「おい!」
シャワーから上がって見た光景に、俺は思わず声を上げた。
ソファに座っている雲雀は濡れた髪のままで、肩に落ちていた雫は背中まで濡れ広がっていた。「なに」
手にしていた本から不快そうに顔を上げる雲雀に、後ろから自分のバスタオルを被せる。
「風邪引くぞ、馬鹿!」
わしわしと拭いてやると、見えないはずの位置から正確に頭を叩いてきた。
「痛い」
「…悪ぃ」
優しい拭き方に変えれば、それ以上の抵抗はなかった。
自分のことに頓着がないのはわかるが、こいつはいつもこんなことをしているのだろうか。「なぁ、服着替えろよ。冷たいだろ」
「……いい。帰るから」
雲雀の言葉に、髪を拭いていた手が止まる。
「帰んなよ」
何かを期待していたわけじゃない。それでも、このままで終わるのは嫌だ。
「引き留める理由はあるの」
「ねぇよ」
タオルごと、濡れた雲雀を抱き締める。自分と同じシャンプーの匂いが、不思議な感じがした。
「そう」
抵抗するわけでもなく、嫌がりもしないで、雲雀はそのまま動かない。どうしたのかと思えば、読んでいた本のページを細い指が捲っていた。
部屋の何処に置いてあったかも覚えていない洋書を何処から見付けたのか、やけに真剣に読んでいるようだった。「ヒバリ」
呼び掛けても返事がない。代わりに洗濯機のブザーが遠く聞こえた。仕方なく腕を解き、雲雀から離れる。
洗濯機から出した服を雲雀の隣に置いても、反応はなかった。「コンビニ行ってくるけど何かいるか?」
今度は小さく首を横に振っているようだった。俺は苦笑と溜め息をついて、小銭をポケットに放り込んだ。
side:H
「なに、これ」
「晩飯だよ。好きなの選べ」
取り上げられた本の代わりに目の前に並べられたのは、カップ麺とコンビニのおにぎりとサンドイッチとお弁当。
「いつもこんなの食べてるの」
特にお腹は空いてはいないけれど、空いていたとしても食欲が失せそうだった。
「悪ぃかよ」
飲み物はこれな、と袋から出してきたのは、缶コーヒーとペットボトルの炭酸飲料。
「…いらない」
煙草といい、体に悪そうなものを好んで摂取しているのかもしれない。僕はごめんだ。
「なんだよ、いらねーのかよ…」
拗ねたって、僕が態度を変える必要もない。我儘を聞いてここにいてやるだけでは満足しないのか。これ以上構うのは止めて、傍らに避けられた本を再び手に取った。
全編英語で書かれたその本はなかなかに興味深い内容で、何故こんな本がこの部屋にあるのか不思議なくらいだった。おかげで退屈もせずここにいられる。
「美味しいの、それ」
ふと浮かんだ疑問を口に出すと、喉に詰まらせたようでそれを珈琲で流し込んでいた。
「げほ…ッ何だよ、いきなり」
「別に」
つまらなそうに食べていたから、それだけ。
「まぁまぁだな、新製品だし」
「もう少しまともなものを食べないと、味覚が崩壊するよ」
ただ、手遅れかもしれないとは思う。
「ま、おめーの口には合わねぇかもな。でもよ、もっと食えないものを知ってると、こういうのも悪かねぇぜ」
「そう」
それを聞いたところでどうということはなかった。ただ、呆れる要素が増えただけで。
「そっちこそ、普段何食ってんだよ」
想像できねぇ、と言われても、君の考える僕の姿なんて知らない。
「教えない」
「料理とかするのか?」
僕の言ったことを聞いた上で尋ねてくるなら、大した根性だね。
「別に」
それでも、答える必要なんてない。何を聞き出そうと言うのか、それとも意味はない戯れ事か。
「お前がエプロン着けて台所に立ってたら笑えるよな」
その無邪気な言い方が余計質悪い。
「…文句あるの」
「え?あぁ?」
箸を取り落とすくらい動揺するのなら、迂濶なことは言わなければいいのにね。
