溢れるもの -後編-



「……ほんと、変わってないな、この島は」
四つの集落を見渡せる眺めの良い丘にウィルは立っていた。
柔らかく吹き付ける風は、変わらぬ温暖な気候を示している。
緑も、空気も。
島を最後にした日と同じ、何一つとして変わっていない。
「…そうだよね、先生が…みんなが守っているんだ。そう簡単に崩れる訳ないか。 取り越し苦労、ってヤツかな」
だが、自分の浅はかな行動でアティを傷つけてしまった事は確かだ。 自分ではあの頃より大人になったつもりでいたが、不安にさせた分、子供の頃より性質が悪い。
「せっかく託してくれた想いが無駄になってしまうよね、これじゃ」
丘の上に一つだけ建てられた石碑の前に膝をつく。石には名前と追悼の言葉が刻まれていた。 誰かが綺麗にしてくれているのだろう、花も供えられている。
ウィルは腰に下げた剣を下ろし、石碑の前へと置く。
「君の心だよ、イスラ。アズリアさん…君のお姉さんから預かった。最も、僕が勝手に復元してしまったけど」
剣は心そのもの。持つ者の心の強さがそのまま、剣の力となる。
彼の強さはどこからきていたのだろう。
無を望みながら、本当は生きる事を誰よりも欲していたのかもしれない。
だから剣はあの時彼を選んだ。自分ではなく、イスラを。
「……あの頃、力の無い自分が悔しかった…いっそ君のような力があれば、とも思ったよ。 そんな事をすればあの人を悲しませるだけだって分かってはいたけどね。 僕にはあの時、君ほどの強い想いは無かった。でも、今は違う」
力があれば何でも出来ると思っていた。彼女の力になり、支える事も。
でもそうではないとあの時の戦いで学んだ。
力が先にあって守るのではなく、守りたいからこそ、人は強くなる事が出来ると。
フォイアルディアが生まれた時、本当の意味で分かった気がした。
「守りたいものが出来たから、だから今なら…剣に選ばれて…いや、選ばせてみせる。 時間はかかってしまったけど、これが僕の答えだ」
鞘から剣を抜き、地に突き刺す。日の光に反射して輝く剣には一分の曇りも無い。
その時頭上から声が降りた。
「それはもう君の心だよ」
咄嗟に顔を上げる。
気配など無かった。焦るウィルだが、声の主の姿を目にして言葉を失う。
「き、みは……」
当時の姿のまま、イスラはそこに立っていた。
生前と異なるのは、身体が半透明で向こうの景色が微かに透けて見えている点。それはファリエルの感じと良く似ていた。
「…妄執から解放してくれてありがとう。いい輝きだね…君の強い想いが伝わってくる」
突き立てられた剣を見て目を細める。穏やかな表情は、素性を隠して子供達と遊んでいた、あの無邪気な笑顔と同じだった。
「君は剣に選ばれなかったというけど、そうじゃない」
「え…?」
「…あの時、海に投げ出された君を助けようとした彼女の強い輝きに守られてしまっていたからね。 でも剣は巧妙に仕掛けていたといっていい、アティが駄目なら傍にいた君を取り込もうと していたんだから。たまたま僕の方がキルスレスの近くにいただけさ。もし君の傍にあったなら」
「……僕が選ばれていた、と?」
肯定とも否定ともつかない笑みを浮かべる。
ウィルが罪責の念に悩まずに済むよう、配慮しているのだろう。イスラが犠牲にならない方法があった可能性を考え、苦しまないように。
イスラは再び剣に目を向ける。
「これはもう僕の剣じゃない。君が新たに作った、君の剣 ――――― 君の心だ。想いを継ぐのは君だよ、ウィル」
核識となってまでも、この島を、人々を守ろうとしたハイネルの想い。
守りたいと願う想いから生まれたウィルの剣は、ハイネルの想いを継ぐに相応しいもの。
「迷いは無いんだろう?」
「ああ。僕はそのために戻ってきたんだ……先生の隣は誰にも譲る気は無いからね」
「……それは本人に直接言った方がいいと思うよ? ほら」
