはごもっともなことである。後継者はアブドゥラ副首相であるが、彼はマハティールのイエス・マンであり、その後の困難に対処できるとは思えない。

マレーシアは2001年にはGDPの成長率が0.4%(2000年8.3%)、工業生産は−4%という不況を経て、2002年は4%程度の回復が予想されている(米国の景気次第だが)。76歳と高齢のマハティールにとっては本来であれば今が「辞め時」である。

70年代初めから、とり続けてきた「ブミプトラ政策(マレー人の地位向上政策)」は80年代のマハティール政権発足とともに、いっそう強化されてきた。特に「民営化政策」の名の下に、国家資金で買収したり、新設したりした企業を民間に払い下げ、マレー人の経済的 シェアが統計的には高まってきた。

しかし、問題は「民間マレー人」の内容である。もちろん一般のマレー人も多少の株式分与にあずかったものも数のうえでは少なくないであろうが、大企業の経営支配権を握ったのはUMNO関係者やそのクローニー(取り巻き)達である。

問題はこれらの「ブミプトラ企業」の経営である。その多くは「国際競争市場」でたたかえるようなエレクトロニクス産業の類は皆無に等しい。多くは金融関係、公共投資関連、不動産、海運・航空などの国内市場の特権的企業群である。その多くが経営的に多くの問題(赤字)を抱えているのである。

それらの問題企業を破綻から食い止めているのは言うまでもなく「国家的資金」である。国営銀行や石油公社ペトロナスや年金基金までが救済に動員されている。

UMNO大会の絢爛豪華な会場の雰囲気とは裏腹に、マレーシア経済の危機は着実に進行していると見なければならない。

しかし、現実のマレーシア経済の担い手は、これら「ブミプトラ企業」ではなく、日本や米国などの外資系企業のエレクトロニクス関連産業(半導体、通信機器、電子部品など)である。マレーシアの輸出の半分以上はこれらエレクトロニクス関連製品で占められている。

ところが、マレーシアからこれら外資企業が中国やインドネシア、ベトナムなどに移転する企業が出始めたのである。マレーシアの人件費の高さが改めて問題にされはじめたのである。

2001年11月のジェトロの調査によれば、日系企業の労賃平均はマレーシア198ドル、タイ(バンコク)141ドル、インドネシア(ジャカルタ)67ドル、ベトナム(ホーチミン)96〜144ドル、中国(深セン)85〜157どる、(上海)190〜279ドル(中国の人件費は必ずしも安くない)などである。東南アジアでは確かに割高である。

マレーシアの将来についてはなかなか「バラ色」の絵を描きにくいことは確かである。マレーシア経済の実態について誰よりも詳しいマハティールはいい加減に嫌気がさしてきたことはありうる話である。

マハティールの近年の最大の政治的ミスは一度は後継者として指名していたアヌワール・イブラヒム副首相をホモ行為と汚職の罪で追放し投獄してしまったことである。本当の理由はアヌワールが後継首相になればマハティール一家やクローニーの利権が一気に崩壊する可能性があったためであろう。

アヌワールはまた、経済危機(97・98年)に際して、ある程度業績不良のブミプトラ企業を整理し「構造改革」をおこなおうとしたことは明らかである。これらにの諸問題にいっさい「蓋 」をして危機をしのいだマハティール首相の手腕を賛美する向きは少なくないが、マレーシア経済にとっては問題の先送りと拡大を招いた。

なおマハティール首相は数日前に30年間の「ブミプトラ政策」をふり返り、「マレー人は特権を享受したのみで、怠慢さは温存され、しかも恩知らずである」といった激しい内容(事実だが)の演説をおこなった。この「マレー人不信演説」が今回の辞任劇の前段にあったことは間違いない。

辞任話とは裏腹に、マハティールの新しいクローニー(ダイム・ザイヌディンに代わる)としてサイド・モクタール・アルブカリの記事がTime asiaに載っている。ご関心の向きは;http://www.time.com/time/asia/をご覧ください。

「マハティールのヂレンマ」はまだまだ続く。

(6月29日追加)

その後、マハティールは2003年10月まで現在の地位(首相など)にとどまり、その後一切の公職から退くことがUMNO最高評議会との間で合意された。後継者は今のところ、アブドゥラ・バダウィ副首相ということになっている。果たしてそのような筋書きが 実現するであろうか?

まず考えられるのは、マハティールの「院政」である。現在のブミプトラ企業群に群がる特権階級の間の利害調整が、今後の15ヶ月間で決着するとは考えられず、マハティールがその後も「調整役」を果たさないわけにはいかないであろう。

32年におよぶブミプトラ政策の結果、マレー人の企業資産が19%にまで増加したといわれるが、その大半は国営企業形態および国営金融機関の所有であり、マレー人の実際の所有は2%にとどまっているとされる(6月29日付け、サウス・チャイナ・モーニング・ポストのLim Say Boonの記事)。

この数字は本来30%を上回っているべきものであったが、マレー人は売り払って、現金にかえてしまった。まさにアリ・ババ経済(マレー人の利益のための政策が華人資本の利益増になってしまうこと=もともとは戦後のインドネシアの民族資本育成策の失敗をハッタ副大統領が自嘲的に言った言葉)である。

残された15ヶ月間でマハティールはいったい何をやろうとしているのだろうか?彼がやらなければならないのは「ブミプトラ企業利権」の配分調整などとはほど遠い、「不良ブミプトラ企業の主なもののリストラと救済」であろう。

昨年辞任したダイム・ザイヌディンのグループの救済とリストラは主なところはほぼ完了するか、存続のめどはついた。ダイムのクローニーたちは経営者としての地位は追われ、また株式の所有権も奪われた形になったが、膨大な借金は政府機関によって肩代わりされ、刑事罰を受けたものは皆無で、しかも十分な個人資産は手元に残された。

これからは、残りのーといってもどれだけあるか見当もつかないが−問題の処理を急ぐことになろう。彼自身は兼務している財務相のポストを手放せないであろう。このポストをどうするかをみていればおよその姿が見えてくるかもしれない。

後継者については本命と目されるアブドゥラ・バダウィ副首相はいかにも非力である。他にどういう人物が浮かび上がってくるかは目下のところわからないが、早くも国防相のNajib Tun Razak の名前もあがってきている。

(参考文献)

’Malaysia's Political Economy' Edmund Terence Gomez and Jomo K.S., Cambridge Univ. Press, 1997

『東南アジアの経済と歴史』拙著、日本経済評論社、2002年6月

 

2、アヌワールの上告棄却(02年7月10日)

マレーシアの最高裁は汚職の嫌疑で有罪判決を受けている元副首相兼蔵相のアヌワール・イブラヒムの上告を棄却する判決を下した。これに対して米国 とECは重大な懸念を表明している。日本政府は民主主義や人権問題については関心がないせいか何も言わない。

アヌワールの投獄は極めて政治色が強いことは明らかで、マハティールという人物の独裁者的側面(政敵は断固として許さない)と偏狭さを示すものであると受け止められている。

汚職の嫌疑であればマハティールの周辺には「有力候補者」がウヨウヨしているのは誰の目にも明らかである。

マハティールについては日本のマスコミや学者はおおむね肯定的な評価をしている。先日もNHKでH大学のS教授は「民族の調和」を図りつつブミプトラ政策をうまく推し進めてきたという趣旨の解説をしていた。

こういう解説は日本の知的風土やメディアのなかでは許されるかもしれないが真実とはかけ離れたものである。

ブミプトラ政策の失敗などはもはや世界の常識ですらある。マレーシアに留学経験もあり日本では最高級の権威者でもあるS教授が、マレーシアのさまざまな実態を誰よりも知りながら、あえてマハティール礼賛論をおこなう真意はいったいどこにあるのか疑問である。(7月28日追加)

 

4.野党Keadilan(国民正義党)青年部長エザム(EZAM)に2年の実刑判決(02年8月8日)

アヌワールが投獄されてからできた野党Keadilan(党首はDr. Wan Azizah Wan Ismailアヌワール夫人)の青年部長Mohd Ezam Mohd Noorは公的秘密法(OSA=The Official Secrets Act)違反でペタリンジャヤ裁判所で2年間の禁固刑の判決を受けた。

ことの起こりはラフィダ通産相(女性)と前マラッカ州首相アブドゥル・ラヒム・タンバイ・チックの汚職調査に関する秘密部分を公にしたカドである。肝心のラフィダなどの汚職は証拠不十分で免責になっている。

またエザムはこれまた悪名高いISA(国内治安法)により牢屋にぶち込まれている。ISAは裁判抜きで国内の治安を乱す容疑のあるものは獄につなぐことができるというまことに便利(?)な法律でシンガポールのリー・クワン・ユーやマレーシアのマハティールが政敵弾圧のために多用している非民主的法律である。

マレーシアのこのOSAは政治家や役人の汚職追及を逃れるにはもってこいのすばらしい効果を発揮している。「内部告発」などはこれで完全とまではいわないまでも阻止できる。

シンガポールでは政敵弾圧に使われるもう一つの有力な手段は「名誉毀損」訴訟である。野党候補が選挙演説で下手に与党を攻撃すると、たちどころに名誉毀損の訴訟を起こされ100%原告側が勝利する。

その場合、膨大な「賠償金」が同時に課せられ、被告(野党幹部)は全財産を没収される憂き目にあう。シンガポールでもマレーシアでもこと政治問題に関しては裁判官が「公正」であると信じている国民は少ないといわれている。

インドネシアの裁判官は「正義の基準」がはっきりしていてある意味では公平である。つまり、より多くワイロを積んだほうが「正義の証」を提供したとして勝訴することになる。もちろんトミーに殺害されたとみられる最高裁判事のように真の正義を実現しようとする立派な裁判官は少なくないが、時には命を狙われる覚悟が要る。

この判決に対してアムネスティ・インターナショナルは「政治的な不当な」ものとして非難しているが、アヌワール前副首相の場合と同様、マレーシア当局は馬耳東風を決め込んでいる。

 

5. マハティールのビルマ(ミヤンマー)訪問(8月21日)

マハティ−ルは8月18日にビルマを訪問し、タン・シュエなど軍事政権首脳と会談した。会談の内容は明らかにされていないが、マレーシアの石油公社のペトロナスがビルマの石油開発4プロジェクトに参加することが発表されたところをみると商売の話が議題の一つであったろうことは想像できる。

しかし、ロイター通信の記事によればマハティールは「民主主義を取り扱うのは難しい。下手に取り扱うとアナーキー状態になる」と夏目漱石の「草枕」の冒頭にも似たことをいっている。要するに「民主化をやるのは考え物だぜ」とビルマの軍人と大いに意気投合したものと考えられる。

軍事政権側も「民主化には時間が必要」とのコメントを早速発表している。要するに民主化などはじめからやる気はないのだ。1990年の選挙で「負けたら兵舎に帰る」と豪語していた軍事政権側は、選挙で民主派が80%以上の議席を獲得するという大敗北を喫した。

軍事政権は国民の支持が全くないことが内外に明らかになったのである。それにもかかわらず彼らは武力を背景に政権に居座り続け、反対するものを片端から牢獄につないできたのである。こういう政権がASEANに入ったことで何かが変わったのだろうか?ASEAN側にしても結束のポイントがずれてしまった。

「民衆がアホな間は民主化は駄目だよ」というのはマハティールの持論らしく、またアジア人には「民主化は向いていない」ともいっている。なるほど極東の某経済大国もそれで駄目なのか。

要するにマハティールは民主主義は嫌いなのである。アウンサン・スーチーとの会談も希望していたが軍事政権がやめてくれといったのでマレーシアのほうからキャンセルしたとのことである。もしマハティールがスーチーさんにあったら「民主化はおやめなさい」と親切なアドバイスをしたかもしれない。

それを知ってか知らずか21日付けの毎日新聞で「ミヤンマー」についての社説がでた。まあましな論説の部類に入るが(毎日のアジア報道は最近かなり改善されてきた)、後半部分がいつもながらずっこける。

曰く「ミヤンマーが安定しなければ混乱はアジア全域におよぶ」と論説氏は言っている。これは今の軍事政権で続けたほうが良いという主張と受け取られかねない。最後に「必要な人に届く援助」はスーチーも最近認める発言をしているのだからやるべきだという主張である。

問題は援助が「必要な人に届く」などということが、どうすれば「保証」されるかである。援助について1件ごとにスーチーのサインを取りつけ 、しかもあるていど(完全とはいわない)のフォローアップができるなどということができるのであろうか。

こういうまことしやかな「世論」におされてデタラメな援助がなし崩しに再開されることを筆者は危惧するものである。中国がビルマの面倒をみるというならやらせておけばよいではないか。中国にそのような余力があるというのであれば日本 からの中国へのODAなどは論外の沙汰といえよう。

 

6. YTLグループが英国のWessex Water買収で贈賄ーマハティールはYTLを擁護発言(02年9月20日)

マハティ−ルと親密なFrancis Yeohが会長を務める建設・不動産・公益事業などのコングロマリットであるYTLグループはイギリスの水道会社であるWessex Water社を12億ポンドで買収した。そのさいWW社の会長のColin Skellett氏に100万ポンドの現金を渡し、買収の便宜を図ってもらったということで警察沙汰になっている。

この問題はイギリスでは大きなスキャンダルとして取り上げられフィナンシャル・タイムズ紙にも数回記事が載っている。9月20日付けのFT紙(http://www.ft.com)ではマハティール首相が「これはSukellett氏に対するコンサルタント料の前渡であり、その辺に転がっているような問題だ」というYTL擁護の発言をおこなった。

FT紙はマハティールについて次のような言い方をしている。

”Dr Mahathir has an intense interest in business affairs and has developed close ties with Francis Yeoh, the chairman and chief executive of YTL Group,"

マハティールは日本で一般的に考えられているよりはるかにビジネス界(華人資本を含め)とのお付き合いが深い政治家なのである。某有名シンクタンクの説とはいささか異なり「クローニーは清算」されてはいないのである。

日本のマスコミと学者の一部はやたらとマハティールをマレーシア発展の祖として持ち上げているが、実態は少し違うようだ。

結果的には本件は03年2月に無罪となったが疑惑の残る事件である。

 

7.  2002年の成長率は4%に

 

8. 2005年になっても自動車は安くはならないーマハティールのご託宣(02年11月7日)

マレーシアは国民車プロトンを周辺諸国(特にタイ)からの競争から守るためAFTAの関税引き下げに抵抗してきた。本来2003年の1月からASEAN内部の生産国間ではほとんどの製品(例外品目もかなりある)の関税は0〜5%に引き下げることが取り決められている。

しかし、マレーシアではマハティール首相のペット・プロジェクトとも言うべき国民車プロトン(小型車プルドゥアと合わせると乗用車市場の80%以上を支配)の市場を守るべく、関税(現在CKD=完全ノック・ダウン車は42%)の引き下げを2年間猶予してもらい2005年からとしている。

しかし、最近マハティールは「CKDの輸入関税を引き下げても、新たに国内で税金を課す(奢侈税的なものか?)ので外国車は安くならないといっている。(www.malaysiakini.comの11月7日の記事から)

AFTAとはしょせんこのような性格のものである。ASEAN+中国やスリー(日本、中国、韓国)のFTAなどといっても道は遠い。そもそもAPECはどうなってしまったのだろうか?

