番犬
PM5:00
「今日、家にきなよ」
放課後、何するわけでもなく応接室で煙草を吸っていると、突然そう言われた。
「…どういう風の吹き回しだ?」
自分のテリトリーに誰かが入ってくるのは嫌うから、雲雀にこんな風に誘われる日が来るとは思ってもいなかった。
「最近少し騒がしくてね…番犬の代わりだよ」
「お前なぁ…」
余りにも雲雀らしい言い方に溜め息が出るが、こんな機会は滅多にないだろう。
「わかった、一緒に帰りゃいいのか?」
「好きにして」
そういえば、ここのところ雲雀が屋上でも応接室でも、眠そうに欠伸をしているところを見ていたし、良く寝てもいた。自分の部屋でゆっくり寝てないんだろうか。
しかし、誰かが騒いでいてうるさければ自分で咬み殺しているだろうに、番犬が必要な事態とはどういうことか。
「晩飯はどうするんだ」
行って、その後どうするつもりなのかはわからないが、買っていくならポケットの中の小銭と相談しないとならない。
「用意するよ」
「マジか?悪ぃな」
どうせだから、甘えてしまおう。期待してるってわけでもねぇけど、興味はある。雲雀の私生活が覗ける機会なんてそうそうはないだろう。
「コンビニにもあるよね、ドッグフード」
「目がマジだぜ、お前…」
冗談にしても笑えない。
「君にあげる餌だよ」
「…お前と一緒の飯にしてくれ」
やはり、本気か。このままじゃ本当に犬の餌を与えられかねない。ここは頭を下げてでもなんとかしてもらわねば。
「わかったよ。我儘はこれで最後だからね」
それ以上言ったら咬み殺す、とでも軽く言いそうな雰囲気で、雲雀から会話を切った。俺はほっと胸を撫で下ろすものの、今日はこんな状況で、命がいくつあれば足りるんだろうかとまた溜め息が零れた。
PM5:30
雲雀に不似合いな商店街を二人で歩いて、いくつか食材を買い込んでいた。歩いてる間も買い物してる間も周囲の視線が気になって俺は居心地が悪かったが、流石というかなんというか雲雀は全く気にしていないようで、しっかり値引きしてもらったりまでしていた。
雲雀の姿は、遠目から見るとただの学生のはずなのに、その雰囲気のせいか、風紀の腕章のせいか、妙に悪目立ちする。良く言えば目を惹くとでも言えばいいのか。
「なぁ、お前いつもここで買い物してんのか?」
一応食わせて貰う身として荷物を持って歩きつつ、少し前を行く雲雀に声を掛ける。
「時々」
詳しく答える気はないようだが、返事があっただけましだとは思う。しかし、似合わないにもほどがある。こうして街中を一緒に歩いてるだけでも変な感じはするし、雲雀の日常なんて想像できない。唯一垣間見たのは料理の腕くらいで、それは決して悪い出来ではなかった。
そのまま、黙って歩く雲雀の後をついていく。学校から結構歩いた気がするが、まだだろうか。
「そういや、バイクで登校してねぇのか?」
ふと浮かんだ疑問が口に出た。確か、細い体に不似合いな大型バイクで10代目の家の前に乗り付けたことがあったはずだ。
「急いでないからね」
あっさりとした返事。まぁ今のところはバイクで通うほどの距離にも感じないし、おかしくはないが。
いつの間にかマンションの敷地内に入ったようで、ただの静かな住宅街とは一線を画した景色になっていた。躊躇いも無く進む足についていくと、オートロックの玄関を開け、エレベーターに乗りこむ。
――げ、最上階かよ。
白い指がパネルを操作し、一番上のボタンを押した。どうやら普通の住人は最上階にすら立ち入れないらしい。
「ここだよ」
開かれたドアの向こうを覗くと、やけに殺風景に見える。
