■My reason to be.(2)■


 目を覚ました時、ベッドの上にルパンはいなかった。部屋に籠って次の獲物を物色しているのか、いつ来るとも分からない果報を待つために自分のベッドで寝ているのか。どちらにしても、いつものことだ。
 次元は慎重に起き上がり、バスルームへ直行した。こびりついた残滓を洗い流し、髭を整え、階下に降りる。
 キッチンでパンとソーセージとレタスを取り出し、朝食とも昼食ともつかない食事を済ませ、次元はリビングに向かった。さすがに身体が怠い。窓際のソファにごろりと転がり、ぼんやりと天井を見上げる。
 昨夜のルパンの言葉が耳に響く。
──なあ次元、お前なんで俺の相棒になったの?──
 ルパンは何を聞きたかったのだろう。次元はゆっくりと記憶を辿った。
 ルパンと出会った時、次元はあるマフィアのボスの用心棒だった。そのマフィアが所持する資金を根こそぎ盗みに来たのがルパンだった。それだけなら、ルパンは泥棒として、次元は用心棒として対峙し、無傷では済まなかっただろう。だがそうはならなかった。マフィアのナンバーツーがボスの後釜を狙い、ルパンの予告状を利用したのだ。資金を自分の懐に入れ、ボスを殺し、その罪をルパンと次元にそれぞれかぶせた。次元はナンバーツーを殺し、ボスに対する義理は通したが、仕事は失ってしまった。
 あーあ、また職探しか、とりあえずねぐらを確保しなきゃな、ああでも金がねえや──死体を前にそんなことを考えていた次元に、ちゃっかり金を回収した泥棒が笑いながら告げたのだ。
──次元大介、だろ? 俺の相棒になれよ、世界一のガンマン──
 次元がルパンの相棒になったのはあの時だ。理由は昨晩、ルパンに言ったとおり。少なくともあの時点では、相棒という言葉は次元にとって、単に『分け前が多い』という意味しかなかった。仕事は当然きっちりやる。だが、もしルパンが死んでも、次元が考えるのは次の職のことだけだ。
 でも今は違う。次元は真実、ルパンの相棒だ。そしてそうなったのは、ルパンとセックスをする関係になる前だ。
 あの時と、今と、何が違うのか。ルパンが知りたがったのはそれだ。
「……思い出せねえ……」
 あの頃、ルパンと仕事をするのは確かに楽しかった。スリルを楽しいと感じた自分に驚いた。
 息の合う男と二人、鮮やかにお宝を盗み出し、時に失敗して追われ、酒を飲み、バカ騒ぎをして、ああこの仕事が長く続けばいいな、と思った。でも、それだけだった。
 ソファの上で溜息をつき、次元は横向きに体勢を変えた。
 それにしても、このソファは寝心地が良い。硬すぎず柔らかすぎず、生地の肌触りもいい。落ち着いた色合いも、次元の好みにピッタリだ。ほとんどのアジトにソファはあるが、ここのソファが一番……
 うとうとと眠りに落ちながら、次元はぼんやりと思った。
──そうか、このソファが最初の理由か──

 ルパンの『相棒』になってしばらく経った頃、次元は初めてこのアジトに連れられてきた。
 しばらく滞在する、二階の寝室を好きに使え──そう言われ、所在なくこのソファに腰を下ろし──驚いた。
 それまで根無し草だった次元にとって、ベッドやソファは固いか少しは柔らかいか、それなりに清潔かどうか、程度の基準しかなかった。金が無い時は安ホテルか安アパート、運よく金回りのいいマフィアの用心棒の職を得た時は屋敷の一室、それが次元のねぐらだった。次元の概念の中に『寝心地』や『肌触り』、まして『好み』などというものは無かったのだ。
 その日から、次元はソファから離れなくなった。与えられたベッドは一度も使わず、ソファの上で眠った。
 アジトを去る時、次元は思った。いつかあのソファで、また昼寝ができたらいい。それがいつになるかは分からないが、それまで二人とも生きていれば、多分、それは叶うはずだ。
 銃と煙草と酒があれば、自分の心臓は動くのだと思っていた。人にも物にも自分自身にも無関心な次元が初めて感じた、それは『モノ』への執着だった。それが人間として当たり前の感情なのだと、それを望んでもいいのだと、後にそれを教えてくれたのは、欲しいモノは何でも盗み出す相棒の大泥棒だった。
 
