携帯を取り出し、短縮に登録された番号を画面で確認する。通話ボタンを押して、耳に近付けた。

 今頃は向こうであの着うたが流れてるかと思うと、妙におかしい。

『なに』

 しばらくして、呼び出し音の代わりに無機的に変換された声が耳に届いた。

「シャンプーだけどよ、まだ入荷してないらしいからまた明日探しに行くからな」

 着信画面で俺の名前は確認してるだろうから、用件だけを手短に伝える。

『……そう、いいよ』

「悪いな」

『別に。…君の使ってるの、何処のなの』

 唐突な問いに一瞬回答に戸惑うが、何とか思い出してメーカーと銘柄を伝えられた。

「お前は、何処のだよ」

『僕は…』

 次いで耳にした高級っぽそうな名前に、何となく納得した。こいつは安物とか似合わないだろうなとは思う。

『他に用がないなら切るよ』

 了解を取らずぷつりと途切れた電話に、苦笑が洩れる。不機嫌さを隠さない声に、あいつの表情が自然と思い浮かべられた。

「しょーがねぇな」

 わがままな姫様に振り回される従者のように、側にいるためには仕方ない。

 

 

 

 

 今日も雲雀は放課後の応接室で、書類に囲まれた優雅な時を過ごしている。

「お仕事っつーのも大変だな」

 ドアを開けて声を掛けると、珍しくこっちに目を向けてきた。

「やぁ、何の用?」

「用はねーよ、ただの冷やかし」

 後ろ手にドアを閉めて、追い出されないのを確認する。

「今、授業中でしょ。どうしたの」

「サボってきた。教室じゃ昼寝もろくにできねーしな」

 ソファに腰かけて、鉛筆の音を聞く。

「用がないなら帰ったら?僕の目の前で寝たら、殺すよ」

「寝ねーよ」

 こっちを見てないせいかもしれないが、煙草の箱を出しても怒られなかったからそのまま一本銜えて火を点けた。心なしか雲雀の表情が険しくなった気もするが、気付かない振りをする。

 煙草が短くなるまでの時間。それは短いようで長く、沈黙が逆に痛い。雲雀は書類に向かったままで、積まれている量からみるとそれは当分終わらなさそうだ。
 声を掛けようとも思えず、時折灰皿に灰を落としながら雲雀の様子を窺う。どうやら俺のことは無視すると決めているのか、視線を向けてくることもない。
 短くなった煙草を揉み消し、二本目を取り出そうとしたところで、ようやく雲雀が顔を上げた。

「ねぇ」

「…なんだよ」

「それ、持っていってよ」

 視線で指された先を見ると、この部屋に不似合いなビニール袋がひとつ。

「これか?」

 覗いてみれば、見覚えのあるボトルがあった。

「おい、わざわざ買ってきたのか?」

「面倒だったから、風紀委員に買ってきてもらったよ」

 雲雀の視線はまた書類に戻っている。

「まさか委員会の活動費から出したわけじゃねぇよな?」

「違うよ」

 かといって雲雀が払うとは思えない。ということは哀れな風紀委員のポケットマネーで買われたものだろう。

「まぁ…ありがとよ」

 とりあえず貰えるらしいものは貰っておこう。しかし、これも雲雀の気まぐれか?
 ふと、悪戯心が沸き上がる。

「お前も同じの使ってみるか?」

 シャンプーボトルの入った袋を持ち上げながら言えば、雲雀は鉛筆を止めてこちらに目を向けると、嫌そうに眉をしかめた。

「いい。君みたいな髪型になったら嫌だし」

「俺はセットしてんだよ!」

 本気かどうかはわからないが、雲雀が冗談を言うわけもないから本当にそう思われていたんだろうか。たまにこいつの思考は読めない。

「…ま、無理にとは言わねーけどな」

 これから雲雀を泊めることがあるかどうかわからないが、雲雀の愛用のシャンプーを備え付けるかどうか、俺はこっそり不純な悩みに頭を使うことにした。

 

 

 

 

