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インドネシア全般(2007年以降)
インドネシア全般(2006年前)
144.ラピンド事件⇒熱泥噴出孔にコンクリートの玉を投げ込む作戦(07年3月23日)⇒PartIIへ
149.ユドヨノ大統領、CGI(インドネシア債権国会議)解散要求へ(07年1月27日)
148. 国連安保理のミヤンマー決議案棄権でインドネシアへの批判高まる(07年1月17日)
144ラピンド事件⇒会社は3.8兆ルピアの弁償義務ありーSBY大統領曰く(06年12月29日)⇒PartIIへ
147.ジャカルタのモノレール・プロジェクトの融資に政府保証?(06年12月18日)
146. 韓国、盧武絃大統領インドネシア訪問、原発建設など話し合い(06年12月5日)
144.ラピンド事件⇒熱泥現場付近のガス・パイプラインが爆発8名が死亡(06年11月23日)⇒PartIIへ
145.インドネシアのアディダス・グループ3工場閉鎖1万8千人解雇か?(06年11月4日)
89⇒インドネシア最高裁でポリカルプス勝訴、犯人不明で幕か(06年10月4日)⇒PartIIへ
89.⇒ASEM首脳会議でEU委員長がムニール事件についてSBY大統領に質問(09年9月12日)⇒PartIIへ
144. ラピンド事件;東ジャワ熱泥噴出事件、バクリーの企業が関与(06年9月6日)⇒PartIIへ
⇒MEDCOが熱泥事件を国際調停裁判所に提訴(06年11月14日)
143. インドネシアの貧困層は3900万人、増加傾向(06年9月5日)
142. Pangandaran海水浴場付近で地震と津波発生、死者659名を越す(06年7月18日)Renew(7月21日)
141.急死した陸軍将官の自宅から大量の武器弾薬発見(06年7月3日)
⇒憲兵隊の調査結果ーあれは彼の趣味であった(06年8月10日)Renew( 8月10日)
140. インドネシアの失業率は10%以上(06年6月3日)
139. メラピ火山の噴火に伴う地震で3000名以上の死者(06年5月27日)
138. 汚職容疑の最高裁長官バギル・マナンが再任(06年5月9日)
137. 労働法の改悪に労働者が怒りのデモ(06年5月3日)
136. インドネシアが中国製品の輸出中継基地に(06年4月7日)
10-1-4.フリーポート社の廃土で土砂崩れ、多数の死傷者がでる(06年3月24日)
134.⇒年内は電力値上げはやらないーユスフ・カラ副大統領(06年3月18日)
10-1-3. パプアでデモ隊の投石などで警察官ら4名死亡、(06年3月17日)
108-3. Mandiri銀行とBNIは不良債権が 急増している(06年2月24日)
23-3.最高裁、タナン・アバン事件でテンポ社に無罪判決(06年2月10日)
120.⇒サイド前宗教相に5年の禁 固刑判決(06年2月8日)
135. 東チモールでインドネシア軍は18万人殺害した?(06年1月21日)
134. 電力料金の大幅値上げ(最大100%)を検討(06年1月20日)
10-1.⇒フリーポート社は2004年からインドネシアに約10億ドルの支払い(06年1月18日)
⇒国軍への支払いはワイローKPKの見解(06年1月19日)
133.次期国軍司令官に空軍の参謀長ジョコ・スヤントを指名(06年1月16日)
10-1.パプア、フリーポート銃撃事件⇒現地叛徒12名をようやく逮捕?(06年1月16日)
89.⇒ポリカルプスに14年の禁固刑(05年12月20日)⇒PartIIへ
⇒米国政府がムニール事件の政府報告書の開示を要求(05年12月21日)
103-5. 改革派ラクサマナを中心に民主改革党結成(05年12月2日)
131. 米国、引き続きインドネシアへの武器禁輸措置継続(05年11月5日)
⇒米国政府はインドネシアへの武器供与と軍事協力を推進(05年11月23日)
53-8.04年の石油補助金は9.7兆ルピアが消えてしまった(05年10月14日)
129.最高裁長官がワイロを受け取る?(05年10月12日)
53-7.プルタミナが政府補助金を400億円水増し請求?(05年10月11日)
128. KADIN(インドネシア商工会議所)SBYの経済チームに不満(05年10月10日)
53-6. 石油製品価格一挙に126%アップ(05年10月1日)
127.近く130名の裁判官について取調べを実施(05年9月28日)
125-2.燃料油25万トン隠匿でメダンで15名逮捕(05年9月22日)
59-5. 新たな死者発生で鳥インフルエンザへの厳戒態勢(05年9月22日)
125. 石油密輸事件でプルタミナの職員18名逮捕(05年9月10日)
124. マンダラ航空メダンで墜落犠牲者148名(05年9月5日)
125-0.石油製品密輸出で8名逮捕(05年9月2日)
123. ジャワとバリで大停電、1億人に影響(05年8月19日)
53-5. 原油価格の値上がりが財政に大打撃ー再度の値上げは必至(05年8月9日)
122. 公務員給与引き上げに10兆ルピア用意(05年7月28日)
77-3 ニセ札作りの元情報部幹部に4年の実刑判決(05年7月26日)
121.インドネシアの産業界はASEAN-中国のFTAに反対(05年7月22日)
59-4. 親娘3人が鳥インフルエンザで死亡(05年7月20日)
24-4.マレーシアのKazanahがリッポ銀行の株式52.05%を取得(05年7月18日)
89⇒ムニール暗殺に情報部員が関与疑惑ー調査報告書(05年6月24日)⇒PartIIへ
120. メッカ巡礼基金を歴代宗教相がつまみ食い?(05年6月22日)
119. 南ジャカルタ地裁判事が取り調べを受ける(05年6月21日)
59-3. 鳥インフルエンザついにヒトへの感染症例が出る(05年6月16日)
118. アディグナ・ストオの殺人罪に7年の禁固刑判決(05年6月16日)
89⇒ムニール暗殺の4つの手口−情報部員作成か?(05年6月15日)⇒PartIIへ
117. スシロ・バンバン・ユドヨノ大統領の訪日(05年6月3日)
108-2.スハルト・ファミリー企業にも疑惑05年5月23日)
115.インドネシア政府が 汚染疑惑国営企業の16社を公表(05年5月22日)
89⇒情報部幹部を取り調べ(05年5月17日)⇒PartIIへ
114. ハミド司法相、選挙管理委員会から報酬受け取る(05年5月14日)
103-4. 改革派幹部12名を除名、PDI-Pの終りの始まり(05年5月12日)
113. 押収された不法伐採木材を競売、2兆ルピアに達する(05年5月10日)
112. 役人による違法な課金請求が輸出コストを倍加(05年5月10日)
111.15,000トンの砂糖密輸船を拿捕(05年4月27日)
110. マリ・パンゲツ商業相、WTOへの回帰を訴える(05年4月25日)
108.マンディリ銀行1兆ルピアの不正融資容疑(05年4月21日)
⇒バクリー経済調整相の奇妙な発言ー「先入観を持つな」(05年4月23日)
107. インドネシア外務省、「日本は歴史を正視すべし」(05年4月19日)
106.大統領が公務員と兵士の給与増額を約束(05年4月17日)
89⇒BINは関与を否定、だが容疑者は特定されている(05年4月13日)⇒PartIIへ
103.闘争民主党大会開催、反メガワティの動き活発化(05年3月30日)
89.⇒情報部のトップ・クラスが事件に関与か?(05年3月25日)⇒PartIIへ
89⇒ポリカルプスを容疑者として逮捕、ガルーダ全役員解任(05年3月19日 )⇒PartIIへ
102. 2004年下期だけで7兆ルピアの公金が不正に消える(05年3月17日)
101. 平均29%の燃料値上げに踏み切る(05年3月1日)
100.バンドンでゴミの山が崩れ少なくとも140名が死亡(05年2月22日)
72-8. 04年の輸出は697億ドルで新記録(05年2月4日)
53-2. オーストラリア、サントス社が大油田発見(05年1月25日)
72-7. 04年の自動車販売は前年比36.4%増(05年1月15日)
77-2.ニセ札容疑で情報部関係者逮捕、取調べ中(05年1月14日)
99-7. 津波による死者22万人を突破(05年1月20日)
99-6. 外国人の支援部隊・個人は3月26日までにアチェから出て行け(05年1月13日)
99-5.マングローブとサンゴ礁の破壊が津波被害を大きくした(05年1月11日)
99-4. インドネシア政府早くも外国人のアチェへの入境制限(05年1月10日)
99-3. バタム島、アチェ避難民の受け入れ拒否(05年1月8日)
99-2. インドネシアの死者は10万1千人に(05年1月7日)
⇒死者と行方不明者240,772名に(05年2月6日)
99-1. 各国から援助申し出で相次ぐ-国連中心の援助体制で一致(05年1月 7日)
99. スマトラ沖大地震発生津波により死者数万人規模に(04年12月26日)
78-2. ニューモント社は水銀を空中に放散していた(04年12月22日)
97-3.アクバル・タンジュン敗北、ユスフ・カラがゴルカル党首に(04年12月19日)
⇒ゴルカルの与党化は政権基盤安定を意味しない(04年12月21日)
97-1. ゴルカルの党大会始まる、ユスフ・カラが党首に立候補(04年12月16日)
59-2. バリ島の隣のロンボク島で鳥インフルエンザ発生(04年12月13日)
7-3. イギリスの武器メーカーがツツットに巨額ワイロ提供疑惑(04年12月9日)
93. ナフダトール・ウラマ分裂の危機(04年11月29日)
⇒グス・ドゥル、新組織「競合NU」を12月15日に結成(04年12月6日)
1.メガワティの夫タウフィク・キエマスの悪評(02年)⇒PartIIへ
2.トミー・スハルトの罪と罰 ⇒PartII へ
⇒ トミー・スハルトの逮捕と裁判と15年の実刑
3.第2BULOG事件ーアクバル・タンジュンの危機⇒Part IIへ
4.燃料油の22%値上げと最低賃金の30%引き上げ(02年1月18日追加)
5.クイック・キアン・ギーBappenas(経済企画庁)長官の異議(2002年1月31日)PartIIへ
6. 変質する闘争民主党=ジャカルタ知事スティヨソの再選をPDI-Pが支持(02年6月30日)PartIIへ
7 スハルト一族の汚職.
