■冷たく甘く(3)■


 数日後、夜十時。
 人気の少ない道路を春の風が吹き抜け、街路樹がざわざわと音を立てる。
 ぶるりと身体が震え、安積は首をすくめた。コートを着てこなかったことが、少しだけ悔やまれる。
 そういえば、この前もこんなことがあったな──
 昼間があたたかければあたたかいほど、夜はことさらに寒く感じる。
 今日は上着を着ているというのに、この前よりも寒い気がするのは、単に時間が遅いからなのか──
 安積は足早に署に向かいながら、ぼんやりと考えた。
 あのとき食べたソフトクリームの味は、もう思い出せない。覚えているのは、日差しの強さと風の冷たさ、そして、速水のいささか度が過ぎる優しさだ。
 ジャケットはともかく、どうして速水は、あんなにも素直に気持ちを表に出せるのだろう。それができない自分の方が──比べられるものではないと分かってはいるが──想いの深さで負けているような気がする。それが悔しい。
 二人の関係を表沙汰にしたいわけではない、と思う自分と。
 堂々と振舞える速水が羨ましい、と思う自分。
 納まりの悪い矛盾が、苛立たしい。
 性格の違いなのか、それとも、二十年という時間の差なのか──
 そこまで考えたとき、道路の向こう側に人影が現れた。
「ハンチョウ?」
 私服姿の速水が、少し驚いた顔をしながら歩いてくる。
 ここは駅への通り道だ。
「ハンチョウ、まだ仕事か?」
「ああ。おまえは?」
「あがりだ」
 人気のない、薄暗い通り。速水が優しく笑った。いつもと変わらない笑顔だ。
 安積の口から、無意識に言葉が出た。
「今、おまえの──」
 言いかけて、安積は言葉をとめた。少しの迷いの後、安積は言葉を続けた。
「今、おまえのことを考えていた。そうしたら、おまえが歩いてきた」
「そうか」
 速水が嬉しそうに笑う。安積はその顔を見つめた。
 何日も会えないことなど珍しくはない。なのに、何故だか無性に、目の前の体温が懐かしい。
 思わず伸びそうになった自分の腕を安積は意志の力で留めた。
 今は仕事中で、ここは職場のすぐ近くだ。何よりも、いつ人が通るかも分からない屋外だ。
 こんなとき、どうすれば自然に体温を求めることができるのか。
 安積には分からなかった。
「……俺は署に戻る」
 そう言って、安積は歩き出した。
 すれ違う瞬間、ぎりぎり触れなかった肩先に、少しだけ熱を感じる。錯覚だ。
「安積」
 後ろから名を呼ばれ、安積は立ち止まった。
 肩と背中に、よく知る体温が触れた。今度は錯覚ではない。震えそうになる声をおさえながら、安積は静かに言った。
「署はすぐそこだ。俺はそんなに寒がりじゃない」
「いいから、着ていけ」
 低い声が耳に届く。
 ジャケットを残し、僅かに笑う気配を残し。速水は駅のほうへと去っていった。
 安積はゆっくりと、署に向かって歩き出した。
 速水のにおい。速水の体温。
 うしろから抱きしめられる感触にも似た、あたたかさ。
──勝手なものだ──
 つい先日は、度が過ぎると思ったのに。
 同じ行為、同じ仕事中。なのに、こんなにも俺は安心している。
 安積は、襟元をあわせた。しっかりと、身体全体を覆う。
 署についたら、脱がなくてはならない。
 もう少しだけ、このあたたかさを──速水の温度を感じていたくて。
 安積はゆっくりと、署へ向かった。
 
 
END



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