 

9. サラワクのファースト・シリコン社の経営不振(02年11月18日)

サラワク州経済発展公社が所有するシリコン・ウェファー・メーカーであるファースト・シリコン「1st Silicon」社は64.6億リンギ(約2,000億円)をかけてクチン市に建設され、2001年末から試運転を開始した。しかし、この会社の業績はすこぶる不振で第2のペルワジャ(大赤字の鉄鋼会社)になるのではないかと懸念されている。

設備能力としては月間30,000枚のウェファー生産が可能であるが、4月時点では月に8,500枚の生産にとどまっていたという。

(詳細は http://www,malaysiakini.com 11月19日号参照)

 

10. 信じがたい言論弾圧;malaysiakini.com で警察がコンピューター押収(03年1月21日)

マレーシアはIT先進国を目指してアジアのシリコン・バレーともいうべきthe Multimedia Super Corridor  を建設し、インターネットには検閲をおこなわないことを約束してきた。

しかし、マレーシア警察は1月20日12:30にマレーシア・キニ社に乗り込み、1月9日付の与党UMNO(統一マレー国民組織=総裁マハティ−ル首相)の青年部についての投書者の氏名を明かすように編集者に迫った。

編集者がそれを拒否すると、検閲(censor)のためと称して、全ての15台のコンピューターと4台のサーバーを押収した。金額換算15万リンギ(466万円)相当。あきれ果てた暴挙というほかない。

かねてから言論弾圧を日常茶飯事にしているマハティール首相を熱烈に支持している日本の言論人たちはこういう事件をいったいどう考えるのであろうか? http://www.malaysiakini.com 参照。

ことの起こりはマレーシア・キニにおけるインド系国民と思しきManjit Bhatia(仮名)とマハティールを擁護するDelimma(仮名)の紙上論争である。

マンジット氏は’Why? PM why?' というタイトルでシンガポールとの最近の抗争でマレーシア政府の好戦的とも思える言動を批判したり、オーストラリアのホワード首相のテロリスト存在国への先制攻撃論への強硬な反論をまず批判した。

しかし、マハティールの強硬論は実は国内政治の締め付けと選挙対策なのだと指摘した。その勢いでブミプトラ政策(マレー人優先主義)にまで矛先が向かった。ブミプトラ政策は逆人種差別政策ではないかというわけである。他人種(華人やインド人など)でもマレーシアに生まれ、働き、死ぬ人間は同等に扱われてしかるべきでないかという議論である。

これに対してデリマ(マハチールの著書;マレーのヂレンマをもじった仮名であろう)氏は「マレーシアのやり方のどこが悪い’No apologies for the Malaysian way'」というタイトルで反論している。彼はまずオーストラリアの「白豪主義」を持ち出し攻撃する。

さらに「マハティールほど優れた政治リーダーはいない」と断定する。そして「マレーシアは米国やオーストラリア以上に各人種が平等に取り扱われているという。教育、雇用、ビジネス然り。

マレーシアは’イスラム国家である’と宣言して何が悪いか?それによって国外に亡命した人がいるか?逆に多くのひとがマレーシアに入ろう(不法移住労働者のことか)としてひしめいている。これはマレーシアの未来が明るいということを意味している。

マハティールもミスを犯すがブッシュだって同じことだ。マレーシアは各種族がうまくやっている。」といった全面的肯定論を打ち出した。

そこに問題のPetrof(仮名)という非マレー人と思しき投稿者が登場した。「新しいアメリカ人とブミプトラは同じことだ”Similarities between 'new Americans' and bumiputra"」(1月9日付)と題してアメリカの例を持ち出す。

イギリスからボストンにやってきた白人はそこに白人天国を建設する。白いブミプトラの誕生である。彼らは「新しいアメリカ人」と自称する。赤色の肌色のインディアンはさしずめオラン・アスリ(マレーの先住種族)である。

マレーシア政府はオラン・アスリがイスラム教徒に改宗しない限りマレー人としての特権は与えない。

あとから苦力(クーリー)や移住労働者や奴隷としてやってきた華人やインド人はアメリカの黒人奴隷と同じである。

マレー人はさまざまな優遇措置を現在享受している。ベンツに乗っているものもいる。家を買うのにも7.5%のディスカウントがあったり、投資信託を買えば10〜15%の配当がある。海外留学にもふんだんな奨学金が付与される。

アメリカでは白人の特権が現存するがマレーシアはマレー人の特権が現存する。アメリカでは白人の暴力組織クー・クラックス・クランがあるがマレーシアにはUMNO(統一マレー国民組織)青年部が特権維持のためににらみを利かせている。といった調子である。

これに対しUMNO青年部の情報部長Azimi Daimがいきなり警察に訴え出た。ペトロフの記事は国内に騒乱を引き起こす種になりかねないという理由である。同時に内務省にもモニター(監視)を強化するように要請した。というところをみるとかなり痛いところを突かれたのではないかとかんぐりたくなる。

この程度のことで報道機関のコンピューターが根こそぎ警察に押収されるような国で本当にIT産業が育つのであろうかとやや心配になってくる。

 

11. シンガポールへの水供給問題で対立激化(03年1月29日)

マレーシアはジョホール水道の輸送管を使ってシンガポールで使う水道用の原水をイギリス植民地時代から供給してきた。その価格は1,000英ガロン(4,546リッター)当たり4マレーシア・セント(1円25銭)という安いもので、それが実に60年間改定されないまま今日に及んでいる。

このジョホールからの原水はシンガポールの上水道の約半分を充足しているといわれている。

今回マレーシアはそれを1,000ガロン当たり8.45リンギ(1立方メートルあたり1.86リンギ=58円)に値上げを要求している。この価格自体はコマーシャル・ベースに近いものだというのがマレーシアの言い分であろう。

もしこれが立場が逆であったらシンガポールはマレーシアに対しこれに近い価格を要求し、かつ実現していたであろう。経済的要求に対しては相手が誰であろうと容赦しないというのがシンガポール流のやり方である。

ただし、倍率だけみると211倍という桁外れの要求なのでマレーシアの無理押しの形になっていることは確かである。しかし、これには両国間の過去の対立の怨念が集約されていると見るべきであろう。

古くは1965年にシンガポールがマレーシアから分離独立を強いられた経緯やその後のシンガポールのリー・クワン・ユーの「マレー人劣等生」発言やジョホールの治安問題(犯罪が多い)発言な、無用なフリクションを起こしてきたのはむしろ、経済的発展を鼻にかけたシンガポール側であった。

最近は、ペドラ・ブランカ(マレーシアはBatu Putih=白石と呼んでいる)島という小島の領有権をめぐって対立が続いており、国際司法裁判所に判断を仰ぐことにした。

それ以外に、シンガポールにとって脅威となる事態が発生している。それはジョホール付近にペレパスという一大コンテナー港をマレーシアが建設し、シンガポールの顧客が奪われつつあるということである。

水問題は実はかなり前から表面化しており、シンガポールは海水淡水化計画や、下水の処理水を飲料に転用するなどの計画を進めている。ここまで来る前にもっと円満な話し合いができなかったのであろうか?

海水淡水化プロジェクトは既に進んでおり、トゥアス(Tuas)に1日3000万ガロンを供給できる設備を建設することが決められ,地元の水専門会社Hyfluxとフランスの水処理会社Ondeo社の合弁企業であるSingSpring社がこのプロジェクトを請け負 うようである。建設費は約1億シンガポール$が予定されている。

2005年に は供給が開始されPUB(公益事業局)は1立方メートル当たり78シンガポール・セント(約55円)で買い上げるという。現在一般家庭用の水道価格は1㎥当たり1.17シンガポール$(約82円)プラス30%の手数料(?)がとられるようでである。

これからみるとマレーシアからの水はシンガポール政府にとってはドル箱だったことになる。なお現在シンガポールは1日当たり約3億ガロンの上水を使用しており、2012年までに約3分の1増加するという。

基本的には長年にわたるシンガポール政府高官の高飛車な態度が事態をここまで悪化させたと見ることができる。善隣外交の基本は相手が精神的に嫌がる言動を慎むことが大原則であり、礼儀でもある。小泉首相の靖国参拝問題などは「善隣外交」の原則からは明らかに外れている。

(03年7月22日)マレーシアは原水価格の要求を1,000ガロン当たり、6.25リンギに引き下げる。

マレーシアとシンガポールの水問題についての話し合いが、03年7月1‐2日におこなわれたが、シンガポール側はマレーシアの原水価格を、シンガポールがおこなっている下水浄化水(飲料に使えるらしい)コストで固定せよと要求している。

これに対しマレーシア政府の代表者は「今までシンガポールはわれわれが困ったときに、いかに自由市場が機能するべきかをさんざ講義してくれた」と過去にシンガポールに痛めつけられた鬱憤をぶちまけている。

 

12. 2002年の経済成長率は4.2%に(03年2月26日)

13. ペルワジャ・スチールの汚職追及は日本の非協力で進まず(03年3月28日)

⇒ペルワジャの元社長、エリック・チア逮捕(04年2月9日)

⇒エリック・チアの裁判開始(04年8月12日)

⇒ペルワジャのエリック・チア元会長に無罪判決(07年6月27日)

 

14. Asian Wall Street Journalがマハティールの顔を間違える(03年4月23日)

 

15. イギリスの経済雑誌「The Economist 」もマハティールに辛口批評(03年4月25日)

The Economistは4月3日付の記事「The changing of the guard(守護者の交代)」と「A qualified success(留保付の成功)」という2つの記事を掲載し、マハティールの批判をおこなっている。 これにマレーシア政府は強く反発している。

趣旨は、拙著「東南アジアの経済と歴史」(日本経済評論社、2002年6月)と同様であるが、以下簡単に内容の紹介をおこなう。

マハティールの22年間の目覚しい成長は彼の政治が良かったためではない。彼はメガ・プロジェクトと称する大型プロジェクトに大金をつぎ込んだが見かけほどの効果は生んでいない。実際は外資の役割が大きく華人資本の活躍も貢献した。

後継者のアブドゥラ・バダウィはおとなしく精彩を欠いている。彼自身はイスラム学者である。彼の役割はイスラム原理主義政党PASの押さえ込みであろう。

マハティールは1992年に「2020ビジョン」なるものをぶち上げ、2020年にはマレーシアはOECD30カ国並の1人あたりGDPを実現するという大目標を掲げた。

現在、マレーシアの1人あたりGDPは3,900ドルにすぎず、OECDの平均の23,100ドルには遠く及ばない。しかも、その差は拡大している。

また、2020年には人種間格差を完全になくし、真に一体化されたマレーシアにするといっていた。しかし、これも「土地問題」のマレー人優先主義を変えるものとはなりそうもない。

また、成熟した民主主義社会を育成するといっているが、アヌワールの処遇(現在獄中)や政敵の不当逮捕をみれば、どうなるかは明らかである。

いずれにせよ、マハティールは10月には首相の座を降りるであろうが、そう簡単には「消える」はずもない。

(03年4月29日)

このエコノミストの記事に対して、案の定政府のトップから大クレームがつき、エコノミスト(5,000部マレーシアで販売されている)を発売禁止にすべしという、ヒステリックな声があがっている。

外相のダトゥ・スリ・セイド・ハミド・アルバールなどがその先人をきっているが、最も声が大きいのがUMNOの副総裁で一時はマハティールの後継者とも噂されたナジブ・アブドゥラ・ラザク国防相である。

彼は副首相のアブドゥラ・バダウィの声が小さい(エコノミスト批判の)ことにご不満があるようだ。もっとマハティールの後継者たるもの毅然たる態度をとるべきだというのが真意であろう。

こうなるとアブドゥラ・バダウィも声を大きくせざるをえず、いわばマハティールに対する「忠誠合戦」が始まる。被害にあうのはエコノミストとマレーシア国民である。

エコノミストの記事自他、別に怪しいことは書いていない。私の目から見ると、むしろ「切り込み不足」の感じすらする。それでもいくつか痛いところを衝かれたのであろう。

マレーシアの政治の質はあまりよくないことを内外に示す事件である。

(03年5月5日追加)

5月1日のhttp://www.malaysiakini.com の記事でKim Quek(当然仮名であろう) という人からの投書が掲載されていた。それはEconomistの記事よりもより直裁にマハティール政治の問題点を指摘している。

マハティールが首相になった1981年には、

金権政治とかクローニズム(取り巻き優遇)などという話しは聞いたことがなかった。裁判所は公正であり高い評価を受けていた。議会は重要な国民的課題を神権に議論していた。国内治安維持法(ISA)は共産主義者と他の政府転覆者にのみ適用されていた。言論機関は活発に反対意見を掲載していた。

ところが今日の状況はというと

議会は政府首脳の言いなりであり、裁判所は権力の手先に成り下がり、ISAは政敵を弾圧する手段と化し、金権政治は与党UMNOの看板となり、汚職とクローニズムはマレーシアの国民的文化となり、言論機関は支配政党の一組織のごとく飼いならされてきた。

Economistはマレーシアの経済発展を賞賛しているが、タイでもインドネシアでも同様の発展を遂げてきた。

マレーシアの経済成長の主要な要因は「外国資本」の大量進出によるものである。ただし、その投資は電機部門に偏りすぎており、資本、技術、販売、経営のどれもが輸入されたものであり、外国人のものである。

国産のものは何もないに等しい。これらがマハティールの惨めな失敗である。

となかなか手厳しいが、事実その通りである。こんなことは気の利いたマレーシア国民にとっては常識中の常識である。しかし、日本でこのような報道や論説がなされているであろうか?私も、上掲の拙著でこの点を指摘しておいたつもりである。

(参考)表1、マレーシアの人種別、宗教別人口構成比(%)

人種別   宗教別  
マレー人 53 イスラム教徒 60.4
その他原住民 12 仏教徒 19.2
華人 26 キリスト教徒 9.1
インド人 8 ヒンズー教徒 6.3
その他 1 道教徒 2.6
    その他 2.4

資料出所:マレーシア統計局

 

16. 大学の新卒者の大量失業,過去3年で70%弱(03年5月14日)

国民経済行動評議会(National Economic Action Council)のムスタパ・モハメド理事は、過去3年間に72,000人の大学卒業者中、50,000人が職に就けないでいることを明らかにした。