7-1. スハルト一族の武器購入汚職疑惑(02年7月17日)
7-2.スハルトの長女ら汚職事件で不起訴(03年8月25日)
7-3. イギリスの武器メーカーがツツットに巨額ワイロ提供疑惑(04年12月9日)
8. インドネシアの憲法改正ー大統領の直接選挙制など(02年8月15日)
インドネシアの国民協議会(議長アーミン・ライス)8月10日1945年憲法の改正を決めた。
国民協議会(MPR=People's Consultative Assembly)は国権の最高機関であり、大統領の選挙や憲法改正権を持つ。国会議員500名(35名の軍代表を含む)と地方代表135名と団体代表65名(いずれも指名制)の総勢700名からなる。
まず、このMPRの構成を変え立法機関の国会(議員500名)と地方自治専門の地方代表議会をすべて選挙で選び、両議会の合議体としてMPRを編成しなおす。ただし、憲法審議や大統領の弾劾権は残すが、国権の最高機関としての位置づけはなくなる。選挙を経ない議員(軍人など)がなくなることに大きな意義がある。
これにより、2004年には大統領と副大統領を直接選挙で選ぶことになる。これは全会一致で可決された。
また、イスラム勢力(開発統一党など)が強く求めていた「イスラム法」の憲法への織り込みは否決された。彼らは今後民主的な手段によってイスラム法の憲法化を進めることで今回は納得した。
reeport公認された政党に所属したものしか議員には選ばれないことになった。
憲法改正の詳細を審議する委員会がMPRのなかに設置される。この委員会でさらに紛糾も予想されるが、大筋では変わらないであろう。これでインドネシアはスハルト体制から一歩民主主義体制へと立法府としては前進することになる。
とくに軍部は無投票で保有していた議席をすべて返上することになる。このことに対する退役将軍などの不満は残るが、現役組が既に承認した流れを変えるにはいたらないであろう。
大統領の直接選挙になればメガワティには有利であろう。さまざまな批判にかかわらず、メガワティは国民の支持を今のところは維持している。
9. イスラム過激派←クリックしてください
9-1.インドネシアのイスラム過激派はアルカイダの仲間か?スハルト一族の仲間か?(02年9月25日、29日)
9-2.マカッサルのマクドナルド店爆破事件の犯人は、地元イスラム過激派(02年12月9日)
9-3. テンテナで爆破事件19名が死亡(05年5月28日)
10. 荒れる国軍兵士(02年10月6日)
10-1.パプア、フリーポート社にまつわる事件(02年10月6日)⇒Part IIへ移行
10-1-1.バス襲撃事件(02年10月6日)
⇒米国政府の最終結論ーこの事件は現地叛徒の仕業(04年7月2日)
10-1-2、フリーポート社は2004年からインドネシアに約10億ドルの支払い(06年1月18日)
⇒国軍への支払いはワイローKPKの見解(06年1月19日)
10-1-3. パプアでデモ隊の投石などで警察官ら5名死亡、(06年3月17日)
10-1-4.フリーポート社の廃土で土砂崩れ、多数の死傷者がでる(06年3月24日)
10-2.軍と警察とも銃撃戦(02年9月28日)
11. 検事総長の汚職騒動(02年10月9日)
12. バリ島爆発事件と一連の爆破事件⇒Part II へ
12-1 バリ島で爆発事件、死亡者182名以上ー犯人はアル・カイダの仲間?(02年10月13日)
⇒バアシル師入院中逮捕、(02年10月20日)バアシル師との関係を否定(02年12月1日)
⇒実行犯のリーダー、イマム・サムドラを逮捕(02年11月23日)
⇒イスラム過激派関係者が国軍情報部や特殊部隊幹部と密接な関係(ICGレポート)(02年12月14日)
12-2. マカッサルのマクドナルド店爆破事件の犯人は、地元イスラム過激派(02年12月9日)
⇒アンボン騒動は特殊部隊が首謀者である‐実行犯が自供(03年1月8日)
12-3 ベネディクト・アンダーソンは「国内テロ」説‐バリ事件(02年12月27日)
12-4 一連の裁判開始と捜査の進展
⇒バアシールに4年の実刑判決、事実上の検察側の敗北(03年9月2日)
⇒イマム・サムドラに死刑判決(03年9月10日)
⇒バアシール刑期18ヶ月に減刑ーまもなく釈放(04年3月9日)
⇒バアシールの釈放につき米国政府が干渉ーインドネシア外務省が言明(04年4月17日)
⇒バアシール再逮捕、支持者は騒乱起こす(04年5月4日)
12-5 ジャカルタのマリオット・ホテルで爆破事件、12人が死亡(03年8月5日)
12-6. 爆弾屋の親分ハンバリついにタイで捕まる (03年8月15日)
⇒米国はインドネシアの官憲に対しハンバリとの面接を許可せず(03年9月23日
12-7. バリ事件後にできた「反テロ法」で被告を裁くのは違法ー憲法裁判所(04年7月23日)
⇒バアシールはバリ事件の訴追を受けず(04年7月28日)
12−8. バアシルを再起訴(04年10月18日)
14.ソニーがインドネシアの工場を2003年3月に閉鎖(02年12月2日)
15. シンガポールのゴー・チョク・トン首相がメガワティ大統領と会談(02年12月18日)
16. 中国がインドネシアに4億ドルの借款(02年12月24日)
中国は12月17日にインドネシアに対し4億どるの借款を供与することで合意した。インドネシアは従来CGI (Consultative Group on Indonesia)という日米など21カ国の先進国と世銀やアジア開銀などが加わったグループから毎年巨額の借款をえてきたが、中国も別口でインドネシアに資金供与をするというものである。 用途はインフラ建設資金である。
中国はビルマ(ミヤンマー)に対しても借款をおこなっている。これはいうまでもなく中国が最近輸出を急増させ、資金的余裕が出てきたため、戦略的に必要な国々に対し、資金援助をおこい始めたということである。 こうなると、日本からのODAも中国にはあまり必要でなくなってきたといえる。
中国がインドネシアにこのような以外ともいえる「恩恵」を与えた背景は何であろうか。それはインドネシアの工業化が遅れていて中国の電機製品やオートバイの格好の輸出市場であるからである。
それらがしばしば「密輸されて」インドネシア市場に入り込み「国産品」より格安で売られている。
その商売をやっているのは華人である。シンガポールではインドネシアにいって金儲けできないやつはアホだとさえ言われている。インドネシア人は割安の密輸品を買ってメリットを受けているが、そういう手段で金儲けをしてきた華人に敵意を持っている。
中国の今回の援助はインドネシア華人に対する声援の意味合いが強い。
同時に19日には中国はインドネシアと木材の不正輸入防止協定に調印している。これは熱帯雨林の破壊をおこなっている盗伐者にとっては重大な警告になる。 インドネシアの盗伐木材は主にマレーシアと中国に輸出されているという。
軍と華人商人の組み合わせでおこなわれる典型的な悪徳ビジネスである。
盗伐者の背後には軍と警察がいるといわれているが、実効性の如何にかかわらず国際的な包囲網をかけてでも盗伐をなくす努力が必要であることはいうまでもない。 日本政府もこういう面でもっと積極的な役割を果たせるのではないか。
17.アチェ問題←クリックしてください
⇒エンドレスに続く住民殺害(04年2月16日)
18.Indosat 売却問題がこじれ、政争の具に(2003年1月4日)
19. インドネシア国民へのお年玉は基礎物資と公共料金の値上げ(03年1月8日)
20. ズレの目立つメガワティの政治・現実感覚(03年1月13日)PartIIへ
21. インドネシアの2002年の実質GDPは3.66%の成長(03年2月17日、4月14日加筆)
22. クイック・キアン・ギーが「闘争民主党が最も汚職が激しい」と批判 (03年2月18日)PartIIへ
23.テンポ社とトミー・ウィナタの争い
24. リッポ銀行⇒ http://www7.plala.or.jp/seareview/へ移行
24-1.リッポ銀行を巡る疑惑(03年2月26日)
24-2.軽い処分を検討(03年3月13日)
24-3.リッポ銀行の有力買収コンソーシアムの資本金はただの400ドル(04年2月16日)
24-4.マレーシアのKazanahが52.05%を取得(05年7月18日)
25. BLBI事件で元インドネシア銀行理事に実刑判決(03年4月3日)
26. ジャカルタ空港で爆破事件、11名負傷、GAMの仕業か??(03年4月27日)
28. さらばIMF、インドネシアには日本がついている?(03年5月4日)
29. シンガポールの対インドネシア貿易統計非公表問題(03年6月12日)
⇒シンガポールが貿易統計公開−インドネシア側は不満(04年1月26日)
⇒シンガポールの貿易統計にインドネシア側は疑念抱く(04年2月11日)
30. メガワティ日本でFTA提案(03年6月25日)
31. ロシアの戦闘機購入問題でメガワティ窮地に(03年6月28日)
32. BLBIの後始末は国民の税金で(03年7月6日)
34. 外国直接投資、03年上期には44%増、実態はマイナス(03年7月12日)⇒E3-02に移動。
35. ジャカルタのマリオット・ホテルで爆破事件、12人が死亡(03年8月5日)⇒12-5に移動
37. 爆弾屋の親分ハンバリついにタイで捕まる(03年8月15日)⇒12−6に移動
39. スハルトの長女、ツツットの汚職事件⇒7に移動
40. インドネシアの今年の原油生産は109万バーレル/日(03年8月27日)⇒53-0.に移動
41. 多くの外資系企業がインドネシアを去りつつある(03年8月28日)
42. バアシールに4年の禁固刑の判決(03年9月2日)⇒12-4に移動
43. 治安維持法制定をめぐる動き(03年9月6日)
今回の一連の爆弾テロ事件の予防措置としてシンガポールとマレーシアで政府が多用して、その「重宝さ」が広く知られている。国内治安法(Internal Security Act)をインドネシアにも制定しようという動きがある。
この法律は植民地時代にイギリスが共産主義運動(主に華僑)を取り締まるために、被疑者を裁判抜きで無期限(一応2年間という限度はあるが勝手に更新可能)にブタ箱にぶち込んでおける法律である。
この法律は今もシンガポールとマレーシアの政治権力者によって、かってないほど便利に利用されている。一昔前は共産主義者とおぼしきものが被害の中心であったが、最近は反政府的人物にも適用範囲が拡大されている。
今回はいわゆるJI(ジェマー・イスラミア)と称される爆弾屋およびその予備軍のイスラム教徒が両国で数十人身柄を拘束されており、その一部はビデオ・テレビでインドネシアの法廷にまで出演させられていることは上に述べたとおりである。
こういう法律は便利なので、ぜひインドネシアでも試してみろなどという要らぬお節介がシンガポールとマレーシアの当局者から寄せられており、メガワティ政権の閣僚もこれに乗り気になている者がいる。
そのメンバーは軍・治安関係の閣僚などで、上はバンバン・スシロ・ユドヨノ政治・治安調整相、マトリ国防相(イスラム政党人)、エンドリアルトノ・スタルト国軍司令官、ヘンドロプリヨノ国民情報庁長官、ハリ・サバルノ内務相等である。
政党関係者やイスラム教リーダーや学者はほぼ反対である。
前大統領アブドゥラマン・ワヒドや前国防相でインドネシア大学教授のジュオノ・スダルソノなどは反対論をいち早く述べている。また正義・人権相のユスリル・イザ・マヘンドラ(法学者でイスラム法施行論者)も閣内で反対論を述べている。
メガワティも内心は手際よく「爆弾屋グループ」を引っ括る方法はないものかと思案しているに違いないが、この治安維持法を持ち出すと「闘争民主党」の看板が吹き飛ぶことになるのは自明であり、簡単には手を出せない。
スハルト独裁政権時代はISAのような法律は一切不要であった。というのはKopassus(特殊部隊)は超法規的な存在で、共産主義者はもちろん民主派までも勝手にひっとらえ、適当に「処分」してきたのである。
またBakorstanas(Coordination Agency for the Consolidation of National Stability)という機関があって、「国民の安全を脅かす」とみなされる組織、個人に容赦のない弾圧を、これまた超法規的に加えてきたのである。
これはアブドゥラマン・ワヒド大統領が廃止した。彼はメガワティなどよりも民主主義には感度の良い大統領であった。
こんな超反動立法がなくても現行の国内法でいくらでも爆弾屋退治ができそうなものだが、おそらく国軍が非協力をきめこんでいるのであろうと思われる。
国軍は各地に諜報部隊をもっており、それらが動いている形跡は目下のところ見られない。武器弾薬を保持すること自体インドネシアでは最高死刑となる重罪である。
それでは、国軍は何故爆弾屋退治に動かないのであろうか?それは歴史的にというよりスハルト時代から国軍の一部がイスラム過激派と関係を持っていたからである。
いわゆるJIの幹部は大概がアフガニスタンにタリバン・ゲリラの反ソ連戦義勇兵として戦った経験があり、その辺がJIとアル・カイダの関係が強調されるゆえんでもある。同時にそこではCIAとの接点もあったかもしれない。
また、マルク諸島でキリスト教徒との抗争事件で殺し合いをやっていたラスカル・ジハドなどは軍の支援をえて成立していた組織であり、その発会式には現副大統領のハムザ・ハズや 国民協議会議長のアーミン・ライスなども出席し、アジ演説をやっていた。
ラスカド・ジハドこそは国軍の物心両面の援助を受けて戦闘力をつけた組織であったが、バリ島事件の翌日に解散してしまった。それ以降はラスカル・ジハドの名前が新聞紙上に ほとんど現れなくなった。
その指導者であるジャファー・ウマル・タリブや別の過激派組織イスラム青年戦線(FPI)のハビブ・リジエクもまたアフガン経験者である。なお、バリ事件で逮捕されている32名中8名はラスカル・ジハドのメンバーでもあるという。
いずれにせよ、インドネシアの爆弾事件は隠された部分が多すぎる。
とリあえず米国政府はオマル・アル・ファルクとハンバリをインドネシアに送還してインドネシア側の取調べを受けさせるべきであろう。
検察側も判決を不服として9月9日控訴した。警察が新しい証拠を用意しているということである。
44. メガワティは次期大統領選挙で敗北の可能性(03年9月17日)PartIIへ
45. 03年3Qの成長率は4.14%(03年10月13日)⇒インドネシアの経済に移行
46. BNI銀行の大スキャンダル発覚(03年10月30日)
