■マシンガン・キャット(1)■
時刻は深夜十二時を少し過ぎていた。繁華街の喧騒は静まりつつある。
路地を少し入ったところにある、小さなバー。ジャズが静かに流れる店内は、平日のせいか、人影はまばらだった。
薄暗いカウンター席で独り、貮方誠次(にのかた せいじ)はウィスキーグラスを傾けていた。精悍な彫りの深い顔立ちに、間接照明の光が影を落としている。
この店は、男たちが一夜の相手を求めて集うことでも密かに有名だった。しかし、貮方の近づきがたい雰囲気を感じ取ってか、声をかける客はいなかった。
貮方は、ただ物思いにふけるように琥珀色の液体を見つめていた。貮方の周りだけ、時間が止まっているかのようだった。
グラスの氷が、カランと硬質な音を立てて崩れた。その時。
隣の席に、するりと近寄る人影があった。
細身のパンツに包まれた長い足をみせびらかすように、スツールに浅く腰掛ける。
「おじさん、一杯おごってよ」
ハスキーな声に、貮方は顔をあげた。
まだ幼さを残した、少年と言っても過言ではない男がそこにいた。ひとなつっこい笑顔を浮かべている。
貮方は表情を変えず、ただ少年を一瞥した。
少年は勝手にバーテンに声をかける。
「ソルティドッグちょうだい」
程なくして、バーテンがカクテルグラスを差し出した。
少年は舐めるように、グラスに口をつける。
貮方は少年から目を逸らし、ウィスキーをあおった。
「ガキは趣味じゃない。男漁りなら他をあたれ」
「ふーん、そんなこと言っていいの?」
少年の白いシャツの胸元で、金のチェーンネックレスがきらりと光る。
「俺、おじさんのヒミツを知ってるよ?」
猫のような眼をくるりとまわしながら、少年はアルコールで濡れた唇を貮方の耳に寄せて囁いた。
「おじさん、人を殺したでしょ」
「……」
貮方は表情を変えなかった。少年は気にした風もなく、続けた。
「俺、見ちゃったんだよね。一ヶ月前、そこの路地裏で桐生組の幹部の死体が見つかった前の晩。おじさんが路地から出てくるの」
「知らないな」
貮方はにべも無く言い放った。少年は楽しそうに笑いながらカウンターに肘をつき、貮方の顔を覗き込む。
「黒いコートに黒いスーツ、ワイシャツは白で、ネクタイは濃紺の細いストライプ。あ、眼鏡もかけてたよね。あれって変装のための伊達眼鏡?」
すらすらと出てくる言葉に、貮方の表情が僅かに強張った。
「俺、特技は一度見た人の顔と名前を忘れないことなの。ま、職業病みたいなもんなんだけどね」
貮方はゆっくりとグラスに口をつけた。少年は一人で言葉を続けた。
「あ、俺の仕事って、ボーイズマッサージのボーイね。ま、要するに売り専。これでも指名No.1なんだよ。だから、オトコの顔を覚えるのは得意ってわけ」
明るい調子でそこまで言って、少年は急に声を潜めた。まるで睦言のように囁く。
「何なら、これから警察に行って、あの夜に見たことを証言してもいいよ」
貮方はグラスを置き、静かに言った。
「何が目的だ」
「俺を一晩、買ってよ。今夜はお持ち帰りの客がつかなくってさー」
少年はカウンターの下で指を三本立ててみせる。
「口止め料、セックス付き。安い買い物だとおもうけど?」
「言っただろう。ガキに興味はない」
貮方の言葉に、少年は頬を膨らませた。
「これでも一応、ハタチなの。ガキじゃないよ。ま、この童顔のおかげで、客のウケはいいけどね」
少年は貮方の耳に唇を寄せ、甘い声を吹き込んだ。
「俺、松原達哉(まつばら たつや)。おじさんの名前は?」
貮方はウィスキーを飲み干すと、バーテンに声をかけた。
自分のウィスキーと、達哉のカクテルをまとめて清算する。
出口へ向かう貮方を追うように達哉は立ち上がり、さも当然のように、貮方の腕に自分の腕を絡めた。
傍目には、精悍ないい男と美少年のカップルが成立したように見えるのだろう。他の客たちの羨望の眼差しを無視し、二人は店の外へと出た。
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