■錆びた天使(11)■


 蒸しタオルと湯を張った盥を用意し、宮田はバスルームから戻った。
 もしかしたら眠っているかと思ったが、木村はぼーっとベッドに座ったままだった。
「大丈夫ですか? 傷、痛みますか?」
「あー、麻酔効いてるから平気。なんか、悪りぃな」
「今更でしょう」
 努めて明るく振る舞いながら、宮田は木村の身体を拭っていった。木村の身体にも、小さな傷がたくさんついている。頬の傷は、鞭のような舌で打たれた痕だ。
 白い身体についた、無数の赤い傷。痛々しいはずなのに目が離せず、宮田はごくりと喉を鳴らした。こんな状況でも──心も身体もボロボロだというのに──目の前の男を貪りたいと思う、そんな自分に心底呆れる。もちろん今までもミッションの後、戦闘で昂った本能の赴くまま、貪りあったことはある。でも、今日は違う。
 欲望を押し殺し、宮田は木村の身体を拭き終えた。
「終わりましたよ。あとはゆっくり休んで──」
 次の瞬間、宮田の首に腕が巻きついた。引き寄せられ、唇が押し付けられる。
「ん……っ……ん……」
 舌先が唇を割る。木村の熱が、宮田の理性をあっという間に溶かす。そっと舌先で触れると、吸い付くように絡みつく。その身体を抱きしめようとして、宮田は手を止めた。背中の傷に触れるわけにはいかない。その間に、木村の手が宮田のシャツをひっぱり、強引に脱がせようとする。
「ん……きむ……ら……さん……」
 ようやく唇が離れると、木村が泣きそうな顔で宮田の目を覗き込んだ。
「しよう、宮田。今すぐしたい」
 耳をくすぐる誘惑を、宮田は懸命に理性で押し留めた。
「ダメだ、アンタ、怪我してるだろ……っ」
 違う、そんなのは言い訳だ。今この人を抱いたら、自分の昏い部分が暴かれてしまいそうで──それが怖くて──宮田は木村を押し留めた。
「怪我なんて大したことないから……大丈夫だから……っ!」
「今日はおとなしく寝てくれよ!」
 本当は、本能にはとっくに火がついている。感情や理性と、それは別物だ。好きな相手を抱きたいのは本能だ。だからこそ、宮田は理性を言い訳にしたかった。
「……」
 木村が動きを止めた。宮田は心の中でほっとした。これ以上迫られたら、本能を抑える自信は無かった。
 木村の額が、宮田の胸に押し付けられた。シャツを掴むその手が震えていることに、宮田は気付いた。縋るように身体を預け、顔を胸に埋めたままで、心の底を絞り出すような声が耳に届く。
「抱いて……宮田……頼むから……」
 次の瞬間、宮田は木村の後頭部を掴んだ。力任せに顔を引き上げ、唇に噛みつく。
「んっ……ん……あ……ふ……っ」
 熱い舌が溶け合う。滴る唾液が顎を伝う。
 絡み合ったまま、宮田は木村の下着に手をかけた。引きずりおろし、後ろの部分に触れる。
「……ッ」
 何も濡らされていないそこが引き攣れる。宮田は手を伸ばし、ローションのボトルを探った。その間に木村の手が宮田のズボンの前を解き、自ら足を開いて跨る。
「ん……ッ」
 ローションに塗れた指が、後ろに入り込む。木村の前は触れられてもいないのにびくびくと震え、蜜を流す。
「……もっと……」
 腰を揺らし、その先をねだる。指の本数が、二本、三本と早急に増やされる。掻き回され、感じる部分を強引に擦られ、強すぎる快楽に涙が流れる。
 指が引き抜かれ、下から雄があてがわれた。そのまま一気に突き上げられる。
「あ……アァ……ッ」
「く……っ」
 宮田が苦しそうに呻きながら、それでも激しく突き上げる。
 十分に慣らされていない、その痛みすら快感となり、木村の身体を駆け抜ける。
「あ……やだ……っ……い……く……っ」
 内側を痙攣させながら、木村は達した。その胎内で宮田が弾ける。その迸りを受け止め、木村は崩れ落ちた。
 二人で重なりあい、ただただ荒い息をつく。
 愛撫すらない性急な交わりが、さらに本能に火をつける。
 宮田は木村を抱え起こした。汗に濡れた髪をかきあげ、その眼を覗き込む。
「木村さん、このままもう一回、いいですか……今度はもう少し、やさしくするから……」
 返事を待たずに、宮田は腰を突き上げた。前の部分に指をかけ、擦り上げる。
 木村は悲鳴をあげながら、言葉にならない返事を口づけで伝えた。