47. 北スマトラの観光地で鉄砲水ー死者170名、原因は不法森林伐採(03年11月4日)
48. バンク・インターナショナル・インドネシアの買い手にダイム・ザイヌディンが参加(03年11月6日)
インドネシア政府所有のBII(Bank International Indonesia)の株式51%はシンガポールの国営企業群の持株会社テマセク・ホールディング(Temasek Holding)と韓国の国民銀行 およびイギリスのバークレー銀行のコンソーシアムに売却される見込みである。
ところが、このコンソーシアムに思いがけない参加者が現れた。それはスイスのジュネーブに本社を置くICWグループであり、そのオーナーはマハティールの右腕として数々の疑惑を持たれ2001年に財務相の地位を追われたダイム・ザイヌディンなのである。
ダイムはタマセクに欠けている「企業家精神」を持っているなどと、マラヤ大学のテレンス・ゴメス教授は持ち上げているが、そんなセリフを信じるマレーシア人は少ないであろう。
テマセク社は先ごろもインドサット買収で大いに物議をかもしたが、今度は背後にダイム・ザイムディンという大物疑惑人物がいたということになるとBIIをこのコンソーシアムに売却したIBRA(インドネシア銀行再生庁)とそれを監督しているラクサマナ国務相の立場は微妙なものとなろう。
IBRAは10月におこなわれた、入札でパニン(Panin)・グループより入札価格の低かったSorak Financial Pte. Ltd consorthium(テマセクと国民銀行の合弁)を売却先に選んだ。Sorakの出した買収価格は約2億2500万ドルと見られる。
Sorakの入札価格は1株当たり78ルピアでパニンは90ルピアであったとのことである(10月29日付け、Bisnis Indonesia)。しかし、Sorakの法がBII経営に対するビジネス・プラン(具体的に何を指すかは不明)が優れているため、Sorakを選んだということである。
傍から見ていても何のことかわからないが、ダイム・ザイヌディンの名前が出てきてはじめて、この取引が「政治色」の強いものであったのではないかという疑惑が出てくる。
なお、このBIIはシナル・マス・グループ(ウイジャヤ一族)の持ち物であったが、通過・経済危機の際、借金の担保としてIBRAに資産を移されたものである。
なおIBRAはBIIの株式20%を引き続き保有しているが、いずれ時機を見て売却するという。
49. ジャカルタの最低賃金は来年1月から671,550ルピア(79ドル)/月に(03年11月9日)
⇒ジャカルタの最低賃金は08年1月から8%アップの972,604ルピア (107ドル)に(07年11月7日)
50. バンク・ラクヤットでも不正発覚(03年12月4日)
51. スハルトの長女ツツットが大統領選に出馬?(03年12月8日)
52. 2月1日より入国ビザ料金25ドルの徴収-時代に逆行の措置(04年1月3日)
インドネシア司法省は今年2月1日より、入国時にビザを発給し1人あたり25ドルを徴収すると発表した。目的は外国人の不法就労を阻止するためと、インドネシアが外国に入国するときに取られているビザ発給手数料に対抗するものであるという。
対象国は日本や米国などほとんどの国が含まれ、例外は9カ国でブルネイ、シンガポール、マレーシア、タイ、ベトナム、フィリピン、モロッコ、ペルー、チリ、香港、マカオである。
これにより、最大の打撃を受けるのはインドネシアの観光業である。
日本人ももう気軽にバリ島などに出かけられなくなる。司法相のユスリルという人物はスハルトの原稿書きをやっていた秀才らしい人物であるが、いまどき何を考えているのか経済センスを疑いたくなる。
この案はすでに大統領の決済を得てい るとのことである。これが、観光業のみへの影響にとどまるとメガワティは考えているのかもしれないが、この背景にはナショナリズムの動きがあり、外国資本の投資に必ず影響してくる。
日本人などへのビザの無料化は20年前のスハルト政権時代に、構造調整策のはしりのような形で実施されたものであった。なぜいまどきこのような制度を日本や米国などに対して行う必然性があるのかまったく理解に苦しむ。
⇒滞在ビザ料金の詳細決まるー3日間以内なら日本人は10ドル(04年2月2日)
2月1日より批判の多い「滞在ビザ」制度を実行に移し、日本人に対してもさまざまな経済協力などの「御礼の印?」としてビザ料金を1ヶ月滞在者には25ドル徴収することにしたが、3日以内の滞在には10ドルと、多少の配慮を見せている。
この10ドルビザの適用を受ける国は;アルゼンチン、オーストラリア、ブラジル、英国、カナダ、デンマーク、フィンランド、フランス、ドイツ、ハンガリー、イタリー、日本、ニュージーランド、ノルウェー、ポーランド、南アフリカ、韓国、スイス、アラブ首長国連邦、米国、台湾の21の国と地域である。
53. インドネシアのエネルギー問題⇒クリック
53-0.インドネシアの03年の原油生産は109万バーレル/日(03年8月27日)
53-1.このままでは10年後には石油の純輸入国に(04年1月12日)
53-2. オーストラリア、サントス社が大油田発見(05年1月25日)
53-3. 平均29%の燃料値上げに踏み切る(05年3月1日)
53-5. 原油価格の値上がりが財政に大打撃ー再度の値上げは必至(05年8月9日)
53-6. 石油製品価格一挙に126%アップ(05年10月1日)
⇒街頭での反対運動は盛り上がらず、議会内で主力政党が反対(05年10月2日)
53-7.プルタミナが政府補助金を400億円水増し請求?(05年10月11日)
53-8.04年の石油補助金は9.7兆ルピアが消えてしまった(05年10月14日)
54. 税制改革法案を近く上程(04年1月20日)
55 雑誌社テンポに100万ドルの支払い命令(04年1月20日)⇒23に移行
57. 熱帯雨林の不法伐採←クリック
57-1. EUへの木材製品の輸出にはECラベルが必要(04年1月29日)
57-2. インドネシアの不法伐採木材が大量にマレーシア経由で輸出(04年2月4日)
57-3 不法伐採木材問題でマレーシアとシンガポールは話し合い拒否(04年8月22日)
57-4. スシロ大統領、不法伐採の取りしまりを宣言(04年11月12日)
59. 鳥インフルエンザ
59-1. 鳥インフルエンザで1000万羽のニワトリを処分計画(04年2月6日)
59-2. 鳥インフルエンザが再発(04年7月21日)
⇒8カ村で鳥インフルエンザ確認(04年10月27日)
⇒ロンボク島で鳥インフルエンザ発生(04年12月13日)
59-3. 鳥インフルエンザついにヒトへの感染症例が出る(05年6月16日)
59-4. 親娘3人が鳥インフルエンザで死亡(05年7月20日)
59-5. 新たな死者発生で鳥インフルエンザへの厳戒態勢(05年9月22日)
60. シンガポールのタマセク、インドネシアの主要民間銀行支配を目指す(04年2月11日)
61. 2003年の実質GDP成長率は4.1%(04年2月17日)
⇒インドネシアの経済に移行
62. 1億1千万人の国民が1日2ドル以下で生活ーILO(04年2月18日)
国連機関のILOはインドネシアの貧困層の比率は1999年の27%から2003年には16%に減ったものの、1日2ドル以下しか収入がない人は1億1千万人に達すると発表した。インドネシアの総人口は約2億1千万人である。
またILOは現在の4%の成長率では、労働市場への新規参入者が多いため失業者が毎年10%増えると警告している。
クンチョロ・ヤクティ経済調整相は失業増加を食い止めるには7%の経済成長が必要であり、現在既に失業率は10.3%に達していると述べた。
63. IBRA所有のBahana の約束手形2.9兆ルピアを3,680億ルピアで売却(04年2月24日)
64. インドネシア共産党関係者が国会議員への被選挙権資格回復(04年2月26日)
インドネシアの憲法裁判所は非合法化されているインドネシア共産党(PKI)の元党員や家族などの、法的な市民権を回復する措置に踏み切り、この4月5日に行われる国会議員選挙に立候補の資格を与える決定を下した。
インドネシア共産党(当時党員200万人以上といわれていた)が非合法化されたのは、1965年9月30日にインドネシア共産党員であった青年将校が将軍を6人殺害した、「クーデター」事件がきっかけとなった。
事件はインドネシア共産党が政権奪取の目的で、対立関係にあった国軍幹部を殲滅しようとしたという解釈がなされ、共産党員とその同調者は国軍とイスラム教徒組織(特に、ナフダトゥール・ウラマ青年部)によって大弾圧を受けた。
その結果、共産党員とその同調者が大量に虐殺され、50万人前後殺害されたということがほぼ定説になっている。もちろん正確な死者の数はわからないが、中部ジャワのソロ川には死体が引きも切らず流れていたといわれる。
その後、共産党員とその同調者は裁判もなしに島流しにあったり、獄につながれたりした。そればかりではなく、選挙権などの公民権が家族を含めて停止され、公務員にもなれなかった。
これは事件後40年近くなる、今も事態は抜本的な解決を見ておらず、インドネシア社会の暗部として横たわっている。インドネシアではPKIという言葉はほとんど公に語られることは少ない。
この一連の共産党弾圧劇を演出し、政治権力を獲得し、巨額の不正蓄財をしたのは誰あろうスハルト元大統領である。そもそも「9.30事件」の首謀者は誰なのか、また影の演出者は誰なのかいまだに解明されていない。
実行犯のリーダーが共産党員であり、スカルノ大統領の親衛隊長であったウントン中佐であったことは間違いない事実である。しかし、このウントン中佐はもともとスハルトの直属の部下であり、ウントンの結婚式にはスハルトも同席するほど親密な間柄だったのである。
ウントンが共産党員であったからといって、共産党が組織としてこのクーデターを企図したという証拠はない。しかし、国軍はこの機に一気に共産党を殲滅してしまったのである。これには米国大使館も協力を惜しまなかった。
この謎の多い事件の実態解明がすすまないまま、インドネシア共産党の関係者とその家族が不当に差別待遇を受けてきたことを解消しようとしたのは、前大統領のアブドゥラマン・ワヒド(通称グス・ドゥル)である。
しかし、彼の意図はイスラム教徒の指導者たちによって阻止された。グス・ドゥル自身が共産党員殺害の実行部隊であったナフダトゥル・ウラマの総帥であった(事実上いまでも最高実力者)というのも皮肉な話である。
彼自身この事件には疑問を持っていたのであろう。事件当時、グス・ドゥルはエジプトに留学していて、殺害には関与していなかったことは明白である。
スハルト失脚後5年半もたって、インドネシア共産党も存在していない今、この問題の解明と処理をしないということではもはや済まされないであろう。確かに、この事件とその後の経過はインドネシア社会のユガミの重要な一因となっていることは間違いない。
65. インドネシア大統領選挙の動き⇒Part II
66. デング熱の死者312人に達する(04年2月27日)記事削除
⇒デング熱の死者は452名に達する(04年3月16日)
⇒デング熱の死者は669名に達する(04年6月16日)
67. IBRA悲喜劇のうちに6年間の幕を閉じる(04年3月1日)
68. 4月から鉄鋼製品の輸入関税をゼロに?(04年3月8日)
69. インドネシア華人の特別身分証明書撤廃へ(04年4月17日)
メガワティ大統領はインドネシア華人が所有を義務付けられていた特殊身分証明書=SBKRI(Indonesian Citizenship Certificate)を所持しなくても良いという方針を発表した。
これはインドネシア華人にとっては画期的なできごとであり、インドネシア国籍を持ち、国民としての義務(特に納税)を果たしながら、市民権上は差別待遇を受けてきた長い歴史に終止符を打つことを意味するからである。
SBKRIはインドネシア華人がパスポートを取得する際などに役所の窓口で提出を要求されてきたものであり、司法・人権省の移民局長も直ちに実行に移すと述べている。
この撤廃令は実はスハルト政権時代、1996の大統領令として出されていたが、その後事実上施行されずに現在にいたっているものであり、インドネシア華人からは強く廃止が要請されていた。
メガワティが今回この問題を改め持ち出したのは7月5日の大統領選挙に向けての物ではないかとかんぐる向きもある。しかしながら人種による差別はインドネシア憲法でも禁止されていることであり、今回の措置は当然のことである。
70. アンボン事件再発(04年5月6日)⇒9-3に移動
71.アジア開発銀行は大型プロジェクトが好きだった(04年5月20日)
本日付のビジネス・インドネシア(http://www.bisnis.com/ )が伝えることによると、ADB(アジア開発銀行=日本が最大の出資国、本部はマニラ)のインドネシアへの融資方針は(政治)エリートが好むインフラ分野における大型プロジェクトが主体であったとNGOグループが批判しているという。
INFID(インドネシア開発問題国際NGOフォーラム)の事務局長のビニ・ブフォリ(Bini Buchori)氏は5月19日にジャカルタで開催された「ADBの実績に対する市民社会の批判(The Criticism of Civil Society on the Performance of ADB)」のなかで37年間のADBの実績の分析と評価をを行った。
その中で、ADBの投資方針は民衆よりもエリートの都合優先主義であったという趣旨の発表がなされた。
また、EDF(Enviromental Defence Fund =環境防衛基金)の調査員であるStephanie Fried 氏の報告の中で「インドネシアにおけるプロジェクトのうち70%以上が、長期的な社会・経済的な利益を生むことができなかった」と述べられていたことが引用された。
これはインドネシア国民にとって、巨額の借金を背負うことを意味している。すなわち、160億ドルの融資のうち、実に113.6億ドルの投資が潜在的なロスになるであろうということを意味している。
ビニ氏はさらに、ADBは37年間もの間、説明不十分なローンをおこなうことによって、逆に「貧困を生んできた」と述べている。
また、ADBは大型プロジェクト開発を支持し、金利中心の融資を行い、電力や水道といった公益事業の民営化を支持することによってインドネシア社会の借金負担を増加させてきたとも述べている。
ADB はインドネシアにおいて1968年から37年間にわたり260のプロジェクトに160億ドルの融資はインドネシアの負債の10%に相当する。
