欧米から見た朝鮮 − 別バージョンの検討


 ここでは欧米から見た朝鮮と同じように、李朝末期の朝鮮を訪れた外国人の記録を紹介している日本語以外のサイトや書籍を検討する。


外国人の目に映った100年前の朝鮮、朝鮮人
(http://guno.pe.kr/html/03classdata/classdata7_3.htm)

 明徳外国語高等学校の박건호教諭が編纂・公開している『国史授業資料集』の一章。小見出しはないが、どうやら外貌と性格(1〜6)、社会的腐敗・怠惰(7〜10)、音楽(11〜13)、活発さ(14,15)、トラ(16,17)、宗教(18,19)、飲酒(20)、オンドル(21,22)、体力(23,24)、衛生(25)、洗濯(26,27)、その他(28〜33)といった構成になっているらしい。朝鮮に否定的な文も採用されているが、やはり肯定的な評価に偏っている。引用文献の原典は以下の通り。

Mark N. Trollope, The Church in Corea, 1915. [1]
Ernst J. Oppert, Ein Verschlossenes Land: Reisen nach Korea, 1886. [2,7,13,18]
Isabella L. Bird, Korea and Her Neighbours, 1898. [3,5,8,10,17,20,26,28,31,32]
A. Henry Savage-Landor, Corea or Cho-sen: The Land of the Morning Calm, 1898. [4]
Alexander Williamson, Journeys in North China, Manchuria, and Eastern Mongolia, with Some Account of Corea, 1898. [6]
Jack London,
日露戦争時の見聞 [9]
Charles Dallet, Histoire l'Eglise de Corée, 1886. [11,14]
Jean Baptiste Du Halde, Description géographique, historique, chronologique, politique et physique de l'empire de la Chine et de la Tartarie Chinoise, 1735. [12]
Horace N. Allen, Things Korean, 1908. [15,16,22,25,27]
William E. Griffis, Corea: the Hermit Nation, 1908. [21]
William Äson Grebst, I Korea. Meinen och studier från "Morgonstillhetens land," 1912. [23]
George N. Curzon, Problems of the Far East: Japan-Korea-China, 2nd ed, 1894. [24]
Graphic, 1877, 1888. [29,30]
Nym Wales, Song of Ariran, 1941. [33]

 イザベラ・バード『朝鮮紀行』、シャルル・ダレ『朝鮮事情』、アーソン・グレブスト『悲劇の朝鮮』、ニム・ウェイルズ『アリランの歌』には日本語訳がある。ジャック・ロンドンは「野生の呼び声」等で有名な小説家だが、日露戦争時に従軍記者として活動し、そのときの見聞をまとめた本が韓国で出版されている。最も多く引用されているのはイザベラ・バードの朝鮮紀行 (Korea and Her Neighbors) だが、次の箇所は明らかな誤訳である。原文および日本語訳と対比して示す。なお、この박건호教諭のページを平凡社東洋文庫の朴尚得訳と勘違いする馬鹿がいたので、以下では常に朴尚得訳と時岡啓子訳を併記することにした。

韓国人の日常的表現は、当惑を感じさせるほど活気に満ちている。[5]
The usual expression is cheerful, with a dash of puzzlement.
表情は通常、ちょっと理解できないところがあるが、陽気である。(朴尚得訳)
一般に表情はにこやかで、当惑が若干混じる。(時岡啓子訳)

韓国では女性たちすべてが最下層階級の一員だと断言できる。[28]
I have mentioned the women of the lower classes, who wash clothes and draw water in the daytime.
下層階級の女性に就いて述べてきた。日中着物を洗い、水を汲む。(朴尚得訳)
昼間水をくんだり洗濯したりする下層階級の女性については、前に少し触れた。(時岡啓子訳)

 某翻訳掲示板で韓国人がよくアップロードしていたが、番号を残したままアップロードするため、どの項目が削除されたかバレバレである。やはり #7, #8, #9, #24, #25, #28 のような否定的な評価が削除されることが多かった。以下では「参考」の部分を除外して訳出した。


1. マーク・トロロープはその著書 (The Church in Corea, 1915) で韓国人の印象を語りながら、日本人より肩の上に頭ひとつほど大きく、健康でハンサムだとした。特にカトリック教徒が信仰のために殉教する忠実さを賛揚している。また祖国のため日帝に抵抗し挙兵する等、勇気ある民族だとしている。

2. 正確で素早い運動では朝鮮人は日本人より強い自立心と自由な動作を見せており、大きさと強さにおいて中国人と同等で日本人よりは優越である。国民の良い特徴と質的優越性を比較すると、朝鮮が中国に比べ断然優位である。(エルンスト・オッペルト『朝鮮紀行』)

3. 韓国人は斬新な印象を与えた。彼らは中国人とも日本人とも似ておらず、その両民族よりずっと美貌である。韓国人の体格は日本人よりずっと良い。……韓国人は非常に明敏で聡明である。韓国人たちはスコットランドで言うところの「言葉の意味を聞き分ける聡明さ」に相当に恵まれている。外国人教師たちはもっぱら口をそろえて、韓国人たちの熟達し機敏な認知能力と、外国語を素早く習得する卓越した才能、さらには中国人や日本人より韓国人がずっと良い抑揚でより流暢に話すという事実を証言する。(イサベラ・バード・ビショップ『韓国とその近隣諸国』)

4. 全体的に見るとき、韓国人は美貌の民族である。韓国人の顔は楕円形で、正面から見ると大体に長いが、横顔は若干凹型である。鼻が両眉間で若干平たく、鼻の穴が広いためである。(A・ヘンリー・サヴェジランダー『朝鮮−静かなる朝の国』)

5. 韓国人の日常的表現は、当惑を感じさせるほど活気に満ちている。顔つきは最も美しい人を基準に見て、力や意志の強靭さよりは鋭い知性を表す。韓国人は確実に美しい種族である。体格も良い方である。成人男子の平均身長は163.4pである。女子の平均身長は確認できないが、世界中で最も醜悪な衣服のためその欠点が誇張され、女子の姿はずんぐりして平べったい。男子は力がきわめて強く、荷役人夫に45sの荷は普通である。家族生活は大家族制で、道徳的に至極健康である。(イザベラ・バード・ビショップ)

6. 朝鮮人は大変な知的能力があり、鋭利で探求力があるだけではなく、決断力を備えた誇るに値する民族。朝鮮は偉大な可能性の国。(アレクサンダー・ウィリアムスン『北中国・満州・東蒙古・朝鮮紀行』)

7. 官吏たちは短い任期の間に道・郡等の安寧に対してほとんど無関心である反面、無理にでも税金を取り上げることに熱中する。誰もがその地位に上がれば、広範囲で迅速な搾取を通じて自分の腹を満たそうとする。(エルンスト・オッペルト)

8. 官衙内には韓国の生命力をむさぼる寄生虫どもがうじゃうじゃいた。そこにはチロル帽子をかぶり、青色が勝った粗雑な綿織の制服を着た軍人と捕卒たち、文筆家たち、不正官吏たち、常に仕事中であるかのように仮装する伝令たちがおり、多くの小さな部屋にはさらに多くの人々が集まり、座り込んで文房具を横に置き、長い煙管でタバコを吸っていた。……韓国の官吏たちは、生きている民衆の血を吸う吸血鬼である。(イザベラ・バード・ビショップ)

9. 韓国人は繊細な容貌を持っている。しかし重要なものが欠けており、それは力である。より雄々しい人種と比較して見ると、韓国人は気概がなく女性的である。かつては勇猛を誇ったが、数世紀にわたる執権層の腐敗によって、次第に勇猛さを失ってしまったのだ。(ジャック・ロンドン)

