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スラユット政権(07年5月30日まで)

 116-1. 暫定政権首相はスパチャイで内定か?(06年9月26日)

 116-2. CDRMは暫定憲法を発布し文民政権を発足させる(06年9月26日)

 116-3.米国がタイに制裁措置(06年9月29日)

 116-4. 軍の人事異動、タクシン派はラインから外される(06年9月30日

 116-5. 特別不正資産調査委員会12名委員会に改組、権限拡大(06年10月1日)

 116-6. スラユット枢密院議員が暫定政権首相に就任(06年10月1日)

 116-7.プリディヤトン中央銀行総裁、入閣を了承(06年10月3日)

 116-8. 政党適格審査委員会設置によりTRTから大量脱党、解党の危機に(06年10月3日)

    ⇒タクシンTRT(タイ愛国党)党首を辞任(06年10月3日)

 116-9. Shin Corpのライセンス取り消しの危険も(06年10月6日

 116-10.新内閣発足、軍人OBは2人だけ(06年10月9日)

 116-11. 30バーツ診療の見直しを検討(06年10月13日)

   ⇒30バーツ診療を無料に(06年11月1日)

 116-12.スラユット首相、ASEAN歴訪シンガポールは後回し(06年10月19日)

 116-13. タクシンの子供は所得税37%の支払い義務あり(06年11月8日)

 116-14. タイ、07年度予算閣議決定、タクシンのバラマキ政策のツケで動き取れず(06年11月15日)

 116-15. スラユット首相、警察改革に着手(06年12月1日)

   ⇒プラチャイ、警察委員会のメンバーに就任(06年12月9日

  116-16 タイ汚職追放委員会、.シロテ国税局長を告発(06年12月9日)

 116-17. タクシン夫人の不正な土地取得疑惑浮上(07年1月16日)

   ⇒タクシン夫人の土地疑惑でプリディヤトンを被告側証人として請求(07年4月5日)

      ⇒AECの小委員会がタクシン夫人の土地を差し押さえるように提言(07年5月4日

 116-18. タクシンのシンガポール訪問をタイが激しく非難(07年1月17日

 116-19. タイとシンガポールの紛争がエスカレート(07年1月19日)

  ⇒ShinSatのTEMASEKへの売却はタイの国防上の重大問題(07年1月23日)

 116-20. タイ新空港汚職容疑でついに日本企業名が浮上(07年2月6日)

  ⇒スラユット首相、シン・サットの買戻しは民間にまかせる(07年2月25日)

 116-21.タイ政府、TEMASEKと人工衛星の買戻し交渉を開始か?(07年2月21日)

 116-22.反シンガポール感情高まり、ウドン・タニ空軍基地貸与反対対デモ(07年2月24日)

 116-23. クルンタイ・バンクがタクシンの息子の関連企業に99億バーツの融資(07年3月12日)

 116-24. タクシン夫人と弟バナポットが脱税容疑で起訴される(07年3月14日)

 116-25.タクシン、不敬罪で訴追か?(07年3月21日)

 116-26.新空港の免税店等運営のキング・パワー社に疑惑(07年3月26日)

 116-27.新空港の契約でタクシンがゴリ押し(07年4月27日)

  116-28.タイ政府はタクシンの策動に対抗するため米国PR会社を雇う(07年5月1日

  116-29.タイの一村一品運動は失敗のケースが多い(07年5月8日)

 116-30.民主党の無罪確定、TRT党に解散命令(07年5月30日) 

⇒TRTの解散命令を阻止しようとして裁判官買収工作(07年8月10日) 

116-31.資産調査委員会、タクシンの銀行資産を凍結(07年6月11日) 

⇒タクシンの銀行口座から80億バーツが直前に引き出される(07年6月14日) 

116-32.タクシン近く帰国の予定、政府は歓迎の意表明(07年6月12日) 

⇒タクシンは刑事罰のおそれもあり帰国は当分延期(07年6月26日) 

116-33.タクシン派デモ隊プレム邸を取り巻き警官隊と衝突(07年7月23日) 

116-34.タクシンの本音ー中国に住みたい(07年7月24日) 

116-35.TRT党の前議員300名はパラン・プラチャチョン党という小政党に合流(07年7月29日) 

⇒チャート・タイの前議員10名以上がPPPに引き抜かれる(07年8月9日)

116-36.タクシン、スイス銀行の口座凍結に怒り心頭(07年9月5日) 

⇒タクシンが海外に違法に持ち出したカネは500億バーツ以上?(07年9月8日)

116-37.タクシンの裁判は本人出頭まで一時停止(07年9月26日)




Th.116.タクシン後の暫定政権

116-1. 暫定政権首相はスパチャイで内定か?(06年9月26日)

英字紙ネーション(06年9月26日、インターネット版)はCDRM(民主評議会)はスパチャイ(Supachai Panitchpakdi)UNCTAD事務局長(前WTO事務局長、元民主党副党首)と話し合い、スパチャイが文民政府の首相に就任することに暫定的に合意したと、ある高官筋の話として報じている。

今まで、CDRMが文民政権の首相をなかなか決められなかったのはスパチャイの説得に手間どっていたももと思われる。スパチャイが首相に就任すれば軍事クーデターについてのさまざまな国際的な批判をかなり緩和することができることは間違いない。

スパチャイとしてはUNCTAD事務局長の任期を後3年間残しており、一方文民政権の首相の地位は最長でも2007年10月までである。その後の身分の保障がないことと、せっかくタイ人としてUNCTADの事務局長に選ばれながら1年間で辞任するというのもつらい話ではある。

しかし、現在のタイの政治状況と国際的な批判を考えれば、スパチャイが首相に就任するのがベストであることは明らかであり、プレム枢密院議長も直接スパチャイを説得したといわれている。

スパチャイは昨夜帰国し、ソンティCDRM議長やプレム枢密院議長と会談するとのことである。

 

⇒CDRMが顧問名簿を発表、プリディヤトンは経済最高顧問に(06年9月27日)

CDRMは経済関係や法律関係者などからなる19名の顧問の名簿を発表した。以下の表は判明している名前のみを掲載した。このほとんどがCDRMからは事前の相談無しに発表されたものだという。辞退者も出てくる可能性がある。

この表に出ている名前はサイアム・コマーシャル・バンクのジャダ頭取(女性)を除いて、タクシン政権に対して何らかの形で抵抗を示したり、はっきり批判していたかどちらかである。

サイアム・コマーシャル・バンクはタクシンのシン・コーポレーション売却にはかなり積極的に協力してきた。ただし、ジャダ頭取がどういう立場を取ってきたかは明らかではない。

また、プリディヤトン中央銀行総裁が経済最高顧問に就任したということはスパチャイが首相に決まったということを意味しているかもしれない。

しかし、ソンティCDRM議長は首相は「軍人OBでも民間人だからかまわないのだ」などと微妙な言い方をして、スパチャイ就任説には明言を避けているという。

ソンティ議長はスパチャイで上手くいかなかったらスラユット(Surayud Chulanout)枢密院議員・元国軍総司令官でいこうという考えがあるのかもしれない。

また、ソンティ議長は現在のCDRMは暫定政権発足後(10月初旬)は国民安全評議会(NSC=National Security Council)と名称を変え、暫定政権をバック・アップ(?)していくという。

Priditathorn Devakula タイ中央銀行総裁
Ammar Siamwalla 元TDRI(シンクタンク)会長、著名経済学者
Kosit Panpiemras バンコク銀行会長
Jada Wattanasiritham サイアム・コマーシャル銀行頭取
Chalongphob Susang-karn TDRI エコノミスト
Piyasabavasti Amranand Kasikorm Asset Management会長
Pask Pongpaichit チュラロンコーン大学経済学部教授
Veerathai Santipraphop  
Sivaporn Darandaranda  
Atja Taulanond  
Vitaya Vejjajiva  
Churee Vichitvandha-karn 倫理、統治、汚職防止、権力乱用委員会議長
Phaiboon Wattanasiritham 和解と社会正義委員会議長

 

116-2. CDRMは暫定憲法を発布し文民政権を発足させる(06年9月26日)

今まで、CDRMが文民政権の首相をなかなか決められなかったり、かなりもたついているような印象を内外に与えていることは間違いない。その最大の問題は首相をスパチャイにしたいというCDRMやプレム枢密院議長の思いがなかなか進まなかった点にある。

もちろん、他に挙げられたいる候補者(プリディヤトン中央銀行総裁など)でも問題ないが、国際的知名度と信用という点ではスパチャイが抜きん出ているいることは明白である。

それ以外にCDRMがやっていることは

@タクシン等政権幹部の汚職追及;これは専門委員会を組織して既に調査に取り掛かっている。 これに関してNHKは「魔女狩り」になることを懸念している。そんなご心配はご無用である。ご苦労なことである。

A暫定憲法案の作成;元上院議長であり、法曹界の重鎮であるミーチャイ(Meechai Ruchuphan) を中心にして1997年憲法を下敷きにし、その主な欠点を修正するという形でまとめつつある。

これができれば、正式に「文民政府」を発足させ、「文民政府」はさらに、恒久憲法を作り、1年以内に選挙を実施し、下の議会制民主政治に戻す。

ただし、ミーチャイ 氏がアシスタントとして元TRTのタクシン政権の官房長官であったボブンサクと、彼と二人三脚でタクシンを法律面で支えてきたウィサヌ元副首相(6月22日辞任)を使っていることに批判の声が上がっている。

なお、この2人のアシスタントは9月26日に既に辞任していた。ミーチャイという人物の杜撰さ・無神経さを物語る話しである。「暫定憲法」なるものの内容が危惧される。

B政治活動などの制限;5人以上の政治集会を禁止し、メディアの検閲をおこなうなど一連の「非民主化措置」がとられている。これはタクシン派の謀略や策動を阻止する目的であり、特にチェンマイやチェンライでタクシン派が強力な地盤を持っている第3軍管区では司令官が直接、首長や政治リーダーを集め、徹底するように指示をしている。

また、地方のラジオ局の放送を全面的に禁止した。これは地方によってはタクシンの政治演説のために多用されていた。毎日のように、タクシンの主張を聞かせて農民を「洗脳」していたといわれている。

一部の学生と教官がおこなっている100人以下の反クーデター集会などは黙認している。彼等は左翼系といわれており、「反タクシン、反クーデター」というスローガンを掲げているが、タクシン政権の息の根を止められなかったわけで、多くの賛同者を得ているとは思われない。

タクシンは「辞めるとか辞めない」とかいう発言を繰り返し、国民の批判をかわしながら、「軍の実権をにぎり、非常事態宣言を出し、みずからクーデターをおこなうことを策していた 」ことは明らかであり、それを事前に封じたことが今回の軍事クーデターの意義でもある。

このような背景が分かっているからスパチャイも協力しているのである。

また、メディアの検閲がどのようなことがおこなわれているかは明らかではないが、タクシン擁護の論調でなければ問題視されていないようである。英字新聞などは以前と変わっているようには思えない。 外国のメディアについてももちろん新たな規制はない。

C軍と警察からのタクシン派の排除;既に警察ではタクシンの親族を始め、タクシンの意向にそってさまざまな工作をしていた幹部はいっせいに左遷されている。軍についても士官学校第10期生のうち、タクシン支持ではっきり動いていた幹部は近く主要ポストから排除される見通しである。

Dタクシン政権下で本来の目的を果たせなくなった組織の改変;NCCC(汚職撲滅委員会)などむしろタクシン一派の汚職に「免罪符」を与えるようになってしまった組織は人事をいれかえ、組織の再活性化をはかる。

 

116-3.米国がタイに制裁措置(06年9月29日)

米国政府はタイの軍事クーデターが不当なものであるとして、年間2,400万ドル(約28億円)の軍事援助の削減を含む、制裁措置をとると発表した(BBC<インターネット版、06年9月29日、午前2時半、日本時間)

米国政府はCDR(民主改革評議会=CDRMからMを外した)に可及的速やかに選挙を実施するよう求めた。

米国の援助削減措置には軍事援助のみならず、軍事訓練および教育、平和維持活動、反テロ対策なども含まれるという。ただし、人道上の援助は継続するという。

これらの制裁措置は民主的選挙が実施され次第復活すると、国務省のマコーマック(Sean McCormack)報道官は語った。

タイのCDRからの反応はまだ明らかではないが、最近の米国政府の強い非難に対し、CDRとしては来週早々にも文民首相を選定し、文民内閣の安全を確保するための最小限の要員を残し、軍は手を引くと説明している。

米国や西側のタイの軍事政権に対する批判は「民主的に選ばれた」タクシン政権を打倒したのは、民主主義の後退だという原則的な批判である。

ここにいたるさまざまな事情を一切斟酌せずにいきなり友好国であるタイに対して「制裁措置」に踏み切った背景にはブッシュ大統領のタクシンへの思い入れ(友好関係)が合ったものと思われる。(#111-29参照)

CDRとしては米国の援助削減という制裁措置は受け入れざるを得ないであろうが、暫定政権からは軍部のカラーを薄めていく方策を採らざるを得ないであろう。伝えられるところでは暫定政権にもかなりの影響力を残したいという軍の意向が強まっているという。

その理由はタクシン側からの「反革命」の動きがあるためとしている。数日前もタクシンの影響力の強いカンペンペット(北部タイ)で3つの小学校への放火事件があったばかりであり、これにはTRTの元国会議員が関与しているという疑惑が持たれている。

戒厳令下の放火事件はきわめて重罪であり、最高刑は死刑が適用される。

 

116-4. 軍の人事異動、タクシン派はラインから外される(06年9月30日)

CDR(民主改革評議会=クーデター政権)は軍の年次異動を発表した。タクシン前首相が独裁権確立を狙って、自分の士官学校時代の同期生で軍の実権を掌握できる地位に昇進させようとして、プレム枢密院議長を中心とする軍主流派と暗闘を繰り広げていたが、9月19日のクーデターで勝負がついた。

今回のク−デターによって、タクシンが口約束を与えていた将軍達の立場がすっかり逆転してしまった。この人事をめぐるタクシンと軍主流の争いは06年7月初め頃から新聞にも報道されるようになった。

しかし、実際は06年3月頃から、タクシンは民主派(PAD)の反タクシン運動を規制すべく「戒厳令」を含む強硬措置をソンティ陸軍司令官に要請していたが、ソンティ司令官が拒否したため、彼を更迭すべくタクシンが画策し始め、10月の定例異動に向けてのつばぜり合いが始まった。

国軍に対する命令権は首相にはなく、国王にあった。とはいえ国王は中立的立場にあり、実際は枢密院(プレム元首相が院長)が国王の統帥権を事実上代行していた。軍幹部の異動は 首相が取りまとめ、国王の裁可を受けることになっている。

