■Weekend Lover(7)■
土曜日、夜九時前。
街は正月の名残を残し、新年会らしいグループで込み合っている。
冬貴は、慣れ親しんだ待ち合わせ場所である、大通りの水時計の前に立っていた。今までは凪と遊ぶのが楽しくって、待つ時間も苦にならなかった。でも、今日は違う。これから自分は、とても言いにくいことを凪に告げるのだ。
早く来て欲しい。この落ち着かない時間を早く終わりにしたい。
時計の針が九時を指す頃、ゆっくりと凪が歩いてきた。
冬貴はぎこちなく笑って声をかけた。
「えっと……お久しぶりです」
「……君も元気そうだね。よかった」
凪はいつもの穏やかな微笑を浮かべていた。まるで笑顔の仮面を貼り付けたような、優しい微笑だった。
「店を予約してあるんです。ちょっと歩きますけど、いいですか?」
「うん、いいよ」
冬貴は繁華街の人ごみの中を歩き始めた。半歩遅れて、凪が続く。
十分ほど歩き、二人は店の前に着いた。その店は、凪も知っていた。チェーンの居酒屋だが、全ての席が小さいながら完全な個室になっていて、カップルなどに人気の店だ。
部屋に案内され、二人はぎこちなく向かい合わせに座った。
冬貴はメニューも見ず、店員にビールを注文した。
「凪さんは何にしますか?」
「あ、僕もビールで」
注文を取り終わった店員が、ふすまを閉めて出て行く。
狭い部屋には、二人だけが残された。
沈黙が流れる。
「……結構、いい店でしょう? 会社の女の子に教えてもらったんです。……ここなら、ゆっくり話せると思って……」
耐え切れず、冬貴はわざと明るく話しかけた。
「そうだね」
凪が答えた時、店員がビールを運んできた。
「凪さん、何か食べます?」
「え、いや、僕はいいよ」
「そうですか、それじゃあ……」
冬貴は店員に、いくつか料理を注文した。
「えっと、とりあえず、あけましておめでとうございますってことで」
「あ、そうだったね、あけましておめでとう」
二人でグラスを合わせ、口に運ぶ。
また、沈黙が流れる。
凪は俯き気味で、冬貴と目を合わせようとしない。
「えっと……」
冬貴も話を切り出すタイミングが掴めずにいた。凪に伝える言葉は用意してきた。考えに考えて、出した結論だ。だが、それを口に出す勇気がない。心臓がバクバクいっている。
冬貴はビールのグラスを掴むと、一気に流し込んだ。アルコールの力を借りなければ、とても口にはできない。
空になったグラスを乱暴にテーブルに置くと、冬貴はいきなり立ち上がり、狭い板の間に正座をした。
突然の行動に、凪は呆気にとられていた。
その凪の目を、見たこともないくらい真剣な冬貴の目が見つめる。
「望月凪さん!」
「は、はいっ」
いきなりフルネームで呼ばれ、凪は反射的に返事をした。その凪の目の前で、冬貴は両手を床に着くと、勢い良く頭を下げた。
──ああ、やっぱり──
凪の心がきりきりと痛む。この瞬間、最後の最後まで未練がましく願っていた、わずかな希望さえも打ち砕かれたのだ。
絶望の中、凪の心は不思議なほど落ち着いていた。
土下座までするのは大げさだが、その真摯な態度が冬貴らしい。
ここまでされたら、次に出てくる言葉はただ一つ。
『ごめんなさい』だ。
凪はいたたまれなり、目をつぶった。
だが、次に冬貴の口から出た言葉に、凪は目を見開いた。
「望月凪さん、俺と正式に、おつきあいしてください!」
「……え?」
「あなたが好きです! 誰にも渡したくありません!」
凪は呆然と冬貴を見つめた。
──今、何て言ったの? 僕の耳がおかしくなった──?
「お願いします!」
冬貴はそう言うと、額を床に擦り付けるように、いっそう深く頭を下げた。
「ちょ、ちょっと、倉田くん、とにかく頭をあげて……」
狭い部屋の中、凪は這うようにして冬貴の側に寄った。
冬貴がゆっくりと顔をあげる。緊張で強張っているが、表情は真剣だった。
「……からかってるんじゃ……ないよね?」
「本気じゃなきゃ、告白なんてしません!」
「……どうして……? だって僕、男だよ? 君はストレートでしょ?」
凪の言葉に、冬貴は視線を逸らした。
「……俺だって悩みました。今まで男と付き合うなんて考えたこともなかったし、凪さんでなかったら、正直、今でも気持ち悪いです。でも、凪さんは特別って言うか……」
そこまでぼそぼそと言い淀んでいた冬貴は、急に頭をあげた。腕を伸ばし、凪の身体を力強く引き寄せる。
「倉田くん……!?」
「自分でも良く分からねえんだよ! 男を好きになったのなんて初めてだし、人生観みたいなのもがらっと変わっちゃって、もう、頭の中がぐちゃぐちゃだよ! わけわかんねえよ!」
凪はじっと冬貴の叫びを聞いていた。
冬貴は一呼吸おくと、腕に力をこめた。
「でも、それでも……凪さんが好きなんです。それだけは本当なんです……」
「倉田くん……」
「……返事、聞かせてもらえますか?」
凪は右手で冬貴の頬に優しく触れた。嬉しくて信じられなくて、涙がこぼれそうになる。凪は真っ直ぐに、冬貴の目を見つめた。
「好きだよ。ずっとずっと、好きだったよ」
「凪さん……」
そのまま二人の顔は自然に近づいていった。
唇が触れそうになった、その時。
「失礼しまーす!」
ふすまの外から店員の間延びした声が聞こえた。
一瞬の間の後、二人は猛スピードで自分の席に戻った。
がらりとふすまが開き、食欲をそそる匂いが立ち込める。
「こちら、焼き鳥の盛り合わせと上海ヤキソバになりまーす」
店員が手早く、テーブルの上に料理を並べていく。空のグラスに気づいた店員が、冬貴に尋ねた。
「お客様、お飲み物は?」
「え、えっと、ビ、ビールを」
店員が去った後、冬貴は額の汗を拭った。顔が火照っているのは、アルコールのせいだけではない。
つい先ほどまで、何だかとんてもないことをしていた気がする。
恐る恐る顔をあげると、凪も顔を真っ赤にして固まっている。
冬貴はロボットのようにぎくしゃくとした動きで、小皿をテーブルに並べた。
「と、とりあえず、食べましょうか」
「そ、そうだね」
凪もぎこちない手つきで箸を持ち、料理を取り分ける。
何となく話をするのも躊躇われて、二人とも黙ったまま料理に口をつける。
「あ、これ、おいしい!」
上海ヤキソバを一口食べた凪が、嬉しそうな声をあげた。
「そうでしょ? これがすげー美味いって聞いたんで、絶対、凪さんに食べさせたかったんですよ」
「今度、僕も作ってみるよ。 ……また、食べてくれる?」
「もちろんですよ! 凪さんのメシ、すげー美味いし!」
冬貴の言葉に凪が、はにかんだように笑った。
つられて冬貴も笑顔になる。
いつの間にか、二人は以前のように笑いながら、近況報告をしあっていた。
以前と同じ、楽しい週末。
ひとつだけ違うのは、二人の関係が「友達」から「恋人」になったこと。
でもそれを意識するのは気恥ずかしくて、二人はあえて、今までと同じように振舞った。
未来への思いを、それぞれの胸の内に秘めながら……
END
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