■ベッド(3)■


 翌日。
 アントニオはトレーニングを終え、滴る汗をぬぐった。広々としたトレーニングセンターに虎徹はまだ来ていない。ヒーロー同士で時間が重なることは多いが、必ずしも毎日会えるわけではない。
 賠償金の話がまだ揉めているのか──そう思いながら、アントニオは一人でシャワールームへと向かった。肩より少し低い間仕切りの中で、強めに湯を出して頭からかぶる。
 ふと、背後に気配を感じた。誰か来たのか、と思った瞬間、背中の中心を首から腰まで、ぞわっとした感触が一気に滑り下りた。
「うわあっ」
「よお」
 振り向くと案の定、そこにはいたずらっぽく笑う虎徹がいた。わざわざ背伸びをして、間仕切りの上から指を伸ばしたらしい。
「何やってんだ」
 あわててシャワーを止め、アントニオは呆れた顔で目の前の男を見下ろした。もういい年なのに、人をからかうようないたずらが虎徹は大好きだ。いちいち怒っていては、この男とはつきあえない。それよりも、顔を見ることができた嬉しさの方が大きい。幾つになってもガキのようにふざけるところも含めて、アントニオは虎徹が好きだった。ただ──
──そのいたずら、俺以外にはもうするなよ──
 そんなアントニオの無言の訴えに、分かってるって、と答えるように、虎徹がへらっと笑った。
「なあ、お前、今日は定時?」
「ああ、その予定だが……」
「じゃあさ、飲みに行く前に買い物つきあえよ」
「かまわないが」
 待ち合わせの時間と場所を一方的に告げ、虎徹はトレーニングエリアへと戻って行った。
──買い物? 珍しいな──
 と言うか、当たり前のように、一緒に飲みに行くことを前提にされている。
 アントニオはシャワーの温度を少し下げ、再び頭から浴びた。にやける顔を戻さないと、他人から不審がられてしまうのだ。



 夕方、と呼ぶには少し遅い時間帯。
 虎徹がアントニオを連れて向かったのは、ショッピングモール内の家具屋だった。閉店まで一時間も無いこともあり、店内に客はまばらだ。
 虎徹は迷わずベッド売場へ向かった。
「おー、いっぱいあるなー」
 目の前のベッドにぽんっと腰かけ、虎徹はスプリングの具合を確かめた。
「おい、虎徹」
「ん?」
「買い物って、これか?」
「んー、そう。うちのを買い替えようと思ってさ」
「そうか」
 アントニオが少々居心地悪そうに、周りを見渡した。客が少ないとはいえ、男二人でベッド売場にいるのは気恥ずかしいのだ。店員が遠巻きに、こちらを見てるような気がする。
「じゃ、アントニオ、好きなの選べよ」
 虎徹の言葉に、アントニオが怪訝な顔をした。
「お前の部屋のベッドを買い替えるんだろう?」
「そう言ってるだろ? あ、サイズはダブルな。測ってみたけどクイーンは無理そうだったから」
 虎徹は座ったまま両足を浮かせ、ぽんぽんとスプリングで遊びながら、売り場を見渡した。
「そんなもの、お前が自分で選べ」
 憮然とした顔のアントニオを見上げ、虎徹はにやりと笑った。
「お前も使うベッドだぞ? お前が寝心地のいいやつを選べよ」
 あまりのことに、アントニオは絶句した。
「遠慮すんなよ、金は俺が払うんだからさ。あー、でも、あんまり高いのは勘弁な」
 アントニオは固まったままだ。顔が強張って少し赤い。身体が小刻みに震えているのは、多分、恥ずかしいからだ。
──ああもう、そこで照れるな! 俺だって恥ずかしいんだから!──
 虎徹はそれを悟られないように、わざと睨め付けるような目線を作り、アントニオの耳元で囁いた。
『どのベッドで俺を抱きたいか、お前が決めろよ』
「……っ!」
 アントニオの顔が見る見る赤くなる。
「じゃ、俺は布団選んでくるから」
 固まったままのアントニオを置いて、虎徹はさっさとその場を離れた。
 アントニオの比ではないくらい、自分の頬が熱くなっているのが分かる。虎徹は帽子をきゅっと深く被りなおした。