従来の発表では、ブミプトラ(マレー種族)の大卒者のうち、40,000人が失業していると公表されていた。

彼らが就職できない理由として、コミニュケーション能力不足、英語能力の不足、創造的思考力の欠如などがあげられている。

これらお決まりの「欠点」は何も過去3年間に急増したものではあるまい。日本の新卒大学生でも同じことは言えよう。要するに、需要が不足しているのだ。2002年の成長率は4%でまずまずだなどと政府が自讃していても内容が悪いのである。

新規の投資が不足しているのである。固定資本形成の伸びは2001年は-2.8%、02年は0.2%である。これでは、新規の雇用は生まれにくい。大学生の資質のせいにされては学生がかわいそうだ。

大学のカリキュラムにも問題があるのかもしれない。識者は社会のニーズにあった教育がなされていないという反省をしている。職場経験がないと雇用主も雇ってくれないなどといっている。

その点、日本の大学生はすばらしい。「あなたが大学生として最も熱心に取り組んだことは何ですか?」というエントリー・シートの設問に対して、「飲食店でのアルバイトです」などと平然と書き込む学生が相当数いるらしい。

何の特徴もないカリキュラムをマスプロ授業でおこなっているのが現状であり、何か即戦力に近いものを学生に求められても、それはないものねだりとしか言いようがない。せめてTOEIC500点位でも持たせてやれればよしとしなければならないであろう。

 

18. 外資による新規の製造業の投資規制を大幅緩和(03年6月22日)

ラフィダ・アジズ通商産業相は今後の外国からの製造業に対する新規投資については規制を大幅に緩和すると6月21日に発表した。

たとえば、従来80%以上の直接輸出をおこなうのでなければ100%の外資の出資を認めていなかった。しかし、今後は80%輸出という枠を取り払い、100%外資の投資を認めることとなった。ただし、既に進出している企業については従来どおりとする。

また、今まで外資の進出を規制していた分野についても、開放措置をとる。ただし、金融部門などの自由化は、段階的におこなっていく。

このような、製造業への投資規制が緩和された背景には、2002年には海外直接投資(FDI)が前年比−36と大幅に落ち込み、165.3億リンギ(約5,000億円)にまで減少したことに対する危機感がある。

マレーシアの製造業は世界経済の落ち込みにより、今年は2%程度の成長にとどまる可能性があるとしている。

マレーシア政府としても5月には総額73億リンギの景気刺激策を発表した。(malaysiakini.com 6月21日の記事による)

また、4月には輸出が−4%の落ち込みとなった。原油と天然ガスの落ち込みがあったほかに、主力の電機・電子部品も不振であったという。

 

19. マハティールの反米演説(03年6月28日)

マハティールは先のUMNOの大会で、「イスラエルを支持する米国は2001年9月11日の同時多発テロを口実にしてアングロ-サクソン流の古い支配方式をイスラム世界に押し付けようとしている」という趣旨の強烈な反米・反英演説をおこなった。

同時に、大会の会場で1920年ごろ自動車王ヘンリー・フォーダが書いたとされる「国際的ユダヤ人」という本の要約が配布された。この件についてはマハティールは関与していないといっている。

米国とマレーシアの関係はマレーシア政府がアルカイダに関係しているとされるジェマー・イスラミア摘発に積極的であることから、最近、むしろ緊密化しており、マハティール発言については米国政府は静観しているが、議会内でマハティール批判が出始めている。

20. マレーシア経済に薄日が射す?(3年7月16日)→17-2に移動

 

21.ニセ軍隊が投降?(03年7月29日)

7月24日(木)に約1,500人にのぼる将校(中尉から将軍まで)や兵卒と称する人々が警察に自首し、警察は彼らを逮捕した。彼らは軍服、肩章、照明書の類を持参してきた。

総勢8,000名にのぼると考えられる、ニセ軍隊には整然たる「階級」がおり、その地位は金で買えるというものであった。先ず、入隊費として150リンギ(4,700円)徴収され、次に、たとえば「大佐」になりたければ25,000リンギ(約78万円)支払うというものであった。

軍服、その他はマレーシア正規軍と全く同一のものである。しかし、これは完全なるサギ事件である。

将校は高級役人、専門職、ビジネス・マンが多く、歩兵は農民、工場労働者、タクシー運転手などであるという。この「軍隊」は3年ほど前に結成され、既に6,400万リンギ((約20億円)かき集めたという。

マレーシア警察はこれをサギ事件として扱うべきか「反乱罪(勝手に軍隊を集めた)」として処置すべきか検討中であるという。

マレー人の「愛国心の強さ」を物語る事件である。

 

22.野党連合−全民族混成政党成立(03年8月4日)

今なお獄中にあるアヌワール前副首相兼財務相の夫人であるワン・アジザ・ワン・イスマイル女史(眼科医)が党首を務めていた国民正義党と約50年の歴史を持つマレーシア人民党が合併し、新たに「人民正義党(People's Justice Party)」を結成した。

新政党は20万人の党員を擁し、その特徴はマレー人が最大多数であるが、華人、インド人を含む人種横断的な政党であるということである。宗教ももちろん多様な世俗政党である。

ワン・アジザ夫人は1999年初めにマハティール首相の率いるUMNO(統一マレー国民組織)に対抗するために「国民正義党」を結成していたが、マハティール追放とアヌワールの釈放という以外に目だった政治的なスローガンに欠け、脱皮を望まれていた。

新政党(PKR=Parti Keadilan Rakyat)の党首にはワン・アジザ夫人が、副党首にはシュウド・フシン・アリ博士が、書記長にはアブドゥル・ラーマン・オスマン氏が就任する。(続く)

 

24. マハティールの長男ミルザンがテクサムコ買収に乗り出す(03年10月19日)

マハティールの長男ミルザン(Mirzan)は98年の通貨危機の際、経営危機に陥った、所有する船会社をペトロナスに買い取ってもらい、危うく資産を確保して以来しばらく鳴りを潜めていた。

このミルザンの資産を国営企業が買取ることに反対したのが、当時の副首相兼財務相のアヌワールであった。アヌワールはマハティールの怒りを買い、以来ずっと獄中にある。

ところが、最近になってミルザンはウタラ・キャピタル(Utara Capital)社を自分の支配下に置き、同社を通じて、インドネシアのインド人系インドネシア人マリムツ・シニバサンの所有していたテクサムコ社買収に乗り出すことを表明した(ビジネス・タイムズ、10月14日号)。

テクサムコは繊維やバスを生産する大企業であったが、インドネシアの通貨・経済危機の際、経営が行き詰まり資産をIBRA(金融再生機構)に差し押さえられていた。

マハティールはこの10月末には首相を引退するため、謹慎していたミルザンは再度表に出てきたといったところであろう。

The Son also rises.といってかってファー・イースターン・エコノミック・レビューはマハティールの息子の財閥形成を批判した。日本のメディアはもちろんどこも取り上げなかったし、今回もおそらくそうであろう。

 

25. マハティールの反ユダヤー反米発言(03年10月26日)

マハティール首相はいよいよこの10月末で22年間勤めた首相の座を予定通りにおりることとなった。ところが先ごろ(10月15日)クアラ・ルンプールで開催されたイスラム教国サミット(OIC=the Organization of the Islamic Conference)でとんでもない発言をおこない、日本のメディア以外の各国のメディアを騒然とさせた。

かのニューヨーク・タイムズでも大きく取り上げ、著名な経済学者にして同紙のコラムニストであるクルーグマン先生も早速一筆ものしておられる。

マハティールの発言は、「ヨーロッパ人(ナチスのこと)は1200万人のユダヤ人のうち600万人殺した。しかし、今日、ユダヤ人は代理人(米国)を使って、世界を支配している。ユダヤ人は自分のために戦って、死んでくれる他人を手に入れている」というものである。

確かに、ブッシュも大統領選挙のとき、米国のユダヤ人協会から多額の献金を得ており、イスラエルのパレスチナ人弾圧を陰に陽に支持している。

その直後の10月19、20日にバンコクで開催されたAPEC首脳会議でブッシュはマハティールに、「あなたのコッメントは私の信じるところと正反対だ(stands squarely against what I believe in)」ときつく文句を言ったということになっていた。

ところが今日(26日)のBBC News によればマハティ−ルは「ブッシュからは何も言われていない。私を非難したなどというのは嘘っぱちだ」とすっぱ抜いた。多分、それは本当であろう。

マハティールはさらに強烈な一撃を加えた、「もしあなたがイラクに大量破壊兵器があるなどと嘘を言って戦争に突入するとすれば、あなたが私についてどんな嘘を言っても私は驚かない。」

極東の某経済大国の首相にはとうてい考え付きもしない発想と発言である。

 

26. バダウィ新首相は民主政治を議会で約束(03年11月3日)

マハティールの後継者として首相となるアブドゥラ・アーマド・バダウィ(Abdullah Ahmad Badawi)氏は11月3日議会で初演説を行い、テロと汚職に対する闘いとともに民主主義を擁護すると宣言した。

民主主義はユダヤ人が発明したものだと言い切ったマハティールとは出だしからトーンが異なるとして、マレーシア国内では好意的に受け止められている。

バダウィ首相は「民主主義が最善の統治システムであると確信している。批判や反対意見に耳を貸すのは民主主義存続の基本である。しかし、民主主義は絶対的な自由を意味するものではなく、テロリズム、過激主義、軍事主義などとは断固戦う」という趣旨のことを述べた。

また、マハティール時代に培われた「汚職」退治にも言及した。しかし、この辺を頑張りすぎるとアヌワールの二の舞になることは請け合いである。

日本のメディアはマハティールに好意的で、特に彼の「ルック・イースト」政策で日本を手本とせよといって、経済発展をとげただなどと性懲りもなくトンチンカンなことを書いている。

マハティールは日本は2重にマレーシアの「お手本」となったといっている。すなわち、はじめは「教師」として、そして最近は「反面教師」としてだそうである。日本の新聞記者もマハティールが最近日本について何をいっているか少しは勉強する必要がありそうだ。

バダウィはペナンの上流階級の出身で63歳である。祖母は日本人であるとも言われている。

マラヤ大学で宗教学を学んだ。外務相と国防相を経験し、「ミスター・ナイスガイ」とか「ミスター・クリーン」とか呼ばれている。

 

27. マハティールの最後の仕事ーインドと中国による鉄道建設工事をキャンセル(03年11月12日)

マハティールは10月末に辞任したが、その直前に中国鉄道建設公司(CREC)ーインド鉄道建設会社(IRCON)のコンソーシアムと2001年5月に覚書を交わしていた鉄道建設工事契約を突如キャンセルしていたことが判明した。

これは総額30億ドルにのぼるといわれていた5,500kmの鉄道の複線化当時と電化工事の一部の636km(契約金額145億リンギ=約4,160億円)に相当する部分である。

さらにマハティールはこのプロジェクトをクローニーのシュド・モクタール(Syed Moktar)の所有するMMC(Malaysia Mining Corporation)とガムダ(Gamuda)社とのコンソーシアムに発注することにしたと伝えられる。

さらに、このMMC-ガムダはCREC−IRCONに対し、「下請けで工事を請け負わないか」というオファーを出しているといわれる。全く人を食った話しである。

おそらくMMC−ガムダは自力でこの工事をやりぬく実力があるとは思えない。日本のゼネコンにもチャンスが回ってくる可能性無きにしも非ずである。

それはとにかく、このように、過去においてマレーシア企業に公共工事を発注して、UMNO関係者やマハティールのクローニーは巨富を懐にしてきたのである。

今回の件は、当然中国とインド政府を怒らせる結果となり、既にインド政府はマレーシア産のパーム油をボイコットすると脅しをかけているという。中国側も何らかの報復措置を検討しているとみられる。

なお、インドのIRCON (Indian Railway Construction Co.)はMMC-GAMUDA連合の下請に入るかどうかを検討していると伝えられる。

⇒シュド・モクタールは別に大型物件受注(03年12月7日)

マハティールの最後の大物クローニーといわれるシュド・モクタールはこの鉄道複線化工事とは別に、クアラ・ルンプール近郊の洪水予防工事もほぼ受注すると見られている。

それはスマート=Smart(Stormwater Mnanagement and Road Tunnel= 洪水管理およびトンネル)と呼ばれる工事で、総工事20億リンギ(約570億円)のプロジェクトである。

これもモクタールのMMCとガムダ(Gamuda)の2社連合で受注する。

⇒マレーシア政府、この鉄道プロジェクトを無期延期(03年12月11日)

マハティールの最後の「荒業」の感が強かった、この南北複線化プロジェクトはマハティールのクローニー手に落ちることになっていたが、先に内定していた中国-インド連合からの強い抗議もあり、結局「無期延期」とすることがあっ釘決定された。(WSJ12月10日)

これが妥当な結末であろう。バダゥイ首相の初仕事であるが、今後とも「是々非々」主義を貫けるかが問題である。

次ぎは、アヌワール元副首相の釈放である。 しかし、これはマハティールの私怨が絡んでいるだけにバダウィ首相も手が付けられないであろう。マレーシアの知識人の多くは「これはマレーシアの恥だ」と嘆いている。

 

28. マレーシアの03年3Qの成長率は5.1%と好調(03年11月19日)→17-4に移動

 

29. 副首相にナジブ・ラザク国防相が就任(04年1月7日)

バダウィ首相は副首相にダトゥ・セリ・ナジブ・ラザク国防相(1953年7月23日生まれ)を任命した。ラザクはマレーシアの2代目首相のラザクの長男として生まれ、主にイギリスで教育を受け、ノッティンガム大学で経済学を学んだ。

ラザクは国防相のまま副首相に就任する。

ラザクの評判はあまり芳しくない。その最大の理由は、国内の民主派弾圧の前歴を持っているからであるといわれている。思想としてはマハティール前首相に近く、今回の副首相就任もマハティールの強い推薦があったといわれる。

マハティールとしてはラザクの方を本当は首相にしたかったともいわれている。しかし、ボンボンの2世政治家が50歳ぐらいでいきなり首相に就任するには与党UMNO内部の抵抗もあったことであろう。

しかし、このまま行けばバダウィの後はラザクということになり、マレーシアの民主勢力にとっては頭の痛い問題であろう。

なお、財務相はバダウィ首相が兼務しているが、実質的財務相として「第2財務相」なるポストがあり、これにはかねて実力派として呼び声の高かったノル・モハメド・ヤコプ(Nor Mohamed Yackop=55歳)氏が任命された。

彼は政治家ではなく中央銀行出身の経済官僚であり、その手腕は国内外で比較的高く評価されている。1998年の通貨危機以降マハティールの特別経済顧問であった。

彼はレノン社の救済や、マレーシア航空の救済などUMNO系経営者の失敗を経営者ともども救済してきた。要するにマハティール体制の失敗をボロをあまり出さず、問題を先送りしてきた人物である。

彼自身がUMNOのメンバーでないことに党内から批判の声があがっているらしいが、それは本質的な問題ではない。UMNO のメンバーにはいつでもなれるし、UMNOのメンバーのためになることをやってきたのである。

