■悪夢と一匙のアイスクリーム(2)■


 セーフハウスは個人で複数所有するのが基本だが、ジンとウォッカはそのうちのいくつかを共有している。その中の一室。
 明かりを落としたリビングの中、大型のテレビ画面の中で、顔色の悪い男女の群れが街中を歩いている。脚を失い歩けなくなったものは、腕を使い這いずり回る。文字通り生気のない顔をした、元々は人間だった者たちが、未だに人間であるものを見つけては襲いかかる。
 バリバリと人が食われるその様子に、ソファで隣に座る男が息を飲みながら大きな身体を縮こまらせた。時折、「ヒィッ」という小さな悲鳴まで聞こえる。
 グラスに口をつけながら、ジンは苦笑した。まったく、人を殺そうが血しぶきを浴びようが、現実世界では平然としているこの男が、架空の映像の中だとなぜこんなにも反応を示すのか。
 本人が言うには映像が『怖い』のではなく『怖さを楽しんでいる』のだそうだ。ジンからすれば、テレビの中の映像より、隣の男を見ている方がよほど楽しい。
 テレビの画面の中で、主役の女ががゾンビたちの額をベレッタで正確に撃ち抜いていく。そのたびに、隣の男は嬉しそうにヒュゥッと口笛を吹く。このゾンビという奴は、頭部──正確には脳幹──を破壊しない限り動き続ける、という設定らしい。
 やがて、主人公たちは大量のゾンビを街に残したまま、新天地を目指して旅立つ。画面が暗転し、エンドロールが流れる。
 結局、何も解決してねえじゃねえか──ジンはそう思ったが、ウォッカは大満足だったようだ。
「いやあ、カッコいいっすねえ」
 主演女優の名をあげながら、ウォッカはリモコンを操作した。画面が戻り、女が長い髪をなびかせながら壁を蹴り、ゾンビの頭を撃ち抜くシーンが再生される。
 ジンとしては言いたいことは多々あるが、フィクションにケチをつけるほど無粋ではないつもりだ。女が露出度の高い派手なドレスを翻しながら跳ねまわるアクションは楽しめたし、主人公の仲間の、気が良くて機械の扱いに長けた大男はちょっとだけ気に入った。
「この主人公、ちょっと兄貴に似てやすよね」
 ウォッカの言葉に、ジンは顔をしかめた。
「俺はこんな派手な服は着ねえし、壁も走らねえ。そもそもこいつは女じゃねえか」
「美人でカッコいいってことですよ」
 臆面もなく言い放ちながら、ウォッカの手がジンの髪を一筋、掬い上げた。
「兄貴なら、確実に脳を撃てやすしね」
 掬った髪に口づけながら、ウォッカが笑う。
 赤くなる顔を背けながら、ジンはぶっきらぼうに言った。
「お前の銃の腕じゃ無理だな」
「へへっ、精進しやす。っていうか、頭を壊しゃいいなら、俺は鉄パイプかなんかで殴る方が性にあってやすけどね」
 ウォッカの腕がジンの肩にまわり、引き寄せられる。逆らわず、ジンはグラスを置いて、ウォッカの膝に頭を預けた。闇の色をした瞳がジンを見下ろし、大きな手が優しく髪を弄ぶ。
「ねえ、兄貴……」
「なんだ?」
「俺がもしゾンビになったら、兄貴のベレッタで眉間を撃ち抜いてもらえやすか?」
 ジンは呆れた。
「なんだ、その質問は。あれは空想の産物だろうが」
「いや、ゾンビみたいなもの、っていうか、つまり自分の意思を失って兄貴に害をなすようになったら、って意味でして……」
 髪を撫でるウォッカの手はあくまで優しい。ジンはその手にそっと自分の右手を重ね、左手で拳銃の形を作った。その指先を、愛しい男の眉間に突きつける。
「安心しろ。間違いなく脳みそをぶち抜いてやる」
「ありがとうございやす!」
 嬉しそうにウォッカが笑う。礼を言うのはおかしいだろう──ジンはそう思ったが、それを口には出さなかった。代わりに、別の言葉を口に載せる。
「なら、もし俺がこのゾンビとやらになったら、お前はどうする?」
「え……いや、だってこれは空想の産物……」
「先に聞いたのはお前だろう」
 凍てつく声が薄暗い部屋の中に響く。緑色の瞳がウォッカを鋭く射抜く。
──俺は答えた。お前も答えろ。逃げることは許さねえ──
 困ったようにウォッカは眉間に皺を寄せた。
「どうする、って……俺の腕じゃあピンポイントで眉間を撃つのは無理ですし、かと言って兄貴のきれいな顔をぐしゃぐしゃに殴るのもちょっと……」