また、ADBとの一般国民の接触は1995年以降断絶されてきた。いまになってようやくADBは説明責任のメカニズムで一般人とのコムニケーションを開きつつある。といった、なかなか手厳しい批判であった。
これはADB側の責任もあろうがインドネシアの政治家、官僚にも大いに責任があることはいうまでもない。ともかく、長期的に役に立つ融資案件を取り上げて、後々までインドネシアの一般国民に感謝されるようなプロジェクトへの融資をお願いしたいものである。
同様な批判は世界銀行の融資についてもなされている。また、フィリピンのマルコス政権時代の国際融資(世銀、アジア開銀に限らず)についても、いまだに問題が継続している。
⇒ADBの反論ーほとんどのプロジェクトは成功している?(04年5月25日)
上記の記事に対し、ADB のインドネシア担当理事のDavid Green 氏は70%が失敗だったというはなしは大げさで、ほとんどのものがうまくいっていると反論した。
プロジェクトが完成すると、一応ADBの役割は終わるが、3年後に別の機関を使って、プロジェクトの状況を調査しているが、だめになっているという報告は聞いたことがない。ただし、インドネシア政府に補修予算がなくて、うまく動かないピロジェクトはあるかも知れない。
というのが、グリーン氏の言い分である。設備の維持。補修がやれないというのはADBの責任ではないかも知れないが、インドネシアにいってみて気がつくのは、役所のエレベーターであれ、エアコンであれ機械と名のつくものの保全・管理状態はよくない。
確かに、立派なものは日本企業に作ってもらったりするが、その後のメンテナンスは大体ダメである。ホテル・インドネシアなどはその典型的な例である。民間プロジェクトはまだマシだが、国営プロジェクトは大体芳しくない傾向にある。
ADBも日本政府も後々の保全体制まで考えてプロジェクト援助をやらないと、70%失敗説がでてくるような結果になってしまう。世の中は結果が最も大切なのだ。
また、インドネシア政府・閣僚の間にも世銀等の開発援助に対する批判の声が出ている。最近では経済企画庁長官のクイック・キアン・ギーが世銀プロジェクト(地方開発プロジェクト2億ドル)に対して異議を唱えていた。
結局、これらの小プロジェクトといえども、汚職の対象になるし、また返還時になるとルピア安が昂進していて、地元負担が膨大になるという。しかし、他に方法がないのでクイック・キアン・ギーもこれを認めざるをえない。悲しい現実である。
72. 04年のインドネシア経済
73. インドネシアで爆弾テロの恐れ−米、英、豪、加大使館が警告(04年5月30日)記事削除
74. ICGシドニー・ジョーンズの追放(04年6月7日)
インドネシア政府は国際的シンク・タンクICG(International Crisis Droup, URL; http://crisisiweb.org/)のジャカルタ主席駐在員である米国人Sydney Jones 女史(52歳、もともと人権運動家として活躍)の滞在ビザを更新しなかった。
そのため彼女は6月6日シンガポールに向けて出国のやむなきに至った。なぜインドネシア政府は彼女の滞在延期を認めなかったが問題である。
それはICGのインドネシア支部が過去において作成した数々の報告書を見れば一目瞭然である。
ICGは本部をベルギー・ブラッセルにおくシンク・タンクであり、世界の途上国の政治経済分析を行っており、主に各国政府から資金が提供され日本も理事を出している。
ICGのジャカルタ支部はスハルト政権崩壊後活躍をし始め2000年から正式にジャカルタ事務所を開いたが、1999年からさまざまな報告書を出している。テーマは民主政治体制への移行、アチェやパプアの分離独立運動の動向、イスラム過激派の動きなどである。
それらの報告書の迫力はすばらしいものがある。詳細な現地調査とインタビューを中心とした極めて実証的な報告書が大部分である。
特に注目を引いた報告書はイスラム過激派の動向分析である。東南アジアにおけるアル・カイダの動きとジェマアー・イスラミア(JI)の分析を行った"Al−Qeaida in Southeast Asia, 08 Aug 2002"は白眉といえよう。
その中で、ジョーンズはインドネシアのイスラム過激派と国軍との関係を固有名詞で指摘したことがインドネシア政府(軍)を最も怒らせた点であろう。このくだりをみて「ああやっぱりそうか」と思った読者は少なくなかったであろう。
後に、国軍関係者からの強硬な抗議によって、バリ事件後の03年1月に一部は修正されたが、国軍にとっては最も触れてもらいたくない部分に触れられたということで「はらわたの煮えくり返る思い」であったことと推測される。
特にBIN(国民情報局)のヘンドロプリヨノ長官(Ahmad Hendropriyono)は自分の過去の特殊部隊幹部だったころの役割をかなり詳細にわたって記述されたことからジョーンズを目の敵にしている感じさえある。
逆に言うとさおれだけジョーンズの指摘が的確だったのかもしれない。
しかし、今はスハルト時代と違い、即刻「国外退去」処分にはできず、ビザの切れるのを待って、お引取り願うという処置に出たものと思われる。
わが国のメディアは例によってこの手の記事は新聞などにはほとんど載せられないが、米国のWSJですら記事にしている。インドネシア政府はテロ対策に本気ではない節があるという書き方がされている。
今回の措置はインドネシア政府が恥じを世界にさらしたことになり、インドネシアの民主化のレベルそのものが問題にされるような事件である。その中でメガワティ大統領の軍部に遠慮した態度には多くのインドネシア人を落胆させたことであろう。
ただし、筆者に言わせればレポートを読んだ限りではジョーンズのスタンスは最近微妙に変化してきたように思われる。1つはJIの存在についてかなり断定的に認めて書いていることと、2つめは過激派と軍とのかかわりに一切触れなくなったことである。
ジョーンウズのJIとバアシールとの関係の記事などが、インドネシア政府が「反テロ対策法」を作るひとつの重要な論拠になったとさえ言われている。JIの存在そのものについて依然大いに疑義ありとインドネシアのイスラム指導者の多くが考えている。
ただし、名前はどうあれ、「テロリスト=爆弾屋」グループが存在することは間違いないが、彼らをJIという言い方で断定的に述べている最近のレポートには米国政府やインドネシア情報部にかなりコミットしすぎているように思える。
しかし、事実関係はこれからも明らかになっていくであろう。ジョーンズ自身はシンガポールあたりで一休みして、再度インドネシアに乗り込むといきまいている。いっそうのご活躍を祈りたい。
75. 過去2年間の不正支出による国家の損失は22兆ルピア(04年6月18日)
76. アンソニー・サリムがインド・フードの社長に就任(04年7月1日)
スハルト最大の華人クローニーであったスドノ・サリム(林紹良)は1998年5月のスハルト政権崩壊に伴い、国外に脱出し、政府への多額の借金返済に多くの財産を失ったが、世界最大のインスタント・ヌードル・メーカーであるインド・フードだけは何とか権利を維持してきた。
インド・フード(PT. Indofood Sukses Makmur)社は6月25日の株主総会においてスドノ・サリムの長男であるアンソニー・サリム(Anthony Salim)をCEO(最高経営執行者=この場合は社長)に選出した。
前任者はEva Ryanti Hustapeaという女性経営者であり、1996年から社長を務め、98年の経済危機を何とか乗り切るなど手腕を発揮してきたが昨年末に辞任を強いられ、それ以降はアンソニーが社長職を「代行」していた。
サリムグループは1998年の経済危機後はインドネシアにいたたまれず、香港のFirst Pacific社に本拠を移し、そこから逃避資金を活用し、フィリピンの長距離電話会社(P LDT)の経営権を掌握するなどの活動を行っていた。
インド・フードの株式もサリム・グループがFirst Pacificを通じてマジョリティー(52%)を保有している。
株主総会では強気のエヴァ女史も今まで守り育ててきたインド・フードから理不尽に追放されることが正式に決まり、感極まって泣き出し、大変悲痛な雰囲気に包まれたという。なおエヴァ女史はインドサットの監査役メンバーに転出することになった。
インド・フードの年間売上高は20億ドルといわれており、従業員数は5万人というインドネシア最大の民間企業である。同社の国内シェアは2000年には95%を占めていたが、最近では新規参入が相次ぎ80%にまで落ちているという。
インド・フードの製品はインスタント・ヌードル(年間130億個)のほか、小麦粉(360万トン)、食用油、調味料、乳幼児食品、スナック菓子など多岐に及んでいる。
サリム・グループがインドネシアに復帰を果たすなどということは一時期は考えられないことであったが、メガワティ政権はサリム・グループの支援を受けているとの噂が絶えず、今回メガワティが「最後の恩返し」をしたという見方もされている。
サリム・グループではインドネシアにこそ最大のビジネス・チャンスがあると常々主張しており、次はサリム・グループとしてはかつての自社の銀行であったBCAの奪還も狙っている可能性がある。
これらの動きをインドネシア国民がどう受け止めるかは今後の問題であるが、サリム・グループの跋扈をそう簡単に許すはずもないであろう。
77. ニセ札問題
77-1.偽札が急増ー選挙戦と関連か(04年7月2日)
77-2.ニセ札容疑で情報部関係者逮捕、取調べ中(05年1月14日)
77-3 ニセ札作りの元情報部幹部に4年の実刑判決(05年7月26日)
78.ニューモント社の公害事件 Part IIへ移行 http://www7.plala.or.jp/seareview/⇒クリック
78-1.北スラウェシのミナハサで水俣病発生?(04年7月26日)
⇒ブヤット湾はやはり化学物質で汚染されていたーNGO(04年7月29日)
⇒環境省もクロ認定(04年9月1日)
⇒NMRの幹部4名逮捕(04年9月25日)
⇒日本の調査ではシロ判定(04年10月6日)
⇒インドネシア政府はニューモント社を告発(04年12月2日)
78-2. ニューモント社は水銀を空中に放散していた(04年12月22日)
78-3..ニューモント社 への公害訴訟で米人幹部に無罪判決(07年4月25日)
79. インドネシアではアテネ・オリンピックの放映なし(04年8月2日、15日追記)
80. ジャカルタのオーストラリア大使館爆破さる(04年9月9日)
81. ラクサマナ国営企業担当相が疑惑の矢面に立たされる(04年9月29日)PartIIへ
82. 国軍の関連法の改正によって軍は専門職業集団に(04年10月2日)→83-0に移行
83. スシロ政権下のインドネシアの政治(04年10月6日〜)
83-1 国会議長と国民協議会議長が決定(04年10月7日)
84. パリのインドネシア大使館前で小爆発軽傷10名(04年10月8日)
85. イスラム教徒の断食月は10月15日から(04年10月14日)
86.インドネシアの通商政策
86-1. 中国とのFTAで398品目を保護対象に指定(04年11月1日)
⇒中国はパーム・オイルや木製品・紙などを制限品目に指定(04年11月4日)
87. ジャカルタの最低賃金は711,843ルピア/月に(04年11月6日)
88. 毛嫌いされるハワード(オーストラリア)首相(04年11月7日)
最近、オーストラリアとインドネシアは何かと「クサレ縁」ーといっては失礼だがーが続いている。それは言うまでもなく02年10月のバリ島爆発事件で88名ものオーストラリア人が犠牲になった。
その次は04年9月9日(#80参照)のジャカルタのオーストラリア大使館前の爆発事件である。このときはオーストラリア人の犠牲者は出なかったものの、大使館がテロのターゲットとなったということでオーストラリア国民は大きな衝撃を受けた。
それから、10日ほどあとのオーストラリアの国会議員選挙で劣勢を伝えられていたハワード(John Howard)政権は地すべり的圧勝を遂げ、ハワード政権は第4期目の長期政権として再スタートした。
ハワード首相はインドネシアでSBY(スシロ・バンバン・ユドヨノ)の大統領就任式に駆けつけ、早速SBYとの首脳会談をおこない、両国の「軍事同盟」について打診した。
ところがSBYは、ハワードの申し出を丁重にお断りしたと伝えられる。なぜならばハワードは米国のブッシュ大統領の大のお気に入り(小泉純一郎首相とともに)で、米国のイラク侵略の熱烈な支持者であることを自他共に認めているからである。
ハワードはインドネシア人にとってはブッシュの手先にしか見えないのである。しかもハワードは何の必要があるのか、米国の勧めにしたがって、ミサイル防空網を構築したり(どこの国がオーストアッリアをミサイル攻撃するのかは不明)している。
これは防衛網というよりは「攻撃網」とも言うべきものであり、周辺国(東南アジア)にとっては危険極まりない代物である。おまけに「テロの脅威にさらされた場合は先制攻撃」を仕掛けるなどと物騒な発言をしている。
テロの脅威とは何かはハワードの頭の中で考えられるわけであり、間違うとインドネシアやフィリピンやマレーシアにミサイルが飛んでこないとも限らない。彼らが心配するのは当然である
マハティール前マレーシア首相はオーストラリアがASEANの会合に出てくることを極度に警戒していた。ハワードはことあるごとにマラッカ海峡の安全を確保するために東南アジア諸国と共同でパトロールしたいなどと再三提案している。
シンガポール政府は満更でもない態度であるが、インドネシアとマレーシアは断固お断りしている。
SBYもオーストリア国民には何かとご迷惑をおかけしているが、ハワード政権と軍事同盟などを結ぶ気はさらさらなさそうである。ただし、通常の情報交換や技術協力と称してことあるごとにオーストラリアの軍や警察はインドネシアに出入りしている。
インドネシア国民にはハワード政権はブッシュの手先であるという見方がいきわたっていて、特にアフガン、イラク戦争後はそれが激しくなってきているようである。
ただし、オーストラリアに留学して学位を取得し、インドネシア国内で官僚や学者やビジネス・マンとして活躍している人材は日増しに増えている。日本の大学はどうであろうか?その数や微々たるものに過ぎない。
せっかく、日本に留学して帰国したインドネシア人も日系企業の下働きで人生を終わってしまう人が少なくない。日系企業にすら就職できないものも多い。これは言い古されたことではあるが、もっと何とかならないものであろうか?
