■その後(2)■


 桜井は、ランチに抱きしめられたまま、いつまでも泣きやまなかった。
 鳴咽をもらしながら、ランチのシャツをぐしょぐしょに濡らしていく。
 まさか泣かれるとは、ランチは思っていなかった。
 笑顔で心を隠す桜井の、本当の顔を見たいと、いつも思っていた。
 こんな桜井の、感情を露にした姿を見るのは初めて……
 違う、初めてではない、と気付き、ランチは愕然とした。
 あの時。桜井の言葉を信じられなくて、裏切られたという被害者意識だけが心を占めていたあの時。
『僕は、君たちの知っているスプーキーだ!』
『信じてくれ…!』
 一瞬だけ見せた、桜井の怯えた表情。
 あんな顔をさせたのは、自分だ。
 ランチの手が、あやすように桜井の髪をゆっくりとなでる。
 桜井の肩の震えがようやくおさまってきたところで、ランチは桜井をトレーラーの中へと促した。
 どこかに座らせて落ち着くのを待つ以外、ランチには何もできなかった。
「リーダー!?」
 しゃくりあげながら階段をのぼろうとして大きくよろけた桜井を、ランチは反射的に支える。
「あ…ごめん…」
 涙のせいで、視界がぼやけているようだ。
 椅子にたどり着くまでのわずかな距離の間に、桜井は何度も床の荷物に足をひっかけてはランチに抱きとめられた。
 ようやくソファーに桜井を座らせる。
 袖口で涙と鼻水を拭こうとする桜井に、ランチは慌ててボックスティッシュを差し出した。
「あり…が…とう…」
 声をあげて泣いたせいか、桜井の声はいつも以上にかすれている。
 ランチは冷蔵庫からペットボトルを取り出し、紙コップに注いで桜井に渡した。
 桜井はゆっくりと、それを飲みほす。
「もっと飲むか?」
「いや、もういいよ。ありがとう。」
 ペットボトルを冷蔵庫に戻し、ランチは桜井の隣に腰を降ろした。
 桜井はうつむいたまま、ランチの方を見ようとしない。
「…すまない…」
「…あ?」
「その、シャツを汚してしまって…」
「…気にすんなよ」
 それっきり、また黙ってしまう。
 泣かせてしまった、罪悪感がランチには重い。
 自分と目を合わせず、ただ黙っている桜井を抱きしめようとして、ランチは不意に不安になった。
 さっきは勢いで告白して、キスまでしてしまった。
 我ながら、よくあんな大胆な行動にでたものだと思う。
 その行動に対する答えを、ランチは桜井から、まだもらっていないのだ。
 この人はやはり、俺を拒絶するのだろうか。
 相手の事も考えず、自分の感情だけをぶつけてしまった。
 これじゃあ、あの時と同じだ…
 目の前に桜井がいることも忘れて自己嫌悪の世界に入りそうになったランチを、桜井の声が引き戻した。
「このトレーラー、売ろうと思うんだ」
「あ?」
 桜井はうつむいたままだ。
 家出中のランチは、毎晩トレーラーに泊まり込んでいた。
 桜井が、それを許していたのだ。
 今座っている、このソファーが、ここ数ヶ月間ランチのベッド代わりだった。
 トレーラーがリーダーのものではなくなる、ということは…
『出て行け、ってことか…』
 声に出さずに、つぶやく。
「もうアジトは要らないし、維持費だけでも大変だからね」
 うつむいたまま、桜井は少しだけ微笑んだ。
 それは、いつもの桜井の微笑みだった。
 ランチは、動けなかった。
 受け入れてもらえなかった。
 そばにいることすら、許してもらえなかった。
 桜井を信じられなかった自分を、桜井が信じられないのは当然なのだ。
 それは自業自得で、なのに許してもらえるかもしれない、と期待を抱いて。
 結局、自分はリーダーに甘えていただけなのか…
「…でも、そうすると、ランチの居場所はなくなってしまうよね…」
「…気にすんなよ、俺のことは…」
 それだけ言うのが精一杯だった。
 拒絶しながら、それでも自分を気遣う桜井の気持ちが、どうしようもなく痛い。
 またしばらくの沈黙。
 桜井は顔をあげない。
「だからさ、ランチ…」
 もう、聞きたくなかった。
 耐えきれなくなって、ランチが立ち上がろうとした時。
「その、僕のアパートは一応2LDKだし…」
 桜井が顔をあげた。
 ランチの目をまっすぐ見て、
「うちに来ないかい?」
 言ってからすぐに目をそらしてまたうつむく。
「…いや、もちろん、ランチが嫌じゃなかったら、だけど…」
 しばらくの間の後、今度は上目遣いにランチを見ながら
「…駄目かい?」
 ランチは、ただ呆然と桜井を見ていた。
 自分が今何を言われたのか、うまく理解できない。
「…いいのか…?」
 それだけ言うのが精一杯だった。
 桜井はこっくりうなずく。
 ためらいがちに、ランチの方に手をのばして、そっと腕にふれる。
 いつもの、いつも通りの桜井の笑顔。
 ランチは桜井を強く抱きしめた。
 桜井の細い腕が、ランチを包み込むように、背中にまわされる。
 さっき自分がしたように、今度は桜井の手が、ランチの背中をなでる。
 その感触に、ランチは初めて、自分が泣いていることに気付いた。
 みっともない自分の顔を見られないように、しっかりと桜井を抱いて、小さな声でささやく。
「…ありがとう…」
 これ以上、口を開いたら、さっきの桜井以上に、大泣きしてしまいそうだった。


END




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