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マレーシアの政治経済(2006年以前)←クリック


マレーシアの政治経済(2007年〜


99. IMDBは政治資金優先(2015-12-29)


98. Sungai Petani (2015-9-2)

97.マレーシア治安維持法(ISA)をやめて新治安法制定、警察の権限強化’2012-4-17)


96. マレーシアで教会焼き討ち(10年1月8日)

95.ISA(治安維持法)撤廃を求めKLで2万人のデモ(09年8月1日)


94.ペトロナスのカネはどこに行った、マハティール元首相(09年7月5日)

93.前司法相ザイド・イブラヒムがPKRに入党(09年6月16日)

92.ナジブ政権発足、マハティールがUMNOに復党(09年4月6日)

⇒4月7日の補欠選挙で野党がペラク州とケダ州で勝利(09年4月8日)

91.モンゴル人モデル,アルタントゥヤさん殺害事件の真相?(09年3月10日

90.ペラク州で政変、UMNOが奥の手を使い巻き返す(09年2月6日)

89クアラ・トレンガヌの補欠選挙で与党UMNO候補敗北(09年1月18日)

88.アヌワール補欠選挙で圧勝、国会議員に返り咲き(08年8月26日)

87.バダウィ首相の支持率42%に急落(08年8月2日)


86.⇒アヌワール翌日釈放(08年7月17日)

86.⇒アヌワールを強制逮捕(08年7月16日)

86.アヌワール氏に暗殺予告、トルコ大使館に一時避難(08年6月29日)

84.⇒元最高裁判事の証言「マハティールは司法の支配をもくろんだ」(08年6月22日)

85.マレーシアも石油製品40%値上げに踏み切る(08年6月6日)

84.マハティール前首相がUMNOを脱退、リンガム事件も関係か(08年5月20日)

83.アヌワール元副首相、政権奪取を目指すと宣言(08年4月15日)

82.UMNO内部に不穏な動きがくすぶり始める(08年3月23日)

81.マレーシア内閣大改造、ラフィダ通産相更迭(08年3月18日)

80.マレーシア総選挙、野党歴史的躍進、バダウィ首相は窮地に(08年3月9日)

79.バダウィ首相議会を解散、アヌワール選挙に出られず(08年2月14日)

78.マレーシアで民主化要求デモ(07年11月11日)

77.サラワクの木材取引キックバック事件で日本船が差別待遇?(07年10月31日)

75.マレーシア、ポート・クランで46億リンギの巨額負債(07年8月27日)

13.⇒ペルワジャのエリック・チア元会長に無罪判決(07年6月27日)

74.マレーシアは外国人メイドの虐待防止110番を設置(07年6月21日)

73.EUにとってマレーシアのブミプトラ政策は貿易上の障害(07年6月21日)

71.公務員の給与大幅アップ、最大35%(07年5月22日)

70.マレー半島横断パイプ・ライン計画浮上(07年4月18日)

 ⇒マレー半島横断パイプ・ラインにインドネシア、サウジも協力(07年5月29日)

69. ブミプトラの企業資産持分を2010年までに30%に、バダウィ首相(07年3月27日)

68.マレーシアと米国のFTAは成立困難の見通し(07年2月9日)

67. クウェート資金34億ドルがマレーシアに、最大のイスラム銀行を目指す(07年2月6日)

66. 抗日戦争慰霊塔で人種対立?(06年12月23日)

65.ホンリョン・グループもパーム油企業の大合同(06年12月15日)

64.パーム油の3大企業が合併構想、世界一の規模に(06年11月28日)

 ⇒プランテーション3社合併に合意(06年12月22日


64.パーム油の3大企業が合併構想、世界一の規模に(06年11月28日)

政府系の3大パーム油企業、Golden Hope Plantations, Sime Darby, Kumplulan Guthrieの3社が合併し、世界最大のパーム・オイル・プランテーション会社を設立するという構想がCIMB Investment 社より発表された。

CIMBとはCommerce International Merchant Bankersの略でBumiputra-Commerce Holding Bhd,として上場しており、設立は2004年であるが、マレーシアでは第2位の金融サービス会社であるという。

パーム油は石油の代替燃料としてのバイオ燃料として今後の需要が急増するという見通しの下に企業集約を行い巨大投資とコスト削減を図ることが目的であるとされている。

この合併を実現するためにSynergy Drive Sdn. Bhd.という会社が設立された。この会社が上記3社の資産を買い取る形で企業合併を行う。

現在、マレーシア政府の持ち株会社であるPNS=Permodalan Nasional Bhdとその基金(Fund)がGolden Hope Plantationsの51.8%、Sime Darbyの39.4%、Kumplulan Guthrieの64.7%の株式を所有している。

合併成立後はPNBSynergy Drive Sdn. Bhd.の株式45%を所有する。

以上の構想はCIMB Investment 社が作成したもので政府トップの了承を得ており、ナジブ・ラザク副首相も賛成の意向を表明している。ただし、肝心のPNBはまだ了承していないといわえているが合併実現は有力である。オファーの有効期限は31日間であるとされている。

上記3社はマレーシアとインドネシアに1,299,430エーカーのパーム椰子農園を保有しており、年間210万トンのパーム粗油(CPO)を生産にし、マレーシアぼ全生産の13%のシェアを占める。

なお、マレーシアにおける第1位のパーム油会社はIOI Corp.である。

 

⇒プランテーション3社合併に合意(06年12月22日

サイム・ダ−ビー・グループ(Sime Darby.BhdとSime UEP Proerties Bhd)は取締役会を開き、シナジー・ドライブ社(Synergy Drive Sdn. Bhd).が提起した国有パーム油3社の合併構想に参加することを決定した。

サイム・プロパティー社が参加することになったのはこの3社は実はプランテーション(農園)とはいっても老朽化してパーム椰子の栽培をやめてしまった「元プランテーション」を所有しており、3社合併の際はこの広大な「遊休プランテーション」が不動産部部門として一大ビジネスになるからである。

そのほかの2グループ(関連企業を含め7社)も合併承認の方向で進んでおり、60万ヘクタール(マレーシア国内のみ)のプランテーションを保有し、株式市場価値310億リンギ(約1兆360億円)のマレーシアでは5番目に大きい企業が誕生することになった。

これはマレーシアにおける第1位のパーム油会社はIOI Corp.の市場価値217億リンギを上回ることになる。

マレーシアの06年のパーム油の輸出は217億リンギ(約7,250億円)となる見込みでエレクトロニクスに次ぐ輸出商品である。

 

65.ホンリョン・グループもパーム油企業の大合同(06年12月15日)

マレーシア最大の華人財閥ホンリョン・グループの総帥ロバート・クォック(Robert Kuok)氏は世界最大級のパーム油・製品の一貫生産企業を作るために43億ドル規模の企業の合併をおこなうと発表した。

計画によるとロバート・クォックの甥のクォック・クーン・ホン(Kuok Khoon Hong) がシンガポールに上場しているウィルマー・インターナショナル(Wilmar Internaional Ltd.)がクアラルンプールに上場しているPBB Oil Palm Bhd.という企業と未上場の2つの企業を27億ドルのウィルマー社の新株で買収するというものである。

ウィルマー社はマレーシアとインドネシアとシンガポールにパーム油のプランテーションとパーム油精製工場を保有しており、同グループのマレーシアでの大パーム油企業PBB Oil Palm  Bhd.と合同すればさらに巨大なパーム油企業が誕生することになる。

ロバート・クォックウィルマー社の株式と交換でPBB Oil Palm  Bhdの株を譲渡することになる。交換比率はPBB Oil Palm Bhdの株式1に対してウィルマー社の株式2.3(9.046リンギ)とする。

PBB Oil Palm Bhdの所有する椰子プランテーションは363,238ヘクタールの面積があり、9つの精製工場を保有している。ウィルマー社は71,188ヘクタールのプランテーションと16の精製工場を保有している。

両社の合併により434,426ヘクタールのパーム椰子プランテーションと25の精製工場が統合されることになる。合併後のPBB Oil Palm Bhdのクアラルンプール株式市場での取扱いがどうなるかは明らかにされていない。

今回の統合の目的は国営パーム油企業3社の合併により617,000ヘクタールの巨大プランテーションが形成される(上記#64の記事参照)ことへの対抗と、もう1つの目的は今後需要が急速に増加する、バイオ・ディーゼルの生産設備に対する投資対策である。

(WSJ、06年12月14日付け、インターネット版参照)

 

66. 抗日戦争慰霊塔で人種対立?(06年12月23日)

大日本帝国がイギリス植民地マレーに侵略した際に、イギリス軍とは別に日本軍に抵抗した現地住民がいた。そのほとんどは華僑であった。華僑のなかには中国本土での国民党軍を支持していた者もいれば、中国共産党の支持者がいた。

マレーではマラヤ共産党(CPM=Communist Party of Malaya)が中心にんなって抗日ゲリラが組織された。当時の日本軍はイギリス軍と抗日ゲリラ軍と2つの敵と戦ったのである。

そのときに日本軍はマレーとシンガポールあわせて30万インドネシアの華僑を殺害したといわれている。シンガポールだけでも日本軍の占領後、抗日ゲリラに参加したり、支援したと疑われる華僑を5万人殺害したといわれている。

当時の日本軍関係者も殺害は認めているが、数はもっと少なく3〜5千人だろうと語っている人もいるが、30万人はオーバーだと思うが真相は不明である。しかし、親族が殺害されたという華人はかなり現存していることも事実である。

マレー半島においても日本軍は手荒なことをしたことは紛れもない事実で、女子供を含め村中の住民を殺害した事件も起こったという。現地の女性を暴行して惨殺したバカモノがいたという話は私の会社時代の上司で元近衛師団中尉であった人から聞かされたこともある。

それらの事件は戦後徐々に解明もある程度進み各地に慰霊碑が建てられたりしているが、大規模な慰霊廟がヌグリ・スンビラン州のニライ(Nilai)というクアラルンプールから20Kmほど離れたところにある。

そこには、1942年9月18日に日本軍によって処刑されたマラヤ共産党員18名の慰霊碑が集団埋葬地に立てられていたが、2003年に移設されたものもある。

その近くで、「1941年から1945年の日本の侵略に抵抗した英雄達を記念して」と刻まれた高さ5メートルほどの新たな慰霊碑の除幕式が先週おこなわれた。

ところがその碑文はマラヤ共産党を称えるものではないかという横槍がマレー人の一部の政治家(ザイヌディン情報相ら)から飛び出し、これに華人の一部が反発するという騒動が持ち上がっている。

たしかにマレー人でマラヤ共産党に加入していた人は少なかったし、抗日ゲリラに参加したマレー人も少なかった。ゲリラの主体は華僑の共産党員であったことも確かである。しかし、国民党系の華僑も日本軍にはかなり抵抗したことも事実であり、殺害された人も少なくない。、

結局、マレー人の右翼ナショナリストと華人との口喧嘩が始まってしまったのである。このようなマレー人と華人の対立は最近目立ってきている。与党UMNO(統一マレー国民組織)のなかにはNEP(新経済政策)=マレー人優遇政策を復活させよという声を上げているものもいる。

それに対し、1980年台からマハティール政権発足とともに本格化したNEP(1970年代からおこなわれていたが)は十分い成果を上げ、マレー人の経済的地位は向上したという主張もある。

また、よせばよいのにシンガポールのリー・クワン・ユーはマレー人によって華人が差別的待遇を受けているなどという談話を発表して、物議をかもした。

問題はNEPによってマレー人の経済的な持分が増え、地位の向上もみられたが、マレー人内部の貧富の差が拡大していることである。要するにマハティールやそのクローニー達、あるいはUMNOのリーダー達が勝手に旨い汁を吸いすぎたのである。

 