彼の今までのやり方が本当に正し方かどうかは今後答えが出てくる。

今回の人事は小幅な内閣改造であるが、年央には行われると見られる総選挙後のUMNOの大会で、バダウィが総裁に選ばれるには党内の勢力を固める必要から、あえてマハティール派の起用を行ったとも見られる

バダウィ自身はUMNO内部での自派の勢力はあまりない。したがって、当分の間はマハティール派との妥協の繰り返しとならざるをえないと見られている。

⇒ナジブ・ラザクはやはりマハティール人事(04年1月12日)

野党サイドの大方の見方は、今回のナジブ・ラザクの副首相就任はマハティール前首相の強い、圧力によるものであるということのようである。

バダウィ首相の就任後2ヶ月間も副首相人事が決まらなかったのは、バダウィが副首相にしたいと考えていた人物はUMNO副総裁のムハイディン・ヤシン(Muhyiddin Yassin) であったと取りざたされている。

ヤシンのほうがバダウィにとって政治的脅威にはなりそうもない人物だという見方である。

⇒フィナンシャル・タイムズのバダウィ評(04年1月19日)

イギリスの経済紙フィナンシャル・タイムズはバダウィ新首相に対し、マハティールと妥協しつつも、独自の改革路線を打ち出しているとして、次のような好意的な評価を下している。

アブドゥラ・バダウィ首相はサラブレッドのラザク副首相が首相に就任するまでの「つなぎ」にしかすぎないという見方もある。シンガポールのゴー・チョク・トン首相がリー・クワンユーの長男のリー・シェンロン副首相が首相に就任するまでの「つなぎ」であるように。

ゴー・チョクトンはすでに13年も首相の座にあるが、バダウィは64歳という年齢を考えれば、さほど長期にわたって首相の座に居座ることもできないであろう。

しかし、バダウィは首相就任早々,いくつかの改革を早くも打ち出した。その1は汚職追放キャンペーンであり、その2は政府の大型プロジェクトの見直しであり、その3は政府プロジェクトは原則的に公開入札制度にするということである。

すでにマハティールのクローニーであるシュド・モクタールが「中国−インド連合」から横取りしていた37億ドルの鉄道工事を棚上げさせた。(27参照)

また、彼は警察の残虐行為、腐敗、非効率にもメスを入れると宣言している。(「残虐行為」についてはアヌワール元副首相が警察に勾留された後、警察長官に顔面を殴打された事件が広く知られている。)

今年行われる総選挙でUMNOに対抗するPAS(イスラム原理主義的政党でケランタンとトレンガヌ州で政権を取っている)の勝利を阻止するためにも、UMNOの金権体質色を薄める必要がある。

 

30. インドネシアの不法伐採木材が大量にマレーシア経由で輸出(04年2月4日)

環境保護グループでロンドンに本部を置くEIA(Environmental Investigation Agency)とマレーシアのTelapakはインドネシアの熱帯雨林の希少価値の樹木が大量に不法伐採されマレーシアに持ち込まれ、それが中国などに輸出されていると語った。

マレーシアの輸出業者は絶滅の危機にあるとされるラミン・ウッド(ramin wood=raminとはインドネシア語辞典によればバスケット用とあるが筆者には意味不明)に偽の原産地ラベルを貼り付け中国に再輸出しているという。

インドネシア政府はラミン・ウッドが絶滅の危険にあるとして2001年に取引を禁止し、国連機関にも登録している。

しかし、両国政府は目と鼻の先で違法行為が行われているにもかかわらず、見て見ぬふりをしているとTelapakのハプソロ氏は述べている。またハプソロ氏はこの問題はインドネシアの膨大な森林破壊の氷山の一角にしか過ぎないとも語った。

EIAのジュリアン・ニューマン氏はMerbauとよばれる樹木も東パプアで大量に伐採されており、ラミンは絶滅危険種のほんの一例でしかないと語った。

ニューマン氏は軍と警察と地元の大金持ちが不法伐採の張本人だと述べた。

World Resources Institute, Global Forest Watch, Forest Watch Indonesiaの2002年の共同調査報告書によればインドネシアでは毎年200万ヘクタール近い森林が失われているという。(http://www.malaysiakini.com 04年2月4日参照)

 

31. 現職閣僚のカシタ・ガダム汚職容疑で逮捕ーバダウィのクリーン作戦第2弾(04年2月12日)

反汚職庁(ACA=Anti-Corruption Agency)は本日朝、土地・生活協同組合開発相のカシタ・ガダム(Kasitah Gaddam)46歳を逮捕した。カシタは1998年にマハティールによって現閣僚に任命された。

容疑は1996年にカシタがサバ州土地開発公社総裁の時おこなった株取引をめぐる2,400万リンギ(1ドル=3.8リンギ)の不正行為である。複数の事犯で起訴される見通しであるが、主に土地取引をめぐるワイロ受け取り容疑であろうと思われる。

容疑の1つにカシタが総裁当時サバ土地開発公社は360万リンギ相当の株券を部下から贈与されたというものである。また、土地を譲渡したプランテーション(大規模農園)の株券を贈与されたなどの容疑である。

カシタの逮捕は先日の元ペルワジャ・スチール会長のエリック・チアの逮捕に次ぐマハティ−ル系の大物逮捕の第2弾である。バダウイィ首相はどこまでやるつもりなのであろうか?周辺には「叩けばほこりが出る」輩がウヨウヨしているはずである。

(http://www.malaysiakini.com 04年2月12日参照)

カシタは2月18日辞任が発表された。次の大物は誰かが今取りざたされている。野党の正義党(アンワール夫人が党首)などは通産相のラフィダの名前を挙げている。(2月18日)

 

33. 2003年の実質GDPは5.2%の成長率ー02年は4.1%(04年2月25日)→17-5に移動

 

34. 国会議員選挙近し(04年2月25日)

バダウィ首相はベネゼラで開かれる予定のG15サミットへの出席を取り止めたため、30日以内に国会議員選挙を実施するのではないかという見方が広まっている。

昨年10月末マハティール前首相から政権を引き継いだ後に、汚職追放や不透明公共工事(鉄道)をキャンセルするなど一連のクリーン作戦により、国民の支持が集まっている。

これ以上時間が経過すると与党UMNOの内部のボロがいろいろ出てくるため、今のうちに選挙をやってしまった方が良いという考え方が出てきているものと思われる。

バダウィ首相の「汚職退治」といっても自ずと限界がある。もちろん、マハティールとその息子たちはアンタッチャブルである。UMNO幹部にも手が付けられない。なぜならUMNO全体が利権構造であり、 一般国民の目から見れば「汚職構造」であるからである。

UMNOの中心部から比較的はなれたところまでしか「浄化」できない。とすれば今回のカシタ逮捕・辞任劇(#31)で一応の幕引きであろう。もちろん第2幕はありうるが、それは選挙後のことであろう。

UMNO幹部と25日ころから選挙をどうするか作戦会議を続けているらしいが、28日現在結論は出ていない。

⇒3月21日が投票日(04年3月2日,5日追加)

3月2日付のmalaysiakini は議会筋の情報として、今週中(金曜日が有力)に議会が解散され、3月13日に立候補の受付が締め切られ、3月21日(日)が投票日になるであろうという見通しを報道している。⇒この報道のとおりになった。

⇒与党連合の歴史的大勝利に終わるー前途は多難(04年3月24日)

選挙の結果は既に日本の新聞でも報じられているとおり、バダウィ首相の率いるUMNO(統一マレー国民組織)やMCA(マレーシア中華総会)などの与党連合・国民戦線(Barisan Nasional)が前回の77%を上回る90%の議席を獲得する歴史的な圧勝に終わった。

野党のPAS(マレーシア・イスラム党)やアヌワール夫人の率いるKeadilan(人民正義党=Partai Keadilan Rakyat)はいずれも議席を大幅に減らし大敗北を喫した。DAP=民主行動党(シンガポールのPAS=人民行動党の友党)は比較的良好な結果を残した。

とくにPASはイスラム原理主義的な色彩の強い政党であったが、地方議会で多数を占めていたトレンガヌ州でBNに多数を譲り、ケランタン州のみがPASの支配州となった。

国会議員総数219議席のうち与党連合198議席、DAP12議席、PAS7議席(改選前26議席)、Keadilan1議席(ワン・アジズ党首のみ、改選前5議席)、独立1議席となり、マレーシア史上前例のない与党の勝利であった。

これで党内基盤の脆弱であったバダウィ首相の立場はきわめて強いものになった。なぜ与党が圧勝したかといえば、その最大の理由はバダウィ首相が打ち出した、「清潔な政治」というイメージである。

これはマハティール前首相時代にあちらこちらに蔓延していたUMNOを中心とするマレー人政治家とその取り巻きビジネスマン(クローニー)汚職・腐敗体質がバダウィ首相の時代になって払拭されるのではないかという期待感の反映に他ならない。

選挙前に、マハティールのクローニーが横取りしようとしていた鉄道工事プロジェクトを取り上げたり(無期延期)、マハティールのクローニーであったエリック・チアを逮捕したり、汚職のうわさの絶えなかった閣僚を逮捕・追放したりした効果が最大に発揮された。

また、バダウィ首相の専門はイスラム教学であり、バランスの取れた穏健なイスラム教徒の政治支配に期待する一般のマレー人の共感と期待を集めたからである。

しかし、このことでマレーシアの今後の経済運営がうまくいくかというと、それは全く別問題である。マレーシアの輸出構造はエレクトロニクス関連製品が輸出の60%近くを占め、それらが中国に次第に圧倒されていく可能性が高いからである。

国産車のプロトンもタイなどの外資系企業に圧倒されつつあることは明らかで、AFTA体制下ではいつまで持ちこたえられるか大いに疑問視されるところである。

IT産業などでどこまでやれるかであるが、はっきり言って展望は暗い。「清潔な政治」(とはいってもUMNOの体質はさほど変わらない)と「穏健」なイスラム教だけで政治を支えていくことは難しい。

国民の期待はやがて失望に変わるのにさほどの時間を要しないであろう。

シンガポールと同様、マレーシアの今後の生きる道は大変険しいものがある。

表 6. マレーシア国会議員選挙結果(党派別)

  前回選挙(1999) 今回選挙(2004)
与党連合(国民戦線) 148 198
PAS(マレーシア・イスラム党) 27 7
DAP(民主行動党) 10 12
Keadilan(国民正義党) 5 1
独立諸派 0 1
合計 193 219

 

35. マハティールがプロトンの顧問に、取締役の一部は猛反発(04年4月19日)⇒32-2に移行

 

37. ケランタン州で鳥インフルエンザ発生ー輸出禁止措置(04年8月19日)

タイ国境に近いケランタン州ペカン・パシル(Pekan Pasir)で鳥インフルエンザ(H5N1ビールスで人間に伝染する可能性あり)が発生したことが確認されたたため、マレーシア政府は直ちニワトリとアヒルの輸出を禁止した。

また、同時に発生地点より半径10Kmの範囲での特別検疫を実行している。とりあえずは処分されたニワトリは200羽のみであるということだが、それ以上の被害状況は確認されていない。

現場から100Kmほど離れた、お隣のタイ南部のナラティワット県でも先ごろ鳥インフルエンザが発生しており、それがマレーシアにも拡散した疑いがあるとしてマレーシア当局は警戒を強めている。

ナラティワット県で発生した事例がタイ政府からマレーシア政府に情報提供されていたか否かは明らかにされていない。

驚くべきことにマレーシア政府は本件に関して「報道管制」を実施している。そういうことをやるとかえってデマが飛び交う結果となり、国民の間に不安心理が増すことは明白である。

シンガポール政府も直ちにマレーシアからのニワトリとアヒルと卵の輸入を禁止した。

 

38. アヌワール・イブラヒム

38-1.アヌワール元副首相釈放(04年9月2日)

1998年の通貨・経済危機の直後、マハティール前首相によって突如解任され、その後6年間も汚職とホモ・セクシュアルといった訳の判らない罪によって獄につながれていたアヌワール・イブラヒム元副首相が最高裁判決によって無罪放免となった。

財政家として国際的にも名高かった アヌワール氏がなぜか獄につながれ、警察で過酷な扱いを受け、目に黒アザができるほど殴打されたり、辛酸をなめつくし、最近では健康を害し、背中の手術を要するような ボロボロの状態になっていた。

何度も、上訴したが却下され、最後の望みをつないだのが今回の最高裁であった。

アヌワールの投獄は常軌を逸したものであり、今日まで「マレーシアの恥部」とも言うべきであり、日本では報道機関がほとんど無視し続けてきたので、知っている人は少ないが、米国やヨーロッパ諸国をはじめ国際的に非難の的になっていた。

汚職・不正蓄財で名高いマハティールのクローニーの誰が1日たりとも獄中の人となったか?アヌワールの釈放を心から歓迎するとともに、改めてマハティール一流のやり方と今まで不当な逮捕、裁判を繰り返してきたマレーシアの司法当局に憤りを感じざるをえない。

また、ことあるごとにアヌワール釈放を要求し続けてきた欧米諸国に比べ、日本政府は今まで何をしてきたのだろうか、日本の新聞はどういう報道をしてきたのか、国際社会に顔向けできないような態度をとり続けてきたのではないだろうか?

しかし、アヌワールの話をすると黙って下を向いてしまっていたマレーシアの私の友人たちへも心からの祝意を申し述べたい。 最近低迷していたクアラルンプールの株式市場はアヌワール釈放のニュースに沸き13.66ポイント上げ842.04で引けた。

日本の新聞(名指してもよいが)はマハティールは「ルック・イースト」政策と称し、日本や韓国の発展に見習うべきだなどと言ったということに、すっかり気をよくして、「アジアのxxxフォーラム」などというと決まって、大金をはたいてマハティールをゲストに迎えてきた。

そのマハティールは「依然として日本はマレーシアのお手本である。ただし反面教師として」などと公言しているのを知って か知らずか、日本のメディアはマハティールにゴマをすり続けてきた。

全く笑止千万のサタである。おかしくてたまらなかったのは当のマハティール御自身であったろう。しかし、これくらいのことはマレーシアの駐在員でも少し気の利いた人なら誰でも知っていることである。知らなかったのは新聞記者ぐらいのものであろう。

いや、知ってはいたが知らないフリをしていたのかな?何しろ「見ざる・聞かざる・言わざる+学ばざる」を保身の術と心得ている新聞記者も居るようだから。いや、大新聞の悪質幹部が現地からの記事を握りつぶしていたのであろう。きっと、そうに違いない。

しかし、日本人の権力者や、その御用達専門のメディアのご都合には関係なく、韓国でも東南アジアでも人々は民主主義をもとめて着実に前進しているように見えてならない。

8月29日日曜日のバンコク知事選における民主党j員アピラク氏の圧勝と、同じ週のアヌワールの釈放は東南アジアの民主主義にとってこの上ない朗報である。

かて、マレーシアの裁判所は東南アジアでは最もまともな裁判所であるという評価であった。しかし、1980年代にマハティールが政権を取るや、政敵を葬るためにこの裁判所を改悪し、悪用してきたといわれる。

この判決によってマレーシアの裁判所の最後の名誉は何とか守られたが、悪質判事が跋扈する裁判所の自己改革ができるかどうかは今後の課題である。

アブドゥラ・バダウィ首相になったから、今回の逆転判決がもたらされたのは間違いないが、バダウィ首相が真の「改革者」であるかどうかは今後の実績を見なければ判らない。彼は「マレーシアの恥部(アヌワールの投獄)」を取り除いたに過ぎない。

9月3日の日本の新聞の本件の扱いはどうなっているかというと、日経は小さな囲み記事でバダウィ政権ができたのでアヌワール釈放が実現したという趣旨のことが書いてある。 多分、アヌワールを本当の罪人と信じていたのであろう。

毎日新聞は何とマニラ支局発の記事で、さもイマイマしそうに釈放の事実だけを目立たないように書いている。毎日はクアラルンプールに特派員を置いていないとしても近隣諸国にいくらでも居るではないか?最悪、通信社から記事を買えばよいではないか?

