■マシンガン・キャット(3)■


 数日後、深夜零時。
 貮方は廃ビルの屋上にいた。
 春まだ浅い時期のため、空気は澄み、空には寒々とした満月が浮かんでいる。目撃されるリスクを考えれば、仕事にはあまり向かない天気だ。
 最近、仕事の前になると気分が憂鬱になる。今回のように、正義も大義名分もなにもない、政治家どもの利害のためだけの、暗殺の仕事の場合はなおさらだ。
 非合法の傭兵として、今まで数え切れないほど仕事を請け負ってきた。プロとして、今まで培ってきたもの、失ったもの。人の命を奪って金を貰う生き方。そうまでして生きる価値が自分にあるのか。葛藤と苦悩。そういった感情が自分を支配し、いたたまれない気分になる。
 汚れ仕事も引き受けるため、傭兵仲間の間では「殺し屋」と陰口を叩かれている。それでも、これは貮方が自分で選んだ仕事だ。この生き方しかできないことは、貮方自身が一番良く分かっていた。
 貮方は双眼鏡を取り出すと、夜空にそびえ立つ高級ホテルを探った。最上階から三つ下、左端の部屋が目的の部屋だ。夜景を楽しむためだろう、一面ガラス張りのスイートルームにカーテンはひかれていない。
 明かりのついたベッドルームに双眼鏡を向け、ピントを微調整する。ターゲットを視認した貮方の口元が、不愉快げに歪んだ。
 キングサイズのベッドの上では、全裸の中年男が、別の若い男の身体を嘗め回していた。脂ぎった顔には、恍惚とした表情が浮かんでいる。
 貮方も、性癖について他人をとやかく言えるほどお上品ではないことは自覚しているが、中年男のねちっこいセックスシーンなど見て楽しいものでもない。
 エージェントからの情報によると、この男は与党の代議士だということだった。数年前までは女性関係で週刊誌を賑わせていたが、どういうわけか四十代も半ばを超えて、いきなり男に目覚めたらしい。最近では頻繁に出張ボーイを買い、お盛んに励んでいるというわけだ。
 組み敷かれている若い男に双眼鏡を向けた時、貮方の動きが止まった。
 ベッドの上で足を開いているのは、達哉だった。特に乱暴なことをされているようには見えないが、唇を噛み締め、何かに耐えるようにきつく目を閉じている。
 数日前、達哉は店のNo.1だと言っていた。貮方が抱いた時も、男に金で買われることに慣れている様子だった。
 だが、今の達哉は見ていて痛々しいほど、苦しそうな表情をしている。売りをやっているのなら、演技でも喘いで見せるのが仕事だろう。
 違和感が胸を掠める。
 貮方は双眼鏡を下ろすとホテルに背を向け、フェンスにもたれて腰を下ろした。コンクリートの冷たさが身体に伝わってくる。
 貮方は空を見上げ、ゆっくりと目をつぶった。達哉のことを頭から追い出し、これから行う仕事をシミュレートする。
 あと一時間ほどで、達哉は仕事を終えて帰るはずだ。そうしたら、貮方はホテルに入り込み、ホテルのスタッフのふりをしてドアをノックすればよい。事務所から緊急のメッセージがはいっている、とでも言えば、ターゲットはドアを開けるだろう。あとは、ターゲットの心臓めがけて拳銃の引き金を引くだけだ。
 三十分ほどが経った頃、貮方は再び双眼鏡をホテルに向けた。
 中年男は達哉の足を抱え上げ、激しく腰を打ちつけていた。達哉は相変わらず、唇を噛み締めている。
 やがて、男の動きが止まり、身体が二、三度びくびくと痙攣した。おそらく達哉の中で達したのだろう。男は満足そうな表情で身体を離し、ティッシュを引き抜いて後始末を始めた。
 後は達哉がシャワーを浴びて、部屋を出るのを待つだけだ。貮方はホテルから視線を外そうとした。
 その時、達哉が男の首に腕を回し、自分の方に引き寄せた。男の耳元で何か囁くように唇が動くのが、貮方にははっきりと見えた。
 男の身体が強張り、動きが止まる。その顔に、驚愕の表情が浮かぶ。
 次の瞬間、男は胸をおさえ、前かがみになってベッドに倒れこんだ。胸をおさえたまま、のたうちまわる男を、達哉は呆然と見つめていた。
 やがて、男の動きが止まった。