タイ国軍幹部の主な異動

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Ruengroj Mahasaranond 国軍総司令官 定年退役
Boonsarng Niempradit 士官学校第6期生 国軍総司令官
Saprang Kalayanamitr 中将、第3軍区司令官 大将、陸軍司令官輔佐
Anupong Paochinda 士官学校第10期生,、第1軍区司令官、中将 大将、陸軍司令官輔佐
Winai Phattiyakul CDR官房長、国家安全評議会事務局長 国防省官房長
Daopong Rattanasuwan 少将 第1歩兵師団長
(以下はタクシン派幹部)
Pornchai Kranlert※ 士官学校第10期生、陸軍司令官輔佐 統合参謀副参謀長
Prin Suwannathat※ 士官学校第10期生、少将、第1歩兵師団長 国防省付き
Jirasak Kesakomol※ 第1陸軍軍団司令官、中将 国防省付き
Ruangsak Thongee※ 対空砲火師団長、少将 国防省付き
Sanit Phrommas※ 第2騎兵師団長、少将 国防省付き
Manas Paorik※ 第3陸軍軍団副司令官、少将 中将、陸軍司令部付き
Letrat Rattanavanich※ 統合参謀長 軍監

(続く)

 

116-5. 特別不正資産調査委員会12名委員会に改組、権限拡大(06年10月1日)

CDR(民主改革評議会=軍事政権)は先にタクシン等の不正取得資産調査委員会(Asset Examination Committee=9名委員会)を発足させた。

しかし、委員長に就任したサワット(Sawat=元選挙管理委員)が「政府の12のプロジェクトについてのみの調査をやる」と主張し、より広範な汚職問題を調査すべしというジャルワン(Jaruvan=現会計検査院長)と真っ向意見が対立し、最初からつまずいた格好になってしまった。

サワット氏はタイ人の官僚にありがちな「自分の責任範囲をなるべく狭く解釈する」というタイプの人物のように見受けられる。一方、ジャルワン女史はタクシンと対立し、その汚職追及に命をかけてきたキャリアがあるだけに、「徹底的にやるべし」という方針のようだ。

CDRはどちらかというとジャルワン女史に近い立場で、今回のクーデターの大義名分も「タクシンの汚職」追求を最大の眼目にしてきた。タクシンの汚職追求が竜頭蛇尾に終わってはならないことは自明である。

そこで、先に発足させた9人委員会を1週間足らずで解散し、新たに12人からなる不正取得資産調査委員会を発足させた。これにはサワット氏もジャルワン女史もメンバーとして加わる。(#政令第30号)

この委員会にはより広範な権限を与え、確たる証拠があれば、被疑者および親族の資産を凍結することができる。対象は12プロジェクトに限定せず、脱税なども含む広範囲なものとするというジャルワン女史の主張に近いものである。

ただし、ジャルワン女史の会計検査院長の任期は2007年1月とするという政令を発し、サワット氏と「喧嘩両成敗」の形を作り、サワット氏の面子を救った形にしている。

また、前から存在するNCCC(汚職防止委員会)の権限を一掃強化し、委員も入れ替えて汚職追及を厳しくおこなっていくという。

ソンティCDR議長はクーデター後、イロイロな人が自薦他薦で売り込みにきて、つい人選を誤るケースが出てきてしまうと嘆いていたとのこと。

法律委員会のミーチャイもその例で、暫定憲法制定後そそくさと辞任した。

Klanarong Chantik NCCC委員長
Kaewasan Atibhoti 元上院議員
Jaruwan Maintaka 会計検査院長
Nam Yimyaem 元最高裁副長官
Sawat Chotephanich 元最高裁長官、指名辞退  
Sak Korsaengruang 元上院議員、法律家協会会長
Saowanee Asavaroj 裁判官
Udom Fuangfoong 最高裁判事
Jiranit Hawanon 裁判官
Amnuy Tantara 裁判官
Viroj Lawhaphandu 元関税局長
Bamjerd Singkaneti タマサート大学法学部講師

Sawat は指名を辞退した。欠員はスラユット内閣が決める。

 

116-6. スラユット枢密院議員が暫定政権首相に就任(06年10月1日)

一時期、スパチャイUNCTAD事務局長が暫定政権の首相に就任するという話しが進んでいたが、最終的にスラユット(Surayud Chulanond)枢密院議員、元国軍総司令官が就任することとなり、10月1日午後4時45分(現地時間)に国王の前で就任式がおこなわれる。

外国からの圧力もあり、あくまで文民首相にもCDR(民主改革評議会)はこだわったが、スパチャイ氏の最終的な合意が得られず、スラユット氏に決まったものと思われる。ソンティCDR議長は9月28日の午後スラユット氏と膝詰めで話し合い決定したといわれる。

その後、スラユット氏で決まったという話しがもれてきたが、CDRはあくまで公表を拒んできた。それには、米国などからの強い民生復帰の要求があり、退役したとはいえ軍人出身者が首相に就任することへの何らかの根回しも行われていたためであろう。

米国やEUが了承したかどうかは分からないが、ネーションやバンコク・ポストなどの論説者は早速、スラユット首相への支持を表明している。おそらくタイ国民の大多数もスラユット首相には異論がないものと思われる。

スラユット氏は軍人時代から穏健な人柄で、軍の政治への干渉を強く戒めてきた人物として知られる。その意味ではプレム枢密院議長とは完全に一致している。議会制民主主義への復帰もきちんと準備を進めていくことは疑いがない。

タクシンをクーデターという手段で追放せざるをえなかったのはタクシンの5年間のやり方がタイの民主政治、社会を破壊する極端な独裁志向と汚職体質にあったためであることは筆者が今まで縷々述べてきたとおりである。

独裁体制を確立するために、徹底的なポピュリスト政策を採り、テレビやラジオで宣伝をし、無知な農民をだまして議会で絶対多数を確保し、政党制ではない上院については多くの議員にTRTから給料を提供し抱き込みをはかり、チェック・アンド・バランスのメカニズムを破壊してきたという。

警察は自分の親族と士官学校時代の同期生に実権を握らせ自分の意のままに操ってきた。軍についてもそうした体制をとろうとしたがそれは今回失敗し、命取りになてしまった。

それ以外に、憲法裁判所判事を買収し、資産問題の追及を免れたり、国税庁に手を回して、株式の売却益を無税にさせるなどの工作もおこなってきた。

うるさ型のジャルワン女史が院長として頑張っている会計検査院についてはジャルバン院長の就任が違法だとして上院と組んで追い出しを図った。

しかし、これはジャルワン院長の後任候補に国王自らが就任許可を出さなかったため、失敗した。この辺からタクシンの挫折が始まったといってよい。

また、違法と合法すれすれの汚職事件については枚挙に暇がない。これを批判するメディアや記者には訴訟(名誉毀損と巨額の損害賠償)を繰り返し、何とか黙らせようとし、ついにはバンコク・ポストなどの買収にも乗り出した。

これらのタクシン政権の行状にはバンコク市民の堪忍袋の緒が切れ、昨年の11月頃から反タクシン市民集会やデモが頻発するようになった。日を追うにつれて反タクシン運動は盛り上がりをみせたkとは既に日本のメディアでも紹介されたとおりである。

(スラユット首相の課題)

スラユット首相がタイ国内で歓迎されている最大の理由は、タクシン体制の後遺症がタイ国内のあらゆるところに残っているからである。タイの警察や軍にもタクシン派がパージされたとはいえ随所に残っている。

また、官僚や裁判官にもタクシン政権に汚染された人物がかなりいることは間違いない。彼等は何かの口実を設けては「タクシン復帰運動や再クーデター」を起こしかねない。タクシンも多額の資金を外国に持ち出し、これからカムバックのチャンスを狙うことも考えられる。

そのとき、文民政権が小田原評定を繰り返していたのではタクシンに虚を衝かれるおそれ無しとしない。

この先1年間が最も大事な時期であることは間違いない。スラユット首相ならばその辺をきちんと始末をつけかつ従来の議会制民主主義の再建への準備をやってくれるであろうというのが大方のタイ国民の期待であろう。南タイの騒乱もソンティの話し合い路線は必ず成果を生むであろう。

われわれ日本人が「タイの民主主義は未熟だ」などと偉そうにいうのは自由である。しかし、今の日本の政治情勢をみればそれほど威張れたものでないであろう。

靖国問題で何の大義名分あってか、不必要に中国や韓国からの反発を買い、アジアだけでなく国際的にも「軍国主義を忘れられない国」といった後ろ指を指されるようなことになってしまった。

これは取り返しのつかないことである。戦後60年間国民が培ってきた平和国家日本のカンバンに泥を塗られたも同然である。

自民党の加藤紘一元幹事長の自宅が放火された事件のときも小泉元首相がしぶしぶ遺憾の意を表したのは1週間もたってからのことではなかったか。

結論的にいえば、タイはこれから政治的にも経済的にも大いに発展していく展望が開けたと私はあえて断言したい。それに比べ、日本はどこに行こうとしているのだろうか?ブッシュの侵略戦争の片棒を担ぐことだけはごめんである。そんなことをしていると日本がテロの対象になりかねない。

 

116-7.プリディヤトン中央銀行総裁、入閣を了承(06年10月3日)

一時期、暫定政権の首相候補としても名前の上がったプリディヤトン(Pridiyathorn)中央銀行(バンンク・オブ・タイランド)総裁がスラユット首相のもとめに応じ、閣僚として協力すると語った。ポストは何でも良いといっているがおそらく財務相になる公算が大きい。

既に、プリディヤトン氏は暫定政府の「経済問題特別委員会」の委員長に就任することを了承している。

同氏の後任としてはタリサ(Tarisa Watanagasa)副総裁(女性)の名前が挙がっている。

タイの金融政策は上手くいっているとの評価であり、タリサ女史が総裁に就任しても特に問題になるようなことはないであろう。

スラユット首相は就任後1週間以内に組閣(35名の閣僚)すると言明している。

 

116-8. 政党適格審査委員会設置によりTRTから大量脱党、解党の危機に(06年10月3日)

CDRはスラユット暫定政権首相の指名後にCNS(Council of National Security=国民安全評議会)と呼称を変えて、引き続きクーデター後の新体制をバック・アップするということである。

CDRはクーデター後、1997年憲法の廃止に伴い、憲法裁判所も廃止したが、憲法裁判所の重要審議案件である「TRTと民主党」の憲法違反による解党および指導者の被選挙権剥奪について」が宙ぶらりんになっていた。

前の4月2日とその後の選挙時にTRTがおこなった「小規模政党を買収して、TRT単独立候補選挙区をなくす」動きが重大な憲法違反に当たるとする訴訟が検察庁からなされていたのである。

民主党は弱小政党に対して「TRTの買収に乗るな」と教唆したのが違反だとして、ついでに訴えられているものである。

この訴訟は「新体制」下の政党活動に密接にかかわるものであり、CNSは10月2日に政令27号を公布し、「最高裁判所から5名、と最高行政裁判所から2名の、合計7名の判事を選任し、その委員会(特別法廷)で政党の適格審査をおこなう」ことにした。

CNSはさらに政令31号を公布し、「解散命令を受けた政党の執行委員は5年間国会議員の被選挙権を失う」ということにした。

これに、大きなショックを受けたTRT議員はナダレを打ってTRTに脱党届けを提出しているという。TRTによると既に62名の前国会議員が脱党届けを提出し、そのうち25名が執行委員であるという。有罪判決前に脱党してしまえば、次の選挙に出られるという思惑である。

このような流れとは別に、TRT党内に派閥がいくつかあり、最大派閥の1つである「Wan Nam Yom」はソムサク労働相がリーダーになっており、約80名のメンバーが集団脱党することにしたという。この派閥は旧NAP(新希望党)出身者が多く、タイの東北部に強い選挙地盤を有している。

また、既に脱党したスノー氏が率いていた「Wan Nam Yen」も20名ほどのグループが残っているが、ほぼ全員脱党するものと見られている。それ以外に、個々に脱党するものが相次ぎ、TRTは解党判決が出なくても、体裁を維持していくことすら困難になりつつある。

主な脱党者はソムキット前副首相、スラキアト前副首相(国連事務総長落選)などである。

タクシン党首はTRTの自主的解党も考えているものと推定される。TRTはもともと特定の政治信条やイデオロギーで組織された政党ではなく、タクシンのカネの力で集めた集団という色彩が強く、「カネの切れ目が縁の切れ目」という可能性を大いに秘めている。

 

⇒タクシンTRT(タイ愛国党)党首を辞任(06年10月3日)

タクシンは「亡命先」のロンドンから手紙を党本部に送り、「党首を辞任する」ことを表明したと、副党首のポンテープ(Pongthep Thepkarnchana)が語り、手紙の内容を読み上げた。

そのなかでタクシンは「党役員に対しては辞任を求め、党員に対し、他のキャリアを目指せ(仕事を他に求めよ)」と転身を促した。TRTのある幹部は「これでTRTは実質的に終わった」と語ったという。

 

116-9. Shin Corpのライセンス取り消しの危険も(06年10月6日)

タクシンがシンガポール政府の持ち株会社テマセク(TEMASEK)に通信事業を主体とするコングロマリットであるシン・コーポレーション(Shin Corp.)を売却したことによって、タクシンの政治危機は一挙に高まり、クーデターによる辞任にまで発展した。

最初はタクシンの売却益についての脱税問題や子供達への無税での資産贈与が問題になっていたが、最近はShin Corp.を外国企業であるEMASEKに売却したこと自体、外資法(通信事業の外資の持ち株比率は49%で制限)違反の疑いが議論され始めた。

これは06年3月にサストラ(Sastra Toon)という法律学部教授が個人で、中央行政裁判所に取引の無効を訴える行政蘇張を起こしたが却下された。さらに、最高行政裁判所に上訴していたが、今回訴訟を受理するとの決定がなされた。

このことによって、Shin Corp.所有して、TEMASEKに売却したAIS(携帯電話事業)をはじめiTV(テレビ局)ShinSat(衛星事業)などが全て「国益に反する」売却であるとして外資法違反のかどで「事業免許」の取り消しになる可能性も出てきた。航空会社Thai AirAsiaも含まれるが辛くも違法性は免れている。

TEMASEKとしては買収時にタイ人(企業)の所有比率を51%にするような工作をおこなったいるから違法性は問われないはずだとしているが、タイ人は名義上の株主であって、実質的な所有者はTEMASEKにであるという判断がされると、Shin Corp売却そのものが無効とされる可能性がある。

Shin Corp.AIS(携帯電話事業)から利益の90%を稼いでおり、通信事業の免許を取り消されると経営そのものが成り立たなくなる。現在AISは加入者(1750万件でタイではトップ)が減少しつつあり、巻き返しを図るために、料金の大幅値下げに踏み切っている。

外資法違反の容疑についてはタイ政府(商業相)が調査を進めていたが、警察に書類がまわり、今後警察が立件するかどうかを判断するといわれている。最終的には名義株主の解釈をめぐる裁判所の判断が待たれる。

 

⇒シンガポール政府がShin. Corp問題の政治的解決を申し入れ(06年10月12日)