67. クウェート資金34億ドルがマレーシアに、最大のイスラム銀行を目指す(07年2月6日)

クウェートの投資機関であるKFH(Kuwait Finance House)が120億リンギ(約34億米ドル)を投じてマレーシアの財閥ラシッド・フセイン・グループのウタマ・バンキング・グループ(Utama Banking Group)の32%の株式を取得する。

ウタマ・バンキング・グループはマレーシアの第4の銀行であるRHB(Rashid Hussain Bank)の支配権を握っている。

これは今流行のイスラミック銀行のセンターになろうとしているマレーシア政府の意向に沿うものであり、豊富なオイル・マネーの活用先としてマレーシア金融界がいっそう浮上していくキッカケになりうるものである。

ラシッド・フセインの株主は株式買戻し計画で発生した35億リンギの負債を減らせる資金になるとして歓迎しているという。特に、大株主としてマレーシアの従業員年金基金EPF(Employees Provident Fund)が入っており、同グループの危機が救われることで一安心といったところであろう。

マレーシアの外資法では外国資本が国内銀行株を30%を超えて所有することを禁止している。しかし、KFHとしてはマレーシアの銀行を支配する目的はなく、「イスラムの兄弟として」RHBのパートナーになるのだと主張している。(実際は筆頭株主となると見られている。)

オーストラリアのANZ Bankは昨年12月にマレーシア第5位のAMMB Holdings の筆頭株主となった。マレーシアの金融部門の自由化は米国とのFTAやWTOの自由化交渉の進展をにらみながら、ピッチを徐々に上げていくものと見られている。

(FT, インターネット版、07年2月5日付け参照)

 

68.マレーシアと米国のFTAは成立困難の見通し(07年2月9日)

マレーシアと米国はFTAを締結すべく鋭意交渉をおこなってきたが、マレーシア側が要求する保護主義的な項目についてどうしても双方の折り合いがつかず、今年3月までに決着をつける必要のある米国にとってこれ以上の時間はかけられず、頓挫のやむなきにいたったと報じられている。

マレーシア側の要求はコメとタバコを協定から外すことを先ず要求した。同時に、マレーシア政府が「ブミプトラ政策」の一環として政府の発注工事につき、マレーシアの企業に落札させるという原則に固執したという。

金融の自由化問題もあったと思うが、これについては詳しい報道はなされていない。

米国側には貿易アイテムで特に問題にするようなことはないが、ブッシュ大統領に与えられている、「特別貿易交渉妥結権限」が2007年7月1日で時間切れとなる。

民主党が多数を占める議会では「大統領特別権限」の延長は不可能であり、3月中にまとめられない場合は「仕切りなおし」を余儀なくされるという。

マレーシアにとっては米国は最大の輸出先であり、FTAによって貿易の拡大を望むところであったが、国内問題とのカネアイがうまくいかないことが改めて浮き彫りにされた。

このマレーシアの国内問題はASEAN内部でもいずれ問題になる性質のものであり、「ブミプトラ政策」を国際的な自由主義体制下でどういう扱いにするかが大問題である。

バダウィ政権としてはブミプトラ優先政策の手直しをおこなう姿勢ではあるが、マレー人の特権的資本家や政治エリートは逆に「新ブミプトラ政策」を要求して既得権益の維持をもくろんでいる。

このような背景があってブミプトラ(原マレー人)の守護神であったマハティールが隠然たる人気を維持しているようである。日本人の一部ジャーナリストやアジア学者の間に見られるマハティールびいきは単なる「独裁好き」か「勘違い」の産物といったほうが良いかもしれない。

もちろん政治的特権を与えられているのはマレー人エリートだけでなく、与党UMNOやマレー人エリート層に食い込んでいる華人資本家も、同時に「美味い汁」 を吸っているのである。熱延広幅帯鋼に50%もの高関税をかけている実態が何よりもそれを物語っている。

 

69. ブミプトラの企業資産持分を2010年までに30%に、バダウィ首相(07年3月27日)

バダウィ首相はブミプトラ(原マレー人)の企業資産(corporate equity)の所有を2010年までに30%にするという目標の実現を希望するとのべた。

これはブミプトラの持分は既に45%達成されているという一部の見方を否定し、現状は18.9%にしか過ぎないという政府の見解を明らかにするとともに、歴史的なブミプトラ政策(マレー人の経済的地位向上政策)を根底において維持していることを示すものである。

しかし、バダウィ首相の表現は穏やかで「実現することとを希望(hope)する」という言い方にとどめている。

こういう基本的なスタンスがある限り米国とのFTA(2国間自由貿易協定)の実現は到底ムリである。

(Malaysiakini, 3月22日記事参照)

 

70.マレー半島横断パイプ・ライン計画浮上(07年4月18日)

マレーシアのナジブ・ラザク副首相は中東方面から運んできた原油をマラッカ海峡を通過せずに、西海岸のケダーから東海岸のケランタンまで320Kmをパイプ・ライン を敷設し、ケランタン港から日本や中国や台湾や韓国などに輸送する構想を明らかにした。

総工事費は500億リンギ(1US$=3.43リンギ、≒1兆7300億円)と試算してる。これが実現すれば東アジア地域の受けるメリットは膨大なものがある。

これとは別にマレーシア政府としては2010年完成予定で1日処理量20万バーレルの石油精製プラントも計画しているという。これは既に具体的な計画が出来上がっている。

このルートは古代からの通商路の1つであり、途中に山はあるが、それほど険しいものでもなく、現在高速道 路も同じルートで開通しており、それほど自然環境に悪影響を及ぼすことなくパイプ・ラインを敷設できる可能性がある。ただし、土地取得などの問題に時間がかかるであろう。

同じような構想としてはタイ領の「クラ地峡」を使うというプランがここ数十年にわたり浮かんでは消え蒸し返されてきた。タクシン政権時代もチャワリット副首相が一時期計画を提唱していたが誰も乗らずに立ち消えになった。

クラ地峡構想はマレー半島を横断するルートとしては直線距離では100Km以下であり、最短コースであるがタクアパあたりから石灰質の山(100メートル級)が数十キロ連なり工事が困難であるということが最大の難点であった。

その点、ケダーからケランタンのルートは距離は長いが途中に険しい山がなく、人口も少なく、工事はより簡単であろう。5,000億リンギという数字の根拠は不明だが有力なアイデアであり検討の価値はある。

なお、古代のマレー半島横断ルートについては本ホーム・ページのPartII室利仏逝(シュリヴィジャヤ)についてで私の最新の研究成果を報告しております。ご笑覧いただければ幸甚です。地図も簡単なものを載せてあります。

唐の名僧義浄が南海寄帰内法伝に記した室利仏逝パレンバンにあったなどというとんでもない通説に及ばずながらチャレンジしました。

(WSJ07年4月17日、インターネット版参照)

 

⇒マレー半島横断パイプ・ラインにインドネシア、サウジも協力(07年5月29日)

クアラルンプールでマレー半島横断パイプライン(TRANSPEN)プロジェクトの調印式がおこなわれ、それにインドネシアのユドヨノ大統領とマレーシアのバダウィ首相が立ち会ったということで、このプロジェクトは俄然、現実性を帯びてきたようにもみえる。

このプロジェクトのオーナーはTrans-Peninsula Petroleum Sdn. Bhd. (TRANSPEN)であり、マレーシアのRanhill Engineers and Constructions Sdn BhdとインドネシアのPT. Tripatraが推定70億ドルをかけて7年間でこのパイプ・ラインを建設するという協定をおこなった。

ついでインドネシアのバクリ・ブラザーズ(Bakrie and Brothers)が大径鋼管(48インチ)を、サウジのAl-Bandar International Groupが原油の供給を保障するという契約をおこなった。

おりしも世界イスラム経済フォーラムの年次総会が開催されており、それに出席していたインドネシアとマレーシア両国の首脳が調印式に立ち会ったというものである。

このプロジェクトが2014年に完成すればマラッカ海峡を通過する原油の20%がこのパイプラインに振り向けられ、マラッカ海峡の過密状態が緩和されるという触れ込みである。

1日の輸送量は200万バレル、6,000万バレルの貯蔵タンクが2011年には建設されるという計画である。操業開始後4〜5年で輸送量は最大1日600万バレル、貯蔵量は1億8,000万バレルにまで拡大されるという。

TRANSPENのRahim Kamil Sulaiman会長によればこのプロジェクトを日本ととりわけ中国に「よく知らしめたい」ということである。

とうてい70億ドルの資金調達はTRANSPEN単独で出来るわけではないし、エンジニアリングもRahimが一社でこなせるような代物でもない。要するに今の段階では両国政府の好意を取り付けたものの、「絵に書いた餅」の段階をさほど出るものではない。いずれにせよ相当な大風呂敷である。

これに触発されてタイのクラ地峡のプロジェクトも再度検討されることになるであろう。

また、今回の注目点はインドネシアとマレーシア両国の関係が急速に「親密」になっていることである。具体的にはパーム・オイル排撃の動き(特にEUで)に両国共同で対校していこうというような動きが出てきている。

 

71.公務員の給与大幅アップ、最大35%(07年5月22日)

バダウィ首相は120万人いる一般公務員の給与を7月1日から15年ぶりに大幅にアップすると5月21日(月)に発表した。また生活手当ても同時に100%増加する。退職した公務員も年金の増額の恩恵を受ける。

公務員は給与の最も高いものが7.5%増、次が15%増、25%増となり、最も給与の低い層が35%と下に厚い給与増となる。最下層者の給与は月平均480リンギ(≒16,300円)が6487リンギ(22,000円)にアップされるという。それにしてもまだかなりの低水準である。

軍隊と警察の給与は9〜42%増と一般公務員よりやや高めのベース・アップとなる。彼らの給与が低いために汚職の原因となっているという指摘もある。

これらの昇給をおこなうと年間68億リンギ、生活手当て増加分で12億リンギ必要となり、合計80億リンギ(≒272億円)の財政負担増加となるという。

マレーシア政府がこのような昇給をおこなった背景として、2009年に予定されている国会議員選挙を今年末か2008年早々に繰り上げ実施するのではないかという憶測が流れている。

前回の昇給は1992年であり、2002年に若干の手直しがおこなわれたが、本格昇給は2007年まで15年間もおこなわれなかったというのだからすごい。やはりマレー人は温和な性格なのだろうか?