 達哉ははじかれたようにベッドから飛び出し、慌てて衣服を身に着けると、部屋を飛び出した。
 貮方も、予想外の出来事に動けないでいた。自分が始末するはずだったターゲットに、何かが起こったのは確かだ。ベッドの上の男はぴくりとも動かない。
 貮方は廃ビルの非常階段を駆け下りると、停めてあったレンタカーに飛び乗った。そのままホテルの裏口にまわると、ちょうど達哉が飛び出して来るところだった。
「乗れ!」
 貮方は助手席のドアを開けて言った。
 突然現れた貮方に、達哉は驚いた顔をしたが、そのまま助手席に飛び乗った。
 車を走らせながら、貮方は怒鳴った。
「お前、何をした!」
「何もしてない……」
 達哉の声は小さく、頼りなさげに震えていた。
 一キロほど走り、貮方は人気のない路地裏に車を停めた。
「何があった! 説明しろ!」
 問いかけが聞こえていないのか、達哉は可哀想なほど真っ青な顔で、がたがたと震えている。額には脂汗が浮かび、瞳の焦点もあっていない。
 まずは落ち着かせるのが先だ。そう判断した貮方は、震える達哉の肩を優しく抱き、自分の方へ引き寄せた。
「あ……」
「大丈夫だ。ゆっくりと深呼吸をしろ」
 貮方は、達哉を自分の腕の中に抱え込んだ。大きな手であやすように、背中をなでる。
 達哉の呼吸が次第に落ち着き、瞳に光が戻ってきた。
「あ……俺……」
「ゆっくりでいい。何があったのか、話してみろ」
 貮方の穏やかな声に、達哉は抱かれたままぽつりと言った。
「俺……父親を……殺した……」
 貮方の顔に驚きが浮かぶ。
 父親……? あの男が……?
 達哉は貮方の腕の中で落ち着きを取り戻したのか、ぽつりぽつりと話し始めた。
「俺の母さん……去年、病気で死んじゃったけど……時々話してくれたんだ……。 俺の父親は有名な政治家だって。 若い頃つきあっていたけど、政治家はいい家のお嬢さんと結婚しなきゃないから、妊娠してることを黙ったまま別れた、って……」
「それが、あの男か」
「そう……だと思う……。 名前だけは母さんから聞いていたから……。 向こうは俺が産まれたことも知らなかったと思う……」
 要するに、男は政略結婚のため、恋人を捨てた、ということか。そして女は、内緒で子供を産み育てた。
 まるで出来の悪いメロドラマだ。だが、達哉の話は真実なのだろう。達哉に嘘をつく理由はない。
 達哉はゆっくりと、言葉を続けた。
「今日、店の支配人に言われたんだ。大物のお客が俺を指名してるって。写真を見てすごく気に入ったって。大笑いだろ、指名されてホテルに行ったら父親だったなんて」
 そこまで言って、達哉は自嘲気味に笑った。
 貮方は何も言わず、ただ達哉を抱きしめていた。
「あいつはもちろん、俺が息子だなんて気づかなかった。それどころか、自分の昔の女にそっくりで、顔がすごく好みだって。女を……俺の母さんを捨てて、大物政治家の娘と結婚したって、自慢してた……!」
 達哉の手が、貮方のシャツを掴んだ。手が震えている。
「俺、悔しくて悔しくて……っ! だから終わった後に言ってやったんだ。『あんたの息子の身体は良かった?』って。『俺はそんなに、松原美奈子に似てる?』って! そしたら急に苦しみ出して……。心臓が悪いって自分で言ってたんだ。だったら男なんか買うなっての!」
 叫ぶように一息に吐き出し、達哉は貮方の胸に額を押し付けた。涙で声が震えている。
「ホント……笑っちゃうよ……父親が息子の上で腹上死なんてさ……」
 嗚咽が漏れ、それはそのまま子供のような泣き声に変わった。
 達哉が貮方のシャツを濡らし続ける間、貮方は何も言わず、ただ達哉の背中をなで続けた。
 やがて、達哉が泣き止んでも、貮方は達哉を離さなかった。
 貮方の腕の中で、達哉がぽつりと言った。
「ねえ。やっぱり俺が、殺しちゃったのかな……」
「……お前が殺したんじゃない」
 貮方は達哉を抱きしめる腕に力を込め、静かに言った。
「店に連絡するか、警察に行け。大丈夫だ、お前は悪くない」
 貮方の腕の中で達哉はこくりと頷いた。