タイの英字紙ネーション(インターネット版、10月12日)によると、シンガポール政府の高官からタイのスラユット首相に対し、問題になっているシン・コーポレーション(Shin Corp.)の持ち株比率について、現有の96%から49%以下に引き下げ、かつ罰金も支払うということで、早期の政治的解決を申し出たとのことである。

現在も上の記事に見るように、タイ国籍の名義株主と疑われる株主の正体についてタイの官憲の調査がおこなわれているが、これが有罪ときまればShin Corp.所有して、TEMASEKに売却したAIS(携帯電話事業)をはじめiTV(テレビ局)ShinSat(衛星事業)などが全て「国益に反する」売却であるとして外資法違反のかどで「事業免許」の取り消しになることがありうる。

そうなると、TEMASEKが投じた1,400億バーツ(約4,300億円)の投資の多くが無駄になる可能性すら出てきている。

それを避けるために、いわばグレーゾーンにある47%近い株式をはっきりとタイ人(またはタイ国籍企業)に譲渡するということを約束して、問題を解決したいという方針である。

これに対し、スラユット首相はプリディヤトン副首相兼財務相に問題点と対策の検討を指示したと伝えられる。

これはシンガポール政府所有の投資会社が絡む問題だけに、タイ政府としても放置できない問題であるが、透明性を強いられている暫定政権としてはイイカゲンな処理はおこなえない事情にあることも確かである。

投資金額が多額なだけに、一旦は民間銀行などに株式の買取をおこなわせるなどの方策が考えられるが、現在市場で取引されているShin. Corpの株価がTEMASEKが買い取った時の1株49.25バーツが大きく値下がりして28.25バーツにまで43%近く下落していることである。

政府間の話し合いが成立すれば株価の回復も期待できるが、簡単には元の49.25バーツまで回復するとも考えられない。どちらにしてもTEMASEKは巨額の損失を蒙ることにならざるをえないであろう。

 

116-10.新内閣発足、軍人OBは2人だけ(06年10月9日)

スラユット首相は10月8日(日)に内閣のメンバーを国王に提出し、認証式をおこなった。副首相兼財務相にはプリディヤトン(Pridiyathorn)中央銀行総裁が、同じく副首相兼工業相にはコシット(Kosit Panpiemras)バンコク銀行会長が就任した。

国防相には元国軍総司令官のブンラワット(Boonrawad Somtat)氏、交通相には元海軍長官のティラ(Thira Haocharoen)氏が就任した。軍人出身者は首相を除けばこの2人だけであり、後は官僚出身者が多い。上院の民主派の人はいるが、政党出身者はゼロである。

任期1年の内閣であるが、それぞれの分野でのエキスパートをそろえており、かなり内容なお充実した実力内閣である。官の分野はプリディヤトン副首相が、民の分野はコシット副首相が統括する形となっている。

タクシン政権のようにクローニー(取り巻き)華人資本の代弁者のような人物はいないので、外国企業にとっては仕事がやりやすい布陣といえよう。それ以外の主な閣僚は以下の通り。

外相;Nitya Pibulsonggram;元中米大使、タイー米FTAのタイ側代表。

商業相;Kirkkrai Jirapaet;元WTO大使。

農業・農業協同組合相;Theera Sutabu

内務相;Aree Wong-araya;イスラム教徒、

労働相;Apai Chanthanajulaka

 

116-11. 30バーツ診療の見直しを検討(06年10月13日)

保健相のモンコン(Mongkol Na Sogkhla)博士はタクシン政権の目玉だった30バーツ診療制度をきわめて不条理な制度だとして近く全面的な見直しをおこなうと語った。

これは国立や国営の診療所にいけば1回につき30バーツ(100円弱)で診察ヲ受け、薬ももらえるという、先進国でも例を見ない、極端な福祉政策として、タクシン首相は実施してきた。

その結果、タクシン政権は貧困層から圧倒的な支持を受けて、選挙をやれば圧勝するということになってしまった。「ポピュリスト政策」の典型ともいうべき政策である。

しかし、この制度はタイの財政事情からして当然のこととはいえ、十分な予算的な裏打ちがなく、どこの診療所も軒並み大赤字で、医師や看護婦に過大な負担を強いるものであった。

その結果、医療スタッフが民間病院に大量に逃げ出すという事態が発生したのはとうぜんであった。患者の側も、長時間診療所で待たされるのは語句普通の現象となり、医療制度そのものの危機を迎えつつあった。

また、30バーツを集金するために、事務員を置かなければならない。そうするくらいなら30バーツを無料にして財政資金だけで運用したほうがマシではないかということで、無料診療をおこなっている診療所も出てきているという。

しかし、タクシンにとっては従来のように選挙資金を使わず(自分の懐を痛めず)、国家予算が選挙資金を出してくれるまことに具合の良い制度であった。

この制度を維持するためには財政支出を大幅に増加させる以外に方法がないことは明らかである。それとも、コストに見合う負担を国民が相応に引き受けることが必要である。

選挙に勝ちさえすれば何でも良いという風潮は別にタイに限らず、日本でもおなじみのやり方だが、健全な国民経済の維持・発展という視点を外してはオシマイである。そこには荒廃と閉塞感しか残らない。

 

⇒30バーツ診療を無料に(06年11月1日)

タイの保健省は11月1日より、従来1回あたり30バーツ(96円)という診療費(国営病院、公共診療施設での)の徴収をやめゼロにした。

タイ人6,300万人中4,300万人がこの制度に加入していた。残りの2,000万人(比較的裕福な階層)はこの制度に参加せず、自費で通常の料金で私立の病院などで診療を受ける道を選んでいた。

30バーツというのはいかに物価と人件費が安いタイでも「名目的な意味」しかもたず、国家財政から1人当たり1,695バーツの補助金が出ていた。それでもほとんどの診療機関は大赤字で、医師への負担が大きく、多くの医師が民間病院に移籍するという現象が起こっていた。

新政権のモンコン(Monkol Na Songkhla)保健相はまず財政からの補助金を2,089バーツに23%増額し、今後6年間、毎年750人の医師をリクルートし、診療対象者2,800人に医師1名という現状を1,800人に医師1名という体制に持って行きたいとしている。

医師や看護婦に十分な手当てを支給し、通常の医療をおこなうにはこれでも足りない可能性が大きいであろう。

この制度は近い将来、大幅な見直しを迫られることになろう。マトモな診療を続けていくには膨大な財政支出が不可避となるであろう。

 

 

116-12.スラユット首相、ASEAN歴訪シンガポールは後回し(06年10月19日)+

スラユット首相はラオス、カンボジャの訪問を終え、6月18日(水)にはマレーシアを訪問し、バダウィ首相らと面談した。この後、10月21日にはインドネシア、23日にはフィリピン、26日にはベトナム訪問が予定されている。

シンガポールやビルマ(ミヤンマー軍事政権)は後回しになる。タクシン時代はタイーシンガポール枢軸(私は華人枢軸と表現)は消滅したと見てよい。

これはシン・コーポレーションの買収劇の後遺症とも見られるが、タクシンの華人意識丸出しの外交政策にASEAN諸国からシラケ・ムードが出つつあったことへの反省でもある。

また、ビルマ(ミヤンマー軍事政権)もタクシンという「独裁政治に理解のある友人」がいなくなったことで、ASEANでの立場が急速に弱くなり、民主化問題など前進させなければASEANにとどまれなくなる可能性があることを感じているであろう。

中国はその辺の外交感覚がシャープであり、真っ先に軍事クーデター政権を承認したことは注目される。一方シンガポールのほうはマレーシアやインドネシア政府に対し、華人の貢献がそれぞれの国で正当に評価されていないという主旨の発言をし、両国から怒りを買っている。

これからは、シンガポールとビルマ(ミヤンマー軍事政権)を除くASEANの結束はかえって強化され、中国一辺倒の観を呈していたASEANの経済外交もより幅広いリーゾナブルなものに変わるであろう。しかし、日本の安部首相が靖国参拝など続けたら、日本の立場はさらに悪化するであろう。

昨日のスラユット首相のマレーシア訪問では主に南タイのイスラム教徒の騒乱についてタイ側から和平への協力が要請されたという。現在、タクシン政権の迫害を逃れて130人のタイ人イスラム教徒がマレーシアへ「亡命」しているが、彼らの帰還問題も議題に上った。

南タイのイスラム教徒はマレー種族であり、タクシン時代は暗に騒乱を影で操っているのはマレーシア政府だといわんばかりの発言もあり、両国の外交関係はかなりギクシャクしていた経緯がある。

タイ政府としては南タイの問題は「純粋にタイの国内問題である」と説明し、今回はその辺のワダカマリを解消する努力をしたことは疑いない。

一方、和平交渉にマレーシアの前首相のマハティールが「仲介の労」をとってランカウイ島などでイスラム分離独立派とタイ軍との和平の話し合いが過去におこなわれてたことが明らかになった。これはマハティールが自分の息子と2人で個人的にやったというものである。

このことについてタイ政府は何のコメントもしていないが、マハティールなどに干渉されたくないというのが本音である。実際のところランカウイ島の「和平会談」は何の成果も生まなかった。交渉相手に住民の代表者などは、はじめから入っていない。

今後もマハティールが間に入るとなると話しがこじれる可能性が大いにある。マハティールはマレーシアの現首相のバダウィとは険悪な関係にあることも問題である。

これはタイのイスラム教徒が国軍司令官でもあり、内相のアレーもイスラム教徒である。叛徒は特定グループだけではないので、一般住民との対話と不信感の解消という地道な努力が必要であり、今後マハティールなどが何かをやる局面はありえない。

 

116-13. タクシンの子供は所得税37%の支払い義務あり(06年11月8日)

タイの国税局は11月7日(火)にタクシンの2人の子供−長男のパントンテ(Phantongtae)と長女のピントンタ(Phintongta)-はタクシンから事実上無償で譲渡されたシン・コーポレーション(Shn Corp.)の株式譲渡益につき最大37%の累進課税を支払う義務があると発表した。

タクシン政権時代は国税局は「支払い義務なし」という結論を出し、国民から怒りを買っていた。

国税局長のシロテ(Sirote Swasdipanich)氏は最終的に税額がいくらになるかは目下のところ分からないと述べている。シロテ局長はタクシン時代には税金の支払いは不要であると言っていた責任者である。

ある大学の講師(税の専門家)の試算では彼等は158億8千万バーツ(約510億円)の純益を得ており、支払い税額は58億バーツ(36.5%=186億円)になるだろうと述べている。

ただし、納税締め切り期限の9月30日に税の申告と支払いをおこなわないと、通常は罰金と倍額の税を納める義務が生じることになる。彼等は国税局とのネゴが不調に終わった場合、「租税審判庁=Tax Appeal Bureau」に提訴する道が残されている。

 

⇒タクシンの子供に105億バーツの所得税支払い命令(07年4月3日)

AEC(Asset Examination Comittee=資産審査委員会)はタクシンの2人の子供−長男のパントンテ(Phantongtae)と長女のピントンタ(Phintongta)-は105億バーツ(≒380億円)強の所得税等 の納入を命じる決定をした。

これはシン・コーポレーション株をシンガポールの国有投資会社テマセク(TEMASEK)に06年1月23日に売却して得た利益162億9500万バーツ(≒587億円)にかかわる56億9100万バーツの税金 (税率37%)とアンプル・リッチ・インヴェストメント(Ampule Rich Investment)のオーナーとして得べかりし利益に対する税金48億8300万バーツ合計105億7500万バーツ(≒380億円)の税金を支払う義務があるというものである。

両人は06年1月20日に英領バージン諸島にあるARI(Ampule Rich Investment=有り余る金持の投資会社という人を食った名前でタクシンが税金逃れのために作ったペーパー・カンパニー)から1株1バーツ(簿価)で3億2920万株を買い取り同月23日に1株49.25バーツでTEMASEKに売却したというもの。

ARI社は資本金が5ドル(5株)の会社で長男のパントンテ(Phantongtae)が4株と長女のピントンタ(Phintongta)が1株持っていた。タクシンは首相に就任する前年の2000年にシン・コーポレーションの株式の10%をARIの所有にした。これは 政治家としての資産隠しの狙いもあった。

このARIも2人の子供に株を売却した際に 両人からウイズホールド・タックス(源泉課税)40億3000万バーツを徴収し、06年2月7日までに国税局に納入すべき義務を怠った。その義務違反に対する制裁金は8億4700万バーツ徴収される。その合計が48億7700万バーツである。

その金額が遅延利息(1.5%/月)とあわせて、取締役であった長男のパントンテが34億4300万バーツ、およびピントンタが14億4000万バーツの税金の支払い義務(合計48億8300万バーツ)があるということである。 ただし、これについてはバンコク・ポストの記事では将来免除されるような書き方をしている。(2重課税?)

税金の支払期限は今年の4月7日であり、支払えなければ資産の差し押さえがおこなわれ、さらに月間1.5%の追徴金が課せられる。これ以外に国税庁は株式売却後30日以内に税金の申告をおこなわなかった罰金の額を後日両人に通知するとしている。

これらの問題についてはタクシンの弁護士は最高裁で争うとしている。

タクシン首相(当時)は首相在任中に、子供達は税金の支払いの必要はないと主張していた。国税局もそれを認めたことから国民の猛反発を招き反タクシン運動が急速に盛り上がった。

タクシン政権以前は親から貰った株式の譲渡益には課税していたが、タクシン政権以降国税局は無税とすることに急遽方針転換した。その張本人はその後懲戒免職になったシロテ国税局長であった。 (#116-16参照)

また、国税局はこの問題は調査中であるとして結論は出していない。それは当然で現在の国税局の幹部もクビになっらシロテ前局長の部下がホトンドであり、下手をすれば自分達もクビになりかねないからである。 このように多くのタクシンがらみの不正追求は官僚のサボタージュにあっている。

タクシンは子供への財産相続について首相就任当初から周到に準備していたのであった。そのために必要な役人の配置もおこなっていた。このような自分にとって都合のいい役人の配置 替えは他の省庁でも適宜おこなっていた。

ポジャマン夫人もその弟のダマポンにシン・コーポレーション株を結婚祝いと称して「無償譲渡」をおこなっており、脱税容疑に問われている。(#116-24参照)

 

⇒タクシンの子供達またはAmple Rich は210億バーツの支払い命令(07年4月24日)

AEC(Asset Examination Comittee=資産審査委員会)はARI(Ampule Rich Investment)もしくはその取締役であるタクシンの2人の子供−長男のパントンテ(Phantongtae)と長女のピントンタ(Phintongta)-は2003年以来シン・コポレーションの株式を売却して得た利益に対し、209.8億バーツ(≒766億円)の所得税を支払うべきことを決定した。

AEの解釈ではARI社タイで事業活動をおこなう外国企業であり、タイ国内での取引で得た利益に対しては所得税(法人税)が限度一杯の30%が課せられるという解釈である。ARIが支払えない場合は取締役が支払う義務があるというもの。取締役とはアtクシンの長男と長女である。