多分、日本の大学のアジア研究のレベルの低さにも大いに問題があることは確かである。スハルト政権にべったり張り付いたり(それはオーストラリア人の学者にもいるが多数派ではない)、日本政府のODAのためのお抱え学者であったり、実態は惨憺たるものである。
今はハワード政権が健在なので、日本にとっては幸い「無風状態」が続いているが、オーストラリアにもう少しまともな政権ができたら、インドネシア国民は日本を向いてくれなくなる恐れがたぶんにある。あと4年間しか時間はないといえるかもしれない。
⇒オーストラリア外相曰く、「JIが原爆を使用するかもしれない」(04年11月7日)
上の記事を書き終えてから、インドネシアのdetik.com(インドネシア語インターネット)を読んでいたら、バリ事件などの犯人と称されるJI(ジェマー・イスラマI)が、今度は原爆を使用する懸念があると、オーストラリアのダウナー外相が語っているという記事が出ていた。
何を根拠にこういう人騒がせな(別に騒ぐ気もしないが)ことを言うのかしらないが、農薬を使って爆弾を作っていたはずのJIが今度は原爆とは恐れ入ったしだいである。
おそらく、核弾頭を付けたミサイル網で周辺諸国ににらみを利かせたいのはオーストラリア自身ではないのかとさえ言いたくなる。
「テロの脅威」といえば何でも話が通ると思っているブッシュの子分たちはまったく始末に終えない。極東の某経済大国の首相などもそのうち何を言い出すかわかったものではない。
(参考;第5話、アンダー・イースタン・アイから)
13. ブッシュいわく「オーストラリア」はアメリカの「保安官」である(03年7月18日)
89. 人権活動家ムニールの死因は毒殺であった(04年11月12日)⇒Part IIへ移行
90. Poso(ポソ=スラウェシ中部)でバスが爆破、6名死亡(04年11月16日)
92. ゴミ処理工場をめぐる騒動で7名が銃撃される(04年11月23日)
11月22日(月)ボゴール市(植物園で有名なところ、SBYの自宅もある)のクラパヌンガル地区、ボジョン村でゴミ処理工場の建設に反対する農民が抗議集会を開いた。
プラントの試験操業が行われようとした矢先、デモ隊が「プラントに放火をしようとした」として警備の警察機動隊が発砲し、7名が銃撃され負傷した。死者が出たかどうかは不明。
ボゴール警察署長は発砲は正しい手続きを踏んでおらず、違法の疑いがあるので今後詳しく事情を調べるとしている。ボゴール警察は機動隊員が警備していること自体を知らされてなかったと釈明している。
機動隊の警官隊は10名ほどであったが、デモ隊は2,000人もいたので、現場の警官がパニックを起こし発砲したものと見られる。
このゴミ処理はジャカルタで毎日発生する約6,000トンのゴミの3分の1を焼却する能力のある設備で、これが動かないとジャカルタのゴミ処理はいっそう困難になるという。
前大統領メガワティが周囲の反対を押し切ってジャカルタ知事に任命した元軍人でタカ派で汚職の嫌疑もかけられたことのあるスティヨソは「ゴミ処理設備を破壊しようとした民衆はけしからん。厳罰にしょすべきである」といきまいているという。
ともかく、インドネシアもタイも権力者の弱者に対する取り扱いは荒っぽい。
93. ナフダトール・ウラマ分裂の危機(04年11月29日)
⇒NUはPKBとの同盟関係を解消(04年12月4日)
⇒グス・ドゥル、新組織「競合NU」を12月15日に結成(04年12月6日)
94. 南スラウェシのアルタ・グラファの合弁会社から2社が撤退(04年12月6日)
インドネシア銀行(中央銀行)はバンク・グローバル・インターナショナル(BG=Bank Global International=上場会社)の営業を12月14日からとりあえず1ヶ月間営業停止処分とした。
インドネシア銀行のミランダ・グルトム(Miranda Goeltom)副総裁によれば、グローバル銀行は自己資本比率(CAR)が国際基準の8%を大きく下回って、-39%にまで落ち込んだ。(インドネシア銀行が課している最低基準は5%)
それ以外に、数々の不正捜査疑惑があり、しかも必要書類を数多く隠蔽したり破棄した疑惑がもたれているという。 しかも、最近に至るまで同行の業績は健全であるという虚偽の報告を証券取引所に提出していた。
一般顧客だけでなく、石油公社プルタミナや公務員年金基金その他の国営企業も多大な損害をこうむる恐れがあるので、営業を差し止めた。
警察は12月15日、BGの8名のトップ の身柄を拘束し、他の3名の幹部行員の国外出国際差し止め措置を行った。しかし、頭取のIrwan Salimと役員のRico Santosと幹部行員のSteveという人物の計3名の行方はわからないという。
彼らは既にシンガポールに逃亡した可能性がある。しかし、シンガポール政府が逃亡犯(ほとんどが華僑)を逮捕し、インドネシアに引き渡した例はきわめてまれである。
インドネシア銀行は同行にたいし,立ち入り検査を行い、証拠書類の差し押さえにかかっている。 また、同行の資産および主要株主(オーナー)の資産の一部も差し押さえると明言している。これは同行の閉鎖を想定した処置である。
BGには現在約1万人の顧客がおり、預金総額は1兆ルピア(約110億円)ある。同行の株式の79%は公開されているが、実質的オーナーはPT Permaat Prima Jaya(持ち株9.095)とPT Intermed Pharmatama(持ち株11.51%)であると考えられている。
インドネシアの銀行法では株式20%以上を所有していれば、「オーナー」とみなされるが、ほとんどの場合、株式所有を分散して、「責任逃れ」をやっており、オーナーの経営責任追及は容易でない。今回も実質的オーナーには逃げられる可能性がある。
政府は一般預金者の預金は保護すると言明している。ただし、社債については補償はされていない。
インドネシア政府は本件以外にも、04年4月に小規模銀行であるBank Dagan Bali(BDB) とBank Asiaticの2行の閉鎖を行っている。 しかし、インドネシア銀行はかなり前から、BGの内容を把握しており、今回も「行動の鈍さ」が指摘されている。
ジャカルタ証券取引所は12月9日より、同行の株式売買を停止している。
(http://www.thejakartapost.com/ 04年12月15日、参照)
この事件はグローバル銀行のみの特殊なケースと見られてはいるが、株式市場は売りムードが広がり、連日下げが続いており、一時は株価指数が1000ポイントまで近づいたが12月14日の終値は922ポイントまで下げている。
(04年12月17日追記)
頭取のイルワン・サリム(Irwan Salim)は12月12日(日)に出国し米国に逃亡していたことが明らかになった。イルワンはニューヨークで出資者を見つけ、資金調達出来次第帰国するなどといっているが、明らかに逃亡である。
つぶれかかった銀行に出資するような人間は普通は存在しない。また、BGの社債はほとんど無価値になることも明らかになった。
(続く)
97. ゴルカル党
97-1.ゴルカルの党大会始まる、ユスフ・カラが党首に立候補(04年12月16日)
97-2. 党則改正によって再びアクバル・タンジュン優位に(04年12月17日)
⇒ウィラント党首候補から降りるーアクバル・タンジュンの勝利決定的?(04年12月18日)
97-3.アクバル・タンジュン敗北、ユスフ・カラがゴルカル党首に(04年12月19日)
⇒ゴルカルの与党化は政権基盤安定を意味しない(04年12月21日)
98. オーストラリアと米国は年末休暇のインドネシアへの渡航警告(04年12月18日)
99. スマトラ沖大地震とインド洋大津波⇒Part II へ移行
99-0.スマトラ沖大地震発生津波により死者数万人規模に(04年12月26日)
99-1. 各国から援助申し出で相次ぐ-国連中心の援助体制で一致(05年1月 7日)
99-2. インドネシアの死者は10万1千人に(05年1月7日)
99-3. バタム島、アチェ避難民の受け入れ拒否(05年1月8日)
99-4. インドネシア政府早くも外国人のアチェへの入境制限(05年1月10日)
99-5.マングローブとサンゴ礁の破壊が津波被害を大きくした(05年1月11日)
⇒インドネシア政府は早速マングローブ再生計画(05年1月14日)
99-6. 外国人の支援部隊・個人は3月26日までにアチェから出て行け(05年1月13日)
99-7. 津波による死者22万人を突破(05年1月20日)
⇒最終の死者は30万人を超える(05年2月10日)
⇒死者の数字が3通りーこれがインドネシア政府 か?(05年1月23日)
100.バンドンでゴミの山が崩れ死亡者・行方不明者で141名の大惨事(05年2月22日)
ジャカルタから東南に180Km離れたバンドン市郊外のチマヒ(Cimahi)市南部の2つの村で、折からの大雨により、平均20M以上に積み上げられたゴミの山が崩れ、70戸の家屋が押しつぶされ、多数の人が生き埋めになり、2月23に現在48名の死者が確認され 、行方不明者は93名に達している。
強い雨が断続的に降っているため、土砂崩れがさらに起こる危険がある。そのため、夕刻に救助活動は中断されており、最悪140名を超える死者が出る可能性があると見られている。
1992年にゴミ置き場ができてから今回の地すべりは6度目だが死者が出たのは始めてである。ゴミはバンドン市とその周辺から毎日約5,000トンが運び込まれ、600万立方メートルのゴミの山ができていた。
危険は前々から指摘されていたが、80億ルピア約1億円の予算を中央政府が認めないため、周辺の防護壁が作れなかったと地元の関係者は述べている。
生き埋めになった人々のうち、ゴミの山から金目のものを回収して、生活の糧にしていた人々も少なくなかったという。
また、これとは別に、バンドン市周辺では大雨による洪水のため、50万人に上る住民が避難していると伝えられる。
(BBC、ジャカルタ・ポストほか)
⇒107名の遺体確認、なお36名が行方不明(05年3月1日)
崩壊したゴミの山から,生き埋めになった犠牲者の捜索活動がインドネシア軍兵士を中心におこなわれていたが、2月28日現在107名の痛いが発見され、なお36名の行方が不明である。
政府はユスフ・カラ副大統領を現地に派遣したが、怒る住民との対話はあまりできなかったようであり、住民の「話を聞いてくれ」という懇願を振り切るように現地を離れたという。ユスフ・カラは現地の管理者の人為的ミスであると指摘したにとどまった。
政府は遺族に対し10億ルピア(1,170万円)の見舞金を支出した。他にも数億ルピアの見舞金がもたらされたようである。
住民の代表は「われわれの生活は日々悪化している」と不満をぶちまけていた。
⇒137名の遺体確認(05年3月9日)
25ヘクタールに及ぶ広範なゴミ捨て場の崩壊現場から、救助隊は15日間の捜索活動の結果137名の遺体を確認した。後何人残っているかは性格には判らないという。(05年3月9日、ジャカルタポスト)
101. 平均29%の燃料値上げに踏み切る(05年3月1日)⇒53-3に移動
102. 2004年下期だけで7兆ルピアの公金が不正に消える(05年3月17日)
103-1.-.闘争民主党大会開催、反メガワティの動き活発化(05年3月30日)
103-2.改革派は別に会議を開く−事実上の党分裂(05年3月31日)
103-3.メガワティを党首に再選、改革派はソッポ(05年4月1日)
103-4. 改革派幹部12名を除名、PDI-Pの終りの始まり(05年5月12日)
103-5. 改革派ラクサマナを中心に民主改革党結成(05年12月2日)
106.大統領が公務員と兵士の給与増額を約束(05年4月17日)
107. インドネシア外務省、「日本は歴史を正視すべし」(05年4月19日)
今週末(4月23,24日)にアジア・アフリカ会議を主催するインドネシア政府は、最近の一連の日本ー中国の激しい対立に対してコメントを発表し、外務省報道官のマルティ・ナタレガワ氏はあらまし次のように述べた。
「日本と中国は東アジアの最重要国であり、両国の関係に関心を持たざるを得ない。論争は日本の第2次世界大戦中の残虐行為をめぐるものであり、日本を含む全ての国は歴史を直視しなければならない」
「また、中国の胡錦濤主席と小泉首相はジャカルタで今週末開かれるアジア・アフリカ会議を利用して話し合いの場を持つことは可能である。最近の中国でのデモによる破壊行為は日本側の怒りを買っているかもしれないが、中国の民衆の怒りは20世紀前半に日本が中国に対して行った残虐行為に対する反省の念が十分でないことに対するものである。」
「インドネシアも1942年に日本軍がオランダを追い払ってくれたことに最初は感謝していたが、何十万人の人々がロームシャ(労務者)として徴用され(多くはビルマなどに連れて行かれ死亡した)、多くの女性が従軍慰安婦にさせられた。日本を含む全ての国が歴史的事実を直視しなければならばい。」
誠にごもっともな話である。なぜ一部の保守的日本人は歴史を正視することができないのか?
