関係各国


イタリア

「ゼーレーヴェ作戦」が1940年9月に開始されたとします。

この時イタリア軍は9月13日 北アフリカ : 10月28日 ギリシャ に侵攻しております。

どちらも、兵力的には上でしたが、英軍及びギリシャ軍に敗退しておりました。
仮に北アフリカ、ギリシャの戦闘がイタリア軍が額面通りの戦闘力を発揮していたら
イギリスにとって地中海、スエズ運河での覇権が脅かされる事態になっていたと思います。

しかし、ここではイタリアには史実通り 「ヘタリア」でいて貰いましょう(笑)
あんまりドイツにハンデあげすぎると面白くないですよね。




フランス

この時点ですでに降伏しているので、影響力が少なさそうですが
未だ健在の「フランス海軍」の動向について

ドイツに対して降伏を拒んだ「フランス海軍」の大部分はアルジェリアの「メルセルケビール港」

集結しておりました。
イギリスはこの艦隊に対してイギリス側に参加するように呼びかけたが拒否されたので

1940年7月3日 「カタパルト作戦」を発動しこの艦隊を撃破してしまいました。

もしこのフランス海軍が枢軸軍に参加していたらどうなったでしょうか?

戦艦7隻+空母1隻を主力とする大艦隊が地中海でイタリア海軍と共に大暴れしたら・・・
イギリスにとって悪夢としか言いようの無い事態になるでしょう

スエズ〜ジブラルタル経由での地中海航路での海上輸送は困難になり
中近東 アジアには喜望峰廻りでの航路で迂回する事になりそうです。

うーん、やっぱり事実を捻じ曲げすぎはよくないので「フランス海軍」にも大人しくしていてもらい
ましょう。
 


インド

英連邦の中でもイギリス本土が危なくなるとこの国はどうなるでしょう?

私が思うに独立運動が活発になって、場合によっては「イギリス軍」による統治を強化する事に
なるのでは
そして少なからず各戦線に投入されている「インド軍」の士気にも影響があるのではないでしょ
うか?

さらに英国憎しの感情が激化すれば、反動的に親日勢力が生まれ
ビルマルートでの「援蒋ルート」が遮断される可能性も・・・

そうすれば日中戦線でかなりの影響があるのでは?と考えられると思います。

この辺を考慮すると収拾が着かなくなりそうなので、可能性があるとだけ



ソビエト連邦

1940年 9月の段階では対独戦は まずありえないでしょう。
ドイツもソ連との同盟を模索していた段階でしたから。

ヒトラーが対ソ戦を決意したのは、1940年11月12,13日に行われた
「リッペントロープ 独外相」主催の「モロトフ ソ連外相」との会談の後でした

「ヒトラー」、「リッべントロープ」と「モロトフ」の会談は
日独伊3国同盟もソ連を参加するように説得する為の物でした

その中で「リッべントロープ」は3国同盟が対ソ戦を意識した物ではないとし
3国同盟に参加してソ連には「インド・イラン」方面に進出してはどうかと勧めました。

しかし「モロトフ」は「リッべントロープ」を無視し「ヒトラー」に喰ってかかりました
「ヒトラー」はおそらく“彼の持ちうる最大の忍耐”を発揮し「モロトフ」の言い分を聞きました。

モロトフは「ドイツはフィンランドやバルカン半島での影響力を持とうとする事」に対しての苦情

仮にソ連が三国同盟に参加して「四国同盟」が成立した時のソ連の地位や
バルカン半島の利権、黒海周辺での利権 etc...

一日目はかろうじてヒトラーの忍耐は保たれて、終了
二日目はヒトラーはモロトフをイギリス征服後のイギリス植民地の分配などおいしい話で説得
し、
更にソ連の領土的野心をヨーロッパ以外に向けようとしたが、失敗!

最後には不機嫌になって会談を打ち切る始末。

ソ連ははじめから「四国同盟」に興味が無かったのでしょう。

もう一つ 対独戦がありえない理由はソ連の準備不足が上げられるでしょう

当時ソ連は国境に148個師団配備しておりましたが(ドイツは123個師団)
スターリンの大粛清により大幅に弱体化しておりました。 

戦争で殺された人よりスターリンに殺された人の方が多かったのでは!?

スターリン自身軍の弱体化(フィンランドもマトモに制圧出来ない位)を認識しており
軍の再編には1942年までかかる予定でした。


このような事から、ドイツが仕掛けない限り1942年までは独ソ戦は無い物と思われます。

「英国制圧」が終わるまでヒトラーが短気を起こさない様に祈りましょ



アメリカ合衆国

今回の「英国防衛」作戦の鍵を握るのはやはりアメリカでしょう!

イギリスがドイツに占領されるとどうなるか・・・
アメリカの欧州における最大の友好国が無くなる、又は親独政権が樹立すると
欧州でのアメリカの発言力、影響力、利権が大幅に低下する事に!!
仮にドイツと友好条約を結んでも「イギリス」ほど信用できる相手ではないし。

更にアジアでは「インド」「ビルマ」「シンガポール」「香港」等が地権者が飛んだ
「破産地所化」していまい、小生意気な日本がそこをに進出してくる恐れもある。

事実フランス降伏後に「仏領ベトナム」に進出していることだし・・・

そんな事になればアジアの利権まで失ってしまう!!!

アメリカとしては如何なる手を使っても「英国防衛」をしなくてはなりません。
たとえ汚い手であっても・・・


国民世論が反戦ムード!? そんなの些細な事!
その気になれば「世論操作」なんてお手の物!!
ただ今回は時間があまり無いようです・・・


短期間で世論を操作するのはナカナカ厳しいので
"いつもの手"を使います

いつもの手とは・・・

古くは「アラモの砦」、この時代では「真珠湾」、最近では「9.11」です。

ドイツを如何に罠に掛けるか・・・
日本とはマダ交渉中だし・・・もっと強行姿勢に出るかぁ!!
イタリアを嵌めるという手もあるぞ!!

問題はドイツの英国上陸(1940年9月)からどれ位イギリスは持ちこたえられるか
私的には3,4ヶ月って所だと思います。

ってことは1941年1月までに参戦しなければ!
とりあえずじゃんじゃん武器を渡すからなんとか持ちこたえてくれ〜






ついでに日本

本来ならば書くことは山ほど有るでしょうが、インド絡みの事だけにします。

日本の思惑として「イギリス最大の植民地」である「インド」が独立すると
イギリスは戦争所では無くなるだろうと考えられていた様です。

「ゼーレーヴェ作戦」時はまだ「イギリス」と戦争状態ではないが、
「インド」独立支援は「日本」にとって対英米外交の切り札的存在になるのではないかと思いま
す。

ただし英米との関係は最悪になるでしょうが・・・

史実では1941年にインド独立の志士「チャンドラ・ボーズ」氏が支援を求めドイツに亡命してお

後日1943年「日本」に援助を求めやって来ました。

因みに「ボーズ」氏の最期は・・・
日本が降伏し、援助を「ソ連」に求めようと飛行機で「ソ連」に向かうが事故に遭い重態に!!
最後に「インド風カレー」を食べてから絶命したいう・・・(ホントかなぁ〜)



しかし、今回は「インド」独立支援まで行かず、不安定な情勢という設定にしておきます。


あんまり、いじくり過ぎると架空戦記物の小説みたいになってしまいますからね。

続く・・・ 



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幻のアシカ作戦


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