■ミルキーウェイ・プリンセス(2)■
リビングのテーブルの上に、俺は短冊の山を広げた。一枚一枚に、『家内安全』だの『ゲーム機が欲しい!』だのと書かれている。
「それは?」
「あ、これはうちの分。ついでに吊るそうと思って」
「そうか、いいな」
長谷川が柔らかく笑う。
その表情に、俺は「しまった」と思った。
長谷川は一人っ子で、両親は仕事で滅多に家に帰ってこない。誕生パーティもしたことがないくらいだから、家族で短冊に願い事を書く、なんてやったことないだろう。
だが長谷川は気にした風もなく、白紙の短冊を二枚、手に取った。
「ヒロコさんの分ももらっていいか?」
「あ、ああ、もちろん」
ヒロコさんとは、長谷川の家の通いのお手伝いさんだ。両親の代わりに、炊事や掃除をしてくれるらしい。俺も何度か会ったことがあるが、いつもにこにこしている体格のいいオバさんだ。
俺はペンを弄びながら、短冊とにらめっこをした。
「願い事って言ってもなあ。案外、難しいよな」
本当は、俺の願いなんて一つしかないのだけれど。
ちらりと隣を見ると、長谷川はさらさらと短冊に何かを書き込んでいる。
「何て書いたんだ?」
覗き込んだその先には、マジックで書いたとは思えない達筆で「世界平和」。
俺は思わず、頭を抱えた。
「お前さあ、もうちょっと高校生らしい願い事ってないのかよ」
「高校生らしいって、どんな願い事だ」
「ほら、志望校合格! とか、彼女が欲しい! とかさあ」
「平田も、彼女が欲しいのか?」
「え、そりゃあ、まあ……」
俺が欲しいのは、彼女じゃなくってお前だけどな。
──自分の頭に浮かんだキザな台詞に、思わず自分で赤面する。馬鹿か、俺。
「好きな人がいるのか?」
「……まあな」
お前だよお前!
なんて言えるはずもなく、俺は笑って誤魔化す。
「……そうか」
長谷川が一瞬、複雑な表情をしたのを俺は見逃さなかった。柔らかかった表情が急に硬くなる。いつもがクール・ビューティなら、今はフローズン・ビューティってくらい、表情が凍り付いている。
長谷川は短冊を手に取ると、何かを書き付けた。
「これも吊るしておけ」
乱暴に差し出された短冊には
「平田の恋が実りますように」
と書かれていた。
硬い表情が、泣き出しそうに見えるのは俺の気のせい……じゃないよな。
「好きな人がいる」って言ったら、急に長谷川の機嫌が悪くなったってことは……。
俺はもしかして……自惚れてもいいのか……?
これが俺の勘違いだったら、取り返しのつかない結果になる。「友達」のポジションだって失くしてしまう。でも、それでも……。
「長谷川」
「……」
「俺が好きな人と付き合えるように、願ってくれるんだ?」
「……あたりまえだ。クラスメート……なんだから……」
友達、とすら言わない憎まれ口。
かわいい。
やっぱりお前、かわいいよ。
俺は立ち上がると、長谷川の腕を掴み、強引に自分の方へ引き寄せた。
「平田!?」
バランスを崩した長谷川が、俺の方へ倒れ込む。
それを身体全体で受け止め、俺は長谷川を腕の中に抱き込んだ。心臓がバクバクいっている。俺は長谷川をしっかりと抱きしめたまま、耳元に口を寄せた。
「だったら、俺の恋……かなえてくれる?」
長谷川は──動かなかった。俺の腕の中で、ただじっとしている。俺がしっかりと肩を抱え込んでいるせいで、お互いの顔は見えない。
俺はだんだん、不安になってきた。
意を決して身体を離し、長谷川の顔を見る。
「……!」
長谷川は泣いていた。信じられない、といった顔で、自分の手の上に零れる涙を茫然と眺めている。
「あれ……? これ……涙……?」
長谷川の声が震えている。
俺の手は自然に動き、長谷川の顔を優しく包みこんだ。そして、瞼に口付ける。
「長谷川……俺のこと、好き?」
長谷川は答えない。
俺は指で、涙に濡れる唇に触れた。
「俺は好きだよ。初めて会った時から、ずっと」
涙の跡を唇で辿り、そのまま長谷川の唇に重ねた。
長谷川は抗わず、何も言わなかった。ただ腕を上げ、俺の背中に回した。腕に力がこもり、ぎゅっと抱きしめられる。
それが長谷川の返事だった。
**********
漸く唇を離した俺は、ぎこちなく、長谷川を抱きしめていた腕をほどいた。
「……飲み物、持ってくる」
長谷川はするりと俺の腕から逃げ出し、キッチンの方へと行ってしまった。
俺は茫然と、今の出来事を思い出していた。
今、俺、長谷川とキスしたよな?
長谷川も、応えてくれた……よな?
唇には、涙の味が残っている。
長谷川はなかなか戻ってこない。
俺は茫然としたまま、ウッドデッキに向かった。
青空の下、笹の葉はさらさらと風に揺れている。
今の俺の願い事は、たったひとつしかない。
──どうか、今の出来事が夢ではありませんように──
END
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