10. すばらしい気候、豊富だが酷毒ではない降雨量、肥沃な土壌、内乱と窃盗が起きにくい立派な教育。韓国人は長いこと幸福で繁栄した民族だったに違いない。挟雑を業とする官衙の使い走りと彼らの横暴、彼らの悪事が強力な政府によって防がれ、小作料が適正に策定され収納されれば必ずそうなるだろう。……旅行者たちは韓国人の怠惰さに多くの感じを持つ。しかしロシア領満州での韓国人たちのエネルギーと勤勉、そして彼らの簡素で充実し安楽な家の家具を見た後で、私はそれが気質の問題と誤解されているのではないかという思いがした。すべての韓国人は、貧乏が彼らの最高の防御膜であり、彼とその家族に食物と衣服を与える以上に彼が所有するすべてのものは、貪欲で不正な官吏たちによって奪われるだろうという事実を知っている。官吏たちの収奪がとても耐えられなくなり、生存できる最小限の収入さえ奪われた時にのみ、韓国の農民たちは暴力を通じた絶望的な方法に訴えることになる。……韓国人は、ある行政的な契機さえ与えられれば恐ろしい自発性を発揮する国民である。(イサベラ・バード・ビショップ)

11. 村ごとに太鼓、喇叭、笛、数個の釜のふたがあり、夏の疲れてけだるい労働時間中にしばらく手を休め、勢いよく合奏して疲れを取る。……朝鮮人の大きな美徳は、人類愛の法則を先天的に尊重し日々実践していることである。さまざまな同業組合や特に親戚が保護し合い、援助し合い、支え合い、助け合うために、緊密に結合した団体を形成している。しかしこの同胞感情は、血族関係と組合の境界を越えて拡大されて行く。相互扶助とすべての人に対する気前のよいもてなしはこの国民の特徴だが、率直に言ってこの特徴は、朝鮮人をわれわれ現代文明の利己主義に染まった多くの国民よりずっと優位に立たせるものである。(シャルル・ダレ『朝鮮教会史序説』)

12. 韓国人は一般的にとげとげしいところがなく柔和で、他人に順従な性質を持っている。彼らは中国語を理解し、学問を好み、音楽と舞いに天稟を持っている。彼らの美しい気立ては例外なく、他の民族の模範になるのに充分である。(ドゥ・アルド『シナ帝国誌』)

13. アジアの諸民族のうち、朝鮮人ほど音楽に対し熱烈な愛好心を持つ民族はないだろう。軍部のある大臣がアコーディオンの演奏に感動して、平素の厳粛な態度を投げ棄て、拍子に合わせて舞を舞い歌を歌った。(エルンスト・オッペルト)

14. 朝鮮人は両班も庶民も弓術を好む。政府はこの運動が立派な射手を育てる良い方法だとして奨励している。……朝鮮人は柔弱でも卑怯でもない。身体は鍛錬され、弓術や狩猟を大いに愛好し、疲労に屈しない。(シャルル・ダレ)

15. 男たちは石合戦をひどく真剣に行うため、ここで少し言及する必要があろう。早春になると敵どうしのふたつの村の人々は、凍りついた原野に集まって、どちらが強いかを競う試合をする。頭に縄で作ったヘルメットをかぶり、棍棒で武装した先発隊が中立地帯を横切って相手方に飛びかかると、後方で防御をしていた人々は丘を駆け下りて相手方の村人たちに向かって石を投げる。彼らは石投げに熟練しており、投げられた石はすごい威力を発揮する。……一般にこのような実戦さながらの合戦の後には、何人もの死者と重傷者が出る。私が朝鮮に来ていくばくもなかった時のことである。このような石合戦があった後、前頭骨のふたつの骨板が砕けて脳が透けて見えるほどひどい負傷をしたある男が私を訪ねて来た。(H・N・アレン『朝鮮見聞記』)

16. 朝鮮で私が初めて行った切断手術は、トラの攻撃を受けたある朝鮮人の腕を切断することだった。言うまでもなくそれは、朝鮮で初めて行われた切断手術だった。その患者はひじの上側の腕骨が噛み砕かれ、肉が腐っていた。しかし幸いにも健康を回復し、その患者の友人たちはひどく驚いた。彼はトラと外国人医師から生きて帰ったが、今や腕なしで葬儀に行かなければならない境遇だった。(H・N・アレン)

17. 韓国でトラと金の話ほど格好の話題はないだろう。韓国は金の生産地としての自負心が強く、金の屑をまるで金のなだれでも生じたかのように話す。……トラと鬼神への恐怖のため、人々は夜にはほとんど旅行しない。官吏の身分証を持つ人がやむを得ず夜に旅行するときは、村に立ち寄ってたいまつを持った人々の護衛を頼むのが当然とされる。夜道を行く場合、旅人たちはふつう数人がお互いを紐で縛って、火を灯してたいまつを振り、大声で叫び鉦を打ち鳴らしながら道を行く。韓国人のトラに対する恐怖はあまりにも有名で、「韓国人は一年の半分をトラを追って過ごし、残りの半分は虎に捕って食われた人の葬式に出て過ごす」という中国のことわざがうそでないことがわかる。(イザベラ・バード・ビショップ)

18. 住民が数百名にもなるかなり大きな村で、私は何度も高さが互いに違なる木で作った棒が何本か道端に立っているのを見たことがあるが、実際これは特別な関心を引かざるを得ないものだった。ところでこれを近くで詳しく見たとき、私の驚きはいかに大きかったか! 詳しく見ればこれはまさに村の偶像神で、寺または祈祷所の代わりになるものだった。さらににこれを保護しようという考えはまるでなく、道端の地面に打ちこんでおいただけで、それ以上はいかなる儀式もなされていなかった。高さがおおむね二尺から四尺ほどの丸太に施された装飾というのは、次のようだった。すなわち人々がその木の皮を剥がし、そのてっぺんに最も原始的な技術で気分悪くしかめた顔を刻んだのが、まさにすべての装飾だった。(エルンスト・オッペルト)

19. 韓国は儒教から倫理を、仏教を通じて未来への願いを、そして日常生活で病気や死といった敏感な事態が発生したときは巫俗信仰に頼る。同時にさまざまな宗教を無理なく包容する彼らの暮らしは印象的である。(韓国を訪問したフランス人学者)

20. 韓国人は過度に飲酒する慣習がけたはずれで、酔っぱらいが見られない日はほとんどなかった。……私が漢江を旅行しながら観察した結果では、酔っぱらうことは韓国人独特の特徴だと断言できる。そしてこれはさほど品位を落とすことでもない。韓国では誰かが理性を失うほど酒を飲んだとしても、誰も彼を畜生と思わない。……韓国人が酒を好む最大の原因は、おそらく都市ですら茶を飲む習慣がほとんど皆無だということと、奢侈な清涼飲料がほとんど知られていないということだろう。おそらく飲み水が優良で、大部分そのまま飲めるせいだろう。農夫たちは食後に熱い米湯を飲み、蜜湯は奢侈品と考えられ、宴会ではミカンの皮や生姜を煎じた液体を飲む。ミカンの皮を干すのは、韓国の主婦たちの大仕事のひとつである。あらゆる農家の屋根には、干したミカンの皮がつららのようにぶら下がっている。(イザベラ・バード・ビショップ)

21. 東北アジア地方の住宅にはオンドルがある。オンドルは管状の一種のかまどで、じゃがいもを焼くように人間を焼く。西洋人が煙瓦で寝台を作って、その下に足を暖める暖炉を設置したようなものである。家の一方の端にある炊き口から他方の端の煙突に至るまで、煙管の上を レンガやオンドルで覆う。そして台所でやかんの水を沸し肉を焼く火は、離れた部屋に座ったり寝たりしている人を暖めるのに使用される。ただ火を炊かなければ部屋が冷えて、種火を落とせば熱を持続できないという難点がある。(W・E・グリフィス『隠者の国・韓国』)