世界中の新聞・メディア(ニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポスト、FT、BBCなど)が大きく取り上げているのに、日本のメディアの本件の取り扱いの冷淡さにはあきれ返る。検閲制度下にあるわけではないであろう。しっかりしてくれよ毎日さん。

ちなみに、私は日経と毎日しか購読していないので他の新聞については後で読んで見ます。

⇒アヌワールの政界復帰に道が開ける(04年9月8日)

前回私は毎日新聞の記事について文句をつけたが、朝日新聞はどう書いているかと思って9月3日付けの朝刊を必至で読んだ。はじめは見当たらなかったが、ついに「地球24時」という囲み記事の中に他の記事と一緒に申し訳程度に書かれているのを発見した。

朝日は他の新聞と異なり、少しはアヌワールのような民主派政治家にシンパシーを感じていると思いきや、私の見方は間違いであったことに気がついた。

朝日の記事が毎日のベタ記事とほとんど同じ「そっけない」内容であったと同時に驚いたのは、アヌワールが「権力乱用で有罪判決」を得ているので、政界復帰は事実上不可能といった趣旨のことが書いてあった。

この両紙の記事は同じところから出たものであろう。別々に取材した記事とは到底思えない。

FTやWSJは本日付の記事(インターネット版)でマレーシアの法廷はアヌワールの政界復帰につながるもう1つ「罪」である「汚職」(なぜ両紙とも「権力乱用」という表現にしている)については再審されることが決定したと伝えている。

私が全く理解できないのは、日本の一般紙が将来のマレーシアの政治を揺るがしかねない大事件であると同時にアブドゥラ首相の改革姿勢を占う重大な今回の事件をいかにも軽くあしらっていることである。

はっきりいって日本の一般紙のアジア関連記事は「国際標準」からみてお粗末のきわみである。アサヒのインターネットも国際版のアジア記事といっても中国中心の内容であり、しかも人民日報ベッタリの構成である。こんなものはいただけませんよ。

こんな新聞を作っていて「言論の自由」が守れるのかといいたくなる。もうじきすると、戦時中の毎日新聞ではないが「百人切り」報道などが幅を利かしてきそうな気がする。新聞人の姿勢の崩れが何より怖い。

⇒アヌワールの汚職問題の再審請求は却下(04年9月19日)

アヌワールは汚職事件の再審請求を行っていたが、最高裁によって9月15日に却下されたため2008年4月14日まで国会議員などへの立候補はできない(公民権の停止)ことが確定した。残された道は国王の「特赦」のみであるという。

しかし、アヌワールは政党の顧問になることや組織活動や講演など政治運動一般を個人的にやることは禁じられていないので、非国会議員としての政治活動を行うことはできる。

マレーシア政界に「台風の目」の芽が生じたことになる。イスラム青年運動のリーダーでもあったアヌワールが自由の身となったことは特権でがんじがらめになった与党UMNOにも大きなインパクトを与えることは間違いない。

 

38-2. アヌワール、野党PASのリーダーに(05年6月14日)

アヌワール・イブラヒムは2004年9月に釈放されたものの2008年4月14日までは政治活動(国会議員などへの立候補)は禁止されている。しかし、マレーシアにおけるアヌワールの人気は高い。(残念ながら、日本ではアヌワールへの評価は極めて低いことは上に見たとおりである。)

その、アヌワールに対し、最近、イスラム原理主義を掲げる野党のPAS(マレーシア・イスラム党)が指導者に是非というラブ・コールを送り、アヌワールも受けて立つ構えである。

このまま行けば、将来、アヌワールはPASの党首として、与党UMNO(統一マレー国民組織)を脅かす存在になりうる。とくにPASは 最近、党勢の衰退が著しく、2004年3月の総選挙において惨敗した。1999年の選挙では国会議席27を獲得したが、2004年にはわずかに7議席に激減した。

また、地方議会で多数を占めていたトレンガヌ州でBN(与党連合=国民統一戦線)に多数を譲り、ケランタン州のみがPASの支配州となった。 これは国民一般にイスラム原理主義がテロ組織と結びついているという意識が出てきたためでもあろう。

これに対し、PASは最近、党の綱領の見直しを行い、イスラム原理主義から「現実中道路線」への転換を模索し始めた。特に、現在のPASの党首アブドル・ハディ・アワン(Abdul Hadi Awang)は強い危機感を抱いて、党改革に取り組もうとしている。

しかし、PASは従来、あまりにイスラム原理主義に偏った政策綱領にこだわり続けたため、「現実路線」を打ち出して、UMNOと対抗できる政策を作成し、アピールできるリーダーが育っていなかった。

そこで、アブドル党首が目をつけたのがアヌワールである。アヌワールはマラヤ大学在学中から、イスラム学生運動のリーダーでその頃2年間も刑務所暮らしを経験している。 アヌワールはまた、イスラム近代主義者であり民主主義者である。そのため東南アジアでは特に青年層に支持者が多い。

その後、UMNOの党員として活躍し、副首相件財務相としてマハティールの後継者にまで上り詰めたが、マハティールによって追放されたことは上に見たとおりである。財政家としての国際的評価は極めて高い。

アヌワール自身はUMNOから追放された直後、Keadilan(人民正義党=Partai Keadilan Rakyat)という非宗教政党(華人も入っている)を結成した。アヌワールが入獄中はアヌワール夫人が党首となり、今日に至っている。

その人民正義党も先の選挙で7議席から1議席におオアh場に議席を減らしてしまった。やはり、アヌワール夫人では党をまとめ発展させていく力量に欠けていたいわざるを得ない。

アヌワール自身はPASからの呼びかけに、意欲満々である。おそらく、アヌワールガPASのリーダー(党首を含む)になれば、現在UMNOにいるアヌワール支持者たちもPASに合流することになり、政界地図も変わりかねない。

UMNO内部にもUMNO の汚職・腐敗体質に対する批判が相当強いが、改革は一向に進んでいない。UMNOの良識派(学校教師などが多い)は金権体質が強くなってしまったUMNO指導部に対する不満が非常に強いといわれている。

 

39. UMNOの体質

39-1.UMNO党大会でバダウィ首相敗北を喫する(04年9月26日)

9月21−25日に2500名の代議員と3万人のオブザーバーを集めて第5回UMNO(統一マレー国民組織)の党大会が行われ、9月24日には執行部選挙が実施された。

その中でアブドゥラ・バダウィ首相(UMNO党首)はかなり痛手となりかねない敗北を喫した。

まず、3人の閣僚が25名のUMNO最高評議会選挙で落選した。さらに大きなショックは、その後の3人の副党首選挙では反バダウィ首相派とみられる人物が1,2を占めた。

「金権派」野代表的人物と見られれ派手な買収工作を行ったと噂されるIsa Abdul Samad が第1位で副総裁に当選した。Isaはヌグリ・スンビラン州の首相を長年務めたが行いが良くないとして州の党代表からはずされ地域担当相という閣僚ポストをあてがわれていた。

第2位はマハティールの子分でマラッカ州首相のAli Rastamであった。

バダウィ内閣府で経済企画担当相を勤めるMustapa Mohamadと改革派のリーダー Shafrir Samadの2名が再選を果たせず、もっとも下馬評の高かった農業相のMuhyidin Yassinが辛くも第3位で副党首の座を確保した。

結果はどう見てもバダウィ首相の改革路線の敗北であり、UMNO幹部とそのクローニーが特権を維持するという従来の体制をUMNOの代議員は選択したといわざるをえない。

先の議会選挙で90%の議席を与党連合にもたらしたバダウィ首相の功績よりも札びらが優先された党大会であったと酷評された執行部選挙であった。バダウィ首相の改革路線もいつ党内から足をすくわれるか判らないということが判明した党大会であった。

また、この党大会ではアヌワール・イブラヒム元副首相はUMNOの反逆者であり、復党は認めないなどという演説が行われた。アヌワールは復党したいなどと一言も言っていないのに妙な演説である。

それほどアヌワールを恐れている党幹部がUMNOに居るということを示している。

 

39-2. UMNO副総裁のイサが買収工作で6年の資格停止処分(05年6月27日)

マレーシアの政権党UMNO(統一マレー国民組織)の04年9月の党大会で、大方の予想を覆してイサ(Isa Abdul Samad)が第1位で副総裁に当選してしまった(上の#39-1参照)。

これには、当初からUMNOの代議員に対する派手な買収工作が取りざたされていたが、党の規律委員会が調査した結果、買収の事実ありと認定され、副党首の座を追われるとともに、6年間の党員資格停止が決定された。

イサは党内の「上級委員会」に控訴することが認められている。ただし、国会議員の資格はそのまま維持できるという。

一方、UMNOのコタバル支部長のザイド(Zaid Ibrahim)も執行委員会から「金権体質」を批判する警告書を出されたことに対し、執行委員会を誹謗する発言をおこなったかどで3年間の党員資格を停止されることとなった。

バダウィ首相のUMNO浄化作戦は一応の成果を収めた形になったが、まだまだ根は深いものがある。たたけばあちこちからホコリが舞い上がるというのがUMNOの体質である。

 

40. サラワクの原住民が森林伐採の禁止を訴える(04年11月15日)

サラワク州クチン市の近くの原住民ビダユ族がマレーシア政府に対し、彼らが「入会権」を持つ森林の伐採権を民間会社に発給しないようにアピールした。

マレーシア政府は原住民保護を名目上はうたいながらも、森林伐採企業に対し、熱帯雨林の伐採権を政治的に縁故の強い企業に売却すると言うことは前々から問題になっていた。

歴史的に先祖代々、付近の熱帯雨林で狩猟をしたり、樹木から薬品を採取したりしてきたダヤク族やイバン族の生活はこれによって次第に脅かされてきた。

マレーシア議会は2000年にこれら原住民の「入会権」を無効にし、その代わり、「補償」を与えるという法律を可決したが、いまだに官報に公示していないと言うことである。

しかし、伐採権を獲得したと称するする、木材企業はトラクター3台を熱帯雨林に持ち込んで材木を切り出す作業を昨年7月から開始しているという。

怒った原住民はトラクターの鍵を取り上げ警察に渡すという、実力行使に出た。ところが警察は彼らを逮捕するといって脅したという。

政府当局者は伐採許可を与えた覚えはないといっているが、現実に木が切られていることを黙認してきたといわざるを得ない。それらの木材は輸出されていた可能性が極めて大きいのである。

もしこれが事実とすれば、マハティール政権が木材業者と癒着して不法伐採された木材輸出に加担していたと疑われかねないことになる。インドネシア政府からの不法伐採木材取締り協力要請にもマレーシア政府は聞く耳を持たなかった。

それをわが国はマレーシア産の木材は「合法」なものであるとして、盛大に輸入してきたのである。(インドネシアの話題、#57参照)

原住民が政府に訴えようとすると、業者から脅迫を受けていたという。政府当局の不法伐採に対する「甘い態度」が熱帯雨林の破壊につながっていることは間違いない。(http://www.malaysiakini.com/ 04年11月12日参照)

 

41. 7人の学生運動活動家を4年ぶりに釈放(05年4月23日)

マレーシアの下級裁判所はISA(慰安維持法)違反の容疑で捕らえられ4年間も裁判抜きで拘置されていた7人の学生運動活動家を釈放する決定を下した。

彼らはクアラルンプールの国民モスク広場で無許可のデモを組織し,参加したという理由で逮捕され、4年間も裁判も無に牢獄につながれていたのである。非常識極まりない弾圧であるとして国内では強い反発を呼んでいた。彼らは「ISA7」と呼ばれていた。

学生運動が無許可のデモをやった程度の罪ではせいぜい1週間ぐらいのブタ箱入りが相場だと思うが反対者は一切許さないというヒステリックな政治を行ってきたマハティール元首相の残虐性を示す一つの象徴的な事件である。

ちなみに、無許可デモは最高2年の禁固刑か10万リンギ(約280万円)以下の罰金あるいはその両方という罪であり、4年間も拘留すること自体が最高刑を上回る刑罰である。

あきれたことに日本では圧倒的に「マハティール崇拝者」が多い。それはマスコミや学者の一部によって作られた虚像に過ぎないと私は一貫して主張してきた。「ルック・イースト」などといわれてメロメロになって喜ぶ日本人のセンチメントはまったく困ったものである。

逆に、大使館に石を投げられたぐらいで過剰にパニックを起こすのも同じ心理状態からきているのであろう。わがほうは投石どころかよその国に大軍を派遣して「三光作戦」などと称して何百万人も殺し、町を破壊したことはすっかり忘れてしまっているかのようである。

 

42.日本とのFTA

42-1.日本とのFTAに合意ならず(05年5月20日)

日本とマレーシアのFTA(2国間貿易協定)は合意が近いと、日本のマスコミでは報じられていたが、自動車と鉄鋼部門で両国のミゾが埋まらずに合意にいたらなかったとマレーシアでは報じられている。(http://www.malaysiakini.com/)

6月に再度交渉し、自動車部品、鉄鋼、投資およびサービス部門の話し合いを行う予定であるという。

自動車は国民車プロトンをいかに守るかということがマレーシア政府にとっては産業政策上の課題である。そのためにマレーシアはASEAN内部でも相当な不義理をしている。

鉄鋼については華人資本家のウイリアム・チェンという人物が政商的な動きをして熱演薄板について異常な高関税を強いている。これがどれくらいマレーシアの工業化の発展の妨げになっているか計り知れないものがある。