小泉政権のある閣僚は「いつまで日本人は謝罪し続けなければならないのか?A級戦犯問といえども死んでしまえば全て仏となり罪は許され平等の存在になるのだ(だから靖国神社に祭られてもおかしくないという意味であろう)。」などとこの混乱のさなかにも公言している。
あきれた発想であいた口がふさがらないが、この閣僚の言い分は実は小泉政権の本音なのではなかろうか?だから、靖国参拝などといった一般国民に何の利益をもたらしてくれるのかわからないことにこだわるのである。戦没者の霊を慰めるなら別に国有の戦没者霊園を作るべきである。
あの話をうやむやにしているのは一体誰なのであろうか。せめて千鳥が淵の戦没者霊園を代行させれば済む話ではないかと私は思う。千鳥が淵の戦没者霊園に参拝しても国際的に非難されることはありえない。
はっきりいって、小泉首相のこの4年間に日中関係はここ30年で最悪の状態になった。これを中国側の歴史教育のせいにするなど、まったく本末転倒である。私は小泉個人がどういう思想をお持ちになっても本人のご自由であると思っている。
しかし、一国の首相ともなれば「善隣外交」を行うのは当然の義務であり、それはまず相手の嫌がる言動を慎むことが第一歩である。これができないならば最初から首相になることを辞退すべきである。
今回の事件によって、中国のビジネスにかかわる数多くの日本企業が大なり小なり迷惑をこうむったし、駐在員も心安らかでは無いであろう。株価も大きく下落している。もちろんニューヨーク株の下落の影響もあるが、中国ファクターによるところも大である。
日本経済が小泉流の「構造改革」の成果で回復してきたなどというのはマヤカシで、本当は中国の高度成長の恩恵をこうむったものであることは明らかである。それが、こういう形で日本経済がさらに崩されることに、長年政府の無策による不況に苦しめられてきた日本国民は耐えられないであろう。(WSJ, Internet版、05年4月19日、参照)
108-1.1兆ルピアの不正融資容疑(05年4月21日)
⇒不正の規模は13億ドルか(05年4月22日)
⇒バクリー経済調整相の奇妙な発言ー「先入観を持つな」(05年4月23日)
⇒ネル前頭取逮捕(05年5月22日)
⇒ネル前頭取に1審無罪判決(06年2月21日)
108-2.スハルト・ファミリー企業にも疑惑 (05年5月23日)
108-3. Mandiri銀行とBNIは不良債権が 急増している(06年2月24日)
スジロ・バンバン・ユドヨノ(SBY)大統領は4月21日(木)アジアーアフリカ会議の開催を宣言した。インドネシアで行われる会議としては第1回の1955年のバンドン会議以来50年ぶりのものである。
バンドン会議は中国から周恩来首相、インドからネルー首相が出席し、スカルノ大統領が会議を司会し、「アジア・アフリカ諸国の非同盟・中立政策」を宣言した。もちろん貧困と後進性の脱却も大テーマであった。
今回は24カ国から500人以上のの政府高官とビジネスマンが出席するという。ブッシュ大統領は出席しないから「反テロリズム」の大合唱に終始することはなく、主なテーマは「グローバリズムにいかに対処するか」という話題が多そうである。
4月20日には閣僚級の会議が行われ、NAASP(the New Asian-African Strategic Partnership=新しいアジア・アフリカの戦略的パートナーシップ)と称する、経済協力、政治的な連帯、社会文化的な連帯といった枠組み作りが共同声明で宣言される。
50年前の会議は、当時米ソの冷戦が激化している最中に、独立間もない新興諸国が非同盟・中立を宣言したというきわめて意義深いものであり、世界に大きな衝撃を与えた。
しかし、その後の経過をみると、フィリピンにマルコス政権が誕生し、インドネシアにスカルノ政権が誕生し、ともに「反共国家」として米国の強い支持を受け、それを日本が経済的にバック・アップするという体制がとられてきた。
日本ではアジア経済学者の多くが「開発独裁礼賛論」で日本政府の独裁国家支援を結果的にサポートしてきた。日本のメディアも共演者であった。その体制は残念ながら基本的にいまでも続いているといえよう。
独裁体制をしいていたフィリピンとインドネシアはどうなっているかというと、戦後東南アジアで最も工業化が進んでいたはずのフィリピンはASEAN4カ国のうちではタイとマレーシアに大きく遅れをとっている。
石油資源などに恵まれていた国、インドネシアは工業化に乗り遅れてしまい、相変わらず汚職に悩まされ、貧困からの脱却もできていない。
今回の、NAASP構想もスローガンの羅列で内容があるものにはなるとは見られておらず、外務官僚たちの「作文」に終わるという見方がされている。しかし、単なる仲良しクラブの域を超えて、WTO体制に途上国としてどう取り組んでいくかの議論がサミットの場でなされることが望ましい。
われわれにとっての注目点は中国の胡錦濤等主席と小泉首相が出席するので、個別に日中トップ会談が実現するかである。
小泉首相の靖国参拝をきっかけに事実上両国のトップ会談は行われていないというきわめて異常な事態と、右傾化の目立つ日本側の政治姿勢が新しい歴史教科書問題などによって中国・韓国の反日感情を一気に高めてしまったことへの修復が何より望まれる。
110. マリ・パンゲツ商業相、WTOへの回帰を訴える(05年4月25日)
マリ・パンゲツ商業相は4月23日(土)にアジア・アフリカ会議に集まったG-33(WTOの途上国・グループ)の閣僚会議で「WTOのドーハ・ラウンドの締結が遅れているのは由々しき問題である。早く締結に向けての努力をしなければならない。」と語った。
ドーハ・ラウンドをまとめる会議は2003年9月にメキシコのカンクンで開かれた会議が分裂状態で終わった後に、たいした前進が見られないままになっているが、G-33グループとして前向きに取り組もうとインドネシアが呼びかけたものである。
05年の8月には満場一致でドーハ・ラウンドの枠組みを決めようという動きにあり、その中で米国とEUは農産品の輸出補助金をカットするということで基本的に合意している。
途上国は先進国の農業の補助金が途上国の農産品輸出を阻害し、かつ価格面でも大きな損害を与えていると主張している。途上国は前進国が主張する投資の自由化や知的財産権について「農業問題」の処理が先決であるとして話に乗ろうとしない。
しかし、G-33としても農産品の完全自由化はムリだということは承知しておりSP-SSM(Special Product and Special Safeguard Mechanism=特定産品および特定セーフガード・メカニズム)の基準作りを早急に行う必要がある。
WTOのドーハ・ラウンドの取り組みについては日本の立場は「及び腰」そのものであり、コメだけでなく砂糖やこんにゃく芋などいくつかの農業問題が「弁慶の泣き所(?)」となってどうにも煮え切らない態度であり、「後ろからノコノコ付いていく」ことすら危ぶまれている。
それどころか、アジアで「言うことを聞いてくれそうな相手」とコソコソとFTAを結ぼうという意図がミエミエである。世界の自由貿易体制の最大の受益国である日本がWTOに背を向けるというような小泉政権の経済外交姿勢はどう考えてもお得意の「国際協調」路線からは外れている。
今回、インドネシアがドーハ・ラウンドを何とかまとめようとアピールしたことで、アジアのリーダー格の日本は何とか格好をつけなければならないハメに陥っているのだが、一体どうするつもりであろうか? (WSJ Internet版m05年4月23日参照)
111.15,000トンの砂糖密輸船を拿捕(05年4月27日)
112. 役人による違法な課金請求が輸出コストを倍加(05年5月10日)
113. 押収された不法伐採木材を競売、2兆ルピアに達する(05年5月10日)
114. ハミド司法相、選挙管理委員会から報酬受け取る(05年5月14日)
115.インドネシア政府が 汚染疑惑国営企業の16社を公表(05年5月22日)
117. スシロ・バンバン・ユドヨノ大統領の訪日(05年6月3日)
118. アディグナ・ストオの殺人罪に7年の禁固刑判決(05年6月16日)
119. 南ジャカルタ地裁判事が取り調べを受ける(05年6月21日)
120. メッカ巡礼基金を歴代宗教相がつまみ食い?(05年6月22日)
121. インドネシアの産業界はASEAN-中国のFTAに反対(05年7月22日)
122. 公務員給与引き上げに10兆ルピア用意(05年7月28日)
SBY大統領は汚職撲滅を最重要政策と位置づけているが、汚職の根源は公務員の異常な給与の低さにあるという認識から、一部の反対意見を押し切って10兆ルピア(1,150億円)の予算を用意して,公務員給与の増額を実施することにした。
現在、インドネシアには約600万人の一般公務員と50万人の軍人、12万5千人の警察官がいると推定されている。平均すると1人当たり150万ルピアの給与増になる。
SBYは下に厚く、上に薄く配分する方針であるという。一番低い層は30%の増額になり、トップ・クラスは5%の増額にするという。
数年前、大学を出て10年近くにもなろうという公務員が月額100万ルピア(100ドル強)の給与と聞かされて唖然としたものであるが、そこは「役人のマジック」で何とかしのいでいるという説明であった。
ところが、課長クラスの役人が立派な1戸建ての庭付きの家に住み、自動車を2台持っているなどというのもいる。「親の遺産があるから」などと説明していたが、はなはだ怪しいものである。
ともかくインドネシアの役人の給与実態や収入実態は差がありすぎてよくわからない。それをよく知っているインドネシア人は給与を上げても汚職はなくならないと主張する。それをよいことに、歴代政権は公務員給与の引き上げに本格的に取り組んできたようには思えない。
SBY大統領は、公務員給与の安さは大いなる問題であることを、彼自身の人生経験(軍人)から知っての今回の措置であろう。これぐらいの昇給で汚職が減るかどうかは判らないが、下級公務員は一息つけることは確かであろう。結果を見守りたい。
123. ジャワとバリで大停電、1億人に影響(05年8月19日)
8月18日(木)午前10時23分にジャワとバリで停電が起こり、午後9時になってようやく80%が復旧した。チレゴン(Cilegon)とサグリン(Saguling)を結ぶ500Kvの送電システムが故障した為であるということである。
そこから、各地に停電が伝染していった。主要な送電線は20年以上前に敷設されたまま、保守点検が十分におこなわれていなかったことが、停電を拡大させ、かつ復旧を遅らせたものと見られている。
現在インドネシアの発電能力は23,000MWあるが、実際の有効能力は19,000MWであるといわれている。今後の経済成長を考えると2010年までに22,000MWを増強する必要があり、その建設費は300億ドルを要するといわれている。
124. マンダラ航空メダンで墜落犠牲者148名(05年9月5日)
を 9月5日(月)9時40分過ぎに、インドネシアのスマトラ島最大の都市、メダンで戦略予備軍が株式の90%を所有するマンダラ航空(1969年設立)の旅客機ボーイング737-200が117名 (5名の乗員を含む)の乗客を乗せジャカルタに向け離陸直後に飛行場から500メートル離れた市街地に墜落し炎上した。
生存者は16名が確認されているが、他の乗客・乗員101名については死亡が確認された。また、地上では民家約20軒と自動車が10数台が破壊され、住民も47名以上が犠牲になった 。
この飛行機は1981年製造の老朽機であるとのこと。マンダラ航空はいわゆる「格安航空」会社として、比較的評判が高かった。
乗客の中には北スマトラ州知事のリザル・ヌルディン(Tunku Rizal Nurdin=退役少将、元シリワンギ師団長)や地域評議会議員(DPD)の元北スマトラ州知事で退役少将のシレガール(Raja Inal Siregar) 氏とナフダトゥール・ウラマ(インドネシア最大のイスラム組織)の指導者であるアブドゥラ・ハリム(Abdul Halim Harahap)氏も含まれていた。
⇒事故原因は調査中であるが、目下はエンジン部分の羽根の欠損ではないかと言われている。(05年9月7日)
125-1. 石油密輸でプルタミナの職員18名他逮捕(05年9月10日)
⇒リアウ諸島が石油密輸の中心地(05年9月11日)
125-2.燃料油25万トン隠匿でメダンで15名逮捕(05年9月22日)
127.近く130名の裁判官について取調べを実施(05年9月28日)
128. KADIN(インドネシア商工会議所)SBYの経済チームに不満(05年10月10日)
SBY政権の経済チーム(閣僚)に対するインドネシア経済界の不満は日ましに高まっているという。
KADIN(インドネシア商工会議所)のヒダヤト(Mohamad S. Hidayat)会頭はSBYの経済チームがインドネシアの古典的問題ともいえる「ハイコスト・エコノミー体質」や密輸の除去について努力が足りていない点を指摘した。
経済調整相のアブリザル・バクリー氏はヒダヤトの前任のKADIN会頭であり、ヒダヤト会頭としても批判を控えていたようであるが、インドネシアの経済体質に改善が見られず、投資環境の悪さから外資もインドネシアへの投資をしり込みしていると指摘し、あえて今回は政府批判に踏み切ったものと見られる。
特にユスフ・カラ副大統領が「経済チームはよくやっている」という自画自賛的コメントを出したことが、経済界の主要メンバーを刺激したものと思われる。
ヒダヤトは経済チームがしっかりしたビジョン(青写真)を持って行動しておらず、石油価格高騰という事態が判明してからも、有効な手を事前に打っていない点を強調した。(石油製品価格の急激な引き上げに対する不満が総統くすぶっているようである。)
特に槍玉にあがっているのはユスフ・アヌワール(Yusuf Anwar)財務相でルピアが暴落した時に「心配ご無用」といってばかりいて、事態を深刻に受け止めていなかった。
エコノミストのファイサル・バスリ(Faisal Basri)氏は「税制の改革や、税関の体質改善(汚職が多いので有名)、ハイコスト・エコノミーの改善」に焦点を当てて経済界の信頼を獲得すべきであり、そのためには、経済チームの編成替えが必要であると述べている。
大統領としては汚職追放や司法の「清潔化」に可なりの努力を傾け、公務員の汚職防止に「給料を引き上げる」などの具体的方策を採ってはいるが、汚職の根が深く広がっており、一朝一夕には効果は出てこない。
しかし、今回の石油製品の値上げにより補助金の思い切った削減が成功すれば、汚職・密輸問題はあるていど改善が見られることは間違いない。インドネシアでは「補助金」は強者により多くのメリットが与えられてきた。日本でも似たようなケースがある。
補助金や高関税というのは大体において原則的にないほうが良い。ただし、弱者救済の措置は必要である。それは直接的であるほうが望ましい。
小さな政府=安上がりの政府を作るには補助金削減や高関税の撤廃が最も有力な方法のひとつである。私の聞きそこないかも知れないが、噂によると日本はその線に沿って「改革」が進められているらしい。「ウマシ国ぞ,アキツシマ大和の国は」といったところか?