22. 農夫や労働者が住む家がいくらむさくるしいと言っても、常にきれいな小さい寝室が付いており、濃褐色の油紙が貼られているオンドルとセメントでできた部屋の床は、一日に二度ずつ飯を炊く火のためいつも暖かい。このような点で見れば、韓国人は隣国の人々より安楽に暮していると言える。なぜなら日本の家は寒いことで有名で、唯一の暖房システムは指を暖めるのに使用される火鉢がすべてで、また中国の家は極寒の冬にも暖まる方法がないからである。中国人が使用する暖房システムのひとつは、北方地方で使われる火で焼いた石で、これ以外には家を暖める方法がない。中国中部の家屋はひどく寒い日でも家を暖める方法がなく、人々は体を暖めるためにただ服をたくさん着こむことで満足しなければならない。英国人旅行者であるヘンリー・ノーマンは、朝鮮を旅行するあいだ驚くほど美しいこの国を非常に称賛し、北京を訪問した後、朝鮮の首都ソウルは北京と比べれば天国だと書いた。(H・N・アレン)

23. 朝鮮人が大きく重い荷物を背負ってたやすく運搬できるということには既に注目したが、ここ公州では運搬する荷物の重さの次元が異なり、わが目を疑うほどだった。朝鮮人たちが荷物を運ぶ技術には、数千年の経験が染み込んでいる。最小限の力で最大限の重さを運ぶ秘訣は、彼らにはもはや秘訣と言えないものだった。彼らの背負子はきわめて理想的に考案されており、尻と背と肩に重さを分けて伝達する。このような理由で足さえ支えられる限り、おびただしい荷物を運ぶことができるのである。朝鮮人以外には、この方法に着眼した民族はない。世界で最も運搬力が強い中国人とポリネシア人の場合、肩にかついだ棒の両方に荷物をぶら下げて重心をとるが、仮に荷物が分割できない性質のものであれば、棒の他方に同じ重さの品物をぶら下げなければならない。また運ぶのに広い空間が必要で、こうやって運ぶ人とすれ違う場合、彼が急に方向を変える際には運搬台にぶつからないよう注意しなければならない。しかし背負子の場合はずっと簡単である。……こんな原始的な方法で大量の荷物を長距離にわたって運ぶ能力と、悲惨な道路事情は、コレアが数百年間大部隊の行商を持つようになった原因になった。(アーソン・グレブスト『コレア・コレア』)

24. 朝鮮の男は日本の男に比べ背が高く健壮でハンサムな反面怠惰で、日本の男は短躯で不細工だが敏捷で不屈の意志を持つ。朝鮮の女は強靱で力が強く家庭を切り回す能力を十分発揮する反面、日本の女はだらしがなくがに股でよく笑い男をたぶらかす妖気をはらんでいる。……朝鮮人は清潔でないくせに白衣に執着する。……ソウルの政治家たちは開化した人々だが、説得するのは難しく、下級労働者たちは一日働けば次の二日はぶらぶら遊んで稼ぎを使い果たしてしまう。(ジョージ・カーゾン『極東の諸問題』)

25. 朝鮮には衛生施設がないことが大きな特徴である。……農閑期には農地に運搬されるこうした堆肥が積まれた用具を背負った牛や小馬の果てしない行列のため、街中が悪臭で満たされる。悪臭ふんぷんたるこの行列と出くわすことになれば、外国人訪問客は朝鮮が汚物と悪臭の国だという避け難い印象を受けることになろう。……朝鮮人たちは長い間こうした臭いに慣れて来たとは言え、そうした強烈な臭いを放ちながら六〜七人の家族が8フィート四方の狭いオンドル部屋で暮らしているのを見ると、驚きを禁じ得ない。そうした部屋に入って行こうと扉を開いた瞬間、ぶわっと押し寄せる臭いは筆舌に尽くし難いからである。白人なら、部屋に入って行こうとしてむしろ外に逃げ出してしまうだろう。(H・N・アレン)

26. 夫たちが白い服に固執し続ける限り、洗濯は韓国女性の辛酸な運命に等しいものになる。こんな悪臭のただよう川で、宮殿の中庭の井戸で、全国津々浦々のあらゆる水たまりで、いや住宅の外に毛筋ほどの小川でもある所ならどこでも、韓国女性は洗濯をしている。ある種の洗濯物はほどいて縫わなければならず、また別の洗濯物はかまどで少なくとも三度は煮なければならない。表面がデコボコの木の板に根気強く擦りつけたり、平い石の上において重い棍棒で力一杯叩かなければならない。そうした後でこれらを持って行って、洗濯紐に吊して乾かす。洗濯物がすべて乾いた後には、再びきぬたに乗せて丸い木の棍棒で厚い繻子のように光沢が出るまで際限なく叩く。韓国女性は洗濯の奴隷である。ソウルの深夜、その深い静寂を破る唯一の音があるとすれば、一晩中眠らずにゴンゴン洗濯物を叩く洗濯棒のあの物悲しい音である。(イザベラ・バード・ビショップ)

27. 衣服は特に麻の服の場合は、アイロンをかける代わりに絹のような光沢を出すためにきぬた打ちをする。……四本の棍棒が出す律動的な音はひどく奇妙で、一度聞けばたやすく忘れられない。……隠遁生活をする朝鮮女性は忍耐性が強いが、極端な状況に追い込まれれば一変してきわめて狂暴になり、想像するだに恐ろしい。そのとき洗濯棒は無視できない頼もしい武器になり、男たちもその棍棒を恐ろしがる。(H・N・アレン)

28. 韓国では女性たちすべてが最下層階級の一員だと断言できる。韓国女性は、他のどんな国の女性よりもさらに徹底して隷属的な暮らしを強いられている。しかしこれと関連して首都ソウルで興味深い制度が実施されている。夜8時頃になると大きな鐘が鳴らされ、これは男たちに帰宅する時間だということを知らせる信号で、女たちには外出して散策を楽しみ知人を訪問できる時間だということを知らせるものである。私が初めてソウルに到着したとき、灯りを掲げ道を照らす侍女を従えた女たちだけが道を埋めている珍奇な風景を見ることができた。その他には盲人と官吏、外国人の下僕、そして薬を出しに行く人だけが通行禁止から除外される。(イザベラ・バード・ビショップ)

29. 帽子をかぶらない韓国人の姿は想像できない。帽子の種類も数千種にのぼると推定される。……韓国は帽子の王国である。世界のどこにもこれほど多様な帽子を持っている国は見たことがない。空気と光がよく通り、多くの用途に従って製作された韓国帽子のファッションを、パリ人たちは必ず知る必要があると思う。(フランス人の記録、1877年の『グラフィック』誌より)

30. 英国人旅行家は身辺保護のために警護員を傭う代わりに、韓国人が最も好奇心を持つ西洋のジャム、缶詰、パン等を所持し、危険な状況が近づく度にこれらを見せて困難を突破した。特に朝鮮人はマッチに魅了され、互いにマッチをつけて見ようと寄り集まりもした。このおかげで朝鮮の地方旅行を安全に終えることができた。(『グラフィック』1888年12月22日付)

31. 祠堂から頂上を見上げれば、胸にしみるように美しい光景が広がる。起伏に富んだ森の連なり、谷川のおぼろげなきらめき、丘陵の緩慢な線、その上に海抜1829メートルを超える金鋼山で最も高い峰がそびえていた。ああ、私はその美しさ、その壮観を筆先で表現する自信がない。本物の約束の地 (A fair land of promise) なのだ! まさしく!(イザベラ・バード・ビショップ)