 

73.EUにとってマレーシアのブミプトラ政策は貿易上の障害(07年6月21日)

EUのマレーシア駐在大使であるティエリー・ロンメル(Thierry Rommel)氏は「EUにとってマレーシアの新経済政策(New Economic Policy)すなわちブミプトラ政策は貿易上の障害となっている」と指摘した。

ブミプトラ政策とは経済上比較的劣位にあるマレー人の地位を向上させるために、マレー人種にある程度の特権を付与し要という政策で、1970年以降明示的にマレーシア政府によって採用されている政策である。その結果、マレーシア人の特権階級にはかなりの富裕層が増えたが、一般の国民はさほど恩恵に浴していない。

そのため、マレー人内部の所得格差が拡大し、何時になっても「ブミプトラ政策」を止めようという声は上がってこない。

この政策は外部から見ればきわめて不条理な政策で、外資もさまざまな「制約条件」を課せられる。

そのため、EUとしては現状ではマレーシアとのFTA(二国間自由貿易協定)の交渉に入るには躊躇せざるをえないということである。

その点、日本はブミプトラ政策についてほとんど議論なしに物事を進めている。「何しろ偉いマハティールさんが首相をやっている国だから」ということが今までの免罪符であった。マハティールは「ルック・イースト政策」などといって日本人を口先でおだてるものだからすっかり参ってしまったのだ。

自由とか民主主義とか人権とかは日本人が余り好むテーマではないようである。そのうち「平和主義」という日本の一枚看板も下ろされることにりかねない。

戦後の日本の平和主義はアジアの人々から高く評価されてきたが、肝心の日本人はそのことを理解しない人が多い。そのうち「同盟国米国」の軍隊のお先棒を担いで、アチコチに日本の軍隊が出動するようなことにならなければ良いが。

 

74.マレーシアは外国人メイドの虐待防止110番を設置(07年6月21日)

マレーシアでは最近インドネシアなどから出稼ぎに来るメイドが雇い主に虐待を受け、死亡したり、脱走したり、あるいは雇い主に逆襲するというような事件が相次いでいる。

最近もインドネシア人のメイドが雇い主から殴打されたり、ろくな食事も与えられないという非人間的な扱いに耐えかねて、アパート(マレーシアでは英国風にフラットというが)の15階から布切れをつなげた手製のロープで脱出をはかり、途中で恐怖感から動けなくなり、消防隊に救助されるという事件が発生した。

雇い主は逮捕され警察で取調べを受けているというが、インドネシアのメイドだけでも月間平均1,200人も逃亡するという。

マレーシア政府はこのような雇い主の「犯罪行為」を防止するため、被害者からの電話を24時間受け付けるという制度を実施したという。これには建設現場や農園などの外国人労働者も受け付けるという。

マハティール時代にはこういうことは全く考えられず、不法滞在外国人労働者を強制収容所にぶち込み多数の死者が出ても平然としていた。アブドゥラ・バダウィ首相になってからこういう点は大幅に改善されつつある。

人口が2,300万人と少ないマレーシアにとってはインドネシアなどからの労働者を受け入れることが経済発展の前提条件となっている現状を考えれば当然の措置ともいえるが、最近のマレーシアとインドネシアの関係改善を象徴する出来事でもある。

マレーシアとタイも「南タイのイスラム教徒の叛乱」に対してマレーシア政府がタイ政府に積極的に協力をおこなっており、タクシン時代とは様変わりの関係改善が見られる。

これからのASEANはこの3国の協力関係を軸にしばらくは展開していくことになろう。フィリピンとシンガポールはやや距離感が出てきた。

(ジャカルタ・ポスト、6月21日付け、インターネット版参照)

 

75.マレーシア、ポート・クランで46億リンギの巨額負債(07年8月27日)

マレーシア政府はポート・クラン・オーソリティ(Port Klang Authority)が管理する「自由港プロジェクト」(PKFZ)が建設費の大幅予算超過や操業上の赤字のため46億リンギ(≒1,600億円)の負債が出したため、10億米ドルの緊急融資をおこなうことを決めた。

建設費が当初予定の18.5億リンギ(1米ドル≒3.5リンギ)から42億リンギに膨れ上がったのが負債膨張の最大の原因だといわれている。しかし、30社の出資会社が合意した投資額は7億2500万リンギに過ぎなかったというから、最初から大幅な資金ショートが予想されていたのだという。

この問題が明るみに出た発端はドバイのJebel Ali Free Trade Zone Authority がこのプロジェクトから手を引くことを明らかにしたことである。

この問題はマレーシア議会でも取り上げられ、会計検査委員会のシャフリル(Shahrir Samad)委員長が政府の徹底的な調査を要求している。

これはマハティール前首相時代に始められたプロジェクトであり、前政権時代であったならば「ヤミからヤミへ」葬られるような事件であったと思われるが、「透明性」を行政の基本とするバダウィ首相の下では、一大スキャンダルに発展しかねない事件である。

(malaysiakini.com 07年8月23日、WSJ 8月24日のインターネット版参照)

 

76.サラワクの木材取引キックバック事件で日本船が差別待遇?(07年10月31日)

07年3月に木材を輸入する際にサラワク州首相アブドゥル・タイブ・マームド(Abudul Thaib Mahmud)氏のファミリーが所有する香港の会社(Regent Star)に木材1立法メートル当たり2〜3ドルの「手数料」を日本の船会社が払い込まされていたことがJapan TimesやMalaysiakiniによって報道された。

その額は少なくとも3,200万リンギ(≒11億円)に達するといわれていた。これは日本の国税局が不法な支出として課税対象としたことで表面化したものであった。

この報道に対し、タイブ・マームド州首相は強く反発し、マレーシアキニ(malaysiakini)社などを名誉毀損で訴えているが、日本側の海運各社は香港のRegentStar社への払い込みをその後おこなっていない。

香港のRegent Star社は6月に香港で登録取り消しをしてしまい、払い込みたくても払えない事態になった。このリーベートが正当なものなら何も香港の会社を閉鎖する必要もないと思われる。

その報復かどうかは定かではないが、サラワクの木材積出港で、現在9隻の日本船が木材の積み込みをおこなってもらえず、港に長期間留め置かれているという。積み込みが遅れているのは書類のチェックなど港湾当局の事務上の問題が主な理由のようである。

タイブ・マームド州首相は1980年代の初めからその地位にあり、また中央政府の森林相も兼務していた。それ以外に一族で多くの企業を所有し経営しており、サラワク州経済の最大の実力者である。

バクン・ダム(Bakun Dam)建設プロジェクトにもかかわっている。07年8月7日にはオーストラリアのリオ・ティント・アルミニウム(Rio Tinto Alumunium)がこのダムによって供給される電力を使いアルミ精錬をおこなうという契約をチャハヤ・マタ・サラワク(Cahya Mata Sarawak)社と締結した。

このチャハヤ社はタイブ・マームド州首相のファミリーが主要株主であるサラワク州きっての企業なのである。アルミ精錬能力は当初は年産55万トンだが最終的には150万トンにまで拡大するという世界最大規模の工場になるという。

ブカン・ダムは工事のために23,000ヘクタールの熱帯雨林を伐採し、9,000人の原住民を追い払ったと報じられている(Malaysiakini 07年8月23日付け)。

日本に限らないが、熱帯雨林を伐採した木材など国際的に利用しないようにすべきである。こんなものを長期間輸入してきたら、日本の森林が荒れたのである。

(インターネット紙、Malaysiakini 07年10月23日付け参照)

 

78.マレーシアで民主化要求デモ(07年11月11日)

マレーシアでは1998年にアヌワール追放反対デモ以来、ほぼ10年ぶりに民主化要求デモが11月10日(土)クアラルンプールでおこなわれた。デモの参加者は野党支持者や人権団体のメンバーで人数は4万人(警察発表では3万人)といわれる。

デモ隊の要求は2009年におこなわれる選挙を今年末までにおこなうことや集会の自由や言論の自由などの民主的諸権利の要求である。

マレーシアでは5人以上の政治集会は警察の事前許可を要するが、警察はめったに許可することは無い。選挙もかなり不正が多く、しかも官憲の干渉があるといわれている。そのため、2重投票を避けるための手段を講じろといった要求が含まれている。

マレーシア警察は放水銃と催涙ガス弾を使ってデモ隊を蹴散らした。

マレーシアは東南アジアでは比較的民主的な国だと思われているが、マハティール時代は悪名高い治安維持法(ISA=Internal Security Act)により共産主義者の容疑をかけられるとは裁判なしで4年間はぶち込まれるというようなことが頻発した。

アブドゥラマン・バダウィ首相になってやや民主化は進んだと考えられているがマハティール時代の反民主主義的抑圧機構はそっくり温存されており、警察の人権侵害事件は依然として多い。

今回のデモもタイやBBCやWSJなどでは報じているが、日本のマスコミはほとんど報じることはないであろう。何時になったら日本のマスコミはマトモになるのであろうか。彼等は本質的に政府(日本および現地の)御用なのだといわざるをえない。特にアジア報道ではそれが目立つ。

(malaysiakini, 07年11月11日参照)

 

79.バダウィ首相議会を解散、アヌワール選挙に出られず(08年2月14日)

アブドゥラ・アーマド・バダウィ(Abdullah Ahmad Badawi)首相は任期を1年以上も残して2月13日(水)に議会を解散し、国会議員選挙をおこなうことになった。解散から60日以内の選挙であるが3月中に実施されることは間違いない。

4月に選挙をおこな8うことになれば、目下被選挙資格を奪われているアヌワール・イブラヒム(Anwar Ibrahim)元副首相が立候補できるからである。

前回は2004年に選挙がおこなわれ、UMNO(統一マー国民組織)を中心とする与党の国民戦線(Barisan Nasional)は219議席中200議席を獲得するという圧勝に終わった。今回も国民戦線の「勝利」はまちがいないがかなり議席を減らすとみられている。

というのは多民族国家マレーシアの弱点がこのところ表面化し、少数民族のインド系住民(8%)が地位向上を求めてKLでデモを行い、それを官憲(主にマレー人)が厳しく弾圧したため、インド系住民の反発がかつてないほど強まってきているからである。

それ以外に石油価格上昇や穀物価格の上昇に見られるようなインフレ問題があり、就任当初は90%あったといわっるバダウィ首相の支持率も最近は60%程度に落ち込んでいるといわれている。

現在はUMNOから追い出され208年4月まで比選挙資格を奪われているアヌワールが表舞台に復帰する前に選挙をやってしまいたいというのが、バダウィ首相の狙いのようである。

ウォール・ストリート・ジャーナルのインターネット版(2月13日) やフィナンシャル・タイムズにはそのようにはっきり書いてあるが、朝日のインターネット版にはそのことは一言も触れられていない。日本の他紙も同様であろう。

なぜバダウィ首相が早期選挙に踏み切ったかこの記事では分からない。要するに日本の読者にアジアでナニが起こっているかを知らしめないための記事である。

このホーム・ページにはアヌワールがマハティールによってどのような形で失脚させられ、何時復活したかを比較的詳しく書いてきたが、アヌワールのことを書くことを極度に恐れているかの態度が日本の新聞にみられるのはなぜだろうか?

WSJもフィナンシャル・タイムズもアヌワールの記事を詳しく書いているし、大きく取り上げている。それだけ国際的な関心をもたれている人物なのである。UMNOのなかにもアヌワール支持者が少なくないといわれている。

私の推測では日本のメディアはマハティールに遠慮しているためだとしか思えない。それはマハティールがかつて「ルック・イースト(当方に学べ)」と言い出し、日本人の自尊心をくすぐる言い方をしたからに他ならない。オダテに弱いのである。

ところが政権末期のマハティールは日本のバブル崩壊後の周章狼狽ぶりをみて「ルック・イースト」といったのは「反面教師」としていったのだとうそぶいていた。それでも英語が読めない(?)大新聞の幹部はマハティールをタテマツリ続けてきたのである。マハティールはさぞ腹の中で『大笑い』していることであろう。

ともかく、今回の総選挙はバダウィ政権の延命のタメの選挙である。勝てば5年間は政権に居座れる(賞味期限はそろそろ切れかかっているが)。バダウィ首相は立派な人物だが、アヌワールを恐れる取り巻きに押し切られて選挙をやらされる破目になった。

バダウィ首相としては個人的には、政治家として、あるいは経済に対する識見ではアヌワールには太刀打ちできないが、アヌワールは丸裸同然の存在である。別におびえることなく議会に引き入れて、堂々と活躍させるのがマレーシアのためになることは間違いない。

バダウィ首相は「アヌワールのことは忘れていた。彼はもはや問題にするに足りない」などといっているという。

投票日は3月8日(土)に決まった。

 

80.マレーシア総選挙、野党歴史的躍進、バダウィ首相は窮地に(08年3月9日)

3月8日(土)のマレーシアの総選挙は誰もが予想しない結果に終わった。与党の国民連合が歴史的な大敗北を喫したのである。敗北したとはいえなおかつ60%の議席を確保しているのだから、タイの選挙結果についての朝日新聞流の筆法を借りれば「与党の大勝利」には違いはない。