129.最高裁長官がワイロを受け取る?(05年10月12日)
ユスフ・カラ副大統領は今後は課税強化を行い国家財政を立て直す必要があると力説し、税法の改正案を国会に提出したと述べた。
インドネシアでは所得税を支払っている個人・法人の数は合わせて367万人に過ぎない。人口は2億2000万人以上はいると推定されている。ただし、消費税を取っているので、最下層階級からも満遍なく税金を取ってはいる。
カラ副大統領は「とにかく正直に税金を納めてくれ」とアピールしているが、ご自身が自分の税金を正しく収めてきたかどうかを明らかにする必要があるだろう。
インドネシアでは税関とともに汚職で悪名高いのが税務署の職員である。先ず、役人は「汚職で得た金」には税金は支払わない。企業も税金を誤魔化すためにはあの手この手をつかう。2重帳簿はかなりの企業でやっている。帳簿すらないまともにつけたない零細企業もある。
税務署は売上高などから推定して「みなし課税」をやる。実績で補正するという建前になってはいるが、一旦税務署に入ったらなかなか出てこない。還付金を受けるのに、さらにワイロが必要になることもままある。したがって、「みなし課税」の段階でさまざまなネゴがおこなわれる。
最後は税務署の役人が「領収書のいる税金はXX.領収書の要らない税金はXXでどうだ」というケースが少なくない。つまり、ワイロを出せば税金は負けてやるよというのだ。
これには日系会社の多くは困ってしまう。「ワイロをいくら渡しました」などと本社への報告には書きにくい。つい延々と税務署の役人と「理論闘争」などやらされるハメになる。
インドネシアの企業はどうかというと、あまり「税金などマトモに払ってはいない」という風評である。サリム財閥などマトモに税金を払っていたらあれほど短期間で財をなすわけがない。スハルト時代には、一族企業やクローニー企業には税務署は強いことをいえなかった。後が怖いからだ。
普通の華人系企業もぬらりくらりとやって最後はツカミガネを役人に渡して決着をつける。だから、シンガポールでは「インドネシアで仕事をやる華僑で儲からないやつはよっぽどどうかしている」などと言われていた。
これではインドネシア政府はたまったものではない。そこで今回は脱税に対して「刑事罰強化」をはっきりと織り込むことにしたそうである。
しかし、インドネシア大学の税制専門家のムニール・アリ先生は「外資に対しては友好的な税制にすべきだ」と注文をつけている。日系企業などは可なりマトモに税金を払っているほうだ。そうしてもらわないと、インドネシアに投資をする外国企業は減ってしまう。
(www/thejakartapost.com 10月16日参照)
⇒納税者の数を増やす(05年10月17日)
国税局長によれば、納税者(所得税)の数を今年初めの約350万人から、05年10月末には増やし、さらに毎年200万人ずつ増やしていく目標だとのことである。
その方法として、税務署から所得や資産(家屋、自動車など)の多そうな個人に対し、「所得税支払いの登録」をさせるようにしているという。もし、登録を拒否するならば、所得が「課税水準以下」であることを自ら証明しなければならない。
(ジャカルト・ポスト 10月17日付けより)
131. 米国、引き続きインドネシアへの武器禁輸措置継続(05年11月5日)
⇒米国政府はインドネシアへの武器供与と軍事協力を推進(05年11月23日)
パプアのユフキモ(Yuhukomo)県でサツマイモの不作などにより、食糧危機が発生し、既に55名の餓死者がでており、他にも100名以上の住民が栄養失調、マアリアなどで重病に陥っているという。
この地域の住民は全部で5万5千人ほどいるといわれているが、山間部のため外部との連絡がとりにくく食糧不足の実態把握も十分になされていない。
先の、内閣改造で経済調整相から国民福祉調整相に替わったばかりの、アブリザール・バクリは「飢饉などという災害は発生していない」と 発言して早くも物議をかもしている。大金持ち(バクリー財閥)の3代目ともなるとさすがにいうことが違う。(これは日本でも同じようなもの)
とはいっても、現に餓死者が出ており、重病人も発生しているのだから、そのまま放置しておけば、パプアの反政府運動の火に油らを注ぐことになるのは明らかであり、軍用機やパプアに進出している例の非鉄金属のコングロマリット「Free Port」社などが航空機を動員して、物資の輸送に当たっているとのこと。
パプアの住民のリーダーは「地元政府が住民の生活を無視し続けたことが今回の飢饉問題の原因である」と指摘している。中央政府からの資金は多くはこれら地方の役人の懐に入ってしまい、住民のためには使われていないとして、役人の汚職を批判している。
ユドヨノ大統領は、アブリザールに緊急に援助を実行し、実態の調査をおこなうように指示しているが、アズリザールやその下のシティ・ファディラ・スパリ(Siti Falidah Supari)保健相は「ユフキモ県には飢饉の兆候は無く、55人が餓死したという証拠は無い」としてイヤイヤながら大統領命令に従っているという。(ジャカルタ・ポスト、インターネット版、12月2日参照)
インドネシアの場合は餓死にいたらなくても食糧不足は全国どこにでもあり、珍しいことではない。過去にもジャワ島内ですら餓死者が出たことがある。政府のエリートの目が基本的に「貧しい人々」には注がれていないのである。これは、程度 の差こそあれ「先進国」にも当てはまる。
133.次期国軍司令官に空軍の参謀長ジョコ・スヤントを指名(06年1月16日)
134. 電力料金の大幅値上げ(最大100%)を検討(06年1月20日)
インドネシア政府は電力公社(PLN)の赤字を回避するために、電力料金の大幅値上げ(最大100%)をせざるをえないとパスカ・スゼッタ(Paskah Suzzeta)経済企画庁長官が以下のように語った。
『もし値上げしなければPLNは政府からの補助金15兆ルピア(約1830億円)を別にしても、21兆5000億ルピア(2,620億円)の赤字が見込まれるという。
PLNは05年10月には29〜39%の値上げが必要だといっていたが、家庭用電力で450VA〜900VAの家庭では7%、1,300VA〜10,000VAの家庭では83〜90%の値上げを計画していた。産業用については目下試算中だが最大100%の値上げをすることになるであろう。
この数字の前提は原油価格が1バーレルあたり57ドル、1ドル=9,700ルピア(現在は9,500ルピア前後)である。これから最終案を策定するが、06年の3月までには正式な数字を発表する。』
これに対して国会では大騒ぎになり、第7委員会(エネルギー問題)のチャトゥール(Tjatur SaptoEdy)議員は2006年予算ではPLNへの補助金を17兆ルピアに増額することを前提に、電力j料金の値上げは平均23%にとどめるということであったではないかといきまいている。
また、450VAの小口電力消費家庭の値上げはおこなわないということであったという。
ファーミ・イドリス(Fahmi Idris)工業相はこの値上げは産業界にとっては大きな負担で、特に繊維産業は打撃が大きいと述べた。
インドネシア繊維工業会(API)のエルノビアン(Ernovian Gysmi)事務局長は05年10月の燃料値上げにより業界では77工場が閉鎖に追い込まれ、8,000人の従業員がレイオフされたと語った。
(参考)
2004年11月現在、ジェトロ調査のジャカルタの電力料金
@業務用;基本料金;27,000ルピア/kVA(200kVA以上)、比例費;434ルピア/1kwh(4円90銭)
A一般用;基本料金;34,260ルピア/KVA(6.6VA以上)、比例費;621ルピア/1kwh(7円60戦)
10,000ルピア≒122円
⇒年内は電力値上げはやらないーユスフ・カラ副大統領(06年3月18日)
ユスフ・カラ副大統領は3月17日(金)に年内は電力料金の値上げは行わないと述べた。政府はPLN(インドネシア電力庁)に対して、電力料金の補助金(10兆ルピア=約1,280億円)の追加支給が必要になる。
しかし、カラ副大統領はそれを全額政府が負担するとは明言していない。
また、カラ副大統領のはつげんはユドヨノ大統領が了承しているかどうか不明である。
インドネシア経営者協会のソフィヤン・ワナンディ(Sofjan Wanandi)会長は歓迎の意向を示している。ソフィヤンは経済が来年良くなれば民間企業もPLNの負担を分担することができると述べている。
また、インドネシア銀行当局は電力値上げを行わなければ、インフレ圧力が緩和され、12.75%の高金利が緩和されるであろうと述べている。どちらにせよ、原油価格が高い状態が続けば電力値上げは早晩行わざるを得ないことは自明である。
135. 東チモールでインドネシア軍は18万人殺害した?(06年1月21日)
136. インドネシアが中国製品の輸出中継基地に(06年4月7日)
137. 労働法の改悪に労働者が怒りのデモ(06年5月3日)
138. 汚職容疑の最高裁長官バギル・マナンが再任(06年5月9日)
139. メラピ火山の噴火に伴う地震で5,700名以上の死者(06年5月27日)
中部ジャワのメラピ火山は数週間前から噴火活動を続けているが、5月27日(土)の現地時間午前5時54分(日本時間とは2時間の時差)にジョクジャカルタ周辺でマグニチュード6.3(米国地質研究所)の強い地震があ った。(被害の状況から見てもっと強い地震であったようにも見える。)
震源地は古都ジャクジャカルタから25Kmほど南南西のバントゥール(Bantul)地区周辺とみられ、そこからジョクジャカルタ市の南にかけて家屋倒壊などにより少なくとも5,700人の死者が出た。 (時間の経過とともに死傷者の数は急増している)
ジョクジャカルタ市内でもホテルから宿泊客が飛び出して避難する騒ぎとなり、空港の滑走路にも亀裂が入り、飛行機の離着陸が一時停止されて おり、復旧は5月28日の日曜日以降になるという(5月29日再開)。
ジョクジャカルタ市内でも古いビル・家屋が倒壊したり、多くの地区で停電になり、市内は救急車のサイレンが鳴り止まず、市民の間にパニックが広がっているという。ジョクジャカルタにはガジャマダ大学などがあり、留学生や観光客も含め100人前後の日本人が滞在している可能性がある。
津波の心配はないとされているが、時間の経過とともに周辺の村落での被害の拡大が予想される。 ただし、被害が出ていない集落もあり、東北部のソロ市からは被害報告が出ておらず、ジョクジャカルタの市民数千人がソロ市に向かって避難しているという報道もある(Detik)。
地震の原因はメラピ火山の噴火による地殻の変動によるものと見られている。 メラピ火山からは地震と同時に山の西側に約3.5Kmにわたって火砕流が見られたと報じられている。
SBY大統領は被災地に「非常事態宣言」を出した。復旧には1兆2,000億ルピア(約145億円)を要するという見通しを出している。被災者には必要な医療のほかとりあえず1戸当たり米12〜60Kg,現金20万ルピア(2400円)〜100万ルピア(1万2000円)を支給することにしたという。
140. インドネシアの失業率は10%以上(06年6月3日)
141.急死した陸軍将官の自宅から大量の武器弾薬発見(06年7月3日)
⇒憲兵隊の調査結果ーあれは彼の趣味であった(06年8月10日)
142. Pangandaran海水浴場付近で地震と津波発生、死者659名を超す(06年7月21日)
インドネシアの西ジャワのパンガンダラン(Pangandaran)海水浴場(国立公園)の沖合い240Kmの海底で7月17日午後3時19分(日本時間午後5時19分)にマグニチュード7.7(当初は7.2と報道されていた)の大型地震が 発生し、2〜3メートルの津波が発生した。
7月21日(金)夜までに確認されている段階で659名の死者と多数の行方不明者(330名)が出ている。死亡した外国人のうちには日本人、ベルギー人、スウェーデン人が各1名が含まれるとジャカルタ・ポストは報じている(日本大使館は未確認の模様)。
目撃者の話ではパンガンダン付近の海岸沿いの住民の家々は津波で一掃されてしまい、かなりの数の小さなホテルも破壊されてしまったと言う。 遺体が立ち木から発見されており、津波の高さは3メーターを超えていたことも考えられるという。
また、海岸から500メーター離れた水田にも海水が流れ込んだといわれている。
インドネシア政府はこの地域に7日間の災害非常事態を宣言し、軍隊を派遣するなどして被害者の救出に当たっている。
パンガダランは西ジャワといってもかなり中部ジャワに近く、ジャカルタとジョクジャカルタの中間くらいの位置にあり、チラチャップ市(プルタミナの製油所がある)のやや西側である。 製油所の被害はなかったといわれている。チラチャップ市では死者89名と行方不明者49名と報告されている。
この地域の海岸沿いの村落からは死者と行方不明者が出ていることが刻々と報じられ、その数は時間を追って増えてきている。
パンガダランは付近は石灰岩質の山があり、海岸は白砂の浜が延々と続く風光明媚な海水浴場として知られる。
143. インドネシアの貧困層は3900万人、増加傾向(06年9月5日)
インドネシア中央統計局(BPS)の発表によれば、1ヶ月の収入が17ドル(約2000円)以下の収入しかない「貧困層」の数は3900万人に達すると発表した。
05年2月には3510万人(国民2億2000万人の16.0%)から06年3月には3900万人(人口の17.7%)と11.1%も増加したことになる。この数字はユドヨノ政権になってからのものであり、最近ユドヨノ政権への支持率の低下傾向の根拠の1つがこのへんにあることが明らかになった。
貧困層の63.41%は農村部にいるが残りは都市部にいる。
貧困層が急増した理由としては05年10月に実施された石油製品の大幅価格アップ(平均126%)であるが、コメの価格上昇も影響しているとBPSは説明している。
政府は15億ドルの生活補助金を1900万所帯(7600万インドネシア)に支給したとしている。しかし、これでは十分ではなかったということになってしまった。
また、別の調査ではインドネシア人のほぼ半数が貧困層ギリギリの生活状態にあるという。
これは異常に多い失業者に対する雇用政策が不十分で(対策の立てようもないのが実態)、都市にも農村にもロクな職にありつけない人々が余りに多いということを物語っている。
この問題の直接の責任者であるアブリザル・バクリ社会福祉調整相は自分のビジネスの拡大の方に熱中しているというもっぱらの評判である。ユスフ・カラ副大統領もバクリともども責任がある。
投資環境が悪いから外資がやってこないという彼らの言い訳は聞き飽きたが「ユドヨノ大統領が汚職退治に熱心すぎるから華僑資本家が逃げてしまう」というような世論作りはいかがなものであろうか?