32. ロシアと日本が韓国の運命をおいて互いに対峙した状態で、韓国を去ることになったことはきわめて遺憾である。私が初め韓国に対して感じた嫌悪感は、今ではほとんど愛情と言える関心に変わった。以前のどの旅行でも、私は韓国でほどさびしく別れた愛すべき親切な友人たちと知り合えたことはなかった。私は最も愛すべき韓国の冬の朝を包む青いベルベットのような柔らかい空気の中で、雪に覆われたソウルの最後の姿を見た。次の日英国政府の小さな汽船である上海行きのヘンリック号に乗って、無慈悲で厳酷な北風に包まれて済物浦を発った。そしてヘンリック号が川の上でゆっくり蒸気を吐きながら動く時、古めかしく興趣ある韓国の国旗は私に言い知れぬ感懐と疑問を催した。(イザベラ・バード・ビショップ)

33. さまざまな面で韓国は極東で最も美しい国である。山はすっくとそびえ立ち、川は悠々と流れ、雨が止んだ後のすがすがしさと新緑が感じられる国である。それはなぜか日本を連想させる。しかしその縮小版ではなく、さらに拡大された感じがする。風景は素朴だが、小山と渓谷が映画の中のような景色を成す。牧歌的な姿の小さな草葺屋根が、細々とした横町の間に鈴なりにつながっている。きらめくさざれ石が敷かれた川岸では、いつも婦人たちと少女たちが麻の服を雪のように白く洗っている。理想主義者と殉教者の民族でなければ、このように眩しいほどの清潔さのためにあれほど大変な労働に耐えたりはしないだろう。日本は華麗ではあるが、絵ハガキのデザインのようにいくぶん人工的である。
 一方韓国は純粋で自然である。日本は音の国だ。――下駄の音、ぶつぶつ切れる発音、自動車の騒音、窓や扉を絶えず開け閉めする音、小さな家具が前後に動く音など……韓国は静かでやんわりと動く。頭を絶えずぺこぺこ下げしながらお客様を迎えたりしない。人間関係に気兼ねがなく泰平である。韓国女性は情が厚く、おとなしくはにかみ屋である。……私は躊躇なく韓国人が極東で最も優秀な民族だと断定した。
 背が高く強靭で、力が強く、常に均衡が取れており、すぐれた運動選手を輩出している。私が韓国にいたとき、孫基禎という韓国の若者がオリンピックで金メダルを獲得したという消息が聞こえて来た。……韓国人の中には、とても美しく目鼻立ちがくっきりした人が多い。韓国人は映画俳優として、日本と中国の両国でともに需要が高い。……今ハリウッドにいる韓国人俳優フィリップ・アン(安昌浩の息子)の顔が、より典型的である。中国一の人気映画俳優の金燦も韓国人だ。
 韓国女性の中には、優雅で天使のような気立てを持つ仙女のように美しい娘がよくいる。
 このように比較的美しく、聡明で、優秀に見える民族が、外形上まるでぱっとしない短躯な日本人に服従しているということは、生物学的にはふさわしくないような感じがする。がに股でチビの日本人幹部が刀をふりかざしながら何人もの韓国人に傲慢に命令するのを見守りながら、私は同行した女性宣教師になぜこのようなことがあり得るのかと聞いて見た。
 「たぶん劣等感が、かえってすぐれた成就能力の原因になることもあるんじゃないでしょうか」と彼女は答えた。
 「でも韓国人はきっと馬鹿なのね」と私は言った。
 「いいえ、かれらは日本人よりずっと聡明ですよ。日本人は今やっと近代的な軍備で先頭を走るようになっただけだと思います」
 韓国に来ている宣教師たちは、本当に韓国人たちを愛し、彼らを称賛していた。(ニム・ウェイルズ『アリランの歌』)


外国人の目に映った19世紀末の韓国
꿈틀 국어 (하) 꿈을담는틀, pp. 331-345.

 若い韓国人の間でイザベラ・バード・ビショップの名はよく知られているが、これは高校の国語の教科書に載っているためである。「韓国人の外貌」「韓国の首都ソウル」「韓国式洗濯」「韓国の旅館」の四節から構成されているが、意図がよくわからない選択である。「外貌」の項は韓国人の知力を褒める箇所の直前で終わっており、韓国人の外貌至上主義の表れともとれる。バードのソウルへの評価は、城外の自然は美しいが城内は不潔でみすぼらしいというものだった。教科書の引用は、「私は気おくれしてソウル市内のことは描写しない」(朴尚得訳)「城内ソウルを描写するのは勘弁していただきたいところである」(時岡啓子訳)の直前で終わっている。「洗濯」の項は伝統社会における女性の地位の低さを説明するために選ばれたらしいが、それならもっと直接的に述べている箇所がいくらでもある。「旅館」の描写は、なぜ選ばれたのかさっぱりわからない。
 原文と日本語訳の該当箇所は次のとおりである。日本語訳と重要な差異はなく、翻訳は正確である。

  原文
(Fleming H. Revell Co.)
   p. 12, l. 17 (The difficulty of identifying ...) ~ p.13, l. 17 (... when on business.)
   p. 38, l. 14 (One hundred and twenty feet ...) ~ p. 40, l.4 (... slightest annoyance.)
   p. 339, l. 21 (Every brookside ...) ~ p. 340, l. 14 (... a very early age.)
   p. 124, l. 8 (There are regular ...) ~ p. 125, l. 11(... wayfarer revels.)

  朴尚得訳(平凡社東洋文庫)
   1巻29ページ5行目(日本と中国で…)〜 30ページ11行目(…申し分ない。)
   1巻69ページ2行目(海抜百二十フィート…)〜71ページ10行目(…近郊などは無い、と。)
   2巻199ページ8行目(あらゆる小川の…)〜200ページ14行目(…衰えている。)
   1巻203ページ16行目(朝鮮には正規の宿屋と…)〜205ページ9行目(…飲み騒ぐ。)

  時岡啓子訳(講談社学術文庫)
   22ページ13行目(日本や清国で…)〜23ページ18行目(…朝鮮人男性はよく歩く。)
   55ページ18行目(標高一二〇フィート…)〜23ページ18行目(…問題は起きないのである。)
   435ページ16行目(どこの小川の…)〜437ページ2行目(…消えてしまう。)
   164ページ1行目(朝鮮の宿には…)〜165ページ8行目(…気分になるのである。)

 ちなみにイザベラ・バードの朝鮮紀行は、韓国では発禁になっているというデマを信じている日本人がいるらしいが、もちろんそんなことはない。教科書の抜粋以外に、次の二種類の全訳がある。

   이사벨라 버드 비숍 지음, 이인화 옮김, 한국과 그 이웃 나라들, 살림출판사, 1994, ISBN : 8985577042.
   I. B. 비숍 지음, 신복룡 역주, 조선과 그 이웃 나라들, 집문당, 2000, ISBN 8930306799.

 이인화訳は見たことがない。申福龍訳については、下で検討する。

 また、イザベラ・バードは朝鮮に対し否定的な感想しか書いていないと信じている日本人がいるらしいが、そんなことはない。イザベラ・バードの日朝中に示したように、朝鮮人の外国語習得の速さ、体格・容貌の優越、治安の良さ等を称賛した記述もある。またページの趣旨に合わないので省略したが、風光や気候や土壌の肥沃さといった朝鮮の自然を称賛した箇所も多い。ところが延世大学の原書復刻版にそうした称賛が含まれていることから、これを捏造ときめつけた馬鹿な日本人がいたらしい。さらに驚いたことに、この白痴並みの発言を信じた日本人も多かったようである。これでは韓国人の歴史認識の浅さを笑うことができなくなり、実に情けない。



外国人の目に映った韓国人
고등학교 한국근・현대사, (주)금성출판사, 2009년(제6판) , pp. 118-119.

