別に、彼のことなどそんなに考えているわけではなかった。ただほんの少し、気になっていただけで。
「恭弥、食欲ないなら他の店に行くか?」
「それより、赤ん坊のところに行くんじゃなかったの」
目の前に並ぶ不味そうな料理に興味すら持てなくて、テーブルについた肘に顎をついて、溜息をこぼした。イタリアンなんて好きじゃないと言ったのに、聞いていなかったというのだろうか。まぁ、どうでもいいけれど。
「食べ終わったら呼んでよね」
山のような料理が片付くのにどれくらい待たされるのだろうか。車に乗せられてすぐに連れて行かれると思っていた場所には着かなくて、こんなところで時間を取られるなんて。応接室の執務机に積まれた書類を思い出して、何度目か数えられない溜息が口をついた。時間は有限なのだと理解してもらうには国の風習の違いという問題を越えなければならなくて、そこに労力を注ぐ気になれるはずもなかった。
意識を目の前のもの以外に巡らせると、瞼の裏に浮かぶのはあの男の仕草とか、そんなものばかりで自分に呆れた。けれど仕方ない。ネクタイを解く指先や、手の骨の形、何気ないそれらがひどく目に焼き付いて、離れないのだ。その彼の手が、知らない人間を乗せた車でどんな風にハンドルを滑り、車を駆るのかと、想像にすぎないそれにやけに苛立つことを止められない。隠されていたわけでもないし、知りたいとも思ってもいなかったのに。
ぎり、と奥歯を噛みしめる。どうしようもなく意識しているのはきっと僕の方だけだ。鳴らない携帯も、会わない時間も。あのとき見かけた彼は、スーツを着ていたんだからきっと仕事中だろう。けれど、明らかに親しげに誰かと話していて、それは僕の見たことのない顔だった。
「恭弥、これうまいぜ?」
目の前に突き出されたアップルパイに、はっと思考を中断される。甘ったるい匂いに顔を顰めればすぐに取り下げられたけれど。もうデザートに行き着いていたらしい。時間は、どれぐらい経ったかはわからない。
「いつまで食べてるの、行かないなら僕は帰る」
「あ、待てよ!」
いらいらする。原因はわかっている。
あの男が、僕の前に現れたときから全ておかしくなっていたんだ。