また、ARI社はヴァージン・アイランドにあるがシン・コーポレーションからの配当を受けていたはずであり、それにも10%の税が課せられるという。

また、2006年1月23日にシン・コーポレーションの株をシンガポールのテマセク社に売却して得た利益162億9500万バーツに対しては56億9100万バーツの所得税が課せられるという。

タクシンの子供達は不服があれば裁判で争うことができる。

 

116-14. タイ、07年度予算閣議決定、タクシンのバラマキ政策のツケで動き取れず(06年11月15日)

暫定政権では2007年度(06年10月〜07年9月末)予算を作成し、11月14日閣議決定した。総額は1兆5600億バーツ(約5兆700億円)と前年度に比べわずかに400億バーツ増にとどまった。

2006年9月末(2006年度予算の最終月末)での未払い金が2,045億バーツあることが判明した。そのうち、1,017億6千万バーツが農業・農業組合銀行と、公共倉庫機構がおこなった米価の補償費用、ビレッジ・ファンド(各村への資金供与)および30バーツ診療の補助金である。

プリディヤトン副首相兼財務相は2007年度中の財政赤字は1,000億バーツを見込んでいたが、実際は1,460億バーツ(約4,750億円)になるという見通し である。タクシン政権がやったポピュリスト(大衆迎合主義)政策のツケによる赤字の追加がかなり出てくることが予想されるためである。

農業・農業組合銀行への補助金が180億バーツ。これは米価補償政策のツケである。

30バーツ診療への補助金がさらに77億バーツ。ゴム栽培農家への価格保証金が71億バーツ。教員のサラリー・アップの費用が88億バーツなどである。

新予算では、バンコク・ファッション・シティ計画、ウア・アトーン低所得者向け住宅、農村投資基金などをカットした。ただし、すでにタクシン時代から実施されているビレッジ・ファンド(各村へのバラマキ)は07年度は130億バーツ、08年度と09年度の合計で160億バーツを確保したという。

また、この予算のなかにはバンコク首都圏向けの高速鉄道建設費は織り込まれている。最も増額の大きかった項目は教育費で500億バーツ増額された。ただし、これは冷遇されてきた教員の給与アップでほとんどが消えてしまうという。

財政赤字は462億1千万バーツは国債発行で、1,000億バーツは短期借入金でまかなうとしている。

歳出予算1兆5600億バーツ中、1兆1300億バーツは経常的支出であり、3,798億バーツが政府投資、554億9千万バーツが借金の返済であるとしている。歳入は1兆4200億バーツを見込んでいる。

この予算の前提となる2007年の経済成長率は4.5%〜5.5%を見込んでいる。

 

⇒ビッレジ・ファンドのコゲツキ増加の一途(07年6月25日)

タクシン前首相のポピュリスト(大衆迎合主義)政策の一環であるビレッジ・ファンド(Village Fund=農村の振興策としての各村への政府資金貸付)は返済不能に陥っている資金が年々増加の一途をたどっている。

会計検査院が調べた2005年9月1日から2006年4月30日までの実績では2,543のビレッジ・ファンド委員会が抱える、「農業および農協銀行」への未払い借入金が15億バーツ、また政府貯蓄銀行(Government Saving Bank)への借入金が69億バーツ合計84億バーツ(≒380億円)に達していることが判明した。

これらは実際上は返済の可能性はきわめて低いものとみられ、各行はいっそうの監視を強め、回収策を強化する必要があると検査院が指摘している。ただし、ビレッジ・ファンドに返済義務はなく、毎年借り替えていけばよいという考えの村落も少なくないという。

タイ政府としてもビレッジ・ファンドの回収を強行すれば、村のボスの反発を買うことは必至でり、タクシン派の思う壺になりかねない。この問題はタクシン政権がタイの国民に残した「負の遺産」であるkとは間違いない。しかも、放置しておけば年々その額が増えていく可能性を秘めている。

 

116-15. スラユット首相、警察改革に着手(06年12月1日)

タクシン前首相は自らも警察官僚出身であり、政治家になってからも自分の権力の獲得と維持のために警察(RTP=Royal Thai Police=王室タイ警察というのが正式呼称)をフルに活用してきた。タクシン政権下のタイはある意味では「警察国家」であったともいえる。

警察内部ではタクシンの士官学校同期生が彼の手足となって働いた。タクシンの意にそわない人物は徹底的に排除してきた。

タイでは警察はオール・マイテイでやりたいことは何でもやれた時代が長く続いた。宝くじやヤミ賭博場や麻薬販売は彼らの利権であり、資金は潤沢であった。

私がタイに駐在していた頃(1990年前後)は殺人事件があると、国民はまず警察を疑うという信じられないような話を聞いたことがある。警察官が実際の犯人であれば事件は「迷宮入り」としてたいていの場合は処理される。ソムチャイ事件もそれと似たような経過をたどっている。

今回のクーデターの後、軍はタクシン派を一応パージした。しかし、警察については事実上何もなされていないといって過言ではない。コシット(Kosit)が警察長官として残っているが、彼はソムチャイ事件の首謀者のひとりだったという噂すら立てられていた人物である。

最後にはタクシンと袂を分かった形になったが、タクシン派の警察官僚のトップ・クラスの人物であった。

また、警察は「影の実行部隊」をもっていて、これが殺人、放火やユスリやタカリを平気でやる。タクシン時代の麻薬撲滅運動で2,500人が殺されたといわれるが、その多くは彼らの手によるものと考えられている。だから、タイ国民は軍隊よりも警察を極度に恐れている。

南タイの騒乱鎮圧に当たったのは第4軍であったが、警察も軍に協力する形にはなっていた。しかし、警察は別途タクシンの筋からの指示を受けて、かなり荒っぽい弾圧をおこなってきた。今、南タイではイスラム叛徒の強硬派が最も目の敵にしているのは警察官である。

この警察の近代化と「改革」をおこなうのは今が絶好のチャンスであることは間違いない。

スラユット首相が明らかにしている警察改革の骨子は;

@警察の中央集権体制をやめ、地方分権に改める。県警本部構想ともいうべきものか?

A警察を政治家の干渉から自立させ、法と正義に準拠する警察にする。

B警察の行動・業績を評価することに国民を参加させる。民主警察ともいうべきものか?

これらのことは近代民主主義国家では大原則ともいうべきものであるが、Bなどは特にすばらしい。日本でもやってみてはどうだろうか。

スラユット首相は、これらの改革案を作成するためにい4つ委員会を設置し、その取りまとめ役にワシット(Vasit Dejkunchorn)元警察長官を当てるという。ワシット氏は引退しているが、清廉な人物として知られ、現役の警察幹部のあるものは戦々恐々としているという。

もちろんタイの警察官の大半は立派な人物であり、国民のために大いに貢献しているが、一部のワルがはびこり、彼らがしばしば警察組織の実権を握ることがある。それを左右するのは行政のトップに立つ首相である。タクシン時代は悪しき見本ともいうべき時期であった。

 

⇒プラチャイ、警察委員会のメンバーに就任(06年12月9日)

元タクシン政権の副首相で、社会改革を推進し、最後はタクシンと対立し、政界を引退していたプラチャイ(Purachai Pimusombun)氏が警察委員会に加わる6人の専門家の1人として指名された。

プラチャイはタクシン政権の内務相時代にナイトクラブの深夜営業を禁止したり、青少年の夜遊びを禁止したりという一連の「社会浄化政策」を実施した。しかし、それはタイの経済社会の実態にそぐわないとして、副首相に棚上げされ、結局政権を去ることとなった。

しかし、プラチャイに対する国民の支持と信頼は厚く、スラユット首相もプラチャイに一肌ぬいで貰うことにしたと考えられる。

警察員会はスラユット首相が委員長を兼務し、12人の委員で構成され、今後、警察改革に取り組むことになる。なお委員の入れ替えが目下おこなわれている。

 

116-16 タイ汚職追放委員会、.シロテ国税局長を告発(06年12月9日)

タクシン前首相の一連の税金逃れ工作に加担したとして、NCCC(汚職追放委員会)はシロテ(Sirote Swasdipanich)国税局長と4人の部下について「職務怠慢・義務違反」のカドで検察庁に告発することを決めた。ここ数日シロテ国税局長は出勤していない。

今回、シロテが指摘された問題はポチャマン・タクシン夫人が義理の弟のバンナポット・ダマポン(Bannapot Damapong)氏にシン・コーポレーションの株式450万株(市場価格7億3800万バーツ)を結婚祝いとして譲渡した点である。(タクシンの子供達の件は別途)。

当時その株式はタクシン家の家政婦ドゥアンガの名義になっていた。それはタクシンが首相に就任する際に「資産調査」のリストから外すためにポチャマン夫人の所有していた株式を家政婦名義にしておいたものである。

ポチャマン夫人はその株式をバンナポットの結婚祝いだとしてプレゼントしたのである。タイでは親族間の結婚祝いは「無税」であるという「法の盲点」を突いたものとみられるが、バンナポットには納税義務があったというのが今回のNCCCの見解である。

当時の税務担当責任者がシロテであったということである。当時のシロテのボスはソムキット元財務相の後任のスチャート・ジャボイシダであった。

スチャートは税務畑の出身で、ポジャマン・タクシン夫人が持ち株をバンナポット・ダマポンに譲った際の脱税問題をうまく処理した功績を買われたと言われている。

この件についてプリディヤトン副首相兼財務相は微妙な立場に立っている。この問題が発覚したときになぜかプリディヤトンはシロテをかばう発言をしていたのである。財務省の公式見解としてはNCCCや検察庁に一任し、財務省としては調査をおこなわないとしている。

しかし、国税局は財務相の一組織である。それが、今回、NCCCに「職務怠慢・義務違反」を問われているというのに、上部機関が知らぬ顔をしているという態度が当然疑問視されるであろう。これは、財務省全体を巻き込む事件になる可能性もある。

また、プリディヤトン自身もポジャマン夫人が公有地の払い下げを受けた際に、「利害衝突」に当たらないという判断をくだしている。タクシンとはクルンタイ・バンク事件で対立したプリディヤトンも実は「灰色部分」があったのではないかという見方が出てきている。

 

⇒シロテ国税局長以下5名が罷免(06年12月26日)

財務相は06年12月25日付けでシロテ国税局長と4名の高級幹部を罷免した。理由はタクシン一家に税務上特別の優遇をして国家財政に重大な損害を与えたという罪である。

彼等は刑事罰で訴追されることになるであろう。また、彼らには年金も支給されない可能性がある。

 

116-17. タクシン夫人の不正な土地取得疑惑浮上(07年1月16日)

ポチャマン(Potjaman)タクシン夫人が2003年末にFIDF(The Financial Institutions Development Fund= 金融機関開発基金=通貨・経済危機時、金融機関が保有する不良資産買取・処分機構)が保有していた一等地ラチャダピセック・ロード(Ratchadaphisek Road)の土地33ライ(約16,500坪)を7億7200万バーツ(当時の日本円で20億8400万円)で落札した。その土地は倒産したエラワン・トラスト社が以前所有していたものであった。

入札に応じたのは、ポチャマン夫人以外はノーブル・デベロップメント(Noble Development)社が7億5000万バーツ、ランド・アンド・ハウセズ(Land & Houses)社が7億3000万バーツの2社のみであた。

この入札自体、日本流に言えば「談合入札」の疑惑がもたれる可能性があるが、それには、当事者の告白がない限り、確かな証拠は出てこないであろう。

問題は、行政府の長であるタクシン首相が、公共財の入札に参加する資格があるかどうかという問題である。これは一般的にはタイでも禁止されている。 汚職防止法第100条では「公務員や閣僚は自らの権威の下にある機関・組織と契約行為をおこなってはならない」と規定している。

ところが、当時のFIDFはタクシン首相がFIDFを直接「管理・監督する立場にない」という理屈をつけて、これを「合法」という判断をくだし、しかも当時中央銀行総裁であった(FIDFの監督責任にあった)プリディヤトン現副首相兼財務相がこれを認め、クーデター後もそれを正当化してきた。

この件はどう考えてもおかしいというのが一般の見方であり、当然ASC(Asset Scrutiny Council=不正取得資産調査委員会=ネーション紙はAsset Examination Committeeと表記)はこれに目をつけ、調査をおこなっているが、最大の難点の1つが、このプリヤディトンの判断である。

残されたタイ中央銀行の幹部も大いに弱ってしまい、ついに昨日(1月15日)FIDF担当責任者のパイロト(Phairoj Hengsakul)総裁輔佐がFIDFの役員会を開き、この問題はASCの調査と判断に一任するという決議をし、その旨伝達したという。

この問題は最終的には裁判所の判断にゆだねることになるが、首相の夫人という立場は「首相そのものではない」とか、接収して国有財産となった物件で注億銀行の所管だから、首相の家族が買ってもかまわないというのは「合法かもしれないが、国民は納得しない」であろう。

「李下に冠を正さず」とは中国のことわざであるが、タクシンの場合は他人の庭のスモモの実をもぎ取っても、それが「有罪」とう証拠がない限りかまわないというのだからすさまじい。

このような合法・非合法スレスレのところをついて私服を肥やしていくというのがタクシン独特の手法である。裁判所も自分の言うことを聞きそうな判事を任命し、勝ってしまうということである。役人も自分の言うことを聞くやつだけを昇進させるのである。これでもカンバンだけは民主主義であった。

現在のスラユット政権も、この種の官僚や警察官を「整理できないまま」タクシンの汚職追及など、多くの政治課題をこなしていかなければならないという厳しい状況にある。

スラユット首相にとってプリディヤトン副首相が意外なお荷物になりかねないっことになってきた。プリディヤトンにこんな前歴があるとは軍の幹部や枢密院の誰が、当時知っていただろうか?