 確かに、頭をぐちゃぐちゃに摺り潰されるのはなんとなく嫌だ。──もちろん、死に方に好みを言えるような立場ではないが。
 ジンはウォッカの逞しい首に腕をまわして引き寄せた。口の端を釣り上げて笑いながら、首筋に向けて囁く。
「なら、俺に噛まれて二人でゾンビになるか」
「いや、兄貴をゾンビのままにしておくわけにはいかねえんで」
 突然、ウォッカの腕がジンの身体を覆うように包み込んだ。低い声がジンの耳元で囁く。
「俺の腹に爆弾括り付けて、兄貴を抱きしめる、ってのはどうですかい?」
 一瞬の間の後、ジンはククッと笑った。
「お前にしちゃあ、上出来な答えだ」
 ジンは腕の力を緩めた。体勢を直そうとしたが、ウォッカの力が強すぎて身動きがとれない。
「おい、ちょっと緩めろ。起き上がれねえだろうが」
「……兄貴、もうちょっとだけ……」
「おい」
「……」
 返事もなく、ウォッカの腕が強くジンを抱きしめる。その吐息に、欲情ではない、何か別の感情が籠っていることにジンは気がついた。
 軽くため息をつき、ジンはウォッカの背にそっと触れた。
「お前もしかして……映画にあてられたか?」
「……すいやせん、なんかこのままだと夢見が悪そうで……」
 いずれ自分たちはロクな死に方をしない。そんなことは分かりきっているし、逃げ出したいとも思わない。それでも、ごく稀にこんな夜──ふとしたことがきっかけで思いを馳せてしまうことがある。自分ではなく、相手の生きざまに。
「──おい、どけ」
 有無を言わせぬ命令に、ウォッカがゆっくりと身体を離す。
 ジンは立ち上がり、キッチンへと向かった。確か冷凍庫にあったはずだ。何日か前、暑い日にウォッカが買ってきて、入れっぱなしになっていたものが。
 丸い容器と銀のスプーンを手に、ジンはリビングへと戻った。ソファに腰かけ、容器の中身をくるりと掬う。
「兄貴?」
 ジンはスプーンをウォッカの方へと差し出した。
「口を開けろ」
 困惑した顔で、ウォッカがおそるおそる口を開ける。そこにスプーンを差し込み、引き抜く。ウォッカの喉がごくりと鳴り嚥下したのを確認し、ジンは容器とスプーンをローテーブルの上に投げ捨てた。ソファの上に膝立ちになり、ウォッカの顔を掴んで唇を塞ぐ。
「ん……っ」
 舌を差し入れると、一瞬だけ、冷たさと甘さが広がる。冷たさはすぐに熱に変わり、ミルクの甘さは別の甘さへと変わる。舌を絡めると、すぐにウォッカが反応した。あっという間に主導権をとられ、逆に口腔内に舌が押し込まれる。
「……ッ……ん……」
 喉からあふれる声を、ウォッカの厚い舌が絡めとる。
「ふ……」
 ようやく唇が離れる。
「兄貴……?」
 困惑と、それを上回る欲情を瞳に浮かべ、ウォッカがジンを見上げる。
 ジンは薄く笑った。
「悪い夢を遠ざけるまじない、だそうだ」
 赤い舌を見せつけるように伸ばし、ウォッカの唇をぺろりと舐める。そこにはもう冷たさも甘さも無く、残っているのは微かなバニラの香りだけだ。
「もっといるか?」
 目線でローテーブルの上のカップとスプーンを指す。次の瞬間、ウォッカが力強くジンの腰を抱いた。そのままソファに押し倒す。
「アイスクリームでまじないですかい? 子供だましもいいところだ」
 欲望と若干の怒りにぎらつく黒い瞳がジンを見下ろす。それはいつものウォッカの瞳だ。その首にジンは腕をまわした。大人の男がされて怒ることのひとつ、それは子供扱いだ。ジンは薄く笑った。
「子供じゃねえなら、悪い夢を見ない方法はいくらでもあるだろう?」
 酒、煙草、人肌。まして、それが気に入りのものなら最高だ。
 服を引き裂く勢いで、ウォッカの手がジンの肌を露にする。肩口を強く噛まれ、ジンの身体が震える。
──ああ、それでいい、好きなだけ喰らえ、夢も見ねえくらいに──
 膝を立て、身体に宿った熱を男に押し付けながら、ジンもまたウォッカの服に手をかけた。夢も見ないくらい、愛しい男を貪るために。
 
 
 
END.



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