 「韓国近現代史」は金大中・盧武鉉政権が親北左派史観を高校生に教え込むために導入された科目で、教科書は検定制である。金星出版社の教科書は最も左派的で、盧武鉉政権中には採択率が最も高かった。外国人記録以外の内容については、韓国の歴史教科書を読むを参照。
 この教科書の第二部第四章「開港以後の経済と社会」の最後に「外国人の目に映った韓国人」というコラムがあり、次の5冊からの抜粋が紹介されている。

Isabella L. Bird, Korea and Her Neighbours, 1898.
Charles Dallet, Histoire l'Eglise de Corée, 1886.
Georges Ducrocq, Pauvre et Douce Corée, 1904.
Siegfried Genthe, Korea - Reiseschilderungen, 1901.
Ernst von Hesse-Wartegg, Korea: Eine Sommerreise nach dem Lande der Morgenruhe 1894, 1895.

 イザベラ・バード『朝鮮紀行』、シャルル・ダレ『朝鮮事情』には日本語訳がある。上で述べたように、バードの「韓国人の日常的表現は、当惑を感じさせるほど活気に満ちている」という部分は明らかな誤訳である。また最後の男尊女卑の部分を除いて肯定的な評価に偏っており、民族的自慰行為を広めるのが目的らしい。


韓国人は見栄えがよく健康な民族
 韓国人は斬新な印象を与えた。彼らは中国人や日本人と似ておらず、その両民族よりずっと見栄えがよく体格も日本人よりずっと良い。……
 韓国人の日常的表現は、当惑を感じさせるほど活気に満ちている。顔付きは最もよい人々を基準として見て力や意志の強靭さよりは鋭い知性を表す。顔つきは最も美しい人を基準に見て、力や意志の強靭さよりは鋭い知性を表す。
 韓国人は体格も良い方である。成人男子の平均身長は163.4pである。男子は力がきわめて強く、荷役人夫に45sの荷は普通である。
≫イサベラ・バード・ビショップ(英国の地理学者), 韓国とその近隣諸国, 1897年

弓術を好む民族
 朝鮮人は両班も庶民も弓術を好む。政府はこの運動が立派な射手を育てるひとつの良い方法だと考えて奨励している。……朝鮮人は柔弱でも卑怯でもない。身体鍛練と弓術、狩猟に多くの趣味を持っており、疲労の前に屈服しない。
≫ダレ(フランスの神父), 朝鮮教会史, 1874年


白衣を好んで着る民族
 朝鮮人は白衣を好んで着る。これは童心に充ちた朝鮮人に最もよく似合う色だ。ソウルの街はどこへ行ってもこのような明るい白色の服で常に祝祭のような雰囲気を感じさせ、朝鮮人たちもこの点をとてもよく知っている。もし彼らに白い服を着させないようにすれば、快活さもそれだけ減るものと見られる。
 彼らは祖国を離れた異国の地でも白衣を着ている。ウラジオストクでも、中国人のくすんだ短いチョッキやロシア人のやぼったい外套の間で、朝鮮人の白衣は格別に溌剌として目に映る。
≫デュークローク(フランスの旅行家), 可憐でやわらかい朝鮮, 1904年


卓越した発明品を作り出す民族
 自動車というものはこの国にまだない。ただ早くから開港した港の周辺で、外国人が持ち込んで来たらしい手押車や小型車が時々見られるだけだ。人波でごった返すソウルの街で大きな牡牛が車を引いて荷物を運ぶ光景も風物のひとつだ。さらに驚くことは、子どもが荷物を運ぶことだ。ヨーロッパでブドウの収穫のとき使用するカゴに似た形の三本足を持つ木の背負子を使うのだが, この背負子の後ろにはひもを付けて肩に結べるようにしてある。これは人が肩の筋肉を利用して力をあまり使わずたやすく運搬できるようにしたもので、朝鮮人の卓越した発明品だと言いたい。ただし10歳にもならないような男の子が、自分の体より倍も大きな重い荷物を背負子に載せて運ぶ姿を見るのは、あまり愉快ではなかった。
 住民たちが薪等の燃料をかまどに入れて火をおこす熟練した手つきを見れば、感嘆することになる。寒い冬の季節に暖かい部屋にこもって体を暖められるこのように優れた暖房技術を持つ民族は、東アジア全域を通じて韓国人しかいない。中国人は室内の壁の一方の隅に暖炉を置いて藁で火を焚くため、火災が発生する危険が潜んでいる。日本人は大体に韓国や中国のような暖房法を知らずに暮らす。ただ室内に小さな火鉢を置いて冷えた手を暖める程度で、暖房とは言えないひどく消極的な暖房法だ。したがって、寒い冬にぽかぽかと暖かいオンドル部屋で過ごせる韓国人は、彼らの優秀な暖房技術に矜持を持って自慢するだけある。
≫ジークフリート・ゲンテ(ドイツの記者), 韓国見聞録, 1901年


ラバより劣る朝鮮女人
 私にはいまだに解けない謎がひとつある。朝、昼、夜いつでも路地を歩きながらいくら見ても、男たちが働くのを見たことがないが、この国はいったい生活をどうやって立てて行っているのか。小さくみずぼらしくガリガリに痩せた女たちが家事と料理をして洗濯をする間、男たちは小さなキセルを口にくわえ仲間同士集まって小屋の中や狭い路地で将棋をしたり昼寝をしたりしており、あらゆることが女たちの手にかかっている。自分の妻を尊重する態度が低いほどその国の文化水準が低いということが、ここでも如実に表れている。
 朝鮮の女人たちはラバにも劣る。言ってみれば男たちは奴隷を得るために結婚をするのだ。女たちは名前もなく無視され、法自体が女たちのためにあるのではない。
≫ヘッセ・バルテック(ドイツの宣教師), 1895年


申福龍教授の異邦人が見た朝鮮読み直し
신복룡, 신복룡 교수의 이방인이 본 조선 다시 읽기, 풀빛, 2002.

 申福龍シン・ボクリョンは韓国の政治学者・歴史学者で、長らく建国大教授をつとめた。とんでもない数の著書があるが、そのうち集文堂から出ている韓末外国人記録シリーズは、20世紀初頭までに朝鮮を訪れた西洋人の記録を網羅したものである。本書はそのシリーズの解説書だが、なぜ集文堂以外の出版社から出ているのかは謎である。章タイトルに見るように、重要な文献でシリーズに含まれていないのは、シャルル・ダレの『朝鮮教会史』くらいのものである。

   海を捨てて国を失った/ハメル『ハメル漂流記』
   朝鮮は黄金があふれる国/デュ・アルド『朝鮮伝』
   西勢東漸期の橋頭堡 '西海5島'の風物/ホール『朝鮮西海探査記』
   単純な盗掘犯ではない文化人類学者としての朝鮮見聞記/オッペルト『禁断の国・朝鮮』
   日本を知りたくば朝鮮をまず見よ/グリフィス『隠者の国・韓国』
   朝鮮は自主国か、封臣国か/デニー『清韓論』、メレンドルフ『清韓従属論』
   タンパク質摂取量が世界を支配する/カールズ『朝鮮風物誌』、ケンプ『朝鮮の姿』
   若者の怠惰さが亡国を呼ぶ/ギルモア『ソウル風物誌』
   韓半島は多民族の混血社会/サヴェジ・ランダー『朝鮮−静かなる朝の国』
   韓国人は国の外で成功する民族/ビショップ『朝鮮とその近隣諸国』
   韓国女性開化史の大きな星、アンダーウッド女史/アンダーウッド『まげの国』
   朝鮮の人情が産業化を阻む/ハルバート『大韓帝国滅亡史』
   朝鮮は偶像の国ではない/アレン『朝鮮見聞記』
   朝鮮の支配層に亡国の責任を問う/マッケンジー『大韓帝国の悲劇』『韓国の独立運動』
   ハングルは最も科学的で易しい文字/ゲイル『転換期の朝鮮』
   子供が泣く社会には幸福がない/ワグナー『韓国の児童生活』
   無抵抗闘争で独立を得た国はない/キャンダル『韓国独立運動の真相』
   朝鮮は中立化が生きる道だ/サンズ『朝鮮備忘録』
   韓国は自ら立たねばならない/ドレイク『日帝時代の朝鮮の生活相』
   国が亡びれば動物たちも死ぬのか/ベリーマン『韓国の野生動物誌』