 

⇒タクシン夫人の土地疑惑でプリディヤトンを被告側証人として請求(07年4月5日)

ポチャマン(Potjaman)タクシン夫人はバンコクのラチャダピセック・ロード(Rachadaphisek Road)の差し押さえ物件(土地)を取得した件で訴追を受けているが(上記参照)、その取引を承認した最高責任者としてプリディヤトン前副首相兼財務相を証人喚問したいと被告側の弁護士が請求していることが分かった。

プリディヤトンは副首相就任直後、この取引は「正当なものである」と語った経緯がある。

こうなって見ると、プリディヤトンは中央銀行総裁当時、タクシンに迎合する判断をくだしてタクシン一家に大きな利益を与えていたことになりかねず、所詮は副首相兼財務相の地位にとどまることは不可能であったということになる。

弁護側はタクシン首相は中央銀行総裁に圧力をかける立場にはなかったのでこの取引は合法であったという主張をしている。プリディヤトンがどういう証言をするかがミモノである。 (後日、プリディヤトンは不正はなかったと証言した模様

 

⇒AECの小委員会がタクシン夫人の土地を差し押さえるように提言(07年5月4日)

AEC(不正取得資産調査委員会)のタクシン夫人がラチャダピセック通りの土地(33ライ≒16,500坪)を7億7200万バーツ(≒28億円=坪当たり≒1万7000円)で取得した問題を調査する小委員会のウドム(Udom Fuangfung)委員長は5月14日にはAECに報告書を提出できるであろうと語った。

争点はタクシン首相(2003年当時)の夫人が国有財産(FIDFという押収資産管理委員会が所有していた土地)を現職の首相夫人が買えるかどうかという問題である。

これはタイ国刑法34条に違反しているというのがAECのウドム委員会の結論である。検察庁が万一この件を訴追しない場合はAECが裁判所に訴追できることになっている。

これについて上記のように当時の責任者であるプリディヤトン(中央銀行総裁兼FIDF管理責任者)は首相の指揮下にない組織の資産だから首相夫人がかっても不正はないと判断したと述べていた。 (この判断自体の正当性も問われることになりかねない)

しかし、とんでもない証拠書類が発見されたという。というのはタクシンがポジャマン夫人がその土地を買っても良いという「許可証」を署名入りで出していたというのである。こうなるとプリディヤトンの言い分は正しくないということになっていしまう。

いくら管理責任が中央銀行にあるといっても国有財産の取得に首相夫人が乗り出すというのは誰が考えても異常である。

 

 

116-18. タクシンのシンガポール訪問をタイが激しく非難(07年1月17日)

最近、タクシンは北京から香港に移り、その後シンガポール入りをして4日間滞在した。シンガポール滞在は私的なものという説明をおこなっていた。しかし、タクシンはシンガポールのラヤクマール(S Rayakumar)副首相と会談した。本人は友人として夕食をともにしたという言い訳をしている。

しかしながら、タイ政府はタクシンの外交官パスポートを無効にしており、いわば詩人の立場にいる人間がシンガポール政府の高官と会談し、それが公になるというのはやはり問題で、タイ政府はシンガポール政府の真意をただすべくタイ駐在のシンガポール大使を呼んでタイ政府としての非難を伝えた。

また、両国の閣僚の交流もキャンセルされた。

また、タクシンはシンガポールでCNNとインタビューを行い、それがタイ以外で放映された。また、ウオール・ストリート・ジャーナル紙ともインタビューを行いタクシンは今のタイ政府の経済政策の誤りを批判し、自らがおこなった「南タイの騒乱に対する強硬弾圧政策」を正当化するなど好き勝手な発言をおこなった。

一方、亡命者という微妙な立場にあるタクシンのシンガポールにおける自由な行動を容認したシンガポール政府に対するタイ政府の苛立ちは相当なものがあることは明らかである。

シンガポールのナタン大統領は2006年11月9日にスラユット首相に対し「シンガポールはタイ政府を裏切るようなことはなく、今後とも2国間の信頼と相互理解を傷つけるようなことはしない」と明言したという。タイ政府としてはシンガポールがタクシンに勝手な行動を許したのは約束違反だということである。

結局のところ、日本のメディアやアジア学者の保守本流がはやし立てている「ASEANの地域統合」なるものがいかなる現状にあるかを思い知らされる事件である。

ASEAN内でタクシンとシンガポールが「タンゴ」を踊ってみせて、「ASEANと中国との接近を演出したヨシミ」がシンガポールの国有投資会社テマセクのシン・コーポレーションの買収につながり、それがタクシンの失脚の直接のきっかけとなったのはいかにも皮肉である。

タクシンはWSJ紙とのインタビューのなかで、昨年大晦日のバンコクの爆弾事件について触れ、あれは「南タイのイスラム教徒の仕業」だと断定した。民主主義を愛するタクシンとしては国民を傷つけるようなマネはしないというのがタクシンの言い分である。

肝心の爆弾事件の方はタイ警察の捜査が続けられているが、これは遅々として進まないようである。もし警察の内部に犯人がいたとしたらこれは永久に迷宮入りとなるかもしれない。一時期、タイの入国管理局の警官隊が爆弾に関与したという噂が流れていたが、結局シロだということになった。

 

116-19. タイとシンガポールの紛争がエスカレート(07年1月19日)

タイ政府の抗議に対し、シンガポールからは予想どおりの強烈な反論が返ってきた。シンガポールの政府関係者のなかには東南アジアでシンガポール人ほど賢い人間はいないかのような雰囲気をにじませるものの言い方をする人間がいる。それでしばしば、マレーシアやインドネシアと不要な争いを引き起こしてきた経緯がある。

今回も、シンガポールはタイに空軍基地を租借していて、年額10億バーツ(約33億円)を支払っているとはいえ、これをキャンセルされたら空軍の飛行演習が困ることになるが、そういうことは忘れているようだ。カネを払っているのだから文句はあるまいということなのだろうか?

幸い、タイ国軍は大人の対応を示し。軍事協力はこれまでと変わるものではないと言明しているので紛争はこれ以上エスカレートしないかと思われた。

ところが、タイの世論はそれでは収まりそうもなく、学生がシンガポール大使館にデモをかけるなどしており、国民の怒りはシンガポール政府の発言によって火に油を注ぐ形となった。 今回の件で相当シンガポール政府の対応に怒っている様子で、いままで口にしなかった通信ライセンス問題に言及した。

シンガポールのテマセクが買い取ったシン・コーポレーションの携帯電話会社AISやシン・サット(人工衛星)がタイにおける通信を全てシンガポールに送っていて、国民の安全保障上大きな問題とであるというのである。

これは場合によっては、通信事業のライセンス取り消しもありうるということを意味している。そのような事態になれば、両国関係のいっそうの悪化は避けられず、テマセクの投資は大きな損害を蒙ることになる。

この場合、両国の中を取り持つ国が見あたらないことも問題である。周辺諸国におけるシンガポールの評判はそれほど悪いのである。

 

⇒ShinSatのTEMASEKへの売却はタイの国防上の重大問題(07年1月23日)

オーストラリアの防衛問題専門家のデス・ボール(Des Ball)教授はタクシンが所有していた人工衛星ShinSat社と携帯電話会社AISのシンガポール国営投資会社TEMASEKへの売却はタイの国防上の重要問題であると指摘した。

シンガポールはShinSatを手に入れることによって、タイ国軍の衛星通信システムに直接アプローチが可能となり、衛星を通じてあらゆる情報がシンガポールに筒抜けになるという重大事態に直面している。

その対策としてはタイ政府はShinSatの買戻しか、独自の新しい衛星の打ち上げのどちらかを選択しなければならなくなったという。

新しい人工衛星の打ち上げにはタイ政府としては2億5000万ドルの支出が必要になると推定さている。

タクシンは首相という立場で当然このような問題点を事前に承知した上で、これらの事業をシンガポールに売却したことになり、今後国防上の重要事犯としての取調べの可能性も出てきた。(前首相の国家犯罪ということになりかねない)

いままでこの問題が表面化しなかったのはタイとシンガポール両国の国軍関係者がASEAN加盟国という以上に軍事基地の賃貸関係もあり親密だったことが関係していると思われる。(マレーシアはシンガポールに軍事基地などは絶対に貸さない)

実際は国防問題はASEAN内部での情報の共有化以外の独自の問題が数多くあるのは当然であり、亡命後のタクシンにもシンガポール政府が傍受したタイ国軍の情報が流れた可能性もありうる。

こんな事件が表面化した以上、タクシンもうかつにはタイに戻れないであろう。

 

116-20. 空港汚職容疑でついに日本企業名が浮上(07年2月6日)

タイの英字紙ネーションの2月6日付インターネット版によれば、AEC(Asset Examination Committee=資産審査委員会,ASC=Asset Scrutiny Committeeと同じ、バンコク・ポストはこちらの名称を使っている)は新タイ国際空港のCTX爆発物検査装置と手荷物搬送装置について、新たに「不正行為」の疑いがある企業と個人の名前を2月5日に公表した。

それによれば竹中工務店大林組の2社とその役員が含まれている。AECの公表した名前は以下の通りである。スペル等についてはネーション紙の報道のままであり、正確なものとは限らない。

@Italian-Thai Development Plc, ATawatchai Suthiprapha, a director of ITO Joint Venture BTAKENAKA Corporation  CMasahide Koniyoshi, Board member of Takenaka Corp. DOBAYASHI Corporation, EShiro Osada, Board member of Obayashi Corp. F.Quatrotec Inc. GWorawit Wisutchai, Quatrotec representative.

このITO Joint Vvenyureとはイタルタイと竹中工務店と大林組の頭文字をとったもので、共謀して政治家などに工作し貨物搬送装置工事の受注などをおこなった罪を犯したとしている。Quatrotec Incは契約当事者となるために急に作られた会社らしい。

既に本件に関してはタクシン前首相、スリヤ前運輸相、スリスク前タイ空港会長など23名の関係者は汚職に関与したという容疑で既にAECの調査を受けている。

 

116-21.タイ政府、TEMASEKと人工衛星の買戻し交渉を開始か?(07年2月21日)

国防上の機密が漏れるとしてソンティCNS(国民安全評議会)委員長タクシンがシンガポールの国営投資会社テマセク(TEMASEK)に売却したシン・コーポレーションの傘下(株式41%を保有)にあるシン・サット(ShinSat=5個の人工衛星を運用)の買戻しを主張していたが、水面下の交渉が既におこなわれていることをネーションやWSJは報道している。

シン・サットの市場価格は3億ドルといわれているが、シン・コーポレーションの買収そのものが問題となっている今の段階で、TEMASEKがすんなり買い戻しに応じるか否かはわからない。

ただ、TEMASEKが買い戻しに応じない場合は、タイ政府には人工衛星会社の運行免許取り消しという最後の切り札が残されている。

タイの情報通信省内部にはタイ国民にシン・コーポレーションの買戻しの是非をめぐって大規模なアンケート調査をおこなう考えもあり、「75%程度が賛成なら買戻し交渉を本格的に行い、50%前後であれば買い戻さない」とシティチャイ情報通信相は述べているという。

この話しが市場に流れ、暴落していたシン・コーポレーションの株式が9%上昇し、7.75バーツにまで戻した。それでもTEMASEKが買収したときの価格14.90バーツには到底及ばない。

この買戻し交渉がうまくいけばタイ政府とTEMASEKとの関係が修復される可能性もある。紆余曲折があっても最終的には妥協が図られることは間違いない。

シン・コーポレーションTEMASEKへの売却が違法か否かは名目上の買収主体のKulab Kaewなる会社がタイ国籍と称しているが、実態は外国企業(この場合TEMASEK)が支配する「名義株主」なのではないかという点が争点となっている。

もし、名義株主であると認定されると、売却そのものが現行のタイの「外資法」(通信会社の外人持ち株比率を49%以下に制限)に違反することになる。その場合はKulab Kaewの株主構成を最低限タイの法律にあわせてかえなければならない。

また、通信事業法でもタイにおける通信衛星の事業はタイ企業にのみ営業が許可されるとあり、こちらの面からもシン・サットの営業は問題になる可能性がある。

いずれにせよタクシンとTEMASEKの取引は軽率の極みといわざるを得ない。

 

⇒スラユット首相、シン・サットの買戻しは民間にまかせる(07年2月25日)

スラユット首相がマレーシアの新聞ベルナマ(Bernama)に語ったところによると、TEMASEKとのシン・サット(ShinSat)買戻し交渉はタイ政府としては関与せず、民間会社にまかせる方針を明らかにした。

それは当然の話しで、タイの役人がノコノコ出かけていって、シン・サットの買戻し交渉などを物欲しげな顔をしてシンガポール人とやるとどういうことになるかなどはということは初めからわかっていることである。

どうしても欲しいなどという態度を見せたら、思い切り吹っかけられることは必定である。

特に問題だったのはソンティCNS(Council of National Security=国民安全評議会)議長がシン・サットの人工衛星は「機密情報の漏洩を防ぐために」タイ国防上絶対に必要だなどとして、「何としてでも取り戻すのだ」などという発言を繰り返したことである。

ただでさえ外交上の取引のカードを失って困っていたシンガポール側に絶好の切り札を与えてしまったのである。こうなるとシンガポールとの交渉はこじれることは間違いない。ソンティ議長は正直な軍人だが、この辺の「駆け引き」についてはあまりにも無知である。

その辺に遅ればせながら気が付いたスラユット首相は、取引はタイの民間企業に一任し、政府としては一切関与しないという発言につながったものと思われる。

タイの民間企業としてはDragon One, Samart, Loxeytの通信事業 関連の3社がシン・サットの取得に興味を示しているという。

 

116-22.反シンガポール感情高まり、ウドン・タニ空軍基地貸与反対対デモ(07年2月24日)

タクシンTEMASEKシン・ コーポレーション(Shin Corp.)を売却した後遺症が悪化の一途をたどっているが、タイ政府がシンガポール空軍の訓練用に使用を認めているウドン・タニ空軍基地に対し、PADメンバーなど約200人が「シンガポールは出て行け」というスローガンを掲げデモをおこな い、リー・シェンロン首相のわら人形を燃やすなどして気勢を上げた。

タイ政府はシンガポールのウドン・タニ基地使用はシン・サット(ShinSat)売却問題の如何にかかわらず継続的に認める方針を重ねて明らかにしている。(ちなみにマレーシアはシンガポール空軍に基地を貸すなどということは絶対にありえない。)

PAD(People Alliance for Democracy)はタクシン追放運動を開始したソンディ(出版業)などの民主派団体であり、クーデター後は一時期静かにしていたが、最近再び行動を開始した。

ウドン・タニ基地は2004年に当時のタクシン首相がシンガポール空軍の訓練目的で15年間の使用を認める協定に署名した。ただし、契約は5年ごとに見直されることになっている。

タイ政府はTEMASEKシン・ コーポレーション傘下の社シン・サットの買戻し交渉を非公式におこなっているが、TEMASEKとしてはシン・ コーポレーション全体を手放す考えを示唆している模様である。これはタイの情報通信相のシティチャイ氏が明らかにしたものである。

というのも買収主体のKulab Kaewなる会社がタイ国籍を持っているかどうかでもめており、傘下のiTVというテレビ会社がタイ政府との協定に違反し、番組構成をコマーシャル収入の多い娯楽番組を増やしたということで940億バーツ(1バーツ≒3.6円)という巨額の罰金請求を受けている。

また、シン・コーポレーションの収入の90%を占めるという携帯電話会社AIS (Advanced Info Service)がタイ国民の反シンガポール感情からシェアを徐々に落しており、苦境に立たされつつあるという事情もある。

これらを総合的に考えるとTEMASEKとしてはシン・ コーポレーション全体を手放してしまうほうが得策ではないかという判断も出てきていると見られる。その場合はTEMASEKとしては当初の買収価格19億ドル(≒2300億円)がかなり目減りすることを覚悟する必要がある。

なお携帯電話会社AISの2006年の純利益は162.6億バーツ(約585億円)で2005年の187.3億バーツに比べ-12.8%であるが、なかなかの好業績である。

ところが、06年4Q(10〜12月)に限って見ると、純利益は32億バーツと05年4Qの49.5億バーツに比べ-35.4%と大きく落ち込んだ。また06年3Qの36.5億バーツに比べても-12.3%と大幅減益になった。