「本人って ――― っ、!?」
悪戯に成功した子供のようにクスクスと笑うイスラが後ろを指差す。
慌てて振り向いた先には呆然と立ち尽くすアティの姿があった。
「せ、先生…」
「あのっ、私、ウィルが剣の意識に支配されたらと思って心配で、その…!」
耳までも赤く染めて必死に弁明するアティの態度を見て、先程の台詞が丸聞こえだった事を悟るウィル。 あの頃のようにストレートな言葉で想いを伝える事が出来れば、とは思ったが、これは単なるアクシデント。 直接伝えた事にはならない。
「駄目だよ、先生。盗み聞きは良くないでしょう?」
「そんなつもりじゃ……って、え?! い、イスラ?!」
ウィルの影になり気付いていなかったのか、イスラの姿に目を丸くする。
恐怖、というより単に驚いている感じだが。
「久し振りだね…と言っても、僕には時間の感覚が無いからよく分からないけど」
穏やかな声と表情。
あの頃彼を覆っていた棘はもう無い。
「…貴方…どう、して………」
やっとの思いで口にした言葉。訊きたい事、伝えたい事は沢山あるのに言えたのはそれだけ。 今にも泣きそうなアティの顔に、イスラは困ったように微笑む。
「今の僕は剣に残っていた『僕の心』のカケラ……消える前に、彼とちょっと話をしたかっただけなんだ。ごめんね、先生」
さて、と時間を惜しむようにウィルに向き直るとイスラは続けた。
「次は……分かっているね? どうするのか」
問われたウィルの視線が、ゆっくりとフォイアルディアへと移るのを見てイスラは頷く。
だが、突き立った剣を抜こうと柄に伸ばした手は寸でのところで別の手に覆われ、遮られた。
「先生…?」
アティの手は震えていた。
昔は大きくて、頼もしく感じたその手は、今ではこんなに細く、小さく感じる。
強大な力を持つとはいえ、彼女は女性。成長してしまえば本来、男である自分より小さくて当たり前なのだ。 大切なモノを守ろうとする強い心が彼女を大きく感じさせていたのかもしれない。
「先生、大丈夫だから手を離して?」
俯いたまま、否を示すように首を振る。
言い出したら曲げない頑固な性格だと知っているが故に、困ってしまう。
「……僕じゃ、貴女の力になれませんか?」
ぶんぶん首を振って強く否定する。まるで子供が駄々を捏ねているかのように。
それは相手に対する甘え。
「先生。ほら、顔をあげて?」
促され、おずおずと顔を上げたアティの瞳には不安が色濃く映っていた。
常に『先生』であろうと、時には虚勢を張ることさえあった彼女が、自分に甘えてくれている。 そんな事実が嬉しくて、ウィルは幼い子をあやす様にアティの頭を優しく撫でた。
「僕はもう、自分の進むべき道に迷いはありません。だから大丈夫。剣に呑まれたりしませんよ」
それに貴女が傍にいるんだから、と付け加えウィルは剣を手にとる。
瞳の輝きは彼の強い決意の表れ。頑固さはお互い様だった。
「…適格者が望む、汝の真なる姿をここに示せ……!」
喚びかけに呼応するように剣が輝き出す。
「来てくれ…不滅の炎、フォイアルディア…っ!!」
赤い光に侵食されていくかのように、ウィルの身体は次第に剣の放つ輝きに包まれた。
激しい光の洪水に堪らず目を閉じたアティだが、光が消え、再び目を開いた視界に映ったのは。
「……ウィ、ル……?」
「……うん、そうだよ。僕だよ、先生」
知らぬ間に零れた涙をウィルが指で拭う。
瞳に映るのは抜剣者となったウィルの姿。 紅い瞳と抜剣者特有の肌と髪色の変化はあったが、イスラの時のような禍々しさは無い。 アティのウィスタリアスと同じ輝きと力を感じる。
「二つの剣は生まれ変わった…これで僕の役目も終りってとこかな」
「役目、って……」
「彼に感謝してよね、先生? もう少しで貴女の剣は力を失って、この島の機能も危険だったんだから」
「えっ?! どういう事ですか!」