 布団類は、売り場のカードをレジに持っていけば、ベッドと一緒に配達してくれる仕組みだった。便利だな、と思いつつ、虎徹は布団を適当に選んだ。特に拘りなどない。
 そこまでは良かったが、その隣の枕売り場で、虎徹は立ち尽くした。と言うか、枕が必要だということなど、さっきまで気づきもしなかったのだ。
 考えてみれば当たり前のことで、そもそもの目的からすれば、アントニオの枕は絶対に必要だ。
 虎徹は、山ほど積み上げられている中からひとつを手に取った。ふかふかと柔らかくて、気持ちがいい。虎徹の好みからすると少し柔らかすぎだが、アントニオの部屋の枕はこのくらいだった気もする。
──こんなもんだったかなあ──
 何気なく、ぼふぼふと枕を押してみる。
──うん、やっぱりこのくらいだったよなあ。掴んだ感じもこのくらい……──
 手のひらから伝わる柔らかい感触が、枕を掴む状況を思い出させる。それはたいてい、自分のものを舐めるアントニオに手が届かない時か、後ろから激しく突かれて縋るものがない時で──そうだ、一度、顔が見えないのが嫌だって言ったら、次からバックの時はずっと名前を呼んでくれるようになって──
 耳元で囁かれる声と息遣いが蘇り、虎徹は思わず、ぶんぶんと頭を振った。
──……だあっ!!! 思い出すな! 俺!──
 心の中で叫びつつ、虎徹はひとりで再び赤面した。なんだかもう、キリがない。
 虎徹はその枕と、それから同じデザインで少し硬めの枕の二つを選んだ。本当は自分の分を買い替える予定などなかったが、ここまできたらもうヤケだ。
 親切にも隣で売られている枕カバーも買い、やれやれと思ったところに、今度はシーツ売場が目にはいった。
──……そうだよな、ベッドサイズ変えたら、シーツもいるよな……──
 今度こそ余計なことを思い出さないよう、虎徹は一番近くにあった無難な色の二枚をさっさと選んだ。



 ベッド売場に戻ると、アントニオがベッドを押したり腰かけたりしている姿が見えた。案外と真剣に吟味しているその様子に、虎徹は今更ながら、少し気恥ずかしくなった。
「決まったか?」
 虎徹の声に、アントニオが振り向いた。その顔には先ほどの強張りも赤さもなく、いつもどおりだ。
「これなんかどうだ」
 それは比較的シンプルで、少しクラシカルなデザインのベッドだった。
「へえ」
 虎徹はマットレスを手で押し、ぽんっと腰かけてみた。スプリングの硬さもちょうどいい。
「いいな、これ」
「だろ?」
 少しほっとしたように、アントニオが笑った。
 虎徹はアントニオを見上げた。
 結局、アントニオが選んだベッドは、デザインも硬さも、虎徹の好みにピッタリだった。
──お前が寝心地いいやつ、って言ったのに──
 もちろん、そう言われて本当にアントニオが自分の好みだけで選ぶはずはない。分かってはいるが、結局は好みすら把握されて甘やかされているようで、少しだけ悔しい。
 我儘だと自覚しつつ、ちょっとだけむくれながら、虎徹は支払いを済ませた。配達日は虎徹の休日にあわせたので、何日か先だ。
 家具屋を出ると、閉店間近の音楽が流れた。人の少ないショッピングモールを、二人並んで出口へ向かう。
 虎徹は、隣を歩くアントニオを見上げた。いつもどおりの穏やかな顔だ。先ほどのささやかな悔しさを晴らしたくて、虎徹は小さな声で囁いてみた。
「なあ、アントニオ」
「ん、なんだ」
「ベッド選びながら、何考えてた?」
 また顔を赤くして固まるかな?と思った虎徹の思惑は外れた。
 アントニオはごく自然に答えた。
「そうだな、お前が良く眠れるように、だな」
「へ?」
 間抜けな返事を気にもせず、アントニオは虎徹を見た。
「俺の部屋ならともかく、お前の今のベッドじゃ、俺がいたらあまり眠れないだろう」
──いやいや、眠れないのはお前の方だろ? 俺は別に……だってお前がいたら、あったかいし気持ちいいし、なんか安心できるし……──
 言葉がぐるぐると頭を駆け巡る。アントニオが言葉を続ける。
「ちゃんとお前が眠れるなら、その、そういう日でなくても、あー……」
 そこまで言って、アントニオが言葉を濁した。やっぱり顔が赤くなっている。
──だから! そこで照れるなって言ってんだろ!──
 怒鳴りたいが、虎徹の顔も既に真っ赤だ。
「……そういう日でなくても、なんだよ……」
 無理やり促すと、アントニオは小さな声で答えた。
「だからつまり、お前がセックス……できない夜でも、一緒にいさせてくれるか? 無理な時に襲ったりはしないぞ。……多分」
「多分……ってなんだよ」
 虎徹はそう答えるのが精一杯だった。理由も分からないまま、泣きそうになる。
──お前、ホント、俺に甘すぎだよ──
 顔を見られたくなくて、虎徹は俯いた。
「えーっと、さて、飲みに行こうか!」
 気恥ずかしい空気に耐えきれなくなったのか、アントニオがわざとらしいほどに明るく言った。
「……アントニオ」
「ん、なんだ、虎徹」
 不自然に陽気なアントニオに、虎徹は俯いたまま言った。
「予定変更」
「は?」
「お前の部屋で飲みたい」
 しばらくの間の後、帽子の上から、大きな手がぽんぽんと虎徹の頭を撫でた。
「……じゃあ、酒屋に寄っていくか」
 虎徹は顔をあげた。アントニオはいつもどおり優しく笑っている。
 その顔を見上げながら、虎徹はいつもどおり、へらっと笑った。


END





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