マーケット・シェアーも従来50%を超えていたが、既に45%にまで落ち込んできているという。これは反タクシン、反シンガポール感情の表れでもある。また、利益減はDTAC(ノルウェー資本)やTRUE MOVE(タイ資本)との競争激化の結果でもある。

余談だが、某テレビ局の下請けの番組制作会社のスタッフと称する人が私に電話をしてきて「ウドン・タニというのは日本のウドンの語源で、トンブリという地名は丼の語源ではないか」という奇問を発してきた。

「広辞苑でも見れば書いてあると思うが、これは全く関係がない」むね返事をしておいたが、こんなことを大真面目で質問してくるテレビ番組制作という仕事も大変なものだと思った。ヤラセに走るということもありうることである。

 

116-23. クルンタイ・バンクがタクシンの息子の関連企業に99億バーツの融資(07年3月12日)

AEC(Asset Examination Committee=資産審査委員会,)は国営のクルンタイ・バンクがタクシンノ息子のパントンテ・チナワット(Panthonhgtae Shinawatra)の関係する会社Krisada Mahanakon PLC Groupに対し99億バーツ(≒356億円)の巨額融資をおこなっていることを明らかにした。

これには担保がついていたというが、担保価値を大幅に上回る融資であったとされている。融資に当たってはタクシンとポジャマン夫人が圧力をかけたと関係者は供述しているという。

Krisada Mahanakon PLC Groupになされた融資はパントンテとパントンテが所有するHow Come Entertainment の役員のManopに流れたという。ManopはTRT党の広報担当のSita Divariの父親である。

この融資によってクルンタイ・バンクは推定で45億バーツ(≒160億バーツ)の損害を蒙ったという。

またTRT党幹部やポジャマン夫人の秘書のカンチャナ(Kanchana Honghern)の母親もクルンタイ・バンクから融資を受けていた。

このようにタクシンがタクシンのクローニーたちと国家資産を食い物にしてきた状況が次第に明らかになってきている。タクシンはふた言目には「証拠を出せ」といって息巻いているが、その声も最近聞かれなくなった。

(ネーション、インターネット版、3月7日付け参照)

 

116-24. タクシン夫人と弟バナポットが脱税容疑で起訴される(07年3月14日)

タイ検察庁はタクシン夫人ポジャマン・チナワットと夫人の弟のバナポット・ダマポンの2名を5億4600万バーツ(≒19億1100万円)の脱税の容疑で刑事裁判所に告発した。もし有罪になれば最高14年の禁固刑と40万バーツの罰金に処せられる。

これは2000年にポジャマンからバナポットにシン・コーポレーションの株式を譲渡した際に不正に税金をまぬがれたというものであり、秘書がそれに介在していたというもの。

また、ポジャマンの秘書のカンチャナパ(Kanchanapa Honghern)も脱税に関与した容疑で同時に起訴される見通しである。

3人とも保釈金を積んで拘留を免れる可能性が高いが、出国禁止措置はとられるであろう。

 

116-25.タクシン、不敬罪で訴追か?(07年3月21日)

タイ警察庁長官代行のセリピスット(Seripisut Temiyavej)は警察としはタクシン前首相は国王に対する不敬罪(lese majeste)の罪状6件を検察庁に送ったと発表した。不敬罪は最長75年の禁固刑というきわめて重罪である。

これを受けてパチャラ(Patchara Yuthi-dammadamrong)検察庁長官はタクシンの不敬罪容疑については証拠を慎重に調査する語った。また不敬罪というのは微妙な問題であり、軽々に話題にすべきことではないとして暗にメディアが派手に取り扱うことを牽制した。

これを受けてか日本のメディアはこの問題を報道しているところは目下(3月21日朝)のところ見当たらない。そもそもタクシン批判記事は政権末期までは過去ほとんどといっていいくらい日本で報道されたことはない。

パチャラ長官はタクシンは過去に国王に対してしばしば礼儀を欠く表現や不適切なリマーク(批判に近いコメント)をしたことがあるとも語った。しかし、「国王を尊敬しないこと自体」は罪にはならないという判例もあり、立件には慎重な証拠調べが必要である。

セルピスット警察長官代行(長官は不在であり本人が事実上のトップ)は例として、タクシンが2005年12月におこなったタクシー運転手の集会での発言や、ラジオ放送での国王 の批判を批判したこと、タクシンの支持者の集会で聴衆に「国王万歳」という小旗を振らせたなどが挙げられている。

タクシンの首相就任以来のさまざまな場面を振返って見ると、確かに「国王ナニするものぞ」といわんばかりの言動は多々あったし、国王からの再三の「行き過ぎに対するご注意」には対してはほとんど一顧だにしなかったことも確かである。

タクシンが不敬罪で有罪判決を受ければ、タクシンが政界に復帰することは不可能になり、今回のクーデターの最大の目的が達成されることになる。

この不敬罪についてはプミポン国王自身が反対の意向を過去(2005年の誕生祝の式典での演説)に示しており、実際この件で有罪になったという話しはあまり聞いたことがない。最近ではスイス人が国王の描かれた画像にスプレーを吹きつけ06年12月に逮捕され裁判にかけられ10年の禁固刑に処せられている。

タクシンはこの不敬罪を外国メディア弾圧に利用し、FEER(ファー・イースタン・エコノミック・レヴユー)紙をタイから締め出した。タクシンの本当の狙いはFEERがタクシン批判をしたためのシッペ返しであった。(本ページ、Th-1-3.02年2月21日記事参照)

(この記事は地元のネーション、バンコク・ポストをはじめBBCやFTやWSJでも取り上げられている。)

 

⇒タクシンの不敬罪容疑は証拠不十分で不起訴に(07年4月11日)

検察庁はタクシンの不敬罪容疑についていずれも証拠不十分ということで起訴しない方針を固めた。これは国王自身が前々から「不敬罪」そのものについて反対の意向が強いことを反映しているものと思われる。

 

116-26.新空港の免税店等運営のキング・パワー社に疑惑(07年3月26日)

タイの新国際空港スヴァンナ・ブミ空港は滑走路などでキレツが発見され、急遽国内便の多くが元のドン・ムアン空港に移されるなど混乱をきたしているが、それ以外にも汚職や癒着の総合空港といわれている。タクシンのクローニーが寄ってたかって食い物にしてきたというのである。

その典型として、空港の免税店やショッピング・モールを取り仕切るキング・パワー(King Power)社が不適正な契約をしたとして国家評議会(Council of State)の指摘を受け検察庁が動き出した。

場合によってはキング・パワー社の契約取り消しや刑事罰に発展する可能性もある。

同社は官民の合弁企業であり、10億バーツを超える事業をおこなう場合は閣議決定を必要とするが、それを避けるために10億バーツ以下のプロジェクトに分割し、認可を得たとか、実際面積よりも少ない計算でスペースを借りているとか、入札をおこなわず「随意契約」ををおこなったとか、数々の疑惑が噴出している。

この契約をおこなったのはタクシン時代の空港管理会社AOT(Airports of Thailand)だがその会長は最近健康上の理由で辞任し、いまは反タクシン派の将軍のサパラン(Saparang Kalayanamitr)が会長に就任している。

ショッピング・エリアの床面積を2万平方メートル、10年契約で借りたが、実際は25,828平方メートルあるというのだから恐れ入る。こういうやり方が白昼公然とまかり通っていたのがタクシン流なのである。

AOT がおこなったほかの58件の購買契約も全て見直す必要があるとサパラン会長は言っている。

そのサパラン会長も滑走路ひび割れ事件等の調査のため部下10名ほどを引き連れてヨーロッパの空港見学を700万バーツ(≒2500万円)かけてやったということで「大名旅行』だとして批判を受けている。極東の某経済大国の首都の知事に比べればまだカワイイものだが。

とくに、サパラン会長タタキに熱心なのはバンコク・ポストである。その執拗さには驚かされる。「ひび割れ問題」でタクシンに脅迫され「記者を解雇する」という言論機関としてはいくら保身のためとはいえ「自殺行為」をおこなったのを棚に上げて軍事暫定政権タタキにやっきになっている。

そのくせタクシン政権の旧悪にはかなり寛大なようだ。最近の報道振りを見ているとライバル紙ネーションとはかなり違いがでてきた。タクシン夫人が脱税容疑で起訴されたという本日のトップ・ニュースにもわざわざ副編集長のウィーラ(Veera)氏が当たり障りのない記事を署名入りで書いている。一体どうなっているのであろうか?

そのバンコク・ポストと契約しているらしいのがわが国の保守新聞(アジア記事に関しては)の雄の朝日新聞である。朝日の英字紙(ヘラルドリリビューン紙の後ろの数ページ)に、バンコクポストのややピンボケの社説を毎号のようにのせている。

社説に関してはネーションの方がかなり充実している。ご参考までに。

 

116-27.新空港の契約でタクシンがゴリ押し(07年4月27日)

軍事クーデター後に発足した国民立法議会の「新空港問題小委員会」のバナウィット(Bannawit Kengrien)委員長によればスバンナブミ新国際空港の旅客ターミナル建設に当たってはタクシン前首相が強引にイタル・タイ・グループ(ITOというJ/Vでイタル・タイと竹中と大林が参加)に受注させたと語った。

小委員会のプラパン委員によればタクシンは旅客ターミナルの設計変更をおこなう委員会を空港取締役会を無視して任命し、タクシンは空港取締役会にITOグループに発注するよう指示したという。

それはタクシンの権限外のことであったが、首相が署名入りの文書で発注を指示してきた以上、取締役会としては権力者のタクシン首相の指示にそむくわけには行かなかった。

これによってタクシンは国家プロジェクト法(1999年)の発注規定に違反し、国家に100億バーツ(≒365億円)の損害を与えた。

また、イタル・タイと契約を署名した当日に、裁判所はイタル・タイに対し「再建命令(Rehabilitation)」を出していた。このような経営内容に問題がある企業には国家プロジェクトは発注できない規定がある。(日本でも同じ)

また、元運輸省次官のスリスク(Srisook Chandrangsu)は検察庁からチェックを受けた契約書を違法に改ざんして契約会社(保健会社など)から損害賠償請求を空港会社が出来ないようにフェイバーを与えたという。

タクシンがなぜこのような行動に出たかといえば、タクシンはクローニー(仲間の華僑資本家)に利益を与える(または通貨危機のダメッジから救済する)目的で政権についたと見ることも出来るのである(本ホーム・ページの初めの頃の文章を参照)。

タクシンが自由主義者で構造改革の理念に燃えて政権に就いたなどと今頃になって賛美するような論調で記事を書いている日本や米国の一部の記者について多少の反省を促したい。軍事クデターは既得権益を持ったものがタクシンに挑戦したなどというのは全くのデタラメである。

タクシンとスリスク以外にも元の運輸相のワン・ムハマド・ノール・マタ(Wan Muhammad Noor Matha=南タイのワダ・グループのリーダー)もさまざまな違法行為に関与しているという。

AEC(不正取得資産調査委員会)は空港免税店のスペースを取り仕切っているキング・パワー社の契約について調査し、契約の全面見直しを航空会社に要求している。(#116-26参照)

これに対してAOT(航空会社)の反応がいまいち鈍く、スラユット首相から「テキパキやれ」とはっぱをかけられている。タクシン政権内にも軍人や警察のOBがいて、彼らが彼らなりに改革のアシを引っ張っているのである。

 

116-28.タイ政府はタクシンの策動に対抗するため米国PR会社を雇う(07年5月1日)

タクシンは有り余る資金を使って月間20万ドルを支払い、タイの軍事政権の誹謗とアラ探しをおこなう国際的キャンペーンをおこなっているといわれている。そのPR会社の1つがEdelman Public Relations社である。

タクシンはそれ以外にもBaker Bott LLPとBarbour Griffith and Rogers LLPというワシントンの法律事務所とも契約している(WSJ)。

最近では元米国国連大使Ken Adelman氏がEdelman PR社の顧問を務めているがタイ政府と大手製薬会社Abbott Laboratory社とのエイズ新薬をめぐる紛争についてワシントンポスト(4月7日付け)に論文を寄稿し、タイ政府は「知的所有権を侵害している」としてAbbott社を擁護した。

これにタクシンが関与したか否かは不明だが、自分の立場を擁護し、相手を攻撃するためにこの種のPR会社を使うのは今や当たり前になっている。これは日本でも小泉政権が多用した方法でもあったといわれている。

また、理由は良く分からないが自発的にタクシンの立場を擁護してきた朝日新聞やアジ研や日経新聞の某記者などの例もある。 日本のメディアや学者や研究機関の場合はいつもながら無知と偏見によるもので買収されているとは考えられない。

タイ政府はこれらの動きに対抗するためになけなしの5万5千ドル/月をはたいて3か月間だけどこかのPR会社を雇う予定であるという。これぐらいの資金では到底タクシンにPR合戦で勝てるとは思えないが、何もやらないよりマシだということのようだ。

ともかく、最近のタイ政府に対する国際的イジメはすさまじいものがある。タイ・バーツがヘッジ・ファンドに狙われて投機の道具に使われて来たことは明白である。タイ中央銀行がタイ・バーツを防衛する(異常な騰貴をおさえる)のは当然である。

そのやり方が多少お気にめさなかったからといって集団的なイジメに日本のメディアまでがコゾッて加担することはないと思う。アメリカ流金融あるいはハゲタカ・ファンドの支配の「ゲームのルール」になぜ世界中が従わされる必要があるのだろうか?