しかし、選挙前は国会の定員222議席のうち、91%を与党の国民戦線が占め、野党は20議席しかなかったのが、今回一気に議席数を4倍以上の82議席(37%)にまで急増させたのである。そうなると憲法改正など今まで与党に与えられていた「自由裁量権」が失われる結果になった。

そればかりではない。同時におこなわれた州議会選挙でも、ペナン、セランゴール、ケダ、ペラク4州と首都クアラルンプールで野党連合が多数なってしまったのである。これらの州はいずれも経済的にキー・ポイントを握る州であり、中央政府にとっては大きな痛手である。

それまでは13州のうち東部のケランタン州のみが野党のPAS(イスラム統一党)が多数を握っていたのみであった。これにより、地方政府は6州が野党の支配下におかれることになった。

早期解散に打って出たアブドゥラ・アーマド・バダウィ(Abdullah Ahmad Badawi)首相の大失策を追及する声が早くも上がっており、マハティール前首相はバダウィ首相の辞任を 要求しているという。UMNO内部からも辞任を求める声が出てくることは間違いなく、近々首相交代は不可避の情勢といえる。

後任候補にはダトゥ・セリ・ナジブ・ラザク(1953年7月23日生まれ)副首相兼国防相という毛並み抜群の人物が控えている。

ラザクはマレーシアの2代目首相のラザクの長男として生まれ、主にイギリスで教育を受け、ノッティンガム大学で経済学を学んだ。

ところが ラザクの評判はもともとあまり芳しくない。その最大の理由は、国内の民主派弾圧の前歴を持っているからであるといわれている。思想的にはマハティール前首相に近 い人物であり、マハティールは最近もラザクを早く首相にしろと主張している。

今回の野党の躍進(勝利)には実はアヌワール元副首相の野党統一候補擁立作戦が功を奏したといわれている。アヌワールはそれほどの人望があり、求心力がマレー人だけでなく、華人やインド人の間にもあるという。

アヌワール自身の政党は多民族政党の人民正義党(People's Justice Party=PKR=Parti Keadilan Rakyat)であり今回も知識人・中間階層の指示を集め31議席を獲得し、野党第1党になった。党首はアヌワール自身が政治活動を禁止されている(08年4月解禁)ため ワン・アジザ夫人が務めている。

野党連合にはイスラム政党PAS (Partai Islam SeMalaysia)23議席、華人 系政党DAP (Democrtic Action Party=民主行動党)28位議席が参加した。PASは従来のイスラム原理主義的な主張を控え、おとなしく選挙戦を戦って勝利したという。野党派インド人政治家はPKRやDAPに所属している。

インド人政党はMICが最大政党で与党に属しているがインド人の支持を失い党首で公共事業相のSamy Velluは落選するなど惨敗した。

UMNOの大敗の原因としては物価上昇などのほかに議会の絶対多数に安住してきたマレー人エリートたちの、さらなる利権要求=マレー人優遇策の新経済政策(NEP)のやり直しや少数民族への弾圧(インド人のデモなど)が挙げられてる。

しかし、マレーシアの根本問題は経済の行き詰まりである。経済成長が07年は6.3%と好調だなどといいながら、実際は輸出の伸びが2.7%しかなく、製造業の成長率は3%に過ぎない。そればかりか中国とのFTAの影で中小企業の製品が競争力を失い、地方都市に不況感が蔓延しているのである。 (72.マレーシア経済

それは私のホーム・ページ(PartII)のマレーシア旅行記でも指摘したとおりである。何か抜本的な対策が必要なときにUMNOの幹部はもっと利権をよこせなどといってバダウィ首相に迫っている。今回の敗北の責任はバダウィ首相にはない。

国民経済、国民生活の危機をそっちのけにして、自分達の利権アサリに狂奔している与党幹部への国民の批判が根本原因である。

これからマレーシアの政治のあり方が大きく変わってくる可能性が明らかになった選挙結果である。

 

81.マレーシア内閣大改造、ラフィダ通産相更迭(08年3月18日)

3月8日の総選挙の敗北を受けて、バダウィ首相は自ら続投を宣言するとともに、32人の閣僚の半分を入れ替えるという内閣の大改造をおこなった。また、39人の副大臣の下に20人の議会担当次官という閣僚扱いのポストを全廃し、閣僚級ポスト(含む副大臣)を90から69に削減した。

とりわけ目立つのが1987年から通商産業相のポストを守り続け「歩く宝石箱」といった芳しからぬ異名を持つラフィダ女史がついに解任されたことである。彼女はマハティール政権時代から20年以上にわたりポストを維持してきたのだから並の実力者ではない。汚職疑惑も再三かいくぐってきた。

なぜ彼女が長期に通産相の地位を維持できたかといえば、マハティール前首相の庇護があったことにくわえ、UMNO幹部の汚職の事態を知っていたからだといわれている。UMNOの婦人部長を勤め、いわば女帝だったのである。首になったからといってアッサリ引っ込むタイプの人物ではなさそうである。

後任は前の農業相のムヒディン・ヤシン(Muhyddin Yasin)氏である。

マレーシアの司法制度はマハティール政権時代に大変に権力に迎合的な裁判制度になったといわれ、その後も体質改善が遅れているという指摘を受けてきたが、司法制度を改革する内閣府付きの 閣僚を置くことにし、ザイド・イブラヒム(Zaid Ibrahim)氏が任命された。

ザイド氏は弁護士出身の前国会議員であるが今回の選挙には立候補が認められなかったが上院議員に任命された。良識派であり、人権活動家の間でも評判がいいという。今回の内閣改造の目玉である。

また、メイバンクの会長(CEO)のアミルシャム・アジス(Amirsham Aziz)氏が内閣府の経済政策担当相に任命された。UMNO党員であるが非国会議員である。銀行経営・企業の実務を知っている人物として期待されている。

バダウィ首相の女婿でUMNO青年部の副部長のカイリー・ジャマルディン(Khairy Jamaluddin)氏は入閣できなかった。 しかし、全体的にバダウィ首相の人脈が増えたといわれ、逆にナジブ・ラザク副首相系の勢力が後退したといわれている。

選挙に負けたドサクサにまぎれて自分の地位を強化したとしたら、バダウィ首相もなかなかのしたたか者である。

32人の閣僚のうち22人がUMNO,MCA(華人政党)が4人、MIC(インド人政党)が1人など小政党に1人ずつポストが割り当てられた。

野党指導者のアヌワール・イブラヒムはこの新内閣の顔ぶれをみて、国民の期待するような「改革」が実行できるとは思えないと語った。確かに、大幅入れ替えはあったが、目玉となるような人材の登用は少ない印象である。評判の悪い人物がカナリ生き残っているという。

ただし、福田内閣よりはまだマシかもしれない。いくら安倍内閣を引き継いだ借り物内閣とはいえ、あまりにヒドイ人物が多すぎる。自民党は人材が払底しているのだろうか?国内の保守派実力者(?)にあう人物を閣僚などに登用しようとするからこういう結果になるのだ。

福田内閣の全員がダメだとは思わないが、もうウルトラ保守は要らないのだ。彼らは国内でも世界でも通用しないことは既に実証済みではないか。民間部門を含め、小泉改革で登用された人物を見て誰に合格点を付けられるのであろうか?

 

82.UMNO内部に不穏な動きがくすぶり始める(08年3月23日)

バダウィ首相は内閣改造によって閣僚を自分の派閥から増やし、支配力を強化したかに見える。しかし、既にUMNO青年部の中からもバダウィ首相の辞任を求める声が公然と出てきているという。

それにくわえ、20年前の蔵相で、王族出身者で、かつて1987年にはもう一息でマハティールを追い落とすところまで言った実力派のラザレー・ハムザ(Razaleigh Hamzah)が次のUMNO大会(08年8月開催予定)でバダウィ首相と党首の座を争う構えをみせているという。

この動きにマハティール前首相が乗ると言われており、そうなると「20年前の敵は今日の友」と言うことになりかねない。しかし、その組み合わせだけではラザレーには勝ち目が無いであろう。 なんといっても彼は既に過去の人間なのである。

彼に、マハティールではなくてアヌワール派の支持が加われば、UMNOもカナリゆすぶられるであろう。しかし、アヌワール派の実態は良くわからない。もっと可能性が強いのは副首相のナジブがバダウィに挑戦するかどうかである。

今度の内閣改造でナジブ派はカナリ冷遇された不満もあり、ラザレーはじめUMNO内部の反バダウィ派を結集できれば事件が起こりうる。

 

83.アヌワール元副首相、政権奪取を目指すと宣言(08年4月15日)

アヌワール・イブラヒム元副首相は汚職容疑で実刑判決を受け、5年間の被選挙権の剥奪処分を受けていたが、4月14日でその期限が切れ、15日から公然と選挙にでられるようになった。

クアラルン・プールでは昨夜2万人の支持者が集まり、祝賀集会を開こうとしたが、警察が集会許可を出さず、正式な「復帰祝賀集会」はおこなえなかったが、野党連合が政権を奪取することは可能であると語った。(5人以上の集会には警察の許可が必要と言う大時代的規定がある)

野党連合はPAKATAN RAKYAT(民衆同盟)と称する組織をつくり、UMNOを中心とする国民戦線(Barisan Nasional)に対抗している。

先の選挙では野党連合が3分の1の壁を突き崩したが、さらに国民戦線からPAKATAN RAKYATに合流を希望する国会議員もおり、サバ州(与党24議席)とサラワク州 (与党30議席)の選出議員も合流を希望していると言う。

この2州の与党議員の議席は54であり、これが離反すれば与野党の逆転も可能性としてはありうる。

UMNO内部のアヌワール支持者を取り込めば、議会での野党勢力は予想外に膨らむことは間違いない。

バダウィ首相は今年12月のUMNOの党大会で党首として再選に臨むが、当選後は副首相のナジム・ラザクに平和裏に政権を移譲していくことを「検討する」と約束している。

これは元マハティール首相をはじめとする、バダウィ首相の退陣要求を多少なりとも緩和する狙いがあると見られる。また、閣内からも早期退陣を求める声が上がっており、バダウィ首相も年末まで首相の座にとどまれるか否か微妙になってきた。

もちろん今回の一連の動きの中ではアヌワール氏が政権につける可能性は皆無であるが、議会の与野党の接近により、マレーシアにもようやく民主化の流れが出てきた。 いずれにせよアヌワール氏が野党を纏め上げてことにより、今後のマレーシアの政治は大きく変わって行くことは間違いない。

マレーシア;08年3月9日選挙結果

国会

州議会

BN

野党

BN

野党

Johor

25

1

50

6

Kedah

4

11

14

22

Kelantan

2

12

6

39

Kuala Lumpur

1

10

0

0

Labuan

1

0

0

0

Malacca

5

1

23

5

Negri Sembilan

5

3

21

15

Pahang

12

2

37

5

Penang

2

11

11

29

Perak

13

11

28

31

Perlis

3

0

14

1

Putrajaya

1

0

0

0

Sabah

24

1

57

1

Sarawak

30

1

0

0

Selangor

5

17

20

36

Terengganu

7

1

24

8

Total

140

82

305

198

BN=Barisan National;国民統一戦線(与党)


 

84.マハティール前首相がUMNOを脱退、リンガム事件も関係か(08年5月20日)

マハティール前首相(82歳)がマレーシアの与党UMNO(統一マレー国民組織)から脱退を5月19日(月)に宣言した。彼は理由として彼が選んだ後継者であるアブドゥラ・アーマド・バダウィ党首(首相)の率いるUMNOは党首のリーダー・シップが脆弱で望みがないからであると明言している。

