■ミルキーウェイ・プリンセス(1)■
梅雨の晴れ間の日曜日。
俺はデカい竹をずるずると引きずりながら、住宅街を歩いていた。
じりじりと照りつける太陽の下、気の早いセミがミンミンと鳴いている。
ようやく目的の家にたどり着くと、俺は玄関のチャイムを連打した。
「はーせがーわくーん」
俺の能天気な声に、ドアがガチャリと開き、顔をしかめた長谷川が姿を現す。
「……平田。高校生にもなって、近所迷惑なことをするな。お前は子供か」
冷めた瞳が俺を見る。いつものことながら、ゾクゾクする。呆れたような冷ややかな口調がたまらない。
「いいじゃん、それよりコレ! 一番デカいの貰ってきたんだぜ」
「……平田」
「ん?」
「ソレは何だ」
「何って、竹。あ、笹か? もうすぐ七夕だろ?」
「……それを何故、俺の家に持ってくる?」
「だって、お前ん家の庭なら広いから立てられるだろ? 俺ん家は狭いから、入りきらなくってさぁ」
笑いながら言う俺に、平田は溜息をつくと、庭へと続く小道を指した。
「そっちから庭にまわれ」
「おっけー」
俺はずるずると竹を引きずりながら、勝手知ったる長谷川の家の庭へと向かった。
**********
俺が初めて長谷川に会ったのは、高校の入学式。
新入生代表として壇上に立った長谷川を見た瞬間、俺の呼吸は止まった。
苦労して友達になるまで半年。誕生日を口実に自宅にまで押しかけて以来、なんだかんだでつるむことも多くなったが、二年生になった今でも俺たちの関係は「とても仲の良い友達」のままだ。
**********
長谷川の家は、家と言うより屋敷だ。広い庭には芝が敷き詰めてあり、リビングから繋がるウッドデッキから、庭に出られるようになっている。
俺は庭に竹を運び込むと、ウッドデッキの柱に竹を立て掛けた。
すぐに倒れそうになる竹に悪戦苦闘していると、リビングから回ってきた長谷川がビニール紐を差し出した。
なんだかんだ言っても、長谷川はこういうところによく気が回る。
「お、さんきゅ」
竹を柱に固定すると、俺はさらさらと風になびく笹の葉を見上げた。
「おー、なんか、七夕っぽいじゃん」
「そうだな」
長谷川も笹を見上げる。
ウッドデッキの上にいる長谷川の方が高い位置にいるので、俺は自然と、長谷川を見上げる形になる。
開襟シャツの胸元から細い首が伸び、喰らいつきたくなるような喉元がよく見える。その罪な白さに、心臓がドクンと音を立てる。
「──平田?」
いつの間にか、見とれていたらしい。長谷川が怪訝そうな顔でこちらを見ている。
「あ、いや、いい天気だなー、と思って」
俺は慌てて空を見上げる。
「この分なら、今夜は天の川が見られるかなー」
「そうかもな」
相変わらず、長谷川の返事はそっけない。もっと笑って欲しいとは思うけれど、このクールな態度は、それはそれでクセになる。最近、俺は実はマゾだったのかと自問自答することもあるくらいだ。
「天の川って言えば、小さい頃、ばあちゃんがよく話してくれたなぁ」
「昔話か?」
「そうそう、織姫と彦星の話。あれって怖いよな。人間の神経を引っこ抜くなんてさ」
「……神経?」
長谷川が不思議そうな顔をする。
「あれ? もしかして長谷川って、織姫と彦星の話を知らないの?」
「いや、知ってる……と思うが……。織姫と彦星が、年に一回だけ、天の川を渡って会う話だろう?」
「簡単に言えばそうだけどさ。え、もしかして、本当に知らないの?」
長谷川は怪訝そうな顔をしている。
そうか、難しい数式なんかすらすら解いちゃう優等生でも、知らないことってあるんだ。
俺はちょっと得意になって、話し始めた。
「天の川の上流には三途の川があるんだ。
で、悪いことをした人間は死んだ後、三途の川で船から突き落とされて、溺れたまま天の川まで流れていくんだ。
織姫は流れてくる死体から、神経を引っこ抜いて、その神経で糸を作って、機を織るんだ。
で、一年がかりで織った布を天の川にかけて、それを橋にして彦星に会いに行くんだぜ。
神経を抜かれるなんて、痛そうだよな〜」
「……平田。それはいったい、どこの地方の民話だ」
「え? ばあちゃんはここで産まれたから、この辺の話だと思うけど?」
「もしかして、その話の最後には、『悪いことをすると織姫様に神経を抜かれるから、いい子にするんだよ』とか言われなかったか?」
「あ、そうそう。ばあちゃんが良く言ってたなあ。って、この話、知ってたのか?」
「……」
長谷川はこめかみに指をあてて、盛大に溜息をついた。
「平田。お前、騙されてるぞ」
「え?」
「そんな昔話は、少なくともこの辺りにはない。多分、子供に言うことを聞かせるための作り話だ。ナマハゲみたいなもんだろう。お前、よっぽどの悪ガキだったんだな」
確かに俺は悪ガキで、行っちゃいけない沼に子供だけで行ったり、弟を物置に閉じ込めたりしては、親に怒鳴られていたけれど。
「じゃあ、もしかして、鯉のぼりに頭から食べられるとか、月の兎に杵で叩かれるとか、そういう話も?」
「……お前、どれだけ悪ガキだったんだ……」
──どうやらばあちゃんは、俺がとんでもないことをやらかさないように、いろいろと怖い話を考えてくれたらしい。
自信満々に話した七夕の話が作り話だと分かって、俺はヘコんだ。
と、くっくっくっという声がする。
見ると、何と長谷川が腹を抱え、声を殺しながら笑っていた。
滅多に見られない長谷川の笑顔だが、何もこんなネタで笑わせたいとは思っていなかった。
「……そんなに笑わなくても、いいだろ」
俺がむくれ気味に言うと、長谷川は「いや、すまん」と言いながら涙を拭った。
──何も泣くほど笑わなくってもいいじゃないか。
長谷川は、まだ腹を抑えながら言った。
「だって、その年まで信じてたなんてな……。何ていうか、お前、かわいいよ」
かわいい!? 俺が!?
『かわいいのはお前だ! 長谷川!』
そう叫びたいのを我慢して、俺はそっぽを向いた。長谷川はかわいいというより綺麗、というタイプだが、今はそういう問題ではない。一年以上も片思いしている相手に、こともあろうに『かわいい』と言われ、俺のプライドはズタズタだ。
長谷川はまだ笑っている。
くやしいので、俺は話を逸らした。
「あ、そうだ、短冊!」
俺は鞄から、和紙でできた短冊を取り出した。
「これも、もらってきたんだ。書いて吊るそうぜ」
「なら、上がれ。今、ペンを持ってくる」
随分と笑ったせいか、いつもより長谷川の表情が柔らかい。クールな表情も好きだけど、滅多に拝めない優しい顔は、また格別だ。
俺はウッドデッキの上に靴を脱ぎ、いそいそとリビングへとあがった。
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