FTAの行方はともかくとして自動車部品の自由化や鉄鋼の自由化をやらない限りマレーシアの工業化は明るい展望は開けない。メガ・スチール(ウイリアム・チェンのライオン・グループの薄板ミニ・ミル)などを保護の対象にするのはおよそ的外れである。

技術レベルも低いし、コスト競争力もない。しかし、マレーシア政府としてはマハティール前首相が入れ込んで大失敗した「ペルワジャ・スティール」の後始末に可なりの国家資金をつぎ込んでいるため、バランス上華人資本の事業を「保護」せざるを得なくなっているのであろう。

ペルワジャ・スチールはトレンガヌ州で還元鉄工場を作って大失敗をしたが、その後マハティールの出身地であるケダー州に立派過ぎる圧延工場を作って失敗の上塗りをしたのである。

国民車プロトンも鉄鋼会社ペルワジャもマハティールの失敗作であり、残念ながらマレーシア経済の足を引っ張っている。

 

42-2.日本とのFTAの合意成立?(05年5月23日)

日本の中川経済産業相とマレーシアのラフィダ(Rafidah Aziz)通産相との間で5月22日に会談が行われ、行き詰まりを見せていた日本とマレーシアとのFTA(2国間貿易協定)は 合意を見たという報道が日経新聞の1面に現れた。

ラフィダ通産相の説明によると「われわれがカバーしたいと思う範囲の全ても分野の経済的な枠組みを作るという合意を見た 。これはFTAについて道を開くものである。」ということになったようである。

この青字の部分は、現地の英字紙、The Star Onlineの表現では "Rafidah Aziz said both sides had agreed on a complehensive economic agreement, which would pave the way for a Free Trade Agreement."とはっきり書いてある。日本の一般紙にはそこまでの書き込みはないであろう。

要するにFTAを骨格とする「経済連携協定」というものであるらしい。しかし、FTAについては肝心の決着を未だ見ていないというこのようである。

その骨子たる「FTA」については、懸案になっていた自動車や鉄鋼関連の関税引き下げ問題がどうなったかについては両国とも明らかにしていない。中川氏はこの問題は「National Secret=国家機密」だといっているとWSJは報じている。

あきれた話である。2国間の取り決めの内容が国民の前に明らかにされないなどというのは問題外である。

そんなことよりもバダウィ首相が5月25日(水)と26日(木)に来日し、小泉首相と会談するための「お膳立て」としてにむりやり「合意」という形を作ったものではないかと思われる。

内容については実際どうなるかは一般国民には想像もつかない。日本というのは変な民主国家である。

この協定は05年12月には正式に署名されて発効するらしい。自動車については日本車のシェアーが多少は増えるということが含意されているような報道がなされている。

マレーシアは幸いにも(?)コメや砂糖の輸出国ではない。日本にとっては、まさに都合の良い相手である。しかし、自動車と鉄鋼についてはナショナリズムというやつ(実は 一握りの政治家の思惑にしか過ぎない場合が多いのだが)が邪魔をしていてどうにもならないというのが現状である。

 

44. イスラム諸国との経済的連携を強めるマレーシア(05年6月18日)

インドネシアとマレーシアは同じ穏健派イスラム教国と見られているが、インドネシアがもたついている間に、マレーシアはOIC(イスラム評議会組織)加盟諸国のなかでも経済的な発言権を最近非常に強めていることが注目される。具体的な動きは二つある。

その1は、IDB(the Islam Development Bank=OIC諸国55カ国が参加する投資機関)に110億ドルの債券基盤基金を設立しようという呼びかけである。おりしも、来週(6月19日からの週)にIDBの年次総会がクアラルンプールで開催される。

第2は、OIC加盟諸国の間で、特恵関税制度を作ろうという提案である。OICの加盟国は現在57カ国あり、そのうちの15カ国ほどがこの同盟に参加する意向をを示しているといわれている。

マレーシアは現在、OICの議長国になっており、9月までには何とかこの制度をまとめたいとしている。

OIC諸国のうち半数が一人当たりGDPが750ドル以下という貧困国であるが、11カ国は3,000ドル〜9,000ドルの中所得国の地位にある。マレーシアは約4,000ドルであるが、工業化水準は高い方に属する。貿易相手国も世界にまたがり、貿易の知識も最も豊である。

OIC諸国間の貿易は約12%に過ぎないが、世界の天然資源の60%(その多くは石油・天然ガス)を占め、人口も15%を占めている。

ということで、マレーシア政府は大いに張り切って来週のIDB総会に臨もうとしている。また、OICはもともと政治色の強い組織であり、現在、タイの南部地区で起こっている、バンコク政府(タクシン政権)とイスラム教徒との抗争問題を取り上げるといわれている。

 

45. 通貨の対米ドルとの固定を7年ぶりに解消(05年7月22日)

中国・人民元が1ドル=8.28元という固定制から、管理フロート制度に7月21日夕刻、切り替えることが発表されたが、ほぼ同時刻にマレーシアの通貨(リンギ=Ringgit)も固定制度から管理フロート制度への切り替えを即刻実施すると中央銀行ゼティ・アジズ(Zeti Aziz,女性)総裁が発表した。

1リンギ=3.8米ドルの固定されたのは98年9月1日以降である。アジズ総裁は変動性にしたからといって現行の1ドル=3.8リンギからそれほど大幅に変化するものではないと説明している。

今後の運営はタイなどと同じく、「管理フロート制度」で前日の取引の様子や経済情勢を見ながら、毎日、変動幅を中央銀行が発表しながら、少しずつ変動させていくというやリ方を採用するものと思われる。

リンギを変動性に切り替えるべきだという議論は最近マレーシアで盛んになってきており、ドルに固定してきたがゆえに、対ユーロなどに対して過小評価になっているなどの指摘がなされていた。

シンクタンクMIER(マレーシア経済研究所、所長モハメッド・アリフ氏)も中国の変動相場制移行を待たずに、リンギの対ドル固定を止めるべきであるという論陣を張っていた(Malaysiakini,05年5月30日付け)。

また、マハティールによって追放・投獄されたアヌワール・イブラヒム元副首相兼財務相もバダウィ首相にリンギを早めに変動性に移行させるべきであると提言していた。長年固定させていると他の通貨とのバランスや経済実態との乖離が出てくるというのがその理由である。

通貨当局も中国の動向をにらみながら変動相場制以降のタイミングをはかっていたものと思われる。変動相場制移行後は1ドル=3.3〜3.6リンギの間で推移するものと関係者は見ているという。(www.malaysiakini.com/ 7月21日付け参照)

 

46. UMNOにNEP(新経済政策)の復活要求強まる(05年7月25日)

NEP(新経済政策)とはマレー人の経済的地位の向上を目指す、いわゆる「ブミプトラ政策」であり、1969年の人種対立によるクアラルンプール暴動の後に できた政策である。その立案者であるラザク当時副首相が1970年9月に首相に就任してから本格的実施に移された。

その目的は@種族(ブミプトラ=マレー人、華人、インド人など)に関係なく貧困者層をなくすこと、A種族間および地域間の所得格差をなくすことにあり、その骨子は次の通りである。

@雇用機会の配分にはマレーシア全体の種族人口構成を反映させること。

A1971〜90年の20年間で生産資産の所有と経営の30%をブミプトラに持たせること。

B1971〜90年の20年間にブミプトラが商工業活動の少なくとも30%を所有・経営するブミプトラ・コミュニティーを創設すること。

その目的のためと称して、ブミプトラが所有する国営・公営企業が雨後の筍のごとく作られた。 それらの多くが後に民営化され、UMNO幹部とそのクローニーが所有者となった。

華人企業の中にはマレー人への株式譲渡を求められるケースは多かったが経営権をうばわれるという例はほとんど見られなかった。

マレーシア人は73・4年の第1次石油ショックで豊になった国家財政をフルに活用して、不動産、金融部門、建設、公共事業などを独占受注や民営化しつつ株式を大量に発行し、それを分配する などといった形で蓄財するものが現れた。

それによって与党UMNOの関係者に少なからぬ「富豪」があらわれた。ザイヌディン元財務相などはその典型である。マハティールの息子も"Son also rises"などと陰口をたたかれながらも、カネモチ階級にのし上がっていった。

しかし、1980年代の後半から、日系企業などが大挙して工場進出する中でマレーシア人全体の雇用機会が増え、所得も平均的にはかなり上がり、90年代の後半にはいるとNEPやブミプトラ政策といった言葉自体があまり語られなくなった。

ところが、最近になってUMNOの青年部からNEP復活の声が上がってきて、7月23日のUMNOの大会でファジール(Abdul Kadir Sheika Fazir)情報相がNEP復活について強い支持を表明した。

それに先立ち、UMNO青年部のジャムルディン(Khiry Jamuluddin)副部長から、New National Agenda(新しい国民的課題)という15年間にわたる基本政策の策定が提示され、その内容の骨子がNEP復活案であるという。

NNAでは土地、住宅、ビジネス資産(business premises=店舗など)、知的所有権について2020年までにブミプトラ(人口の60%強を占める)が30%以上を所有することを謳っている。これはNEPの哲学(基本理念)の復活を求めるものであるとしている。

また、これとは別にイスラム教団体の立場からは「宗教と教育」問題を提起している。マレーシア社会にいて起こっているさまざまな犯罪、罪悪は宗教軽視の風潮がもたらしたものであるという主張である。

これらに対しては当然華人社会(人口のほぼ3分の1を占める)からは反発の声が上がっており、華字新聞は新NEPへの反論をしきりにおこなっている。UMNO青年部はこれに対しても攻撃を加えている。

ようするに、NEPのいいところは全部先輩が分捕ってしまい、UMNOの若手としては十分な「分け前」を貰っていないから、もっとよこせといているようにしか受け止められない。

こういうエゴイズムに根ざした声がUMNO内部で支配的になっていく可能性は十分にある。バダウィ首相も容易でない。

 

47. ライオン・グループの製鉄所拡大計画(05年9月7日)

 

48. パーム油をディーゼル油に混入計画(05年10月18日)

マレーシア政府は農園産業省が中心になって、石油価格の高騰に伴い、パーム・オイル(ヤシ油)をディーゼル・オイルに混入するプロジェクトをスタートさせる。輸出用務含め既に3ヶ所で混入・合成工場を計画中であるという。

同様の話しとしてはヨーロッパでは食用油(なたね油など)をディーゼル油に混入して自動車の燃費を軽減するということが市民レベルで試みられているが。

マレーシアは大量生産されているパーム油を5%ディーゼル油に混入して、バイオディーゼ(Biodiesel)ルとして2007年から使用すべく法改正を健闘しているという。バダウィ首相も、このバイオディーゼルは特にEUに輸出できると期待し、大乗り気なので、この話しは実現しそうである。

現在、マレーシアではトン当たりディーゼル油は約2,000リンギ(約60,000円)であるが、パーム油は1,610リンギと20%近く安い。

マレーシアは現在年間1,400万トンのパーム油を生産しているが、このうち50万トン程度をバイオディーゼルに振り向けるという。マレーシア政府は石油燃料に対し、05年では前年比34%増の約160億リンギ(4,800億円9という多額の補助金を支出している。

マレーシアでは石油公社ペトロナス(Petronas)とMPOB(マレーシア・パーム油委員会)が共同で、パーム油のディーゼル混合技術を研究・開発しており、排気ガス対策上も有効な技術を確立しているという。

もちろん、これは日本でも使えるはずだが、パーム油の世界的需要が中国を中心に高まっており、かえってパーム油のほうが値段が高くなるという可能性もある。同じく、パーム油の大生産国であるインドネシアも同様なやり方を研究しているはずである。 タイでもこの話しは出ている。

現在、世界最大のパーム油生産国はマレーシアであり、年産1,400万トンで世界シェアの48%、ついでインドネシアが1,140万トン、第3位がタイの200万トンである。タイは紛争地域の「南タイ」に生産地が集中しており、紛争が収まれば可なり増産できそうである。

 

49. サラワクの国営シリコン工場の赤字が問題に(05年10月31日)

サラワク州の国営半導体シリコン・ウェファー製造会社であるファースト・シリコン社(1st Silicon)が巨額の赤字経営になっていることが国会で明らかにされた。

ファースト・シリコン社はサラワク経済開発公社(Sarawak Economic Development Corporation=SEDC)が株式の70%を所有する事実上の国営企業である。

サラワク選出の国会議員(野党のDAP=民主行動党)のチョン・チェン・ジェン(Chong Chieng Jen)氏によれば2004年には2億78000万リンギ(約84億8000万円)の売り上げに対して7億4600万リンギ(約227億5000万円)のコストがかかっている。

1リンギの売り上げを上げるのに2.7リンギのコストがかかっている計算になると大幅な赤字体質であることを暴露した。また、2001年には8億900万リンギ、2002年には8億8100万リンギ、2003年には7億2700万リンギの赤字であったという。

2004年には決算上は600万リンギの「黒字」を計上しているが、不動産や機械設備など8億5000万リンギ相当を売り払い、ようやく見かけ上の利益を計上したに過ぎない。これらの特別利益がなければ2004年の赤字は8億リンギを超えていたであろうと、同社の深刻な経営実態を指摘した。

ファースト・シリコン社は18億7400万リンギの資本をもっていたが、初めから外国からの巨額の借り入れをおこなってきたという。これらの借り入れはサラワク州が保証しているが一部は連邦政府の保証もついているという。

チョン議員はこのままファースト・シリコン社が経営を続けていけるのかどうか重大な懸念を表明したが、誰が考えても営業の継続は難しい。この事業もマハティール前首相の「負の遺産」とも言うべきものである。

 

50.女性被疑者に対する人権侵害的取調べが大問題に(05年12月20日)

日本ではほとんど報道されていないと思うが、マレーシア警察(ペタリン・ジャヤ署)で女性の麻薬保持被疑者に対し、全裸にしたうえイアー・スクワット(両ミニに手を当て、屈伸運動する)をさせている写真が背後から盗撮され、それが野党議員の手に入り、新聞に出てしまった(11月25日)。

被疑者を取り調べているのは婦人警官であるが、背後から鉄格子越しに盗撮したのは男の警官だと考えられる。当初この被疑者が中国から来た女性観光客だという報道がなされ、中国政府はマレーシア政府に抗議した。

ところが、よせばいいのにマレーシアの副内務相のノー・オマール(Noh Omar)が「マレーシアの警察が残酷だと思うなら、外国人は国に帰ればよい」とどこかの国の保守党政治家も顔負けの過激発言をしてしまった。

これには国内からも強い反発が起こり、ノーは弁明にこれ努める羽目になった。また、急遽内務相のアズミ・カリド(Azmi Khalid)が中国に赴き中国政府に謝罪するという騒ぎにまで発展した。

ところが話しが急転し、「被疑者の女性は中国人ではなくケランラン州のマレー人女性であった」ことが12月13日になて明らかにされた。何のためにアジズ内相は中国政府に謝りに行ったのかということになってしまった。

