白い肌

 

 

side:G

 夕暮れに染まる応接室のソファの上で、パリッとのりの効いたシャツのボタンをひとつずつ外していく。本当は脱がすのも億劫で、ボタンなど引き千切ってしまいたいくらいだが、薄氷の微笑みを浮かべた雲雀に手酷く怒られることを思えば、それくらいの手間は惜しめなかった。

 ようやくボタンを外し終えたものの、腕を抜いて脱がせてやる余裕もなく、その薄い胸に指を滑らせる。まだ愛撫とも言えないそれが擽ったかったのか微かに身じろいだようだが、表情は変わらず涼しげに俺を睨んでいる。
 じっと見られていると流石に恥ずかしい気もするけれど、構ってはいられない。鎖骨の浮き出るそこに、唇を落とした。

「―――ッ!」

 ぐい、と、初めて雲雀が抵抗らしい仕草を見せた。いきなり押し離された俺は、わけもわからず雲雀を見つめ返した。ここまで黙ってされておいて、今更嫌ってのはなしだぜ?

「…外しなよ」

 首に細い腕が回されたかと思えば、ごく小さな声が耳元で囁く。それはただの呟きだったかも知れないが、秘めたような響きに、非常にぞくぞくした。

「…へ?」

 いくらか遅れて言われたことが頭に入り、間抜けな声が出た。何が、と聞き返す前に、鎖の擦れる金属的な音に納得する。

「悪ぃ、邪魔だったか」

 癖のように身に付けている装身具に細い指が絡んで金具を外している。雲雀は気付いていないかも知れないが、肌蹴たシャツが色っぽい。誘われるように抱き寄せたくなるが、邪魔をすれば怒られそうなので、しない。
 テーブルの端に、ちゃらりと鎖を置いて、雲雀が一息ついた。その乾いた音に気付いて、不可思議な行動に合点がいった。

「冷たかったか?」

 妙な笑みが顔に浮かぶ。それを悟られまいと声を取り繕うが、雲雀の視線は横を向いていた。

「…別に」

 聞いたって認めるわきゃないのはわかっていたから、その返答に余計可愛さが胸を突く。

「邪魔なだけ」

 ぽつりと言葉を続け、今度は俺の左手を取る。指輪をひとつづつ外しながら、俺には視線を向けない。
 すっかり軽くなった手で、雲雀の手を捕まえ、指を絡めた。

「何」

 そのまま、引き寄せて口付ける。まるで恋人同士のような仕草だが、俺たちの関係はそんな甘いものじゃなかった。何より、あの雲雀が付き合うとかそういう概念すら理解しているとは思えない。けれど、触れ合ったまま合わせられる瞳は冷たい色なのに真っ直ぐで、勘違いしそうになる。

「ヒバリ…」

 名前を呼ぶと、長い睫がふと揺らぐ。ふい、と反らされた瞳はどういう意味か。

「…何」

 喉の奥で殺したような声は、普段のこいつでは発しないだろう。いつもは、不機嫌な呟きか、馬鹿にしたような囁きで。それでもまた欲情すると言ったなら、口をきいて貰えなくなるのは確かだった。代わりに、互いの口を塞ぐ行為で誤魔化すことにする。

「ん…」

 躊躇いなく舌を絡め返され、時折浮かぶ疑念がまた頭をよぎる。しかし、それを確認することも、考えることすらいつものように放棄した。

 

 

 

 

 日が沈み、薄暗い部屋は肌寒い。衣服を整えた雲雀の肩に上着を掛け、そのままうとうとと眠りに落ちそうな細い体を抱き締めていた。
 寒いのは苦手なのか、最近は事が済んでも応接室から追い出されることは減っていた。落ち着いて帰る時間になるまでは、こうして暖めることになる。

「なぁ」

 完全に眠りの淵に落ちる前に、呼び戻すように声を掛ける。

「……なに」

 遅かったかと溜め息を吐こうとした頃、とろんと寝惚けたような声で、辛うじて返事が得られた。

「帰んねぇのかよ」

 問いは無難な言葉に替え。

「もう少し…人がいなくなったらね」

 雲雀が人目を気にするとは思えないから、何か他の理由だろうか。窺い知れないまま、肩に乗る頭を撫でた。
 人とここまで触れ合った記憶はない。どんなことであれ、今まで本音をぶつけられるような相手はいなかった。それが、わけもわからず体ばかり重ねて、触れ合っていく。
 こいつは、どうだったのか。何度も喉元に上がってきては、飲み込んだ疑問符。否定も肯定もされないかもしれないが、そんなことを問うこともできず奥歯を噛み締めた。

 雲雀の肩から力が抜け、微かに寝息らしき音が聞こえる。昼間も良く昼寝をしているくせに、まだ眠いのだろうか。

「寝るなよ…」

 呟きに、小さな声で「ねてない」と返事があるが、これじゃあまるで寝言だ。

「起きねぇと、俺の部屋に連れてっちまうぞ」

 送り届けるにしても、意識がない相手の家に勝手に上がり込むわけにもいかない。それならば、何もない自分の部屋でもここで寝るよりはましだろう。

「いいよ」

 小さな声は、けれども俺の耳に届いた。体を離し表情を見てもすっかり寝顔のそれで、確かに言ったかはわからなかった。

「文句言うなよ」

 鞄を背負い、細い体を抱き上げようと背中に手を掛けると、首に腕が回される。

「…ヒバリ?」

「落とさないでね」

 密着した耳元に囁かれると、自然に背筋に力が入る。

「当然だろ」

 ぐっと持ち上げれば案外軽く、これならいけるかと安堵する。それが甘かったと認識するのはすぐ後のことだったが。