 充実したシリーズを刊行した手腕は高く評価したいが、本書にはときどき変な記述がみられる。たとえばオッペルトについて「彼は韓国こそ東洋の英国のような国で、民族的にはアングロ・サクソン族のような民族だと考えた」と書いているが(p. 53)、「東洋の英国」と言えば日本を指すのが普通である。実際に集文堂の『禁断の国・朝鮮』(申福龍・張又永訳)を見ると、「アジアの英国と言える日本は、数世紀のあいだ鎖国政策を厳格に固守して来たが、1859年から外国との交流と交易を再開した」(p. 147)という文章がある。朝鮮人をアングロ・サクソン族になぞらえる記述は、読んだ覚えがない。

 朝鮮の党争の固有性・異常性を否定する根拠として、グリフィスの『隠者の国・韓国』を用いている点も納得し難い。

このような自己侮蔑的認識に対し、グリフィスが説明する韓国党争史は多くの示唆を与える。彼は決して党争を美化しはしないが、だからと言って闘争をわが国だけが持つ政治的害悪だと表現しもしなかった。党争に悪い点があったとしたら、それは原初的に政治という行動に付随する悪であり、韓国の党争にだけ特別に現れる現象ではないというのが彼の説明だ。(pp. 68-70)

 しかしグリフィスはごく初期の朝鮮の紹介者であって、漢文もハングルも読めず、朝鮮を訪れたこともなく、朝鮮史の権威でも何でもない。朝鮮の党争の異常性を指摘していないとしたら、単にそれについてよく知らなかったためと解釈すべきである。むしろ朝鮮の宮廷政治に直接関与したハルバートやアレンやサンズの意見の方が参考になるだろう。ちなみにハルバートは「まさしくこの政争こそ、日本からの侵略者に対してこれといった抵抗をおこなうことのできなかった第一の原因である」と書いている。アレンは「朝鮮人は陰謀の名手で、母親の乳首に吸いついているときから陰謀を企むことを好む」と書いている。サンズは「王室は怠け者で一角に食い込もうとする腹を減らした輩でいっぱいで、彼らは各公使の影響力を詳細に見極め、それによって礼遇を変えた。さらに信念や金づるにより、公使と関係がある数々の高位官吏たちを主軸として、派閥を形成することが慣例となっていた」と書いている。

 イザベラ・バード・ビショップに関しては、自己憐憫による事実の糊塗を避けるための外国人記録の効用を強調している。

歴史学者が犯しやすい最も大きな誤謬中のひとつは、おそらく自己憐憫とそれによる事実の糊塗ではないかと思う。……特に当代を生きた外国人たちの現場目撃談は、われわれの偏狭な国粋主義から歴史学を解放させることができるのみならず、われわれが気づかない過失や誤った価値観を省察するよい契機になるだろう。ここに翻訳し紹介する『朝鮮とその近隣諸国』も、そのような範疇に入るよい史料中のひとつだ。(pp. 120-121)

 日本人から見て、韓国人の「自己憐憫による事実の糊塗」のひとつに「朝鮮は順調に近代独立国家へ向けて発展していたのに、悪辣な日本によって暴力的に阻止されてしまった」という見方があげられる。イザベラ・バードの『朝鮮とその近隣諸国』は、19世紀末の朝鮮社会がいかに絶望的で従属的だったかを明らかにしているため、「偏狭な国粋主義から歴史学を解放させる」には格好の書である。ところが上のように主張している申福龍自身が、主張どおりに実践しているように見えない。申福龍はバードが朝鮮の潜在力を称賛した部分を強調するが、その潜在力を引き出すための改革は外国の力によるしかないというバードの結論には触れないのである。ということは、『朝鮮とその近隣諸国』(申福龍訳)の中でバードの主張を次のように正確に訳しながら、申福龍はなお朝鮮が自力更生可能だったと考えているらしい。

日本が主導した朝鮮官吏体系の整風である朝鮮の内政改革は、実に大変な作業だった。朝鮮の伝統思想に名誉と正直の伝統がたとえ存在したとしても、実際に朝鮮語でそれらは何世紀の間忘れられたものに変わりなかった。朝鮮末の官吏には清廉で潔白な伝統を全く見出せない程度に不正腐敗が極度に混濁している水準だった。(p. 259)

私は朝鮮が希望なく無気力で寒心で傷傷しい存在で、何か大きな力によってもてあそばれるバドミントンの球のような人々の国だと思った。私は東部シベリアへ移住して情熱的に努力して熱心に生きて行く朝鮮の農民たちを見たことがある。彼らがロシアの支配の下に入って行って低い税金と生業の保障を受けない限り、1,200〜1,400万の朝鮮人たちには希望がない。(p. 322)

要するに朝鮮は日本やロシアの助けを受けて漸次に進歩するはずで、海外貿易は購買力と改善した輸送手段を持続的に増加するはずであり、英国に配当される取り分は英国の製造業者たちが朝鮮人たちの趣向や便利さに彼らの商品をいかに適応させられるかの與不にかかっていると私は敢えて指摘したい。(p. 376)

度支部が設立されたことで見るように、改革が確固として有能な外国の監督の下に遂行されれば、全く希望がないわけでもない。(p. 425)

しかし朝鮮はひとりの力で持ちこたえられず、そういう難しい状況が解決されなければ、朝鮮は日本かロシアの保護の下に入って行かなければならないだろう。(pp. 432-433)

朝鮮の領土保全と独立は、最も粘りがあり野心に満ちた帝国の手にかかっている。(p. 434)

 これらは日本語訳とあまり変わらないが、申福龍訳が明らかに日本語訳と異なる箇所がひとつだけあった。

As Korea is incapable of reforming herself from within, that she must be reformed from without. (p. 452)
朝鮮内部からの改革が不可能な時、外部からでも改革されなければならない。(p. 429)

 この "As" を条件文と見るのは明らかに異様で、日本語訳は「朝鮮は、内部からの改革が不可能なので、外部から改革されねばならない事」(朴尚得訳)「朝鮮にはその内部からみずからを改革する能力がないので、外部から改革されねばならない」(時岡敬子訳)、と、いずれも "As" を理由を表す接続詞と見ている。しかし他の箇所を正確に訳しながらここだけ曲解しても無意味で、申福龍の意図はよく分からない。

 念のため上で指摘した誤訳の部分を調べたが、正確に訳されていた。近現代史教科書にまで出回っている誤訳の発信源は、申福龍ではない。

The usual expression is cheerful, with a dash of puzzlement. (p. 13)
日常的な表情は若干当惑したようでありながらも活気に満ちている。(p. 24)

I have mentioned the women of the lower classes, who wash clothes and draw water in the daytime. (p. 47)
私は一日中着物を洗い水を汲む下層階級の女性に対し話したことがある。(p. 56)


西洋人の見た朝鮮
Bruce Cumings, Korea's Place in the Sun - A Modern History, New York, W. W.Norton & Co., 1997.
ブルース・カミングス(横田安司・小林知子訳)『現代朝鮮の歴史―世界のなかの朝鮮』明石書店, 2003.