 

116-29.タイの一村一品運動は失敗のケースが多い(07年5月8日)

タクシン前首相は農村活性化対策として日本の一村一品運動と同じやり方をタイの農村部に適用した。

その際融資を担当したのが国営銀行のBAAC(Bank of Agriculture and Agricultural Cooperatives=農業および農業協同組合銀行)である。

BAACのティラポン(Thirapong Tangthirasunan)頭取によれば10億バーツ(≒37億円)以上を一村一品運動(OTOP=One Tambon One Product)に融資したが5分の1は止めてしまうか止めつつあり、これはそっくり不良債権になるおそれがあるという。

失敗の原因は同じような食品の供給過剰と品質が悪くて売れないというものが多い。乾しバナナなどはその典型である。また、西洋風のケーキを作って売ろうとしたが食習慣にあわずサッパリ売れなかったという例もある。

タイは農村は全国的に特徴がないのが特徴であり、独自の特産品を生み出すのは最初から難しかった。

もちろん成功例もある。若い人が職業訓練学校や大学で学んだ新しい知識を応用した結果、ココナツオイルを使って浴用石鹸を作りそれを輸出し たり、竹細工や陶磁器製品など日本にも輸出されているものもあることは確かであるが目に見える成功例は少ないのが現実である。。

計算上は80%が何とかやっているということだが、実際に商品化されバンコクの市場などで売れているものは数が少ないということである。一握りの勝ち組と圧倒的多数の負け組みという構造が出来つつある。

問題はこのプロジェクトがタクシンのポピュリズム政策の一環としておこなわれたことである。OTOPは基本的にはバラマキ型であり多くの村に一律に資金が渡され何かやれといった運用がなされたため、資金効率という意味からは問題が多いことは確かである。

いくらやってもうまくいかない村はますます政府への依存を高める傾向にあり、借金も膨らんでいく。政府から農村にカネを流すシステムとしては機能しているが、具体的成果が出ているところとそうでないところの格差は今後いっそう顕著になっていくであろう。

また今後BAACとしてはバングラデシュのグラミン(Grameen)銀行に倣って、農村の女性に小口資金の融資を行い、女性の生活の自立・発展を図りたいとしている。 こちらのほうが成功の可能性は高いかもしれない。

(ネーション、07年5月7日付け、インターネット版参照)

 

116-30.民主党の無罪確定、TRT党に解散命令(07年5月30日)

選挙法違反で解体されるか否かでタイ国民の関心を集めていた憲法特別法廷の判決が今日午後1時半(日本時間3時半)から出されている。最初は民主党についての判決であった。

結論は既にBBCのインターネット版などで報じられているとおり、「全面無罪」であった。これは最初から予想されていたことである。

はじめは与党TRT(タイ・ラク・タイ=タイ愛国党)のみが訴追されるはずであったが、後から当時のワサナ選挙管理委員長が選挙管理委員会の議決もなしに検察庁に「民主党も違法行為あり」という訴状を提出したという経緯がある。(#111-20参照)

検察庁は小委員会で検討した結果、一応民主党にも違法行為の可能性ありということで起訴に踏み切った(06年6月)。

民主党への容疑は@「タクシン体制」という言葉を使い、タクシン批判をおこない、選挙をボイコットしたこと、A東北地方などで小政党を使いTRT党の選挙妨害をおこなったなどといった容疑であるが、@については違法性がないこと、Aについては証拠不十分ということで無罪になった。

したがって、今後も民主党の公党としての政治活動はなんらの支障なく継続できる。

問題はTRT党であるが、この判決は日本時間の31日午前1時過ぎに判決がくだり、TRTのタマラク(Thamarak Isarahgura)元副党首とポンサク(Pongsak Ruktapongpisal)元副書記長が06年4月のやりなおし選挙の際に、パタナ・チャート・タイ党の政治家にカネを渡し、選挙に出るように依頼したという事実認定をおこなった。

これはビデオ映像が有力な証拠となっているものと思われる。

TRT党には解散命令がくだり、タクシンを含む111名の党幹部の今後5年間の公民権の剥奪(立候補と投票)認められないという最終判決が下った。

TRT党の解散命令が出てもバンコクではさほどの混乱はないであろうといわれている。軍・警察はかなりの厳戒態勢を布いている。

また、タクシン夫人と2人の子供(長男と長女)は先週金曜日から国外に避難していることも判明した。ということはTRTのトップには既に判決の内容がある程度分かっていたものと思われる。

これに対し、ソンティCNS(国民安全評議会)委員長は公民権を剥奪されたTRTメンバーの一部は「赦免」が与えられるであろうという発言をしていたが、直後に撤回した。

判決直後のこの種の発言は「法廷侮辱罪」の疑いもあり、国民の大多数から支持されているこの判決に水を差すような言動は慎むべしという意見が多く寄せられたと思われる。

確かに、ソムキットやチャトロンといったTRTの良識派も含まれており、彼らには同情の余地はあるような気がするが、タイの中立的な司法のトップが時間をかけて下した判断は尊重されなければならない と多くのタイ人は認識していることであろう。

 

⇒TRTの解散命令を阻止しようとして裁判官買収工作(07年8月10日)

タクシンの与党であるTRT党の解散命令判決をおそれて担当判事に対する買収工作がおこなわれたことが、当の判事の証言からも明らかになり、元警察大佐チャーンチャイ(Charnchai Netirattakarn)に対する逮捕状が8月8日(水)に出された。

チャーンチャイは行方をくらませており、逮捕を免れているが8月14日までには警察に出頭すると家族を通じて警察に連絡があったという。 警察が緩慢な対応をしているということはチャーンチャイに証拠隠滅の時間を与えていることにもなりかねない。

チャーンチャイは憲法裁判所判事2人に対し1人あたり3,000万バーツ(≒1億2000万円)ワイロ提供を申し出ていたという。

クライリルク・カセマサント(Kririrk Kasemsant)判事とソムチャイ・ポンサッタ(Somchai Pongsatha)判事は買収工作がなされたことを認めている。また、警察は法務省内部に協力者がいたとして逮捕状請求の準備をしているという。

チャーンチャイはタマサート大学法学部第9期生(1966年卒)で、ワイロの申し出を受けた2人の判事やタクシンの義弟で法務省次官のソムチャイ・ウォンサワットと同期生である。

パンヤ(Panya Thanomrod)最高裁長官は事態を重くみて裁判所内に調査委員会を設置し、事実関係の調査に乗り出した。

「反汚職市民ネットワーク」のウェーラ・ソムクワムキット(Veer Somkwamkid)氏は「タクシン時代に憲法裁判所の判事で先頃退任した人の夫人にこのチャーンチャイ元警察大佐から1,000万バーツ渡された」疑いがあると述べている。

かつての憲法裁判所はタクシン派が多数を占め、タクシン首相就任時の「資産調査」時にも大方の予想を覆して、タクシンに「白」の判決を8対7で出したことでも知られている。(2001年)

また、2006年2月にもシン・コーポレーションをTEMASEKに売却した際にも、タクシンの「資産調査」を必要なしとする評決を8対6で行い、国民から疑惑の目が向けられた。06年9月のクーデター後は「灰色裁判官」のパージがおこなわれた。

タクシンの得意技は要所要所の人間への買収工作であり、これによって自分への批判を回避してきたのである。

今回明らかになったことは、失脚後も執拗に裁判官などへの工作を継続しているということである。これに対する裁判所の対応が迅速なものであるとはいいがたいし、既に数名の判事が「汚染」されているのではないかという疑惑すら持たれ始めている。

チャーンチャイの逮捕を迅速に行い、真相の解明が待たれるところであるが、警察の反応もいまいち鈍い。警察は依然としてタクシンの影響が色濃く残っているのである。

ちなみに、8月10日付けの朝日新聞インターネット版は、この種の重大記事には関心がないらしく、昨日(8月9日)おこなわれた反クーデター・デモ隊(総勢100名弱)がアユタヤ時代の戦士のイデタチで矢をつがええて、新憲法案のプラカードに向かって発射しようとして、警官隊に阻止されたという写真付き報道を載せている。

この、おそらく頭脳明晰な(?)特派員はタイでナニを見てナニを読者に伝えようとしているのであろうか?こういうピンボケなテーマのアジア記事をタレ流している限り、日本人のアジア認識のレベルは進歩しないであろう。本社のデスクにも問題がありそうだ?

 

116-31.資産調査委員会、タクシンの銀行資産を凍結(07年6月11日)

AEC(資産調査委員会)はタクシンとその親族の銀行資産を凍結する決定を6月11日(月)に下した と発表した。

凍結資産の内容はタクシンとポジャマン夫人の国内外の全ての銀行口座とシンガポールの持ち株公社テマセク(TEMASEK)に売却したシン・コーポレーション株の取引にかかわる銀行口座である。 タクシンの汚職や権力乱用による蓄財が明らかになれば「凍結」から「没収」へと切り替わる。

具体的な容疑として次の5点が挙げられている。

@ラチャダ地域の7億7200万バーツの国有地の取引に関する件。

A11億4000万バーツのゴムの種子の購買に関する件。

B15億バーツのCTX爆発物監視装置の取引に関する件。

C377億9000万バーツの2桁および3桁の新「宝くじ」に関する件。

D306億6700万バーツの通信会社認可費用の支払い免除に関する件。

なお、タクシンはこの日に備えて、すでにスーツ・ケース数十個の現金をクーデター直前に国外に持ち出しているとも言われ、クーデター後9ヶ月も経ってからのこの種の措置が実際にどの程度の効果があるかは不明である。

現在判明しているのはシン・コーポレーション株売却によって取得した730億バーツのうち528億バーツ(1,985億円)はタイの金融機関に存在するということである。 しかし、ある銀行家の推測ではタクシン夫妻は1,000億バーツ以上の資金を国内に保有しているという(ネーション、6月12日付けインターネット版)。

タクシンは不服があれば60日以内にAECに不服申し立てができる。タクシンはトコトン闘うと言明している。

今回の「凍結」措置により、タクシン派の「独裁反対・反軍事政権デモ」や旧TRT党の活動は資金面からかなり制約を受けるといわれている。

今回の決定はAECの委員会のうち賛成7名反対4名の多数決で決定されたことが6月12日に明らかにされた。

(お勧めリンク)

「タイの地元新聞を読む」http://thaina.seesaa.net/ という大変優れた情報ページが存在することが判明しました。かなり、前からあるので既にご存知の方も多いと思いますが、タイ語の新聞や現地取材も記事の内容に含まれています。

著者は「南さん」という日本人らしいのですが、残念ながら私は存じ上げません。大変な実力派だということは記事を一読すればわかります。タイにご関心の向きには是非お勧めしたいと思います。

また、私が普段使っているAEC(Assets Examination Committee=資産調査委員会)というネーションやWSJが使っている略語はタイ語の正式名称からは「国家毀損行為特別委員会」と表記すべきものだそうです。

それにしてもこの名称でも長すぎるので私はとりあえず「資産調査委員会」としておきますが、いずれ適当な訳を見つけて書き直します。

 

⇒タクシンの銀行口座から80億バーツが直前に引き出される(07年6月14日)

タイ銀行(中央銀行)はタクシンの銀行口座には「凍結段階」でサイアム・コマーシャル・バンク(SCB)に440.9億バーツ(17口座で名義任はタクシン自身、2人の子供、義弟のダマポンなどに別れている)、バンコク銀行(BBL)に80億バーツ(4口座)、合計520.9億バーツ(21口座)あると考えていた。

ところが蓋を開けてみると6月4日から6月11日の間にSCBから82億バーツが急遽引き出され、残りは合計で438億8710万バーツに減っていることが判明した。引き出したのは主にポジャマン夫人の義弟のダマポン(Bhanapot Damapong)氏であるという。

タクシン側は「凍結」近しとの情報を得て、あわてて引き出したものと推測される。引き出された口座は全てSCBのもので、同行はシン・コーポレーションのテマセクへの売却の際も一役買い、タクシン一族には何かにつけて便宜を図ってきた銀行であることが、このことからもうかがい知れる。

タイ銀行が凍結前にタクシンの口座の残高を各銀行に報告させた際に情報が漏れたことも考えられる。それにしてもこれは明らかにタイ銀行の失態である。

タクシン側は引き出したカネは個人の投資と私的な買い物に使ってしまったと説明しているが、そのうち一部はタクシン支持派の政治資金となったことは間違いないであろう。

タイの銀行法によれば商業銀行は200万バーツ以上の預金の出入りについてはタイ銀行に報告義務があるという。

タイ銀行は引出されカネの流を今後追求していくという。

(なお、17口座の名義人と口座残高は6月14日のネーションのインターネット版に詳しく報じられている。)

 

 

116-32.タクシン近く帰国の予定、政府は歓迎の意表明(07年6月12日)

タクシンは弁護士を通じて、凍結資産解除を求めて、近いうちに帰国したいという希望をタイ政府に伝えたという。

スラユット首相はタクシンは帰国する権利があり、帰国を歓迎すると言明した。

ただし、身の安全については警察に一任すべきものであり、「タイ政府としては保証の限りではない」ということと「帰国の日時を前もってAEC(Assets Examination Committee=資産調査委員会)に連絡すべきである」と語ったという。

実際タクシン在任中数千人の人命が警察などの手によって非合法かつ非条理に失われており(麻薬撲滅キャンペーンなどで)、復讐を試みる人間がいる可能性はないとは言い切れない。

また、AECとしてはタクシンと夫人の国内銀行口座21箇所で520億バーツ程度の預金の存在を確認しているが、シンガポールのテマセク社から受け取ったはずの733億バーツとの差が200億バーツ(≒750億円)強と大きすぎる点などさらに究明するとしている。

タクシンが帰国すれば、AECとしては直接本人に問いただすことが出来る。

一方、タクシン派の反政府集会とデモが最近頻繁におこなわれており、6月9日(土)には約1万人ほどが集まり、国防本部などへのデモがおこなわれたという。参加者は東北から借り出された農民やスラム居住者やタクバイの運転手などが多かったといわれている。

警察も余り警備の動員はしなかったが、暴動が起こるような雰囲気でもなかったという。しかし、タクシンは在任中気に入らないメディアにはタクバイ運転手などを動員して事務所を包囲し、投石するなどの行為を「黙認」しており(ネーション社など)、「行動隊」を確保しているのでナニをやりだすかはわからない。

デモの動員にはかなりのカネが使われているといわれている。タクシンの帰国によって支持者は勢いづくことも予想されるが、バンコク市民の多くはタクシン支持の行動には出ないと見られている。もしかすると日本の新聞の特派員でハッスルするものが1〜2名出るかもしれないが。

また、タクシンには不正蓄財が立証されれば刑務所入りのリスクもあり、身柄を拘束される可能性はある。

 

⇒タクシンは刑事罰のおそれもあり帰国は当分延期(07年6月26日)

タクシンは一時期は特捜部の「召喚」請求などに応える形で、早期に帰国するという観測も流れたが、マンチェスター・シティ買収などに多額の現金をタイ国内の正規の手続きを経ずに持ち出したなどという新たな疑惑が加わり、刑事犯として身柄を拘束されての訴追の可能性が高まり、当分帰国しないという見方が有力になってきた。

もう1つの理油は最近、頻繁におこなわれたタクシン派の「民主反独裁同盟」の軍部批判デモがサッパリ盛り上がりをみせず、しかもカネを使って集めたデモ隊であるというような風評もあり、支持者が急速に減っているという認識を持ったためではないかと思われる。

サッカー・クラブを買収できればタクシンの人気が回復するのではないかというような、一部の日本の大新聞の報道はまさに「噴飯もの」であり、バイタクの利権でタクシンに軍部が反発をして軍事ク^デターが起こったなどという珍説と同類のものである。

これで、タクシンの拓殖大学における歴史的な講義も無事おこなわれる見通しが出てきた。

なお、タクシンの子分であるタノン元財務相は母校の横浜国立大学で講義をおこなうという。こちらもタイでウロウロしていると「御用」になりかねないような問題を抱えている。それは10年前にバーツ切り下げをおこなった際に、機密情報をタクシン(当時副首相)に漏洩したという疑惑である。

(#102-3参照)

 

116-33.タクシン派デモ隊プレム邸を取り巻き警官隊と衝突(07年7月23日)

「反独裁民主主義同盟(DAAD=Deamocratic Alliance Against Dictatorship)」と称するタクシン派の反軍事政権勢力は、かねてから昨年9月のタクシン追放軍事クーデターの首謀者はプレム枢密院議長(元国軍最高司令官、首相)であるとして、辞任要求の10万人署名運動などをおこなってきた。