また、日本人会などは今の「労働法」が労働者に有利に作られているから、それを改正(悪)しろなどというキャンペーンを一生懸命やっているらしい。
もちろん過度の保護政策は是正されるべきであろうが、外国人が余りにこういう問題について騒ぐのはインドネシア人の反発を招くことになりかねない。彼らは「労働法」のおかげで豊な暮らしをエンジョイしているようには見受けられない。
外国の企業家にとっては、「安心してビジネス」をやれる環境の整備が大切であって、税関や税務署の汚職はもちろん、今のカネで「判決が左右される裁判」などは一番困る問題である。
144. ラピンド事件;東ジャワで熱泥噴出事件、バクリーの企業が関与(06年9月6日)PartIIへ
⇒MEDCOが熱泥事件を国際調停裁判所に提訴(06年11月14日)
⇒熱泥現場付近のガス・パイプラインが爆発8名が死亡(06年11月23日)
⇒ラピンド社は3.8兆ルピアの弁償義務ありーSBY大統領曰く(06年12月29日)
⇒熱泥噴出孔にコンクリートの玉を投げ込む作戦実施中(07年3月23日)
145.インドネシアのアディダス・グループ3工場閉鎖1万8千人解雇か?(06年11月4日)
146. 韓国、盧武絃大統領インドネシア訪問、原発建設など話し合い(06年12月5日)
盧武絃大統領は3日間の滞在予定で12月3日(日)インドネシアに到着し、ユドヨノ大統領他との会談をおこなった。エネルギーと経済問題でのパートナーシップを強化する狙いだが、中部ジャワに2010年から着工される予定の原発建設に韓国は協力したいむねの提言をおこなった。
KEPCO(韓国発電公社)も出資の用意があるという意向表明をおこなったという。
また、SKグループはプルタミナのドマイ(Dumai)製油所の拡張計画(45%増の17万バーレル/日)にも協力する意向であると申し入れた。
中国の積極的なエネルギー確保の動きに、韓国も付いて行かざるをえず、これからもエネルギー経済外交はいっそう激しさを増すことは間違いない。
⇒インドネシア、韓国とエネルギー協力協定締結(07年7月27日)
ユソヨノ大統領は7月24日ソウルで盧武絃大統領と両国間のエネルギー協力協定に調印した。
同協定では2012年までに韓国側が大規模なエネルギー開発をおこなうというものであり、企業ベースでも14件の個別協定が両国大統領の立会いのもとに調印されたという。
そのなかで最大のものは東カリマンタンで55億ドルかけて「石炭液化」のプロジェクトを実施する。石炭液化技術は世界でも確立されたものは少なく、どういう方式で実行するかが注目される。
また、それ以外ではカリマンタンにおける石炭の鉄道輸送インフラ投資プロジェクトが調印された。調印の当事者はインドネシア側はPT Kereta Api(鉄道公社)、東カリマンタン州政府、PT. Nusantara Cipta Coal Investment (NCCI) 、韓国側はKenertec およびPOSCO Engineering & Constructionであり投資総額は20億ドルである。
現在、韓国系企業が1,200社インドネシアに存在し、50万人雇用しているという。多いのは電機機械、繊維(衣類)産業である。
また、これとは別にインドネシアの民間石油会社MEDCO(アリフィン・パニゴローの会社)は「韓国水力・原子力発電」の協力をえて原子力発電所を建設する計画の覚書に調印したという。
発電所の場所などは一切決まっておらず、これからの検討事項であるという。(Tempo、7月25日、インターネット版参照)
⇒POSCO,カリマンタンの鉄道敷設計画のFS開始(07年9月21日)
ジャカルタ・ポスト(9月21日、電子版)によるとPOSCO Engineering & ConstructionとKenertec(以上韓国側)とPT Kereta Api(鉄道公社)、PT. Nusantara Cipta Coal Investment (NCCI)は東カリマンタン州で石炭搬送のために計画していた350Kmの鉄道敷設のフィージビリティ・スタディを開始した。
現在、石炭はバージでバリクパパンまで搬送されているが、輸送能力が低く生産もあがらない。鉄道が完成すれば年間1,800万トンの輸送が可能となるという。建設費は22兆ルピア(≒20億ドル)が予定されているという。
2006年の日本工営と丸紅の調査レポートによればカリマンタンの石炭埋蔵が豊なマハカム(Mahakam)ルートが最適であろうとKAIの担当者ブディ・ノビアントロ氏は語っている。
もしフィージブルということになれば工事は2009年に開始され3〜4年後には完成するであろうとNCCIのマクブル(Makbul Sujudi)取締役は語った。
147.ジャカルタのモノレール・プロジェクトの融資に政府保証?(06年12月18日)
ジャカルタの交通混雑緩和の切り札として鳴り物入りで喧伝されてきた、モノレール建設プロジェクトは資金がつかないまま宙ぶらりんの格好になっていたが、このほど、ドバイ・イスラム銀行(Dubai Islamic Bank)が5億ドルの融資を付けることとなった。
しかし、ドバイ・イスラム銀行は万一プロジェクトが失敗して融資が回収できなかった場合は政府の保証を付けろと要求していた。
これに対し、ユスフ・カラ副大統領は政府融資に前向きであったが、スリ・ムルヤニ(Sri Mulyani Indrawati)財務相はインフラプロジェクトには政府保証をつけないという大統領令(No.67/2005)および財務相令(No.38/PMK/.01/2006)に違反するとして反対していた。
ところが、このプロジェクトの推進に熱心であるスティヨソ(Stiyoso)ジャカルタ知事が、このプロジェクトにはユドヨノ大統領が補償をつけることを了承したと発表し、強引に中央突破を図っている。
これに対し、ユドヨノ大統領が正式にどう反応するかがミモノだが、インドネシア国内では新たな反対論が沸き起こりつつある。
その一はこのモノレールは当初はジャカルタとブカシ、タンゲランを結ぶ総延長22.5Kmの計画であったが、縮小されてジャカルタの都心部だけを走るものとなった。これではジャカルタの交通緩和にはさほど貢献しない。
次に、このプロジェクト・オーナーが当初はマレーシア・クアラルンプールでモノレール会社を運営しているMTrans Malaysiaが出資するPT Indonesia Transit Central(ITC)であったが、いつの間にかITCが引っ込んでPT. Jakarta Monorail(JM)に替わってしまった。
このJMにはユスフからの一族のブカカ(Bukaka)グループが関与しているといわれている。また、このモノレール・プロジェクトはオープン・テンダーでないことも問題である。
いずれにせよユスフ・カラが絡んでくるとやけにキナ臭い話しになってくる。スティヨソ知事もかねてからよからぬ風評の絶えない人物である。
148. 国連安保理のミヤンマー決議案棄権でインドネシアへの批判高まる(07年1月17日)
国連安保理事会で米国が提出したミヤンマー決議案(アウンサンスーチー女史ら政治犯の全員釈放要求)に中国とロシアが拒否権を発動するという行動に出て1月12日に否決されたが、安保非常任理事国であるインドネシアがなんと「棄権票」を投じていたのである。
これにはASEAN内部からも強い批判が出ているばかりか、インドネシア国内でもインドネシア外務省の行動に対する不満が噴出しており、国会の中でもユドヨノ大統領や外務省に対する反発が強まっている。
ASEAN国会議員連盟が組織するAIPMC(ASEAN Inter-parliamentary Myanmar Caucus=ASEAN国会議員連盟ミヤンマー委員会)のジョコ ・スシロ(Djoko Susilo)委員長は自国のインドネシアがまさかこんな行動に出るとはつゆ知らず、完全に梯子を外された格好になってしまった。
インドネシア国会でも当然問題になり、マルズキ・ダルスマン(ゴルカル、元検事総長)といった人権派国会議員も これはインドネシアの名誉にかかわる大問題であると息巻いている。
インドネシアの国連大使が棄権票を投じるには本国の外務省の許可を貰っているはずであり、それがユドヨノ大統領の了解のもとにおこなわれたかどうかが問題である。
このときユドヨノ大統領はフィリピンにおり、留守番約のユスフ・カラ副大統領が決済した可能性も残されている。いずれこの件でユドヨノ大統領はインドネシア政府の立場を明らかにせざるをえなくなるであろう。
いずれにせよ、この件ではインドネシアはASEAN内部できわめてまずい立場に立たされることになってしまった。もともと、インドネシア外務省は保守的性格が強いといわれ、人権問題などで前抜向きの動きをしている様子はあまりみられない。
外務省は「安保理で政治犯釈放を決議するのは筋違いで、人権委員会でやるべきだった」などといっているが、苦しい言い訳にしか過ぎない。外務官僚などという超エリートは「人権問題」などには大して関心がない人物が多いのである。わが国の外務省はその点は違うと信じたい。
149.ユドヨノ大統領、CGI(インドネシア債権国会議)解散要求へ(07年1月27日)
ユドヨノ大統領はインドネシアの財政不足を国際的に支援するグループであるCGI (Consultative Group on Indonesia)=インドネシア債権国会議を2007年中に解散することでIMFや関係国に働きかけをおこなっていることを1月23日(火)に公表した。。
すでに経済的な安定を確立したインドネシアはもはやCGIといった国際的な資金援助機関は不要になったということでインドネシア訪問中のIMFのロドリゴ(Rodrigo de Rato)専務理事とも話し合いをおこなったと見られる。ただし、ロドリゴ専務はなにも聞いていないといっている。
これには日本などの大口債権国も同意しているという(真偽は不明)。最近CGIに加盟していない中国が巨額援助を申し出るなどインドネシアにとっては「都合の良い(?)」条件が出てきた。また主要な債権者は世銀、アジア開銀と日本である。
しかし40年以上の歴史もあり、インドネシア政府の意向だけでは簡単に解散できるかどうかは疑問が残る。
経済危機の最中に起こった1965年9月30日クーデタ^事件でスカルノ大統領が失脚し、スハルト将軍が政治的実権を握った直後、1996年9月にインドネシア援助国会議IGGI(Inter-Governmental Group on Indonesia)が米日英なごの主要国とIMF・世銀などが集まってインドネシア経済をどう建てなおしていくかという国際会議がもたれ、それがCGIという形で今日まで続いている。
インドネシア政府にとっては、多額の負債は残しているものの従来のように国家予算やプロジェクトの立案・推進にいたる主要議題をいちいちCGIの了解を取り付ける必要はなくなったと判断したものと考えられる。
インドネシア政府としては国有財産の売却や国債の発行などで必要な財政資金を捻出するほか、外国とは個々の協議で借り入れを決めて行きたいとしている。
しかし、汚職体質からの脱却がままならない現在、インドネシア政府が考えているような独自の外貨借り入れが簡単に出来るかどうか疑問が残る。