猫耳注意報

 

 

 朝から機嫌良く10代目を迎えに行って、途中で野球バカと合流しちまったものの何事もなくここまできた。しかし、どうも校門前の雰囲気がおかしい。
 どうせ風紀の取り締まりがいるんだろう、と自分はともかく10代目に目をつけられないように足早に通り過ぎようとしたが、視界の端に入ったものを見逃すことには失敗した。

「何だそりゃあッ?!」

 学ランの集団の中、一定の間隔をおかれてそこにいる奴は、紛れもなく並中の風紀委員長雲雀恭弥その人だ。だが、その頭の上には見慣れない何か、猫耳のようなものが立っている。

「なに」

 どうりで登校している他の連中は頭を上げずにそそくさと通ってるわけだ。俺の叫びに反応して、雲雀の頭の上の耳らしきものがぴくんと動いたのは、気のせいだろうか。

「獄寺君、どうかした…なぁ?!」

 運の悪いことに俺の後ろから前方を覗いた10代目もそれを目撃されたようだ。ってことはやっぱり幻とか目の錯覚ってわけじゃねぇ!

「あはは、なんだそれ。ヒバリってそーゆーの似合うのなー」

 黙れ野球バカ!人がことを荒だてねぇように見ない振りを決めようとしたってのに!

「何、君達は行っていいよ」

「そーかよ」

 雲雀の態度はいつも通り、何の変化もない。気付いてないのか、俺たちが集団幻覚でも見てるのか。とにかくそう言われたらおとなしく去るのが得策だ。

「君は駄目だよ」

「…ッ何だよ!」

 通りすぎようとしたところで後ろ襟を摘まれ、首が絞まる。振りほどけばあっさりと手は離されたが、代わりに雲雀の視線に足を止められた。

「服装違反者は風紀委員の指導が入るから、そこで待機」

 雲雀の指差した場所は、風紀委員の連中のど真ん中。もちろん、まだ誰もそこにはいない。抜き打ちの検査に脅えて大抵の奴は服装を整えてから校門をくぐるせいだ。根性ねぇな。

「誰がてめぇの言うことなんて聞くか!」

 睨みつけようにも視界にちらつく猫耳もどきが気になって、思わず視線を外してしまう。だが俺はすぐにそれを後悔することになる。視線を外した先には、黒く滑らかな毛に覆われたまごうことなき猫尻尾が揺れていたからだ!

「な…」

「君のわがままは聞かないよ」

「危ない、獄寺君!!」

 尻尾に気を取られていたせいで反応が遅れ、気が付いたときには眼前にトンファーと雲雀の顔が近付いてきていた。

 

 

 

 

 多分、気を失った俺はさっき雲雀が指差した辺りに転がされていたんだろう。気が付いたときには雲雀に襟首を持たれて廊下の床を掃除するモップと化していた。

「おい!」

 もちろんそのまま素直に引きずられて廊下の美化に貢献するつもりはない。暴れだせば、すぐにその場に捨てられた。

「おとなしくしないと、咬み殺すよ」

 ぎらりと眼光を効かされても、その頭の上のもののせいで迫力は半減、いや逆に妙な威圧感はある。とにかく服をはたいて立ち上がり、正面から睨み返した。

「何の用だよ。人が動かねぇ隙に運びやがって」

 しかも引き摺って、と文句を加えようとしたが、下手に余計なことを言って事態が悪化するのは良くない、と俺にしては冷静に口を噤んだ。

「今日の違反者は君だけだから、僕がおしおきすることになったんだよ」

 おしおき、と言ったときの表情はまさに残酷な支配者のもので、それに合わせて耳や尻尾が機嫌良く揺らめく様は悪趣味な人間しか喜ばない絵面だと思う。それが雲雀だから、誰も何も言えないだけで。

「またかよ…今日はもう一発食らったから十分だっつーの」

 殴られた箇所はまだ痛むから、溜め息が口をつくのは仕方ない。

「君が言うこと聞かないからだよ」

 ほとんど応接室の前に来ていたらしい。雲雀の視線は、部屋に入るかどうか問いかけているようで、期待はしていないようにすぐ色を変える。

「おとなしくついてっても殴られるんだ、素直に従う馬鹿がいるかよ」

「わざわざ殴られる理由を増やす馬鹿ならいるね」

 何処から出すのか、いつのまにか雲雀の右手にはトンファーが握られていた。先刻は油断したが、こんな、猫耳もどきをつけたふざけた状態の雲雀に咬み殺されるなんて冗談じゃない。

