■プレゼント(5)■
誕生日から三日後。
安積はようやく、速水の部屋を訪れた。事件は刑事の都合とは関係なしに起こるし、シフトの都合もある。当日に会えなかったことなど、速水はまったく気にしていないようだ。いつもどおり、笑いながら、安積を迎え入れる。安積は少し、ほっとした。そして、速水が「誕生日おめでとう」などと言い出さなかったことに、もっと、ほっとした。
安積はいつものように上着を置き、ソファーの端に腰掛けた。
テーブルの上には、小さな四角い包みがあった。花のような形をした青いリボンが、プレゼントらしさを強調している。
「開けてみろよ」
速水がにやにや笑っている。
安積は、おそるおそる包みを手に取った。速水は隣でソファーにふんぞり返り、安積が包装を解く様子を眺めている。
洒落たデザインの箱から出てきたのは、黒い革のキーケースだった。
シンプルで、ロゴなどはいっさいない。手にとってみると、それは新品にもかかわらず、しっくりと安積の手になじんだ。
蓋を開くと、中には、銀色のフックが五つついていた。
表面と同じように装飾はなく、機能的だ。左下に小さく『AZUMI』と型押しがあった。
「気に入ったか?」
「ああ、とても使いやすそうだな」
安積は素直に礼を言った。
なんだかんだ言っても、こういうプレゼントは嬉しいものだな──安積はそう思った。
ふと、速水の目線が気になった。たどってみると、速水は安積のタイピンを見ていた。
安積は苦笑した。今日のタイピンは、自分で買った安物だ。
物言いたげな視線を察したのが、速水が顔をあげた。
「おまえ、また俺が、やっかんでいると思っているのか?」
気負いなく笑う速水に、安積は言葉が見つからなかった。
まさにそう思っていたぞ──と答えるのは、さすがに申し訳ない気がしたのだ。
速水は笑ったまま、あっさりと言った。
「勝ち目のない戦いは、しないさ」
ほっとした安積の肩を速水の腕が抱いた。低い声が、耳元でささやく。
「それとも、妬いてほしかったか?」
馬鹿を言うな。
安積は憮然として答えた。
「比べる方がどうかしてるぞ」
速水が僅かに、だが楽しそうに笑った。
安積は置きっぱなしにしていた上着を引き寄せ、ポケットからキーホルダーを取り出した。
二つの鍵を外し、自分の鍵を真新しいキーケースに収める。
もうひとつの鍵を手に取り、安積は速水に差し出した。
「そうだ、この鍵──」
返しておくぞ。次に使う時、また、貸してくれ──
そう言いかけて、安積は言葉を止めた。自然に出たのは、別の言葉だった。
「この鍵、俺が持っていていいか?」
「ああ」
速水の答えも、ごく自然だった。
安積は、二つ目の鍵もキーケースに収めた。
安積の物と、速水の物が、ひとつの入れ物にある。何か、気恥ずかしいような、不思議な光景だ。
それを悟られないよう、安積は使い心地を確かめるふりをして、何度もキーケースを閉じたり開いたりした。開くたびに、控えめな五文字の型押しが目に入る。
苗字だけだと、わりと短いんだな。名前を入れると、途端に長くなるんだが──
ふと、安積は違和感を感じた。
娘がくれたタイピンには、名前の頭文字がはいっていた。自分が贈る場合──想像しづらいが、例えば速水にこの手の物を贈るとしたら、やはり、苗字だけでなく名前も入れようとするだろう。
単に字数に制限があったのかもしれない。
安積は何気なく、型押しされた文字を声に出さずに読んだ。
『 AZUMI 』
安積。
速水が、二人きりのときにだけ呼ぶ名だ。
ぞくりとした。背筋が冷たくなり、だが同時に身体の奥に僅かな熱が宿る。
まさかな、と思いながら、安積は恐る恐る、隣を見た。
速水は、にやにやと笑っていた。いたずらが成功した子供の顔で、呆然とする安積を覗き込む。
「気に入ったか?」
「おまえ……」
あきれて言葉が出てこない。
速水の指が、型押しをなぞった。
「本当は、俺の名前か『forever love』とかにしようかとも思ったんだが」
冗談めかした口調に、少しだけ苦さが混じっていることに、安積は気づいた。
「……そんなモノ、俺は使わんからな」
安積は、ようやく言った。
分かっているさ、と速水は笑った。
「だから、これにしたんだ」
型押しを撫でていた手が、安積の手に重なった。
「安積」
低い、感情を抑えた声がささやく。
おまえをこの名で呼ぶのは俺だけだ──そう言われているように感じるのは、錯覚だろうか?
安積は黙って、もう片方の手を速水に重ねた。
現実に、そうでないことは百も承知だ。同期の人間はたいてい、自分をそう呼ぶ。
でも、そうだとしても、速水にとっては、この名を呼ぶことに意味があるのだ。
そして俺も、おまえにこの名で呼ばれるのが──
ただそれだけのことが、こんなにも幸せなんだぞ──なあ、気づいているか、速水──
不意に強く引かれ、安積は速水の腕の中に捕えられた。
痛いほどに強く抱きしめられる。
唇が重なった。安積は速水の肩に腕をまわした。
「ん……う……」
速水の舌が、いつもよりもゆっくりと優しく、安積の口腔に侵入してくる。にもかかわらず安積は、速水の舌に犯されているような錯覚を感じた。愛しさと興奮が混じり合う。安積は無意識に、速水の舌を追った。あっという間に息があがり、互いの身体が熱を帯びる。
離れ際、速水は名残惜しそうに、安積の唇を舐めた。
ソファーの上で抱き合ったまま、速水が囁いた。
「ここでするか? それとも、ベッドに行くか?」
その笑いを含んだ口調は、いつもの速水だった。
安積もまた、努めていつもの口調で返した。
「珍しいじゃないか、おまえが俺の希望を聞くなんて」
「誕生日だからな、ご機嫌をとっておくのもいいだろう?」
安積は頬が火照るのを感じながら、答えた。
「その前に、シャワーを貸してくれ」
「俺は、このままでもいいぞ」
速水が安積の首筋に軽く歯を当てた。安積の身体が、ひくりと震える。安積は精一杯、速水を睨んだ。
「俺がいやなんだ。おまえも浴びろ」
速水は苦笑しながら、渋々というように身体を離した。
「待っている時間がもったいないんだがな」
「だったら、時間を短縮するのはどうだ?」
安積の言葉に、速水は一瞬、動きを止めた。
安積は赤い顔を隠すために、そっぽを向いた。目線の先には、浴室がある。
速水の声が安積に届く。
「いい提案だ」
その低い声には、明らかに情欲が混じっている。
速水の顔を見ず、安積は立ち上がった。タイピンを外し、ネクタイを引き抜いて、浴室に向かう。きっと後ろでは、速水がにやにやと笑いながら、同じように浴室に向かっているのだろう。その目には、欲情した光が宿っているに違いない。
浴室のドアに手をかけたところで、後ろから手が伸びてきた。背中に触れる身体が熱を帯びている。器用な指が、後ろから、安積のワイシャツのボタンを外していく。
耳元で、声が聞こえた。
「安積」
身体が震える。それは、少しの後悔とあからさまな期待だ。
安積はゆっくりと、浴室のドアを開けた。
END
|