「映画のススメ」
映画、好きですか?
私、大好きです。もう十年くらい、年間百本以上のペースで観てます。
洋の東西もジャンルも問わず、文芸作だろうがポルノだろうがアニメだろうが、
スクリーンにかかるものなら何でも観ます。
だって、早いし(2時間そこそこで、予定通りに始まって、予定通りに終わります)、
安いし(映画館で1800円、レンタルビデオだと3〜400円)、
いつでも観れるし(予約不用で、盆も正月も休み無し)、
使えるし(デートに、気分転換に、暇つぶしに、ダイエットに・・・)、
広いし(世界中で作ってます。ハリウッドだけじゃない!)、
深いし(映画が生まれて百年、古い名作は数知れず。
百本観れば百人の人生を体験できる、かも。)・・・。
ね、いいでしょ、映画。
まぁ、観なきゃ観ないで済むもんなんですが、観ようよ。
だって楽しいじゃない。
「映画の都」
新旧問わず、世界で最も映画がたくさん観られる都市を挙げるなら、
パリ、ニューヨーク、そしてトーキョーの3つです。
他の都市はというと、ハリウッドの超大作か、
自国のヒット作ぐらいで、他の国のしかも古典なんてまずお目にかかれない。
じゃあ、その中ではどこが「最強」か…?
まずパリはというと、映画発祥の地ということもあって映画への理解は深く、
シネマテークをはじめとして、古典的名作の特集上映も多い。
ニューヨークは若いクリエーターがぞろぞろ集まっているということもあり、
映画を観るところというより、映画が生まれているところ。
どちらの都市にしても、アジア・中東・アフリカなんかの映画が上映されるとしても
せいぜい国立の施設で「芸術作品」として扱われているくらいのもの。
これに対して我らがトーキョーはどうか。
とにかく世界中のありとあらゆる映画が集まってきていて、
しかもそれらがほとんど、民間の映画館で上映されている。
つまり、苦しいとはいえビジネスとして成り立っているってことで、
こんなとこ、世界中見まわしてもどこにもない。
もちろん、欧米では外国語映画は吹き替えが標準なのに対して、
日本では字幕だから比較的コストがかからないってことは
あるんだけど、それにしても、こんな恵まれた環境他にない。
トーキョー以外でだったらビデオでしか観れないような名作が、
普通にスクリーンで観られてしまう幸せをもっと味わい尽くそうよ。
「字幕と吹き替え」
日本で公開される外国語映画は基本的に字幕。
でも、これは日本だけの話し。海外行けば、たいがい吹き替えだ。
映画ってのは、最初(チャップリンの時代とか)はもともと音がなかった。
これをサイレント映画といいます。
そんで、海外ではピアノの即興演奏で効果音を、
日本では弁士が解説と効果音を付けていた。
しばらくしてフィルムの脇に音を吹き込む事ができるようになって、
映画がしゃべるようになった。トーキー映画の誕生だ。
そこで問題になってきたのが、外国語という壁。
イタリアの作品をそのまんまアメリカで流しても観客は何言ってんだかわかんない。
となれば、音声だけ入れ替えりゃあいいってんで「吹き替え」となり、
これがいまだに主流となっている
(もともと識字率があんまり高くなかったからって話しもあるけど)。
いろんな国のスタッフが集まって、いろんな国で上映するヨーロッパの作品では、
どうせ後から吹きかえるんだからってんで、
はじめからまともな声なんて入れてなかったりする。
イタリア映画の巨匠・フェリーニの代表作「甘い生活」では、
女優にはなからセリフじゃなくて適当な数字をしゃべらせてたって話しもある。
この方がどんな国の役者でも使えるから便利だったんでしょうなぁ。
日本の場合も、最初の外国語のトーキーはやっぱり吹き替えでやってきた。
ところが、その吹き替えがマズかった。
当時はプロの声優なんているわけがないから、ド素人が吹きかえる。
わざわざ日本人を連れていってやるのは面倒なんで、現地調達。
となれば、在米日本人だわな。
ただの素人ならまだ良かったんだが、これがバリバリ広島訛りだった。
当然大不評で、こんなんなら字幕焼き付けたほうがましって話しになり、
これが主流になっていったんです。
「字幕のほうが当人の声が聞こえるからいい」って意見もあるが、
それは単なる慣れの問題。
コロンボのピーター・フォークは実際はしゃがれただみ声で、
字幕にしたらきっと違和感を感じるに違いない。
でも、日本では字幕が普及してくれたおかげでとってもいい事があった。
今では字幕のほうが金がかからないんで、
いちいち吹き替えなんかしてられない単館上映のような作品でも、
気軽に観られるようになった。
一方で、字幕だと前の人の頭が邪魔になって困ることがあったりするのも事実。
最近ではビデオだと、画面が小さいってこともあってか、
吹き替え版が結構出まわっていたりする。
はてさて、今後はどうなっていくんでしょうか。
個人的には字幕のほうが好きなんですが・・。
「工場 vs. 作家」
ハリウッドは「夢の工場」なんて言われたりするけど、
実は、ほんとに「工場」なんです。
オーナーはプロデューサー。
脚本家も、出演者も、監督さえも、交換可能な「労働者」にすぎず、
雇用・解雇は全て「雇い主」プロデューサーが決定する。
だから、撮影途中で監督がプロデューサーと喧嘩して交代なんてことは日常茶飯事。
一方、スタッフの方は労働者だから、
当然強力な「組合」に守られている。
平均以上の品質の製品を、効率よく、
大量に生産するにはいいシステムなんでしょうな。
これに対して「作家主義」という作り方がある。
まぁ、ハリウッド以外は大概このスタイルと考えていい。
「作家」とは監督であり、「映像作家」と呼ばれたりもする。
作家と呼ばれるに相応しく、脚本の段階から深く関わりを持つ場合が多い。
脚本に限らず、キャメラ、助監督、美術、音楽、編集等々のスタッフも、
監督と一心同体のチームとして何本も一緒に映画を作っていく。
日本の場合、こうしたチームは「○○組」と呼ばれ、
例えば小津の黄金期を支えた小津組の主なスタッフは、
脚本:野田高梧、撮影:厚田雄春、美術:浜田辰雄、録音:妹尾芳三郎、
編集:浜村義康、出演:笠智衆、と決まっていた。
彼らは多くを語らずとも監督の意を汲み、
阿吽の呼吸で最高の作品を作り上げていく。
まぁ、徒弟制度の社会です。
一般的にはアメリカ映画といえばハリウッド工場なんだけど、
監督の自由な創作=作家主義を求める監督たちもでてきた。
60年代にニューヨークでジョン・カサヴェデスが始めたのがまさにそれで、
彼らはニューヨーク派と呼ばれる。ウディ・アレンなんかもその一人。
もちろんハリウッドといえども、
コッポラとかイーストウッドとかいった大物監督は話が別。
自分で金出しちゃえば好きなようにやれるからね。
どっちの作品が好きかと言えば人それぞれだけど、
どっちがより芸術的であるかといえば一目瞭然でしょう。
「映画なんて芸術じゃない」って言ってる人の話を聞くと、
ハリウッド工場産の「規格品」しか観てなかったりする。
それは、ちょっと、違うだろう。
あ、ハリウッド映画だって好きだよ。
本だって、いっつも文学作品とか思想書ばっか読んでたら疲れるでしょ。
週刊誌だってエロ本だって「別のもの」として面白い。
別のものなんだから、比べても意味無いよね。