これとは別に、先に、中国時 人女性観光客4名が偽造パスポート所持の容疑で全裸にされ取調べを受けた(イアー・スクワット無し)事件もあり、アジズ内相の謝罪はまるで「ムダ玉」ではなかったものの大恥をかいたことは間違いない。中国に行ったのは他に用事(観光交流)があったからだと苦しい釈明を強いられた。

ところが、これで話しは終わらない。警察は最初から被疑者が「マレー人」であることを承知していたはずである。しかし、当初は被疑者が「中国人」だとして世間に報道されてしまった。警察は直ちに真相を 公表して訂正すべきであったことはいうまでもない。

では、警察が公表を遅らせた理由は何かということになる。それはその女性が住むケランタン州のペンカラン・パシール(Pengkalan Pasir)地方の補欠選挙(州議会議員)に絡んでいたというのである。

その被疑者の女性がケランタンのマレー人女性でったことが公表されたのは、選挙で与党のUMNO(統一マレー人国民組織)の勝利(12月11日)の2日後だったのである。

もしそれが、投票日前に公表されていたらUMNOの勝利は多分ありえなかったであろうというのが野党(PAS=統一イスラム党)の言い分である。この事件について政府が全貌を国民の前に明らかにしていないため、現在もマレーシアでは大きな 問題となっている。

 

⇒誤報の中国語新聞2社の編集長が解雇される(06年1月6日)

中国報などの中国字新聞2紙は「全裸で屈伸運動させられたのは中国からの旅行者(実際はケランタン州のマレー人女性)」だと報じ、マレーシアと中国の国際問題までに発展させた責任をとり、公式に謝罪すると同時に責任者2名の解雇を発表した。

この中国報とその姉妹紙は南洋商報はMCA(マレーシア華人総会=馬公会=UMNOと与党を組む)が4年前に買収したものである。

 

51.内閣改造でバダウィ首相の政治姿勢が問われる(06年2月17日)

バダウィ首相は2月15日(水)に内閣改造を発表したが、小幅改造にとどまり、マハティール時代からの問題閣僚がそっくり留任したことにより、バダウィ首相の「改革への取り組み姿勢」が問われている。

特に問題視されているのはラフィダ(Rafidah Aziz) 通産相で、AP事件という外国自動車の不透明な輸入ライセンスのバラマキ事件の責任をウヤムヤにしたままの留任となった。バダウィが彼女の行動を「容認」したと内外に受け止められかねない。

彼女以外にサミー(S Samy Vallu)公共事業相のとリム(Lim Keng Yaik)エネルギー・水・通信相の3人が「問題トリオ」といわれていたが、今回全員めでたく留任した。

情報相にザイヌディン(Zainuddin Maidin)氏が就任したことについて、早くも危惧する声が上がっている。彼はもと新聞の編集長で「右翼的」な人物として知られている。彼は「アジア流自由主義」の信奉者で強烈は反西欧主義者(自由主義・民主主義)であるといわれている。

日本人の国会議員や学者や新聞記者などで彼と意気投合する手合いが出てきそうである。

バダウィ首相はそれでもマハティール路線の修正を彼なりに一生懸命やっていることは窺えるが、閣僚にもっとしっかりした改革路線を企画・実行 (お題目ばかりで中身がオソマツなのはいただけないが)できる人物をすえないとやたらに「時間を空費」することになりかねない。

極東の某経済大国などはそれで大分困っているようだ。

また、上記の「女性容疑者」への非人道的取調べ事件で「不穏当発言=マレーシアの警察のやり方が気に入らない外国人は来なくて良い」をおこない、厳しい批判を受けたノー・オマール(Noh Omar)副内務相が副教育相に横滑りしただけで、別にたいした責任を問われなかったことなどである。

 

52. ガソリン・ディーゼル油の大幅値上げ(06年3月1日)

マレーシア政府はガソリンとディーゼル油の補助金が急膨張しているとして、2月28日からガソリンとディーゼル油の小売価格をそれぞれ1リットルあたらり30セント、率にしてガソリンは19%、ディーゼル油は23%引き上げることと決定した。また、LPGの価格は既に21%引き上げられている。

前回の引き上げは05年7月におこなわれた。2004年の5月1日からみるとガソリンは1リッター1.37リンギ(Ringitt)だったものが06年2月末には1.92リンギ(約60円)と40.1%アップ、ディーゼルは0.781リンギから1.581リンギ(約48円)へと102.4%アップになっている。

現在マレーシアの物価は3.2%ほど上がっており、これがさらに上昇していくことは間違いない。また、インフレ抑制のために金利の引き上げも予想される。

上のグラフはmalaysiakiniから借用しました。

 

53.第9次マレーシア計画(5カ年計画)発表(06年3月31日)

マレーシア政府は2006〜10年までの第9次マレーシア計画(9MP=5カ年計画)を議会に本日(3月31日)提出する。その骨子は既に明きらかにされている。

2010年までにマレーシアは毎年少なくとも6%の成長を遂げ、インフラを整備し、貧困を減少させていくとしている。

この9MPの中で、マレーシア政府は540億ドルという巨額の支出を計画している。前の5カ年計画(8MP)期間中に新クアラルンプール国際空港や水路整備などが行われた。

アブドゥラ・バダウィ首相は9MPの中では1,700億リンギ〜2,000億リンギ(約6兆3000億円)を投じて、高速道路、水路、学校の整備と農業振興を重点的に行うという比較的地味な方針を打ち出している。ただし、「目玉プロジェクト」は作らない方針のようである。

9MPの中では製造業が中心的役割を果たすことには変わりはないが、農業も振興させ、エレクトロニクスに偏重した現在の輸出構造に修正を加えていこうとしているという。

農村地帯の生活レベルは低く、貧困対策としても農業部門への投資は不可欠であるという考え方である。農業とは具体的にはパーム油とゴムが中心になろう。また、自給率の落ちている米(稲作)の増産対策も意識されているものと考えられる。

また、政府は企業に対し、マレー人に30%の株式を譲渡するように改めて要求する考えであるという。それを行わない企業に対しては「政府調達」から外すという制裁措置をとるという。(70年代の新工場法では免許の更新を行わないという強硬なものであった)

また、マレー人を一定比率雇用するという割り当て制度も適用したいという。全体にかつてのマレー人優遇措置がかなり息を吹き返してきているような印象を受ける。

 

54.マハティールがバダウィ首相攻撃を強める(06年4月18日)

「老兵は死なず、消え行くのみ」とはかのマッカーサー元帥の退任の演説であるが、引退したはずのマハティ−ル前首相(80歳)が最近さまざまな「政府批判」発言を繰り返し、さっぱり「消える」気配を見せない。

最近では何と「民主主義と言論の自由」の重要性にまで、改めて気が付いたごとき発言が飛び出してきている。

マハティールは自ら指名した後継者であるアブドゥラマン・バダウィ首相が最近になってマハティールが営々と築きあげてきた「実績」を放棄し、独自路線を打ち出してきたことに、相当ご立腹の様子である。

そのうちの1つは国民車プロトンへの過剰な保護政策を取りやめたことや、プロトン社が買ったイタリーの万年赤字のオートバイ会社アグスタ(Agusta)社の売却である。

アグスタ(Agusta)社の買収を行ったのはマハティール自身であり、これが箸にも棒にもかからないダメ企業と見切りをつけて売却したのはバダウィ首相である。すっかり面子を潰されたマハティールが怒り狂ったことはいうまでもない。(#34-12参照)

だいたい、マハティールがマレーシアの重工業政策を成功させたなどという「虚構」に日本のメディアや学者が振り回されすぎてきたのである。マハティールの作ったHIKOM(重工業公社)で唯一生き残ったものがプロトンであったが、最後は三菱を追い出してこれすらだめになったのである。

プロトンの次にマハティールがバダウィ首相を攻撃しているのは、最近マレーシア政府が、ジョホール水道の新しい架け橋を建設するというマハティール時代からの構想を、シンガポール政府の猛反対に屈する形で、撤回したことである。

これは厳存する「直線」の橋に代えて、マレーシア領の部分に「湾曲したより大きい橋」を作り、あわせて、通関や入国管理や検疫所を建設するという構想’総額13億リンギ=約42億円)だった。これはもし実現すると、シンガポール側に交通渋滞などの余計な負担がかかる可能性も大いにある。

どちらにせよシンガポール政府との合意がなければ実現が困難な案件であることは間違いない。

マレーシア政府は一度は「強行突破」を目指し、一部工事を始めたが、途中で中断することを決定した。これをマハティールが「弱腰」だとして攻撃し始めたのである。「戦いもしないで撤退した」というのがマハティールの言い分である。

マハティールは「橋の建設の是非について国民投票をやるべきだ」などという主張をしている。国民の声を聞くなどということはマハティール政権時代にはおよそ考えられなかったことである。少しでも彼に反対した政治家やジャーナリストがどういう目に合わされたことか、忘れるには早すぎる。

バダウィ首相はシンガポールと協調体制を築いていくことがマレーシア国民にとっても有益であるという信念の持ち主であることは間違いない。隣国といたずらにことを構えて良しとするようなオロカしい政治家ではない。

マハティールは引退した人物であり、バダウィ政権に対してさほどの影響力を持つものではないが、与党UMNOの中にはマハティール派がかなり残存している。彼らのなかから新NEP(マレー人優遇策)をやれなどという声が出てきている。

閣僚の中にもラフィダ通産相のようにかつてマハティールにきわめて近いと考えられた人物もいる。たしかに、実際問題として、UMNOの内部でのバダウィ首相の勢力は依然として、さほど強いものではない。(39-1参照)

マハティールの発言をマレーシアの新聞などがしきりに取り上げるのは、依然としてマハティールが隠然たる力を持っていることも影響していることは間違いない。しかし、マハティールが再度、首相に返り咲くことはありえない。

また、彼の代理人がバダウィを蹴落として政権につくことも直ちには考えにくい。しかし、ナジブ・ラザク(Najib Abdul Razak)副首相などは従来からバダウィ首相に十分対抗できる人物と見られておおり、将来何らかの動きが出てくる可能性は否定できない。

バダウィ首相は、これら以外にも第9次マレーシア計画(5ヵ年計画)で、マハティールの工業化、IT、巨大プロジェクト重視路線からやや離れて「農業政策」などにも目配りをする方針を打ち出していることが注目される。

 

56. マレーシア・エアライン株をめぐるマハティールの旧悪露見(06年7月7日)

マハティール前首相は後継者のバダワイ首相が。マハティール路線から「逸脱」しているとして最近、かなり激しく攻撃し、それを連日マス・コミも取り上げ、一見バダウィ首相が苦境に立たされているかのごとき有様になっている。

ところが、独裁者として22年間もマレーシアの政治を壟断してきたマハティールには数々のスキャンダルがあって「当然」かもしれないが、国民の知らないところで、「失政」の取り繕いをやっていたことが明らかになってきた。

元マレーシア・エアライン(MAS)の会長であり、マレーシアでは大金持ちの1人であるタジュディン・ラムリ(Tajudin Ramli) 氏がMASの会長時代の 1994年にMASの発行済み株式の32%に当たる分を1株8リンギ、合計18億リンギでマハティール首相とザイヌディン蔵相に 頼まれて買ったと言うのである。

当時のMASの株価は市場では3.5リンギであった。タジュディンは自分の所有するNaluri Bhdという会社にそれを引き取らせた。ただし、そのときの約束では将来、同じ価格(1株8リンギ)で必ず、国が買い戻し、タジュディンには迷惑をかけないと言うことであった。もちろん守秘義務は課せられた。

タジュディンはザイヌディン元蔵相のクローニーといわれた人物であり、親分の命令とあってはと、Naluri社とテクノロジー・リゾーシズ・インダストリー(TRI)を担保にして借り入れを行いその株式を買い取り6年間保有していた。

その約束は2000年に実行された。そのときのMASの株価は1株=約3リンギであった。(WSJは3.6リンギと書いている)

ところが、その間に思いがけない事件が起こってしまった。それは1997−98年の通貨・経済危機である。このときタジュディンの所有していたNaluri社とTRI社が破産状態に陥り、国の不良債権管理会社の「Danahara」に引き取られたのである。

TRIが所有していた携帯電話会社のCelcom社も当然Danaharaによってリストラ策の一環として、国営のTelecom Malaysiaと合併させられてしまった。

タジュディンは有望会社のCelcomなども取り上げられてしまい、あまつさえ、国への借金が5億8900万リンギ(約180億円)残っているとして返還請求を受けているという。

そこでタジュディンは反撃に出て、国に130億リンギ(約4,000億円)の損害賠償請求の訴訟を起こした。(根拠は不明)

こういう事態になると、裁判の過程でマハティールやザイヌディンが過去に行ってきた「アヤシゲな金銭取引」が次々明るみに出てしまう可能性が出てきた。

マハティールとその右腕のザイヌディンがなぜそういう訳の分からない取引をタジュディンとおこなったかというと、1994年当時マレーシアの中央銀行のバンク・ネガラ・マレーシア (BNM=Bank Negara Malaysiaが外国為替の「投機」で300億リンギ(約1兆1800億円)という大損害を出してしまい、その穴埋めが必要だったからだと言うのである。

MAS株を買い戻すときに、議会で説明を求められたが「国益上」必要であると言うことでマハティールは押し切ってしまった。

こういう話はマハティールを支持してきた、独裁者好きのの日本のマスコミで は取り上げられることは まずありえない。しかし、WSJのインターネット版はこれを記事にしていた。日本の新聞をいくら読んでもアジアのことが分からないという人が多いのは明らかに日本のメデイアの責任である。

しかし、こんな話しが出てきてはマハティールがバダウィ首相に仕掛けた「喧嘩」も勝負あったという感じである。 マハティールの長男のミルザンの話しなど出されたら、たまったものではあるまい。マハティールもこの辺で振り上げたこぶしを下ろすほかない。

アヌワールの証言(06年7月19日)

この話しは、7月19日付けのマレーシアキニ(malaysiakini)というインターネット誌で当時、蔵相であったアヌワール・イブラヒムが真相を語っている。彼がザイヌディンの後継者として蔵相に就任して、スイスに行った際、友人からBNMの為替取引の件を知っているかと聞かれたという。

彼はザイヌディンからその話しを引き継いでいなかったので、帰国後、当時BNMの総裁であったジャファー・フセイン(Jaffar Hussein)に聞いたところ、彼も詳しい報告は受けていないということであった。

ジャファーのその後の調べで,副総裁のノール・モハメド・ヤコップ(Nor Mohamed Yakcop)がマハティールとザイヌディンと組んで1992〜94年にわたり、大規模の為替取引を行い、300億リンギという大穴を空けてことが明らかになった。

