コレクション(順次整理しています、真空管式は無くなりました。)

KENWOODのHF+50MHz帯のトランシーバーTS-690V(AT)
トリオの時代のTS−660から進化してTS−670、TS−680の次の機種となった1990年代の最終型マルチバンダーTS−690、このあと多くのHF機が50MHz帯を含む構成で現れたために、この機種の特異性が無くなったが、完成度の高いアナログトランシーバーとして現在も人気のある機種です。TS−690Vは10Wのものですが、TS−690SATという100Wアンテナチューナー内蔵の機種もあった。
東京ハイパワーの2mをIFにしたダウンバーターHX−240
コストパーフォーマンスの優れたHF帯(3.5,7,14,21,28MHz帯)ダウンバータとして発売され同時に6mをIFにしたHX−640もあった。
性能は親機の性能によるもので、出力は35W程度の使いやすいものであった。
ミズホ通信MX−2(ピコ2)に追加することを考えた4WリニアアンプPL−2、13.8V入力で9V出力のピコ2用の電源も内蔵している。
ピコ2の必需品でした。
ミズホ通信が1982年4月先に発売されたピコ6の第2弾として発売された(MX−2)144MHz/200mWの送信出力でAバンド・Bバンド切り分けで1バンド50KHzを一つの水晶でカバーするVXO方式を採用している点はMX−6と同じだがツマミは丸形になっている。つまみの下には追加されたノイズブランカ―のスイッチもある。
アンテナの内蔵は無くBNCコネクター付きのロッドアンテナを採用し外部アンテナを使いやすく、またマイクも外部マイクが利用できる様になって電源は単四電池6本になって(本体の長さも5mmほど長くなった)移動運用に便利になっている。
ミズホ通信が1981年10月20日に発売した(MX−6)50MHz/250mWの送信出力のこれが「ハンディ」という小型でホイップアンテナを内蔵したAバンド・Bバンド切り分けで1バンド50KHzを一つの水晶でカバーするVXO方式を採用している「ピコ」の元祖だと思う
シングルスーパーの受信部は驚くほど感度が良いのだが小出力で006Pの電池運用では実質100mW程度の出力の運用となってしまい遠距離の交信は望めなかった。
八重洲無線(YAESU)の2mオールモードFT−290ポータブル機
昭和56年(1981年)発売、同時にFT−790Rと言う430MHz帯のモデルもあった。移動運用といえばこの機種を使っている局が多くHAM全盛のころのベストセラーこの機種の後にマークUとしてモデルチェンジをしている。
八重洲無線(YAESU)の6mオールモードFT−690ポータブル機
昭和56年(1981年)発売、移動運用といえばこの機種を使っている局が多くHAM全盛のころのベストセラーこの機種の後にマークUとしてモデルチェンジをしているがFT−690のAMモードが無くなってしまったマークUに対してFT−690も中古の人気があった。
井上電機(アイコム)の50MHz帯AM/FM/CWトランシーバー IC-71
昭和45年(1970年)のAM/FM/CW無線機“IC−71”です。50MHzAM全盛時代にパナ6と張り合ったAM/FM及びCWのトランシーバーで出力10Wです。
これは学費を転用して買って夏休みにバイトをして埋め合わせをした、しばらく自分のRIGとして使っていたことがある、思い出の多いものです。
井上電機(アイコム)の50MHz帯AMコンパクトトランシーバー FD-AM3
昭和45年(1970年)のAM無線機“FDAM−3”です。当時は送信周波数は水晶振動子の決められた数チャンネルしかないトランシーバーが一般的でしたので、安定度の悪いVFOでも、結構重宝しました。AMのトランシーバーで出力1Wです。
余談ですが、、近所の女の子が持っていたものをしばらく借りて使っていたことがあります。
トリオの50MHz帯AMコンパクトトランシーバー TR-1000
昭和42年(1967年)のAM無線機“TR-1000”です。私が高校生の時修学旅行に学校の無線クラブ所有のTR−1000を担いで何局かQSOをさせていただいた思い出のあるAMのトランシーバーで出力1Wです。
当時は、真空管式の送受信機を自作するかキットを組み立てるぐらいが精一杯で、オークションで手に入れ整備しました。