■それはまるで恋のような(3)■
冬の静かな部屋に、パチリ、と駒を打つ音が響く。島田は一人、自宅で盤に向かっていた。
ふと、首元に冷気を感じ、ぶるりと首をすくめる。
一月も半ばともなれば、東京といえどもさすがに冷えこみが厳しい。もう昼だというのに、あまり気温が上がらない。
島田は窓から空を見上げた。鮮やかな青空が広がり、冴え冴えとした太陽の光が射し込んでいる。
一月にこんなにきれいな青空が見られるなんて、東京はすごい──何年経っても、未だに島田はそう思う。何と言っても、冬だと言うのに雪が降らないのだ。
ぼんやりと青い空を眺めていると、玄関のチャイムが鳴った。
今日は桐山が来る予定はない。宅配便かな?──そう思いながら、島田はドアを開けた。
「あ……あの……っ」
「桐山?」
ドアの外に立っていたのは、スーツ姿の桐山だった。手には大きな紙袋を持っている。
「あれ? お前、今日、対局だったか?」
「あ、いえ……」
高校を卒業してから、桐山は対局や将棋の仕事の時にはスーツを着るようになった。しかし今日はそういった仕事は無いはずだし、対局ならこんな時間にここには来ない。
「あの、今日、成人式だったんです」
「え?」
島田は思わず、桐山を見つめた。ようやく、今日が祝日で成人の日だったことを思い出す。そして、桐山が二十歳になっていたことを今更のように思い出した。
「そうか、成人式か、おめでとう」
「……ありがとうございます」
桐山が、何だか硬い表情で答えた。
島田は決まりが悪そうに、顎に手を当てた。
「悪い、知っていればお祝いを用意したんだけどなあ」
島田の田舎では雪が多いため、成人式は八月だった。だから頭では分かっていても、未だに成人式が一月、という認識が薄い。
「とにかく、あがれよ、寒いだろう」
「いえ、あの……」
三和土に立ったまま何か言いかけて、桐山は唇を強く引き結んだ。不自然な程に姿勢良く立ち、睨むように島田を見据える。その思い詰めたような目に、島田の心臓がドクンと鳴る。
この目には見覚えがある。初めてキスをされた時。好きになってもいいかと問われた時。そう、あの時の目だ。
「島田さん!」
絞り出すように放った桐山の声は、緊張でガチガチになっている。
「ど、どうした!?」
島田は思わず後ずさりそうになった。桐山はたどたどしい手つきで、紙袋から大きなものを取り出した。
それは、真っ赤な薔薇の花束だった。
「島田さん、僕と結婚してください!」
桐山は真剣な顔で、両手で花束を差し出した。そのまま深々と頭を下げる。
島田は茫然と立ち尽くした。
何だ、これは。こいつは何を言っているんだ? 花束? 薔薇? 赤い? 何だ、これは。
「…………は?」
長い沈黙の後、島田はようやく、声を発した。
桐山が頭をあげた。その表情は真剣そのものだ。
「法律的に結婚できないのは知っています! 養子縁組という制度も調べたんですけれど、そういう形式的なことじゃなくっていいんです! 一生、僕と一緒にいてください!」
捲し立てる桐山を、島田はただただ茫然と見つめた。
何の冗談だ?──笑ってそう言えたら、どんなにか楽だったろう。
だが、桐山にとってこれが冗談ではないことは、島田には分かりすぎるほど分かっていた。
この表情を見れば分かる。この目を見れば分かる。いつだって桐山は本気だったのだ。
努めて冷静に、島田は頭の中で状況を整理した。
今、自分は、花束を持った相手に結婚してださいと言われた。ということは、これは、プロポーズだ。
──プロポーズ!? 俺に!?──
そのショックを意図的に頭から追い出す。男同士だ、なんてことは今更だ。ただ桐山は分かっているのだろうか。一生、一緒にいるということの意味を。
「……どうしたんだ、急に」
ようやく島田は声を絞り出した。声だけでなく、身体も震えているのが自分で分かる。
桐山は真っ直ぐに島田を見た。
「僕はもうとっくに二十歳です。今日は成人式だったんです。僕を……責任のある大人だと認めてくれませんか」
「……桐山……」
島田は目の前の桐山を見た。桐山は目を逸らさずに、真っ直ぐに島田を見つめている。
責任なんて重苦しいものを持たないのが恋ならば、桐山のそれは間違いなく恋だったはずだ。では、今の桐山の感情は、何と呼べばいいのだろうか。
責任をそのままプロポーズに結びつけるのは、若さだ。
一生、という言葉を口にできるのも、若さだ。
「島田さん……?」
黙ったまま動かない島田に、桐山がおそるおそる声をかける。
島田はゆっくりと、手を伸ばした。
それでは、自分のこの感情は、いったい何なのだろうか。大人としての責任、などという重苦しいものを持つのは、いったい何と言う感情なのだろうか。
心臓が痛い。何故だか分からないけれど、泣きたい。泣いてしまいたい。
自分の中で暴れる感情の正体が分からないまま、ただその感情に突き動かされるまま、島田は花束ごと桐山を抱きしめた。
END
|