同時に、彼と志を同じくする党員はUMNOを脱退すべきだとまで語っている。彼の言葉の端々に見られるのはバダウィ首相への個人的憎悪である。

かれが、よりよい指導者だと明言するナジブ・ラザク副首相は幸か不幸かエジプトに出張中の出来事であった。

今のところUMNO内部からはマハティールに追随したのはベテラン党員のサヌシ(Tan Sri Sanusi Junid)氏だけでほかにすぐに脱党する動きは見られないが、バダウィ党首追い落としの動きは陰に陽にこれから出てくるであろう。

バダウィ党首は年末にUMNOの総会を開き、そこで彼が党首に再選されたら、その後「後継者問題」ヲ考えるといっており、直ちに辞任する意向はない。マハティールの脱党によってUMNOは雑音が少なくなり、スッキリしたと言う声さえある。

なぜ、UMNOが選挙に破れ(3分の2の多数を割った)窮地に立って同様しているときにマハティールがUMNOを混乱させるような行動に出えたかは理解に苦しむが、最近トンデモいない事件が起こっていた。マアhティールが司法の人事をゆがめてきた陰謀の一端が暴露されてしまったのである。

それはリンガム・テープ(Lingam Tape)事件とよばれるもので、2002年にベテラン弁護士のリンガム(VK Lingam)氏の自宅で司法関係者の人事工作をやっていた様子が写された8分間のビデオの出現である。リンガムはそのときは多分酔っ払っていて良く覚えていないといっている。

その中で、リンガム弁護士がアーマド・ファイルズ(Ahmad Faizur)をマレーシアの最高裁長官(当時は裁判官の序列の第3位)に昇格させるについてリンガムが「裏工作」を行った電話の様子や自慢話が撮影されていたと言う。

リンガムは富豪のビンセント・タン(Vincent Tan =Berjayaグループのオーナーでマハティールのクローニー)とトゥンク・アドナン・トゥンク・マンスール(Tengku Adnan Tengku Mansor=内閣府閣僚)にどう働きかけたかを語っているところが写されている。また、タン氏とトゥンク・アドナン氏が司法関係者の任命についてマハティールにコンタクトしたことも語っている。

このビデオはマハティールが判事の任命について、イロイロ画策していた事実が撮影されていると言うのが現在のザイド・イブラヒム司法相のコメントであり、事実関係の調査をおこなうと語ったという。

1981年にマハティールが政権いついてから、それまでイギリス風のまともな裁判がおこなわれていたというマレーシアの司法が見る見る崩れていった。マハティールの政敵はアヌワール・イブラヒム元副首相は1998年に司法の毒牙にかかって失脚させられたのである。

独裁政治家が裁判官や検察官を抱きこむと言うのは常套手段であり、その典型はスハルト時代のインドネシアの司法である。その後遺症は「司法の独立」の建前ゆえに、かえって手付かずに残され手入る。

タイのタクシンも同じことをやったが、彼が成功したのは「憲法裁判所の8人の判事」と役所としての「検察庁」までであった。タイの官僚制度は国王の「勅任官」制度(国王が上級官僚の任免権を持つ)おかげで、タクシンもその壁を突き破ることはできなかった。ジャルヴァン会計検査院長もタクシンは首切りに失敗した。

マレーシアの最近の最高裁判事は

1988〜1994年;Abudul Hamld Omar

1994〜2000年;Mohd Eusoff Chin=1994年当時リンガム弁護士と旅行先のニュージー・ランドで一緒に写真をとっている。

2000〜2003年;Mohamed Dzaiddin Abudullah

2003〜2007年;Ahmad Fairuz

マトモな裁判官は出世が遅れたり、また全く昇進できなかったケースが多かったという。


⇒元最高裁判事の証言「マハティールは司法の支配をもくろんだ」(08年6月22日)

「1988年の司法危機」と呼ばれる事件当時の最高裁判事6人のうちの1人であるアズミ・カマルディン(Azumi Kamaruddin)氏は6月19日に記者会見を行い、マハティール前首相は憲法第121条に定めた「3権分立=行政と立法と司法の分立」を変えようとしたと語った。

「すでに立法府(議会)で圧倒的な権力を握ったマハティールは司法をも自分の支配下に入れるべくさまざまな画策を行った。それは彼が独裁権を得ようとしていたからである。」とアズミ氏は述べた。

マレーシアのアズミ元判事には司法相ザイド・イブラヒム(Zaid Ibrahim)から6月19日朝「金一封」が届けられたという。金額については明らかにされていない。

これはマハティールの陰謀によって地位を追われたアズミ元判事に対する政府からの「見舞金」であると考えられ、きわめて異例の措置である。

1988年事件の時は、マハティールは政敵トゥンク・ラザレー・ハムザ(Tengku Razaleh Hamza)の11人の支持者からUMNO総裁のポストをめぐって攻撃を受け、マハティールは問題を「司法の判断にゆだねる」形で回避、同時に司法への干渉を強めたと見られている。

そのときの判断をめぐってアズミ判事はその後、人事上不利な取り扱いを受け地位を追われたという。

実際に、この事件をきっかけにマレーシアの司法はドンドン劣化して行ったと考えられる。元副首相アヌワール・イブラヒムに対する裁判などはその典型的な例ではなかろうか?

(www.malaysiakini.com/08年6月20日記事参照)


85.マレーシアも石油製品40%値上げに踏み切る(08年6月6日)

バダウィ政権は先ごろの選挙で実質的な敗北を喫し、不人気のさなかにあるが、さらに思い切ってガソリン価格を41%二期上げるという「勇気ある決断」をした。(08年6月5日)

ガソリン価格は1リットル当たり1.92リンギ(62.6円)から2.70リンギ(88円)に40.6%も上昇した。ディーゼル油は67%引き上げられ、2.58リンギ(83円)となった。

上げ幅は確かに大きいがガソリン価格はわが国の最近の1リットル当たり171円の約半値である。

マレーシアは石油輸出国ではあるが、それでも石油製品の補助金は値上げしなければ560億リンギ(1兆8200億円)になるという。

マレーシア国民は値上げ幅が大きすぎたとは感じているがお隣のシンガポールやタイと比べるとまだかなり割安であり、「やむをえない」と感じている向きが多いようである。

値上げ前は、国境を越えてシンガポールやタイのドライバーがマレーシアにやってきて満タンにして帰るというので、国境50キロ以内のガソリン・スタンドは外国ナンバーの車にはガソリンやディーゼル油を売ってはならないという政令が出されていた。

マレーシア政府は7月から電力料金を27%値上げすると予告している。堂々たるモノである。

野党の指導者アヌワール・イブラヒム氏は国営石油会社ペトロナスが利益を上げているのだから、そこまで値上げする必要はないとはいっている。「政府の経済政策の舵取りがなっていない」というのがアヌワールの言い分である。

確かに今回の値上げによってマレーシアのインフレ率は現行の3%から5%に上昇する。これは1998年の
通貨・経済危機依頼の水準である。

この値上げ発表によってマレーシアの株価水準は6月4日の1253.12から5日は1223.56と大きく下げたが、6日(金)には1248.57と回復している。

今回どう考えてもバダウィ首相の勇気ある決断が世論の支持を得ているようである。

日本では福田首相が医療費予算を何が何でも2,000億円削減するとかいっていきまいている。しかし、医療の現場はすでにそれ以前から惨憺たるものになっているのである。

死に掛かっている老人は入院お断りなどという病院が続出しているのである。年よりは家で死ねとはいうが、介護するほうは大変である。設備の無い一般家庭で終末医療などできるわけはないではないか。

治る見込みの無い患者は入院させないとか、期限を切って追い出すなどということで福祉国家といえるのだろうか?

防衛費をカットしてでも医療費に予算を回せというのが一般国民の多数意見ではないだろうか?道路だって相当完備に近い状態である。地方の道路整備が遅れているなどといっても今すぐ困るという状態にあるところは少ないはずである。大体農道を々に舗装道路にする必要がどこにあったのだろうか?

普通に平和外交をやっていればおよそ飛んでくるはずもないミサイルへの防衛網などにカネを今使う必然性などあるはずがない。

86.アヌワール氏に暗殺予告、トルコ大使館に一時避難(08年6月29日)

マレーシアの最大野党PKR(人民正義党)の事実上の党首であり、野党連合の指導者として08年3月の選挙に勝利した元副首相兼財務相のアヌワール・イブラヒム氏は暗殺の脅威が迫っているとして6月29日早朝トルコ共和国大使館に避難した。

また、最近アヌワールが「ホモ行為をおこなった」という訴えがPKRのサイフル(Saiful Bukhari AZlan=23歳)という選挙キャンペーンのアシスタントからあったとしてマレーシア警察は捜査を行っているという。

しかし、アヌワールはアリバイもあり、それはありえないとPKRとアヌワールは主張している。マレーシアでは「ホモ行為」は最高15年の禁固刑という重罪である。

トルコ大使館への避難は警察の逮捕を免れるためではないかとの見方もある。

いずれにせよ、政治的に多忙なときに高級マンションでホモ行為などにふけっている暇はアヌワールには無いように思われる。

1998年の通貨・経済危機時に、マハティールによって追放されたときも「ホモ行為」と「汚職」が罪状に挙げられていたが、最高裁はマハティールが政権を去った翌年の2004年に「ホモ行為」については無罪を宣告している。

マレーシアの保守派にしてみれば何としてでもアヌワールをつぶさなければ、自分たちが失脚するという危機感をつのらせているグループが存在することは間違いない。

もしどこかの選挙区で「補欠選挙」が行われれば、アヌワールはそこで立候補し、当選するとなれば、次に「首相」になる資格を得たことになり、与党連合(BN=国民統一戦線)から離脱者が出てアヌワール支持に回れが長年のUMNO政権は崩壊してしまうからである。

その意味で、今回のアヌワールへの「ホモ行為」疑惑は「でっち上げ」と見るべきであろうし、「暗殺」もその可能性は低くないと見るべきであろう。

なお、アヌワール氏は6月30日夕刻、マレーシア政府の身柄の安全の保障を得て、自宅に帰った。同時に、「ホモ行為」を告発した23歳の青年に対しては「名誉毀損罪」であるとして告発した。


7月1日夜にはクアラルンプールでアヌワール支持者7千人が集会を開かれ、アヌワールは今回の件は「政治的謀略」であると主張し、またバダウィ政権の失政をアピールし、リフォルマシ(Reformasi=改革)を訴えた。マレーシアの政治の流れは既にUMNOからアヌワールの側に移っているように思える。今回の「ホモ事件」はむしろ政権側の痛手になる可能性がある。(7月2日追記)


⇒アヌワールを強制逮捕(08年7月16日)

マレーシア警察はアンムワールが午後2時に警察に出頭するという約束をしており、警察もそれを了解していたにもかかわらず、機動隊が午後1時ごろ外出先から帰宅したアヌワール一行の車を取り囲み、「強制逮捕」に踏み切った。

これはアヌワールを「重要犯罪人」だと国民にアピールする狙いがあったものと思われる。すなわち、長期間の拘留を国民に納得させるテクニックであるとも考えられる。

アヌワールさえいなければ当面の政治危機は回避できるという、マレーシアの貴族階級(UMNO幹部)の浅はかな読みがあるものと思われる。

しかし、この逮捕劇は国民の反発を買い、かえって政府を窮地に追い込む原因になりかねない。

ところでサイフル(Saiful Bukhari AZlan=23歳)という青年が、アヌワールのホモ行為を警察に訴えでて今回の逮捕激につながったものであるが、このサイフルという人物は事前にナジブ副首相と面談していたことが明らかになった。

暗示部は面談の目的は「サイフルが奨学金についての相談に来たからだ」と苦しい言い訳をしているが、一国の副首相が一介の青年の奨学金の相談などに応じている暇があるはずないではないか。

こういう事件をみてもUMNO政権の「落日」を感じざるを得ない。「桐一葉落ちて天下の秋を知り」といったところか。

それにしても、日本の各紙ともアヌワールの逮捕劇を今回「盛大かつ正確(?)」に報じている。こんなことはかつてなかったことである。アヌワールが出獄した2004年にはWSJなどが大きく報道する中で、日本の一般紙はさもイマイマシそうに「ベタ記事」数行報じただけである。この間一体ナニがあったのか?

