中学生獄寺+10年後雲雀 空白の13日間捏造
小さき君の、傷と罠。
side:H
「髪、ちょっと伸びたか?」
「君もね」
ベッドに転がる君は、傷の具合が良くなり始めてからは、退屈だと暴れて、その度に僕の手によってベッドに沈められていた。
暫く前に君にひどくされた前髪は少しだけ伸びて、ようやく額を隠すに到り。元通りになるまで顔を見せないと言い渡した本人には会えないけれど、きっと君はこうなることを10年前に知っていたんだろう。
「…ムカつく」
珍しく人の髪を弄りたがった君。自分の髪はいつも切っていると聞いていたから安心していたのに、変なところで緊張して不器用になる癖を忘れていた。
「だから、悪ィっつってんじゃねぇか…10年先取りで謝ってんだからもういいだろ!」
「全然反省してない。どうせ今謝ったって10年後には僕の前髪を切るんだ」
「しょうがねぇだろ、事故なんだって!」
こんな言い争いで未来が変えられるわけじゃないことは知ってる。君が言い訳した通り、タイムパラドックスとか何だか知らないけど、発生した事象を捻じ曲げるには相当大きな力が必要なんだ。
今、君に言って君が未来で僕の前髪を切らないとして、そうしたら僕に未来で前髪を切らないように言われていない君が発生する。そうしたら結局僕の前髪は切られるのだろうし、堂々巡りだ。
面倒なことを考えるのは僕の趣味じゃない。忘れてしまおう。
「しかし、邪魔になってきたな」
括っちまうか、と呟く君を気にせず、中途半端に長くなった銀色の毛先に触れる。
「これくらいでも僕は構わないよ」
「俺が構うんだっつぅの!…そろそろ修行しねぇと、10代目の足手まといになっちまう」
真剣に前を見つめる目は嫌いじゃない。翠の色を湛えた瞳は、今も濁り一つない。
「ふぅん」
「ゴムかなんか持ってねぇかな、女子」
「それ、僕に取りに行けっていうの」
放っといたら怪我を押してでも体を動かそうとするから、今の彼は病室から出ないよう赤ん坊から言い渡されている。我儘な仔犬が僕に頼み事をするのはこのところ良くあるけど、必要以上に群れる女子のところに行かされるのはごめんだ。
「いや、もうすぐ飯だから、そんときにでも頼めばいいだろ」
「…なら、いいけど」
指先に髪を絡め、感触に浸る。癖があるようで柔らかい髪は、何度梳いても素直に指を通した。
「なんだよ、くすぐったいだろ」
そう言いながらも君は抵抗もせず、僕にされるがままだ。地肌に触れるほど指を差し込んで掻き上げれば、照れたように目を閉じる。
「失礼しまーす!ごはん持ってきましたぁー」
ドアの外から掛けられた声に、君が固まる。僕は構わず返事を返した。
「入れば」
「ちょ、待…っ!」
「今日はオムライスでー…はひ?!」
緑中の女子は、食事を乗せたトレイを持ったままその場に立ち尽くす。仕方なく僕は彼の髪から手を離し、立ち上がってトレイを受け取りに行く。
「なんだかデンジャラスな感じです…」
「何、用が済んだらさっさと行ったら?咬み殺すよ」
トレイを手から取り上げてもその場から動かない彼女に、睨みを効かせる。けたたましい女子は苦手だからね。
「はひぃっ!お邪魔しましたー!」
「あぁ、そうだ」
ドアが閉まるのを足で止めて、女子の後ろ襟を摘む。
「なな、なんですかー?!」
「髪を留めるものを、後で持ってきてくれる」
彼が言わないから、僕がわざわざ頼むことになってしまう。まぁ、貸しは全て体で払って貰うからいいけど。
「わ、わかりましたぁ!じゃあ、食器下げるときに持ってきますね?」
手を離すと、一目散に走って行く。廊下を走るなんて、1点減点だね。
「お…お前なぁ!」
「自分で食べられるでしょ、さっさと食べなよ」
