心臓が痛いくらい早鐘を打っている。耳は、つんざくようなブレーキ音が貼り付いて離れないのに、逆に痛いくらいに静かになった周囲の音を探している。
コンコンと、窓ガラスが叩かれた。畜生、と吐き捨てた言葉は声にならなかった。
街の明かりが届かない山中で、その姿はまるで亡霊のように闇に溶け込んでいて。けれど、呼吸の度に上下する胸が確かな息吹を表していた。
「驚いた?」
窓ガラスを開ければ、まるで子供のように無邪気に言うヒバリがいて。その姿をもう一度目に焼き付けて、ハンドルに盛大に倒れ込んだ。心臓が止まりそうだったとか、そんなのは見抜かれているだろう。うなだれていれば、助手席のドアを開けてヒバリが乗り込んできた。もう、好きにしてくれ。
「送ってってよ」
バイク壊れちゃった、なんて言い切るが、その状況でかすり傷ひとつないことが奇跡だとは思わないのか。思わないのだろうな。あの瞬間、ヘッドライトに照らされたヒバリと確かに目が合って、次の瞬間には待ち受けたように前輪を持ち上げたバイクが車を乗り越えて行ったのだから。
「……他に言うことはねぇのか」
「君こそ、僕に用があってストーカーみたいな真似したんじゃないの」
こんな山ん中でカーチェイスするストーカーがいてたまるか、と文句を言おうと顔を上げれば、へこんだボンネットが月明かりに照らされて見えた。
もう、ため息しか出てこない。それでも、ヒバリが無事なことに対する安堵が一番大きいのは自覚している。改めて、そうなんだと気付かされる。
「言いたいことが、あったんだよ」
隣に顔を向ければヒバリがいる。それだけのことなのに、まるで嘘のようだと思った。いや、嘘でもいい。ヒバリがいればそれでいいと思える。
「好きなんだ、ヒバリ」
きょとんとしている。意味がわかっていないのだろう。それもそうだ、俺だってついこの間までそんなことわかってもいなかったのだから。
中学生なのにバイクに乗って、さらにこんな危険なことをしても平気な顔をしていて、実は町内を牛耳る鬼の風紀委員長と呼ばれていて、そんなことを全部知っても、嫌いになるはずもなかった。最初に会ったときからはまっていた。でなければ、お願い事ひとつに五万も積んで、そんな関係を半年も続けるわけがない。
「……意味わかんない」
そうだろう。話さなきゃならないことは沢山ある。言葉を尽くしても通じるとも思えない。ただ、触れたくて仕方がなかった。
「すぐにわかんなくたっていい。けどな、これだけは聞いてくれ」
「っ!」
抱き寄せたのに、抵抗はなかった。狭い車内で体勢は苦しいし全然こんなもんじゃ足りないが、ヒバリの体温を感じて、鼓動を感じて、息づかいを感じられる距離にいることが何より嬉しかった。
「好きだ、ヒバリ。俺の人生で払える金額を全部払ったっていい。お前が欲しい」
腕の中でヒバリは動かない。返事を期待しているわけじゃないが、反応ぐらいしてくれたっていいだろうに。そのまま待っていれば、背中が叩かれた。二度三度と叩くからもしやと思って手を弛めれば、ヒバリは大きく息を吸って。
「苦しい」
「っと、悪ィ」
どうやら感情に任せて強く抱きしめすぎてしまったらしい。手を離して距離を開けるとどうも気まずくなって、シートに座り直す。
「……好きとか、そういうのわからないし」
ぽつりと、ヒバリが呟く。その声には困惑だろうか、はっきりしない響きがあった。意味がわからないというのは、きっとそのまま言葉の通りだろう。
「今はわからなくてもいい。ただ、誰の思惑でも誰かの都合でもなく、俺がヒバリを好きだってことがわかっていれば、それだけでいいんだ」
俺だって10代目に言われて初めて自覚したんだし、もしかしたらヒバリも、なんて期待はないわけじゃないがとにかく今はヒバリがここにいることだけが嬉しかった。