 10代目を送り届けた帰り道、遠くから微かに人の悲鳴のようなものが聞こえた。被さるように響く容赦無い打撃の音は、何処か聞き覚えがある。

「まさかな」

 いつもの道を外れて曲がれば、そこには公園がある。茂みの向こう、一人立つ人影は紛れもなく。

「…ヒバリ、こんなとこで何してんだ?」

「別に用はないよ」

 近付けば足元には何人もの被害者が転がっている。ようするに、たまたま群れてた奴がいたから咬み殺したってだけか。
 しかし、返り血を浴びて佇むこいつを綺麗だと思ってしまった俺は、相当ヤバい。

「君、何か用なの」

 トンファーに付着した血を振り払い、雲雀の視線がこちらを向く。

「俺は10代目をお送りした帰りに、お前が暴れてる予感がしたから様子を見に来ただけだ」

「ふぅん」

 袖口で顔を無造作に拭って、そのまま何処かへ歩いて行こうとした雲雀を、咄嗟に腕を掴んで引き留めた。

「何」

「俺の家、寄ってけよ」

 ここから近ぇから、と付け加えると、雲雀は僅かな逡巡の後、溜め息を吐いた。

「…いいよ」

 血の匂いが酷く鼻につく。本人も多少は気にしているんだろうか。

「よし、こっちだ」

 一度は来たはずの家だが、その時とは道が違う。一歩前に立ち、後ろの気配を確かめながらゆっくりと歩き始めた。

 

 

 

 

「シャワー、使えよ」

 昼間受け取ったボトルを袋ごと押し付け、脱衣所に押し込む。雲雀は何も言わなかったが、問題はないと受け取っておく。

「洗濯するなら好きにしろ」

 ドアの外から声を掛けて、その場を離れる。少なくともバスタオルは置いてあるから十分だとは思いながらも、つい気になって耳をそばだててしまう。
 しばらくすると、洗濯機が回る音がし始める。流石に帰り血で汚れていた制服は気になったのか。

「…てことは、だ」

 乾燥が終わるまでシャワーから上がってこないわけでもないだろう。仕方ない、余り着ていない服の中でできるだけシンプルなものと、新品の下着を持っていってみる。

「着替え、ここ置いとくからな」

 一応声を掛けるが、シャワーを使っているから聞こえないかもしれない。と、曇りガラスの向こうに見える影が近付いた。

「なに」

 躊躇いもなくドアを開けて、雲雀が顔を出す。

「…だから、服。着るなら着ろよって」

 濡れた髪、上気した頬、白い肌から思わず目を反らした。聞こえなかったから開けたんだろうが、こいつは…

「そう」

 湯気だけを残して閉じたドアに視線を戻し、しばし呆然としてしまった。直視しなかったせいでよく覚えていない、さっきの姿が目に焼き付いて残っている。

「やべーな…」

 そんなにないはずだった下心が起き出しそうだ。とりあえずはこの場を離れて落ち着こう。

 

 

 

 

「シャワー、借りたよ」

 俺の服を着た湯上がりの雲雀がそこにいる。濡れた髪からは肩に雫が落ち、ゆるく留められた襟元から覗く肌も、しっとりと湿気を含んでいた。

 が、よくあるパターンとは違って、俺が着ると余裕あるはずの服の裾はギリギリで、見るからに丈が足りない。こんなところで身長が負けてることが響いてくるとは思わなかったが、表情には出さないよう繕いながら冷蔵庫を開けた。

「水、飲むだろ」

 差し出したミネラルウォーターのペットボトルを受け取って、雲雀が冷蔵庫を軽く覗く。

「…なんだよ」

「何もないね」

 それだけをぽつりと呟いて、興味なさげに水を口にした。

「悪ぃかよ」

 これでも飲み物と、ゼリー飲料とで必要最低限のものは入っているつもりだ。

「別に」

 責めるわけでもなく、見たままのことを言っただけだろうが、それが勘に触る。

「次、君だよ」

「ん?」

 振り返ると、シャワーの方を視線で示される。

「あぁ…」

 早く行ってこいと無言で言われているようで、まだ気にしていたのかと苦笑が浮かぶ。

「頭、ちゃんと乾かせよ」

 洗濯が終わったら帰るのだろうか。
 考えても仕方ない。とにかく、シャワーを浴びて髪を洗ってしまおう。