日本の「一流新聞」の報道姿勢に疑念を抱かざるをえない。特に東南アジア関係記事はそうである。

過去に「開発独裁体制」にコミットしてきた政府自民党の方針に忠実な報道をおこなってきたためではないかというのが私の「下司のかんぐり」である。「いやそんなことはない」というなら証拠を見せて欲しいものである。

ただし、最近全般的にやや改善されてきたことは窺える。その理由は「独裁国家」が少なくなってきたことがその原因ではないかとも考えられる。


⇒アヌワール翌日釈放(08年7月17日)


アヌワールの長期拘留はとてもムリと悟ったのか、マレーシア警察は翌日朝9時45分にアヌワールを保釈した。1ヵ月後に警察の事情聴取に応じるという条件が付けられたようである。

米国政府はマレーシア政府に対し、「アヌワールの逮捕に重大な関心を持っている」と言うメッセージを送ったと言う。


87.バダウィ首相の支持率42%に急落(08年8月2日)


調査機関ムルデカ・センター社がおこなったマレー半島の住民に対するアンケート調査(7月4〜16日)によると、バダウィ首相の支持率は2004年11月の91%から08年1月61%、08年4月(選挙直後)は53%、08年7月には42%と一貫して落ちていることが判明した。

不満足を表明した人は52%(1,020人中)に達した。

これは最近の物価上昇問題にのみ起因するものではなく、UMNO体制そのものが国民に不満を持たれているものであると考えられる。

BN(国民戦線=連合与党)に対して不満足だとの回答は54%に達した。

バダウィの後継者と見られるナジブ・ラザク副首相については強く支持すると答えた人は8%、どちらかというと支持するとした人は26%で合わせて支持の意向を持つ人は34%にとどまることが明らかになった。

一方、支持しないと答えた人は21%、どちらかというと支持しないという人が26%、合計47%が不支持を表明している。ナジブ・ラザクの不人気が窺われる数字である。

これはナジブ・ラザクが名門の出身(父は元首相)でありながら、数々のスキャンダルに関連し、なんとなく薄暗い印象が付きまとい、最近はアヌワールを「ホモセクシャル容疑」で警察に逮捕させるという陰謀にも関与していた疑いももたれている。

バダウィよりもナジブ・ラザクのほうが最近の国民の政治的変化(民主化要求など)を読めていないのではないかという感じは否めない。

また、与党連合が約束を守るとは信じられないと答えた人は55%に達し、野党連合(Pakatan)が約束を守れないと答えた人は42%であった。

アンケート回答の多く(59%)は「マレーシアは悪い方向に行っている」と答え、現状に満足していると答えた人は28%にしか過ぎなかった。

回答者の最大の関心事は「経済問題」であるとした人が59%に達し、24%が経済動向はまずまずであるとしている。マレーシアの経済問題は筆者が今まで書いてきたように根が深い。中国からの工業品輸入の急増やマハティール政権時代の負の遺産をもかなり引き継いでいるのである。

一方、「ホモ疑惑」が医学的にも無罪を立証されたアヌワールは近くおこなわれる補欠選挙(アヌワール夫人が議員辞職により空席になったペルマタン・ポー=Permatan Pauh選挙区)に立候補することとなった。アヌワールの当選は確実であると見られているがUMNOも全精力を挙げてアヌワール阻止に動いている。
いずれにせよマレーシアの政治の潮流は最近急速に変わっていることは間違いない。


88.アヌワール補欠選挙で圧勝、国会議員に返り咲き(08年8月26日)

8月26日(火)におこなわれた国会議員の補欠選挙(アヌワール夫人の辞職に伴う)でアヌワール・イブラヒム元副首相兼財務相が与党の国民戦線(BN)候補アリフ・シャー・オマール・シャー(Arif Shah Omar Shah)氏に即日開票の結果大差をつけて勝利した。

最終結果(非公式)はヌワール氏31,195票、アリフ氏15,524票という圧倒的な大差であった。

これによりアヌワール氏は正式に国会議員として野党連合を率いてバダウィ政権と対決することになる。

アヌワール氏はもともと与党UMNO(統一マレー国民組織)の副党首であり、イスラム青年運動の指導者でもあり、UMNO内部における支持層も少なくないため、現在のバダウィーナジブ政権はかなり苦しい政権運営を余儀なくされるであろう。

アヌワール氏に「同性愛疑惑あり」ということでマレーシア警察は逮捕状を出すなどして、選挙前のアヌワール氏を追及したが、根拠はきわめて薄弱であり、「被害者の青年」を診断した医師からも「シロ」報告がだされ、この「疑惑」を仕掛けたとみられるナジブ副首相は逆に苦しい立場に追い込まれている。

政権側はアヌワール氏の「ホモ疑惑」をネタに揺さぶりをかけるであろうが、裁判所もマハティール時代とは少なからぬ変貌を遂げつつあり、起訴はして見たが「公判」を維持できるかどうか疑問視される。


89クアラ・トレンガヌの補欠選挙で与党UMNO候補敗北(09年1月18日)

昨年3月におこなわれた総選挙で、万年与党であったBN(UMNOを中心とする”国民戦線”)が大きく議席を減らし、アヌワール・イブラヒムをリーダーとする野党が議席を伸ばし、政権奪取に向けて大きな第一歩を踏み出したことは上に述べたとおりである。

今回おこなわれたクアラ・トレンガヌの補欠選挙では、今年3月に首相の座を約束されている(現アブドゥラマン・バダウィ首相が先の選挙の敗北の責任を取って辞任を宣言)ナジブ副首相が自分の威信をかけて臨んだ選挙でもあった。

アヌワール氏も野党連合のPAS(統一マレー・イスラム党)のモハメド・アブドゥル・ワヒド・エンドゥト(Mohd Abdul Wahid Endut)候補の応援に現地入りして激しい選挙戦を戦った。「天下分け目の決戦」とも言うべきものであった。

1月17日(土)の投票の結果はPASのエンドゥト候補が32,883票、UMNOのサレー候補が30,252票というわずか2,631票の差ながら野党候補が勝利した。

この結果だけでUMNOは政権を失うことはないが、当然勝たなければならない選挙で敗北したことに対する影響は少なくない。

もともとイスラム教徒の多い選挙区ではあるが、最近はUMNOが圧勝ていた。08年3月の総選挙でもトレンガヌ州では7議席を獲得し、野党の1議席に対して大勝した選挙区でもあった。(#83参照)

現地で、記者会見に臨んだナジブ副首相は「これは補欠選挙だから、負けても大したことはない」と負け惜しみを言っていたが、自らの威信が大きく傷つけられたことは間違いない。しかも、次の総選挙ではUMNOが大敗する可能性がでてきた意義はきわめて大きい。

長期政権でありながら、国内の諸問題(特に経済問題)になんらの有効な手立てを講じられないことに対する国民の不信がこの選挙結果に大きく影響したことは間違いない。

これは、日本の場合と同じである。どちらも経済学が不在なのである。

竹中流の「ネオ・リベラル」経済学が破綻しても、それに変わるべきものを何も用意していないという政権ははやばやと退出しなければ国民が苦しむだけである。「百年来の大不況」などという決まり文句しかいえないような首相は「経済に無知」であることを天下にさらけ出しているに過ぎない。


90.ペラク州で政変、UMNOが奥の手を使い巻き返す(09年2月6日)

08年3月の総選挙で野党連合(Pakatan Rakyat)がわずか4議席の差で、多数派を占めペラク州政府を組織していたが(上記#83の表を参照)、ナジブ・ラザク副首相が中心になって、「巻き返し」を図り、1名はUMNOに鞍替えし、3名はUMNO支持の「独立会派」を作り、Pakatanを脱退した。

その結果、下表のように、BN(UMNOを中心とする人民戦線)が多数派を占めるに至った。

その結果を受けて、ペラク州のサルタン(王様)はUMNOのペラク州議会議員であるザンブリ(Zambry Abd Kadhir)氏を州政府首相に任命し、UMNOのラジブ・ラザク副首相立会いのもとに、「認証式」をおこなった。

一方、Pakatan側のモハマッド(Mohammad Mizar Jamaluddin) 「前首相」は州議会で不信任決議を受けるまでは「首相の地位」を失わないとして、現在、辞任を拒否している。

確かに、今の段階ではUMNO側が多数派になった(ようだ)という政治情勢だけで、サルタンが勝手に辞令を交付してしまったことになり、今度の法律的な問題は残っている。

仮に、Pakatan側が逆にUMNO議員の「引き抜き」に成功すれば、事態は逆転する可能性があり、「議決」を経ない政権交代は民主主義のルールからも当然疑問は残るであろう。

ラザク副首相にしてみれば、つい先ごろのトレンガヌの選挙でまさかの逆転負け(日本の山形県知事選挙のような)を喫し、今年3月に予定されている「首相交代」にも疑問が投げjかけられている折りからも、「ペラクの政変劇」で威信を回復したといいたいところであろう。

しかし、肝心の選挙民が今回の政変をどう見るかである。選挙民はPakatan候補を選び、Pakatan政権が僅差といえども成立したはずである。それが、ナジブ副首相得意の「奥の手による工作」でひっくり返されたのだから、民意は強引に捻じ曲げられた形となった。

今、直ちに州議会選挙をやり直せば、UMNOが勝つという保証はどこにもなく、むしろ大敗することすら予想される。

もともとペラク州はイポーやタイピンという大都市を控え、華人の人口比率が高く、DAP(民主行動党)という華人系野党の勢力が強い(下表で17議席)。

従って、Pakatan政権といっても華人政党が第1党であることに対し一部のマレー人には反発があるかもしれない。

それがサルタンのフライング気味ともみられる、早急な「辞令交付」につながったとみることもできよう。

しかし、UMNOがこのような小細工で「局地的な勝利」を得たところで、マレーシアの政治の流れは変わらないであろう。マレーシアも民主化に向かって政治の流れは大きく動き始めたとみるべきであろう。



91.モンゴル人モデル,アルタントゥヤさん殺害事件の真相?(09年3月10日

2006年11月にマレーシアでモンゴル人の28歳のファッション・モデルのアルタントゥヤ(Altantuya Shaariibuu)さんが何者かによってピストルで殺害され、クアラルンプール郊外のジャングルで遺体が爆発物(3個の手榴弾)で吹き飛ばされ捨てられるという事件が起こった。

その殺人・死体遺棄事件の容疑者としてアブドゥル・ラザク・バギンダ(Abdul Razak Baginda=46歳)というマレーシア戦略研究所(Malaysia Strategic Research Institute)所長の著名な政治評論家が逮捕され、た、同時に2人のVIP警護の警察官も殺人容疑で逮捕され、起訴された。

このアブドゥル・ラザク・バギンダ容疑者はナジブ・ラザク副首相兼国防相に近い人物であるといわれている(姻戚関係はない)。 バギンダ容疑者はロンドン大学で軍事学を修め、マレーシアの陸軍士官学校の戦略研究所の所長を務めていた。

裁判は目下進行しているが、バギンダ所長は無罪放免となったが、実行犯の警察官2人については09年4月9日に判決が出る予定である。

ところが、最近フランス人のフリー・ジャーナリストのアルノウ・ドュブュス(Arnaud Dubus)氏がこの事件の「真相」をフランスの新聞リベラシオンに書いた。

その内容の骨子がが09年3月5日付けのMalysiakiniに掲載された。

@殺害されたアルタントゥヤさんはマレーシア政府がフランスから購入した潜水艦のビジネスに関わっていたらしい。バギンダ所長が彼女と一緒にパリにいったが具体的役割については不詳である。

