隼人くんの誕生日 完結編
玄関のドアの向こうで、聞こえる足音。それだけで君とわかるのもどうかと思うけれど、君の足音は僕に言わせればわかりやすいものだから。
ごそごそと鍵を探している音がする間にドアを開ければ、驚いた顔に出会った。
「な…!ヒバリ?!」
まだいるとは思っていなかったのだろう反応に、自分の笑みが深くなるのが分かる。
「帰ったと思ったの」
落としそうになった包みを取り上げて上がるように促せば、素直に後ろにはついてくるけれど、物言いたげな表情に変わりはなかった。
「…明かり、消えてたし」
「そうだろうね」
プレゼントの入っているだろう包みをソファに投げ出して振り返れば、やはり目に入るのは眉間の皺。
「大事に扱えよ!」
「僕はいらない」
おめーのじゃねーだろ!と騒ぐ君の頬に手を伸ばす。仄赤いと思ったけれど、少し熱いようだ。
「君、お酒飲んだの」
「う…」
図星を突かれて黙るのは仕方ない、けれど、言い訳くらいはしてもいいんだけど。
「少し浮かれすぎじゃないの」
手を離して、溜め息を吐いた。あぁ、アルコールの匂いが癇に障る。
「シャマルが持ってきたんだよ、祝い事にはシャンパンだって…」
呂律が回ってないわけでもないし、脚もしゃんとしているからそんなには飲んではいないんだろう。けれど、判断力は落ちているようだ。僕の機嫌を察することも出来ていない。
「そう、じゃあ君も帰ってきたことだし、僕は帰るよ」
「え…おい、ヒバリ?」
別に君が帰ってくるのを待っていたわけでもない。明日は学校だし、朝には服装検査で校門前に立たなければいけない。早く帰って寝てしまいたい。
「じゃあね」
「…ッ待てよ!!」
背を向けようとすれば、思いのほか強い力で腕を掴まれる。俯いているせいで、君の表情は伺えなかった。
「何」
僕に縋る君の右手には、今日贈った銀色の指輪。祝い事なんて、僕には向いていなかった。軽く後悔に飲まれようとした頃に、ようやく君が口を開いた。
「……泊まってけよ」
それだけ、と聞き返す前に、腕の痛みに言葉が止まる。ぎりぎりと、強い力で引き留めようというのか、弱まる気配も無い。
「痛い」
「っ…悪ィ」
僕の言葉に弾かれたように手を引いて、体を離す。何て顔をしてるの、君。
「僕は明日早いんだけど」
「…おう」
断られると思ってるのなら、誘わなければ良いのに。
「起こしてくれるの」
「!…任せろ!」
仔犬が尻尾を振っているようにしか見えないね。けれど、今日くらいはそれに絆されてあげてもいいよ。あと3時間もしないで今日は終わるんだから。
「…で、10代目が出し物をなさる時にあのアホ牛が…」
僕は聞いてもいないし、聞きたいとも思っていないけれど、君は余程楽しかったらしい。ソファの隣で、今日の様子を大げさな身振り手振りを交えて話すものだから、時折腕が当たりそうになる。
「それでこんなに傷だらけなんだ」
触ってみれば、後頭部に瘤まである。
「仕方ねーだろ、暇だったからとか言ってイタリアからへなちょこ野郎まで来やがって、来た早々俺を巻き込んで転びやがったし…」
「ふぅん」
聞けば聞くほど話に出てくる人数は増えていく。確か一度訪れた彼のボスの部屋は相当狭かったようだけれど、そんなところで群れていたんだろうか。聞いただけで咬み殺したくなってくるんだけど。
酒も大分回ってきているようだし、このまま放っておいたら全部の出来事を事細かに聞かされそうだ。記憶力が無駄に良いことはわかったけど、もう限界。
「お風呂、入ってきたら」
「ん…そうだな。もうこんな時間か」
時計が指しているのは11時前。プレゼントを全部広げて騒いだり、どうでもいい話をする彼に付き合っていただけでこんな時間か、あらためて溜め息が出る。
「ヒバリは」
「もう入った」
君が帰ってくる直前にね、と言えば納得したようなしていないような表情で睨まれる。風呂に入っている間に居間の明かりを消していたのを、君がいないと勘違いしただけなのに、何故僕が睨まれないといけないんだろうね。
