■その後(1)■
長い夢から目が覚めたような感じがする。
悪夢だったような気もするし、そんなに悪くはない夢だった気もする。
少しの間だけ一緒にいた仲間達は、ここを去っていった。
彼らはまだ若い。
自分の道を見つけるのはまだまだ、これからなのだ。
桜井に残されたのは、爆風にあおられた跡を残すトレーラーが一台。
ひんやりとするトレーラーの外壁に背中を預け、煙草を咥えると、聞きなれた金属音とともに火が差し出された。
桜井は黙って火をつけ、思い切り吸い込んで、吐き出す。
「ランチはまだ行かないのかい?」
上を向いて、煙を吐き出した姿勢のまま、声をかける。
ドレッドヘアの青年は、桜井の隣で、手の中のライターをもてあそんでいる。
カチッ、カチッと開け閉めされていた蓋が、不意に大きな音を立てて閉じられた。
「あんたはどうするんだよ」
「さてね、体力が戻るのを待って、また職探しかな」
ハハハ、と自嘲気味に笑う。
桜井の表情がいつもの微笑みであることが、見なくてもランチには分かる。
穏やかなその仮面で、桜井はいつも本当の表情を隠している。
以前そのことをランチが指摘したら、
『僕は大人だからね』
そんな答えが、返ってきた。
仮面を外す勇気が桜井にはなく、仮面の下を覗く勇気がランチにはなく、かつて生じた誤解。
それでもなお、桜井は仮面を外さない。
「俺はどこへも行かねえよ」
二人並んでトレーラーにもたれて、桜井は上を、ランチは下を向いたままで。
「記者になるんじゃなかったのかい?」
「俺はあんたといたいんだよ」
困ったように苦笑して、桜井はうつむいたままのランチの方を向く。
「ランチは頭もいいし、今時の若い子にしてはしっかりしてるし、きっとちゃんとやっていけるよ」
だから大丈夫だよ、と諭すように言って、ランチの肩をやさしく叩く。
「んなこと心配してんじゃねえよ」
突然顔を上げたランチの手が、桜井の腕を強くつかむ。
「どうしたんだい、急に…」
驚いたような桜井の声に、ランチは手をはなす。
もとの姿勢に戻って、またうつむいて。ぶっきらぼうに
「…駄目か?」
「何がだい?」
「…あんたといたいんだよ…」
ランチの言葉の意味を理解することを、桜井の理性は拒否した。
単なる思春期の気の迷いだと、自分を無理やり納得させる。
「……それで?」
桜井は、大人の顔でランチを見つめる。
ランチは顔をそらしたまま、桜井と目を合わせようとしない。
「僕と一緒にいて、それで君はどうするつもりなんだい?」
「…生きていくんだよ」
不意にランチは顔を上げ、両手で桜井の肩をつかんで、真っ直ぐに桜井の目を見た。
いつもの、大人びて余裕のある顔とはかけ離れた表情に、桜井は少し動揺する。
「ランチ…?」
「俺は記者を目指すって言ったじゃねえか」
「だったら…」
「俺には俺のやりたいことがちゃんとあるんだよ。だけど、それをあんたのそばで、実現させていきたいんだ」
「………」
「俺はあんたと一緒に生きていきたいんだよ。あんたとしゃべったり、一緒に笑ったり、飯食ったり、そういうことをして生きていきたいんだ」
「………」
桜井は黙ったまま視線を外し、自分の肩をつかんだランチの腕に触れた。
それは十九歳という若さだから言える台詞だと自分に言い聞かせる。
二十五歳の、大人の自分が鵜呑みにしていい言葉ではない。
ランチのためにも、自分のためにも。
なのに、どうして鼓動がこんなに早くなるのか、どうして心臓がこんなに痛いのか、
どうして自分の目から涙があふれそうになるのか…。
いつもの笑顔を作ったつもりで、桜井は焦点をわざとずらしてランチを見上げた。
一瞬だけ桜井の瞳がにじんだのを、ランチは見逃さなかった。
桜井の身体を引き寄せ、力強く抱きしめる。
「危なっかしくて怖くて、あんたのこと独りにしとけねえんだよ」
「…僕は男で、もう二十五歳だよ?」
「俺のいないところで死にかけたじゃねえか」
吐き出すようなその言葉は、桜井の胸をえぐる。
「そんなのはもう嫌なんだよ」
「ランチ…」
「そばにいさせてくれ…」
ランチの肩が震えている。
桜井の首筋へ押し付けられたランチの頬から、暖かいものが伝わってきた。
泣いている…?ランチが?
震える背中を抱きしめようと、桜井は思わず腕を動かした。
「あんな思いは二度としたくないんだ…」
搾り出すような声。
二度と、という言葉が、桜井の理性を引き戻す。
怒ってトレーラーを出ていったあの時、ランチは桜井の中に、父親と同じ裏切りを感じたのだ。
そして今度は、願いも虚しくこの世を去った母親の姿を桜井にかぶせている。
それだけのことなのだ。
ランチが見ているのは、桜井自身ではない。
抱きしめようとした手を自分の意思で止め、桜井は気力を振り絞って仮面をかぶる。
あやすように、ぽんぽんと背中をたたいて、
「大丈夫だよ。僕は、今ここで生きているだろ?」
安心させるように、自分の胸を押しつけて、心臓の鼓動を伝える。
ランチの体を伝って返ってくる自分の鼓動が、とても大きく聞こえてくる。
ランチの腕の力が少しゆるんだ。
次の瞬間、桜井の唇はランチの唇で覆われていた。
「んっ…ん…」
痛いほどに強く抱きしめられ、ランチの舌が桜井の唇を割る。
やりきれない気持ちをぶつけるように、ランチは口の中を掻き回してくる。
自分が十九歳の子供でしかないことが悔しくて、信じてくれと、言いたくても言えないランチのもどかしさが、伝わってくる。
信じたくて、でも信じてはいけないと警告する桜井の理性を、熱い舌が溶かそうとしてくる。
苦しくて、息ができなくて、ただ、自分の心臓がきしむ音が聞こえる。
やがて、ゆっくりと、唇が離れる。
目を開くと、自分を見下ろす視線にぶつかった。
桜井の目から涙があふれる。
最後の理性でランチの胸に顔を埋めて、でももう、涙は止まらなかった。
大人の仮面が剥げ落ちた顔をぐしゃぐしゃにして、鳴咽をもらしながら、ランチにすがりついて泣きじゃくる。
ランチに抱きしめられたまま、桜井はいつまでもいつまでも泣いていた。
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