7月22日(日)は数千人(ネーション紙は5千人)のデモ隊を組織して午後から街宣車を先頭にプレム邸を包囲し、枢密院議長を辞任せよという要求を執拗に繰り返した。

22日夜9時過ぎころから、デモ隊を排除しようとする警官隊との小競り合いが始まり、警官隊は催涙ガス弾を発射し、放水車でデモ隊に圧力をかけ、一方デモ隊はプレム邸に石や椅子などを投げつけるというような乱暴狼藉を始めた。また、公営バスを奪い、路上にバリケードを築いたともいわれている。

街宣車は警官隊に突っかけ、2人の警官が足を骨折するなどの重傷を負ったという。デモ隊側の負傷者も数は不明である。

警官隊は23時過ぎに3度目の催涙弾攻撃を始め、デモ隊の強制排除に乗り出したため、デモ隊はサナーム・ルアン広場(タマサート大学や国立博物館の前の広場)に撤収を始めた。

デモの参加者はバンコクの中間階層は少なく、かねて熱烈なタクシン支持者であったモターサイ(オートバイ・タクシー)の運転手はスラム住民や北部・東北部から動員されてきた貧農層が多かったものと推測される。

DAADとしては、新憲法草案が出来上がり、国民投票によってそれが承認されるという動きが固まりつつあり、派手な政治的パフォーマンスでそれに対してブレーキをかけたい狙いがあるものと思われる。いずれにせよタクシン派最後のアガキといえよう。

DAADの幹部はタクシン時代には「民主主義やタクシン独裁的政治手法」については沈黙を守り通してきた というより、タクシン派の人物がほとんどである。

これは日本の多くのメディアや学者と共通している。しかも、某大新聞はかれらこそ「タイ民主主義の旗手」だなどと勘違いしている趣がある。

今回の騒動を軍はあまり深刻に受け止めておらず、新たな規制の動きを軍としてはおこなわないとしている。むしろ深刻に受け止めるのは日本の某タクシン派新聞かもしれない。

 

116-34.タクシンの本音ー中国に住みたい(07年7月24日)

英字紙ネーションによればタクシン前首相は香港の2007年ブックフェアで発売されたで「タクシンの24時間=他信的24小時」という新著の販売(中国語の本でタイ語ではない)会場に姿を現し、「タイから永久に追放されるのであれば中国に住みたい」と語ったと、香港の華字紙「明報」は報じているという。

これは華人2世であるタクシンの本音であろう。タクシンはタイ人政治政治家としては珍しく「中国人としての意識」を強く持った東南アジアの典型的な「華僑」としての行動様式を備えた人物である。祖父の出身地は広東省でタクシンは訪中時に祖先の墓参をおこなったりしている。

タイでは中国人の血筋の政治家、軍人、経済人、中産階級が極めて多いが、3世、4世と世代が進むにつれてタイ人としてのアイデンティティが強くなり、逆に中国人意識をもつ政治家や軍人はときどき彼らに「痛い目に会わされる」ということがあった。

ところが、タクシンはそういうことは一切気にしている様子はなかった稀有なる政治家でもあった。

政権に就くや1997.・8年の経済危機でピンチに陥った「華人資本家」の救済に露骨に動き、通貨経済危機の原因は「外資(日系を含む)」にありとまで公言し、大学でのエリートは外資ではなく、タイ企業で働けとまで言い切った。破産法の改悪までおこなった。

もちろんその後、外資の役割を再認識したタクシンは日本企業への敵対政策を改めたが、中国訪問を優先しても、日本にはなかなかやってこなかった。(最近はやけに親日的(?)になり、拓殖大学で講演をするまでになった)

また、同じ華人政権のシンガポールと組んで中国ーASEANの自由貿易協定を推進するなど「中国ータイーシンガポール」のいわゆる「華人枢軸」のっ形成にも「貢献した。

タイとシンガポールがワルツを踊り、他のASEAN諸国も「フロアーに出て一緒に踊ろう」とデモンストレーションをしたということがかつて取りざたされた(品の良い日本のメディアはそんな話しは紹介しない)。

タクシンは目下ポジャマン夫人とともにタイ国内で訴追を受けており、帰国すれば「逮捕・拘禁」される可能性もあり、8月14日は裁判所に出廷するため帰国するという一部の報道はあるものの実現は定かではない。

タクシンは自分を追放したのはプレム枢密院議長の差し金だと信じきっており(そういう面は確かにあるが、プレムというよりタイの有識者階級の世論でもあった)、執拗にプレム議長への「仕返し」を図っている。

7月22日(日)深夜のプレム邸へのデモもその一環であることは明白であり、一般のバンコク市民は見向きもしなかった。

「今後の政局に影響を与えかねない」とみたのは日本の体制派保守新聞(なぜか一部の右翼から目の敵にされている)の雄、朝日新聞の特派員ぐらいなものであろう。(他の新聞は良く分からない)

その証拠にバンコクの証券市場は昨日(7月23日)には12.08ポイントも上げ、862.62という高値で引けた。 さらに7月24日(月)は18.33ポイント上げ、880.95となった。これらの数字は通貨危機の前の11年ぶりのものである。

朝日の記事でおかしいと思うのは今回の軍事クーデターを1992年のスチンダの事件(デモ隊数百人が虐殺されたという)と重ね合わせて見ているフシがある。前後の事実関係をもっとしっかりと見極めて記事を書いて欲しいものである。

確かにタクシン支持者はタイの北部や東北部の農民やバンコクのスラムの住民に多いことは間違いないであろうが、それはタクシンの「ポピュリズム」政策によるものであり、その政策がタイの財政を圧迫し、タイ経済やタイの医療制度そのものをおかしくしているのである。

タクシンへの支持は従来の支持層からも次第に薄れている。

 

116-35.TRT党の前議員300名はパラン・プラチャチョン党という小政党に合流(07年7月29日)

解散させられたTRT党の前国会議員約300人が総会を開き、07年12月におこなわれる予定の新憲法下での国会議員選挙に対応するために、新政党の結成では間に合わない可能性があるとして、1998年に結成されたパラン・プラチャチョン(Palan Prachachon=People's Power人民の力)党に集団加盟することに満場一致で決定したと言う。

PP党は無効に終わった06年4月のやり直し選挙で3議席を獲得したが、実態不明の泡沫的政党であるとみられ、前TRTの集団入党というより、単なる「乗っ取り」であると見られている。

TRTの幹部に言わせれば、PP党は「福祉国家と貧困撲滅」をその綱領としていてTRT党と共通点が多いとのことである。

現在ののPP党の党首はスパプロン・ティエンケウ(Supapron Tienkaew)という人物だが、前TRT党の幹部スラポーン氏は元バンコク知事のサマク氏(Samak=タクシンの熱烈な支持者としてテレビで有名)に新しい党首への就任を要請しているという。

前TRT党メンバーで比較的良識派と見られるグループ(マッチマ=Matchima)やチャート・タイ党員、新希望党などの元党員グループは既にそれなりの動きをしている。

また、今までTRT党首代行として活躍してきたチャトゥロン氏(元TRT党副党首、元学生運動活動家)なども新政党結成に動いていたが、今回のPP党に参加するのか否かは不明である。

前TRT党がどうなるかはタクシンがいつまでカネを出し続けるかにかかっている。所詮は「カネの切れ目が縁の切れ目」ではある。

 

⇒チャート・タイの前議員10名以上がPPPに引き抜かれる(07年8月9日)

チャート・タイ(Chat Thai)党のバンハーン(Banharn=元首相)党首によれば同党に所属する10名以上の元国会議員がタクシン系の政党PPP(人民の力党)に1人当たり3,000万バーツ(≒1億2000万円)で引き抜かれたという。

10名の議員は主にタイ東北部を地盤とする政治家である。彼等はもともとチャート・タイ所属であったが、タクシン時代にTRT党に移り、タクシン失脚後はまたもとのチャート・タイに戻ったメンバーだと思われる。

次回の選挙は東北部がいわば「関が原の合戦」となろう。ここにはタクシンも相当な資金を投入するものと思われる。新憲法案国民投票(8月19日)に反対するように1人当たり200バーツをばら撒いているのも、国会議員選挙への事前運動であると思われる。

新憲法下では候補者が買収行為をおこなった場合は政党解散を命じられるケースもある。

1人3,000万バーツという金額が正確かどうかはわからないが、もとTRTに絡んでいる政治家はカネで動くケースが多い。政治信条よりもカネ優先というのはさびしい限りだがそれがタイの現実である。いやタイにかぎった話しではない。

 

116-36.タクシン、スイス銀行の口座凍結に怒り心頭(07年9月5日)

タクシンはスイスの新聞ミッテルランド・ツアイトゥング(Mitelland Zeitung)に「スイスの銀行は無実の私(タクシン)の銀行口座の一部を凍結してケシカラン。これによってスイスの銀行 が長年にわたって培ってきた”顧客の秘密を守るという”信用が台無しになった」と息巻いたという。

タクシンはスイスの銀行(複数)を提訴すると言っている。

一方、タイ駐在のスイス大使館員とタイの「反汚職委員会」のあるメンバーはスイスの銀行には特に要望を出していないため、タクシンがナニを言っているか意味が分からないとしている。

スイス大使館は「スイスとタイに間に金融関係犯罪協定がない」ためタイ政府はスイスに対して口座凍結といった請求はできないと語っている。

今回、スイスの銀行にいくら隠し預金があて、そのうち凍結されたのがいくらかは当然明らかになっていないが、タクシンが多額の「隠し預金」をスイスの銀行に持っていたことだけは明らかになった。 まさに「キジも鳴かずば撃たれまいに」といったところか?

タクシンは政治家になるときの資産調査で、持ち株をメイドの名義に書き換えたり、親戚に預けたりして法の目をくぐり、海外資産などはズーッとゼロ申告してきた。ところが、スイスの銀行に他国の悪徳政治家並みに「隠し預金」を持っていたのである。

また、イギリスのサッカークラブ「マンチェスター・シティ」を買収した資金(200億円超)の出所も不明である。タクシンがタイからカネを動かした形跡はない。これも違法預金を海外に隠し持っていた疑惑が持たれている。

こういうニュースを品の良さを売り物にする、あるいは国民に「不都合な真実」を知らせないことをムネとする日本のメディアがどの程度報道するか「乞うご期待」である。

タクシンには刑事裁判所から「逮捕状」が出されている。彼があちこちでシロと言い張るなら、一日も早くタイに帰って「白黒」つけるべきであろう。

 

⇒タクシンが海外に違法に持ち出したカネは500億バーツ以上?(07年9月8日)

タイでは「雉も鳴かずば撃たれまいに」ということわざがあるのかどうかは知らないが、おそらくタイにいるタクシンの弁護士から「あれはマズイですよ」といわれて気が付いたのか、急遽、タクシンは「スイス銀行には口座もカネも置いておらず、訴訟するというのは誤報だ」などというなんとも苦しい弁解をし始めた。

あれだけ大騒ぎをしておきながら、急にそんな言い訳をしても誰が信じるのであろうか?発作的に失言をして後から、あわてて誤魔化した例は今まで何度かあり、現職の首相であったときはそれで話が通ってしまっただけのことである。

AEC(Asset Examination Comittee=不正資産審査委員会)は当然、タクシンの海外資産の実態調査をおこなっているが、カウサン(Kaewsan Atibodhi)事務局長は9月19日のクーデター「前後」にタクシンが巨額の資金を海外に違法に持ち出したことは確実であると述べた。

英字紙ネーションによればAECの情報筋の話として、総額は500億バーツ以上にのぼると見ているという。

タクシンは公式には外国に資産を置いているということは過去には一切証言しておらず、海外資産の話しが事実とすれば重大な違法行為であることは間違いない。タクシンはマンチェスター・シティを買ったときも「オレのカネはキレイなカネだ」と公言していた。

余談だが、日本語で「キレイ」と言うとタイ語では「汚い」という意味だそうだ。旅行でタイに行かれる方はナイトクラブなどでの発言にはご注意されたほうが良いでしょう。

もともとタクシンは海外に資産を隠し持っており、加えてクーデターを予知してスーツ・ケース数十個に現金を詰めて持ち出したという疑惑はクーデター直後から取りざたされていた。クーデター後もかなり持ち出したものと思われる。

タイの一部の民間銀行も当然協力していたであろうし、タイ中央銀行が何も知らなかったはずはない。ともかく1,800億円相当のカネが違法に持ち出されたのである。この事件は今後も大きな問題として残る事は間違いない。「天網恢恢疎にして漏らさず」といったところか。

 

116-37.タクシンの裁判は本人出頭まで一時停止(07年9月26日)

タイ最高裁判所はラチャダピセック通りのタクシン夫人の土地不正取得疑惑の裁判について、タクシン夫妻が法廷に出頭するまで、裁判を一時停止する決定を下した。 本件は有罪となれば10年以下の禁固刑に処せられる。

これは最高裁がタクシンの弁護人の「欠席裁判をやめるように」とのアピールを認めたものだが、検察庁はあくまで裁判の続行を要求している。検察庁は90日以内にタクシン夫妻の身柄を拘束して出廷させるとしているが、英国政府は協力しないと見られる。

また、検察庁は一時停止は裁判のシロ・クロには何の影響も与えないとしている。

検察庁は10月12日に係官を英国に派遣し、タクシンの身柄引き渡しをイギリスの当局者と交渉するといっているが、タクシンはタイに民主主義が復活するまでは帰国しないと主張しており、この裁判は当分進行しそうもない。ただし、本件の時効は20年間であるといわれている。

しかしながら今回の措置により、タクシン関連の裁判が一切ストップされる可能性があり、今後大きな問題に発展する可能性がある。

一方タクシンは最近ウオール・ストリート・ジャーナルに寄稿し、タイの裁判所はタクシンの罪状について何一つ明らかにしていないとして、身の潔白を主張している。

これとは別にシン・コーポレーションをシンガポールのテマセク(TEMASEK)に売却した際に、外資法の49%持ち株制限を回避する目的でクラーブ・ケオ(Kularb Kaew)という持ち株会社を設立したタイ国籍のマレーシア在住のビジネスマンであるスリン(Surin)に対する外資法違反容疑の逮捕状は発給された。

スリンはマレーシアに居住しており、この逮捕がどうなるかも問題である。タイとマレーシアとの間には犯人引渡し協定は無いハズであり、この種の問題で犯人が引き渡されたケースは皆無である。

このクラーブ・ケオ社はシン・コーポレーションの取引がおこなわれる数日前に設立された会社であり、テマセクの名義株主となる目的があったことは明白だと検察側は主張している。

スリンはマレーシアで目下、心臓病の治療中だと称して9月4日と24日の出頭命令を無視している。スリンは有罪ならば3年以下の禁固刑もしくは100万バーツ以下の罰金刑に処せられる。しかし、スリンも欠席裁判が出来なければシン・コーポレーション関係の裁判も進まない。