 ブルース・カミングスは言わずと知れた韓国学の泰斗で、多くの著作がある。本書は現代史を中心とする啓蒙書だが、第1章で古代・中世史、第2章で1860〜1904年までの近代史を概観しており、「言いようのない単調さ」−西洋人の見た朝鮮 (AN "UNSPEAKABLE GROOVINESS": WESTERN IMPRESSIONS OF KOREA) は第2章の最終節である。後進性や植民地化の必然性については、すでに散々記述して来たためか、この節では肯定的評価を強調する構成になっている。以下では地の文はざっくり要約し、段落を変えての引用のみ原文と横田・小林訳を併記した。

 イザベラ・バード・ビショップの朝鮮に対する第一印象は良くなかったが、次第に愛着を感じるようになった。

Isabella Bird Bishop, Korea and Her Neighbors, 1897.

It is into this archaic condition of things, this unspeakable grooviness, that irredeemable, unreformed Orientalism, this parody of China without the robustness of race which help to hold China together, that the ferment of the Western leaven has fallen, [on] this feeblest of independent kingdoms, rudely shaken out of her sleep of centuries, half frightened and wholly dazed . . .
この古風で、言いようのないほどの単調さ、救いようのないほど旧弊な東洋風、へたに中国を真似てはいるが、中国を一つにまとめるのに役立っている民族的たくましさはない、独立王国のなかでももっとも弱いこの国に、近代化という西洋のパン種が発酵して大騒ぎが起こり、数世紀の眠りから突然揺り起こされて半ば恐怖に身をすくめ、そしてなす術もなく茫然としている……。

Its narrow dirty streets consist of low hovels built of mud-smeared wattle without windows, straw roofs, and deep eaves, a black smoke hole in every wall 2 feet from the ground, and outside most are irregular ditches containing solid and liquid refuse. Mangy dogs and blear-eyed children, half or wholly naked, and scaly with dirt, roll in the deep dust or slime, or pant and blink in the sun . . .
狭くて汚い通りには、泥を塗りつけた編み枝で建てられた低いあばら家がある。その家に窓はない。藁屋根と深い庇がある。どの壁にも、地面から二フィートのところに黒い煙出しの穴がある。家の外側にはたいてい不揃いなどぶがあって、個体[ママ]や液体のごみが詰まっている。毛が抜けた犬どもと、半裸か全裸で垢がうろこのようにこびりついた、ただれ目の子供たちが、厚く積もった塵やへどろのなかで転げ回っているか、日なたで息をはずませ、目をぱちくりさせている……。

I shrink from describing intra-mural Seoul. I thought it the foulest city on earth till I saw Peking, and its smells the most odious, till I encountered Shao-shing! For a great city and a capital its meanness is indescribable.
私はソウル城内のことをいちいち記述する気にはなれない。私は北京を見るまではソウルを地球上でもっとも不潔な都市、また紹興の悪臭に出会うまではもっとも悪臭のひどい都市だと考えていた! 大都市、しかも首都にしてはそのみすぼらしさは言いようのないほどひどいものである。

The distaste that I felt for the country at first passed into an interest which is almost affection, and on no previous journey have I made dearer or kinder friends . . . I saw the last of Seoul in snow in the blue and violet atmosphere on one of the loveliest of her winter mornings . . .
最初この国に感じた嫌悪の念は、ほとんど愛着に等しい関心に変わった。私は、今までの旅行にはなかったほどいとしくて親切な友だちを大勢得た……最期に見たのは、もっとも素晴らしい冬の朝の青くてすみれ色の大気に包まれた雪のソウルであった……。

 ジョージ・ケナンのような皮相的な観察者は、朝鮮人の服装を「サーカスのピエロみたいだ」と馬鹿にしたが、ジェームズ・ゲイルはもっとましな見方をしている。

James Gale, History of the Korean People, 1972.

When the writer came to this country, the first thing that completely bowled him over, speaking metaphorically, was the manner of dress. Men walked in the streets in long tinted robes made of the finest silk, with a girdle across the chest of blue or green or scarlet. Nebuchadnezzar himself was surely never so adorned. The wide sleeves hung down on each side, deeper and more capacious than Aunt Miranda’s pocket. Sometimes this robe was divided at the back, sometimes at the sides; sometimes it was a complete roundabout, or turumagi . . . Over his eyes was a huge pair of spectacles, much like those Americans affect today, though more stunning in appearance. Back of his ears were gold buttons or jade; under this chin a lovely string of amber beads; in his right hand a waving fan; on his feet the daintiest pair of shoes mortal ever wore, wedded to a pair of socks white as Malachi’s fuller never dreamed [sic], the only really beautiful footgear in all the world. As he walked along with measured tread, the lengthy robe adding inches to his height, he was indeed one of the most startling surprises that the eye of the west ever rested upon.
筆者がこの国に来てまずひっくり返るほどびっくりしたのは、彼らの服装だった。男たちは青や緑、また緋色の帯を胸のところで結んだ、極上の絹でつくられた薄い色合いの長衣〔道袍〕を着て通りを歩いた。ネブカドネザル王でさえもこんなに着飾ることはなかっただろう。幅の広い袖は両脇に垂れ、ミランダおばさんのポケットよりも深くてたくさん入りそうだった。この長衣は背中にスリットが入っていることもあれば、両脇に入っていることもあった。まったくスリットのないこともあって、それはトゥルマギと呼ばれていた……。目には、今日アメリカ人が好んで用いるような大きな眼鏡をかけていたが、見た目はずっと派手だった。耳の後ろには金のボタンか翡翠の玉、あごの下には美しい琥珀のビーズのひもがぶら下がり、右手の扇で風を入れながら、足には人の履くもののなかでいちばん華奢な靴を履いた。それにマラキ書でいう「洗濯人」でさえ、夢に見たこともないほど真っ白に仕上がった靴下を組み合わせる。それはまことに世界にただ一つの美しい履き物だった。こうしてゆったり歩くと、長衣のせいで背丈が数インチは高く見え、これを見た西洋人をすっかり驚かせたものだった。

 ジョージ・ケナンの皮相的な観察は、誤解に満ちている。

George Kennan, Korean People.

So far as my limited observations qualifies me to judge, the average town Korean spends more than half his time in idleness, and instead of cleaning up his premises in his long intervals of leisure, he sits contentedly on his threshold and smokes, or lies on the ground and sleeps, with his nose over an open drain from which a turkey-buzzard would fly and decent pig would turn away in disgust.
私の限られた観察によっても、次のように言うことはできる。都市の平均的な朝鮮人は自分の時間の大半を無為に過ごしている。しかもたっぷりある余暇を使って家の掃除をするわけでもなく、満足そうに戸口に腰を下ろしてたばこを吸うか、地面に横になって蓋のない溝に鼻を突きだして眠るのである。あまりの悪臭にたえかねて、禿鷲も溝から飛び上がり、まともな豚ならいやになって逃げ出すほどである。

 ウィリアム・グリフィスはソウルへの権力集中に注目し、日本と米国によって朝鮮が文明化されるだろうと予測した。

 パーシヴァル・ローウェルは鋭い観察眼で、ソウルの果物商や朝鮮家屋の屋根を描写した。

Percival Lowell, Choson: The Land of the Morning Calm, 1888.