「僕が、料理したらおかしいんでしょ」
顔を赤くしたり青くしたり、忙しい奴。
「いや、おかしくはねぇよ!俺は料理とかやったことねぇから想像つかないっつーか似合わないっつーか…」
仕込みトンファーでそれ以上は喋らないように黙らせる。倒れた拍子に辺りが散らかったけど気にしない。
「帰る」
「――ッ待てよ!」
立ち上がったところで手首を掴まれ、無様に転がった君を見下ろす。
「なに」
「…泊まってけよ」
次第に強くなる力が意思を物語っているようで不愉快で、その腕を振りほどいた。
「僕に何のメリットがあるの、それ」
「ねぇよ、そんなの」
まっすぐ見上げてくる目は、まるで犬だ。
「これ以上僕の機嫌を損ねたら、即座に咬み殺すからね」
「!…あぁ」
途端に笑顔になる単純な顔を一蹴して、僕はソファに身を預けた。
「じゃあ、そこ片付けたら僕の言うもの買ってきて、10分以内に」
あぁ、僕も甘くなったものだ。
side:G
「結局、するんだね」
「うるせえ」
ベッドに押し付けた細い体は特に抵抗もなく、呆れた視線を投げ掛けられるだけだった。
もう大分夜も更け、雲雀は自分で作ったパスタを食べて、片付けたらまた本を読んで。俺はその間はすることがないからダイナマイトの手入れとか、その辺りのことをしていた、その後。
ベッドに入った雲雀を追って、俺もそのまま隣に入り込んだ。密着したり触れたりしてるうちにその気になって、今に至る。「君は、それしかないの?」
「仕方ねぇだろ」
自ら罠に落ちるかのように、逃れられないのだ。雲雀恭弥そのものから。
「仕方ないね」
首に腕を回され、心臓が跳ねる。感じる雲雀の匂いは自分と似ていて、不思議な感覚が残る。
「なぁ」
髪に顔を寄せ、柔らかさを味わう。自分と違う髪質に触れるのは結構好きだった。
「俺と同じ匂いだな」
改めて言われると不服なのか、表情に出ている。
「借りたからね。でも、あれよりはずっといいよ」
「お前駄目なもん多すぎなんだよ」
キスをしても、表情は和らがない。甘いものがない関係は、お互い都合が良かった。
「無頓着なくせに、君も大概わがままだと思うよ」
返されるバードキスを受け、苦笑が浮かぶ。
「てめぇだけはには言われたくねぇな。並盛一のわがまま委員長様」
「何それ、馬鹿にしてるの?」
雲雀にくしゃりと掴まれた髪は、いつものようにセットはしていない。乱れるのも気にせず、そのまま口付けた。
「事実だろ」
深く口を塞ぎ、それ以上は何も言わない。代わりに舌を絡め、言葉よりも雄弁に今の気持ちを伝えた。
応えるように雲雀の指が髪を撫で、深い口付けを交わす。その間にシャツのボタンを手探りで外し、肌を露にさせてゆく。「ソファよりは広くていいね」
唇の隙間から雲雀が囁いた。誘うような響きに、悪戯心が芽生える。
「じゃあ、いつもと違うことするか」
体を離し、雲雀をぐいとうつ伏せにさせた。すぐに意図を察したのか、雲雀はシャツから腕を抜いてそのまま横になる。
「違うって、これだけ?」
馬鹿にしたような笑みに見くびられていると感じて、うなじに噛みついてやる。
「――ッ」
びくりと、細い体がしなる。雲雀の弱いところは一応把握してきているが、まだ全部ではない。いつも色々試して、隠された弱点を探していた。
「後悔すんなよ…」
白い肌に良く映える、紅い痕を残していく。うなじにだけでなく、肩甲骨の側や、背骨に沿っても。大体皮膚の薄いところは弱いようで、小さく息を飲む音や、シーツに絡む指がそれを物語っていた。
「僕は、後悔なんてしないよ」
自由に、したいままに生きている雲雀ならそうだろう。けれど、そこに小さな跡を残したい。
憎しみや、狂気でも。