「言うことを聞けば、手加減してあげるよ」

「いらねぇよ、そんなもん」

 懐に手を忍ばせて、煙草とライターを確認する。幸い抜き取られてはいないようだった。

「じゃあ、咬み殺してあげる」

 機嫌の良い黒猫が、肩に掛けた学ランを翻して迫る。間合いよりさらに半歩距離を置いて、俺はダイナマイトに火を点けた。体を引くと同時にそれをばら蒔き、後は雲雀が突っ込んでくるまでのほんの一瞬の間に身を守る術を考えるだけだ。

「――ッ!!」

 その一瞬を待つ間もなく、がつん、と喉元に衝撃が走る。速過ぎだろ、くそっ!

「終わり?」

 強かに後頭部をぶつけた俺の横に、導火線を切り飛ばされたダイナマイトが床に散らばり、からからと音を立てる。畜生、俺の頭が悪くなったらぜったいこいつのせいだ!

「っせ…」

 文句が言葉にならない。くらりと回る天井に、くらむ視界。
 まただ、と思うより早く、俺は意識を飛ばしていた。

 

 

 

 

「――ッ!」

 急に首筋に走った痛みに目を開けると、視界は誰かの肩に塞がれ、辛うじて見えるのは何処とも大差ない、けれど確実に学校のものである天井。背中にあるのは、座り慣れたソファだろう。

「ヒバリ」

 学ランを肩に掛けてる奴なんて、こいつしかいない。つまり、理由は分からないが雲雀が俺の首に歯を立てているらしい。この手のことは初めてじゃないが、やたら痛く感じるのはどういうことか。

「っ…て…」

 がじがじと、甘噛みを通り越した噛み方に思わず身をよじると、ようやく雲雀は口を離す。

「おとなしくして」

「なんなんだよ、一体」

 その口癖の表す通り、噛み癖があるのは知ってる。それにしたって様子がおかしい気がした。

「…歯が、うずくんだ」

 ぽつりと呟かれ、辛うじて聞き取れたことに自分の聴覚の良さに感謝した。

「何かおかしいのか?」

 その、頭と尻にある物体以外にも変なことが起きてることは十分考えられる。本人に自覚があるかは知らないが。

「…口、開けろよ」

「ん」

 頬に手をやれば、雲雀は案外素直に従った。俺は歯に詳しいわけでもないが、見てわかる範囲の変かがあるかもしれない。

「うわ…」

 舌を覗かせる雲雀の口の中に目をやれば、なるほど先刻の痛みの原因が分かった。上下に4本、丁度犬歯のところが妙に鋭く、牙らしき形に尖っている。

「おめー牙生えてんぞ」

 手を離して雲雀が口を閉じれば、外見上はいつも通りに見えた。

「犬歯でしょ」

「ちげぇよ、いつもより痛ぇんだって」

 首を押さえた手には、しっかりと血が付いてきた。

「ふぅん」

「ふぅんじゃねぇだろ!大体、その耳だの尻尾だのもわけわかんねーし…」

 気付いていないわけはないだろうが、本人が気にしてるわけでもなさそうだから黙っていたが、やはりおかしいもんはおかしい。またシャマルに妙な病気にでもされたのかと思っちまうくらいに。

「朝起きたらついてたよ」

「変だとか思わなかったのかよ!」

「思ったけど、取れないし。今日は朝早かったから仕方ないよ」

「仕方ねぇで済ますなッ!」

 あーもう、と頭を掻きむしりたくなる衝動を抑えて、その苛立ちの原因である雲雀を睨み付けた。こいつは、悪い意味でのマイペースの見本みたいな奴だと思う。

 それにしても、と改めてその頭上に鎮座する三角のものを見てみると、雲雀の髪と同じ漆黒で、耳の内側はほんのりと赤い。ともすれば違和感なく受け入れられてしまうかもしれないと思うほどには、それは雲雀の姿にあつらえたようにぴったりだった。

 触ってみたくなるのは当然というか必然だ。

 伸ばした手は、払われなかった。