「…入ってくる」
何も言えずに立ち上がる君の足元は少し怪しいけれど、これくらいなら大丈夫だろうと見送る。どうせ彼はいつも烏の行水だし、世話を焼くほどのことも無い。そう思いつつも、本を開いても頭の片隅はそちらの物音を気にしている。年下にしてもやたら頼りない彼のせいだろう、今更溜め息も出ない。
がたん、と大きな音がしたのに対する反応は早かった。傍らに本を置きながら立ち上がり、やや大股に風呂場に向かう。
「……何してるの」
曇りガラスのドアを開けた先には、足元に濡れた銀の髪。白い体は洗い場の床に投げ出され、ぶつけたらしい頭を手で擦っている。
「こけた?」
自分の状況も良く分かっていないのか、そのまま首を傾げて見上げられた。今度こそ、盛大な溜め息が口をついた。
「いいから、座って」
脇に手をやって無理矢理体を起こさせ、床に座らせる。ぐったりと体重を預けられて、服が濡れる感触に眉が寄った。
「なんだよ」
目が醒めるように、頭から冷水のシャワーを掛けてやる。これ以上の面倒は正直ごめんだ。
「つめ、てぇ…ッ!何すんだてめぇ!!」
「うるさいよ」
シャワーノズルを取り上げようとする手を避けるうちに、僕まですっかり濡れてしまった。苛立ちを目の前の君に、冷水のシャワーとして浴びせる。
「寒いだろうが!!」
ほろ酔いでご機嫌だったであろう君の気分は最悪になったようで、僕を一生懸命に睨みつけてくる。頃合いかな、と手を下ろせば、シャワーノズルを持った手ごと引き寄せられた。
「何」
「おめーも入ってけ」
むすっとした表情の中に、別な感情が見え隠れしているのは明らかで。諦めたように僕も服を脱ぎ捨てた。
「下心でもあるの」
「!……ない、とは言わねぇ」
わかりやすい。僕は苦笑も隠さず、湯船に浸かる。
「笑ってんな」
自分が入ってからそのままにしておいた温い湯に浸かりながら、君の体を洗う様子を眺めていた。順番に洗ってはいるようだけれど、いちいち大雑把で、無駄に手早い。髪を洗う時も、泡立ったと思ったらすぐに流している。
「もう少し丁寧に洗えば」
「やってんだろ」
心外な、という顔をされる僕の方が心外だ。綺麗好き、というわけでもないのは普段の生活ぶりを見ればわかるが、別に僕が特別丁寧に洗っているわけでもないと思う。
「子供みたい」
「誰が子供だ!」
「君以外誰がいるの」
文句を言えばすぐ噛み付いてくるところも、全部子供らしいと思うし、彼らしい所ではある。けれど、髪を掻き上げる仕草や、ふとした視線に妙な色気があることも確かだった。
「どーせ年下のままだよ、悪ィか」
これからも、僕の方が先に歳を取り、君の誕生日はそれよりも後。そんなことを気にしていたとは知らなかったけど、そういうことを気にするから余計に子供っぽいと言われるって気付いていないあたりはどうなの。
「悪くないよ。それより」
手を伸ばして、髪に触れる。視線が合うと、罰が悪そうに逸らすけど、僕はそうしてはあげない。
「朝の約束は覚えてるの」
ぎくり、と固まったのが伝わってきて分かる。どうせ碌なことしか考えていないのはわかるから、僕の加虐心が目を覚ます。
「……覚えてる、けど」
「考えてないの」
「うるせぇ、内緒だ」
そう返すんだ。ずるい手段に逃げるのは構わないけど、余計に追い詰めたくなるよ。
「ふぅん、言えないことなんだ」
頬を引き寄せて顔を向かせても、まだ視線は合わない。シャワーで温まった体と同じように、顔も熱くなっているくせに。
「…うるせぇ」
言い訳できなくなったときの、君の口癖。それを引き出すだけでも楽しいけれど、僕はまだ満足しない。
「じゃあ聞かない」
「え…」
僕が引くと、逆に驚いて視線が向く。手を離した僕は、そのまま湯船に浸かり直した。
「なんだよ」
相手をしなければ、拗ねるくせに。扱いやすい君は、つくづく僕の玩具だね。