位置を合わせた食事用テーブルにトレイを置き、横になったままの彼を引き起こして背中にクッションをあてる。もう彼は自分で動けるようになっているはずなのに、食事の度に行っている動作が癖になっていた。
「もうちょっと周り気にしろよな…」
「文句言ってると咬み殺すよ」
「うぐ…」
スプーンで掬われて、運ばれていくその先を見つめる。彼の右手は、左と違って生活に支障のある怪我はなかった。もっとも、右手の方が動かなくても、彼は平気な顔で左手を使うだろう。
「食ってるとこ、じっと見んな。飯が不味くなる」
「何を食べても文句言うくせに、そういうこと言うんだ」
君の動作を目を細めて見てしまうのは仕方ない。触れることが許されない絵画や彫刻のように、失われるとわかっているものを記憶に留めておきたいなら見ているしかないのだから。
「…それとこれとはちげーだろ」
子供っぽい、というよりは子供らしい仕草が、可愛らしいと思う。昔はただの年下の生意気な奴だと思っていたのが、年を経るとこうも違って見えるのか不思議だった。
「いいんだ、僕は見たいから見てる」
「……勝手にしろよ」
お互い、触れ方を探っているように距離がある。君は気付いていないかもしれないけれど、いつも動揺は顔に出ていた。
「言われなくても」
君の姿は成長の兆しが見えるけれど、まだ上背が伸び始めただけで大人の骨格にはほど遠い。腕の中にすっかり君が収まってしまったときは僕ですら不本意ながら動揺した。
「栄養つけないとね」
「おめーにだけは言われたくねぇ」
オムライスを頬ばって、一生懸命食べている様がおかしい。まるで何かの小動物のようだ。
「ついてる」
「――ッ」
唇の端についた欠片を舐め取るだけで、真っ赤になる顔。慌てて逸らすのも相変わらず。そんな反応をされると余計何かしたくなるんだけど、君は気付いてないね。
時折邪魔そうに髪を掻き上げようとして、包帯に包まれた左手では巧くいかなくて苛立つ仕草も、頬に掛かる髪が落とす影も、君は変わらないというのに、僕が遠い過去に忘れてきてしまったものを思い出させるようで。
「…お前は食わねぇのかよ」
空になった皿にスプーンを投げて、つまらなそうにこちらを向く。
「そんな得体の知れないもの食べないよ」
「な…ッ!人に食わせておいて変なこと言うな!」
「僕はいらない」
文句を言う割にちゃんと食べてるんだから、これくらいの意地悪はしてあげる。
「…そんなんだから細っこいんだぜ」
「君には言われたくないよ」
「いででで!!」
頬をつねり上げれば、すぐ涙目になって。僕より小さいくせに生意気なんだよ、君は。
「ってー…」
君が赤くなった頬を擦っている間に、トレイとテーブルを片付ける。そうしてまた沈黙が訪れた。
分厚い空気の幕が邪魔しているように、不快でない静寂は終わりがない。君が緊張しているのが伝わってきて、自然と笑みが零れた。
「…なんだよ」
「別に」
焦れた君の声も聞いていたくて意地悪はやめられない。
「何でもねぇなら、にやにやしてんな」
「意味がないとは言ってない」
頬に手を伸ばすと、不自然なほどに竦みあがる。そんなに警戒されるほどにはいじめたつもりはないんだけどね。
「じゃあ、何だよ」
顔を寄せると、眉を寄せて見上げてくる。睨みをきかせているつもりだろうけど、虚勢は僕には効かない。
「さぁね」
キスをする直前まで近付いて、君が目を閉じるのを確認する。そういえば、君が過去の姿になってからは僕から求めてばかりいる。不公平だけど、君には今の僕にどうにかできるほどの度胸も余裕はないだろうから、仕方ないかな。
食後だから、そっと触れるだけのキスで済ませば、君はまだ固く目を閉じている。その仕草がまるで続きを期待しているみたいだと気付いていないようだから、もう一度だけ口付けて、そっと髪を撫でた。