So symmetrical are the heaps that my curiosity was once piqued into counting them; and on doing so, I discovered that each heap contained exactly the same number of units as its fellows of the same kind of fruit. Three chestnuts were invariably to a pile, seven walnuts to another . . . each pile was for sale for half a farthing.
一山ごとに左右対称にあまりにもきちんと積んであるので、ある時、好奇心に駆られて一山にいくつあるか数えてみたくなった。やってみると、果実の山は種類ごとに、正確に同じ数だけ積まれていることが分かった。栗一山はつねに三個、胡桃一山は七個だった……どれも一山、半ファージングの値段で売られていた。

It is unique. No dome, no minaret, no steeple that I have ever beheld, is, to my eyes, so simply beautiful. It is not in its ornament; for though it possesses its share of decoration, this rather takes away than adds. The charm lies in its grace of form. I had almost said Arcadian shape; for I mean it in the sense . . . of being in some sort born of Nature. Two corresponding curve, concave toward the sky, fall away on either hand from the central ridgepole. The descent is at first abrupt, but grows less and less so till it ends at the eaves. In small houses the roof is single; but in larger ones there are many slopes, of different degrees of curvature, that overlap and lie like festoons in tiles, one above another.
それはほかに類がないほど独創的である。これまでにドーム、ミナレット、教会の尖塔などいろいろと見てきたが、これほど簡素で美しいものはない。その美しさは装飾のせいではない。飾りもついてはいるが、余分なものはすべて切り捨ててすっきりとしている。気品のある形が魅力的なのである。それは自然のままの素朴さという点で、アルカディア風と言いたくなるほどのものだった。向かい合った二つのカーブ、空に向かってくぼんだ前線、中央の棟木から両側に向かって落ち込んだ傾斜。下へ向かう傾斜ははじめは急だが、次第に緩やかになり、軒に達して終わる。小さな家では屋根は一つだが、大きな家ではさまざまにカーブしたたくさんの屋根があり、瓦が一枚一枚重なり合い、花綱のように並べられている。

 パウル・フォン・メレンドルフは中国語と朝鮮語に習熟し、朝鮮服を着て朝鮮の近代化に尽力した。両班の無慈悲な搾取を問題視していたが、朝鮮人は日本人より速く西洋科学を習得するだろうと楽観的な見方をしていた。

 ヘンリー・サヴェジランダーは朝鮮貴族に感銘を受け、容貌は白人に近く、知力も賞賛すべきとした。

Henry Savage-Landor, Corea or Chosen, The Land of the Morning Calm, 1895.

Notwithstanding the fact that it is not uncommon to hear Coreans being classified among barbarians, I must confess that, taking a liberal view of their constitution, they always struck me as being extremely intelligent and quick at acquiring knowledge. To learn a foreign language seems to them quite an easy task . . . They possess a wonderfully sensible reasoning faculty, coupled with an amazing quickness of perception.
朝鮮人は普通野蛮人のなかに入ると言われているが、偏見にとらわれないで彼らの性質を考えてみると、私はいつも彼らがきわめて知的で知識の習得も速いことにびっくりさせられていることを白状しなければならない。彼らにとって、外国語を学ぶのはまったくたやすいことである……彼らはすばらしく鋭い分析力を持っているだけでなく、理解の速さも驚くほどである。

 アンガス・ハミルトンはソウルの発展を賞賛し、朝鮮の生活水準は中国より上だとし、朝鮮女性の活動性とエネルギーを賞賛した。小農の勤勉さとホスピタリティに感心する一方、両班に搾取される貧農も見た。皇帝の行幸を描写し、朝鮮に来ている日本人を嫌悪した。

Angus Hamilton, Korea, 1904.

The streets [of Seoul] are magnificent, spacious, clean, admirably made and well drained. The narrow, dirty lanes have been widened; gutters have been covered, and roadways broadened . . . Seoul is within measurable distance of becoming the highest, most interesting, and cleanest city in the East.
[ソウルの]通りは壮大で広々としていて、清潔で見事につくられており、排水も十分だった。狭くて汚い路地は広げられ、排水溝にも蓋がかぶせられて、車道の幅も広がった。……ソウルは遠からず東洋でも最も進んだ、興味のある、最も清潔な都市になるであろう。

The procession, which preceded in the passing of the Emperor, seemed almost unending. At every moment the sea of colour broke into waves of every imaginable hue, as one motley crowd of retainers, servants, musicians and officials gave place to another. Important and imposing officials in high-crowned hats, adorned with crimson tassels festooned with bunches of feathers and fastened by a string of amber beads round the throat, were pushed along, silent and helpless. Their dresses were glaring combinations of red and blue and orange; they were supported by men in green gauze coats and followed by other signal marks of Korean grandeur, more banners and bannermen, flags decorated with feathers, servants carrying boxes of refreshments, small tables, pipes and fire . . . Imperial servants with robes of yellow silk, their hats decorated with rosettes; more medieval costumes, of original colour and quaint conception; a greater multitude of waving flags; a group of silken-clad standard-bearers bearing the Imperial yellow silk flag, the Imperial umbrella, and other insignia. Then a final frantic beating of drums, a horrid jangling of bells, a fearful screaming of pipes, a riot of imperious discord mingled with the voices of the officials shouting orders and the curses of the eunuchs, and finally the van of the Imperial silence in which one could hear the heart-beats of one’s neighbor. The voices died away; the scraping of hurried of footsteps alone was audible as the Imperial chair of state, canopied with yellow silk richly tasseled, screened with delicate silken panels of the same colour and bearing wings to keep off the sun, was rushed swiftly and smoothly forward. Thirty-two imperial runners, clad in yellow, with double mitres upon their heads, bore aloft upon their shoulders the sacred and august person of his Imperial Majesty, the Emperor . . .
皇帝の通過に先立つ行列ははてしなく続くように思われた。一瞬、一瞬、色彩の海がありとあらゆる色の波になって砕けた。従者たち、下僕たち、楽士たち、そして役人たちからなる雑多な一群が次々とあらわれては通り過ぎた。堂々とした風采の高官たちが無言でただ押されるまま前に進んだ。彼らは羽の束を花綱のように重ね合わせた深紅の房のついた高い冠を頭にいただき、ひすいのビーズ玉の紐をのどのところで結んでそれを固定していた。その衣装は赤と青とオレンジ色の組み合わせできらきらと輝いていた。彼らは緑色の紗のコートを着た男たちに支えられて進んだが、その後に朝鮮の威容をしめすもうひとつの標識であるたくさんの幟と旗手たち、羽根飾りのついた旗、下僕たちが運ぶ茶菓の箱、小さなテーブル、それにパイプと火種……黄色い絹の長衣を着た侍従たちが、ばらの花飾りのついた帽子をかぶって続いた。それに独特な色彩と優雅なデザインの中世的な衣装、風にはためくたくさんの旗、黄色い絹の皇帝旗を捧げ持ち、絹の服をまとった旗手たちのグループ、皇帝用の傘、その他の標章など、それから、狂ったように打ち鳴らされる太鼓、耳を覆いたくなるほどじゃんじゃん鳴らされる鐘、恐ろしい金切り声をたてているラッパ、役人たちの命令する声や宦官たちの不満の叫びに割り込んできたさまざまな不協和音、そして最後に、黄色い光の流れが輝くなか、隣にいる者の心臓の鼓動が聞こえるほどの静けさが突然に訪れ、皇帝の供揃えの前駆があらわれる。声は次第に静まった。豪華な黄色の絹の房をつけた天蓋がつき、同じ色の薄い絹のスクリーンで覆われ、日光を遮るための翼を供えた皇帝の公式の輿がすばやく何事もなく走りすぎていったときには、ただ急ぎ足で地面をこする音が聞こえただけだった。黄色の衣服をまとい、司教冠のような二重の帽子をかぶった三二人の担ぎ手が、その肩の上に、神聖にして尊厳な皇帝陛下その人を支えていたのである……。

at once the centre of business, and the scene of uproar, riot and confusion. In the comparative nakedness of the women, in the noise and violence of the shopkeepers, in the litter of the streets, there is nothing to suggest the delicate culture of Japan. The modesty, cleanliness, and politeness, so characteristic of the Japanese, and conspicuously absent in their settlements in this county.
そこは取引の中心であると同時に、喧騒、暴動、混乱の場でもある。衣服をはだけた女たち、小売り商人の怒鳴り声と暴力沙汰、通りの乱雑さのなかに、日本文化の繊細さを思わせるものはどこにもない。日本人の特徴である慎み深さ、清潔、そして礼儀正しさは、この国の彼らの居住区にはまったく見られないのである。



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