■君のいる世界(1)■


 オフィスの廊下は、意外に人通りが多い。上司、部下、先輩、後輩、すれ違うたびに会釈の応酬だ。
 ルイは厚いファイルとノートパソコンを抱え、会議室に向かっていた。会議が始まる前にプロジェクターを設定し、プレゼン資料を整える。部下として当然の仕事なのだが、それはそもそも、上司が後から時間通りに会議室に来れば良いように予め準備をするためだ。では何故、自分の上司は今、自分と一緒に会議室へ向かっているのだろう。
 半歩前を歩くビバリの背中を見ながら、ルイは軽くため息をついた。
 向こうから、他部署の部長が歩いてきた。型どおり、ルイは会釈をする。
 部長はビバリに二言三言話しかけた後、ルイの方を見た。
「ああ、我修院君」
「はい、何でしょうか」
 親しげに話しかけてくる部長に、ルイは好青年風の営業用スマイルを作った。部下の印象は上司の評判に直結する。隣にいる自分の上司のためにも、ここはポイントを稼いでおいて損はない。
「この前のプロジェクト、ずいぶん活躍したそうじゃないか。入社したばかりだと言うのに、大変優秀だと聞いているよ」
 部長がぽんぽんと肩をたたいてくる。ビバリの眉がピクリと動くのをルイは無視した。
「ありがとうございます、早乙女課長のご指導のおかげです」
 そうかそうか、と部長は機嫌よく笑った。ビバリの表情も少しだけ緩む。
「今度、飲みに行こう。 今のプロジェクトの話も聞かせて欲しい」
「はい、分かりました」
 会釈で部長を送り、二人はエレベーターホールへと向かった。
 
 運が良いのか悪いのか、エレベータに乗ったのは二人だけだった。ルイの顔からスマイルはとっくに消え去り、普段の冷めた表情に戻っている。
「なあ、ルイ」
 ビバリが不自然なほど、ルイのすぐ隣に立つ。さすがに防犯カメラのあるエレベータ内で肩は抱いてこない。
「なんですか」
「もう少し気をつけろ」
「何をですか」
 ルイの不思議そうな問いに、ビバリは真顔で答えた。
「あの部長はお前を狙っている」
「何言ってるんですか、そんなことあるわけないでしょう」
 ルイは呆れてビバリの顔を見た。冗談かと思ったが、ビバリの顔は真剣そのものだった。
「いや、あの部長だけじゃない、お前を見てその気にならない奴などいない!」
 妙な力説をルイは聞かなかったことにした。暴走した妄想にいちいちつきあってはいられない。
 エレベーターが到着した。荷物を持っている都合上、ルイが先に降りる。
「まったく、贔屓目が過ぎますよ」
───そんな物好きは貴方だけです───
 冷たい表情に薄く苦笑を浮かべ、すたすたと歩いていくルイに、ビバリは顔をしかめた。
───そういうところが心配なんだ!───
 例え笑顔を作っていなくとも、今も他の社員たちが、すれ違いざまにちらちらとルイを見ている。少なくともビバリにはそう見えた。
 新人の頃に比べて、明らかにルイは人目を引くようになった。それは何も、シャツの質のせいばかりではない。言葉にするなら、色気とか艶とか、そういった類だろう。
 だが、ルイをそう育てたのはビバリ自身だ。
───いっそ、怪しい奴には、ルイは私の恋人だと言ってしまおうか───
 そう思うこともあるが、そんなことをして、今の幸せを失いたくはない。
 ビバリは苦笑して、ルイの後を追った。

 廊下の陰でシャッター音が鳴ったことに、二人は気付いていなかった。



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