 ソファの上で、次元はぼんやりと目を開けた。
「よお、起きたか」
 陽気な声と共に投げられたボトルを、次元は慣れた手つきで受け止めた。冷えたペリエが、眠っていた脳に染み渡る。
「答え、見つけたみたいだな」
「ああ」
 男の勘の良さに苦笑しながら、次元は天井を見上げた。このリビングの真上は、二階の寝室だ。そしてこのソファの真上は、パイプベッドだ。
 次元はルパンに腕を伸ばした。手首を掴み、そのまま力まかせに引っ張る。
「うわっ」
 バランスを崩したルパンが、次元の上に倒れこむ。ペリエのボトルが二本、床に転がる。
「あーら、昼間っから積極的ね」
 楽しそうに笑うルパンの身体に、次元は腕をまわした。
 昼寝に最適なソファ。美味いメシ。愛しい男の熱い肌。そして、ともに駆ける対等な相棒。欲しいものは望んで良いのだと──
「それを俺に教えたのは、お前だぜ、ルパン」
 ちゅ、とルパンが軽く口づけた。
「ソファとメシって、世界一のガンマンが、随分と安上がりだねえ」
 もっともっと、望んでいいんだぜ?
 優しく笑うルパンに、次元は皮肉っぽく口の端を吊り上げ、囁いた。
「世界一の大泥棒の相棒の席は、そんなに安いのか?」
 
 
 
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 深い森の中。木の枝で巧妙に隠した車の中で、ルパンは暗視スコープを覗いていた。
 その助手席で、次元はイヤホンを耳に着け、帽子を目深に被っている。
 僅かな月明かりが、丘の上のアジトを照らす。今、あのアジトのパイプベッドの上には、二人にそっくりな人形が眠っている。屋内外に設置した遠隔操作の爆弾の威力は、アジトだけでなく周囲を吹き飛ばすのに十分だ。
「お、おいでなすった」
 ルパンがスコープのフォーカスをあわせる。アジトのまわりを黒い人影が包囲する。統制されたその動きはチンピラマフィアなどではなく、殺しに慣れた特殊部隊──あるいはおそらく傭兵──のものだ。
「──次元、本当にいいんだな?」
「あれは俺がもらった俺のアジトだ。何度も言わせるな」
 僅かな苛立ちを含んだその声に、ルパンはもう何も言わなかった。

 しばらく前、二人はある小国から機密情報を盗み出した。その情報自体が目的ではなく、もっと大きな仕事の下準備にすぎなかったのだが、盗まれた方の怒りは二人の予想を超えていた。奪還ではなく報復を、ルパンに死を──そのスローガンの元、二人の元には日夜、殺し屋やら傭兵やら時には一個小隊やらが送り込まれてきた。撃退しても逃げても、どこまでも追ってくる。これが裏組織なら頭を潰せば終わるが、国家が相手となればそうはいかない。
 打つ手も無く、ただ逃げ回り、いいかげん二人が疲弊してきた頃、次元が言ったのだ。
──ルパン、欲しいものがある。あのアジトを俺にくれ──
 次元が何をしようとしているか。ルパンにはすぐに分かった。何故ならそれは、ルパンがこの状況を打破する方法を考えた時、真っ先に浮かんだものだからだ。
 街から離れた一軒家。ルパンが最も良く利用するアジト。逃げることに疲れたルパンが身を隠しても決して不自然ではない場所。敵を喰いつかせる餌には最適だ。だが、あのアジトは──
 珍しく答えを迷うルパンに、次元は口の端を吊り上げて笑った。
──欲しいものは望んでいいんだろ?──
 
 助手席に深く座り、帽子で顔を隠したまま、次元は記憶を辿った。
──『なあ次元、お前なんで俺の相棒になったの?』──
 あのアジトで、あのベッドで、そう尋ねられたのは何年前だっただろう。
 さらにその前、あのソファでもう一度昼寝をしたいと思った、あれはいったい何十年前だったのだろう。
 イヤホンから、僅かな足音が聞こえる。傭兵たちが侵入したのだ。やがて静かにドアの開く音が聞こえ、そしてマシンガンの破裂音が響いた。あのベッドの上で、今、二つの人形は蜂の巣になった。
 次元は車から降りると、丘の上を見上げた。月明かりの下、見慣れたアジトが静かに建っている。
「次元、やつらが撤収を始めた」
 ダミー人形に気付いた傭兵たちが、建物から離脱する。罠だと気づけば、アジトの爆破を警戒するのは当然だ。数台の車が森へと引き返す。
「──悪いな」
 次元は静かに、リモコンのスイッチを押した。
 一瞬の後、爆発音が響き、アジトは砂のように崩れた。そしてその数秒後。次々と響く爆発音が、アジトから遠ざかろうとする傭兵たちの車を吹き飛ばしていく。
 やがて煙が収まり、月明かりが丘だった場所を照らした。そこにはもう、何も無い。
「成功だ、次元。車は全部、オシャカだ」
 乗っていた人間がまだ生きているか、それはどうでもいい。これ以上命を狙うなら、アジト一つ、丘一つ、簡単に潰すのだと、それが敵に伝わればそれでいい。
 次元は助手席に滑り込んだ。
 ルパンが黙って、車を発進させる。
 帽子を目深に被り、次元はシートに身体を沈めた。
 車は静かな森の中を走る。
 ルパンがハンドルを握ったまま煙草を咥え、火をつけた。その煙草が、次元の口元に差し出される。
 次元は黙って、それを唇で受け止めた。
 自分は何一つ、失ってはいない。欲しいものは今、自分の隣にある。
 ルパンの匂いのする煙草を吸いながら、次元はそう自分に言い聞かせた。
 
 
 
END.



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