■リンゴ(1)■
朝の臨海署は慌しい。出勤してくる多くの署員と、夜勤明けの僅かな署員が、正面玄関を逆方向に行き交う。
速水は私服に着替えを終え、ロッカールームから廊下に出た。足を止め、ささやかな賭けに思いをめぐらせる。
さて、今朝は正面玄関か、外階段か。
昨日は雨が降ったから、駐車場には水溜りがあるはずだ。革靴では少し歩きにくいだろう。ということは──
さほど悩むこともなく、速水は歩き出した。すれ違う署員たちと朝の挨拶を交わしながら、正面玄関へと向かう。
よたよたと歩く見慣れた姿が目に入った。
「あ、速水さん、おはようございます」
いつもどおり愛想良く笑う須田の手には、何やら大きなビニール袋が下がっている。
速水は鼻を鳴らした。強めの甘酸っぱい香りが、その正体を主張している。
「今年も来たのか」
「ええ。寮では食べきれないので、村雨の家におすそ分けしようと思いまして」
そう言いながら、須田はガサガサと袋を開けて見せた。赤いリンゴと緑のリンゴがごろごろと入っている。
「立派ですよねえ」
心の底から感心したように言う須田に、速水は僅かに笑った。
待機寮には季節になると、リンゴだのミカンだのが大箱で届く。実家が農家の署員がいるからだ。独身の男たちが大量の果物を消費できるはずもなく、須田は毎回こうやって、署内に配って回る。面倒なことだろうに、須田はいつも、素直に果物の出来栄えに感心しているのだ。
速水は袋の中を覗き、何かを思いついたように、にやりと笑った。
「ひとつ、もらうぞ」
どうぞどうぞと差し出す袋から、速水は赤いリンゴを掴んだ。須田の、お疲れ様でした、という声を聞きながら、正面玄関へと向かう。
ガラスのドアの外が眩しい。少し遠くに青空が見える。
──秋晴れだな──
ふと、速水は立ち止まった。踵を返し、内階段から二階へ向かう。
外階段のドアを開けると、抜けるような青空が目に入った。秋の朝特有の、僅かに冷気を含んだ風が心地いい。
階段の下から、足音が聞こえた。
「よお、ハンチョウ」
安積が立ち止まり、上を見た。一瞬だけ漏れた微笑みに、速水はにやりと笑い返した。
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