コンコン、と控えめに扉をノックする音に、アティは短く『はい』と返事をする。
確かめる必要などなかった。
その魔力の質が、扉の向こうの人物が誰であるかを教えていたから。

「……先生、僕です」

その声に心が波立つ。
もう少年のものではない、落ち着いた、テノールの響き。

「そのままでいいから…聞いて下さい」



溢れるもの -前編-



かつて自分を好きだと言ってくれたのと同じ人物。なのに、扉を介しただけで全く別人のようにも感じる。
確かに数時間前に再会したウィルは、自分の知る頃より遥かに成長していた。
おそらく中身も同様に成長したのだろう、表情からかつての棘々しさが失われ、代わりに柔らかさが浮かぶ。 それは内面の輝きと、精神面の余裕からくるものだろうか。
「勝手な真似をしてすみませんでした。でも、そうしなければならなかった…どうしても」
扉を開くことなく紡がれる言葉。
アティは相槌を打つことも、何ひとつ言葉を返す事も出来ず、そこから動けず、ただ彼の声に耳を傾けた。
「…ワイスタァンは島からかなり離れているから、剣の意識が働いたりはしないと思って、それで…。でも一人で決める べき事じゃなかった。軽率でした。ただ、」
一瞬の沈黙。
(ただ?)
心の中で先を促すアティに、しばし後、躊躇いがちなウィルの声が続く。
「…ただ、剣は元々二対で一つの役割を果たすものだったから、早く生まれ変わらせる必要があると思って」
だから焦ってしまったんです、と語るウィル。しかし、無論それは本心ではない。
いや、全くの嘘ではないが一番の理由は他にあった。
島で何が起こっているのか直接確認する事をせず行動に移したのは、確かにウィルらしくない。
が、アティの手を借りずにやり遂げる事で同等になれる、そんな思いの上での先走りだ。 結果、逆に彼女を悲しませるといった見事な空回りぶりに、真実を伝えるのも憚られるだろう。
「心配、おかけしました……それじゃ、」
おやすみなさい、と言い終わるかどうかのうちに足音が部屋の前から遠ざかる。
気づいた時には既に遅く、扉を開いてもそこには誰の姿もなかった。
自分の気持ちを伝える機会を完全に逃した恋愛初心者のアティに次などあるはずもなく、 結局、島へ向かう航海の間、二人は傍からから見ても余所余所しいほどのギクシャクした挨拶を交わす事しか出来なかった。





「呆れたわね…貴女、それでここに来たって訳?」
言葉通り、ため息と共に心底呆れ声を発したのはアティの親友とも言える融機人(ベイガー)のアルディラだった。
見た目はそう変わりないが、実年齢はアティの倍…いや、数倍である彼女にアドバイスを受ける事は多い。 無論、人生経験の差もあるが、こと恋愛に関して全くの初心者と言っていいアティだ。 色恋沙汰に関しては流石の彼女も生徒にならざるを得なかった。
「今更躊躇する理由なんて無いでしょう? 島の平和のためだけにそこまですると本気で思ってるの?」
俯きがちであったが、首を横に振るアティにアルディラは笑顔で頷く。
「じゃあもう決まってるじゃないの。貴女が何をしたらいいのかなんて」
「そう…なんですけど…」
「けど?」
「言おうと思えば思うほど、伝えたい気持ちが溢れてきて…何から言っていいのかわからなくなってしまうんです…」
見かけは変わってしまったが、自分を見つめる瞳はあの頃の輝きのまま。
ウィルが自分にしてくれたことを考えれば、幼い日に交わした約束は彼の中で色褪せることなく、生き続けていたのだろう。
疑念視する必要もないほど、まっすぐ、自分を想っていてくれた。なのに。
「なのに…私ったらウィルをひっぱたいたりしちゃって……」
自分の気持ちばかりが先走り、ウィルを傷つけてしまった。
そんな自己嫌悪に沈むアティに、アルディラはあっさりと、何でもないかのように言う。
「簡単じゃない。打ったトコロにこう…そっと手で触れてね、『痛かった…? ごめんなさい…』ってキスの一つでも してあげたら?」
「…っ、な……!?」
「冗談よ、冗談。貴女にそんな真似が出来ればこんな事態になってないもの」
耳まで赤く染めて口をパクパクするアティに堪えきれず、アルディラは噴出した。
肩を震わせて声を出すのを堪える友人に、益々その頬を染めるアティ。
「……アルディラの言うことって時々冗談に聞こえません……」
じろり、と睨み付けるには迫力の足りない、可愛らしい顔をアルディラは両手で制す。
「まぁまぁ、そんな事よりそろそろ彼、追いかけたら? あんまりボーっとしてると、いくら貴女に夢中だっていっても 他の子にもっていかれるわよ?」
この島にだって積極的な子がいるんだから、と、更に追い討ちをかけるアルディラの言葉を笑って受けとめるが、 そこは乙女心の複雑さ。頭では冗談だと理解できても感情が納得できない。
あははは、と笑いながらも背に嫌な汗が伝う。
元海賊船料理長のオーキーニに猛烈なアタック?をした美女を思い出し、アティの焦りは更に増した。
「そ、それじゃあそろそろお暇しますね」
動揺を悟られまいと、逃げるようにしてアティは部屋を後にする。
閉じた扉の向こうでアルディラが笑っているような、そんな気がしたが、今は気にしている場合ではない。 ラトリクスを後にし、アティはウィルを探して遺跡の方へと向かった。
(今度こそ、きちんと貴方に伝えたい…私の本当の気持ちを)
溢れる想いはまっすぐに、ただ一人へと向かっていた。

ラトリクスを後にし、アティはウィルを探して遺跡の方へと向かう。
(……お願い……間に合って…!)
彼が剣を手にした目的を考えれば当然、容易に辿り着く答え。
もう一人で無茶はしないだろうと思う。 が、もし剣の、島の意識の干渉があったら、そう考えると安心は出来ない。
ウィルの言うような異変は無かったが、今現在もそうであるとは限らないのだ。
逸る思いに足取りも徐々にスピードを増す。
だが、道の向こうに見覚えのある人影が姿を現し、アティは歩みを止めた。
「アティ様? どうされたのです、こんなところで」
それは『人』ではなくフラーゼンのクノンだった。
「クノンこそ」
どうして、と言葉にする前に彼女が交代で島の見回りをしている事を思い出す。
「………ウィル様でしたらこちらにはおりません」
「えっ?! ど、どうしてそれを…」
ウィルを見かけなかったか尋ねようと思ったのもお見通しなのだろうか。クノンの鋭さに思わず声が裏返る。
「思考を解析したのではありません。ただ、今の貴女が必死になる原因は一つしかないかと思われますので」
「う…クノンまで……」
クノンにまで単純だと言われているような気がし、アティは更に肩を落とすのだった。




続き→