Aラザク副首相はバギンダ戦略研究所長に取引の裏方を任せた。ラザク副首相も2005年3月にパリに行き先行していたアルタントゥヤさんとバギンダ所長と3人でパリの高級クラブで逢っていた。

B取引は成立し2006年の10月に潜水艦メーカーのアルマリス(Armaris=フランスとスペインの合弁企業)社から3隻の潜水艦代金10億ユーロ(47億リンギ)のバック・マージンとして1億1500万ユーロ(≒185億円)がバギンダ所長の所有する会社ペリメカール(Perimekar)社に支払われたという。

Cアルタントゥヤさんはそれを聞きつけ彼女の取り分として50万ドルをバギンダ所長に要求したという。
アルタントゥヤさんがこの取引にどう関わっていたかは明らかではないが、ロスマール・マンソール(Rosmar Mansor)ラザク首相夫人がその支払いに断固反対したという。

Dアルタントゥヤさんは2人のモンゴル人女性(そのうち1人は祈祷師)を伴ってクアラルンプールに乗り込みバギンダ所長が50万ドル支払わなければつれてきた祈祷師が「呪いをかけて」祈り殺すと脅したという。

E連日、バギンダ所長の自宅に押しかけて騒ぐので、VIP警護の警察官がアルタントゥヤさんを連れ去り、残虐な方法で殺してしまったという。

Fしかし、アルタントゥヤさんが呼んでいたタクシーが近くで待機しており、警察官の車のナンバー・プレートを警察に通報し、2人の警察官が捕まった。

Gラジブ副首相は早速事件の揉み消しに動き、バギンダ所長に「手を打ったから心配するな」と携帯電話で連絡したという。

この事件は「疑獄事件」に殺人が絡んだもののようである。マレーシアでは与党の政治家のトップが絡んだ事件は通常はウヤムヤの内にお蔵入りにされてきた。

ただし、マハティールの政敵になったアヌワール当時副首相兼財務相はいい加減な容疑(ホモ行為と汚職)をでっち上げられて長年獄につながれた。司法が政治家の道具になってきたのである。

最近の日本は限りなく「ひと頃の東南アジア」に近づきつつあるように見える。「かんぽの宿事件も」タクシン夫人のラチャダピセック土地買収事件とそっくりだし、最近の小沢事件についても何かきな臭い。

たしかに、事前の事情聴取もなく、いきなり秘書の直接逮捕というのは異常な雰囲気を感じさせる。元警察庁長官の政府高官の「自民党には波及しない」発言などはまさに「語るに落ちる」というべきであろう。

不況のドサクサにまぎれて変なことを平気でやる「一流企業」も増えてきた。会社経営者が道義を失ってきているのは「何でもあり」のアメリカ流価値観の影響であろうか?

(参考)

62.モンゴル人モデルの殺人容疑で著名政治評論家逮捕(06年11月10日)

マレーシアでモンゴル人の28歳のファッション・モデルのアルタントゥヤ(Altantuya Shaariibuu)さんが何者かによってピストルで殺害され、クアラルンプール郊外のジャングルで遺体が爆発物(3個の手榴弾)で吹き飛ばされ捨てられるという事件が起こった。

その殺人・死体遺棄事件の容疑者としてアブドゥル・ラザク・バギンダ(Abdul Razak Baginda=46歳)というマレーシア戦略研究所(Malaysia Strategic Research Institute)所長の著名な政治評論家が取調べを受けている。

また、同時に3人の警察官も事件に関与した容疑で逮捕され取調べ中である。警察官は要人警護に当たる特殊任務についていたという。

このアブドゥル・ラザク容疑者はナジブ・ラザク副首相兼国防相に近い人物であるといわれている(姻戚関係はない)。 アブドゥル・ラザクはロンドン大学で軍事学を修め、マレーシアの陸軍士官学校の戦略研究所の所長を務めていた。

彼はマレーシアと中国の関係強化論者として知られている。また、マレーシアがフランスから攻撃型潜水艦2隻を10億米ドルで2002年に買ったときの口聞き役として1億リンギ(約35億円)を口銭として受けとり、フランス政府から2003年にレジョン・ドヌール勲章を授与されたといわれる。

殺害された アルタントゥヤさんは生後16ヶ月の幼児があり、10月6日にマレーシアに入国し、数年前から愛人関係にあったアブドゥル・ラザク容疑者と会い、病気の子供の養育費を請求してい たとわれている。また、警察はその子供が彼との間の子供かどうかDNA鑑定をおこなっている。

与党UMNOの党大会が11月13日の週に開かれ、マハティール前首相いとってはバダウィ政権を揺さぶる格好の材料となるが、肝心のマハティールは心臓発作(軽いといわれている)で入院中であ り、党大会には欠席するという。

マレーシアのメディアではこの記事については容疑者の名前等が伏せられているがWSJやSCMPは実名を報道した


92.ナジブ政権発足、マハティールがUMNOに復党(09年4月6日)

アブドゥラ・バダウィ氏はかねて予告どおり4月2日(木)に首相を辞任し、UMNOの新総裁に選ばれたナジブ・ラザク(Najib Abdul Razak)氏が4月3日に第6代目のマレーシア首相に就任した。

バダウィ前首相の最大の功績はマレーシアを近代的な民主主義国家にしようと最大限の努力を傾注したことにある。マレーシアはずいぶん明るい国になった。しかし、彼もUMNOの総裁であるという限界を超えることはできず、周囲に足を引っ張られる形で首相の座を降りた。

強権政治の権化ともいうべきマハティール首相は厳しくバダウィ首相を攻撃し、UMNOを離党して、バダウィ批判を執拗に繰り返した。

政治面ではアヌワール元首相が野党連合をまとめあげ昨年の総選挙で、与党の3分の1の壁を突き崩す大健闘をし、それがバダウィ首相の求心力を弱め、ついに政権を副首相兼国防相のナジブに譲る破目になった。

しかし、民主化の流は世界共通した民衆の願いであり、マレーシアだけが強権政治を継続することは不可能であることはいうまでもない。

ナジブ新首相はこのホーム・ページでも論じてきたように、2代目ラザク首相の息子で英国で教育を受けてきたにしては超保守的な思想の持ち主であり、マハティールの一番弟子というか直系の子分的な存在であった。

政治手法はマキアベリズム的であり、最近のペラク州事件をみても分かるとおり、目的のためは手段を選ばないというところがある。

アヌワール氏を再度「ホモ容疑」で引っ掛けて失脚させようとしたともいわれている。

ごく最近では上に述べた潜水艦スキャンダル(モンゴル人モデル殺人事件と汚職)に関わっているという疑惑を持たれている。

警察を使って政敵を弾圧するなどということは朝飯前の常套手段となることは目に見えている。こういう点がバダウイ前首相と決定的に違うところである。

エリートにしては暗いイメージが付きまとう。日本の新聞は「好人物で温厚な人柄」などと報じているが、それはいつもどおりの表面的な見かたに過ぎない。

彼の政治的なアジェンダ(課題)はマハティール時代のマレー人優遇策ともいうべきNEP(新経済政策)の復活である。

しかし、これはマレー人エリートを富ませただけで、一般のマレー人はごくわずかなオコボレを頂戴しただけに終わり、かえってマレーシア経済の活力をそぐ結果に終わった。マハティールが目指した「重工業化政策」も全敗に帰したといってよい。

ペルワジャ・スティールは大失敗、プロトンという国民車製造会社も気息奄々たる有様である。その代わり、一部のマレー人と華人エリートは大金持ちになった。

ナジブ首相になったからといってマレーシアに明るい展望がひらけるわけではない。むしろいっそう悪化する危険がある。

一方、満を侍していたかのようにマハティール(84歳)はUMNOに復帰し、欣喜雀躍としている。近くおこなわれる補欠選挙に応援演説に出かけ、「アヌワールに騙されるな」などとわめき散らしているという。

「歴史は繰り返す。一度目は悲劇として。二度目は喜劇として。」といった結果に終わらないことを祈りたい。一時期は成功しても、長い目で見たら歴史の流れは止められないのである。

⇒4月7日の補欠選挙で野党がペラク州とケダ州で勝利(09年4月8日)

4月7日(火)におこなわれた補欠選挙で、ペラク州(国会議員)のBukit Gantang選挙区で野党のイスラム政党(PAS)のMohammad Nizar Jamaluddin氏が与党の国民戦線(BN)のIsmail Saffian氏を21,860対19,071で破った。

つい先週首相に就任したばかりのナジブ首相にとっては手痛い敗北になった。ここにはマハティール元首相も応援演説に駆けつけ、ナジブ首相も「改革」を訴えたが、彼らの過去を知り抜いている選挙民の反応は冷たかった。

また、ケダ州の州議会議員選挙)(Bukit Selamau地区)ではアヌワール率いるPKRのS.Manikumar氏がBNのS.Genasan氏を12,632対10,229で破った。ケダ州はマハティールの出身地であり、与党が有利と見る向きもあったが、野党候補の勝利に終わった。

サラワク州の州議会議員(Batang Ali地区)の補欠選挙は与党のMalcom Mussem Lamoh候補が野党の(PKR)のJawah Gerang氏を3,907対2,053で破った。

この結果からいえることはナジブ政権になっても与党への批判の流は変わらず、国民のUMNOへの批判が強いことを如実に示したことになる。また、マハティールの神通力も全く通用しないことも明らかになった。

日本経済新聞は最近もアジア特集的な記事でマハティールを担ぎ出したりしているがマレーシアでさえ「流が変わっている」ことを認識して新しいオピニオン・リーダーに発言させるべきであろう。日本は「アジアへの取り組み」が国際的に遅れているのである。この間も、タイのアピシット首相に対して大変失礼な対応をしたばかりである。


93.前司法相ザイド・イブラヒムがPKRに入党(09年6月16日)

前バダウィ政権で司法相を務めたザイド・イブラヒン(Zaid Ibrahim)氏が6月13日(土)にアヌワール前副首相が率いる人民正義党(People's Justice Party=PKR=Parti Keadilan Rakyat)に入党したことが明らかになった。

ザイド氏(58歳)はマレーシア最大の弁護士事務所の所有者であり、自身は人権活動家として知られ、2004〜8年の間、コタ・バル選出のUMNOの国会議員であったが、ケランタン州のUMNO幹部と折り合いが悪く、2008年の国会議員選挙には立候補を阻止された。


しかし、バダウィ首相の信望が厚く上院議員に選ばれ、ついで司法相に任命された。ところがバダウィ政権はDAP(野党、民主行動党)の国会議員テレサ・コック(Teresa Kok)氏やブロッガーのラジャ・プトラ・カマルディン(Raja Petra Kamardin)氏やShin Chew Daily のタン・ホーン・チェン(Tan Hoon Cheng)記者をISA (Internal Securuty Act=治安維持法)で逮捕した。

この事件に抗議してザイド氏は司法相を08年12月に辞任し、同時にUMNOから除名された。

ザイド氏は司法改革と人権擁護活動を政治家として継続するためにアヌワール・イブラヒムの率いるPKRに入党したという。ザイド氏は同党の執行委員として迎えられることになる。

ザイド氏の入党はPKRにとっては大変な戦力になることは間違いなく、マレーシアの法曹界からの支持もいっそう期待されるであろうと見られている。


94.ペトロナスのカネはどこに行った、マハティール元首相(09年7月5日)