 何度目かも分からない絶頂の後、木村はぐったりと崩れ落ちた。その身体を宮田が受け止める。
「……大丈夫……ですか」
「……さすがに、やりすぎた……かな……」
 俯せのまま木村はベッドに身体を投げ出した。包帯はとっくに解けて、ぐちゃぐちゃに身体に絡まっている。傷テープが無ければ大惨事になっていただろう。
 二人はしばらくの間、黙ったままベッドに寝そべっていた。緩く重く、沈黙が流れる。
 宮田がぽつりと口を開いた。
「アンタ、何かあったんですか」
「あった、って言うかさ……」
 またしばらくの沈黙の後、木村が言葉を続けた。
「今日さ、俺が走ってお前が援護してくれただろ」
「……ええ」
 宮田の胸に、重苦しさが蘇る。その援護が完璧でなかったから、木村は怪我を負ったのだ。
「俺、誰かに背中預けて、あんなに安心して走れたの、初めてだったんだ」
「……え?」
 宮田は思わず目を見開いた。
 木村は楽しそうに笑った。
「いや、もちろん青木と一緒の時だって信頼はしてたけどさ。それとは全然違って、何ていうんだろう、絶対大丈夫!っていう何かに守られてる感じでさ。このままずーっと走ってたい、って思った」
「……でも、アンタ、背中に怪我……」
「それは俺のミスだろ」
 いや、ミスって言うより不可抗力だよな?、と木村はひとりで呟いた。
「だからさ、これからも、よろしくな」
 木村は無邪気に笑った。
「……いいんですか……オレは……アンタの……」
「ん?」
 震える声を宮田は絞り出した。
「……これからも……アンタの背中……オレが守ってていいんですか」
「当たり前だろ」
 宮田は顔を背け、唇を噛みしめた。
──ずっと守っていていいのかよ? ずっと一緒にいていいのかよ? オレの選択はアンタを危険に晒すのに──
「あー、それと……もうひとつ、お前に言っておきたいことがあってさ」
「……なんですか」
 宮田は顔を背けたまま尋ねた。
「あー、えーと……」
 自分で言い出したのに、木村は言い辛そうに言葉を切った。
「えーと、俺が怪我した時さ、お前、あの子を抱えて走れ、って言っただろ?」
「……」
 一番知られたくない昏い部分を容赦なく抉られ、宮田の心臓がギリギリと痛む。
「あれさ……あれのおかげで、俺、救われたんだ」
 宮田は何も言えなかった。ただ木村の言葉を待つ。
「実はあの時さ、俺、思ったんだよ。……あの子を置いていけば、お前と二人で生きて帰れるな、って」
 心臓が止まるほどの衝撃に、宮田は思わず木村の方を見た。
──今、アンタ、何て言った?──
 木村は苦笑した。
「……そんな目で見るなよ。まあ、自分でもロクでもないって分かってるんだぜ? 実際、K・B・Gに入る前は青木と二人でロクでもない生き方してきたし」
 宮田は呼吸すら忘れて、木村を見つめた。
「だから、お前があの子を抱えて走れって言ってくれて、俺、救われた。別に、この稼業で今更、善人ぶる気はさらさら無いけどさ、何ていうか──うん、救われた、だな。やっぱり。だから、お前に……ありがとう、って言いたくてさ……」
 自嘲気味に木村は笑った。
「……やっぱり、軽蔑するか?」
 シーツに、液体が滴った。
「宮田? なんでお前が泣くんだよ!?」
 宮田は木村の身体に縋りついた。
「……なんでもない……」
「宮……田?」
 訳も分からず、木村はあやすように宮田の頭を撫でた。
 自分の身体の中に溢れる感情が、喜びなのか、それとも別の感情なのか、宮田には分からなかった。
「……きむら……さん……」
──救われたのはオレの方だ──と。
 言いたいことはそれ以上言葉にならず、ただただ、宮田の涙は止まらなかった。



END





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