当時BNMは世界でビッグ・スリーにはいる「為替取引業者」であったと言うのである。

ノール・モハメドはその後BNMをクビになったが、4年後にマハティールの「経済顧問」として賦活させ、バダウィ内閣では第2蔵相として「活躍中」だという。

アヌワールも副首相兼蔵相の立場として、BNMの大失敗を明るみに出すべきであったかもしれないが、あまりに巨額の損失で、事件を明るみに出せばマレーシア経済が大混乱に陥るおそれがあったので、あえて沈黙を守ったものと思われる。

BNMはそのときの傷が癒えていないと言う。

 

57. バダウィ首相、ASEANの不干渉政策の修正を提案(06年8月9日)

マレーシアのバダウィ(Abullah Ahmad Badawi)首相は、従来ASEAN加盟国の間では、「内政に干渉しない」という大原則が守られてきたが、ビルマ(ミヤンマー軍事政権)をASEANに加盟させてことによって、EUとASEANとの対話が難しくなるなど、弊害が起こってきた。

というのは、今までにも説明してきたが、ビルマの軍事政権(SPDC)は1990年に総選挙を自ら実施し、思惑に反してアウンサンスーチー女史の率いる国民民主同盟(NLD)に大敗したが、選挙結果を認めず、アウンサンスーチー女史らを逮捕、監禁するなどの暴政をおこなってきた。

軍事政権は「民主化への道筋」をつけるなどという「空手形」を発行してきたが、アウウサンスーチー女史の「自宅軟禁」状態すら解除せず、米国とEUから強い反発を受け、現在、経済制裁がおこなわれている状態にある。

ASEANとして特に問題になるのはEUとの間で「ASEM」と称する閣僚級の会議を定期的に開いてきたが、ビルマ軍事政権は「民主化」を実行する意欲が全く感じられないとして、最近「ASEM」の会議にも熱心でなくなってきた。

ASEANとしてはEUとの対話ができなくなるということは大変なマイナスであり、ビルマ軍事政権が態度を変えなければ、ASEANから除名すべしという声もあがっている。

マレーシアとしてはこの辺でビルマ軍事政権がハッキリした形で政策転換=民主化への具体的な前進をしてくれなければ、ASEANの国際的立場はなくなるという危機感から、ビルマ軍事政権に対して強硬姿勢で臨むことを加盟各国に「提議」する考えのようである。

ビルマ軍事政権としてはASEANからの除名など痛くも痒くむもないという態度である。最近ビルマで天然ガスや石油が発見されており、その利権を独り占めうるほうが先である。民主化などしてせっかくの「ご馳走」を一般国民になど分け与える必要がどこにあるかということであろう。

ASEANから除名されても中国とインドが支援してくれているし、日本も非民主的国家(北朝鮮は別として)は必ずしも嫌いではない。米国とEUからシャットアウトされても、工業品を買ってもらうわけではない(工業化が全く進んでいない)ので、別にどうとうこともない。

ASEANのなかではタイのタクシン政権のみがビルマ軍事政権への「理解者」である。タクシンは最近、突如ビルマを訪問したが、軍事政権と何を話し合ったのかは明らかにされていない。

 

58. 福祉・教育重視の新予算で法人税も軽減(06年9月8日)

バダウィ首相は2007年予算を発表した。経済成長は年6%(06年の見込みは5.8%)とするという意欲的なものだが、政権発足3年目にして、バダウィ色ともいうべきものが出てきた。マハティール時代はどちらかといえば開発重視型で、ブミプトラ(原マレー人)優先的な色彩が濃いものであった。

しかし、バダウィ首相は「貧困軽減と教育重視」型予算ともいうべきものである。もちろんインフラの拡充もおこなうが、貧困地域である北部諸州に手厚い配分をおこなっている。

特に、トレンガヌ州やケランタン州は比較的貧しい地域で、そこでは野党イスラム統一党(PAS)が強固な地盤を築いているが、そこに重点的に予算を割り当てる方針である。

また、新たに外資を呼び込むためもあって、法人税を従来の28%から、2008年までに26%に軽減する。これは、シンガポールの20%にくらべまだかなり高い水準であるが、企業からは歓迎されている。

予算は規模は445億リンギ(1米ドル=3.65リンギ、1兆4160億円)と2006年の358億リンギ24%も上回る積極予算である。特に注目すべきは、教育予算は79億リンギで実に52%増(06年は52億リンギ)である。予算全体としては3.5%の赤字となっている。

 

59. EUーマレーシアでFTAなど包括協定の交渉近く開始(06年10月10日)

EUは近くマレーシアとFTA(2国間貿易協定)を主な内容とする包括的な経済協力協定の交渉に入ることを明らかにした。これはEUの対外関係コミッショナーのベニタ(Benita Ferrero-Waldner)女史が明らかにしたものである。(WSJ,10月9日参照)

FTA以外には環境、エネルギー、テロ対策、技術開発などの分野での協定が話し合われることになるという。

また、不法伐採木材の輸入問題についても別途、話し合いがもたれたと伝えられる。

EUとしてはマレーシアについでシンガポールとも包括協定の話し合いを近くおこなう予定であるとのこと。ただし、ビルマ(ミヤンマー軍事政権)とはアウンンサンスーチ女史の問題もあり、今は話し合いができる環境にはないとしている。

EUはWTOの行方が不透明のまま、日本や中国がASEANとのFTAを進めていくことにやや危機感を抱いている様子で、話し合いがまとまりそうな国から包括協定を結んでいく考えである。

これはWTOをそっちのけにして東アジア共同体やASEANとのFTA締結に狂奔している日本や中国に対するEUの対抗措置と考えられるが、ASEANにとっても良い話しである。

東アジア共同体などという「ナニが目的なのかハッキリしない」ものをでっち上げ、米国やEUと対抗するなどという考えが「無意味に」させられるだけでも歓迎すべきことである。

地域の囲い込み競争(現代版エンクロージャー・ムーブメント)などは21世紀の世界貿易秩序にとってこれほど有害なものはない。せいぜい地域フォーラムに毛の生えた程度のものにとどめ、お互いが「世界に門戸を開く」という精神で進めべきである。

 

60.マレーシアがASEANで報道の自由では一番(06年10月26日)

国境無きリポーター(RSF=Reporters sans Frontiers=Reporters Without Borders) によれば報道の自由のランキングでマレーシアがASEANにおける1番になった。とはいえ世界では92番目であるが日本の51番にぐっと近づいてきた。日本そのものが低いことももちろん大問題である。

この調査は2006年は05年10月1日かた06年9月30日である。

順位が2005年の113位から21も上昇したのはバダウィ首相の自由化・民主化への地味な努力が実ったからだといえよう。日本人がお好きなマハティール首相の時代には言論や報道の自由はかなり厳しく制限されていたのである。

マレーシアは2005年では113番目でカンボジアやインドネシアにも遅れを取っていたのである。下の表をご覧いただきたい。タイのクーデターを「民主主義の後退である」とリー・シェン・ロン首相のシンガポールは146番目とベトナム156番目と大差ない。

シンガポールはファー・イースタン・エコノミック・レビューの国内販売禁止など政権批判を許さないという近代国家としては大いに問題のあることが明らかになった。

タイはこの1年間タクシン政権が言論弾圧を一段と強化した結果がこれである。2007年以降はタイが大幅に改善されることは間違いないであろう。

世界のトップはフィンランド、アイルランド、アイスランド、オランダといったところである。

 2006年  2005年
マレーシア 92 113
インドネシア 103 102
カンボジア 108 90
タイ 122 107
フィリピン 142 139
シンガポール 146 140
ベトナム 155 158
ラオス 156 155
ビルマ(ミヤンマー) 164 163

日本は05年には37位だったのが、06年には51位に落ちた。その理由は日本が過去1年やけにナショナリスティック(右翼的)になって、報道にある種のタブーが出てきたということのようである。

また、かねてから問題になっている記者クラブ制度もその理由のひとつであ る(日本の新聞はこの点を書いていない)。この制度によって官僚の都合のいい報道を強いられることになる。アジアの政権批判など日本の新聞ではめったにお目にかかれない。

テレビもモーニング・ショーなどに出てくる顔ぶれをみると明らかに右翼としか言いようのない人物がしきりにもてはやされているようである。戦前もこういう輩によって世論操作がおこなわれ、無謀な戦争に突入していったのだということが窺われる。危険な風潮である。

日本の周辺国では韓国が31位、台湾が43位、香港が58位であり、日本は韓国や台湾の下に来てしまった。中国が162位とビルマと大差ない。

また、米国は自由だ民主主義だなどと言いながらなんと53位である。この調査が始まった2002年には米国は17位だったそうである。それがブッシュの「テロ対策」に反対するものは非国民といわんばかりの風潮が醸成されてここまで落ちたということである。

(http://www.rsf,org/参照)

 

61. ジョーホール開発5カ年計画470億リンギ投入(06年11月7日)

マレーシア政府は06年11月4日(土)、ジョホール州南地区(SJER=South Johore Economic Region)の開発5カ年計画に470億リンギ(約1兆5200億円)を投入すると発表した。

これはジョホール・バル市に隣接する2,217平方キロ(シンガポールの約3倍の面積)の土地を41のブロックに分け、ハイテク・パーク、物流や製造業の地区、教育施設、レジャー施設、住居地域などを設置するという構想である。

この地域へのシンガポールとの接続も自由にして税関や入国審査も無しにする。

道路、鉄道などのインフラ建設のために2006〜2010の間に470億リンギを投入するとバダウィ首相は語った。このプロジェクトをテコにマレーシアは今後20年間に年率7%の成長を目指すというものである。

マレーシア政府の投資機関であるカザナ(Kazanah Nasional Corp.)公社はSJERの後押しをするために、南ジョホール開発公社の株式60%を保有する。この公社は34億リンギの土地と現金を保有している。

政府系年金基金、雇用者プロビデント基金、ジョホール州政府のKumpulan Prasarana Rakyat Johore Bhd,がそれぞれ20%ずつのSJER開発公社の株式を保有する。

この構想自体1996年には一時動き出したが、97年の通貨・経済危機によって長年塩漬けにされていたものである。当然シンガポールをはじめ外国からの投資が無ければ成り立たない話である。

この計画に対し、お隣のシンガポールは案の定、きわめて冷たい反応を示しているという。ジョホールは犯罪も多く、社会秩序が乱れているという言い分である。

もちろんこんなプロジェクトがマトモに動き始めたらシンガポールにとっては強敵になることは間違いない。問題はマレーシア側で、これを一大利権としてとらえ、さまざまな悪徳政治家や業者が食い物にする危険のほうがよっぽど大きい。

 

62.モンゴル人モデルの殺人容疑で著名政治評論家逮捕(06年11月10日)

マレーシアでモンゴル人の28歳のファッション・モデルのアルタントゥヤ(Altantuya Shaariibuu)さんが何者かによってピストルで殺害され、クアラルンプール郊外のジャングルで遺体が爆発物(3個の手榴弾)で吹き飛ばされ捨てられるという事件が起こった。

その殺人・死体遺棄事件の容疑者としてアブドゥル・ラザク・バギンダ(Abdul Razak Baginda=46歳)というマレーシア戦略研究所(Malaysia Strategic Research Institute)所長の著名な政治評論家が取調べを受けている。

また、同時に3人の警察官も事件に関与した容疑で逮捕され取調べ中である。警察官は要人警護に当たる特殊任務についていたという。

このアブドゥル・ラザク容疑者はナジブ・ラザク副首相兼国防相に近い人物であるといわれている(姻戚関係はない)。 アブドゥル・ラザクはロンドン大学で軍事学を修め、マレーシアの陸軍士官学校の戦略研究所の所長を務めていた。

彼はマレーシアと中国の関係強化論者として知られている。また、マレーシアがフランスから攻撃型潜水艦2隻を10億米ドルで2002年に買ったときの口聞き役として1億リンギ(約35億円)を口銭として受けとり、フランス政府から2003年にレジョン・ドヌール勲章を授与されたといわれる。

殺害された アルタントゥヤさんは生後16ヶ月の幼児があり、10月6日にマレーシアに入国し、数年前から愛人関係にあったアブドゥル・ラザク容疑者と会い、病気の子供の養育費を請求してい たとわれている。また、警察はその子供が彼との間の子供かどうかDNA鑑定をおこなっている。

与党UMNOの党大会が11月13日の週に開かれ、マハティール前首相いとってはバダウィ政権を揺さぶる格好の材料となるが、肝心のマハティールは心臓発作(軽いといわれている)で入院中であ り、党大会には欠席するという。

マレーシアのメディアではこの記事については容疑者の名前等が伏せられているがWSJやSCMPは実名を報道した。

63.マレーシアは街頭デモを事実上禁止する法案を可決(2011-11-30)

WSJ(Internet版11月30日)によればマレーシア政府は街頭でのデモを事実上禁止する法案を国会に提出し、野党がボイコットする中議会を通過させた。ナジブ首相は悪名高いISA(治安維持法)を廃止すると称して民主化への理解を示すような発言をしながら一向に廃止しておらず、今回国民の「集会の自由」を大幅に制限する反動立法を成立させた。

デモを行おうとする時は10日前に届を行い、警察が日時と場所が適正かどうかを判断するという。この「Peaceful Assembly Act(平和的集会法)」は学校やモスクやガソリン・スタンドのある場所でもデモを禁止しており、事実上デモ行進はできなくなる。

これは今年7月にクアラルンプールで行われた2万人の大集会に手を焼いたことへのナジブ的対応策である。この前代未聞の反動立法に怒った野党は一斉に審議拒否をった。

ナジブ政権はそれだけ、問題の多い政治を行っていることの証左でもある。この法案は突如議会に上程され、短期間のうちに成立させようとの政府お意向がアリアリと見えると野党や人権団体は指摘する。


64.クアラルンプールで政治改革を求める30万人のデモ(2012-4-28


クアラルンプールでBerish(Clean)グループが主催する「政治改革」と「清潔な選挙」を求める集会が開催され30万人ともいわれる参加者があった。デモ隊の一部は守界が禁止されているムルデカ(独立記念)広場い移動しようとして、待ち受けていた警官隊と衝突になり、警察は放水車を繰り出し、また催涙ガスを発射し「違法デモ」を解散させようとしたが、成功はしていない。400人近い逮捕者を出したといわれる。

集会にはアヌワール氏など野党幹部が激励の応援演説を行った。

デモ対に負傷者が出ているが詳細は不明である。逮捕者は512名。


65.マレーシアで10月から最低賃金制、900リンギ/月(2012-5-1)


マレーシア政府は2012年10月から900リンギ/月(サバ・サラワクでは800リンギ)の最低賃金を実施すると発表した。この対象となる労働者の数は320万人といわれる。これはここ1〜2か月のうちに実施されると予想される「総選挙」対策であると受け止められている。1ドル=3.08リンギ。900リンギ=24000円

また、マレーシア政府は低所得層に一律500リンギの一時金を2012年度予算から支給している。