マレーシアの国営石油会社PETRONASは例年余剰金の一部を国庫に入れてきた。

マハティール時代はペトロナスの利益金を思いのままに使って、経済危機時には自分の息子の船会社の赤字の穴埋めに使ったり、クアラルンプールノツイン・タワー・ビルの建設やプトラジャヤ(新都心)計画やプロトン(国営自動車会社)の再建などかなり恣意的に使ってきた。

そのカネの使い方などについては公正で透明性などがあったとはほとんど信じられてはいない。特に息子ミルザン・マハティールの所有する船会社(Malaysian International Shipping Company)の救済については時の副首相兼財務相のアヌワール・イブラヒムが強硬に反対したため、アヌワールは解任されあまつさえ警察に棒鋼を受け「ホモ容疑と汚職容疑」で長年獄につながれる破目に陥った。

当時日本ではマハティール様々の時代で例によって政府、官僚、新聞、一流学者そろってマハティールを支持していた。しかし、一般のマレーシアの国民の反応は違っていた。

それはともかく、下表に見るようにマハティールが政権いついていた1981年〜2003年までの間のペトロナスの政府への上納金は23年間の総額で1,688億リンギであった。その後バダバダウィウィ政権に変わって2004年〜2009年の上納金は5年間で2,536億リンギである。

マハティールは自身のブログでペトロナスの上納金はバダウィ政権になってどこに使われたのかと息巻いているという。バダウィ政権はおそらく合法的に財政運営に使ったものと思われる。

マハティールの言はこれこそ「天に唾する」類の話しで、ペトロナスのカネを好き勝手に使ってきたが、その中身はどうかと逆に聞かれたらマハティールとそのクローニー(苦労人ではなく悪のお仲間)の悪行がばれてしまうということになる。

マハティールは首相退任後もペトロナスとプロトンの顧問は続けていた。

(資料はMalaysiakini 09年7月4日、インターネット版)

Petronasの政府上納金(億リンギ)

1976 3
1977 7
1978 7
1979 7
1980 18
1981 20
1982 26
1983 38
1984 43
1985 46
1986 50
1987 40
1988 44
1989 43
1990 55
1991 74
1992 71
1993 77
1994 73
1995 67
1996 68
1997 68
1998 96
1999 82
2000 120
2001 171
2002 140
2003 156
2004 190
2005 281
2006 378
2007 441
2008 568
2009 678
総額 4,266


ペトロナスの主なプロジェクトは
@Dayabumi
ATwin Tower
BPutrajaya
CProton
DProton City
EFormula 1 Circuit
FF1 Petronas Sauber Team

ペトロナスの資金を使った企業救済

@Bank Bumiputra(3回)
AMalaysian International Shipping Company
(Mirzan Mahathirの個人企業)
BRenong(Halim Saad)


95.ISA(治安維持法)撤廃を求めKLで2万人のデモ(09年8月1日)


クアラルンプールで8月1日午後2時ころから、悪名高いISA(Internal Security Act=治安維持法)の撤廃を求めるデモがおこなわれ、約2万人がKL市内の中心部に集まった。

警察は催涙弾と放水車でデモ隊を鎮圧にかかり、約500名近くが逮捕された。

デモの主催者は野党連合でアヌワール人民正義党(People's Justice Party=PKR)党首をはじめPAS(マレー統一イスラム党)やDAP(民主行動党)のトップも参加した。

ISAは大英帝国が置き土産に残した天下の悪法で共産主義者やテロリストに限らず、政府に批判的な人物をいつでも逮捕でき、かつ裁判抜きで何年でも牢獄につないで置けるというきわめて非民主的な法律である。

戦前の日本でも共産主義者弾圧や反政府的な思想弾圧に大いに活用された法律である。

これについては前首相のアブドゥラ・バダウィ氏も早急に廃止すべきだという意見表明をおこなったばかりだが、ナジブ首相は曖昧な態度をとり続けている。

むしろ内心はISAを温存して政治的な危機が訪れたら、最大限に活用するのではないかという疑いがもたれている。ナジブという政治家はそういう体質を持っていると多くの国民に見られている。

野党側は最近のナジブ首相が「改革」をしきりに口にしており、NEP(新経済政策=マレー人優遇政策)の撤廃などを宣伝しているが、ISAについてどういう態度をとるのか野党側からデモという形で「返答を迫られた」と見ることができよう。

この法律はシンガポールにもあり、しばしば政府は利用してきた。

独裁政権には反対論封じ込めのために「都合のいい法律」だが、世界的な民主化の流れの中で、このような非民主的な法律をマレーシアが何時まで温存するのかが問われている。

シンガポールではデモすらおこなわれていない。


96. マレーシアで教会焼き討ち(10年1月8日)

マレーシアのカトリック教会が神(God)をアッラー(Allah)と呼ぶことに対する是非をめぐって裁判がおこなわれていたが、クアラルンプール高等裁判所が09年12月31日に「適法」の判断を下した.

どちらも唯一の神を戴く一神教であり、英語の「God}はアラビア語では「Allah」だとする裁判所の解釈自体はさほど不当なものとも思えないが、こういう問題が改めて「人種間対立の火種」となることを恐れたマレーシア政府はカトリックがアッラーをGodの訳語として使用することを禁止してきた。

政府は早速、最高裁に上告し、この高裁の判決は「差し止め」られている。

野党の代表者アヌワールはこの判決を支持しており、表向きはほとんどの「イスラム教徒は受け入れたが、一部のイスラム教徒は強く反発していた。

反発の理由のひとつが、カトリックがアッラーという言葉を使うことによってイスラム教徒がカトリックに「改宗」するものが出てくることを危惧しているのだという。


そして案の定、3ヵ所の教会がが何者かによって火炎瓶(ガソリン)が投げ込まれで放火されるという事件が1月7日に起こってしまった。

カトリック教徒からの報復という事態はほとんど考えられないが、欧米のメディアはかなり大きく取り上げている。(このニュースはBBCとWSJで報じられている。)


97.マレーシア治安維持法(ISA)をやめて新治安法制定、警察の権限強化’2012-4-17)


マレーシア政府は悪名高い治安維持法(Internal Security Act、1960)を廃止し、新たな治安法(Security Law, 2012)を制定すると発表した。これは折から訪問中のイギリスのキャメロン首相からも賞賛されているという。

現行のISAは政治犯に限らず、治安維持上好ましからざる人物(テロ容疑者など)と当局が判断すれば、裁判抜きで何年でもブタ箱にぶち込んでおけるという法律で反動政治家のマハティールが愛用した悪法である。

今回提案されている新治安法は警察官が必要と判断したら逮捕状なしに「容疑者を逮捕でき28日間は拘留できる」という法律で、しかも特定レベル(Superuntendent)以上のの公務員にも同じ権限を与えるというものである。この「高級公務員」なるものの定義は必ずしも定かではない。

警察は広範な捜査権以外に、令状なしに通信を遮断でき、盗聴ももちろん可能となる。今回の法は政治的な反対者のみならず環境保護団体や人権保護団体の活動家にも適用される可能性があり、新たな反動立法であることは間違いない。

これに対し野党のみならず「法律家協会」も重大な懸念を表明している。


98. Sungai Petani (2015-9-2)

SUNGAI PETANI: The discovery of ancient shipwrecks in Kedah may force a rewrite of South-East Asian history, making the Malaysian settlement the oldest in the region.

These shipwrecks, now 5m to 10m underground, may rewrite anthropological history as they are said to be older than Cambodia's Angkor Wat by about 2,000 years. The Angkor Wat is said to be more than 1,000 years old.

The shipwrecks hide tales of merchants sailing into an industrial town here populated by a mysterious culture in search of the most vital commodity for war at the time: iron.

Using ground penetrating radar, archaelogists have discovered outlines of more than five ships between 5m and 10m underground at the Sungai Batu Archaelogical Site, near Semeling, about 20km from here.

"This was once an ancient river with a width of about 100m and a depth of 30m. Now it is a swampy wetland," said archaelogical team member Azman Abdullah.

Signs of the first shipwreck was unearthed in 2011 not far from the ruins of a jetty made of flattish square bricks.

"We dug until we found a 2m-long mast head lying horizontally. The wood had softened but it was still miraculously well preserved.

"We were excited and dug through the wet mud every day," said Azman, 54. To the team's horror, the excavation pit collapsed in 2012 after they reached a depth of 5m.

"All of us were so frustrated," Azman said. The pit is now filled up with water and has become a small pond rife with fish.

"We prevented the mast head from being buried again and we still dive down to check it occassionally."

During a tour of the 5sq/km site, Azman pointed at lumps of black-brown rocks.

"These are iron slags and they date back to between 487B.C. and 110A.D.

"This civilisation was refining iron at an industrial scale much before the Kedah Sultanate existed."

Universiti Sains Malaysia (USM) Global Archaeological Research Centre director Professor Datuk Dr Mokhtar Saidin, who heads the Sungai Batu team, bemoaned the lack of funds.

"From our estimates, the civil works needed to excavate the first ship will be at least RM1 million. For archaelogy, this is a difficult amount to raise."

Prof Mokhtar said uncovering the ship would tell archaelogists where it had come from.

He said the many jetties on the ancient river were proof that there was international demand for the iron smelters based in the town.

"Knowing where the ships were from will give us another lead on who ran this town.

"The Optically Stimulated Luminescence (OSL) readings of the ruins show that this town is about 2,500 years old and it thrived for many centuries, even before Hinduism, Buddhism, Christianity and Islam spread to this region," Prof Mokhtar said.

Bernama reports that the OSL has also discovered a circle-shaped monument, which was probably used for worship dating back to 110 AD or 1,900 years ago.

99. IMDBは政治資金優先(2015-12-29)


WSJ: 1MDB prioritised political spending despite insufficient funds

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1Malaysia Development Berhad (1MDB) is alleged to have continued prioritising political spending despite its insufficient cash flow to repay its heavy debt, reported the Wall Street Journal (WSJ) today.

1MDB board of directors were so alarmed by the poor financial state that they expressed their fears at a board meeting last year.

The directors even discussed if they had landed in hot water and whether the police would launch a probe on the firm.

The US-based daily based its report on the minutes of a 1MDB meeting on Dec 20, 2014.

"The minutes portray a fund that repeatedly prioritised political spending, even when 1MDB’s cash flow was insufficient to cover its debt payments.

"Board members wondered aloud if they would get into trouble. In a meeting on Dec 20, 2014, they discussed what to do about the police who came to investigate allegations of financial irregularities, according to the minutes," WSJ reported.

1MDB's debt had soared to RM42 billion as of March 2014.

Prime Minister Najib Abdul Razak had signed cheques from his personal accounts to lawmakers, who used the money as they saw fit, said a cabinet minister who was not named.

The daily also reported that Najib had gathered a group of Umno leaders in July when he was under pressure to resign. He reminded the Umno leaders that they had benefited from the RM2.6 billion political donation.

“I took the money to spend for us,” the minister quoted Najib as saying.

Source unknown

WSJ was unable to pin-point the source of the RM2.6 billion despite having conducted a six-month examination.

It, however, claimed the public entities spent hundreds of millions of dollars on a massive campaign to ensure Umno continue to stay in power.

"The payments, while legal, represented a new milestone in Malaysia’s freewheeling electoral system, according to ruling-party officials," said the report.

1MDB also transferred hundreds of millions of dollars to politicians through Ihsan Perdana Bhd, a company formed in 2011 to carry out 1MDB’s corporate social responsibility programmes, said a person involved in setting up the fund.

Ihsan Perdana is exempt from filing financial statements, according to Malaysian company records.

WSJ reported that Malaysian investigators believe the cash that had ended up in Najib’s personal accounts had been channelled to government agencies, banks and companies linked to 1MDB.

At least US$14 million (RM42 million) flowed into Najib's accounts via Ihsan Perdana, according to documents from a Malaysian government investigation.



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