「元々二つの剣は二つ揃って一つの役割を果たしていた……なのに一方は壊れ、もう一方は別のものに生まれ変わってしまった。 機能に破綻を生じて不思議じゃない状態だったんだよ、この島は」
「あ……」
アティはシャルトスだけでの封印が失敗した事を思い出す。あの時確かにキルスレスの代わりを他の力で補えない事を知った。 二つの力が揃ってこその力。
「で、その事に気付いたウィルがキルスレスの欠片を新たな剣、フォイアルディアへと生まれ変わらせたんだよ」
「……僕だけの力じゃないさ。色んな人の助けがあったからこそ、出来た事だ」
護衛獣であるテコ、鍛冶師のシンテツやサクロ、あの街で出逢った人々。聖霊パリスタパリス。
そして、一番大切な人への想い。
全てがあって、この力を手にする事が出来た。そう素直に思える。
「そう、だったんですか……。でも、それなら先に話してくれても…!」
一応納得したものの、先に自分に話してくれていれば誤解したりしなかったのだとアティは言う。
「私だってウィルの力になりたいのに……」
実際、直接手を貸さずとも、アティの存在は彼にとって十分すぎるほど精神的な支えとなっている。 その事実を知らずに子供のように拗ねる彼女が愛おしかった。
「先生、相変わらず鈍いなぁ。貴女が彼の気持ちに答えてないから、だからつりあえるよう頑張ったんじゃないの? ウィルは。 もう少し男心ってものを勉強してあげなよ」
呆れたようなイスラの言葉にうっと詰まるアティ。
本当は答えなどとうに出ていた。ただ、認める勇気が無かっただけで。
「後は二人でお好きなように。ま、僕には関係ないけど。じゃあね、お二人さん」
そう言ってあっさり姿を消そうとするイスラを慌てて引き止める。あまりにも突然だった。
「ま、待って、イスラ!」
「何だい?」
引き止めたはいいが、かける言葉が見つからない。
口ごもるアティの心中を察してか、イスラは笑った。
「…僕の心はこの剣と同じように浄化されたんだ。それに剣の欠片となってレヴィノス家で過ごして……僕が愛されていた事を知った。 猜疑心から心を閉ざしてしまっていた頃には見えなかったものが見えた。僕はちゃんと必要とされていた…要らない子なんかじゃなかった ……だからもう十分だよ」
「イスラ…」
「……だから忘れないで、先生。過ぎた時には戻れないから、その時言わなきゃいけない事はちゃんと伝えるべきなんだ。 僕らのようにすれ違わないためにも」
アティは喉から漏れそうになる嗚咽を堪え、頷く。
我慢しなければ声に出して泣いてしまいそうだった。
ごめんなさい、と、声が枯れても尚、叫び続けそうだった。
謝罪の言葉など彼は必要としていない。かえって困らせるだけだと分かっていたから必死に堪えた。
「…どうやらそろそろ時間切れのようだね」
イスラの言葉とともに身体が光を発し、薄れ始める。
彼は光の粒子となり消えていく自分に動じることなく、平静に受け止めていた。
「……イスラ、僕はこの剣で君も好きだったこの島を守るよ。先生と一緒に。ずっと」
ウィルの誓いにイスラは微笑む。最後の一瞬まで穏やかな笑顔だった。

全てから解放され、やっと彼は眠りにつくことができる。還るべき場所で。
二人は言葉もなく、ただ、海の向こうを見つめていた。
彼の魂が向かうであろう方角を。

二人がもう戻る事のない、遠い故郷を。








第9話です。

前編は先に公開したのですが、後編に思ったより手間取りまして… 2カ月かかってしまいました(汗)
(しかも8話から一年経ってたり……うううう;)
イスラEDを見ていないので、イスラがどういう口調なのか、本当の彼はどうなのかわからず思いっきり想像で 書いてます…剣の欠片である彼の心は家族の愛情を知り変わった、という事にしておいて下さい…。
さあ、最終話まであと一歩!

HAL

05.5.16 (一部先行公開)
05.7.04 (改稿後全公開)