 ※※※※※※※※※

 成田空港内、ホノルル行きの飛行機の中。
 貮方は自分の席を確認すると手荷物置き、シートに深く沈んだ。
 結局、政治家の死因は心臓発作と公表された。新聞やワイドショーに達哉の名前が出ていなかったところを見ると、店側がうまく手を打ったのだろう。
 遺族や政治団体も、まさか男を買って腹上死した、などというスキャンダルは公表できないだろう。
 一方、貮方はエージェントから、報酬は支払わないと告げられた。確かに自分は手を下していないのだから仕方がないが、準備や下調べにかけた手間と金を考えると、今回は完全に赤字だ。
 気分を入替えるために、貮方は国外脱出を決め込んでいた。
 売店で買った新聞を広げながら、ふと、達哉のことを思い出だす。
 複雑な生い立ちや、父親の死というショッキングな出来事は、普通ならば十分、同情に値するのだろう。
 だが、素直に憐憫の情を感じるには、貮方の心はあまりにも荒んでいた。
 殺し屋とまで言われる、自分の生き方と葛藤。そんなものが貮方の心を常に支配している。
 だからこそあの時、車の中で。どうして達哉を抱きしめたのか自分でも分からない。もしかしたら、自分の葛藤の答えがそこにあるのではないか。そんな考えが頭を掠める。
 だが、全ては終わったことだ。二度と達哉に会うこともないだろう。
 貮方は新聞をめくりながら、見るとはなしに記事を眺める。
 と、その時。
「貮方さん」
 ハスキーな声に貮方が顔をあげると、そこには達哉がいた。
「お前、なんでここにいる」
「えへ、ついて来ちゃった。 空港で張ってれば、絶対また会えると思ったんだ」
 達哉は屈託のない顔で笑う。
「何を考えている! すぐに戻れ」
「だって俺、行く所ないし。日本にいるとごたごたしてうるさいし。それに、貮方さんとなら楽しめそうだし」
「お前……俺の仕事を知っているだろう」
「知ってるよ?」
 それがどうしたの? という顔で達哉は笑う。そして耳元に唇を寄せ、囁く。
「俺、貮方さんに惚れちゃったみたい」
「……」
 無言の貮方に、達哉は猫のような眼をくるりとまわしながら笑いかけた。
「嫌だって言っても、勝手についていくからね」
「……」
 空港についたら、絶対にまいてやる。だいたい、こいつのせいで今回の仕事は報酬をもらえなかったんだ。こんな疫病神を背負って仕事ができるか!
 そんな貮方の思惑をよそに、達哉は当然のように隣のシートに座った。
 何かと話しかけたり、時には貮方の太腿に手を伸ばして悪戯をしようとする達哉。
 忍耐力を駆使して、それを無視し続ける貮方。
 二人の攻防は、飛行機がホノルル空港に到着するまで続いた。



END



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