「…邪魔するぜ」
靴を脱ぐ雲雀の後について上がるが、覗いた印象とは変わらなかった。
「人のこと言えねーんじゃねぇか…」
俺の部屋を何もないと言い放って、けれど居心地が悪そうではなかったのはそういうことか。ただ、モノトーンに覆われた部屋は、人の生活する温度というものがないようだった。
「で、俺は何すりゃいいんだ?」
部屋の中も、外の気配も変わったところはない。
「別に。その辺にいて」
「いてって言われてもなぁ…」
悪い気はしないが、することもなさそうだ。仕方なく雲雀の様子を見ていると、何かを持って部屋を出るようで、思わず追って声を掛けた。
「おい、どこ行くんだ」
「屋上」
目で追っている内に背中が遠くなる。俺は慌てて立ち上がった。
「待てよ!俺も行く」
立ち止まった背中に追い付き、一歩後でドアをくぐる。廊下をエレベーターとは反対に向かうと階段があって、ひとつ昇るだけで屋上に出る扉があった。それを開け放つ背中を、目が追っていく。
気付いた時にはドアが閉まりかけていて、慌ててドアノブに手を掛けた。
「何しにきたんだ…?」
顔を覗かせると、向こうの方に雲雀の姿が見える。
「おい」
声を掛けて近付いてみれば、そこらに何かを撒いているようで。
「……鳥のエサ?!」
ここらの鳥を餌付けしてどうしようというのか。確かに学校の屋上で丸い鳥を頭に乗せて昼寝しているところも見るが、そもそも、あの校歌を歌う鳥がこいつに懐いてるということ自体信じられなかった。
「戻るよ」
「…もういいのか?」
見れば、近くの電線や屋上の端の柵の上から、ちらほら鳥がこちらの様子を伺っている。
「鳥が食べに来そうもないからね」
「俺がいると鳥が逃げるってぇのかよ」
腕を引かれるままに付いていくが、雲雀の言い方に納得がいかねぇ。
「そうだよ」
まぁ、否定はできねぇが。
「…ちっ」
舌打ちして、腕を振りほどいた。雲雀は気にした様子もなく部屋の中に消えていく。そのまま入る気にもなれず、ドアに背を預けて煙草に火を点けた。どうせ中で吸わせてもらえるわけもないし、余計な期待と鬱屈した気分を煙と共に吐き出してしまいたかった。
「なんなんだよ…」
雲雀が俺を連れてきた理由も、自分がついてきたわけもわからなかった。ただ、雲雀の住む場所に立ち入れる、その期待だけはあった。深い意味なんてあるわけがない。俺も、あいつだって。
「おっと…」
零れそうな灰を落とし、懐を探る。携帯灰皿なんてものは持ってないし、代わりになりそうなものもなかった。
「しゃーねぇな」
ドアを開けて中を覗く。雲雀の姿は見えない。仕方なく煙草を銜えたまま中に入る。
空き缶か何か、灰皿がわりになりそうなものを探してみるが、台所を覗いても見当たらない。
「何してるの」
「――ッ!」
いきなり背後から声を掛けられ、煙草を落としそうになるが辛うじて堪えた。やたら綺麗なフローリングに焦げ跡を残したら命はないだろう。
「灰皿がわりになるもんねぇかと思ってよ」
「…そう」
横をすり抜けた雲雀が冷蔵庫を開け、冷えた缶コーヒーを取り出す。何をするかと思えば、プルタブを引いてコップに中身を移しているようだった。
「ほら」
「悪ぃな」
差し出された缶を受け取り、中に灰を落とす。煙草を銜え直すと、コーヒーの注がれたコップを押し付けられる。
「片付けておいて」
それだけ言って、換気扇のスイッチを入れて雲雀は部屋に戻る。一応怒られはしなかったが、不機嫌そうには見えた。
「…なんなんだ?」
とりあえずコップを置き、短くなった煙草を揉み消す。残り香が消えるまではここにいるしかないだろう。